トップ 古代史の謎

①全般 ②邪馬台国論争 ③第1次邪馬台国? ④第2次邪馬台国? 

⑤第3次邪馬台国? ⑥九州王朝説 ⑦古代遺跡 ⑧古代伝承 ⑨神社と祭神

⑩神仏習合と修験道  ⑪近現代の宗教政策


古代史の謎①全般


1 古代史の謎に関するWebサイト

(1)邪馬台国大研究 (2)国府・総社・国分寺歴史散歩の参考

2 古代史の謎へのスタンス

(1)古代史年表 (2)神々の系図 (3)古代統一国家成立の謎(一説)

(4)古代史の虚構(YA論文)の理解


 大東亜戦争敗戦直後の昭和20年9月に生まれた私にとって、学校教育において日本の古代史についてはあまり教育を受けてこなかったように思います。特に、古事記・日本書紀の神話等については、まったく記憶にありませんでした。

 

 勤務の都合で、奈良県奈良市・福岡県春日市等に居住した際、週末を利用して廻った名所旧跡を通じて、日本の古代史に興味を持つようになりました。

 

 これらの訪問した名所旧跡(神社・遺跡)の来歴等を、Wikipedia等で概要を再確認するのを楽しみにしてきました。ここでは、それらの内、主として次のような邪馬台国の謎にかかわるような名所旧跡(神社・遺跡)及び継体天皇に係るいわゆる「磐井の乱」前後の北部九州の権力構造についての推測等を中心に紹介したいと思います。


1 古代史の謎に関するWebサイト


 古代史の謎に関するページを作成中に訪れたWebサイトを紹介したいともいます。


(1)邪馬台国大研究


Webサイト「邪馬台国大研究 

※お詫び:現在、Webサイト「邪馬台国大研究」へのリンクが切れております。

 

 当該ホームページは、大阪本町歴史倶楽部を主宰する井上筑前(修一)氏※が立ち上げており、下記インデックスのとおり邪馬台国の研究にとどまらず、古代史の謎の全般に係る幅広く奥行きのある内容だと思います。

 

 まだ、全てを閲覧したわけではありませんが、私のホームページ中の「古代史の謎」ページに『邪馬台国大研究』の関連ページにリンクを張るなどさせていただいていまいます。

 古代史や邪馬台国に関心のある方は、ぜひ、アクセスしてみて下さい。 

 

※井上修一氏:昭和44年、福岡県立朝倉高等学校卒業。西南学院大学卒業後、IT業界に約44年間勤務。20年前、大阪にて「大阪本町・歴史倶楽部」を創立。月一度の国内外遺跡・旧跡巡り、月一度の勉強会を主宰。遺跡巡りの例会は既に220回を数える。その間立ち上げたHP「邪馬台国大研究」は、アクセス数170に迫り、国内外で著名なホームページである。著書にHPと同名の「邪馬台国大研究」(2009年/梓書院)がある。大阪歴史学会会員。NPO法人国際縄文学協会会員。「季刊邪馬台国」編集委員会副委員長。全国邪馬台国連絡協議会副会長兼近畿・東海支部支部長。(パンフレット「邪馬台国フェスタin朝倉(平成28年12月4日)」から引用) 

 

〔インデックス〕

1. はじめに

 

2. 邪馬台国研究入門

 (1)倭とはどの国の事を言うのか?

 (2)魏志倭人伝とは?

 (3)3世紀の東アジアの状況は?

 (5)邪馬台国の人口はどのくらいだったか?

 (6)邪馬台国の風俗・習慣

 (7)邪馬台国の動物と植物

 (8)邪馬台国の産物

 (9)邪馬台国の食生活-弥生人の食べ物-

 (10)邪馬台国の住宅事情を視察する

 (11)卑弥呼は誰だ?

 (12)卑弥呼の宮殿と生活

 (13)卑弥呼の死をめぐって!

 (14)卑弥呼以後の邪馬台国はどうなったか?

 (15)日本神話における卑弥呼像

 (16)卑弥呼の末裔は今どこに?

 (17)邪馬台国研究入門(補遺)

 

3. 魏志倭人伝全文(汲古閣本)

 

4. 邪馬台国研究史

 (1)最初の邪馬台国研究者は誰?

