トップ 古代史の謎

①全般 ②邪馬台国論争 ③第1次邪馬台国? ④第2次邪馬台国? 

⑤第3次邪馬台国? ⑥九州王朝説 ⑦古代遺跡 ⑧古代伝承 ⑨神社と祭神

⑩神仏習合と修験道  ⑪近現代の宗教政策


古代史の謎⑨神社と祭神


1 日本の神話と神々

(1)日本の神話 

(2)神話の神々(天津神・国津神)

(3)図書紹介

 

2 日本の神社と祭神

(参考)神社等の種類

(1)神社の社号の種類 

(2)一宮について 

(3)諸国一宮以下一覧 

(4)全国の神社・祭神について

 

3 図書紹介

 (1)『神社に隠された大和朝廷統一の秘密』

 (2)『日本神話の「謎」を歩く』

 (3)「瀬織津姫の真実がヤバイ!!」(都市伝説)


1 日本の神話と神々


(1)日本の神話 (2)神話の神々(天津神・国津神) (3)図書紹介


(1)日本の神話


(引用:Wikipedia)

1)概要

 記紀日本の神話学神道、および神代 (日本神話)も参照

 

 日本神話と呼ばれる伝承はほとんどが、古事記日本書紀、および、各風土記の記述による。そのため、高天原の神々が中心となっているが、出典となる文献は限られる。

 

 また、地方の神社地方誌の中にも上記の文献群には見られない伝承を残している。

 

 本来、日本各地には出雲を始めとして何らかの信仰や伝承があったと思われ、ヤマト王権の支配が広がるにつれていずれもが国津神(くにつかみ)または「奉ろわぬ神」という形に変えられて「高天原神話」に統合されたと考えられている。

 

 また、後世まで中央権力に支配されなかったアイヌ琉球には独自色の強い神話が存在する。日本神話の神々は現代に至るまで信仰の対象とされ続けている。

 

 本記事においては主に『古事記』『日本書紀』で語られる神話(記紀神話)について解説する。 

 

2)神話の構成

 この記事では日本神話のあらすじを述べるにとどめ、各神話の詳細は別記事に譲る。

 

 記紀などにおいて神代(神の時代、神話時代)として記された神話は、以下の通りである。

 神代は、神武天皇以前の時代を指す。「古事記」および「日本書紀」を参照。 

 

2.1)天地開闢

 天地開闢の後、高天原に別天津神神世七代の神々が誕生。これらの神々の最後に生まれてきたのがイザナギ(表記は伊邪那岐、ほか)イザナミ(表記は伊邪那美、ほか)の二神である。 

 

2.2)国生みと神生み

 イザナギ・イザナミの二神は自らが造ったオノゴロ島に降り、結婚して最初の子・ヒルコが生まれた。ところが、方法に間違いがあったことから失敗し、不具の子であった。この子を海に流した後、次の子・アワシマが生まれたが、またも正しく生まれてこなかったため、二神は別天津神に教えを乞い、そうして改めて正しく交わり、生み出したのが淡道之穂之狭別島であった。

 

 次に淡道を含む大八島と呼ばれる島々(日本列島)を次々と生み出していった。これらを国生み/国産みという。その後もさまざまな神々を生み出してゆくことになるが、これらを神生み/神産みという。

 

 しかしイザナミは火神・カグツチを産み出す際に大火傷を負ってしまい、この世を去ってしまう。残されたイザナギは亡きイザナミに会いたい気持ちを募らせて黄泉国へ赴くも、彼女が黄泉の住者になってしまったことを思い知って逃げ帰る羽目になり、永遠に離別することとなった。

 

 その後、イザナギは黄泉国で被った穢れを祓うために禊をした。この時にもさまざまな神々が生み出されたが、その最後に「三貴子(みはしらのうずのみこ)」と呼ばれる3柱、すなわち、アマテラス(天照)・ツクヨミ(月読)・スサノオ(須佐之男)を生んだ。 

 

2.3)アマテラスとスサノオの誓約・天岩戸

 スサノオ(須佐之男)根国へ行く前に高天原へと向かう。アマテラス(天照)はスサノオが高天原を奪いにきたのかと勘違いし、弓矢を携えてスサノオを迎えた。スサノオはアマテラスの疑いを解くためにうけい(誓約)で身の潔白を証明した(アマテラスとスサノオの誓約)

 

 この時、のちに皇室出雲国造の始祖となる五柱の男神宗像三女神が生まれた。

 

 しかしスサノオが高天原で数々の乱暴を働いたため、これを怖れ憂えたアマテラスは天岩戸に隠れてしまい、地上は闇に覆われてしまった。神々は計略も用いてアマテラスを天石戸から誘い出し、光が地上に取り戻された。スサノオは悪行の責めを負って下界に追放された。 

 

2.4)出雲神話

 詳細はヤマタノオロチ因幡の白兎大国主の神話、および大国主の国づくりを参照

 

 スサノオ(須佐之男)は出雲国に降り、八俣遠呂智を退治し、櫛名田比売と結婚する。スサノオの子孫である大穴牟遅神大国主は、八上比売と結ばれるが、それを妬んだ八十神に迫害される。

 

 難を逃れ、根之堅洲国でスサノオの試練を乗り越えると、スサノオの娘である須勢理毘売命を娶って大国主神となる。

 

 その後、沼河比売多紀理毘売命と結婚し、多くの御子神を生み、少名毘古那神三輪の神葦原中国の国づくりを始めた。

 

 これらの説話は出雲国風土記には収録されていない。ただし、神名は共通するものが登場する。 また、全国各地の風土記神社、地方誌には、独自色の濃い国作り神話が伝わっている。

 

2.5)葦原中津国平定(国譲り)

 詳細は葦原中津国平定を参照

 

 高天原にいた神々は、葦原中国を統治するべきなのは天照大御神の子孫だとした。そのため、何人かの神を出雲に遣わしたが、いずれも大国主神に寝返ったり、寝返った神に殺されたりと交渉は遅々として進まなかった。

 

 最終的に建御雷神ら武神二柱を派遣し、大国主神の子の兄・事代主神に国を譲らせ、果敢に抵抗した弟・建御名方神をも降服させる。御子神二柱が要求に応じたため、大国主神は自らの宮殿(出雲大社)建設と引き換えに、天の神に国を譲ることを約束する。

 

2.6)天孫降臨

 天照大御神の孫である邇邇芸命は日向に降臨した天孫降臨。このとき天照大御神から授かった三種の神器を携えていた。邇邇芸命は木花之佐久夜毘売と結婚し、木花之佐久夜毘売は御子を出産した。 

 

2.7)山幸彦と海幸彦

 邇邇芸命の子は山幸彦と海幸彦である。山幸彦は海幸彦の釣り針をなくしたため、海幸彦に責められる日々を送るが、海神の宮殿に赴き釣り針を返してもらい、海幸彦に釣り針を返し復讐して従えた。

 

 山幸彦は海神の娘と結婚し鵜草葺不合命という子をなした。そして、鵜草葺不合命の子が神倭伊波礼毘古命、のちの神武天皇である。

 

3)人代の神話的伝承

3.1)神武東征

 磐余彦尊は兄たちや子と謀ってヤマト(奈良盆地)を支配しようともくろみ、東征(神武東征)をおこなう。ヤマトの先住者たちは果敢に抵抗し、磐余彦尊も苦戦するが、結局はヤマトの平定に成功する。磐余彦尊は橿原宮ではじめて天皇位につく(神武天皇)

 

 神武天皇の死後、神武天皇が日向にいたときに生まれた子である手研耳命が反乱を起こす。その弟神渟名川耳尊は手研耳命を射殺し、皇位を継ぐ(綏靖天皇)。 

 

3.2)欠史八代

 綏靖天皇以下の8代の天皇欠史八代の事跡は記紀にほとんど伝わらない。

 

3.3)日本武尊

 景行天皇の皇子日本武尊熊襲を遠征し、天皇の命令で東方にも出兵する。しかし、帰還の途中で死亡、白鳥となって飛び去った。

 

3.4)三韓出兵

 皇位は日本武尊の弟・成務天皇が継いだが、その崩後は日本武尊の息子が継ぎ、仲哀天皇へと即位した。仲哀天皇はその父と同じように九州へ出兵しようとするが、住吉大神に逆らったため崩御する。その皇后である神功皇后は、住吉大神の助力により三韓を従える(三韓出兵) 

 

4)神仏習合と中世神話

 日本に仏教が定着すると、日本の神々も人間と同じく苦しみから逃れることを願い、仏の救済を求め解脱を欲すると認識されるようになった。 

 

 奈良時代初頭から神社において神宮寺が建立され始め、霊亀元年(ユリウス暦:715年)には越前国の気比大神が、また、鹿島神宮・賀茂神社・伊勢神宮などで神宮寺が併設された。 

 また、宇佐八幡神のように神体が菩薩形をとる(僧形八幡神)も現れた。

 

 奈良時代後半には、伊勢国桑名郡の現地豪族の氏神である多度大神が、神の身を捨てて仏道の修行をしたいと託宣するなど、神宮寺建立は地方にまで広がり、若狭国の若狭彦大神や近江国の奥津島大神など、他国の神も8世紀後半から9世紀前半にかけて、仏道に帰依する意思を示した。

 

 こうして苦悩する神を救済するため、神社の傍らに神宮寺が建てられ、神前で読経がなされた。また、神の存在は元々不可視であり、依り代によって知ることのできるものであったが、神像の造形によって神の存在を表現するようになった。 

 

 平安時代になり、「日本の神は護法善神である」とする神仏習合思想(後述)が生まれ、寺院の中で仏の仮の姿である神(権現)を祀る神社が営まれるようになった。

 

 また、『太平記』などの軍記物、歌学書やその注釈、寺社縁起などで、『日本書紀』に依りながら内容が大きく異なる「中世神話(中世日本紀)が発達した。中世神話では本地垂迹説により記紀の神々仏教の尊格と同一視されたり、あるいは対等に扱われる。

 

 記紀にはない神格アイテムが登場したり、地方神話民間伝承芸能の要素の混入もみられる。記紀神話のように内容を統一する文献は編纂されなかったため、バリエーションは豊富である。中世神話は現在では国文学方面で研究されており、神話学などではあまり扱われない。

 

5)近世

 近世になると、本居宣長が『古事記』の本格的解明を目指し『古事記伝』を著し、日本神話といえば『日本書紀』の内容が主に伝わっていたのが一変し、『古事記』の内容が主に伝えられるようになった。

 また、少数ではあるが、キリシタンや幕末の新宗教の教説にも独自の神話がみられる。 

 

6)研究

 詳細は日本の神話学を参照

 

 江戸時代までは官選の正史として記述された『日本書紀』のほうが重要視され、『古事記』はあまり重視されていなかった

 

 江戸時代中期以降、本居宣長の『古事記伝』など国学の発展によって、『日本書紀』よりも古く、かつ、漢文だけでなく大和言葉も交えて書かれた『古事記』のほうが重視されるようになり、現在に至っている。

 

 現在は、神話学・比較神話学・民俗学・考古学・人類学・歴史学等の領域研究などがされている。また、日本神話の原形となったと思われる逸話や日本神話と類似点を持つ神話は、ギリシア神話など世界中に多数存在する。日本における古墳時代から奈良時代にかけての国の勢力関係をも知るうえでの参考資料ともなっている。

 

 明治時代以降は、比較神話学の観点から、高木敏雄(1876年-1922年)が1943年と1944年(昭和18年と19年)(1925年?に『日本神話伝説の研究』にまとめられた研究をすすめた。高木は柳田國男折口信夫らとも交流があり、柳田・折口らによる民俗学においても日本神話の研究が展開した。日本の神話学においてはほかに松村武雄・松本信広らの研究がある。

 

 第二次世界大戦後の代表的な研究者には、大林太良吉田敦彦らがいる。 

 

6.1)比較神話学における研究事例

 吉田敦彦は、1974年(昭和49年)に刊行した『ギリシァ神話と日本神話 比較神話学の試み』『日本神話と印欧神話』をはじめ、以降、『日本神話の源流』、『ヤマトタケルと大国主 比較神話学の試み3』、『アマテラスの原像 スキュタイ神話と日本神話』、『日本の神話伝説』などの一連の比較神話学研究において、日本神話を他の国・地域の神話と比較分析している。

 

・神武東征とトゥアサ・デー・ダナンのアイルランド征服神話

・応神天皇伝説とインド=ヨーロッパ語族神話の太陽神生誕神話

・オセットのソスラン誕生神話とオシホミミ 

 

6.1.1)琉球神話との比較

 詳細は「琉球神道」を参照

 

 日本神話と琉球神話との比較は伊波普猷によって始められた。伊波は、1904年(明治37年)に発表し1942年(昭和17年)に改稿した「琉球の神話」の中で、『中山世鑑』の起源神話『古事記』淤能碁呂島神話『宮古島旧記』神婚説話三輪山神話などの類似を指摘している。伊波の研究は後述する松本信廣ポリネシア神話との比較研究を経て、大林太良らによって展開された。

 

 大林は、日本神話と奄美や沖縄の島々に伝承されている民間説話について、「流れ島」「天降る始祖」「死体化生」「海幸彦」に関する伝承神話を比較検討し、南西諸島の神話伝承は、基本モチーフと構造においては記紀神話と大幅な一致を見せるが、神名等においては一致しないことから、記紀にまとめられる前の共通の神話体系の母体から分かれて南西諸島で保存された可能性を指摘している。 

 

 伊藤幹治は、日本と琉球の神話を比較し、漂える国(島)や天界出自の原祖ヒルコ、穂落としなどのモチーフが共通して認められるとしながら、「風による妊娠」「原祖の地中からの出現」「原祖の漂着」「犬祖」などは琉球神話にしか見られ遠藤庄治は、宮古列島の来間島豊年祭の由来譚が日光感精による処女懐胎であることを説明し、『日本書紀』神代巻冒頭の天地が分かれる以前は鶏子のごとくであったとする条と天日槍伝承に見られる卵生のモチーフが、来間島では豊年祭の由来として現在も語り継がれていると指摘している。

 

6.1.2)日本の天地開闢神話とポリネシアの創世神話

 1931年(昭和6年)松本信廣は『日本神話の研究』の中で、ローランド・ディクソンがポリネシア神話を分類するために設定した2つの図式「進化型」「創造型」を用い、日本の天地開闢神話をポリネシアの創世神話の「進化型」と「創造型」の複合形であり、イザナギ・イザナミ神話から以降は「創造型」の形式を受け継いでいるものではないかとの説を発表した。

 

 進化型「系図型」ともいわれ、最初独化神が連続し、これが宇宙の進化の各段階を象徴する。のちに夫婦神が現れて、最後に生まれた陰陽二神より万物が誕生したという筋の神話の型である。

 

 創造型は、最初神々は天上の世界に住み、その下には広々とした大海が横たわっているのみである。そこへある神が石を投げ込むと、それが最後には大地となり、その上に天上の者が下り、ついで人間が現れるという筋の神話の型である。

 

 なお、松本は日本神話とポリネシア神話を比較するうえで琉球の神話(cf. 琉球神道)も重要視し、琉球の古神話がイザナギ・イザナミ神話の一異体であり、日本神話が琉球を通して遠く南方の創造型神話と関連を持っているとした。松本による日本神話と汎太平洋神話との比較は日本の比較民族学上の定説になっている。 

 

 また、岡正雄による日本の天地開闢神話の研究は日本神話の系譜に関する歴史民族学的研究を活発化し、その後、大林太良によって具体的に展開された。大林によれば、天地開闢神話以外のオオゲツヒメ・モチーフや海幸彦・山幸彦モチーフも南西諸島の神話に存している。

 

 そのほか、[誰?]によって以下の事例がこれまでに指摘されている。

・アレキサンダー大王の説話と神武天皇の遠征の類似。

 

・イザナギとイザナミは兄妹であるが、人類の始祖たる男女が兄妹であったとする神話は南アジアからポリネシアにかけて広くみられる。

 

・イザナミは「最初の死人」となり「死の国を支配する神」となったが、「最初の死人」が「死の国を支配する神」となる話はエジプト神話のオシリスやインド神話のヤマなどにみられる。

 

・因幡の白兎が海を渡るのにワニ(サメ説あり)を騙して利用する話があるが、動物が違えど似た内容の昔話が南方の島にある。


(2)神話の神々(天津神・国津神)


(2-1) 神々の概要 (2-2) 天津神 (2-3)国津神


(2-1) 神々の概要


(引用:Wikipedia)

〇参考Webサイト

●神々の細部:日本の神の一覧(Wikipedia)参照

 

●神々の系図:神様の家系図(あなにやし~神話と神様と神社のこと) 

 

 天津神・国津神(あまつかみ・くにつかみ)は、日本神話に登場する神の分類である。天津神高天原にいる神々、または高天原から天降った神々の総称、国津神(葦原中国)に現れた神々の総称とされている。

 

1)概要

 日本神話において、国津神がニニギを筆頭とする天津神に対して国土(葦原中国)の移譲を受け入れたことを国譲りとして描かれている。これはヤマト王権によって平定された地域の人々(蝦夷、隼人など)が信仰していた神が国津神に、ヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる。

 

 国津神については、記紀に取り入れられる際に変容し、本来の伝承が残っていないものも多い。日本書紀ではある文(『日本書紀』の大半の巻に「一書曰」「或本云」など)として伝承等を引用しているが、その元の記録文書は後世では失われてしまった。 

 

 「つ」は、上代日本語の格助詞で、現代語の「の」のことで、天の神・国の神という意味であり、「天つ神」、「国つ神」と表記することもある。

 

 漢字で天津神を「天神」(てんじん)、国津神を「地祇」(ちぎ)とも言い、併せて「天神地祇」「神祇」と言う。「天神地祇」「神祇」という呼称は中国の古典に見え、それが出典という説も存在するが、日本のものとは概念が全く異なる別ものである。

 

 なお高天原から天降ったスサノオや、その子孫である大国主などは国津神とされている。

 

 2)主要な神々

 

  

古事記・日本書紀における神々(引用:Wikipedia)

3)日向三代

 日向三代(ひむかさんだい/ひゅうがさんだい)とは、日本神話において、地神五代のうち、瓊瓊杵尊・火折尊火遠理命・鸕鶿草葺不合尊の3柱の神々およびそれらの神々の時代を指す用語。皇室の祖が日向にあった時代である。概ね天孫降臨と神武東征の間に位置する。

 

〈系図〉

① 天照大神

② 天忍穂耳尊・・・・・・・・・・・・・・・     1⃣ 栲幡千千姫命(高皇産霊尊の娘)

③ 瓊瓊杵尊(天孫)(日向初代)(②&1⃣の子)・・・・ 2⃣ 鹿葦津姫(木花之開耶姫)(大山祇神の娘) 

④ 火遠理命(山幸彦)(日向二代)(③&2⃣の子)・・・  3⃣ 豊玉姫命(豊玉彦命(海神)の娘)

⑤ 鸕鶿草葺不合尊(日向三代)(④&3⃣の子)・・・  4⃣ 玉依姫命(豊玉彦命(海神)の娘)

⑥ 磐余彦尊(神武天皇)(⑤&4⃣の子)

⑦ 子孫は皇室 


(2-2)天津神


(引用:Wikipedia)

1)造化三神(ぞうかさんしん)

  ・天之御中主神(あめのみなかぬし)高皇産霊尊(たかみむすび)・神産巣日神(かみむすび)

 

1.1)天之御中主神宇宙の根源神、最高神、始原神、究極神、子孫:なし

 天之御中主神は、日本神話の天地開闢において登場する神である。神名は天の真中を領する神を意味する。『古事記』では神々の中で最初に登場する神であり、別天津神にして造化三神の一柱。

 

 『日本書紀』の正伝には記述がなく、異伝(第一段の第四の一書)に天御中主尊として記述されている。『古事記』『日本書紀』共にその事績は何も記されていない。そのため天之御中主神は中国の思想の影響により創出された観念的な神であるとされるが、これに否定的な論もある。

 

平安時代の『延喜式神名帳』には天之御中主神を祀る神社の名は記載されておらず、信仰の形跡は確認できない。この神が一般の信仰の対象になったのは、近世において天の中央の神ということから北極星の神格化である妙見菩薩と習合されるようになってからと考えられている。

 

 現在、天之御中主神を祀る神社の多くは、妙見社が明治期の神仏分離・廃仏毀釈運動の際に天之御中主神を祭神とする神社となったものである。また水天宮も天之御中主神を主祭神の一つとしている。

 

 

 天之御中主神は哲学的な神道思想において重要な地位を与えられることがあり、中世の伊勢神道では豊受大神を天之御中主神と同一視し、これを始源神と位置づけている。江戸時代の平田篤胤の復古神道では天之御中主神は最高位の究極神とされている。

 

〈祀る神社〉

  現在、主にこの神を祭る神社には、妙見社系水天宮系と、近代創建の大教院・教派神道系の3系統がある。

 

① 妙見社系の端緒は、道教における天の中央の至高神(天皇大帝)信仰にある。北極星・北斗七星信仰、さらに仏教の妙見信仰(妙見菩薩・妙見さん)習合され、熊本県の八代神社、千葉氏ゆかりの千葉神社、九戸氏ゆかりの九戸神社、埼玉県の秩父神社などは妙見信仰のつながりで天之御中主神を祀る妙見社である。妙見社は千葉県では宗教法人登録をしているものだけでも50社以上もある。全国の小祠は数知れない。

 

② 水天宮は、元々は天之御中主神とは無関係だったが、幕末維新の前後に、新たに主祭神として追加された。

 

③ 明治初期に大教院の祭神とされ、東京大神宮四柱神社などいくつかの神社が祭神に天之御中主神を加えた。また大教院の後継である神道大教を中心とする教派神道でも、多くの教団が天之御中主神をはじめとする全ての神々(神祇)を祭神としている。

 

 その他、島根県出雲市の彌久賀神社などでも主祭神として祀られている。

 

 

 出雲大社では別天津神の祭祀が古い時代から行われていた。現在も御客座五神として本殿に祀られている。出雲大社が古くは高層建築であったことは別天津神の祭儀と関係があるとする説がある。

 

 1.2)高皇産霊神(たかみむすび): 天の生産・生成の「創造」の神。

 神産巣日神と対になって男女の「むすび」の男を象徴する神 子孫:思金神・万幡豊秋津師比売命・天活玉命

 

 タカミムスビは、日本神話に登場する神。別天津神・造化三神のうちの一柱である。

 

〈概要〉

 『古事記』では高御産巣日神、高木神、『日本書紀』では高皇産霊尊と書かれる。また葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神、高木大神という名で登場する。

 

 別名の通り、本来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神である。

 

 日本書紀の神代下では、将軍や皇孫を葦原中国に降ろす神として登場する。

 

〈記述〉

 『古事記』によれば、天地開闢の時、最初に天之御中主神が現れ、その次に高天原に出現したとされるのが高御産巣日神という神である。この次に神産巣日神が出現した。子に思金神、万幡豊秋津師比売命がいる。

 

 天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神は、共に造化の三神とされ、いずれも性別のない神、かつ人間界から姿を隠している「独神」とされている。ただし神産巣日神を女神、高御産巣日神を男神とする説がある。

 

 この造化三神のうち、高御産巣日神神産巣日神は、その活動が皇室・朝廷に直接的に大いに関係していると考えられたため、神祇官八神として八神殿の第一と第二神殿で祀られた。

 

 高御産巣日神は、『日本書紀』では天地初発条一書第四に「又曰く〜」という形式で登場しており、また神代下では高天原から葦原中国に神などを降ろす神として主に記述され、巻十五の「顕宗紀」では阿閉事代が任那に派遣され壱岐及び対馬に立ち寄った際に名前が登場し、月神と日神の祖であり天地を創造した功績があったとされている。

 

 また、『延喜式』「祝詞」・「出雲国神賀詞」では「神王高御魂命」とされている。

 

〈系譜〉

 『古事記』では天照大御神の御子神の天忍穂耳命が、高御産巣日神の娘である万幡豊秋津師比売命と結婚して生まれたのが天孫邇邇芸命である。このことから高御産巣日神は天孫邇邇芸命の外祖父に相当する。

 

 また、天津国玉神の子である天若日子が、天孫降臨に先立って降ったが復命せず、問責の使者の雉(きぎし)鳴女(なきめ)が参るとこれを矢で射殺する。その矢は高天原まで届き、高御産巣日神が「もし高天原に叛く意志があるならこの矢に当たるであろう」と述べて投げ返すと、矢は天若日子を討ったという。

 

 他に即位前の神武天皇が熊野から大和に侵攻する場面で神武天皇を助けた高倉下の夢に高御産巣日神が登場する。高御産巣日神は天照大御神より優位に立って天孫降臨を司令する。

 

 また、のちの皇室は高御産巣日神の血を引いている(前述)が、高御産巣日神が本来の皇祖神だとする説がある。

 

 奴奈川神社には高御産巣日神は意支都久振為命を産み、命が卑都久振為命を産み、同神が沼河比売を産んだとされる伝承がある。また葛城国造・宇佐国造・賀茂県主の遠祖である天活玉命の父であるとされる。

 

〈諸説〉

 女神的要素を持つ神皇産霊神と対になり、男女の「むすび」を象徴する神とする説がある。

 

〈祀る神社〉

天神社奈良県大和高田市)天神神社(岐阜県瑞穂市)サムハラ神社(大阪府大阪市西区立売堀)/東京大神宮(東京都千代田区富士見)高城神社(埼玉県熊谷市)安達太良神社(福島県本宮市)高天彦神社(奈良県御所市)高木神社(東京都墨田区)高木神社(東京都葛飾区)七夕神社(福岡県小郡市) 