 (2)金印考と江戸時代の邪馬台国研究

 (3)明治時代の邪馬台国研究

 (4)東京大学と京都大学のバトル

 (5)大正時代の邪馬台国研究

 (6)邪馬台国東遷説の登場

 (7)大正時代後半の研究者達

 (8)昭和時代の邪馬台国研究

 (9)邪馬台国研究史・総括

 (10)邪馬台国研究史(異聞)

 

5. 邪馬台国比定地一覧表 

6. 邪馬台国近畿説概要 

7. 邪馬台国九州説概要

8. 邪馬台国資料集 

9. 邪馬台国・古代史年表 

10. 科学する邪馬台国 

11. 学ぶ邪馬台国

12. 遊ぶ邪馬台国 

13. 発掘された日本列島展 

14. 日本古代史をとりまく謎

15. 古代史動画館 

16. 古事記・日本書紀の研究 

17. 全国・博物館/歴史館/資料館めぐり

18. 全国・遺跡旧跡案内 

19. 全国埋蔵文化財センター・リンク集

20. 天皇陵めぐり 

21. わが町「大阪府」の文化財 

22.歴史倶楽部例会

23.歴史倶楽部・ANNEX 

24.日本人の源流をもとめて

25. 新版・おもしろい古代史の掲示板 

26. 青沼茜雲の世界

27. 邪馬台国大研究アクセス統計 

28. 【邪馬台国大研究・本編】 

 

5. 邪馬台国比定地一覧表

「邪馬台国大研究」では、邪馬台国比定地一覧表にて、比定地を福岡県、佐賀県、熊本県、大分県、長崎県、奈良県等に分けて紹介しています。主なものは、要約すると次の通りです。

・福岡県(新井白石提唱)山門郡(卑弥呼=神功皇后)(『外国之事調書』)

・同 上(津田左右吉提唱)山門郡(卑弥呼=一女酋)(『邪馬台国の位置について』)

・同 上(井上光貞提唱)九州北部(卑弥呼=天照大神)(『日本の歴史』)

・同 上(榎一雄提唱)山門郡(卑弥呼=?)(『魏志倭人伝の里程記事について』)

・同 上(森浩一提唱)北部九州(卑弥呼=豪族)(『日本の古代文化』)

・同 上(安本美典提唱)甘木市・朝倉郡(卑弥呼=天照大神

・同 上(古田武彦提唱)福岡市(卑弥呼=?)(『邪馬台国はなかった』)

・熊本県(白鳥庫吉提唱)菊池郡山門(卑弥呼=?)(『?』)

・大分県(安藤輝国提唱)宇佐市(卑弥呼=応神天皇一族)(『邪馬台国と豊王国』)

・長崎県(宮崎康平提唱)島原半島(卑弥呼=?)(『まぼろしの邪馬台国』)

・宮崎県(原田常治提唱)西都市(卑弥呼=天照大神)(『古代日本正史』)

・鹿児島(本居宣長提唱)九州南部(卑弥呼=熊襲の女酋長)(『馬戎慨言』)

・同 上(鶴峰戊申提唱)薩摩国・大隅国()(卑弥呼=熊襲の女酋長)(『襲国偽偕考』

・奈良県(舎人親王提唱)大和国(奈良県)(卑弥呼=神功皇后)(『日本書紀』)

・同 上(内藤虎次郎提唱)大和国(奈良県)(卑弥呼=倭姫命) 

 

14. 日本古代史をとりまく謎

 「邪馬台国大研究」では、日本の古代史を取り巻く謎として、次の14の謎を列挙しています。その中で、「継体天皇は何処から来た?」を取り上げています。ただ、結論は得られていないようです。

1.消えた縄文人  

2.神々の降臨 

3.「三種の神器」って何? 何処にある?

4.出雲王国は実在したか? 

5.日本人はなぜ日本語を話す 

6.徐福伝説のいろいろ

7.騎馬民族は日本を征服したか? 

8.継体天皇はどこから来た?

9.謎の古代スーパーマン役行者 

10.「古代出雲大社」建造の謎

11.「狗奴国」はどこへ消えたか? 

12.「黒歯国」「侏儒国」はほんとにあったか?

13.三角縁神獣鏡の謎 14.銅鐸の謎  

 

18. 全国・遺跡旧跡案内

  特に、全国・遺跡旧跡案内には、下記の遺跡旧跡の実地踏査に基づく解説・写真付きの説明がなされており、古代史の歴史散歩には大変参考になると思います。

 細部は、前述全国・遺跡旧跡案内の目次からからアクセスしてください。なお、私が過去に訪れた遺跡(青字リンク)、又は今後訪れてみたい遺跡旧跡及び本HPで取り上げている遺跡旧跡(白字リンク)については、当該遺跡旧跡名からリンクできるようにしました。

 

★縄文時代以前★

(1)宮城・富沢遺跡保存館(地底の森ミュージアム)

(2)新潟・奥三面遺跡 -2万5千年に渡った遺跡-

(3)群馬・岩宿遺跡-国旧石器文化のパイオニア

(4)三重・鳥羽竜発見地

(5)奈良・馬見二の谷遺跡(旧石器大量出土)