 

1.3)神産巣日神(かみむすび):地の生産・生成の「創造」の神。 

 高御産巣日神と対になって男女の「むすび」の女を象徴する神カミムスビ(カミムスヒ、カムムスビ)は、日本神話に登場する神。別天津神・造化三神のうちの一柱。

 

〈概要〉

 『古事記』では神産巣日神、『日本書紀』では神皇産霊尊、『出雲国風土記』では神魂命と書かれる。「産霊」は生産・生成を意味する言葉で、高皇産霊神とともに「創造」を神格化した神である。

 

『古事記』では、少名毘古那神神産巣日神の子である。

 

〈記述〉

 天地開闢の時、天之御中主神・高御産巣日神の次に高天原に出現し、造化の三神の一柱とされる。

 

 冒頭の記述では性のない独神とされているが、御祖神という記述、大国主神が八十神らによって殺されたとき、大国主神の母の刺国若比売が神産巣日神に願い出て、遣わされた𧏛貝比売と蛤貝比売が「母の乳汁」を塗って治癒したことから女神であるともされる。

 

 『古事記』で語られる神産巣日神は高天原に座して出雲系の神々を援助する祖神的存在であり、他の神々からは「御祖(みおや)」と呼ばれている。

 

 須佐之男命大気都比売神を殺したとき、その死体から五穀が生まれ、神産巣日神がそれを回収したとされる。

 

 『日本書紀』では出雲系の神々が語られないため、カミムスビはタカミムスビの対偶神として存在するのみで特にエピソードは無い。

 

 『出雲国風土記』では島根半島の地名起源譚に登場する、土地神たちの御祖として「神魂命」の名が現れる。キサカヒメ・ウムカヒメなど土地神たちの多くは女性神であり、母系社会の系譜上の母神として存在したと考えられる。

 

〈系譜〉

 特に配偶神(夫神)については記されていないが、複数の御子神がいるとされる。

・𧏛貝比売

・蛤貝比売

・少名毘古那神 - 大国主神と協力して国造り

・天御食持命 - 後裔の天道根命は紀伊国造等の祖

・天神玉命 - 後裔の賀茂建角身命は賀茂氏(天神系)の祖

・角凝魂命 - 度会氏・忌部氏等の祖

・櫛真乳魂命 - 中臣氏・卜部氏・伊勢国造等の祖

・伊久魂命 - 賀茂氏の祖

 

2)別天津神(ことあまつかみ)

2.1)宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢ):活力を司る神

 ウマシアシカビヒコヂは、日本神話に登場する神。天地開闢において現れた別天津神の一柱である。『古事記』では宇摩志阿斯訶備比古遅神、『日本書紀』では可美葦芽彦舅尊と表記する。

 

 『古事記』では、造化三神が現れた後、まだ地上世界が水に浮かぶ脂のようで、クラゲのように混沌と漂っていたときに、葦が芽を吹くように萌え伸びるものによって成った神としている。すなわち4番目の神である。『日本書紀』本文には書かれていない。

 

 第2・第3の一書では最初に現れた神、第6の一書では天常立尊に次ぐ2番目に現れた神としている。独神であり、すぐに身を隠したとあるだけで事績は書かれておらず、これ以降、日本神話には登場しない。活力やエネルギー、生命力を神格化した神である。

 

 「ヒコヂ」は男性を表す語句である。「コヒジ」(泥)の文字顚倒という説もある。

出雲大社(島根県出雲市)本殿御客座・浮嶋神社(愛媛県東温市)などに祀られている。豊国分国寺・宇佐神宮においての関係は豊前書記に記されているが、言動は一切不明。 

 

2.2)天之常立神(あめのとこたち) 

 天の永久性を象徴する神、始原伸、天空神

 

 天之常立神は、日本神話に登場する神。別天津神のうちの一柱である。天地開闢の際、別天津神五柱の最後に現れた神である。独神であり、現れてすぐに身を隠した。

 

 『日本書紀』本文には現れず、『古事記』および『日本書紀』の一書にのみ登場する。神代紀第一段第六の一書では天常立尊と表記され、可美葦牙彦舅尊・国之常立神に先立って最初に登場する。天の永久性を象徴する神とされる。

 

 『先代旧事本紀』によれば、天之御中主神と同一神である。出雲大社(出雲市)に客座神として祀られているほか、駒形神社(岩手県奥州市)・金持神社(鳥取県日野郡日野町)などに祀られている。

 

3)神世七代(かみよななよ)

3.1)(1代)国之常立神(くにのとこたち):始原神、大地神

 国之常立神は、日本神話に登場する神。『日本書紀』においては、初めての神とされる。

 

 日本神話の根源神として一部神道・新宗教で重要視されている。『古事記』では国之常立神、『日本書紀』では国常立尊と表記される。別名を国底立尊ともいう。

 

 『古事記』において神世七代の最初の神とされ、別天津神の最後の天之常立神の次に現れた神で、独神であり、姿を現さなかったと記される。

 

 『日本書紀』本文では天地開闢の際に出現した最初の神としており、「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」の神であると記している。

 

 他の一書においても、最初か2番目に現れた神となっている。『記紀』ともに、それ以降の具体的な説話はない。

 

 神名の「国之常立」は、「国」を「国土」、「常」を「永久」と解し、名義は「国土が永久に立ち続けること」とする説や、日本の国土の床(とこ、土台、大地)の出現を表すとする説など諸説ある。

 

 伊勢神道では天之御中主神、豊受大神とともに根源神とし、その影響を受けている吉田神道では、国之常立神を天之御中主神と同一神とし、大元尊神(宇宙の根源の神)に位置附けた。

 その流れを汲む教派神道諸派でも国之常立神を重要な神としている。

 

〈祀る神社〉

 神仏分離により、各地の妙見社は祭神を天之御中主神と改めたが、一部には、国之常立神を祭神に改めた社もあった。国土形成の根源神、国土の守護神として信仰され、以下の諸社で祭られている。

 

御岩神社(茨城県日立市)高椅神社(栃木県小山市)聖神社(埼玉県秩父市)十二所神社(埼玉県川口市南鳩ヶ谷)蘇羽鷹神社(千葉県松戸市)大宮神社(千葉県千葉市若葉区)日枝神社(東京都千代田区)大鳥神社(東京都目黒区)二宮神社(東京都あきる野市)長尾神社(神奈川県川崎市多摩区)御嶽神社(長野県木曽郡王滝村)高岡関野神社(富山県高岡市)諸大明神社(愛知県春日井市松本町)山津照神社(滋賀県米原市)城南宮(京都府京都市伏見区)西代神社(大阪府河内長野市)国常立神社(奈良県橿原市、天香久山山頂)玉置神社(奈良県吉野郡十津川村)/熊野速玉大社(和歌山県新宮市)の相殿/若桜神社(鳥取県八頭郡若桜町)小村神社(高知県高岡郡日高村) 

 

3.2)(2代)豊雲野神とよくもの):大地の様子を表す神

 豊雲野神は、日本神話に登場する神。『古事記』では豊雲野神、『日本書紀』では豊斟渟尊と表記される。『古事記』において神世七代の第2代の神とされ、『日本書紀』では天地開闢に登場する神世七代の第3代の神とされる。また神世七代の最後の独神である。

 

 「豊かな(=トヨ)雲(=クモ、ノ)」の意であり、雲を神格化した存在とされる。『古事記』原文にはアクセントの注記があり、「雲」は音を上げて発音するため、神名は「豊雲、野」ではない。従って名義は「豊かな野で、雲の覆う野」と考えられる。

 

 『古事記』では、神代七代の二番目、国之常立神の次に化生したとしている。国之常立神と同じく独神であり、すぐに身を隠したとある。

 

 『日本書紀』本文では、天地開闢の後、国常立尊、国狭槌尊の次の三番目に豊斟渟尊が化生したとしており、これらの三柱の神は男神であると記している。

 

 第一の一書では、国常立尊・国狭槌尊の次の三番目に化生した神を豊国主尊とし、別名がして豊組野尊、豊香節野尊、浮経野豊買尊、豊国野尊、豊齧野尊、葉木国野尊、見野尊であると記している。

 

 「豊」がつく名前が多く、豊雲野神・豊斟渟尊と同一神格と考えられている。第二から第六の一書には、同一神とみられる神名は登場しない。

 『古事記』・『日本書紀』とも、これ以降、豊雲野神が神話に登場することはない。

 

〈祀る神社〉

物部神社(境内)神代七代社(島根県大田市川合町)忌部神社(島根県松江市東忌部町)穂見諏訪十五所神社(山梨県北杜市長坂町)熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)宮浦宮(鹿児島県霧島市福山町)埜神社(愛知県豊田市野口町)大縣神社(境内)大国恵比須神社(愛知県犬山市宮山)荒橿神社(栃木県芳賀郡茂木町)二荒山神社(境内)十二社(栃木県宇都宮市馬場通り)胸形神社(栃木県鹿沼市村井町)三明神社(愛知県犬山市字内久保) 

 

3.3)(3代)宇比地邇神(うひぢに)・須比智邇神すひぢに):大地の様子を表す神

 宇比地邇神・須比智邇神は、日本神話に登場する神である。『古事記』では兄を宇比地邇神、妹を須比智邇神、『日本書紀』では兄を埿土煮尊、妹を沙土煮尊、『先代旧事本紀』では兄を泥土煮尊、妹を沙土煮尊と表記する。

 

 なお『日本書紀』では両神とも「地」を使うため「じ」で良いが、『古事記』では「地」と「智」を使い分けているため、須比智邇神の読み方は「すひちにのかみ」が正しい。

 

 『古事記』において神世七代の第3代の神々とされ、兄宇比地邇神が男神、妹須比智邇神が女神である。『日本書紀』では神世七代の第4代の神々とされる。それまでは独神であったが、この代ではじめて男女一対の神となった。

 

 神名の「ウ」は泥(古語で「うき」)、「ス」は沙(砂)の意味で、大地が泥や沙によってやや形を表した様子を表現したものとする説がある。

 

 宇比地邇神「宇比地」は「初泥」(ういひぢ)の音約、「邇」は親愛を表す接尾語と解し、名義は「最初の泥土」と考えられる。須比智邇神の「須」は「砂」、「比智」は「泥土」、「邇」は親愛を表す接尾語と解し、名義は「砂と泥土」と考えられる。また『古事記』原文にはアクセントの注記がしてあり、宇比地邇神の「邇」は音を上げて、須比智邇神の「邇」は音を下げて発音する。

 

〈祀る神社〉

物部神社境内)神代七代社(島根県大田市川合町)忌部神社(島根県松江市東忌部町)熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)宮浦宮(鹿児島県霧島市福山町)二荒山神社(境内)十二社(栃木県宇都宮市馬場通り)沙田神社(長野県松本市島立区) 

 

3.4)(4代)角杙神(つのぐひ)活杙神(いくぐひ):大地の様子を表す神

 角杙神・活杙神は、日本神話に登場する神である。『古事記』では兄を角杙神、妹を活杙神、『先代旧事本紀』では兄を角樴尊、妹を活樴尊と表記する。

 

 『古事記』において神世七代の第4代の神とされ、兄角杙神が男神、妹活杙神が女神である。『日本書紀』では神世七代に数えられていない。

 

 「クイ(クヒ)」は「芽ぐむ」などの「クム」で、「角ぐむ」は角のように芽が出はじめる意、「活ぐむ」は生育しはじめるの意とする説があり、泥土が段々固まってきたことにより、生物が発成し育つことができるようになったことを示す神名であるされる。

 また名義は「角状の棒杙」と「活きいきとした棒杙」と考えられる。

 

〈祀る神社〉

 物部神社(境内)神代七代社(島根県大田市川合町)/宮浦宮(鹿児島県霧島市福山町)

 

3.5)(5代)意富斗能地神(おほとのじ)大斗乃弁神(おほとのべ)

 『古事記』では兄を意富斗能地神、妹を大斗乃弁神、『日本書紀』では兄を大戸之道尊、妹を大戸之部尊、『先代旧事本紀』では兄を大苫彦尊、妹を大苫姫尊と表記する。

 

 『古事記』において神世七代の第五代の神々とされ、兄意富斗能地神が男神、妹大斗乃弁神が女神である。

 

 神名は大地が完全に凝固した時を神格化したとする説があり、「地」は男性、「弁」は女性の意味である。また、「ト」は「ミトのマグワイ」の「ト」で、性器の象徴であるとする説もある。

 

 意富斗能地神の「意富」は「大」で美称、「斗」は「門・戸」で集落の狭い通路、「能」は格助詞、「地」は「父親」で男性の親称と解し、名義は「偉大な門口にいる父親」と考えられる。また大戸乃弁神の「大戸乃」までは意富斗能地神と同じで、「弁」は「女」(め)の転と解し、名義は「偉大な門口の女」と考えられる。

 

 上記の神名から集落の狭い通路には防壁の守護神がいるとされ、それを祀ってきたと考えられる。

 

〈祀る神社〉

宅宮神社(徳島県徳島市上八万町)/波須波神社(島根県出雲市佐田町下橋波172番地)

物部神社 境内 神代七代社(島根県大田市川合町)/忌部神社(島根県松江市東忌部町)

穂見諏訪十五所神社(山梨県北杜市長坂町)/二荒山神社 境内 十二社(栃木県宇都宮市馬場通り)

熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮) 

 

3.6)(6代)淤母陀琉神おもだる)阿夜訶志古泥神あやかしこね):大地の様子を表す神

 淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神は、日本神話に登場する神である。『古事記』では兄を淤母陀琉神、妹を阿夜訶志古泥神、『日本書紀』では兄を面足尊、妹を綾惶根尊と表記する。

 

 『古事記』において神世七代の第6代の神とされ、兄・淤母陀琉神が男神、妹・阿夜訶志古泥神が女神である。オモダルは「完成した(=不足したところのない)」の意、アヤカシコネはそれを「あやにかしこし」と美称したもの。つまり、人体の完備を神格化した神である。

 

 また、淤母陀琉神は「淤母」は「面」、「陀琉」は「足る」と解して、名義を「男子の顔つきが満ち足りていること」とし、文脈や阿夜訶志古泥神との対応、また今日に残る性器崇拝から男根の様相に対する讚美からの命名と考えられる。

 

 阿夜訶志古泥神は「阿夜」は感動詞、「訶志古」は「畏し」の語幹、「泥」は人につける親称と解し、名義は「まあ、畏れ多い女子よ」とし、淤母陀琉神と同様の理由で、女陰のあらたかな霊能に対して恐懼することの表象と考えられる。 

 

 中世には、神仏習合により、神世七代の六代目であることから、仏教における、欲界の六欲天の最高位である第六天魔王の垂迹であるとされ、特に修験道で信奉された。

 

 明治の神仏分離により、第六天魔王を祀る寺の多くは神社となり、「第六天神社」「胡録神社」「面足神社」などと改称した。

 

〈祀る神社〉

各地の第六天神社近津神社(茨城県久慈郡大子町)近津神社(茨城県久慈郡大子町下野宮)二荒山神社(境内社)(栃木県宇都宮市馬場通り)健男霜凝日子神社(大分県竹田市神原)熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)穏田神社(東京都渋谷区神宮前)第六天神社(宮城県名取市増田)

 

3.7)(7代)伊邪那岐神(いざなぎ)伊邪那美神いざなみ):創造神、国生みの神 

伊邪那岐神

 イザナギまたはイザナキ(伊邪那岐/伊弉諾/伊耶那岐)は、記紀・日本神話などに登場する男神で神世七代の7代目。『古事記』では伊邪那岐神、伊邪那岐命、『日本書紀』では、伊弉諾尊と表記される。イザナミ(伊邪那美、伊弉冉、伊耶那美、伊弉弥)の夫。アマテラスやスサノオ等多くの神の父神であり、神武天皇の7代先祖とされている。

 

 天地開闢において神世七代の最後に伊邪那美命とともに生まれた。そして高天原の神々に命ぜられ、海に漂っていた脂のような国土を固めるべく、天浮橋から天沼矛で海をかき回し、淤能碁呂島を作った。

 

 そこで天の御柱を左から周り、右から周った伊邪那美命と結婚した。国産み・神産みにおいて伊邪那美命の間に日本国土を形づくる多数の子を儲ける。その中には淡路島をはじめ大八洲(本州・四国・九州等)の島々、石・木・海(大綿津見神)・水・風・山(大山津見神)・野・火など森羅万象の神が含まれる。

 

 伊邪那美命が、火の神である火之迦具土神(軻遇突智)を産んだために陰部に火傷を負って亡くなった。伊邪那岐命が伊邪那美命の遺体にすがって泣いていると、彼の涙から泣沢女神が生まれた。その後伊邪那岐命は火之迦具土神を殺し(その血や死体からも神が生まれる)、出雲と伯伎(伯耆)の国境の比婆山に埋葬した。なお日本書紀には伊邪那美命の生死や埋葬場所について異伝がある。

 

 伊邪那岐命は、伊邪那美命に逢いたい気持ちを捨てきれず、黄泉国まで逢いに行った。黄泉の火で調理した料理を食べてしまった伊邪那美命は最初こそ夫の勧めを断るが、やはり愛しい夫が逢いに来てくれたことだから自分も帰りたいと考え、黄泉津神たちと話し合うことにするが、その間は「決して覗いてはいけない」と言った。

 

 しかしいつまで経っても伊邪那美命が帰って来ないため、伊邪那岐命は妻との約束を破ってしまうが、そこで見てしまったのは、腐敗して蛆にたかられ、八雷神(やくさのいかづちがみ)に囲まれた最愛の妻の姿であった。その姿を恐れて伊邪那岐命は地上へ向かって逃げ出してしまう。追いかけてくる予母都志許女(よもつしこめ)、八雷神、1500の黄泉軍(よもついくさ)に髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の木の実(意富加牟豆美命)を投げながら難を振り切った。

 

 最後に伊邪那美命が追って来たが、伊邪那岐命は黄泉国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の地上側出口を1000人引きの岩とされる大岩で塞ぎ、伊邪那美命と完全に離縁した。岩の向こうから伊邪那美命が「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」と言うと、伊邪那岐命は「それならば私は産屋を建て、1日1500の子を産ませよう」と言い返した。

 

 その後、伊邪那岐命が黄泉国の穢れを落とすために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)」で禊を行なうと様々な神が生まれた。

 

 最後に、左眼から天照大御神、右眼から月読命、鼻から建速須佐之男命の三貴子が生まれた。伊邪那岐命は三貴子にそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。

 

 しかし、須佐之男命が母親のいる「根之堅州国」へ行きたいと言って泣き止まないため須佐之男命を追放し、自身は淡道の多賀の幽宮に篭った。

 

 『日本書紀』では、スサノヲの追放を決めた後、スサノヲが根の国に行く前に高天原に行く事を許可してから、淡路の「幽宮」(かくれみや)に静かに隠れたか、天の「日之少宮」(日のわかみや) に留まり宅んだ。

 

伊邪那美神

 伊邪那美命(いざなみのみこと、伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)は、日本神話の女神で神世七代の7代目(妹)。伊邪那岐神(伊邪那岐命、伊耶那岐命・いざなぎ)の妻。別名 黄泉津大神道敷大神。神話においては皇室の先祖とされている。

 

 天地開闢において神世七代の最後にイザナギとともに生まれた。イザナギとは夫婦となり、オノゴロ島におりたち、国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子をもうける。その中には淡路島・隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生んだ。

 

 火の神軻遇突智(カグツチ)(迦具土神)を産んだために陰部に火傷を負って病に臥せのちに亡くなるが、その際にも尿や糞や吐瀉物から神々を生んだ。そして、カグツチはイザナギに殺された。

 

 亡骸は、『古事記』によれば出雲と伯伎(伯耆)の境の比婆山(現在の中国地方にある島根県安来市伯太町)に、『日本書紀』の一書によれば紀伊の熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社に葬られたという。

 

 死後、イザナミは自分に逢いに黄泉国までやってきたイザナギに腐敗した死体(自分)を見られたことに恥をかかされたと大いに怒り、恐怖で逃げるイザナギを1500の黄泉軍らに追わせ、最後は自ら追いかける。

 

 しかし、黄泉国と葦原中津国(地上)の間の黄泉路において葦原中国とつながっている黄泉比良坂(よもつひらさか)で、イザナミに対してイザナギが1000人引きの大岩で道を塞ぎ会えなくしてしまう。

 

 イザナミは閉ざされた大岩の向こうの夫にむかって「愛しい人よ、こんなひどいことをするなら私は1日に1000の人間を殺すでしょう」と叫ぶ。イザナギは「愛しい人よ、それなら私は産屋を建てて1日に1500の子どもを産ませよう」と返した。そしてイザナミとイザナギは離縁した。 

 

 この後、イザナミは黄泉の主宰神となり、黄泉津大神、道敷大神と呼ばれるようになった。

 

〈祀る神社〉

伊弉諾神宮(兵庫県淡路市) - 社伝によれば『古事記』・『日本書紀』の伊弉諾尊の幽宮と伝わる。/

 

自凝神社(兵庫県南あわじ市沼島) - 『古事記』・『日本書紀』の国産み神話に登場する「おのころ島」に比定される沼島にある。/多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町)江田神社(宮崎県宮崎市阿波岐原町) - イザナギが禊を行ったとされる地/皇大神宮別宮の伊佐奈岐宮(三重県伊勢市)三峯神社(埼玉県秩父市)筑波山神社(茨城県つくば市)常陸國總社宮(茨城県石岡市)熊野神社(千葉県四街道市)二宮神社(静岡県掛川市)高塚熊野神社(静岡県浜松市南区)雄山神社(富山県立山町)熊野速玉大社(和歌山県新宮市)佐太神社(島根県松江市)伊邪那岐神社 - 各地の伊邪那岐神社一覧。/左右神社(千葉県香取郡東庄町) 

 

4)天津神系

4.1)主宰神:天照大御神(あまてらすおおみかみ) 三貴子、太陽神 

 天照大神または天照大御神は、日本神話に主神として登場する神。女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされる。『記紀』においては、太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。

 

 太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持つ。天岩戸の神隠れで有名な神で、神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮が特に有名。

 

〈名称〉

 『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)。神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)大日孁(おおひるめ)大日女(おおひめ)とされている。

 

 『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されているのに対し、『日本書紀』においては複数の神名が記載されている。伊勢神宮においては、通常は天照大御神の他に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、あるいは皇大御神(すめおおみかみ)と言い、神職が神前にて名を唱えるときは天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と言う。

 

 なお、「大日孁貴神」の「ムチ」とは「貴い神」を表す尊称とされ、神名に「ムチ」が附く神は大日孁貴神のほかには大己貴命(オオナムチ、大国主)、道主貴(ミチヌシノムチ、宗像大神)などわずかしか見られない。

 

〈系譜〉

・父 イザナギ(伊邪那岐神、伊邪那岐命、伊弉諾尊)

・母 イザナミ(伊弉冉尊、伊弉弥尊)(日本書紀でのみ、古事記では誕生に関与していない)

 

・三貴子(イザナギ自身が自らの生んだ諸神の中で最も貴いとしたアマテラスを含む三姉弟の神)

  弟 ツクヨミ(月読命、月夜見尊)(記紀に性別についての記述がなく実際は性別不明)

  弟 スサノオ(建速須佐之男命、須佐之男命、建素戔嗚尊速、素戔男尊、素戔嗚尊)

 

・夫 なし(ただしスサノオとの誓約が両神の結婚を表しているという解釈もある)

 

五男三女神(アマテラスとスサノオの誓約の際に生じた神:女神がスサノオの剣をアマテラスが口に含み先に生んだ子、男神がスサノオがアマテラスの玉を口に含み後に生んだ子)

  女神 多紀理毘売命 - 別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)

  女神 市寸島比売命 - 別名:狭依毘売命(さよりびめ)

  女神 多岐都比売命

  男神 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命

  男神 天之菩卑能命

  男神 天津日子根命

  男神 活津日子根命

  男神 熊野久須毘命

 

 ツクヨミ同様、明確な性別の記載があるわけではないが、『日本書紀』ではスサノヲに姉と呼ばれていること、アマテラスとスサノオの誓約において武装する前に髪を解き角髪に結び直す、つまり平素には男性の髪型をしていなかったことに加え、機織り部屋で仕事をすることなど女性と読み取れる記述が多いことなどから、古来より一般に女神と解されている。

 

 別名の「オホヒルメノムチ(大日孁貴)」の「オホ(大)」は尊称、「ムチ(貴)」は「高貴な者」、「ヒルメ(日孁)」は「日の女神」を表す。但し「孁」は「巫」と同義であり、古来は太陽神に仕える巫女であったとも考えられる。

 

 

 「ヒコ(彦)・ヒメ(姫・媛)」、「ヲトコ(男)・ヲトメ」、「イラツコ(郎子)・イラツメ(郎女)」など、古い日本語には伝統的に男性を「コ(子)」・女性を「メ(女)」の音で表す例がみられ、この点からも女神ととらえられる。後述するように中世には仏と同一視されたり、男神説等も広まった。

 

 天照大神のモデル淮南子山海経などに出てくる東海の海の島(日本)に住んでいる十の太陽神の母である羲和が該当するとする説や、淮南子の冒頭と日本書紀の冒頭にて重なる部分が存在する事から記紀の執筆者が淮南子を読んでいたとする説がある。

 

 天照大神は太陽神としての一面を持ってはいるが、神御衣を織らせ、神田の稲を作り、大嘗祭を行う神であるから、太陽神であるとともに、祭祀を行う古代の巫女を反映した神とする説もある。ただし、「メ(女)」という語を「妻」「巫女」と解釈する例はないともいわれる。

 

 もとはツングース系民族の太陽神として考えると、本来は皇室始祖の男神であり、女神としての造形には、女帝の推古天皇や、持統天皇(孫の軽皇子がのち文武天皇として即位)、同じく女帝の元明天皇(孫の首皇子がのち聖武天皇として即位)の姿が反映されているとする説もある。

 

 兵庫県西宮市の廣田神社は天照大神の荒御魂を祀る大社で、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)という祭神名が伝わっている。これは天照大神を祀る正殿には伝わらない神名であるが、荒祭宮の荒御魂が女神であることの証左とされる。

 

〈神話での記述〉

・『日本書紀』においては、第五段の本文では、伊弉諾尊・伊弉冉尊が大八洲国と山川草木の神を産んだ後に、「天下の主者」として大日孁貴を産んだが、あまりに尊いので天上に送った。

 

 第五段の一書の1では、伊弉諾尊が、左手で白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったときに大日孁貴が生まれた。第五段の一書の6では、『古事記』のように禊にて伊弉諾尊が左の眼を洗った時天照大神が生まれた。

 

・『古事記』においては、伊邪那岐命が伊邪那美命の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生したとしている。このとき右目から生まれた月読命、鼻から生まれた建速須佐之男命と共に、三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれる。このとき伊邪那岐命は天照大御神に高天原を治めるように指示した。

 

 海原を委任された須佐之男命は、伊邪那美命のいる根の国に行きたいと言って泣き続けたため伊邪那岐命によって追放された。須佐之男命は根の国へ行く前に姉の天照大御神に会おうと高天原に上ったが、天照大御神は弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。

 

 須佐之男命は身の潔白を証明するために誓約をし、天照大御神の物実から五柱の男神、須佐之男命の物実から三柱の女神が生まれ、須佐之男命は勝利を宣言する。

 

 このとき天照大御神の物実から生まれ、天照大御神の子とされたのは、以下の五柱の神である。

 

正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと 天忍穂耳命)

・天之菩卑能命あめのほひのみこと 天穂日命)

・天津日子根命あまつひこねのみこと 天津彦根命)

・活津日子根命いくつひこねのみこと 活津彦根命)

・熊野久須毘命くまのくすびのみこと 熊野櫲樟日命)

 

 これで気を良くした須佐之男命は高天原で乱暴を働き、その結果天照大御神は天岩戸に隠れてしまった。世の中は闇になり、様々な禍が発生した。思金神天児屋命など八百万の神々は天照大御神を岩戸から出す事に成功し、須佐之男命は高天原から追放された。

 

 大国主神の治めていた葦原中国を生んだのは親である岐美二神(イザナギとイザナミ)と考え、葦原中国の領有権を子の天忍穂耳命に渡して降臨させることにし、天津神の使者達を大国主神の元へ次々と派遣した。

 

 最終的に武力によって葦原中国が平定され、いよいよ天忍穂耳命が降臨することになったが、その間に邇邇芸命が生まれたので、孫に当たるニニギを降臨させた。その時八尺鏡を自身の代わりとして祀らせるため、降臨する神々に携えさせた。

 

〈子孫〉

(親)天照大神(アマテラス)& 須佐之男命(スサノオ)

 (子)天忍穂耳命(アメノ オシホ ミミ) & 栲幡千千姫(タクハタチヂ ヒメ)

   (孫)邇邇芸命(ニニギ)& 木花之佐久夜毘売(コノハナノ サクヤ ビメ)

    (曾孫) 火遠理命(ホオリ)& 豊玉姫(トヨタマ ヒメ、アマテラスの姪) 

        鸕鶿草葺不合命ウガヤ フキアエズ)& 玉依姫(タマヨリ ヒメ、トヨタマヒメの妹)    

        若御毛沼命(ワカミケヌ、神武天皇、四男)& 媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメ タタラ イスズ ヒメ)

        彦五瀬命(ヒコイツセ、長男) 

        稲飯命(イナイ、二男)

        三毛入野命(ミケイリノ、三男)

    (曾孫)火闌降命(ホスソリ)- - - 隼人

    (曾孫)火明命(ホアカリ) - - - 尾張氏

 (子)天穂日命(アメノ ホヒ)

 (子)天甕津日女神(アメノ ミカツ ヒメ)

   (孫)出雲氏 


4.2)
天忍穂耳命(あめのおしほみみ):稲穂の神、農業神

 天忍穗耳尊(天忍穗耳命)は、日本神話に登場する神。アマテラスの子で、地神五代の2代目。神武天皇の高祖父。天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた五皇子の長男。弟に天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野櫲樟日命がいる。

 

 高皇産霊神の娘である栲幡千千姫命との間に瓊瓊杵尊をもうけた。神武天皇は玄孫にあたる。

 

〈名〉

 ・正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと) - 『日本書紀』第六段本文、第九段本文、第一の一書、第八の一書、『先代旧事本紀』

 

・正哉吾勝勝速日天忍骨尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほねのみこと) - 『日本書紀』第六段第一の一書、第二の一書

 

・勝速日天忍穗耳尊(かちはやひあめのおしほみみのみこと) - 『日本書紀』第六段第三の一書、第九段第一の一書

 

・天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと) - 『日本書紀』第九段第二の一書、『先代旧事本紀』

 

・天忍穗根尊(あめのおしほねのみこと) - 『日本書紀』第九段第六の一書

 

・天忍骨命(あめのおしほねのみこと) - 『日本書紀』第九段第七の一書

 

・正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと) - 『古事記』

 

・天之忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと) - 『古事記』

 

・天忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと) - 『古事記』

 

・正哉吾勝勝速天穗別尊(まさかつあかつかちはやあめのほわけのみこと) - 『先代旧事本紀』

 

〈神話での記述〉

 天忍穗耳尊は高皇産霊神の娘である栲幡千千姫命との間に瓊瓊杵尊をもうけた。高皇産霊尊がこの孫を葦原中国の主にしようと画策するのが『日本書紀』神代紀第九段の内容である。以降の天忍穗耳尊の事績は無く、系譜上のみの神となっている。

 

 第一の一書や『古事記』だと葦原中国平定は天照大神が天忍穗耳尊を降臨させるために行われ、実際に天忍穗耳尊が天降ろうとする場面がある。しかし下界は物騒だとして途中で引き返してしまう。使者の神達によって大国主神から国譲りがされると再び天忍穗耳尊に降臨の命が下る。

 

 天忍穗耳尊はその間に生まれた息子の瓊瓊杵尊に行かせるようにと進言し、瓊瓊杵尊が天降ることになる(天孫降臨)

 

〈系譜〉

 基本的には五皇子の長男だが、『日本書紀』の一書では次男とされる。本文での子は瓊瓊杵尊のみだが、第九段第六の一書では瓊瓊杵尊のほかに天火明命をもうける。天火明命が兄で瓊瓊杵尊が弟である。

 

 第九の一書では瓊瓊杵尊の代わりに「天照国照彦火明命」が生まれる。『先代旧事本紀』では「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」「天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊」の兄弟が生まれ、それぞれに天孫降臨神話がある。

 

 また名前からもわかるように天火明命と神武紀に登場する饒速日命が同一視されている。 

 

 また『日本書紀』第九段第七の一書ではいくつかの異伝が列挙されている。その一つには萬幡姫では無くその娘の玉依姫命を娶るとあり、子の名前も瓊瓊杵尊ではなく天之杵火火置瀨尊という。別の異伝では天忍穗耳尊自体が勝速日命、天大耳尊という親子の神に分割されていて、天大耳尊が丹舄姫を娶り瓊瓊杵尊を得る。

 

〈妻子〉

(特記以外は『日本書紀』本文による。「紀」は『日本書紀』を、「記」は『古事記』をさす。)

・妻:栲幡千千姫命たくはたちぢひめ記:萬幡豊秋津師比売命) 高皇産霊神の娘で、思兼神の妹

天津彦彦火瓊瓊杵尊(記:天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命)皇孫(すめみま)、天孫(あめみま)

天火明命 - 『古事記』、『日本書紀』第九段第六の一書、第八の一書

 

  尾張氏の祖(紀)。『日本書紀』本文、第二・第三・第五・第七の一書では瓊瓊杵尊の子。

 『先代旧事本紀』では「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」という名で饒速日命と同一神とする。

 

〈天忍穗耳を祀る主な神社〉 

吾勝神社(岩手県一関市)石手堰神社(岩手県奥州市)保呂羽神社(宮城県南三陸町)駒形根神社(宮城県栗原市)木幡神社(栃木県矢板市)伊豆山神社(静岡県熱海市)津田神社(三重県多気町井内林)宇賀多神社(三重県志摩市)太郎坊宮(滋賀県東近江市)許波多神社(京都府宇治市)天日神社(兵庫県伊丹市)二宮神社(兵庫県神戸市)天忍穗耳神社(奈良県生駒市)富田八幡宮(勝日神社、島根県安来市)天忍穂別神社(高知県香南市)鷲尾愛宕神社(福岡県福岡市西区)英彦山神宮(福岡県田川郡添田町)西寒多神社(大分県大分市)

 

4.3)邇邇芸命(ににぎ)稲穂の神、農業神

 瓊瓊杵尊は、日本神話の神。地神五代の3代目。日向三代の初代。神武天皇の曾祖父。天照大神の子である天忍穂耳尊と高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命の子(つまり天照大神の孫)皇孫(すめみま)天孫(あめみま)とも称される。

 

 高皇産霊尊の意により葦原中国の主として天降り、日向国の襲の高千穂峰へ至った(『古事記』では高木神の命をうけた天照大御神の神勅)。さらに国を探し求めて吾田長屋笠狭岬へと至り、そこで大山祇神の娘の鹿葦津姫、またの名は木花開耶姫を娶った。二人の間には火闌降命・彦火火出見尊らが生まれた。久しくして崩御。可愛山陵に葬られた。

 

〈名〉

・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと) - 『日本書紀』第九段本文、第一の一書、第二の一書

・天津彦国光彦火瓊瓊杵尊(あまつひこくにてるひこほのににぎのみこと) - 『日本書紀』第九段第四の一書

 

・天津彦根火瓊瓊杵尊(あまつひこねほのににぎのみこと) - 『日本書紀』第九段第六の一書

・火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと) - 『日本書紀』第九段第六の一書、第七の一書

 

・天之杵火火置瀨尊(あめのぎほほぎせのみこと) - 『日本書紀』第九段第七の一書

・天杵瀨命(あめのきせのみこと) - 『日本書紀』第九段第七の一書

 

・天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊(あめにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのみこと) - 『日本書紀』第九段第八の一書

・天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと) - 『古事記』

 

・天津日高日子番能邇邇藝命(あまつひこひこほのににぎのみこと) - 『古事記』

・天津日子番能邇邇藝命(あまつひこほのににぎのみこと) - 『古事記』

 

・日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと) - 『古事記』

 

 一般には瓊瓊杵尊や邇邇藝命と書かれる。「あめにぎしくににぎし」(天にぎし国にぎし)は「天にも地にも親和的である」の意、「あまつひこ」(天津日高)は神をたたえる美称であり、高天原と関わる神であることを示す、「ひこ」(日子)は日神である天照大御神の嫡流の男子であることを示す、「ほのににぎ」は稲穂がにぎにぎしく成熟することの意、「ににぎ」は「にぎにぎしい」の意で「にぎやか」と同語源である。 

 

 なお、ニニギノミコトという名前の神であって、ニニギという名前の神はいない。

 

〈妻子〉

(特記以外は『日本書紀』本文による。「紀」は『日本書紀』を、「記」は『古事記』をさす。) 

・妻:鹿葦津姫かしつひめ別名:神吾田津姫、木花開耶姫、記:木花之佐久夜毘売) 大山祇神の娘

 

・火闌降命ほすそり の みこと、別名:火酢芹命(ほすせり の みこと)、火進命、記:火須勢理命) 海幸彦で隼人の祖(紀)。『日本書紀』本文・第二・第八の一書では第一子、第三・第五の一書では第二子。『古事記』では第二子

 

・彦火火出見尊ひこほほでみ の みこと、記:天津日高日子穂穂手見命)山幸彦(紀・記)。『日本書紀』本文・第六・第八の一書では第二子、第二・第三・第七の一書では第三子。第五の一書では第四子。『古事記』では第三子

 

・火明命(ほあかり の みこと) 尾張氏の祖(紀)。『日本書紀』本文では第三子・第二の一書では第二子、第三・第五・第七の一書では第一子。第六と第八の一書では子ではなく兄。

 

・火折尊ほのおり の みこと、記:火遠理命) 『日本書紀』本文に記載なし、第二・第三・第六の一書・『古事記』では彦火火出見尊の別名。第五の一書では別神で第三子

 

・火夜織尊(ほのより の みこと) 『日本書紀』本文に記載なし、第七の一書にのみ記載、第二子

 

・火照命(ほでり の みこと) 海幸彦で隼人の祖(記)。『古事記』における第一子

 

〈信仰・神社〉

 

 農業の神として信仰されており、霧島神宮(鹿児島県霧島市)高千穂神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町)新田神社(鹿児島県薩摩川内市)築土神社(東京都千代田区)射水神社(富山県高岡市)子安神社(三重県南牟婁郡紀宝町)常陸國總社宮(茨城県石岡市)国見神社(奈良県御所市)などに祀られている。また、三重県鈴鹿市の椿大神社の境内に皇孫が天孫降臨の際に使用した御船が降り立ったという伝承地(御船磐座)が存在する。

 

4.4)火遠理命(山幸彦)

  火折尊(ほのおりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)、あるいは彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、日本神話に登場する神。瓊瓊杵尊木花開耶姫の子であり、神武天皇(初代天皇)の祖父。「山幸彦」として知られる。

 

<概要> 

 『古事記』では、瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子は、第一子が火照命(ホデリ=海幸彦)、第二子が火須勢理命(ホスセリ)、第三子が火遠理命(ホオリ=山幸彦)である。

 

 『日本書紀』の本文では、瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子は、第一子が火闌降命(ホスソリ=海幸彦)、第二子が彦火火出見尊(ヒコホホデミ=山幸彦)、第三子が火明命(ホアカリ)となっている。一書では海幸彦が火酢芹命(ホスセリ)、山幸彦が彦火火出見尊(もしくは火折尊)となっている。

 

 「彦火火出見尊」は神武天皇の諱でもあり、祖父と孫が同一名ということになる。海神の助けを得て兄の海幸彦を征し、海神の娘である豊玉姫との間に彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(神武天皇の父)を得た。

 

『古事記』では、高千穂宮に580年居住し、高千穂山の西に葬られたとされる。一方『日本書紀』では、久しくして崩じ日向の高屋山上陵に葬られたとされる。

 

<名>

彦火火出見尊(ひこほほでみ の みこと) - 『日本書紀』

火折尊(ほのおり の みこと) - 『日本書紀』第九段第一の一書、第十段第四の一書

火折彦火火出見尊(ほのおりひこほほでみ の みこと) - 『日本書紀』第九段第三の一書

・火遠理命(ほおり の みこと) - 『古事記』

・天津日高日子穂穂手見命(あまつひこ ひこほほでみ の みこと) - 『古事記』

 

 

<神話での記述>※ 史料は、特記のない限り『日本書紀』本文に拠る。

 彦火火出見尊は天津彦彦火瓊瓊杵尊の第二子である。別名は火折尊。母は大山祇神の娘の木花開耶姫。火中出産の時に「熱を避りて居たるときに生り出ずる児」であるという。

 

 『日本書紀』に拠れば兄に火闌降命、弟に火明命がいる。ただし火明命は一書では兄とも伯父ともされ『古事記』には登場しない。

 

 兄の火闌降命と弟の彦火火出見尊は生まれながらに各々釣針と弓矢という「幸」を持っていた。そこで火闌降命は海幸彦、彦火火出見尊は山幸彦と呼ばれるようになった(『古事記』での海幸彦は火照命という神であり、火闌降命は何の事績もない系譜だけの神となっている)

 

 あるとき海幸彦と山幸彦は試しに「幸」を交換してみたが、どちらもうまくいかなかった。そこで「幸」をお互いに返すことにしたが弟は兄の釣針を無くしてしまっていた。激怒した兄は弟がいくら代わりの釣針を作っても許さなかった。

 

 困った山幸彦は塩土老翁と出会い海神の宮に送ってもらった。宮はとても立派なものだった。門の前の井戸のそばにあった湯津杜(ゆつかつら)の樹の下でさまよっていると一人の美人(おとめ)が扉を開けて出て来た。海神の娘の豊玉姫である。

 

 豊玉姫はただちに父母に相談して山幸彦を招き入れ海に来た理由を尋ねた。海神が大小の魚を集めて問いただすと赤女(鯛)がこのごろ口の中が痛いと言っているので、その口を探すと失った釣針が見つかった。しかし海神は釣針をすぐには山幸彦に渡さず、豊玉姫を娶らせて海に留めた。

 

 山幸彦が海の宮に住んで三年が経った。そこは安らかで楽しかったが故郷が懐かしく、たまにひどくため息をつくことがあった。豊玉姫はそれを聞いて父に「もうかわいそうなので返してあげましょう」と語った。海神は山幸彦に釣針を渡して身を守るための呪文と玉を授けた。

 

 帰る時になって豊玉姫は自分が妊娠していることを告げ、産屋を建てて待っているように言った。山幸彦は地上の本宮(もとのみや)に帰り海神の教えの通りに海幸彦を征した。海幸彦は吾田君の小橋などの隼人の祖とされる。

 

 豊玉姫は妹の玉依姫を連れて約束通りに陸にやってきた。産屋にこもった豊玉姫は絶対に中を覗かないよう言った。しかし我慢できない山幸彦がこっそり覗くと豊玉姫は龍に姿を変えていた(『古事記』では八尋和邇)。姫は覗き見られたことを恥じて海に去った。

 

 遺された子の名を彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と言う。久しくして山幸彦こと彦火火出見尊は崩じ、日向の高屋山上陵に葬られた。『古事記』では高千穂宮に580年居住し、高千穂山の西に葬られたとする。

 

 『日本書紀』の一書によれば、豊玉姫鸕鶿草葺不合尊を養うために自らの妹の玉依姫を派遣したという。『先代旧事本紀』によれば、火折尊と玉依姫の間には武位起命がうまれたというが、記紀にはこの記載はなく、武位起命を玉依姫の甥とする系図もある。

 

 なお、玉依姫はのちに自らの甥にあたる鸕鶿草葺不合尊の妃となり、神武天皇(初代天皇)などを産んでいる。

 

4.5)火闌降命火照命(海幸彦)

  火照命(ほでりのみこと)は、『古事記』で瓊瓊杵尊と木花開耶姫の第一子として登場する日本神話の神。「海幸彦」として知られる。 

 

<概要>

 瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子は、海幸彦と山幸彦の物語につながっていくが、『古事記』と『日本書紀』ではこれらの子の名前や兄弟としての組み合わせに違いがある。

 

 『古事記』では、瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子は、第一子が火照命(ホデリ=海幸彦)、第二子が火須勢理命(ホスセリ)、第三子が火遠理命(ホオリ=山幸彦、もしくは日子穂穂手見命)である。

 

 『日本書紀』の本文では、瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子は、第一子が火闌降命(ホスソリ=海幸彦)、第二子が彦火火出見尊(ヒコホホデミ=山幸彦)、第三子が火明命(ホアカリ)となっている。一書では海幸彦が火酢芹命(ホスセリ)、山幸彦が彦火火出見尊(もしくは火折尊)である。

 

  また『日本書紀』によれば、海幸彦である火闌降命は隼人の祖である阿多君とされる。

 

 天孫降臨の段において、木花開耶姫が一夜で身籠ったために、瓊瓊杵尊に国津神の子ではないかと疑われる。その疑いを晴らすために火中で生んだ三神の第一子であり、火が盛んに燃え立つときに生まれたので火照命(ほでりのみこと)と名附けられた。

 

<神話での記述>

 兄の海幸彦(火照命)は、海で魚などを猟って暮していた。ある日、山で狩りなどをして暮らしていた弟の山幸彦(火遠理命)が互いの道具の交換しようと提案した。

 

 海幸彦は三度断ったが、少しの間だけ交換することにした。しかし山幸彦はその釣針を海の中になくしてしまい、海幸彦はそれを決して許さなかった。

 

 その後、海神から復讐の方法と呪具を与えられて帰ってきた山幸彦によって海幸彦は苦しめられ、最終的に服従した。

 

 此等は、隼人または熊襲の平定と服従を元に説く神話であるとされる。 

 

 

 5)その他

5.1)思金神(おもいかね):知恵の神

 思金神は、日本神話に登場する神。『古事記』では思金神、常世思金神、『日本書紀』では思兼神、『先代旧事本紀』では思金神、常世思金神、思兼神、八意思兼神、八意思金神と表記される。高御産巣日神の子であり、天忍穂耳命の妻である万幡豊秋津師比売命の兄。

 

 最も有名な話では、岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神に天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を授けたこととされている。国譲りでは、葦原中国に派遣する神の選定を行っている。その後、天孫降臨で邇邇芸命に随伴した。

 

(八意)思金神の「八」を「多い」、「意」を「思慮」と解し、「八意」は思金神への修飾語、「思」を「思慮」、「金」を「兼ね」と解し、名義は「多くの思慮を兼ね備えていること」と考えられる。

 

〈系譜〉

 高御産巣日神の子で、妹に万幡豊秋津師比売命がいる。 

 

 『先代旧事本紀』では、思兼神は信濃国に降り立って信乃阿智祝部の祖になり、知々夫国造の祖ともなったとしている。

 

 子に天表春命・天下春命がいるが、天児屋命の子とする系図もある。これは才知の優れた神である天児屋命と、同様な性格を持つ八意思兼命が混同されたことによるものと見られ、天児屋命の子とする系図は誤伝と考えられる。

 

〈祀る神社〉 

 

阿智神社(長野県下伊那郡阿智村)安布知神社(長野県下伊那郡阿智村)戸隠神社(中社)(長野県長野市戸隠)穂高神社(境内)四神社(長野県安曇野市穂高)達屋酢蔵神社(長野県茅野市ちの)祝殿社四社(長野県茅野市小町屋樋沢)諏訪神社(長野県松本市今井)須倍神社(外宮)(静岡県浜松市都田町)事任八幡宮(境内)五社神社(静岡県掛川市八坂)天神社(山梨県都留市下谷)神明神社(岐阜県中津川市苗木)椿三神社(岐阜県恵那市笠置町)五加神社(境内)(岐阜県加茂郡東白川村)思金神社(神奈川県横浜市)八意思兼神社(神奈川県伊勢原市氷川神社(境内社)気象神社(東京都杉並区)秩父神社(埼玉県秩父市番場町)三峯神社(境内)秩父神社(埼玉県秩父市三峰)皆野椋神社(埼玉県秩父郡皆野町)竹間神社(埼玉県入間郡三芳町)楡山神社(境内) 知々夫神社(埼玉県深谷市原郷)美和神社(境内)八意思兼神社(群馬県桐生市宮本町)太平山神社(境内) 天満宮(栃木県栃木市平井町)大洗磯前神社(境内)静神社(茨城県東茨城郡大洗町)静神社(茨城県那珂市静)鹿高神社(三重県名張市安部田)賀茂大神社(三重県鈴鹿市平野町)加世智神社(三重県松阪市大平尾町)松阪神社(三重県松阪市殿町)神明神社(三重県四日市市尾平町)田丸神社(三重県度会郡玉城町大字下田辺)三瀬谷神社(三重県多気郡大台町)若宮神社(滋賀県草津市岡本町)意冨布良神社(滋賀県長浜市木之本町)吉水神社(滋賀県蒲生郡竜王町)五社神社(滋賀県近江八幡市牧町)地主神社(京都府京都市東山区)村岳神社(京都府京丹後市久美浜町)/五字神社(大阪府箕面市粟生間谷)※「ごあざ」神社と読む/五字神社(大阪府箕面市粟生外院)※「ごじ」神社と読む/津門神社(兵庫県西宮市)三条八幡神社(兵庫県芦屋市)思往神社(兵庫県豊岡市日高町)阿紀神社(奈良県宇陀市大宇陀)宇奈多理坐高御魂神社(奈良県奈良市法華寺町)蟻通神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)日前神宮(和歌山県和歌山市秋月)悲願寺(境内)賢見皇神社(徳島県名西郡神山町)忌部神社(摂社)若宮神社(徳島県吉野川市山川町忌部山)高濱神社(島根県出雲市)苅田神社(境内)幸神社(島根県大田市久手町)内神社(境内)芦原神社(島根県松江市大垣町)法吉神社(島根県松江市法吉町)興神社(長崎県壱岐市芦辺町)西寒多神社(大分県大分市寒田)天安河原宮(宮崎県西臼杵郡高千穂町)波宇志別神社(秋田県横手市大森町)輪西神社(北海道室蘭市みゆき町)

 

5.2)建御雷神(たけみかづち):雷、剣の神、

 建御雷神は、日本神話に登場する神。『古事記』では建御雷之男神、建御雷神、別名に建布都神、豊布都神と記され、『日本書紀』では武甕槌や武甕雷男神などと表記される。単に「建雷命」と書かれることもある。また、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主神として祀られていることから鹿島神とも呼ばれる。 