(6)大阪・国府遺跡-大阪の旧石器時代からの遺跡ー

(7)大阪・翠鳥園遺跡-旧石器時代遺跡・関西の結合石器ー

(8)大分・早水台遺跡-別府湾を望む旧石器時代遺跡ー

(9)鹿児島・水迫遺跡/旧石器時代の集落(発掘速報)

 

★縄文時代★

(1)北海道・常呂遺跡

(2)北海道・忍路・音江環状列石

(3)北海道・大船C遺跡-縄文の大規模集落-

(4)北海道・大船遺跡

(5)北海道・美々貝塚遺跡

(6)北海道・ウサクマイ遺跡群

(7)北海道・キウス周堤墓

(8)北海道・カリンバ遺跡

(9)北海道・西崎山ストーンサークル

(10)北海道・史跡 入江貝塚

(11)青森・三内丸山遺跡-東北の縄文王国ー

(12)青森・亀ケ岡遺跡-宇宙人?土器

(13)秋田・大湯ストーンサークル

(14)秋田・伊勢堂岱遺跡 -台地の上の環状列石-

(15)岩手・御所野遺跡 -土屋根の竪穴住居-

(16)新潟・馬高三十稲場遺跡 -火焔土器発祥の地-

(17)新潟・長者ケ原遺跡-翡翠の加工集団-

(18)茨城・大串貝塚 -ダイダラボウが造った貝塚-

(19)茨城・三反田蜆塚貝塚

(20)千葉・加曽利貝塚遺跡

(21)東京・大森貝塚遺跡-我が国縄文研究の祖

(22)東京・多摩ニュータウンNO.57遺跡

(23)東京・西秋留石器時代住居跡(清水遺跡)

(24)東京・前田耕地遺跡(多摩の石器工場)

(25)東京・王子 飛鳥山周辺遺跡

(26)栃木・大谷洞窟(岩陰)遺跡(縄文最古の人骨)

(27)栃木・根子谷台遺跡(関東の縄文集落)

(28)埼玉・水子貝塚公園

(29)群馬・月夜野矢瀬遺跡

(30)山梨・釈迦堂遺跡-甲府にあった大量の土偶

(31)山梨・金生遺跡-縄文時代の壁建住居

(32)長野・尖石遺跡-八ケ岳山麓に住居が-

(33)野・鷹山遺跡-東日本の黒曜石一大産地

(34)長野・井戸尻遺跡-富士山の見えるムラ-

(35)長野・大深山遺跡-山麓の大集落-

(36)富山・不動堂遺跡-北アルプスの麓-

(37)富山・桜町遺跡-高度な建築技術

(38)石川・チカモリ遺跡-謎のウッドサークル

(39)石川・真脇遺跡 -我が国漁業の発祥の地?

(40)福井・鳥浜貝塚遺跡-縄文丸木船出土

(41)静岡・蜆塚遺跡-シジミの層が数mにも-

(42)岐阜・塚原遺跡公園-縄文・古墳時代-

(43)三重・粥見井尻遺跡-縄文時代・草創期の土偶-

(44)奈良・勢野東遺跡-縄文時代草創期の石器出土-

(45)京都・浦入遺跡 -縄文の丸木船出土

(46)京都・浜詰遺跡-縄文丸木船-

(47)京都・竹野遺跡-海縁のムラ-

(48)大阪・森ノ宮遺跡-関西の縄文遺跡-

(49)和歌山・徳蔵遺跡-巨大棍棒出土-

(50)愛媛・上黒岩岩陰遺跡-1万年の歩み-

(51)佐賀・末廬国菜畑遺跡-我国農業起源の地

(52)佐賀・葉山尻支石墓群-我国初の支石墓調査

(53)鹿児島・上野原遺跡-西日本の縄文王国

 

★弥生時代★

(1)北海道・手宮・フゴッペ洞窟(続縄文文化)

(2)北海道・史跡手宮洞窟

(3)青森・イエスキリストの墓-おそるべし!