 

 雷神、かつ剣の神とされる。後述するように建御名方神と並んで相撲の元祖ともされる神である。また鯰絵では、要石に住まう日本に地震を引き起こす大鯰を御するはずの存在として多くの例で描かれている。 

 

5.3)天手力男神(あめのたぢからお):腕力・筋力を象徴する神

 天之手力男神は、日本神話に登場する神。『古事記』では天手力男神、『日本書紀』では天手力雄神と表記される。

 『大和志料』に引用された『斎部氏家牒』によると天八意思兼命の子供で阿智祝の遠祖であるとされる。

 

〈神話での記述〉

 岩戸隠れの際は岩戸の脇に控えており、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせた時、アマテラスを引きずり出して(『日本書紀』の一書や『古語拾遺』では「引き開けて」)、それにより世界に明るさが戻った。 

 天孫降臨の際、アマテラスが三種の神器にオモイカネ、タヂカラオ、天石門別神を副えたとあり、その後伊勢の佐那県(三重県多気町佐奈)に鎮座したとしている。

 

〈祀る神社〉

手力雄神社 (千葉県館山市)静神社茨城県那珂市静)戸隠神社(長野県長野市戸隠)有明山神社(長野県安曇野市)佐那神社(三重県多気郡多気町)伊波止和気神社(福島県石川郡古殿町)長谷山口坐神社(奈良県桜井市)天津石門別神社(奈良県高市郡高取町)白井神社(兵庫県尼崎市)雄山神社(富山県中新川郡立山町)手力雄神社(岐阜県岐阜市)手力雄神社(岐阜県各務原市)大祭天石門彦神社(島根県浜田市相生町)天石門別神社(岡山県美作市滝宮)天石門別安國玉主天神社(高知県高岡郡越知町)戸明神社(福岡県北九州市若松区)天手長男神社(長崎県壱岐市郷之浦町)

 

 長谷山口坐神社は、元伊勢の「磯城厳橿(伊豆加志)の本」伝承地といわれ、鎮座地の字名は「手力雄」といい、垂仁天皇の代に倭姫命を御杖として、約8年間天照大神を祀り、当時、随神としてこの地に天手力雄神を、北の山の中腹に栲幡千千姫命を祀る二柱を鎮座せられたという。

  戸隠神社については、タヂカラオが放り投げた岩戸の扉が信濃国戸隠山に落ちたという伝説がある。

 

5.4)天児屋命(あめのこやね): 託宣の神

 天児屋命とは、日本神話に登場する神である。中臣氏及び藤原氏の祖神に当たる存在として知られる。『古事記』では天児屋命、『日本書紀』は天児屋根命と表記される。通称として、春日神、春日権現、春日大明神とも呼ぶ。

 

 その他別名としては、天足別命、武乳速命、速経和気命、天見通命、麻刀方命、太詔戸命、春日戸神、国辞代命などが伝えられる(後述)。

 

 『古事記』には岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際邇邇芸命に随伴し、中臣連の祖となったとある。

 

〈系譜〉

 父は、『日本書紀』および『新撰姓氏録』「左京神別 天神 中村連」条などによると津速産霊神の御子神・興台産霊命(居々登魂命)、あるいは『古語拾遺』、『新撰姓氏録』「大和国神別 天神 添県主」条によると津速産霊神(津速魂命)、母は安国玉主命の娘・許等能麻知媛命。

 

 妻は天美津玉照比売命とされ、子に天押雲根命(中臣連、卜部氏祖)がいる。また一説には天辞代命の子とも伝える。

 

〈信仰〉

 中臣氏の祖神であることから、中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神として信仰された他、藤原氏の繁栄にあやかって現在では出世の神としても信仰されている。

 

〈祀る主な神社〉 

枚岡神社(大阪府東大阪市)春日大社(奈良県奈良市)吉田神社(京都市左京区)大原野神社(京都市西京区)天児屋根命神社(大阪府箕面市)ほか、全国の春日神社

 

5.5)天宇受売命(あめのうずめ)芸能の女神

 アメノウズメ(アマノウズメ)は、日本神話に登場する女神。一説に別名「宮比神」。大宮売神と同一視されることもある。『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命と表記する(「命(みこと)」は敬称、以下同様)。

 

 神名の「ウズメ」の解釈には諸説あり、「強女(オズメ)」の意とする『古語拾遺』説、『日本書紀』の表記通り「髪飾りをした女(鈿はかんざしの意)」とする説などがある。

 

 「岩戸隠れ」の伝説などに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言える。『古語拾遺』では、鎮魂(たましづめ)は天鈿女命から出たものとされる。

 

〈信仰〉

 猿女君・稗田氏の祖とされ、稗田氏の氏神である賣太神社では、芸能の始祖神、福の神、おたふく、おかめ、等と称すると伝わる。千代神社(滋賀県彦根市)、芸能神社(京都市右京区)、椿大神社(三重県鈴鹿市)、鈿女神社(長野県北安曇郡松川村)などで祀られている。

 

 天孫降臨の地、高千穂より天の岩戸が飛来したと伝えられる長野県の戸隠神社には天の岩戸開神話に功績のあった神々(天手力雄命・天八意思兼命)が祀られており、そのうちの一社、火之御子社には天鈿女命が祀られている。また、岩戸開神話に基づいた神楽が古来より受け継がれている。

 

 宮崎県西臼杵郡の高千穂町には、アメノウズメがサルタヒコと結婚した場、荒立宮の後と伝わる荒立神社がある。

 

〈アメノウズメを祭神とする神社〉

佐倍乃神社(宮城県名取市)御園神社(東京都大田区西蒲田)太田神社 - 牛天神北野神社(東京都文京区春日)の境内社。鈿女神社(長野県北安曇郡松川村大仙寺)火之御子社 - 戸隠神社(長野県長野市)の境内社。

小古曽神社(三重県四日市市小古曽町)椿岸神社(三重県四日市市智積町)椿岸神社 - 椿大神社(三重県鈴鹿市)の境内社(別宮)芸道の祖神、鎮魂の神、夫婦円満の神、縁結びの神として祀られている。敷地内に「扇塚」があり、芸道を志す参拝客が扇を収め、芸道の上達を祈る。また、手塚治虫のマンガ『火の鳥 黎明編』に天鈿女命と夫である猿田彦大神が登場することから、手塚プロダクションのイラストによるご朱印帳が販売されている。ピンクには天鈿女命が、黒には夫である猿田彦大神が描かれている。長峯神社(三重県伊勢市古市町)( - 通称「おすめ(於須女=アメノウズメの別名とされる)さん」佐瑠女神社 - 猿田彦神社(三重県伊勢市宇治浦田)の境内社。/千代神社(滋賀県彦根市)増御子神社 - 大和神社(奈良県天理市新泉町星山)の境内社。/賣太神社(奈良県大和郡山市稗田町)芸能神社 - 車折神社(京都市右京区嵯峨)の境内社。/荒立神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町)宮比神社 (- 筑土八幡神社、瓢箪山稲荷神社等の境内社。そのほか伊勢神宮内宮等、各地神社に「宮比神」として祀られる。)椋神社(埼玉県秩父市下吉田)(秩父吉田の龍勢祭などで有名です。)

 

5.6)玉屋命(たまのおや)勾玉の神

 玉祖命は、日本神話に登場する神である。玉造部の祖神とされる。『古事記』にのみ登場し、『日本書紀』にはこの名前の神は登場しないが、同神と見られる神が登場する。別名に玉屋命、櫛明玉命、天明玉命、天櫛明玉命、豊玉命、羽明玉などがある。

 高御魂命の孫とする伝承があり、高魂命の子・伊狭経魂命の子とする系図がある。また天背男命の子で天日鷲命の弟とする系図も存在する。

 

〈神話での記述〉

 岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を作った。天孫降臨の際邇邇芸命に附き従って天降るよう命じられ、天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命と共に五伴緒の一人として随伴した。 

 

 『日本書紀』の岩戸隠れの段では、八尺瓊勾玉を作ったのは「玉造部の遠祖・豊玉神」(第二の一書)、「玉作の遠祖、伊弉諾尊の児・天明玉命」(第三の一書)としている。どちらも玉造部の祖としていることから玉祖命と同神と考えられる。

 

〈祀る神社〉 

駒形根神社里宮(宮城県栗原市栗駒沼倉字一の宮)安房神社千葉県館山市大神宮)比々多神社(神奈川県伊勢原市三ノ宮)玉諸神社(山梨県甲州市塩山竹森)玉作神社(静岡県沼津市黒瀬町)酒解神社(三重県伊賀市坂下)建部大社(滋賀県大津市神領)石作神社・玉作神社(滋賀県長浜市木之本町千田)門僕神社(奈良県宇陀郡曽爾村今井)櫛玉命神社(奈良県高市郡明日香村大字真弓字宮山)玉祖神社(大阪府八尾市5丁目)國懸神宮、日前神宮境内社(和歌山県和歌山市秋月)大麻神社(香川県善通寺市大麻町上ノ村山)板井神社(鳥取県鳥取市気高町奥沢見)玉作湯神社(島根県松江市玉湯町玉造)玉祖神社山口県防府市大字大崎)船路八幡宮(山口県山口市徳地船路)三宅神社(宮崎県西都市三宅) 

 

5.7)布刀玉命(ふとだま)託宣の神

 フトダマは、日本神話に登場する神。『古事記』では布刀玉命、『日本書紀』では太玉命、『古語拾遺』では天太玉命、『新撰姓氏録』では天櫛玉命と表記するほか、天神玉命[9]の別名も存在する。忌部氏(後に斎部氏)の祖の一柱とされる。

 

〈神話などでの記述〉

 出自は『記紀』には書かれていないが、『古語拾遺』などでは高皇産霊尊の子と記されている。

 

 岩戸隠れの際、思兼神が考えた天照大神を岩戸から出すための策で良いかどうかを占うため、天児屋命とともに太占を行った。 そして、八尺瓊勾玉や八咫鏡などを下げた天の香山の五百箇真賢木を捧げ持ち、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせると、アメノコヤネとともにその前に鏡を差し出した。 

 

 天孫降臨の際には、瓊瓊杵尊に従って天降るよう命じられ、五伴緒の一人として随伴した。『日本書紀』の一書では、アメノコヤネと共にアマテラスを祀る神殿(伊勢神宮)の守護神になるよう命じられたとも書かれている。

 

〈祀る主な神社〉

天太玉命神社(奈良県橿原市)大麻比古神社(徳島県鳴門市)安房神社(千葉県館山市)大原神社千葉県君津市)洲崎大神(神奈川県横浜市)安房口神社(神奈川県横須賀市)金札宮(京都府京都市) 

 

5.8)天若日子あめのわかひこ、あめわかひこ)

 アメノワカヒコ(天若日子、天稚彦)は、日本神話に登場する神。葦原中国平定において、天津国玉神の子として登場する。天津国玉神の系譜の記述はない。

 

〈事績〉

 葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天之菩卑能命(アメノホヒ)が3年たっても戻って来ないので、次に天若日子が遣わされた。しかし、天若日子は大国主神の娘下照比売と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。

 

 そこで天照大御神と高御産巣日神は雉の鳴女(ナキメ)を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。すると、その声を聴いた天佐具売(アメノサグメ)が、不吉な鳥だから射殺すようにと天若日子に勧め、彼は遣わされた時に高皇産霊神から与えられた弓矢(天羽々矢と天之麻迦古弓)で雉を射抜いた。

 

 その矢は高天原まで飛んで行った。その矢を手にした高皇産霊神は、「天若日子に邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とす。すると、その矢は寝所で寝ていた天若日子の胸に刺さり、彼は死んでしまった。 

 

 天若日子の死を嘆く下照姫の泣き声が天まで届くと、天若日子の父の天津国玉神は下界に降りて葬儀のため喪屋を建て八日八夜の殯をした。下照姫の兄の阿遅鉏高日子根神も弔いに訪れたが、彼が天若日子に大変よく似ていたため、天若日子の父と妻が「天若日子は生きていた」と言って抱きついた。すると阿遅鉏高日子根神は「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、大量を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。喪屋が飛ばされた先は美濃の藍見の喪山だという。

 

〈伝承・信仰〉

 下照姫との恋に溺れて使命を放棄し、その罪によって亡くなるという悲劇的かつ反逆的な神として、民間では人気があった。平安時代の『うつほ物語』『狭衣物語』などでは天若御子の名で、室町時代の『御伽草子』に収録されている『天稚彦草子』では天稚彦の名で登場し、いずれも美男子として描かれている。

 

 天若日子を唆した天探女が「アマノジャク」の元となったとする説があるが、天若日子の「天若」が「アマノジャク」とも読めることから、天若日子がアマノジャクだとする説もある

。 

 穀物神として安孫子神社(滋賀県愛知郡秦荘町)、下照姫の配神として売布神社、倭文神社などに祀られているが、祀る神社は少ない。 

 

4.10)天之菩卑能命(あめのほひ)など 

  アメノホヒは、日本神話に登場する男神。『古事記』では天之菩卑能命、『日本書紀』では天穂日命、他に天菩比神などと表記される。

 

 天照大御神と須佐之男命が誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱。天照大御神の右のみずらに巻いた勾玉から成った。物実(ものざね:物事のタネとなるもの)の持ち主である天照大御神の第二子とされ、天忍穂耳命の弟神にあたる。

 

 葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。後に他の使者達が大国主神の子である事代主神建御名方神を平定し、地上の支配に成功すると、大国主神に仕えるよう命令され、子の建比良鳥命は出雲国造及び土師氏らの祖神となったとされる。また、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建てたとも伝わる。

 

 任務を遂行しなかったというのは『古事記』や『日本書紀』による記述だが、『出雲国造神賀詞』では異なる記述になっている。これによれば、アメノホヒは地上の悪神を鎮めるために地上に遣わされ、地上の様子を天照大神にきちんと報告し、子のアメノヒナドリおよび剣の神経津主神とともに地上を平定した、としている。

 

 すなわち、こちらでは地上を平定した偉大な神とされているが、『出雲国造神賀詞』はアメノホヒの子孫である出雲国造が書いたものであるので、そこは割り引かなければならないかもしれない。

 

 名前の「ホヒ」を「穂霊」の意味として稲穂の神とする説と、「火日」の意味として太陽神とする説がある。農業神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神などとして信仰されており、能義神社(島根県安来市。出雲四大神である野城大神と呼ばれる)などの旧出雲国内だけでなく、天穂日命神社(鳥取県鳥取市福井)、鷲宮神社(埼玉県久喜市鷲宮)、桐生天満宮(群馬県桐生市)、芦屋神社(兵庫県芦屋市)、馬見岡綿向神社(滋賀県蒲生郡日野町)、若一王子社(愛知県安城市)など全国で祀られている。六甲山山頂、六甲山カンツリーハウス敷地内にアメノホヒ=天穂日命の磐座がある。

 

〈天穂日命を祀る神社〉

 

能義神社(島根県安来市)出雲大社(境内 氏社)( 島根県出雲市大社町)鷲宮神社(埼玉県久喜市)天穂日命神社(鳥取市福井(前方後円墳))若一王子社(愛知県安城市)大江神社(鳥取県八頭郡八頭町)芦屋神社(兵庫県芦屋市)道明寺天満宮(大阪府藤井寺市)山阪神社(大阪市東住吉区)馬見岡綿向神社(滋賀県蒲生郡日野町)太宰府天満宮(境内 天穂日命社)(福岡県太宰府市天穂日命神社(京都府京都市石田)加茂神社(境内 天神社)(愛媛県今治市菊間町) 

 


(2-3)国津神


(引用:Wikipedia)

 1)国津神の系譜 

      


(『古事記』による)青は男神、赤は女神、黄は性別不詳(引用:Wikipedia)

 

2)主宰神(引用:Wikipedia)

2.1)大国主神(おおくにぬしのかみ)国津神の代表的な神、国津神の主宰神

 大国主神(おおくにぬしのかみ)は、日本神話に登場する神。国津神の代表的な神で、国津神の主宰神とされる。出雲大社・大神神社の祭神。

 

 『古事記』・『日本書紀』の異伝や『新撰姓氏録』によると、須佐之男命(すさのおのみこと)の六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。父は天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)、母は刺国若比売(さしくにわかひめ)。また『日本書紀』正伝によると素戔嗚尊(すさのおのみこと)の息子。日本国を創った神とされている。

 

 須佐之男命の娘である須勢理毘売命(すせりびめのみこと)との婚姻の後にスクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、大物主神(おおものぬしかみ)を祀ることによって葦原中国(あしはらのなかつくに)の国作りを完成させる。

 

 だが、高天原(たかあまのはら)からの天照大御神(あまてらすおおみかみ)の使者に国譲りを要請され、対話と武力を交えた交渉の末に幽冥界の主、幽事の主宰者となった。国譲りの際にかつて須佐之男命から賜って建立した「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を修復してほしいと条件を出したことに天津神(あまつかみ)が同意したことにより、このときの名を杵築大神(きづきのおおかみ)ともいう。

 

 大国主神を扱った話として、因幡の白兎の話、根の国訪問の話、沼河比売への妻問いの話が『古事記』に、国作り、国譲り等の神話が『古事記』と『日本書紀』に記載されている(但し、『日本書紀』では「大国主神」という神名ではない)

 

 『出雲国風土記』においても多くの説話に登場し、例えば意宇郡母里郷(現在の島根県安来市)の条には「越八口」を大穴持命が平定し、その帰りに国譲りの宣言をしたという説話がある。また山陰、四国、近畿、三遠信、北陸、関東など広範囲における地方伝承にも度々登場する。

 

 別称〉

 大国主は多くの別名を持つ。(※名義は新潮社神名釈義から) 同名の記載順は『古事記』、『日本書紀』、『風土記』、その他祝詞や神社とする。

 

・大国主神(おおくにぬし の かみ)・大国主大神 - 根国から帰ってからの名。「偉大な国の主人」の意。

 

・大穴牟遅神(おおあなむぢ-)・大己貴命(おおなむち-)・於褒婀娜武智(おほあなむち-)大穴持命(おおあなもち-、『出雲国風土記』、『伊予国風土記』逸文での表記』)・大汝命(おおなむち-、『播磨国風土記』での表記)・大名持神(おおなもち-)・国作大己貴命(くにつくりおおなむち-) - 誕生後の名。「偉大な鉱穴の貴人」の意。

 

・八千矛神(やちほこ-) - 沼河比売との歌物語での名。「多くの矛」の意。

 

・葦原色許男・葦原醜男・葦原志許乎/葦原志挙乎命(あしはらのしこを) - 根国での侮蔑を込めた呼称。「地上の現実の国にいる醜い男」の意。

 

・三諸神(みもろ の かみ)・大物主神(おおものぬし-)・八戸挂須御諸命/大物主葦原志許(やとかけすみもろ の みこと/おおものぬしあしはらのしこ、『播磨国風土記』での表記) - 『古事記』においては別の神、『日本書紀』においては国譲り後の別名。「偉大な精霊の主」の意。

 

・宇都志国玉神(うつしくにたま-)・顕国玉神 - 根国から帰ってからの名。「現実の国の神霊」の意。

 

・大国魂神(おおくにたま-) - 各地の神社で同一視される。「偉大な国の神霊」の意。

 

・伊和大神(いわ の おおかみ)・国堅大神(くにかためましし おおかみ)・占国之神(くにしめましし かみ)・大神 - 伊和神社主神 - 『播磨国風土記』での呼称。

 

・所造天下大神(あめのしたつくらしし おおかみ) - 『出雲国風土記』における尊称。「地上の国造った神」の意。

 

・地津主大己貴神(くにつぬしおおなむち の かみ)・国作大己貴神(くにつくりおおなむちのかみ) - 祝詞『大国神甲子祝詞』での呼称。

 

・幽世大神(かくりよ の おおかみ) - 祝詞『幽冥神語』での呼称。

 

・幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ) - 「幽冥界を主宰する神」の意。

 

・杵築大神(きづき の おおかみ)

 

 このうち、大穴牟遅神について、記紀神話で少名毘古那神と連携して国土経営を行って著しい功績を残し、2神は多くの伝承に連称して現れる。白鳥庫吉は「オオナ」は「スクナ」(少兄、宿禰)に対する「大兄」と解釈している。

 

 また「ムチ」は「貴い神」を表す尊称で、神名に「ムチ」が附く神は大己貴のほかには大日孁貴(オオヒルメムチ、天照大御神の別名)、道主貴(ミチヌシノムチ、宗像三女神の別名)、布波能母遅久奴須奴神、八島牟遅能神など、わずかしか見られない。

 

〈妻・子孫〉

 大国主は様々な女神との間に多くの子供をもうけており、記紀・『先代旧事本紀』・『出雲国風土記』に記載されている他、各地の神社社伝にも名がある。子供の数は『古事記』には180柱、『日本書紀』には181柱と書かれている。

 

●嫡后:須勢理毘売命(すせりびめ の みこと、須勢理姫命、『日本書紀』では須勢理姫神) 須佐之男命の娘。なお、『出雲国風土記』によれば和加須世理比売命(わかすせりひめ の みこと)が神門郡滑狭郷の妻であるという。

 

●妻:多紀理毘売命(たきりびめ の みこと、『日本書紀』では田心姫命、『播磨国風土記』では奥津嶋比売命) 須佐之男命の娘で宗像三女神の長女。宗像の奥都島(おきつしま)に鎮座。

 

・子:阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこね の かみ、『古事記』では他に迦毛大御神、『日本書紀』では味耜高彦根神、『出雲国風土記』では阿遅須枳高日子命) 天若日子と容姿が酷似する。『出雲国風土記』によれば、神門郡高岸郷・仁多郡三沢郷の子だという。

 農業の神、雷神、不動産業の神として信仰されており、高鴨神社(奈良県御所市)、阿遅速雄神社(大阪府大阪市鶴見区)、都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)などに祀られている。

 すなわちこの神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祀っていた大和の神であるが、鴨氏は出雲から大和に移住したとする説もある。なお『古事記』で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけである。

 

・娘:下照比売(したてるひめ の みこと、高比売命、下光比売命、下照姫、下照媛、稚国玉、『日本書紀』では下照姫命) 天若日子の妻。大倉比売神社祭神。

  

●妻:神屋楯比売命(かむやたてひめ の みこと、多岐都比売命、『日本書紀』では高津姫神) 出自不明。高津姫神は須佐之男命の娘で宗像三女神の次女で、辺都宮(へつみや)に鎮座。

 

・子:事代主神(ことしろぬし の かみ、都味歯八重事代主神) 鴨都波神社・天高市神社・飛鳥坐神社祭神。賀茂氏・大神氏の祖。

 

 葦原中国平定において、建御雷神らが大国主神に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神が答えると言った。そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主神は「承知した」と答え、船を踏み傾け、天ノ逆手を打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。この天ノ逆手は一般に手を逆さに打つことだと考えられている。

 

 抵抗した弟の建御名方神も建御雷神に服従すると、大国主神は国譲りを承諾し、事代主神が先頭に立てば私の180人の子供たちも事代主神に従って天津神に背かないだろうと言った。

 

・娘:高照光姫命(たかでるひめ の みこと)御歳神社祭神。(別名: 天道日女命、 屋乎止女命、高光日女)

 

●妻:八上比売(やがみひめ、『先代旧事本紀』では稲羽八上姫) 因幡の白兎の段に登場。

・子:木俣神(きのまた の かみ、御井神) 木俣に刺し挟まれたことからの名。

 

●妻:沼河比売(ぬなかわひめ、こし の ぬながわひめ、『先代旧事本紀』では高志沼河姫、『出雲国風土記』では奴奈宜波比売命) 高志国における妻問いの相手。『出雲国風土記』によれば高志八口の妻で、間に御穂須須美命が生まれたという。奴奈川神社祭神。同神社社伝によると、建沼河男命(越氏の祖)という子がうまれたという。

 

・子:建御名方神(たけみなかた の かみ) 諏訪氏、守矢氏の祖であるともいう。諏訪大社祭神。

 

●妻:鳥取神(ととり の かみ、鳥耳神、鳥甘神) 八島牟遅能神(やしまむぢ の かみ)の娘。

 ・子:鳥鳴海神(とりなるみ の かみ) この神を含む系譜は十七世神と称される。

 

3)大国主の御子神

3.1)阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこね) :農業、雷、不動産業の神(引用:Wikipedia)

 『古事記』では阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神と表記し、別名に迦毛大御神(かものおおみかみ)、『日本書紀』では味耜高彦根命、『出雲国風土記』では阿遅須枳高日子と表記する。また、阿遅鋤高日子根神とも。

 

 大国主神と宗像三女神の多紀理毘売命の間の子。同母の妹に高比売命(たかひめのみこと)がいる。農業の神、雷神、不動産業の神として信仰されており、高鴨神社(奈良県御所市)阿遅速雄神社(大阪府大阪市鶴見区)都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)などに祀られている。

 

  すなわちこの神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祀っていた大和の神であるが、鴨氏は出雲から大和に移住したとする説もある。なお『古事記』で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神迦毛大御神だけである。

 

 神名の「スキ(シキ)」は鋤のことで、鋤を神格化した農耕神である。『古事記伝』では「アヂ」は「可美(うまし)」と同義語であり、「シキ」は磯城で石畳のことであるとしている。他に、「シキ」は大和国の磯城(しき)のことであるとする説もある。「高日子」は「高比売」の対、「根」は「根元」の意の親称と解して、名義を「立派な鋤の、高く輝く太陽の子」と考える説もある。