(4)青森・垂柳遺跡 -東北の稲作を証明ー

(5)福島・墓料遺跡-東日本特有の再葬墓

(6)東京・弥生遺跡-弥生の名付け親土器が出土

(7)横浜・大塚歳勝土遺跡-住居と墓が隣同士

(8)横浜・三殿台遺跡

(9)静岡・登呂遺跡-稲作跡、初めて出土

(10)静岡・伊場遺跡-木製の鎧が出土

(11)名古屋・見晴台遺跡-中部地方の村落跡

(12)愛知・朝日遺跡-東海地方の弥生都市-

(13)石川・寺家遺跡-縄文から中正に至る祭祀遺跡-

(14)石川・吉崎次場遺跡-北陸地方の大弥生集落-

(15)滋賀・弥生の森歴史公園/銅鐸発見の地

(16)滋賀・大中の湖南遺跡/湖岸の農耕集団

(17)滋賀・服部遺跡/湖岸の大規模水田跡

(18)滋賀・下之郷遺跡/守山市立下之郷史跡公園

(19)滋賀・伊勢遺跡/近江の邪馬台国?

(20)京都・途中ケ丘遺跡-丹後の砦?-

(21)京都・扇谷遺跡-丹後の環濠遺跡-

(22)京都・奈具岡遺跡-丹後の工房跡-

(23)京都・大風呂南遺跡群-ガラスの釧-

(24)京都・田辺天神山遺跡-山城地方の弥生集落-

(25)奈良・雨の葛城古道を歩く

(26)奈良・纒向遺跡-邪馬台国近畿説を往く-

(27)奈良・唐古・鍵遺跡-近畿の代表的な弥生遺跡ー

(28)奈良・布留遺跡-同じく近畿の代表的な弥生遺跡ー

(29)大阪・四ッ池遺跡

(30)大阪・池上曽根遺跡-近畿最大級の環濠

(31)大阪・男里遺跡

(32)兵庫・田能遺跡-近畿での典型的な弥生村落

(33)兵庫・桜ヶ丘遺跡-絵画銅鐸の大量出土

(34)兵庫・淡路島・貴船神社遺跡

(35)兵庫・大中遺跡-日本初の内行花文鏡-

(36)鳥取・新井三嶋谷遺跡

(37)鳥取・青谷上寺地遺跡-弥生人の脳-

(38)島根・神庭荒神谷・加茂岩倉・猪目洞窟他

(39)島根・荒神谷遺跡-再訪-

(40)島根・出雲玉造遺跡-脈々と続く製作技術

(41)山口・土井が浜遺跡-渡来人と縄文人が眠る

(42)高知・龍河洞遺跡-鍾乳洞に住んだ弥生人

(43)香川・中の池遺跡-四国の大規模環濠集落

(44)愛媛・紫雲出山遺跡-瀬戸内を見下ろす高地性集落

(45)徳島・矢野古墳/矢野遺跡-縄文から続く集落遺跡

(46)徳島・阿波史跡公園-徳島市国府町の複合遺跡

(47)福岡・沖の島祭祀遺跡(宗像大社神宝館)

(48)福岡・平塚川添遺跡-我国最大の六重の環濠

(49)福岡・平原遺跡-伊都国の王女の墓か?

(50)福岡・三雲南小路・井原鑓遺跡-伊都国の王墓?

(51)福岡・金隈遺跡-庶民の大規模集団墓地-

(52)福岡・板付遺跡 -我が国稲作起源の地-

(53)福岡・奴国の丘歴史公園

(54)福岡・吉武高木遺跡 -奴国王の墓?

(55)福岡・野方遺跡 -奴国の村落

(56)福岡・立岩遺跡 -日本一美しい鏡が出土

(57)福岡・金印公園 -漢の委の奴の国王-

(58)福岡・志登支石墓群 -朝鮮式ドルメン

(59)福岡・西新遺跡 -渡来人の生活圏遺跡

(60)福岡・瀬高女山 -消えてゆく邪馬台国

(61)大分・安国寺遺跡 -国東半島の弥生人たち-

(62)佐賀・吉野ヶ里遺跡 -弥生最大級の環濠集落-

(63)佐賀・吉野ヶ里遺跡 徐福国際シンポジウムにて

(64)佐賀・吉野ヶ里遺跡 歴史倶楽部例会

(65)佐賀・宇木汲田遺跡 -末廬国の王墓1

(66)佐賀・柏崎遺跡 -末廬国の王墓2

(67)佐賀・桜ノ馬場遺跡 -末廬国の王墓3

(68)佐賀・久里双水古墳 弥生の前方後円墳

(69)大分・宇佐神宮 -卑弥呼の墓か?

(70)熊本・トンカラリン -謎の隧道遺跡-

(71)熊本・方保田東原遺跡・山鹿市出土文化財管理センター

(72)長崎・原の辻遺跡 -一大国の首都

(73)長崎・ガヤノキ遺跡 -対馬の石棺墓

(74)長崎・山辺遺跡 -対馬国の首都?