 

〔伝承〕

●『古事記』

 葦原中国平定において登場する。シタテルヒメの兄で、高天原に復命しなかったために死んでしまったアメノワカヒコの葬儀を訪れた。

 

 しかし、アヂスキタカヒコネはアメノワカヒコとそっくりであったため、アメノワカヒコの父のアマツクニタマが、アメノワカヒコが生きていたものと勘違いして抱きついてきた。

 

 アヂスキタカヒコネは穢わしい死人と一緒にするなと怒り、神度剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。シタテルヒメはアヂスキタカヒコネの名を明かす歌を詠んだ。

 

●『出雲国風土記』

 幼い時、その泣き叫ぶ声が非常に大きかったので、静かになるまで船に乗せて八十島(日本)を巡ったり、高屋を作って梯子をかけそれを上り下りさせたりした。天御梶日女(あめのみかじひめ)との間に雨の神である多伎都比古(たきつひこ)をもうけたとしている。

  

●『続日本紀』

 「高鴨神」が大和の葛城山で、大泊瀬天皇(雄略天皇)と獲物を争い、 怒った天皇は、高鴨神を土佐に流したとある。 高鴨神は、はじめ、幡多郡の賀茂社へ流され、次いで土佐神社へ移り祀られた。 天平宝字八年(764)、高鴨神は、加茂朝臣田守を遣わして、大和国葛城へ復祀した。この高鴨神を阿遅鋤高日子根神とする説がある。

 

●『出雲国造神賀詞』

 大穴持命の子・阿遅須伎高孫根命「葛城」に、 事代主命「宇奈堤」に、賀夜奈流美命「飛鳥」へと、 それぞれの神奈備において天皇の守護神としたとある。

 

3.2)下照比売(したてるひめ):神道の女神(引用:Wikipedia)

 『古事記』では本名を高比売命(たかひめのみこと)、亦の名を下光比売命・下照比売命(したてるひめのみこと)、『日本書紀』では下照姫・下照媛、亦の名は高姫、稚国玉(わかくにたま)、『先代旧事本紀』地神本紀では下照姫命と記述される。三輪氏族の系図では阿陀加夜怒志多伎吉比売命(あだかやぬしたききひめのみこと)秋鹿比売命(あいかひめのみこと)の別名を伝える。

 

 『古事記』および『日本書紀』正伝によれば、葦原中国平定のために高天原から遣わされた天若日子が、大国主神に取り入ってあわよくば葦原中国を自分のものにしようと目論み、その娘である高比売命と結婚した。

 

 天若日子が高天原からの返し矢に当たって死んだとき、高比売命の泣く声が天(『古事記』では高天原)まで届き、その声を聞いた天若日子の父の天津国玉神や天若日子の妻子らは葦原中国に降臨し、天若日子の喪屋を建て殯を行った。

 

 そこに阿遅鉏高日子根神が訪れたが、その姿が天若日子にそっくりであったため、天津国玉神や妻子らは天若日子が生き返ったと喜んだ。阿遅鉏高日子根神は穢わしい死人と間違えられたことに怒り、喪屋を大量で斬り倒し、蹴り飛ばして去って行った。

 

 高比売命は、阿遅鉏高日子根神の名を明かす歌(※)を詠んだ。この歌は「夷振(ひなぶり)」と呼ばれる(夷振を詠んだという記述は『日本書紀』正伝にはない)

 

 『日本書紀』の第一の一書では、天稚彦の妻の名は記されておらず、夷振を詠んだ者の名としてのみ下照媛の名が登場し、味耜高彦根神の妹であるとしている。

 

(※)『天なるや 弟たなばたの うながせる 玉のみすまる みすまるに 穴玉はや 三谷 二渡らす 阿遅志貴 高日子根の神』(最古の和歌の始まりと言われている。) 

 

〔系譜〕

 『古事記』では大国主神(『日本書紀』では顕国玉)多紀理毘売命の娘で、阿遅鉏高日子根神の妹としており、『先代旧事本紀』地神本紀でも『古事記』同様に大己貴神田心姫命の娘で、味耜高彦根神の同母妹とする。

 

〔祀る神社〕

・比賣神社(富山県南砺市高宮):主祭神 下照比賣命

・玉津岡神社(京都府綴喜郡井手町):主祭神 下照比賣命

・大穴持御子玉江神社(乙見社とも。出雲大社#荒垣外摂末社):主祭神 下照比賣命

・比売許曽神社(難波 大阪市東成区東小橋):主祭神 下照比賣命(江戸時代までは牛頭天王)

 

 『延喜式神名帳』では下照比売社比売許曽神社であると記す。なお、比売碁曾社の主祭神は明治以降は牛頭天王から下照比売命に代わっている。

 

・売豆紀神社:主祭神 下照比賣命

・売布神社:主祭神 下照姫神

 

・倭文神社(鳥取県):現在は建葉槌命が主祭神となっているが、社伝にはシタテルヒメに関するものが多く、大正時代まではシタテルヒメが主祭神であると考えられていた。倭文神社内の塚がシタテルヒメの墓であると考えられていたが、発掘により経塚であると判明した。

 

・内神社(高野宮)(島根県松江市):主祭神 下照姫命

 

3.3)事代主(ことしろぬし)託宣神、海神、五穀豊穣商売繁盛の神(引用:Wikipedia)

〈神話の記述〉

 別名は八重言代主神八重事代主神とも表記し、『古事記』において大国主神神屋楯比売命との間に生まれたとされる。

 

 葦原中国平定において、建御雷神らが大国主神に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神が答えると言った。

 

 そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主神は「承知した」と答え、船を踏み傾け、天ノ逆手を打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。この天ノ逆手は一般に手を逆さに打つことだと考えられている。

 

 抵抗した弟の建御名方神建御雷神に服従すると、大国主神は国譲りを承諾し、事代主神が先頭に立てば私の180人の子供たちも事代主神に従って天津神に背かないだろうと言った。

 

〈解説〉

 大国主神の子とされる。現在でも宮中の御巫八神の一柱になっている。宝賀寿男は、葛城には事代主神を祀る鴨都波神社(奈良県御所市)があり、賀茂氏(地祇、三輪氏同族)が祖神を奉斎したと主張した。

 

 『日本書紀・神武紀』には、神武天皇の皇后となる媛蹈鞴五十鈴媛命に関して 

 

  事代主神、共三嶋溝橛耳神之女玉櫛媛所生兒、號曰媛蹈鞴五十鈴媛命。 

 

 『事代主神三嶋溝橛耳神みしまのみぞくひみみのかみ、陶津耳)の娘の玉櫛媛(たまくしひめ)に共(みあひ)して生める子を、なづけて媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)ともうす。』とあり、事代主神は神武天皇の岳父となっている。

 

  これは『古事記』で大物主神が三嶋湟咋(みしまのみぞくい、陶津耳命)の娘の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ、活玉依毘売)との間に比売多多良伊須気余理比売を生んだことと一致する。また『日本書紀』で三輪氏の祖の天日方奇日方命を生んだことと、『古事記』で三輪氏の祖の櫛御方命を生んだことに一致する。

 

 その他、宝賀寿男や村島秀次は、綏靖天皇の皇后は、『日本書紀』本文では事代主神の女、『古事記』では師木県主の祖の河俣毘売となっていることから、神武東征以前の大和在地豪族で、磯城県主を任じられた弟磯城(おとしき、黒速)天日方奇日方命と同一人物であり、また事代主神については、その系譜や世代関係(神武天皇の父母世代)からも実態は大物主神と同一神であると主張した。

 

 『先代旧事本紀』では、大国主神高津姫神(宗像三女神の多岐都比売命とされる)の子として記述されている。

 

 なお海部氏勘注系図には高津姫神は「神屋多底姫」(かむやたてひめ)の別名としており、『古事記』の大国主神が神屋楯比売命を娶って生んだとする記述と一致する。

 

〈系譜〉

 『古事記』では大国主神と神屋楯比売命の子とされ、『日本書紀』、『先代旧事本紀』では大国主神と高津姫神との子とする。『日本書紀』には陶津耳の娘である玉依姫命との間に天日方奇日方命、媛蹈鞴五十鈴媛命、五十鈴依媛命を生んだとされる。

 

 『諸系譜』の「長公系図」には子に天八現津彦命の名が見える他、「穂積宿禰系図」には登美夜毘売(合わせて登美能那賀須泥毘古)が娘として記載される。

 

〈信仰〉

 美保神社(島根県松江市)三輪惠比須神社(奈良県桜井市)長田神社(神戸市長田区)有間神社(神戸市北区)事代主神社(徳島県阿波市)生夷神社(徳島県勝浦郡)北門神社(北海道稚内市)のほか、京都ゑびす神社(京都市東山区)今宮戎神社(大阪市浪速区) 、志紀長吉神社(大阪市平野区) 大前恵比寿神社(栃木県真岡市)などのえびすを祀る神社でも祀られている。

 

 この他、三島神社大山祇神社でも、一部、事代主神を祀っている場合がある。これは幕末から明治にかけての国学者の学説を受け、明治6 (1873)年、総本社である伊予の三島神社の主祭神を大山祇神から事代主神に変更したものの、昭和に改めて大山祇神説が浮上すると、大山祇神・事代主神二神同座に改めるなどの変遷があったためである。

 

〈伝説〉

・鶏伝説

 島根県美保関町には、事代主が鶏を嫌うという言い伝えがある。折口信夫は、その理由として、事代主の妻訪い(妻問い)の物語を紹介している。

 

 それによると、

「事代主は、夜毎海を渡って対岸の揖夜(イフヤ)の里の美保津姫のもとへ通っていたが、鶏が間違って真夜中に鳴いたため、事代主はうろたえて小船に乗ったものの、櫂を岸に置き忘れて仕方なく手でかいたところ、鰐(サメ説あり)に手を噛まれた。以来、事代主は鶏を憎むようになり、それにあやかって美保関では鶏を飼わず、参詣人にも卵を食べることを戒める」

としている。

 

 島崎藤村は、「釣り好きの事代主が寝ぼけて鳴いた鶏の声を聞いて未明に船を出し、荒れた海で櫓も櫂も失い、足で水をかいたところ鰐に足を噛まれた」という話を紹介している。

 

 現代でも、事代主を再現した美保関の青柴垣神事の際に当屋に指名された者は、1年間鶏肉を食べないで身を清める習わしがあり、美保関から中海を渡った対岸には、美保津姫を祀った揖夜神社がある。

 

・三島と伊豆

 美保で青柴垣に引き籠った事代主神は、伊豆の三宅島で三島明神になったとする伝承もある。『三宅記』によれば、富士山の神とともに10の島を生み、現在の三嶋大社(静岡県三島市)に鎮座したとされる。 

 

3.4)建御名方神(たけみなかた):⇒ 諏訪(須波)大神(引用:Wikipedia)

 タケミナカタ(ミナカタトミ、タケミナカタトミ)は、『古事記』等に伝わる日本神話の神。

 

 『古事記』と『先代旧事本紀』では建御名方神(たけみなかたのかみ)、『日本書紀』以外の国史では南方刀美神(みなかたとみのかみ)御名方富命神、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)健御名方富命等とも表記される。建御名方命(たけみなかたのみこと)武御名方命、健御名方刀美神、武南方富命、武南方神、武御名方主命、御名方刀美命等という表記を用いる文献や神社もみられる。

 

 諏訪大社(長野県諏訪市ほか)の祭神として祀られていることから、諏訪神、諏訪明神、諏訪大明神、諏訪南宮法性上下大明神、お諏訪さま等とも呼ばれる。

 

〈系譜〉

 『古事記』においては事代主神(コトシロヌシ)と同様に大国主神(オオクニヌシ)の御子神とされている。しかし大国主の系譜を記した箇所にはタケミナカタの記載がないため、母は明らかでない。

 

  『先代旧事本紀』「地祇本紀(地神本紀)」では大己貴神(大国主)高志沼河姫(コシノヌナカワヒメ)の御子神とされており、「天神本紀」の国譲りの段ではタケミナカタが事代主神のことを「兄」と呼んでいる。

 

 なお『古事記』においては大国主は事代主神を生む神屋楯比売命より先に沼河比売を娶っており(『旧事本紀』ではその母が高津姫神とされている)、事代主神はタケミナカタの兄に当たると明記されていない。

 

〈神話〉

●国譲り

  •  タケミナカタは『古事記』では葦原中国平定(国譲り)の場面で記述されている。これによると、天照大御神・高御産巣日神(タカミムスビ)らによって派遣された建御雷神(タケミカヅチ)天鳥船神(アメノトリフネ)が大国主神に葦原中国の国譲りを迫った際、大国主神は御子神である事代主神が答えると言った。

 

 事代主神が承諾して隠れると、大国主神は次に建御名方神(タケミナカタ)が答えると言った。タケミナカタは千引の石(千人もの大勢の力を必要とするような巨大な岩)を手先で差し上げながら現れ、タケミカヅチに力競べを申し出た。

 

 そしてタケミカヅチの手を掴むと、タケミカヅチの手は氷や剣に変化した。タケミナカタがこれを恐れて下がると、タケミカヅチはタケミナカタの手を若葦のように握りつぶして、放り投げた(詳細は後述)

 

 タケミナカタは逃げ出したが、タケミカヅチがこれを追い、ついに科野国の州羽海(すわのうみ)まで追いつめてタケミナカタを殺そうとした。その時に、タケミナカタはその地から出ない旨と、大国主神・事代主神に背かない旨、葦原中国を天津神の御子に奉る旨を約束したという。

 

 一方『日本書紀』ではタケミナカタが登場せず、大己貴神(大国主)は事代主神の意向を聞いた後に国譲りを承諾する。ここでは高皇産霊尊(タカミムスビ)に遣わされた神々は武甕槌神(タケミカヅチ)経津主神(フツヌシ)である。 

 

 『先代旧事本紀』「天神本紀」では『古事記』と『日本書紀』の記述が組み合わされたものが書かれており、使者は『書紀』と同様に武甕槌神と経津主神となっている。

 

●異伝・変奏

 『旧事本紀』における国譲り神話は『諏方大明神画詞』(1356年成立)の冒頭に採用されているが、タケミナカタの敗戦と逃亡、追いつめられ殺されようとした話は見られない。諏訪大社の祭神として『画詞』には載せるには不適当と考えたもので編纂者の諏訪円忠が削除したと考えられる。

 

 それ日本信州に一つの霊祠あり。諏方大明神これなり。神降の由来、その義遠し。竊(ひそ)かに国史の所説を見るに『旧事本紀』に云ふ、天照大神みことのりして、経津主の(総州香取社)神、武甕槌の(常州鹿嶋社)神、二柱の神を出雲国へ降し奉りて、大己貴の(雲州杵築・和州三輪)命に宣はく、「葦原の中津国は我が御子の知らすべき国なり。汝、まさに国を以て天照大神に奉らんや。」

 

 大己貴の命申さく、「吾が子、事代主の(摂州長田社・神祇官〔第八〕)若神に問ひて返事申さん」と申す。事代主の神申さく、「我が父、宜しくまさに去り奉るべし。我〔も〕違ふべからず」と申す。

 

「又申すべき我が子ありや。」 又我が子、建御名方(諏方社)神、千引の石を手末に捧げ来りて申さく、「誰、この我が国に来たりて忍び忍びにかく云ふは。而して力競べせんと思ふ。」

 

 先づ、その御手を取りて即ち氷を成り立て、又剣を取り来て、科野の国・洲羽の海に至る時、建御名方の神申さく、「我、この国を除きては他処に行かじ」と云々。これ則ち垂迹の本縁なり。

 

 『画詞』より少し前に書かれた『神皇正統記』(北畠親房著)も同じく『旧事本紀』の記述を使用したと見られる。

 

 さらに又くださるべき神をえらばれし時、経津主の命(檝取の神にます)武甕槌の神(鹿嶋の神にます)みことのりをうけてくだりましけり。出雲国にいたり、はかせる剣をぬきて、地につきたて、其上にゐて、大汝の神に太神の勅みことのりをつげしらしむ。

 

 その子都波八重事代主神(今葛木の鴨にます)あひともに従したがい申。又次の子健御名方刀美の神(今陬方の神にます)したがはずして、にげ給しを、すはの湖までおひてせめられしかば、又したがひぬ。

 

● 明神入諏

 『古事記』と『旧事本紀』では征服される神として描かれるタケミナカタは、諏訪地方に伝わる伝承では現地の神々を征服する神として登場する。(以下省略)

 

●『古事記』の説話について

 タケミナカタは『日本書紀』における国譲り神話、または『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』に録されている出雲国の伝承に一切登場せず、『古事記』でも大国主神の子でありながらその系譜に名前がみられない。

 

 この理由から、本居宣長は『古事記伝』で「書紀に此建御名方神の故事をば、略(はぶ)き棄てて記されざるは、いかにぞや」と疑問を発した。

 

 この理由から、近代に入るとタケミナカタは国譲り神話に挿入されたという説が主流となった。(以下省略)

 

3.5)木俣神(きのまた)木の神、水神、安産の神

 木俣神きまたのかみ、きのまたのかみ、このまたのかみ)は日本神話の中で、大穴牟遅神が因幡の八上比売に生ませた神。

 

 八上比売は大穴牟遅神の最初の妻であったが、須勢理毘売を正妻に迎えたため、これを恐れ、子を木の俣に刺し挟んで実家に帰ってしまった。そのため、その子を名づけて木俣神という。またの名を御井神(みいのかみ)という。

 

 『古事記』では性別不詳であるが、祭神としている各神社の社伝では、大穴牟遅神の長男としている例が多い。一般的に木の神、水神、安産の神として崇敬されている。 

 

3.6)鳥鳴海神(とりなるみのかみ)

 『古事記』にのみ登場する国津神で、十七世神(とおまりななよのかみ)の一柱。名前のみの記述である。名義は「鳥が霊を運ぶ、鳴り響く海」と考えられている。

 

〈系譜〉

 大国主神が八島牟遅能神の娘鳥取神を娶って生んだ神で、日名照額田毘道男伊許知邇神を娶り国忍富神を生んだ。

 

4)大国主の配偶神

4.1)須勢理毘売命(すせりびめのみこと):須佐之男命の娘であり大国主神の嫡妻

 『古事記』では須勢理毘売命、須勢理毘売、須世理毘売、『先代旧事本紀』では須世理姫、また『出雲国風土記』では和加須世理比売命(わかすせりひめ)と表記されている。誕生までの経緯は不明であるが、須佐之男命の娘であり大国主神の嫡妻。『古事記』では以下のように描かれている。

 

 父の須佐之男命とともに根の国に住んでいたが、葦原中国から八十神たちの追跡を逃れるために根の国を訪れた大穴牟遅神(=大国主)と出会い、一目見てすぐに結婚した。

 

 須勢理毘売命が家に帰って大穴牟遅神を父に紹介したところ、父は大穴牟遅神を蛇のいる部屋や蜂とムカデのいる部屋に寝させた。須勢理毘売命は呪具である「比礼」を大穴牟遅神に与えてこれを救った。

 

 また、須佐之男命が頭の虱を取るよう命じ、実際にはムカデがいたのだが、須勢理毘売命は木の実と赤土を大穴牟遅神に与え、ムカデを噛み潰しているように見せかけるよう仕向けた。須佐之男命は安心して眠ってしまい、その間に大穴牟遅神が須佐乃男命の髪を部屋の柱に縛りつけ、生大刀と生弓矢と天詔琴を持って須勢理毘売命を背負って逃げ出した。

 

 気がついて走り出すも須佐之男命は追いつけず、大穴牟遅神に大国主神の名を与え、須勢理毘売命を本妻として八十神を平定し、立派な宮殿を建てるよう告げた。

 

 大国主神は先に結婚した八上比売との間に、須勢理毘売命より先に子を得ていたが、八上比売は本妻の須勢理毘売命を畏れて木俣神を置いて実家に帰ってしまった。

 

 また、八千矛神(=大国主)が高志国の沼河比売のもとに妻問いに行ったことに対し須勢理毘売命は激しく嫉妬。困惑した八千矛神は大倭国に逃れようとするが、それを留める歌を贈り、二神は仲睦まじく鎮座することとなった。『出雲国風土記』では神門郡滑狭郷条で大穴持命が和加須世理比売命に妻問いをする様子のみが描かれている。

 

〈考証〉

 「須勢理」は「進む」の「すす」、「荒ぶ」の「すさ」と同根で勢いのままに事を行うこと、「命」が着かないことを巫女性の表れと解し、「勢いに乗って性行が進み高ぶる巫女」と考えられる。また、度重なる嫉妬によって正妻が夫との絆を強めることとなるとされる。また正妻の嫉妬を受けることで王者の資質を証明することになるという。

 

〈解説〉

 スセリビメの持つ激情は、神話において根の国における自分の父の試練を受ける夫の危機を救うことに対して大いに発揮されるが、一方で夫の妻問いの相手である沼河比売に対して激しく嫉妬することによっても発揮される。この嫉妬の激しさは女神の偉大な権威を証明するものだという説がある。

 

 根の国での説話は、結婚相手の父から試練を与えられて、結婚相手の助言や手助けによって克服するという課題婚と呼ばれる神話の形式である。オオナムジはこの試練をスセリビメの助けを得て乗り越え、正妻としたことにより、真に大国主になることができたと考えられる。

 

4.2)八上比売(やかみひめ)大国主神の最初の妃。木俣神の母

 八上比売(八上姫)は、日本神話に登場する因幡国八上郡の女神。大国主神の最初の妃。『古事記』において八上比売、『先代旧事本紀』では稲羽八上姫と表記されている。

 

 大穴牟遅神の大勢の兄弟神(八十神)は大穴牟遅神を荷物持ちとして、八上比売への求婚のために因幡国へと向かった。その途中、負傷した挙げ句八十神たちに騙されて、傷が痛んだ兎に大穴牟遅神は出会いこれを救う(因幡の白兎)。救われた白兎は「あなたの求婚は成功するでしょう」という予言を残し、この予言は的中する。

 

 八上比売は八十神たちの求婚をはね除け、大穴牟遅神との結婚を宣言するが、妬んだ八十神たちの謀略によって大穴牟遅神は二度殺されてしまう。母の刺国若比売などに救われた大穴牟遅神は根之堅洲国に逃れ、そこで受けた須佐之男命の試練を乗り越え、須勢理毘売命を娶り、大国主神となって八十神たちを平定する。その後大国主神は八上比売を宮殿に迎え入れるが、正妻となった須勢理毘売命の嫉妬を恐れ、生まれたばかりの子を木の俣に挟んで因幡の国へ帰ってしまう。

 

 売沼神社に近い嶽古墳が八上比売の神陵とされる他、各地に八上比売の関連伝承が存在する。「八上」は現在の「八頭郡」、「命」が着かないことは巫女性を表すと解し、名義は「因幡国八上郡の豪族の娘である巫女」と考えられる。

 

〈系譜〉

大国主神との間に木俣神を生んでいる。

 

〈祀る神社〉 

売沼神社(鳥取県鳥取市河原町)/都波只知上神社(鳥取県鳥取市河原町)島御子神社(長崎県対馬市豊玉町)

八上姫神社(島根県出雲市斐川町)

 

4.3)沼河比売(ぬなかわひめ)建御名方神の母

 沼河比売(奴奈川姫)は、日本神話に登場する女神である。『古事記』では沼河比売、『先代旧事本紀』では高志沼河姫、『出雲国風土記』では奴奈宜波比売命、その他奴奈川姫とも表記される。『日本書紀』には登場せず、『古事記』の大国主の神話の段に登場する。

 

 八千矛神(大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠んだ。沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した。

 

 『古事記』にはこれ以外の記述はないが、新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。また諏訪でも建御名方神の母を沼河比売とする。『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。

 

 『出雲国風土記』島根郡美保郷の条では高志国の意支都久辰為命(おきつくしい)の子の俾都久辰為命(へつくしい)の子と記され、大穴持命(大国主)との間に御穂須須美命を産んだと書かれている。

 

 越後国頸城郡の式内社に沼河比売を祀る奴奈川神社がある。天津神社境内社・奴奈川神社をはじめ、新潟県糸魚川市内に論社が3社ある。なお奴奈川神社の創建は、成務天皇の御代に市入命が沼河比売の子建沼河男命の後裔長比売命を娶って創建したと伝わる。

 

 十日町市犬伏の松苧神社の縁起には、奴奈川姫が松と苧(カラムシ)を携えて南方からこの神社まで逃亡してきたことが伝えられている。また、長野県にも沼河比売を祭る神社があり、姫の乗っていた鹿のものとされる馬蹄石がのこされている。

 

 諏訪大社の下社にも八坂刀売神や建御名方神と共に祀られ、子宝・安産の神として信仰されている。

『万葉集』に詠まれた「渟名河の  底なる玉  求めて  得まし玉かも  拾ひて  得まし玉かも  惜(あたら)しき君が  老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳) の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられる。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となる。

 

〈系譜〉

系譜には複数の説がある。

●親

・祖父神意支都久辰為命の子である父神俾都久辰為命の子

・奴奈川彦命と黒姫命の子

 

●子

・建沼河男命(たけぬなかわおのみこと)

 沼河比売の長男で、越君の祖であるとされる。かつて鈴木真年が収集した系図の中に、建沼河男命より始まる社家の歴代を記した「越後国沼名川社家榊氏系図」が存在したが、既に散失してこの系図は現存せず、現在榊家には歴代の夫婦を記しただけの簡単な系図が残るのみである[2]。