(75)長崎・塔の首遺跡 -対馬の石棺墓

(76)長崎・サカドウ遺跡 -対馬の石棺墓

(77)鹿児島・橋牟礼川遺跡 -日本のポンペイ

 

★古墳時代★

(1)岩手・熊堂古墳 -蝦夷の墓か?-

(2)宮城・仙台市-遠見塚古墳-

(3)福島・会津若松-大塚山古墳-

(4)埼玉・さきたま風土記の丘(稲荷山古墳他)

(5)茨城・十五郎横穴古墳群

(6)茨城・虎塚古墳 -東国の壁画古墳-

(7)茨城・馬渡埴輪製作遺跡 -埴輪工房の跡-

(8)千葉・房総風土記の丘(竜角寺古墳群)

(9)東京・野毛大塚古墳(野毛古墳群)

(10)東京・多摩川台古墳群(田園調布の古墳群)

(11)東京・高倉塚古墳(府中市高倉塚古墳群)

(12)東京・芝丸山古墳(東京タワー直下の古墳)

(13)東京・多摩・瀬戸岡古墳群

(14)群馬・高崎・観音山古墳

(15)長野・森将軍塚古墳(更埴市)

(16)石川・羽咋七塚/滝大塚古墳(羽咋市)

(17)愛知・断夫山古墳(名古屋市)

(18)愛知・八幡山古墳(名古屋市)

(19)三重・城之越遺跡(伊賀市)

(20)京都・網野銚子山古墳

(21)京都・神明山古墳

(22)京都・蛭子山・作山古墳

(23)京都・黒部銚子山古墳

(24)京都・太田南古墳群

(25)京都・遠所遺跡

(26)京都・物集女古墳/淳和天皇車塚

(27)京都・椿井大塚山古墳

(28)京都・広峯古墳

(29)奈良・新沢千塚古墳群

(30)奈良・整備された新沢千塚古墳群

(31)奈良・藤ノ木古墳/斑鳩を歩く

(32)奈良・箸墓古墳-倭迹迹日百襲姫命墓-

(33)奈良・鶯塚古墳-若草山山頂の前方後円墳-

(34)奈良・烏土塚古墳

(35)奈良・椿井宮山塚古墳

(36)奈良・西宮古墳・剣上塚古墳

(37)奈良・ツボリ山古墳

(38)奈良・三里古墳

(39)奈良・宮山古墳

(40)奈良・森カシ谷遺跡

(41)奈良・馬見古墳群

(42)大阪・安満宮山遺跡

(43)大阪・新池埴輪制作遺跡

(44)大阪・高井田横穴古墳群

(45)大阪・黒姫山古墳

(46)大阪・継体天皇楠葉宮跡

(47)大阪・南河内古市古墳群

(48)大阪・阪南一須賀古墳群

(49)大阪・峯ケ塚古墳

(50)大阪・岬町淡輪古墳群

(51)大阪・金山古墳-楠正成の里の古墳-

(52)大阪・五月ケ丘古墳-池田市-

(53)大阪・茶臼山古墳 - 同 -

(54)大阪・大石塚・小石塚古墳

(55)大阪・南天平古墳

(56)大阪・御獅子塚古墳

(57)大阪・大塚古墳

(58)大阪・津堂城山古墳

(59)大阪・割塚古墳

(60)大阪・しおんじやま古墳

(61)兵庫・五色塚古墳

(62)兵庫・処女塚古墳・東西求女塚古墳

(63)和歌山・紀伊風土記の丘(岩橋千塚古墳群)

(64)和歌山・大谷古墳

(65)鳥取・伯耆古代の丘公園(向山古墳群)

(66)鳥取・ハワイ風土記館(馬ノ山古墳群)

(67)鳥取・羽合町歴史民俗資料館(長瀬高浜遺跡)

(68)岡山・吉備風土記の丘(造山古墳・作山古墳等)

(69)岡山・こうもり塚古墳

(70)岡山・箭田大塚古墳

(71)岡山・角力取山古墳

(72)広島・みよし古代の丘(浄楽寺・七ツ塚古墳群)

(73)香川・石清尾山古墳群-讃岐の積石塚古墳群-

(74)香川・石清尾山古墳群-第二弾!

(75)徳島・王墓山古墳(有岡古墳群)-善通寺市の古墳群

(76)徳島・野田院古墳-積み石塚古墳復元!

(77)福岡・王塚装飾古墳/古墳館

(78)福岡・日岡/月岡装飾古墳(吉井町古墳群)

(79)福岡・岩戸山古墳/乗場古墳(八女市)

(80)福岡・仙道古墳/三輪町郷土資料館

(81)福岡・童男山古墳/徐福の墓か?

(82)福岡・宮地嶽古墳/豪華な副葬品。九州最大石室

(83)佐賀・樋ノ口古墳/末廬国の末裔か?

(84)大分・宇佐風土記の丘

(85)大分・国東半島の古墳

(86)熊本・肥後古代の森(菊水地区・江田船山古墳)

(87)熊本・江田船山古墳(和水町)

(88)熊本・肥後古代の森(鹿央地区・岩原古墳群)

(89)熊本・石貫ナギノ横穴群

(90)熊本・チブサン・オブサン古墳

(91)宮崎・西都原古墳群

(92)長崎・壱岐風土記の丘

 

★古墳時代以降★

(1)北海道・標津遺跡群(擦文文化)

(2)北海道・知事公館跡遺跡(擦文文化)

(3)北海道・モヨロ貝塚(オホーツク文化)

(4)北海道・函館 五稜郭(江戸末期)

(5)北海道・五稜郭

(6)青森・十三湊遺跡/資料館

(7)宮城・陸奥国分寺・国分尼寺

(8)宮城・多賀城跡

(9)滋賀・大津京跡・南志賀廃寺・百穴古墳群

(10)滋賀・春の「紫香楽宮跡」を行く

(11)三重・斎宮跡/斎宮博物館

(12)京都・秋の長岡京を歩く

(13)京都・元伊勢神社内宮

(14)京都・間人皇后の母子像

(15)京都・聖武天皇「恭仁京跡」

(16)奈良・飛鳥に佇む古代の息吹

(17)奈良・飛鳥・酒船石遺跡

(18)奈良・平城宮跡遺跡

(19)奈良・冬の藤原宮跡をゆく

(20)奈良・益田池堤跡

(21)奈良・茶畑に眠る太安万侶

(22)奈良・月ヶ瀬・尾山代遺跡

(23)奈良・中の庄遺跡 縄文時代~中世の複合遺跡

(24)奈良・百済大寺(吉備池廃寺)

(25)奈良・安倍寺跡(安倍文殊院)

(26)奈良・飛鳥・山田寺跡

(27)奈良・水落遺跡(石神遺跡)

(28)奈良・平城京東院跡遺構

(29)奈良・平城京跡大極殿(復元)

(30)大阪・難波宮遺跡

(31)大阪・難波宮跡めぐり

(32)大阪・難波宮資料編

(33)大阪・難波宮地下遺構

(34)大阪・王陵の谷・太子町を行く

(35)大阪・住吉大社-帝塚山古墳-

(36)大阪・古代寺院・海会寺跡

(37)大阪・阿武山古墳-藤原鎌足の墓-

(38)大阪・王仁の墓-造られた漢字博士の墓-

(39)大阪・井真成の生誕地・葛井寺

(40)大阪・吹田市・瓦窯跡 遺跡

(41)大阪・枚方市・くずはのお台場跡

(42)和歌山・熊野古道

(43)岡山・鬼ノ城(きのじょう)遺跡

(44)鳥取・上淀廃寺跡

(45)福岡・古代の迎賓館「鴻廬館跡」

(46)福岡・元寇防塁の跡(福岡市西新町)

(47)福岡・怡土城跡・高祖神社 (前原市高祖)

(48)福岡・鹿部田渕遺跡(古賀市美明)

(49)熊本・歴史公園・古代山城鞠智城

(50)大分・国宝・臼杵石仏群(大分県)

(51)沖縄・仲間川第一貝塚 

 

★現地説明会・参加記録★

 

★特別Version(海外旧蹟)★  

 

〔24.日本人の源流をもとめて〕 

●加羅・新羅をゆく ●いにしえの百済へ ●馬韓のたび ●冬の北京を行く 

●大都・西安へ ●はるかなるシルクロード ●台湾フォーエバー

修正:令和6年10月9日


(2)国府・総社・国分寺歴史散歩の参考


(引用:国府物語

〇参考Webサイト:『国府物語』

 全国の国府(国府3点セット)を巡回してその巡回録を掲載し、リンクフリーとされているホームページです。 

※お詫び:現在、Webサイト「国府物語」へのリンクが切れております。

 

1)国府とは

 国府は、古代日本の各国毎に置かれた政治の中心都市。大化改新(645)により、中央集権の政治体制確立を目指した大和朝廷は、それまでの国造(くにのみやつこ)などの地方豪族による地方統治から、中央官吏による直轄統治を推進した。地方統治の単位である国毎に国府を定め、中央から国司を派遣して、徴税、軍事、治安維持等に当たらせたのである。

 