 

・建御名方神たけみなかたのかみ)

 沼河比売の次男で、須羽君(洲羽国造)、守矢氏の祖。

 

・御穂須須美命(みほすすみのみこと)

 『出雲国風土記』記載の子で、系譜・後裔関係は不明。

 

〈祀る神社〉

奴奈川神社(新潟県糸魚川市田伏南村)/天津神社 境内 奴奈川神社(新潟県糸魚川市一の宮)青澤神社(新潟県糸魚川市大字青海)能生白山神社(新潟県糸魚川市大字能生)居多神社(新潟県上越市五智)府中八幡宮(新潟県上越市西本町)阿比多神社(新潟県上越市長浜)祭神論争の一つ淳名川神社(新潟県上越市牧区)五十君神社(新潟県上越市三和区)松苧神社(新潟県十日町市犬伏)気多神社(富山県高岡市伏木一ノ宮)手速比咩神社上社(石川県羽咋郡宝達志水町)手速比咩神社下社(石川県羽咋郡宝達志水町)美保神社(大后社)(島根県松江市美保関町)諏訪大社下社秋宮(境内  子安社)(長野県諏訪郡下諏訪町)諏訪大社下社春(境内  子安社)(長野県諏訪郡下諏訪町)諏訪大社上社(境外摂社  御射山神社)(長野県諏訪郡富士見町)訪大社上社前宮(境内  溝上社)(長野県茅野市宮川)諏訪大社上社(境外摂社  御座石神社)(長野県茅野市本町) 

 

4.4)多紀理毘売命(たきりびめ)宗像三女神の一柱、阿遅鉏高日子根神・下照比売の母

 タキリビメ(タギリヒメとも)は、日本神話に登場する女神。宗像三女神の一柱で宗像大社では「田心姫神」として、沖ノ島にある沖津宮に祀られている。

 

 天照大御神と須佐之男命の誓約により誕生した「宗像三女神」の一柱で、『古事記』では多紀理毘売命、『日本書紀』では田心姫(たごりひめ)・田霧姫(たきりひめ)と表記される。『古事記』では別名を奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)とされているが、『日本書紀』第三の一書では市杵嶋姫(市寸島比売・いちきしまひめ)の別名としている。

 

 『古事記』の大国主神の系譜では、大国主神との間に阿遅鉏高日子根神(味耜高彦根神)下照比売を生んだと記されている。

 

 神名の「多」は接頭語、「紀理」は「霧」、「毘売」は「姫」と解し、名義は「霧の女性」と考えられる。また、別名の奥津島比売命は「奥の島の女性」の意。

 

〈神話における記述〉

 アマテラスとスサノオの誓約の段で、天照大御神が須佐之男命の持つ剣を譲り受けて宗像三女神を生み、須佐之男命の物実から生まれたのでその子であると宣言された。この三女神は宗像の民が信仰している神であると記されている。化生した順番や、宗像大社の三宮のうち、どの宮に祀られるかは、『記紀』で異同がある。

 

●「沖津宮」とする記述

『古事記』では、1番目に化生し、名は「多紀理毘売命」で、沖津宮に祀られる。別名「奥津島比売命」。『日本書紀』本文では、1番目に化生し、名は「田心姫」で、沖津宮に祀られる。(現在の宗像大社と同じ)

 

●「異同」の記述

『日本書紀』第一の一書では、3番目に化生し、名は「田心姫」で、辺津宮に祀られる。

『日本書紀』第二の一書では、2番目に化生し、名は「田心姫」で、中津宮に祀られる。

『日本書紀』第三の一書では、3番目に化生し、名は「田霧姫」で、辺津宮に祀られる。

 

〈祀る神社〉

 多紀理毘売命を独立して祀る神社と三女神の一柱として祀る神社がある

 

宗像大社沖津宮(福岡県宗像市)/厳島神社(広島県宮島)日光二荒山神社(栃木県日光市山内)別宮瀧尾神社(栃木県日光市山内)別宮瀧尾神社(栃木県日光市山内)森友瀧尾神社(栃木県日光市森友)智賀都神社(栃木県宇都宮市徳次郎町)出雲大社(瑞垣内 神魂御子神社)(筑紫社)(島根県出雲市大社町)佐比賣山神社(島根県大田市鳥井町)日御碕神社(神の宮)(島根県出雲市大社町)多度大社(境内 皇子社)(三重県桑名市多度町)気多大社(境内 奥津島神社)(石川県羽咋市寺家町)日吉大社(境内 宇佐宮)(滋賀県大津市坂本)

津野神社(境内 厳島社)(滋賀県高島市今津町)尾張大國霊神社(境外 宗形神社)(愛知県稲沢市国府宮)砥鹿神社(奥宮)(愛知県豊川市一宮町)賀茂別雷神社(境内 山森社)(京都府京都市北区)高鴨神社(境内 西神社)(奈良県御所市鴨神)各地の宗像神社・厳島神社 - 宗像三女神の一柱として祀る。各地の八王子神社 - 誓約で生まれた五男三女神とともに祀る。宇佐八幡宮大神祖神社 

 

4.5)神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと):言代主神の母

 神屋楯比売命は、日本神話に登場する女神。『古事記』に登場する女神で、大国主神の妻の一柱。名前だけの記述で、親神や神格などは一切不明。ただし『先代旧事本紀』では高津姫という名で宗像の辺津宮に坐す神としているので、この伝承によれば多岐都比売命と同一神ということになる。また『日本書紀』には登場しない。『海部氏勘注系図』では神屋多底姫命と表記されている。

 

 「屋楯」を「矢と盾」と解する説があるが必然性はなく、「神屋」を神の籠る屋で「神殿」、「楯」を「立てられたもの」で神殿を守るために立てられた「垣」と解し、名義は「神の籠る家屋の防壁の女性」と考えられる。また系譜の関係から、神殿(神屋楯比売命)に託宣の神(事代主神)が籠ると考えられる。

 

〈系譜〉

 大国主神との間に事代主神を生んでいる。

 

〈祀る神社〉

  美保神社(末社・大后社) 三柱の中の一柱/漢國神社(境内社・八王子神社) 諸説ある祭神の一説 

 

4.6)鳥取神(ととりのかみ):鳥鳴海神の母

 鳥取神は日本神話に登場する女神。『古事記』にのみ登場する国津神。八島牟遅能神の娘であり、大国主神の六番目の妻。名称は鳥取神の他に、鳥耳神(とりみみのかみ)、鳥甘神(とりかいのかみ)などとも表記する。

 

 古代日本において鳥は人間の霊魂を運ぶと考えられ、その鳥を捕まえることは神事であり、名義は「鳥を捕まえること」と考えられる。

 

〈系譜〉

 八島牟遅能神の娘で、大国主神との間に鳥鳴海神をもうけた。

 

5)その他

5.1)椎根津彦(しいねつひこ)神武東征の速吸門で出会った国津神、倭国造(倭直部)の祖

 椎根津彦(『日本書紀』)、槁根津日子(『古事記』)は、日本神話に登場する神。神武東征において登場する倭国造(倭直部)の祖。

 

 神武天皇が東征において速吸門で出会った国津神で、船路の先導者となる。このとき、『日本書紀』では曲浦(わだのうら)で魚釣するところを椎の棹を授けて御船に引き入れて名を珍彦(うづひこ)から椎根津彦に改めさせたとあり、『古事記』では亀の甲羅の上に乗っていたのを棹をさし渡し御船に引き入れて槁根津日子の名を賜ったという。

 

 『日本書紀』ではその後、神武天皇に献策して兄磯城を挟み撃ちにより破る。また神武天皇の即位後に褒賞として倭国造に任命された。

 

 速吸門については諸説ある。『日本書紀』では豊予海峡を指すと考えられており、大分県大分市佐賀関には、椎根津彦を祀る椎根津彦神社がある。『古事記』では吉備国の児島湾口を指すと考えられる。

 

 岡山県岡山市東区水門町には、珍彦(宇豆毘古命)の乗った大亀の化身とされる亀岩を祀る亀石神社がある。あるいは『古事記』が吉備の高島宮から浪速に行く間に速吸門を通ったとある点から、これを明石海峡とする考え方もある。

 

 また、椎根津彦命を祭神とする神社には、兵庫県神戸市東灘区本山町の保久良神社がある。保久良神社由緒書によると「社名の起因も 、椎根津彦命の子孫たる倉人水守等が祖先を祭祀し奉る、三韓役の戦利武器を収蔵するより」とあり、神武東征時速吸之門(明石海峡)に現れて軍勢を先導したとある。

 

 椎根津彦命は保久良神社の南に位置する神戸市東灘区の青木(おうぎ)の浜に青亀(おうぎ)の背にのってこの浜に漂着したという伝承があり、それが青木(おうぎ)の地名の由来となった。 

 

 吉井良隆は保久良神社について「椎根津彦命は大阪湾北側を支配する海部の首長であったとされ、西宮夷(兵庫県西宮市西宮神社)の奥夷社の元宮」と推測している。

 

〈異説〉

 丹後半島の籠神社には「別名・珍彦・椎根津彦・神知津彦  籠宮主祭神天孫彦火明命第四代  海部宮司家四代目の祖  神武東征の途次、明石海峡(速吸門)に亀に乗って現れ、神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、幾多の献策に依り大和建国の第一の功労者として、神武天皇から倭宿禰の称号を賜る。外に大倭国造、倭直とも云う。」とあり、境内には亀の背に乗った倭宿禰の像がある。 

 

 海部氏系図二巻のうち『勘注系図』の註文には「彦火明命―建位起命―宇豆彦命(うずひこ)」とも「彦火明命―彦火火出見命―建位起命―倭宿祢」ともある。ただし海部氏系図の信憑性の低さや倭宿禰命の別名に疑問があるうえ、倭宿禰命は『先代旧事本紀』に三川大伴部直の祖として景行天皇の皇子とある。

 

〈系譜〉

 椎根津彦神社の伝承によれば、父は彦火火出見尊の子・武位起命で、妹には祥持姫命がいるとされる。

 

〈後裔氏族〉

 ・倭国造

・久比岐国造 - 崇神天皇の御代に椎根津彦の5世孫の御戈命が任命された。

・明石国造 - 応神天皇の御代に椎根津彦の8世孫の都弥自宿禰が任命された。

・青海氏 - 久比岐国造族の頸城直の支族。

・吉備海部氏

・依羅物忌氏

・海氏

 

5.2)須佐之男命(すさのお):五男三女神・大年神・宇迦之御魂神・須勢理毘売命 等の父

 スサノオ(歴史的仮名遣:スサノヲ)は、日本神話に登場する男神。

『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、速須佐之男命、須佐之男命、『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命、神仏習合では牛頭天王などと表記する。罪の観念と関連があるものとされる。

 

 神話上、現在の皇室とは、姉弟間のアマテラスとスサノオの誓約でうまれた男神・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命とその子で天孫降臨をした天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命を経て、スサノオは男系上の先祖にあたる。

 

〈神話での記述〉

 『古事記』の記述によれば、神産みにおいて伊邪那岐命が黄泉の国から帰還し、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、天照大御神、月読命に次いで鼻を濯(すす)いだときに産まれたとする(阿波岐原は江田神社のある宮崎市阿波岐原町に比定される)。これは神道の祝詞、祓詞にもある。

 

 『日本書紀』本文では伊弉諾尊とイザナミ (伊弉冉尊・伊邪那美命)の間に産まれ天照大神・ツクヨミ(月読)・ヒルコ(蛭児)の次に当たる。(以下、略)

 

〈解説〉

 スサノオは多彩な性格を有している。母の国へ行きたいと言って泣き叫ぶ子供のような一面があるかと思えば、高天原では凶暴な一面を見せる。出雲へ降りると一転して英雄的な性格となる。(中途略)

 

 『記紀』神話においては出雲の神の祖神として書かれているスサノオであるが、『出雲国風土記』では彼はあまり登場せず、意宇郡安来郷や飯石郡須佐郷などの地名制定や御子神たちの説話が書かれており、八岐大蛇退治の説話は記載されていない。(中途略)

 

 後に、仏教における祇園精舎の守護神である牛頭天王と習合した。これは、どちらも荒神だからであるとする説があるが、他の解釈も多い。

 

〈妻・子孫〉

●嫡妻 : 櫛名田比売くしなだひめ、『日本書紀』では奇稲田姫/くしいなだひめ、稲田媛/いなだひめ、眞髪觸奇稲田媛/まかみふるくしいなだひめ、『出雲国風土記』では久志伊奈太美等与麻奴良比売命/くしいなだみとよまぬらひめのみこと) - 『古事記』

 ・子 : 八島士奴美神やしまじぬみのかみ、『日本書紀』では清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠) - 『古事記』

 ・子 : 大己貴神(おおなむちのかみ) - 『日本書紀』本文のみ

 

●妻 : 神大市比売(かむおおいちひめ) - 『古事記』

 ・第一子 : 大年神(おおとしのかみ) - 『古事記』

 ・第二子 : 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) - 『古事記』

 

●妻 : 佐美良比売命(さみらひめのみこと) - 『八坂神社』

 

●誓約上の妻 : 天照大御神(五男三女神)

 ・男神 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命

 ・男神 天之菩卑能命

 ・男神 天津日子根命

 ・男神 活津日子根命

 ・男神 熊野久須毘命

 ・女神 多紀理毘売命 - 別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)

 ・女神 市寸島比売命 - 別名:狭依毘売命(さよりびめ)

 ・女神 多岐都比売命

 

●親無し・親不明

 ・宗像三女神 - 『日本書紀』では化生順が4通りに異なる

 ・長女 : 多紀理毘売命(たきりびめのみこと) - 『古事記』

 ・次女 : 市寸島比売命(いちきしまひめのみこと) - 『古事記』

 ・三女 : 多岐都比売命(たきつひめのみこと) - 『古事記』

・長男 : 五十猛神(いたけるのかみ/いそたけるのかみ/五十猛命) - 『日本書紀』

・長女 : 大屋津姫命(おおやつひめのみこと) - 『日本書紀』

・次女 : 枛津姫命(つまつひめのみこと) - 『日本書紀』

・須勢理毘売命(すせりびめのみこと、『出雲国風土記』では和加須世理比売命/わかすせりひめのみこと、『先代旧事本紀』では須世理姫/すせりひめ) - 『古事記』

・国忍別命(くにおしわけのみこと) - 『出雲国風土記』

・青幡佐草日古命(あおはたさくさひこのみこと) - 『出雲国風土記』、八重垣神社の社家佐草氏の始祖

・磐坂日子命(いわさかひこのみこと) - 『出雲国風土記』

・衝桙等番留比古命(つきほことおるひこのみこと) - 『出雲国風土記』

・都留支日古命(つるぎひこのみこと) - 『出雲国風土記』

・八野若日女命(やのわかひめのみこと) - 『出雲国風土記』

・天逆毎(あまのざこ) - 『和漢三才図会』 

 

〈主祭神としている神社〉

・旧官国幣社および別表神社

熊野大社(島根県松江市)出雲國一之宮/日御碕神社(島根県出雲市)上の本社、神の宮津島神社(愛知県津島市)津島神社・天王社の総本社須佐神社(島根県出雲市)八重垣神社(島根県松江市)廣峯神社(兵庫県姫路市)素盞嗚神社(広島県福山市)八坂神社(京都府京都市東山区)八坂神社(東京都東村山市)氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)久武神社(島根県出雲市斐川町)

 熊野大社(島根県松江市)では祭神の「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなこ かぶろぎくまのおおかみ くしみけぬのみこと)」をスサノヲの別名としている。 和歌山県田辺市にある熊野本宮大社の祭神である家都御子神はスサノヲのことともされる(説があるだけで同一視では無い)。また隣の和歌山県安来市には嘉羅久利神社、都辨志呂神社などにスサノオの社伝が伝わる古社もある。

 

・全国に分布する神社

 祇園信仰、津島信仰、氷川信仰などに基づくものが多い。これらの神社は、祇園社や天王社を名乗ったものが明治の神仏分離の際に現在の名前になったものが多い。

 

祇園神社、八坂神社、弥栄神社/素盞嗚神社、素盞雄神社、須佐神社/天王神社、天王社、津島神社/須賀神社、須我神社、素鵞神社/氷川神社、簸川神社/八雲神社/杭全神社/野々宮神社(堺市)/

藤森神社/田出宇賀神社(福島県南会津町)/亀都起神社 - 大分県玖珠町亀都起古墳 

 

5.3)櫛名田比売(くしなだひめ):濃厚神、足名椎・手名椎の子、大己貴神の母

  櫛名田比売は、日本神話に登場する女神。ヤマタノオロチ退治の説話で登場する。大山津見神の子であるアシナヅチ・テナヅチの8人の娘の中で最後に残った娘。

 

 原文で「童女」と記述されるように、クシナダヒメ自身はまだ年端もいかぬ少女である。ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところを、スサノオにより姿を変えられて湯津爪櫛になる。スサノオはこの櫛を頭に挿してヤマタノオロチと戦い退治する。

 

〈名〉

  『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫、稲田媛、眞髪觸奇稲田媛、『出雲国風土記』では久志伊奈太美等与麻奴良比売命と表記する。

 神として祀るにあたり「くし(櫛・奇)」を読まず敬称を用い、稲田姫命されることもある。

 

〈系譜〉

 大山津見神の子である足名椎・手名椎夫婦の八柱の娘の末子で、伊邪那岐命の子須佐之男命に娶られる。 後に二神の間に八島士奴美神が生まれ、その子孫が大国主神になる。 

 

 なおクシナダヒメとスサノオの子は『古事記』では八島士奴美神、『日本書紀』正伝では大己貴命(大国主)とされている。また『古事記』において大己貴命はスサノオとクシナダヒメの六世目の子孫とされている。

 

〈祀る神社〉

 稲田の神として信仰されており、廣峯神社(兵庫県姫路市)、氷川神社(さいたま市大宮区)、須佐神社(島根県出雲市)、八重垣神社(島根県松江市)、須我神社(島根県雲南市)、八坂神社(京都市東山区)、櫛田神社(富山県射水市)、櫛田宮(佐賀県神埼市)六所神社のほか、各地(旧武蔵の国に偏在)の氷川神社で祀られている。

 

 多くの神社では、夫のスサノオや子孫(又は子)の大国主などと共に祀られている。

 クシナダヒメを単独で祀っている神社としては、茨城県笠間市にある稲田神社、島根県仁多郡奥出雲町の稲原にある稲田神社があり、特に奥出雲町の稲田神社の近くには稲田姫の産湯として伝えられている「産湯の池」と、臍(へそ)の緒を竹で切ったと伝えられる「笹の宮」がある。 

 

 福岡県福岡市にも櫛田神社があるが、ここの祭神は大幡主大神・天照大神・素戔嗚大神である。ただし、元々はクシナダヒメを祀っていたとする説もある。

 

5.4)少名毘古那神すくなびこなのかみ)国造りの神、農業神、薬神、禁厭の神、温泉の神

  少名毘古那神は、日本神話に登場する神。 『古事記』では少名毘古那神、『日本書紀』では少彦名命、『先代旧事本紀』では天少彦根命、『出雲国風土記』では須久奈比古命、『播磨国風土記』では小比古尼命、他に須久那美迦微、少日子根などと表記する。『古事記』では神産巣日神の子とされ、『日本書紀』では高皇産霊神の子とされる。

 

 『古事記』によれば、スクナビコナは、大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ=ガガイモの実とされる)に乗り、鵝(ヒムシ=ガとされる)の皮の着物を着て波の彼方より来訪し、神産巣日神の命によって義兄弟の関係となって国造りに参加した。『日本書紀』にもこれと同様の記述があるが、ミソサザイの皮の着物を着ている。スクナビコナが登場するのは、『記』・『紀』以外では、『播磨国風土記』や『伊予国風土記』(逸文)、山陰や四国、北陸などの地方伝承である。

 

 スクナビコナはオオナムチ(大国主神)同様多くの山や丘の造物者であり、命名神である。その一方で、スクナビコナは悪童的な性格を有するという記述がある(『日本書紀』八段一書六)。スクナビコナはのちに常世国へと渡り去るが、これは草に弾かれて常世へ渡った、川で溺れて神去りしたなど様々な説話が存在する。

 

 スクナビコナは、国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。

 

 酒造に関しては、酒は古来薬の一つとされ、スクナビコナが酒造りの技術を広めたことと、神功皇后が角鹿(敦賀)より還った応神天皇を迎えたときの歌に「少名御神」の名で登場することから、酒造の神であるといえる。

 

〈後裔〉

 『先代旧事本紀』では鳥取氏の祖神とされている。

 

〈祀る神社〉

各地の少彦名神社

北海道神宮(北海道札幌市中央区) - 他、北海道内には同神宮(または札幌神社)から開拓三神として大那牟遅神(大国主神)・大国魂神とともに分祀された神社多数。/雨宮坐日吉神社(長野県千曲市雨宮)酒列磯前神社(茨城県ひたちなか市)大洗磯前神社(茨城県大洗町)小祝神社(群馬県高崎市)大田原神社(栃木県大田原市)神田神社(東京都千代田区):二之宮のご祭神。布多天神社(東京都調布市)穴澤天神社(東京都稲城市)阿豆佐味天神社(東京都西多摩郡瑞穂町)五條天神社(東京都台東区上野公園)沙沙貴神社(滋賀県近江八幡市安土町常楽寺)少彦名神社(名古屋市中区)飽波神社(静岡県藤枝市藤枝5-15-36)五條天神社(京都府京都市下京区)

少彦名神社 (大阪市)生根神社(大阪府大阪市住吉区)生根神社(大阪府大阪市西成区):同市住吉区の生根神社より分祀。大江神社(大阪府大阪市天王寺区)桑津天神社(大阪府大阪市東住吉区)服部天神宮(大阪府豊中市)大神神社(奈良県桜井市)天神社(奈良県奈良市高畑町)淡嶋神社(和歌山県和歌山市)有間神社(兵庫県神戸市北区)志筑神社(兵庫県淡路市志筑)十二所神社(兵庫県姫路市)粟島神社(鳥取県米子市彦名町)

佐香神社(島根県出雲市小境町)十二社神社 (掛川市)少彦名神社 (愛媛県大洲市)粟嶋神社(熊本県宇土市新開町)大滝神社(福山市)

 

5.5)大物主神(おおものぬしのかみ):国造りの神、蛇神、水神、雷神

  大物主神(大物主大神)は、日本神話に登場する神である。 『古事記』では御諸山上坐神(みもろのやまのうえにますかみ)美和之大物主神(みわのおおものぬしのかみ)『播磨国風土記』では八戸挂須御諸命(やとかけすみもろのみこと)大物主葦原志許(おおものぬしあしはらのしこ)とも表記する。

 

 『日本書紀』では大己貴神の和魂(にきみたま)であるとする。別名は三輪明神、倭大物主櫛甕魂命(やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと)(『出雲国造神賀詞』では倭大物主櫛𤭖玉命)

 

 『古事記』では神武天皇の岳父、綏靖天皇の外祖父にあたる。また、三輪氏の祖神でもある。『日本書紀』では三穂津姫を妻としているが、その事績は事代主神のものとなっている。

 

 宝賀寿男や村島秀次は、事代主神の別名が大物主神であったと主張した。

 大物主神の神名の「大」は「偉大な」、「物」は「鬼、魔物、精霊」と解し、名義は「偉大な、精霊の主」と考えられる。

 

〈伝承〉

●大国主神と大物主神

 『古事記』によれば、大国主神とともに国造りを行っていた少名毘古那神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光り輝く神様が現れて、我を倭の青垣の東の山の上に奉れば国造りはうまく行くと言い、大国主神はこの神を祀ることで国造りを終えた。この山が三輪山とされる。

 

 『日本書紀』の異伝では大国主神の別名としており、大神神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として三諸山に祀ったとある。

 

●勢夜陀多良比売との出逢い

 古事記によると、三嶋湟咋(みしまのみぞくい)の娘の勢夜陀多良比売という美人を気に入った美和の大物主神は、赤い丹塗り矢に姿を変え、勢夜陀多良比売が用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。

 

 彼女は驚き走り回ったあと、すぐにその矢を自分の部屋の床に置くと麗しい男の姿に戻った。こうして二人は結ばれて、生まれた子が富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめ)であり、後に「ほと」を嫌い比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)と名を変え、神武天皇の后となった。

 

●倭迹迹日百襲姫の悲劇

 箸墓古墳に関する伝承である。倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)は、夜ごと訪ねてくる男性に「ぜひ顔をみたい」と頼む。男は最初拒否するが、断りきれず、「絶対に驚いてはいけない」という条件つきで、朝小物入れをのぞくよう話した。

 

 朝になって百襲姫が小物入れをのぞくと、小さな黒蛇の姿があった。驚いた百襲姫が尻もちをついたところ、置いてあった箸が陰部に刺さり、この世を去ってしまったという。

 

・意富多多根古による祭祀

 崇神天皇が天変地異や疫病の流行に悩んでいると、夢に大物主が現れ、「こは我が心ぞ。意富多多泥古(大田田根子)をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」と告げた。天皇は早速、活玉依毘売の末裔とされる意富多多泥古を捜し出し、三輪山で祭祀を行わせたところ、天変地異も疫病も収まったという。これが現在の大神神社である。

 