 天皇中心の律令国家は、こうして次第に体制を整えていく。壬申の乱(672)を経て、天武・持統朝に強力に展開され、大宝元年(701)大宝律令の成立によって完成した。

現代でも国府、府中等の地名が各地に残されているが、武蔵国の府中、駿河国の静岡などのように、今でも大都会として躍動しているところはまれで、ほとんどは小さな町や村に、ゆかりの地名だけがひっそりと残っている。 

 

2)国府3点セット 

①国府・国衙・国庁:国府の役所。

②総社・惣社:国衙の近くに置かれた神社。

③国分寺・国分尼寺:諸国に置かれた官営の寺。  

 

3)国府一覧表 

全国国府一覧(国立歴史民俗博物館研究報告第10巻) 

 

4)全国国府巡回録(巡回年月日を省略)

 下記の国府へは、国府物語のトップページからアクセスしてください。

1.三河国 愛知県豊川市国府 (三河国天平の里資料館)

2.下総国 千葉県市川市国府台(幻の美女真間の手児奈の伝説)

3.武蔵国 東京都府中市宮町

4.下野国 栃木県栃木市(道鏡幻夢) 

5.伊豆国 静岡県三島市

6.尾張国 愛知県稲沢市国府宮(悪い国司と良い国司)

7.日向国 宮崎県西都市(神々が息づく里「日向・高千穂」)

8.甲斐国 山梨県東八代郡御坂町国衙

9.陸奥国 宮城県多賀城市

10.駿河国 静岡県静岡市

11.信濃国 長野県上田市

12.常陸国 茨城県石岡市総社

13.相模国 神奈川県平塚市四之宮(国府祭) 03.03.05 

14.出雲国 島根県松江市 (荒神谷・加茂岩倉遺跡)07.05.20

15.備中国 岡山県総社市

16.美濃国 岐阜県不破郡垂井町府中

17.遠江国 静岡県磐田市見附

18.安房国 千葉県安房郡三芳村府中(国司祭)

19.上総国 千葉県市原市惣社

20.飛騨国 岐阜県高山市

21.伊賀国 三重県上野市

22.伊勢国 三重県鈴鹿市(齊王の恋・斎宮歴史博物館)

23.備前国 岡山県岡山市国府市場

24.讃岐国 香川県坂出市府中町(西行の恋)

25.志摩国 三重県阿児町国府

26.近江国 滋賀県大津市(太平記)

27.越前国 福井県武生市国府(蟹宿こばせ)

28.若狭国 福井県小浜市府中

29.摂津国 大阪市北区 

30.山城国 京都府乙訓郡

31.上野国 群馬県前橋市元総社町

32.紀伊國 和歌山県和歌山市

33.加賀国 石川県小松市古府町

34.大和国 奈良県高市郡(藤原宮、平城宮)

35.伊予国 愛媛県今治市

36.出羽国 山形県酒田市 秋田県秋田市(小野小町誕生伝説)

37.豊後国 大分県大分市古国府

38.越中国 富山県高岡市伏木古国府(越中守大伴家持ゆかりの万葉の国)

39.能登国 石川県七尾市府中(和名抄の編纂をした能登守源順)

40.越後国 新潟県上越市国府

41.播磨国 兵庫県姫路市

42.土佐国 高知県南国市

43.河内国 大阪府藤井寺市惣社(道鏡の名誉回復)

44.和泉国 大阪府和泉市府中町(葛の葉姫伝説)

45.筑前国 福岡県太宰府市(万葉集筑紫歌壇)(金印の謎)

46.筑後国 福岡県久留米市

47.肥前国 佐賀県佐賀郡大和町(吉野ケ里遺跡)

48.対馬嶋 長崎県下県郡厳原町(海幸彦・山幸彦の物語)

49.大隅国 鹿児島県国分市府中

50.薩摩国 鹿児島県川内市国分寺町

51.伯耆国 鳥取県倉吉市国府

52.因幡国 鳥取県岩美郡国府町

53.但馬国 兵庫県城崎郡日高町(但馬国府・国分寺館)

54.丹後国 京都府宮津市府中

55.丹波国 京都府船井郡八木町屋賀

56.肥後国 熊本県熊本市国府本町

57.壱岐嶋 長崎県壱岐市芦辺町湯岳興触

58.周防国 山口県防府市国衙(国宝 瑠璃光寺の五重塔)

59.安芸国 広島県安芸郡府中町(台風被害のあった安芸の宮島)

60.備後国 広島県府中市元町

61.美作国 岡山県津山市総社

62.淡路国 兵庫県南淡路市国衙(淡路廃帝の悲話)

63.阿波国 徳島県徳島市国府町府中

64.石見国 島根県浜田市下府(歌聖柿本人麻呂の謎)

65.隠岐国 島根県隠岐の島町甲野原(隠岐国分寺蓮華会舞)

66.長門国 山口県下関市長府町(平家哀歌)

67.豊前国 福岡県京都郡豊津町国作字御所宮ノ下(藤原広継の乱)

68.佐渡国 新潟県佐渡市真野町(国府物語完!)

69.琉球王国 沖縄県那覇市(特別掲載)

70.極北の地に花開く縄文王国 三内丸山、亀ヶ岡、是川遺跡(特別掲載)


2 古代史の謎へのスタンス


(1)古代史年表


 古代史の概要は、古事記・日本書紀及び魏志倭人伝等によれば、次の年表のようになるとされています。そして現在でも古代史の謎とされているのは、古代統一国家成立経緯に関することで、特に魏志倭人伝に記されている邪馬台国の所在地が明確になっていないところにあります。

 

古代史年表

表出典:確認中


(2)神々の系図


古事記・日本書紀における神話に登場される神々の系図は、次の通りとされています。 

 

〇参考Webサイト:神様の家系図神話と神様と神社のことあなにやし

 

神々の系図(古事記)

系図出典:神様の家系図


(3)古代統一国家成立の謎(一説)


 古代統一国家成立については、いくつかの謎があるといわれています。それは、日本の正史とされている『古事記』・『日本書紀』に、出雲の国譲りが大きく取り上げられていること、魏志倭人伝に記述されている邪馬台国卑弥呼に触れていないこと、神武東征に出てこられる饒速日命のことが触れられていないこと、邪馬台国と対立していた狗奴国等の記述がないこと、『宋書』に登場する「倭の五王」のことが記されていないこと、継体天皇の出自や崩御等の記述が記紀で食い違っていること等があります。 

 

 また、古代遺跡の中に、卑弥呼に比定できるような副葬品(福岡県糸島市の平原遺跡等)の出土、卑弥呼を祀ったと想定される神社(大分県宇佐市の宇佐八幡宮等)、邪馬台国の存在を示すような古墳(宮崎県西都市の西都原古墳群等)があり、古代統一国家成立の経緯にも謎が残っているように思います。 

 

 古代統一国家成立の謎について、神一行氏著の「崇神天皇と三王朝交替の謎」 (歴史群像新書)によれば、下記のように王朝交代の謎を説明されており、私のこれまでの転勤生活で訪れた名所旧跡の伝承等を踏まえれば、ある程度納得できるように思っています。 

 

 また、最近、田中英道氏が出された「日本国史」(育鵬社)に、記紀に言う「高天原」は関東地方(茨城県の鹿島・香取神宮付近)にあった日高見国であり、出雲の国譲りは、日高見国への国譲りとの説を述べられている。縄文時代は、東日本の方が食料等の面から多くの人口を養う事が出来たとの観点から納得できるように思います。 

 

(その1)王朝交代の謎 

 

(その2)東遷図 

 

 (その3)出雲王国に先行する日高見国について 

 

田中学説の要約

 伊勢雅臣氏メルマガスタンド「日高見国の物語 〜 田中英道著『日本国史』から」

 

「田中教授のお叱りを覚悟で、ここで学説のあらすじのみ種明かしをしてしまうと(論証はあとで述べるが)、縄文時代の日本には関東、東北を中心に多くの村落が共通の神道信仰・文化で結ばれたゆるやかな祭祀国家「日高見国(ひたかみのくに)」があった。記紀の「高天原」は、この日高見国を神話化したものだった。

 

 紀元前10世紀ごろから、気候が寒冷化し、それまで東日本に集中していた人口が南下し、西日本に移動し始めた。同時に大陸では周王朝から春秋戦国時代を経て大帝国・の成立と脅威が高まり、また大陸・半島からの難民・移民も増えて、西日本の統治が懸案になってきた。

 

 そこで東日本を統治していた日高見国は、西日本の統合を決断した。そのために、まずは日本列島の西端たる南九州に大船団を送って地固めを行い(天孫降臨)、そこから要衝である北九州や中国、近畿地方を抑えていく(神武東征)という挟み撃ち戦略をとった。

 

 神武天皇が西日本を抑えて、大和地方まで進出したことで、従来から東日本を統治していた日高見国と合わせて、日本列島の主要部分はすべて統治下に入った。その後、日高見国の主要部族も大挙して大和に移住し、大和朝廷は繁栄していく。一方、日高見国は、寒冷化とともに人口減少で衰えていき、ついにはその存在も忘れ去られていった。」

 

(出典:Webサイト:JOG-mel No.1066  http://melma.com/backnumber_115_6694549/)


(4)古代史の虚構(YA論文)の理解


作業中


分離掲載:令和3年1月10日開始                      令和6年10月9日現在