 『日本書紀』では、崇神天皇が大物主から夢で直接に神託を得るまでの亀卜や沐浴斎戒、宮殿内部の潔浄と言った祭祀の過程と内容が詳細に記され、天変地異が収まった翌年に大神神社に奉る酒の管掌に高橋邑の人活日が任命されている。

 

 なお、『古事記』では、三輪大神は意富美和之大神とされる。なおこれを系図に起こすと、陶津耳命ー活玉依毘売ー櫛御方命ー飯肩巣見命ー建甕槌命ー意富多多根古となる。

 

 活玉依毘売のもとに毎晩麗しい男が夜這いに来て、それからすぐに身篭った。しかし不審に思った父母が問いつめた所、活玉依毘売は、名前も知らない立派な男が夜毎にやって来ることを告白した。

 

 父母はその男の正体を知りたいと思い、糸巻きに巻いた麻糸を針に通し、針をその男の衣の裾に通すように教えた。翌朝、針につけた糸は戸の鍵穴から抜け出ており、糸をたどると三輪山の社まで続いていた。糸巻きには糸が3回りだけ残っていたので、「三輪」と呼ぶようになったという。

 

5.6)久延毘古(くえびこ):大国主が美保岬で少彦名神にあった時に登場する神、農業の神

  大国主の国づくりの説話において登場する。

 

 『古事記』によると、大国主神の元に海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。するとヒキガエルの多邇具久が「久延毘古なら、きっと知っているだろう」と言うので、久延毘古を呼び尋ねると「その神は神産巣日神の子の少名毘古那神である」と答えた。

 

 さらに古事記では「久延毘古とは"山田のそほど"のことである」と説明されている。「山田のそほど」とはかかしの古名であり、久延毘古はかかしを神格化したもの、すなわち田の神、農業の神、土地の神である。

 

 かかしはその形から神の依代とされ、これが山の神の信仰と結びつき、収獲祭や小正月に「かかし上げ」の祭をする地方もある。また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、天下のことは何でも知っているとされるようになった。

 

 神名の「クエビコ」は「崩え彦」、体が崩れた男の意で、雨風にさらされて朽ち果てたかかしを表現したものである。また、「杖彦」が転じたものとも取れ、イザナギが黄泉から帰ってきた後の禊で杖を投げ出した時に生まれた船戸神(岐神、道祖神)との関連も考えられる。

 

 田の神、また、学業・知恵の神として信仰されており、久氐比古神社(石川県鹿島郡中能登町)や大神神社(奈良県桜井市)末社・久延彦神社などで祀られている。

 

5.7)多邇具久たにぐく):大国主が美保岬で少彦名神にあった時に登場する神

  多邇具久は、日本神話に登場する神である。谷蟆、谷蟇の字を当ててヒキガエルを指す。

 

 大国主の国づくりの説話において登場する。『古事記』における同段によると、大国主が出雲の御大岬(美保岬)にいたとき、海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。

 

 このとき、かかしの久延毘古なら知っているはずと注進したのが、ヒキガエルの多邇具久であった。はたして、久延毘古によって、その小さな神の名は「神産巣日神の子の少彦名神」であると知らされる。『日本書紀』の同エピソード部分には登場しないが、谷川健一によれば、和歌山県新宮市附近ではヒキガエルを「ゴトビキ」と呼び、神武天皇の東征神話に描かれる「天磐盾」(アメノイワタテ)が神倉神社の「ゴトビキ岩」であるという話を紹介している。

 

 谷蟆(ヒキガエル)は、地上のどこにでも生息しているため、「国土の隅々まで知り尽くした存在」であるとか「地上を這い回る支配者」と考えられていた。

 

 『万葉集』巻5の800番、山上憶良の長歌に「天雲の向伏極み 谷蟆のさ渡る極み」と謳われる。天皇の支配領域を指し、天の雲の向こうの果てから地上はヒキガエルの歩いているようなところはすべて、という意味である。

 

 憶良の歌には、大国主が天孫降臨に先行しておこなった「国づくり」に関わる谷蟆(ヒキガエル)を引き合いに出すことで、天皇への地上の支配権の献上についてが念頭にあることが示されている。『万葉集』のこの箇所での表記は多尓具久である。この「天雲の向伏極み 谷蟆のさ渡る極み」のフレーズは京都産業大学の『学歌』(作詞荒木俊馬、作曲團伊玖磨)にも引用されている。 

 

〈信仰〉

 神話の当地である島根県松江市美保関町の美保神社の境外には、久具谷社があり、國津荒魂神とともに多邇具久命が祀られている。和歌山県和歌山市の淡嶋神社にある大国主社には、瓦蟇(ヒキガエルの土偶)が奉納される風習が残る。

 

 三重県伊勢市の二見興玉神社は、猿田彦大神を祀るが、その神使がカエルであるとされている。

 

5.8)大綿津見神(おおわたつみのかみ)伊邪那岐命の子、豊玉毘売・玉依毘売の父、海神

  ワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)とは、日本神話の海の神。転じて海や海原そのものを指す場合もある。 『古事記』は綿津見神(わたつみのかみ)大綿津見神(おおわたつみのかみ)『日本書紀』は少童命(わたつみのみこと)海神(わたつみ、わたのかみ)海神豊玉彦(わたつみとよたまひこ)などの表記で書かれる。

 

 「ワタ」は海の古語、「ツ」は「の」を表す上代語の格助詞、「ミ」は神霊の意であるので、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になる。

 

〈神話での記述〉

 日本神話に最初に登場する綿津見神は、オオワタツミ(大綿津見神・大海神)である。神産みの段で伊邪那岐命(伊弉諾尊・いざなぎ)伊邪那美命(伊弉冉尊・いざなみ)二神の間に生まれた。神名から海の主宰神と考えられているが、『記紀』においては伊邪那岐命は後に生まれた三貴子の一柱須佐之男命(素戔嗚尊・すさのお)に海を治めるよう命じている。

 

 伊邪那岐命が黄泉から帰って禊をした時に、ソコツワタツミ(底津綿津見神、底津少童命)ナカツワタツミ(中津綿津見神、中津少童命)ウワツワタツミ(上津綿津見神、表津少童命)の三神が生まれ、この三神を総称して綿津見三神と呼んでいる。

 

 この三神はオオワタツミとは別神であるとの説や、同神との説がある。この時、ソコツツノオノカミ底筒之男神)ナカツツノオノカミ(中筒之男神)ウワツツノオノカミ(上筒之男神)住吉三神(住吉大神)も一緒に生まれている。 

 

 また、綿津見神三神の子の宇都志日金析命(穂高見命)阿曇連(阿曇氏)の祖神であると記している。現在も末裔が宮司を務める志賀海神社は、安曇氏伝承の地である。また、穂高見命は穂高の峯に降臨したとの伝説があり、信濃にも安曇氏が進出している。

 

山幸彦と海幸彦

 山幸彦と海幸彦の段では、火照命または火須勢理命(海幸彦)の釣針をなくして困っていた火遠理命(山幸彦)が、塩土老翁の助言に従って綿津見大神(豊玉彦)のもとを訪れ、綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚している。二神の間の子である鵜葺草葺不合命は豊玉毘売の妹である玉依毘売に育てられ、後に結婚して若御毛沼命(神倭伊波礼琵古命・かむやまといわれひこらを産んでいる。綿津見大神の出自は書かれていないが、一般にはオオワタツミと同一神と考えられている。

 

〈系譜〉

 伊邪那岐命、または同神と伊邪那美命の子に置かれる神で、子には宇都志日金析命(穂高見命)、布留多摩命(振玉命)、豊玉毘売命、玉依毘売命の四兄妹がいる。

 

 このうち、宇都志日金析命は阿曇氏の祖神で、布留多摩命は八木氏の祖神とされる。

 宝賀寿男は、豊玉毘売命と玉依毘売命の姉妹は、火遠理命の妻になったという世代を考え、実際には宇都志日金析命の妹ではなく娘であったと主張した。

 

〈ワタツミを祀る神社〉

志賀海神社(福岡県福岡市東区志賀島)(総本社)/綿津見神社・海神社 - 全国各地和多都美神社(長崎県豊玉町)志賀神社(福岡県糟屋郡粕屋町)風浪宮(福岡県大川市酒見)渡海神社(千葉県銚子市高神西町)穂高神社(長野県安曇野市穂高)二見興玉神社(三重県伊勢市二見町)林神社(兵庫県明石市宮の上)小江神社(兵庫県豊岡市江野)田土浦坐神社(岡山県倉敷市下津井田之浦)由加神社本宮(岡山県倉敷市児島由加)沼名前神社(広島県福山市鞆町)水上神社(島根県大田市温泉津町)浜殿神社(長崎県対馬市豊玉町)鹿児島神社(鹿児島県鹿児島市草牟田)飯倉神社(鹿児島県南九州市川辺町)永尾神社(熊本県宇城市不知火町) 

 

5.9)大山津見神(おおやまつみのかみ):伊邪那岐命の子、山の神、海神

  大山津見神は、日本神話に登場する神。『古事記』では大山津見神、『日本書紀』では大山祇神、他に大山積神、大山罪神とも表記される。 別名 和多志大神、酒解神。

 

 1972年8月調査では、神社本庁傘下の神社1万318社のうち、85%が「大山祇神」、9%が「大山津見神」、5%が「大山積神」と表記する。神名の名義は後述。

 

〈神話での記述〉

 『古事記』では、神産みにおいて伊邪那岐命と伊邪那美命との間に生まれた。その後、草と野の神である鹿屋野比売神(野椎神)との間に以下の四対八柱の神を生んでいる。

 

・天之狭土神・国之狭土神/天之狭霧神・国之狭霧神

・天之闇戸神・国之闇戸神/大戸惑子神・大戸惑女神

 

 『日本書紀』では、イザナギが軻遇突智を斬った際に生まれたとしている。

 天之狭霧神の娘の遠津待根神は、大国主神の8世孫の天日腹大科度美神との間に遠津山岬多良斯神を産んでいる。

 

 オオヤマツミ自身についての記述はあまりなく、オオヤマツミの子と名乗る神が何度か登場する。 八俣遠呂智退治において、須佐之男命の妻となる櫛名田比売の父母、足名椎・手名椎はオオヤマツミの子と名乗っている。

 

 その後、スサノオの系譜において、オホヤマツミ神の娘である神大市比売神(かむおほいちひめ)との間に大年神と宇迦之御魂神をもうけていると記している。また、クシナダヒメとの間の子、八島士奴美神(やしまじぬみ)は、オオヤマツミの娘の木花知流比売(このはなちるひめ)と結婚し、布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬ)を生んでいる。フハノモヂクヌスヌの子孫が大国主神である。

 

 天孫降臨の後、邇邇芸命はオオヤマツミの娘である木花之佐久夜毘売と出逢い、オオヤマツミはコノハナノサクヤビメとその姉の石長比売を差し出した。ニニギが容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。

 

〈解説〉

  神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となる。ユネスコの記憶遺産に登録された山本作兵衛が描いた筑豊の炭鉱画の中でも、オオヤマツミに関する記述がある。

 

〈オオヤマツミを祀る神社〉

 全国の大山祇神社(山積神社/大山積神社/大山津見神社含む)の他、三島神社(三嶋神社)や山神社(山神神社)の多くでも主祭神として祀られている。

 

 1973年1月大三島大社講(大山祇神社)発行の『大三島宮』によると、その数はそれぞれ897社、402社、3075社である(次項以降の神社数を含め、『大三島宮』(大山祇神社発行)に記載されている、1972年8月の神社本庁調査に基づく)。なお、三島神社や山神社を称していても、主祭神が大山祇神でない神社は除外されている。

 

・大山祇神社

 全国に897社ほど。総本社は大山祇神社(愛媛県今治市大三島)である。三島神社とほぼ同一の信仰を持つ神社もあれば、明治時代に鉱山開発を目的に勧請された神社もある。高知県113社、群馬県79社、福岡県75社、福島県60社、長崎県53社などに多い。大山積神社、山積神社、山住神社と書く神社もある。

 

 総本社である大山祇神社のある愛媛県は三島神社として勧請される例が多く、大山祇神社は18社と限られる。戦前にはサイパンのロタ島、樺太の川上村にも大山祇神社が勧請されていた。

 

・三島神社

 全国に402社ほど。三嶋大明神としての大山祇神を祀る。総本社は大山祇神社(愛媛県今治市大三島)及び三嶋大社(静岡県三島市)である。大山祇神社のある愛媛県が130社で突出しており、同県の神社の約10%を占める。続いて福島県29社、高知県20社、茨城県18社、大分県18社などが続く。

 

 1873年に三嶋大社の主祭神が大山祇神から事代主神に変更されたため(のち大山祇神・事代主神二神同座に再度変更)祭神に混乱が生じている。

 

 例えば、三嶋大社のある静岡県には36社の三島神社が存在するが、元々妃神や御子神のみを祀る三島神社が多かったことに加えて、三嶋大社の主祭神変更を受けて一部の神社が同調し、大山祇神を祀る三島神社は13社となっている。 また、福岡県も同様で、事代主神を祀る三島神社が多いため大山祇神を祀る三島神社は24社中12社になっている。

 

・山神社 

 全国に3075社ほど。大山祇神社の分社や、その地方の山神を大山祇神として崇めた神社が含まれる。比較的小規模な神社が(愛媛県今治市大三島)多く、ごく小規模な神社や境内社といった形で祀られる例が多い。地域的には、愛知県311社、静岡県257社、長野県204社、大分県191社、徳島県168社、福島県165社、山形県150社、兵庫県145社、岐阜県132社、山梨県131社などとなっている。

 

・十二神社

 全国に438社ほど(別の神を祀る神社を含む。2007年國學院大學発行『現代・神社の信仰分布』に拠る)。十二様としての大山祇神を祀る。新潟県や群馬県の中山間部を中心に存在する。小規模社が多い。

 

 伊予の大山祇神社や伊豆の三嶋大社を中心とする「大山祇・三島信仰」とは別系統で、本来はこの地域土着の山の神の信仰である。

 

・その他

 大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)や梅宮大社(京都市右京区)、湯殿山神社(山形県鶴岡市)などでも主祭神ととされる。そのほか酒造や各地の山岳信仰と結びついたり、大山祇神社や三嶋大社の分社の中で三島神社や大山祇神社、山神社以外の名称を名乗る神社が存在し(一宮神社、稲爪神社、瀬戸神社等)、大山祇神を祀る神社は相当数にのぼる。浅間神社等でも主祭神として扱われていることがある。

 

 配神や境内外社としてよく祀られる神の1柱でもあり、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)にも大山祇神社が勧進されている。上述の『大三島宮』によると、大山祇神を祀る神社は、小規模社や境内社・配神等を含めると全国に1万318社存在する。この数は日本神話の神の中で5番目に多いという。 

 

 熊本県荒尾市の三井三池炭鉱旧万田坑の構内にある山ノ神祭祀施設 - 文化遺産オンライン(文化庁)は、1916年(大正5年)に大山祇神を分祀した祠だが、文化財保護法の重要文化財に指定されており、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産になっている。また、軍艦島の端島神社も金刀比羅宮とともにオオヤマツミを合祀していた。 

 

5.10)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ):稲荷大明神、須佐之男命と伊邪那美命の子

  ウカノミタマは、日本神話に登場する女神。『古事記』では宇迦之御魂(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記する。

 

 名前の「宇迦」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。また「宇迦」は「ウケ」(食物)の古形で、特に稲霊を表し、「御」は「神秘・神聖」、「魂」は「霊」で、名義は「稲に宿る神秘な霊」と考えられる。記紀ともに性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきた。

 

 伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。ただし、稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは室町時代以降のことである(後述)。伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られた。

 

〈系譜〉

 『古事記』において須佐之男命と神大市比売との間に生まれた子で、兄に大年神がいる。

 

 『日本書紀』においては伊弉諾尊と伊弉冉尊の間の子とし、食物の神を生もうという明確な意思によって誕生する。

 

 『諏訪氏系図』において建御名方神と八坂刀売神との子である八杵命の子とされるが、別の資料では倉稲主神としており、八杵命の子である倉稲玉神が記紀の宇迦之御魂神と同一神であるかは不明である。

 

〈祀る神社〉

 ウカノミタマは、現在は穀物の神としてだけでなく、農業の神、商工業の神としても信仰されている。

 

  伏見稲荷大社(京都市)、笠間稲荷神社(茨城県)、祐徳稲荷神社(佐賀県)などの全国の稲荷神社で祀られているほか、ビルやデパートの屋上、工場の敷地内などにも、屋敷神として稲荷神を祀る社が設けられている(例えば、日本橋三越デパート屋上の三囲神社などがある)

 

  稲荷神社以外でウカノミタマを祀る神社としては、以下のような例がある。

・小津神社(滋賀県守山市) 

 平安時代に制作された、ウカノミタマの神像(重要文化財)を祀る。垂髪(たれがみ)の女神の座像で、片膝を立て、手に宝珠を持つ。木製で像高50cm。ウカノミタマを主祭神とするが、稲荷神社ではない。

 

・小俣神社(三重県伊勢市)

 伊勢外宮の境外摂社。神道五部書の『御鎮座本紀』では、トヨウケ大神に随行してきた「ウカノミタマ稲女神」を祀ると記される。地元では、稲女(いなめ)さん・稲嘗(いなべ)さん、とも呼ばれる。

 

・上社(三重県伊勢市)

 合祀により、4座の宇迦之御魂神を祀る。

 

・葭原神社(三重県伊勢市)

 皇大神宮の別宮月読宮の境内末社。

 

・愛宕神社(福岡県福岡市西区)

 

※稲荷神として祀られる場合は、稲荷神・稲荷神社を参照。 

 

5.11)大年神(おおとしのかみ):穀物神、宇迦之御魂神と兄弟姉妹

  年神(としがみ、歳神とも)、大年神は、日本神話、神道の神である。

 

〈大年神〉

 日本神話では、『古事記』において須佐之男命神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の間に生まれた大年神としている。両神の間の子にはほかに宇迦之御魂神がおり、これも穀物神である。

 

 また、大年神香用比売(カグヨヒメ)の間の子に御年神(みとしのかみ、おとしのかみ)孫に若年神(わかとしのかみ)がおり、同様の神格の神とされる。孫に久久年神(くくとしのかみ)もいる。

 

 『日本書紀』には年神は現れない。『日本書紀』は天皇の即位年を太歳の干支で示すが、太歳は中国で考えられた架空の天体であって年神とは異なる。

 

〈系譜〉

 大年神は他に多くの神の父及び祖父とされる。

 

●伊怒比売(いのひめ、神活須毘神(かむいくすび)の娘)との間の子

・大国御魂神(おほくにみたま) - 国土の神霊の意。国魂、大国主を参照。

・韓神(から)百済からの渡来氏族が信仰した神。園韓神社も参照。

・曾富理神(そふり) -新羅からの渡来神ともされる。

・白日神(しらひ) - 明るい太陽の神。

・聖神(ひじり) - 日を知る農耕神。

 

●香用比売(かぐよひめ)との間の子

・大香山戸臣神(おほかぐやまとみ)

・御年神(みとし)

 

●天知迦流美豆比売(あめちかるみづひめ)との間の子

・奥津日子神(おきつひこ) - 熾の神。

・奥津比売命(おきつひめ) - 同上。別名 大戸比売神(おほへひめ)。竈神(かまど)の女神。

・大山咋神(おほやまくひ) - 別名 山末之大主神(やますゑのおほぬし)

             比叡山の山の神で日吉大社・松尾大社の祭神。

・庭津日神(にはつひ) - 庭を照らす日の意。屋敷の神。

・阿須波神(あすは) - 屋敷の神。

・波比岐神(はひき)

・香山戸臣神(かぐやまとみ)

・羽山戸神(はやまと) - 山の麓を司る神。

・庭高津日神(にはたかつひ) - 庭を照らす日の意。屋敷の神。

・大土神(おほつち) - 別名 土之御祖神(つちのみおやのかみ)。土の神。

 

●羽山戸神と大気都比売神との間の子

・若山咋神(わかやまくい) - 山の神。

・若年神(わかとし)

・若狭那売神(わかさなめ) - 田植えをする早乙女の意。

・弥豆麻岐神(みづまき) - 水撒き・灌漑の神。

・夏高津日神(なつたかのひ) - 別名 夏之売神(なつのめ)。夏の高く照る日の神の意。「夏」の文字は記紀の神話全体で季節の名としては現れず、この神の名として現れるのみである。

・秋毘売神(あきびめ) - 秋の女神。

・久久年神(くくとし) - 稲の茎が伸びることの意。

・久久紀若室葛根神(くくきわかむろつなね) - 別名 若室葛根(わかむろつなね)。新しい室を建てて葛の綱で結ぶの意。新嘗祭のための屋舎を建てることと考えられる。 

 

〈古語拾遺における記載〉

 『古事記』には系譜以外の事績の記述がないが、『古語拾遺』には、大地主神(おおとこぬしのかみ)の田の苗が御年神の祟りで枯れそうになったので、大地主神が白馬・白猪などを供えて御年神を祀ると苗は再び茂ったという説話がある。

 

〈来訪神〉

 毎年正月に各家にやってくる来訪神である。地方によってはお歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿、トシドン、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれる。

 

 現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものである。門松年神が来訪するための依代であり、鏡餅年神への供え物であった。各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を供えた。

 

 トシドンは鹿児島県薩摩川内市の下甑島に伝わる年神である。

 

 また陰陽家では、娑伽羅竜王(しゃがらりゅうおう)の娘、女神・頗梨采女(はりさいじょ)のことを年神といい、元旦に来訪する神霊という。のちに、これに先祖霊が加えられ、習合した。

 

〈穀物神〉

 「年」は稲の実りのことで、穀物神である。本居宣長は「登志とは穀のことなり、其は神の御霊以て、田に成して、天皇に寄奉賜ふゆえに云り、田より寄すと云こころにて、穀を登志とはいうなり」と述べ、穀物、農耕神であるとした。

 

 信仰の根底にあるのは、穀物の死と再生である。古代日本で農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作が祈念されるようになり、それが年神を祀る行事となって正月の中心行事となっていった。

 

〈祖霊〉

 また一方で、年神は家を守ってくれる祖先の霊、祖霊として祀られている地方もある。農作を守護する神と家を守護する祖霊が同一視されたため、また、田の神も祖霊も山から降りてくるとされていたため(山の神も参照)である。

 

 柳田國男は、一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神が年神であるとしている。

 

〈年徳神〉

 中世ごろから、都市部で「年神(歳神)「年徳神(歳徳神)と呼ばれるようになった。徳は得に通じ縁起が良いとされたためである。方位学にも取り入れられ、歳徳神のいる方角は「恵方」と言って縁起の良い方角とされた。

 

 暦には女神の姿をした歳徳神が描かれているが、神話に出てくる大年神は男神であり、翁の姿をしているともされる。元々民間信仰の神であり、その姿は様々に考えられていたということである。

 

 正月の支度をしていると翁と出会い、待ち合わせをしていた童と交代で帰って行くのを見届ける為に数日が過ぎ、すっかり年が明けてしまったと思っていたら時間は経過しておらず、童が今年の年神である事に気付くという伝承がある。

 

〈祀る神社〉

葛木御歳神社 (奈良県御所市、全国にある御歳神社・大歳神社の総本社)/向日神社 (京都府向日市)大歳神社 (京都府京都市西京区)大歳御祖神社(静岡県静岡市葵区)飛騨一宮水無神社(岐阜県高山市)朝熊神社 (三重県伊勢市)等全国に多数。

 

 また、特に西日本では田の畔の祠などに大歳神社・大歳様として多く祀られている。

 大和神社(おおやまとじんじゃ)右殿でも、中殿に日本大国魂大神、左殿に八千戈大神、右殿に御年大神を祀る。

 

 ただし、日本大国魂大神(倭大国魂神)以外の祭神については文献によって諸説あり、『神社要録』では左殿を須沼比神。『社家説』『元要記』では左殿を三輪大明神(大物主)・右殿を天照大神。『元要記一説』では右殿を稲倉魂神(ウカノミタマ)としている。  

 

 5.12)木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)火の神、水神、安産の神、子育ての神、酒造の神

  木花之佐久夜毘売は、日本神話に登場する女神。 『古事記』では本名を神阿多都比売(かむあたつひめ)別名を木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)『日本書紀』では本名を神吾田津姫(かみあたつひめ)神吾田鹿葦津姫(かむあたかあしつひめ)別名を木花開耶姫(このはなのさくやびめ)『播磨国風土記』では許乃波奈佐久夜比売命(このはなのさくやびめ)と表記する。読みはコノハナノサクヤビメ、コノハナサクヤビメ、コノハナサクヤヒメ、または単にサクヤビメと呼ばれることもある。木花咲弥姫命(このはさくやひめのみこと)と表記することもある。

 

 神話では、日向に降臨した天照大御神の孫の邇邇芸命と、笠沙の岬で出逢い求婚される。父の大山津見神はそれを喜んで、姉の石長比売と共に差し出したが、邇邇芸命は醜い石長比売を送り返し、美しい木花之佐久夜毘売とだけ結婚した。

 

 大山津見神はこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのは石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇芸命)の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。木花之佐久夜毘売だけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げた。それでその子孫の天皇の寿命も神々ほどは長くないのである。

 

 木花之佐久夜毘売は一夜で身篭るが、邇邇芸命は国津神の子ではないのではないかと疑った。疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、「天津神である邇邇芸命の本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放ってその中で火照命(もしくは火明命)・火須勢理命・火遠理命の三柱の子を産んだ。火遠理命の孫が初代天皇の神武天皇である。

 

 『播磨国風土記』では伊和大神(大国主神)の妻とされる。

 

〈系譜〉

 大山津見神の娘で石長比売の妹。天照大御神の孫である邇邇芸命との間に火照命(海幸彦)・火須勢理命・火遠理命(山幸彦)を生んだ。

 

 なお兄弟姉妹に足名椎・手名椎・神大市比売・木花知流比売・石長比売・天之狭土神・国之狭土神・天之狭霧神・国之狭霧神・天之闇戸神・国之闇戸神・大戸惑子神・大戸惑女神がいる。

 

〈信仰〉

 富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られている。 

 

 浅間神社の他、安産や子育ての神として子安神社(皇大神宮所管社、東京都八王子市、千葉県旭市など)に、酒解子神として梅宮大社(京都府京都市右京区)に、また、伊都国の中心とされる福岡県糸島市三雲の細石神社にも姉のイワナガヒメと共に祀られている。

 

〈祀る神社〉

 木花之佐久夜毘売を祀る神社は全国に無数にあるため、ここでは主な神社を列挙する。

・富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、日本国内約1300社の浅間神社

 

・子安神社(三重県伊勢市)伊勢神宮皇大神宮(内宮)所管社。

 

・都萬神社(宮崎県西都市)日向式内四座の一社。コノハナサクヤ姫は、甘酒を作ってお乳代わりに飲ませたともいわれ、境内に「日本酒発祥の碑」が立っている。

 

・木花神社(宮崎県宮崎市)コノハナ(木花)サクヤ姫の夫のニニギノミコトの行宮の跡と伝えられる。三皇子生誕の産屋「無戸室」(うつむろ)の跡がある。

 

・高千穂神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町)天孫降臨の地として知られる。サクヤ姫は「高千穂神」の一柱として夫のニニギノミコト等とともに祀られている。

 

・霧島神宮(鹿児島県霧島市)もう一つの天孫降臨の地として知られ、主祭神として夫のニニギノミコトが祀られ、サクヤ姫は相殿に祀られる。

 

・新田神社(鹿児島県薩摩川内市)サクヤ姫の夫のニニギノミコトの御陵の可愛山陵がある神社で、サクヤ姫の陵墓(端陵古墳)と伝わる末社(端陵神社)がある。

 

・大山祇神社(愛媛県今治市大三島町)愛媛県今治市大三島の大山祇神社の本殿(オオヤマツミノカミ:コノハナサクヤヒメの父神)の裏側に祀られている。

 

・縣神社(京都府宇治市)木花咲耶姫命、又の御名は神吾田(かみあがた)を奉祀し「あがた」の名の通り神代以来当地の 守護神であった。

 

・櫻井子安神社(千葉県旭市)木花咲耶姫命・伊邪那岐命・伊邪那美命をお祀りしている。

 

・箱根神社(神奈川県足柄下郡箱根町)箱根大神の一神として祀られている。

 

・子安神社(東京都八王子市)

 

5.13)玉依比売(たまよりびめ)大綿津見神の子、鵜草葺不合命の妻、若御毛沼命(神武)の母

  タマヨリビメ(玉依毘売)またはタマヨリヒメ(玉依姫)は、日本神話に登場する女神。神武天皇(初代天皇)の母として知られる。

 

  『古事記』では玉依毘売、玉依毘売命、『日本書紀』では玉依姫と表記される。神武天皇(初代天皇)の母であり、天皇の祖母である豊玉毘売の妹。

 

 名義は「神霊が依り憑く巫女」と考えられる。大物主神の妻である活玉依毘売や、『山城国風土記』逸文に見える玉依日売と同じく、この名前を持つ者は神と通婚する巫女的神性を持つとされる。

 

 なお皇統が穀霊で続き、玉依毘売の御子も「五瀬命」(厳稲の命)、「稲氷命」(稲霊の命)、「御毛沼命」(御食主の命)、「若御毛沼命」(若御食主の命)であることから、特に穀霊を依り憑かせる巫女であったと考えられる。

 

 宮浦神社(宮崎県日南市)は玉依姫の住居跡といわれる。また宮崎県日南市に玉依姫の陵墓であると伝えられる場所がある。

 

 龍口明神社では龍神を束ねる海神族の祖先とされ、また姫自身も龍神として崇められている。

 

〈系譜〉

 『記紀』によれば、父は綿津見神で母に関する記載はないが、姉に豊玉毘売命がいる。

 

 また、『百家系図稿』巻21の倭国造系図や『諸系譜』所載の「大和宿祢及海直」系図には、兄弟に宇都志日金拆命(穂高見命、阿曇氏祖)布留多摩命(尾張国造・倭国造等の祖)がいる。

 

 ただし豊玉毘売命玉依毘売命が姉妹で火遠理命の妻となったと考えられること、他氏族との系図比較から実際には宇都志日金拆命の妹ではなく娘であったとする説がある。

 

●夫:彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあわせず の みこと/-ふきあえず の みこと『古事記』では日子波限建鵜葺草葺不合命) - 『日本書紀』 火折尊の子。

 

・子:彦五瀬命(ひこいつせ の みこと『古事記』では五瀬命) - 『日本書紀』 神武東征の際に賊の矢にあたって薨じた。

 

・子:稲飯命(いない の みこと、『古事記』では稲氷命) - 『日本書紀』 韓地に渡ったが、神武東征の際に鋤持神となったとも。

 

・子:三毛入野命(みけいりぬ の みこと、三毛野命、『古事記』では御毛沼命) - 『日本書紀』、『先代旧事本紀』 神武東征の際に常世郷へ行った。

 

・子:神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこ の みこと、『古事記』では和風諱号を神倭伊波礼毘古、名を若御毛沼命) - 『日本書紀』 のちの神武天皇(初代天皇)

 

・異説 

●夫:火折尊(ほおり の みこと) - 『先代旧事本紀』 瓊瓊杵尊の子。

 

・子:武位起命(たけいき の みこと、たけくら(お)き の みこと) - 『先代旧事本紀』 大倭国造等の祖。しかし、『新撰姓氏録』で倭国造は地祇として扱われており、各種系図でも玉依毘売命の兄弟の布留多摩命の子となっているため、武位起命は布留多摩命とする系図が妥当で『先代旧事本紀』の記事は誤伝と見られる。

 

〈考証〉

 『記紀』に従えば玉依毘売命の夫の鵜葺草葺不合命天孫邇邇芸命の孫となり、神武天皇は曾孫ということになる。

 

 しかし、天孫降臨に随行した者と神武東征の関係者の世代とを比較すると、中臣連・忌部首・久米直等の関係諸氏は必ず祖父と孫という世代関係にあり、皇室系譜だけ何故か一世代多いことになる。

 

 また、甥の鵜葺草葺不合命との間に神武天皇を生んだ玉依毘売命は豊玉毘売命の妹とされるが、甥と叔母との異世代婚の例は稀で恒常的なものとは言い難く、その少数例においても母の同母妹との婚姻は一例も存在しない。

 

 このことから、鵜葺草葺不合命・神武天皇に関する系譜は騎馬系民族に多く見られる姉妹婚の伝承が転訛したもので、豊玉毘売命玉依毘売命は姉妹で共に火遠理命と婚し、前者が鵜葺草葺不合命を、後者が神武天皇兄弟を生んだものと見る説がある。

 

 この説に従えば鵜葺草葺不合命と神武天皇は共に火遠理命の子で異母兄弟という関係になり、世代数も関係諸氏のものと一致する。

 

〈記録〉

・古事記

 『古事記』によれば、豊玉毘売命は出産後、子(鵜葺草葺不合命)を置いて去ったが、のちに妹の玉依毘売命を遣わして歌を献り、子を養わせた。のちに鵜葺草葺不合命は玉依毘売命をめとり、四子を生んだという。

 

・日本書紀

 『日本書紀』によれば、豊玉姫は火折尊との間の子の鸕鶿草葺不合尊を産むために海から海辺に来たが、この時豊玉姫は妹の玉依姫を従えていた。のちに玉依姫は鸕鶿草葺不合尊(玉依姫から見れば甥にあたる)の妃となり四子を生んだという。

 

 また、第10段の第1の一書によれば、豊玉姫は出産後、子(鸕鶿草葺不合尊)を置いて海にかえったが、その際に玉依姫を留めて鸕鶿草葺不合尊を養わせたという。

 

 また、第3の一書によれば、豊玉姫は出産後、子を置いて海に去ったが、その後、玉依姫を遣わして火折尊に歌を贈り、鸕鶿草葺不合尊を養わせたという。

 また、第4の一書では、「一云」として、豊玉姫は出産後、子を自ら抱いて海に去ったが、のちに玉依姫に子を抱かせて陸に送り出したとする。

 

・先代旧事本紀 

 『先代旧事本紀』によれば、豊玉姫命は火折尊の子の鸕鶿草葺不合尊を産んだ後、子を置いて自ら抱いて海に去った(または玉依姫命を留めて子を養わせて去り、のちに玉依姫命に子を持たせて陸に送り出した)。のちに豊玉姫命は玉依姫命を遣わして火折尊に歌を贈り、鸕鶿草葺不合尊を養わせた。この時、玉依姫命と火折尊との間に武位起命がうまれた。のちに玉依姫命は自らが養った鸕鶿草葺不合尊の妃となり、四子を生んだという。

 

〈祀る神社〉 

霧島神宮(鹿児島県霧島市霧島田口)/益救神社(鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦)新田神社 境内 四所宮(鹿児島県薩摩川内市宮内町)宮崎神宮(宮崎県宮崎市神宮)狹野神社(宮崎県西諸県郡高原町)霧島岑神社(宮崎県小林市大字細野)高千穂神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町)東霧島神社(宮崎県都城市高崎町)

箱崎八幡神社(長崎県壱岐市芦辺町)天手長男神社(長崎県壱岐市郷ノ浦町)天手長比賣神社(長崎県壱岐市郷ノ浦町)津神社(長崎県壱岐市郷ノ浦町)津之宮神社(長崎県壱岐市石田町)住吉神社(長崎県対馬市美津島町)乙和多都美神社(長崎県対馬市厳原町)竈門神社(福岡県太宰府市)龍王神社(山口県下関市大字吉見下)岩隈八幡宮(山口県岩国市周東町)熊毛神社(山口県周南市大字呼坂字勝間)加知彌神社(鳥取県鳥取市鹿野町)阿須利神社(島根県出雲市大津町)伊努神社(島根県出雲市西林木町)惠曇神社(島根県松江市鹿島町)宇奈爲神社(徳島県那賀郡那賀町)大與比神社(兵庫県養父市三宅字大与比)魚吹八幡神社(兵庫県姫路市網干区宮内)海神社 境内摂社(和歌山県紀の川市神領)賀茂御祖神社 参道 河合神社(京都府京都市左京区)走田神社 境内 弁財天社(京都府亀岡市余部町)玉依神社(京都府亀岡市東別院町)吉野水分神社(奈良県吉野郡吉野町)知立神社(愛知県知立市西町)玉依比賣命神社(長野県長野市松代町)賀久留神社(静岡県浜松市西区神ヶ谷町)若狭姫神社 境内 中宮神社(福井県小浜市遠敷)出水神社(石川県加賀市橋立町)龍口明神社(神奈川県鎌倉市腰越)玉崎神社(千葉県旭市飯岡)玉前神社(千葉県長生郡一宮町)磯部稲村神社(茨城県桜川市磯部字稲置)敷玉早御玉神社(宮城県大崎市古川楡木字諏訪)若宮八幡神社 境内 敷玉早御玉神社(宮城県大崎市三本木新沼字若宮) 

 

5.14)豊玉毘売 (とよたまびめ):大綿津見神の子、火遠理命(山幸彦)の妻、鵜草葺不合命の母

 トヨタマヒメ(豊玉姫)またはトヨタマビメ(豊玉毘売)は、日本神話に登場する女神。神武天皇(初代天皇)の父方の祖母、母方の伯母として知られる。『古事記』では豊玉毘売・豊玉毘売命、『日本書紀』では豊玉姫と表記される。

 

 海神(わたつみ)の娘で、竜宮に住むとされる。真の姿は八尋の大和邇(やひろのおおわに)であり、異類婚姻譚の典型として知られる。神武天皇(初代天皇)の父の鸕鶿草葺不合尊の母であり、天皇の母の玉依姫の姉にあたる。

 

 豊玉毘売の「豊」は「豊かな」、「玉」を「玉(真珠)」と解し、名義は「豊かな玉に神霊が依り憑く巫女」と考えられる。

 

〈系譜〉

 海神豊玉彦命(綿津見大神)の娘。「豊玉姫」・「豊玉彦」のように、ヒメとヒコの二者(この場合は父娘)がペアで統治を行う体制はヒメヒコ制と呼ばれる。

 

 『日本書紀』、『古事記』共に、妹に玉依姫がいる。また、『古代豪族系図集覧』によれば、弟に宇都志日金拆命(穂高見命。阿曇氏の祖)がいる。

 

●夫:火折尊(ほのおり の みこと) - 『日本書紀』(『古事記』では火遠理命) 天孫瓊瓊杵尊(邇邇芸命)の子。

・子:彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあわせず の みこと/-ふきあえず の みこと) - 『日本書紀』(『古事記』では天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと/-ふきあわせず の みこと))

 

〈記録〉

 以下、特記以外は『日本書紀』によって記載する。

 

 豊玉姫は海神(豊玉姫の父)の宮にやってきた火折尊と結婚し、火折尊はその宮に3年間住んだが、火折尊は故郷のことをおもってなげいた。

 

 これを聞いた豊玉姫は、自らの父である海神に「天孫悽然として数(しばしば)歎きたまう。蓋し土(くに)を懐(おも)いたまうの憂えありてか」と言った。

 

 海神は火折尊に助言を与え、故郷に帰した。帰ろうとする火折尊に、豊玉姫は「妾(やっこ)已に娠めり。当に産まんとき久しからじ。妾必ず風濤急峻の日を以て海浜に出で到らん。請う我が為に産室を作りて相い持ちたまえ」と言った。

 

 のちに豊玉姫は約束の通り、妹の玉依姫を従えて海辺にいたった。出産に望んで、豊玉姫は火折尊に「妾産む時に幸(ねが)わくはな看(み)ましそ」と請うた。しかし火折尊は我慢できず、ひそかに盗み見た。豊玉姫は出産の時にヤヒロワニ(『古事記』では「八尋和邇」、『日本書紀』一書では「八尋大熊鰐」)となり、腹這い、蛇のようにうねっていた(『古事記』)

 

 豊玉姫は恥じて、「如(も)し我を辱しめざるならば、則ち海陸相通わしめて、永く隔て絶つこと無からまじ。今既に辱みつ。将(まさ)に何を以て親昵なる情を結ばんや」と言い、子を草でつつんで海辺にすてて、海途を閉じて去った。これにより、子を彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊と名付けたという。

 

祀る神社〉

・神社の創設

 豊玉姫を祀った最初の神社は、飛鳥時代の651年(孝徳2年)創建の健男霜凝日子神社(大分県竹田市神原)であると見られている。

 

・主な神社

 豊玉毘売を祀る神社は無数に存在するため、ここでは主な神社を列挙する。

 

豊玉姫神社(鹿児島県南九州市知覧町郡)/海神神社(長崎県対馬市峰町木坂)和多都美神社(長崎県対馬市豊玉町仁位)天手長男神社(長崎県壱岐市郷ノ浦町田中触)鹿児島神宮(鹿児島県霧島市隼人町内)霧島神宮(鹿児島県霧島市霧島田口)益救神社(鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦)天岩戸神社 西本宮(宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸)高千穂神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井)青島神社(宮崎県宮崎市青島)霧島岑神社(宮崎県小林市細野)與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町大字川上)健男霜凝日子神社(大分県竹田市神原)和爾賀波神社(香川県木田郡三木町大字井戸)玉井宮東照宮(岡山県岡山市中区東山)鰐河神社(香川県木田郡三木町大字下高岡)雨降神社(徳島県徳島市不動西町)速雨神社(徳島県徳島市八多町)王子和多津美神社(徳島県徳島市国府町和田)若狭姫神社(福井県小浜市遠敷)多久比禮志神社(富山県富山市塩)鵜坂神社(富山県富山市婦中町鵜坂)櫛田神社(富山県射水市串田)出水神社(石川県加賀市橋立町)南宮御旅神社(岐阜県不破郡垂井町府中)鹽津神社(滋賀県長浜市西浅井町塩津浜)沙田神社(長野県松本市島立)木曽三社神社(群馬県渋川市北橘町下箱田)西野神社(北海道札幌市西区平和)  

 

5.15)八束水臣津野命(やつかみずおみつぬ):⇒ 国引き神話淤美豆奴神

 〔国引き神話〕

  国引き神話(くにびきしんわ)は、出雲国に伝わる神話の一つである。『古事記』や『日本書紀』には記載されておらず、『出雲国風土記』の冒頭、意宇郡の最初の部分に書かれている。

 

〈概要〉

 当初、作られた出雲国は「八束水臣津野命」によれば「狭布(さの)の稚国なるかも、初国小さく作らせり、故(かれ)、作り縫はな」という失敗作であったという。「狭布」すなわち国の形は東西に細長い布のようであったという。

 

 そこで、八束水臣津野命は、遠く「志羅紀」「北門佐岐」「北門農波」「高志」の余った土地を裂き、四度、「三身の綱」で「国」を引き寄せて「狭布の稚国」に縫い合わせ、できた土地が現在の島根半島であるという。 

 

 余った土地を出発地とし、縫い合わせた場所を到着地として、4つの段落に分けて詳細をまとめると表の通りである。

国引き神話に登場する地名
段落 出発地 到着地
志羅紀しらぎ三埼みさき 去豆こづ折絶をりたえから 八穂爾やほに 支豆支きづき御埼みさき
北門きたど佐伎さきの国 多久たく折絶をりたえから 狭田さだの国
北門きたど農波ぬなみの国 宇波折絶をりたえから 闇見くらみの国
高志こし都都つつ三埼みさき 三穂みほさき

 志羅紀の三埼を引いた綱は薗の長浜(稲佐の浜)に、三穂の埼を引いた綱は夜見の嶋(弓浜半島)になった。そして、国引きを終えた八束水臣津野命が叫び声とともに大地に杖を突き刺すと木が繁茂し「意宇の杜(おうのもり)」になったという。

 

〈比定地〉

 神話に登場する地名の比定地は、志羅紀を新羅国、去豆を許豆神社のある出雲市小津町、支豆支の御埼を出雲市大社町日御碕、北門を北方の出入口の意とし出雲の日本海側の港、佐伎を出雲市大社町鷺浦、多久をかつて多久社や多久川のあったとされる松江市鹿島町北講武など、狭田を松江市鹿島町佐陀本郷など、農波を松江市島根町野波、宇波をかつての手染(たしみ)郷とされる松江市手角(たすみ)町、闇見を久良弥神社のある松江市新庄町、高志を北陸地方(越前・越中・越後)都都を能登半島の北端珠洲岬、三穂を島根半島の東端の松江市美保関町とする説がある。 

 

 しかしこの解釈の場合、第一段と第四段が出雲外から新羅や珠洲を出雲に引いてきた事に対して、第二段と第三段は出雲の日本海側の佐伎や農波を出雲に引いてきた事になり「島根半島内部のスケールの小さな話」となり、国引きとはいえないという意見があり、北門を越後付近もしくは石川県と解釈する説もある。または北門を隠岐として前者を隠岐道前、後者を隠岐道後とする説もある。

 

〔淤美豆奴神〕

〈概要〉

 淤美豆奴神(おみづぬのかみ)は、日本神話の神。『古事記』において須佐之男命の4世孫とされ、『日本書紀』には登場しない。粟鹿神社の書物『粟鹿大明神元記』には意弥都奴と記述されている。十七世神(とおまりななよのかみ)の一柱である国津神。

 

 名称や母親の系譜から水にまつわる神と考えられる。「淤」は「大」の音約、「美豆」は「水」、「奴」は「主」で、名義は「偉大な水の主」とされる。

 

 『出雲国風土記』に国引きを行った八束水臣津野命(やつかみずおみつの)の別名として意美豆努命(おみづぬ)とあることから、この二神は同一神と考えられる。

 

 長浜神社においては八束水臣津野命と淤美豆奴神を別神として扱っており、それぞれ国引きの神、妙見の神として祀っている。北居都神社では須佐之男命の御子神とされ、弟の衝鉾等乎留比古命と共に開拓神として祀られている。 

 

 天津日子根命8世孫に甲斐国造の祖神として意美津奴彦命(おみつぬひこのみこと)が見える。

 

〈八束水臣津野命〉

  『出雲国風土記』意宇郡の条に記載されている国引き神話の主人公で、風土記の中で須佐能袁命や大穴持命との系譜に関する記述はない。ただし赤衾伊農意保須美比古佐和気能命という御子神がいるとされる。

 

 八束水臣津野命は「八雲立つ出雲の国は、狭い布のような国であることよ。最初に国を小さく作ってしまった。それ故、作って縫いつけよう」と言った。そして新羅・高志など各地の岬を切り取って綱で引き、繋ぎ合わせて出雲国を大きくしたとされる。また島根の地名由来や杵築宮の起源としても登場する。

 

〈系譜〉

 深淵之水夜礼花神が天之都度閇知泥神を娶って産んだ神で、布怒豆怒神の娘の布帝耳神を娶って天之冬衣神を産んでいる。出雲国風土記には赤衾伊農意保須美比古佐和気能命という御子神がいるとされる。長浜神社では八束水臣津野命と布帝耳神の子とされている。

 

〈祀る神社〉

長浜神社(島根県出雲市西園町)/富神社(島根県出雲市斐川町)諏訪神社(島根県出雲市別所町)國村神社(島根県出雲市多伎町)須多神社(島根県松江市東出雲町)佐比売山神社(島根県大田市鳥井町)龍岩神社(島根県邑智郡邑南町)北居都神社(岡山県岡山市東区)金持神社(鳥取県日野郡日野町)美濃夜神社(三重県津市芸濃町)

  

5.16)多紀理毘売命たぎりひめのみこと):宗像三女神の一柱、阿遅鉏高日子根神・下照比売の母

  タキリビメ(タギリヒメとも)は、日本神話に登場する女神。宗像三女神の一柱で宗像大社では「田心姫神」として、沖ノ島にある沖津宮に祀られている。

 

〈解説〉

 天照大御神と須佐之男命の誓約により誕生した「宗像三女神」の一柱で、『古事記』では多紀理毘売命、『日本書紀』では田心姫(たごりひめ)・田霧姫(たきりひめ)と表記される。『古事記』では別名を奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)とされているが、『日本書紀』第三の一書では市杵嶋姫(市寸島比売いちきしまひめ)の別名としている。

 

 『古事記』の大国主神の系譜では、大国主神との間に阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね・味耜高彦根神)と下照比売(したてるひめ)を生んだと記されている。

 

 神名の「多」は接頭語、「紀理」は「霧」、「毘売」は「姫」と解し、名義は「霧の女性」と考えられる。また、別名の奥津島比売命は「奥の島の女性」の意。

 

〈神話における記述〉

アマテラスとスサノオの誓約の段で、天照大御神が須佐之男命の持つ剣を譲り受けて宗像三女神を生み、須佐之男命の物実から生まれたのでその子であると宣言された。この三女神は宗像の民が信仰している神であると記されている。化生した順番や、宗像大社の三宮のうち、どの宮に祀られるかは、『記紀』で異同がある。

 

・「沖津宮」とする記述

 『古事記』では、1番目に化生し、名は「多紀理毘売命」で、沖津宮に祀られる。別名「奥津島比売命」、『日本書紀』本文では、1番目に化生し、名は「田心姫」で、沖津宮に祀られる。(現在の宗像大社と同じ)

 

・「異同」の記述

 『日本書紀』第一の一書では、3番目に化生し、名は「田心姫」で、辺津宮に祀られる。

 『日本書紀』第二の一書では、2番目に化生し、名は「田心姫」で、中津宮に祀られる。

 『日本書紀』第三の一書では、3番目に化生し、名は「田霧姫」で、辺津宮に祀られる。

 

〈祀る神社〉

 多紀理毘売命を独立して祀る神社と三女神の一柱として祀る神社がある(宗像三女神の項を参考)。

宗像大社沖津宮(福岡県宗像市)/厳島神社(広島県宮島)日光二荒山神社(栃木県日光市山内)別宮瀧尾神社(栃木県日光市山内)別宮瀧尾神社(栃木県日光市山内)森友瀧尾神社(栃木県日光市森友)智賀都神社(栃木県宇都宮市徳次郎町)出雲大社 瑞垣内 神魂御子神社(筑紫社)(島根県出雲市大社町)佐比賣山神社(島根県大田市鳥井町)日御碕神社 神の宮(島根県出雲市大社町)多度大社 境内 皇子社(三重県桑名市多度町)気多大社 境内 奥津島神社(石川県羽咋市寺家町)日吉大社 境内 宇佐宮(滋賀県大津市坂本)津野神社 境内 厳島社(滋賀県高島市今津町)尾張大國霊神社 境外 宗形神社(愛知県稲沢市国府宮)砥鹿神社 奥宮(愛知県豊川市一宮町)賀茂別雷神社 境内 山森社(京都府京都市北区)高鴨神社 境内 西神社(奈良県御所市鴨神)各地の宗像神社・厳島神社 - 宗像三女神の一柱として祀る。各地の八王子神社 - 誓約で生まれた五男三女神とともに祀る。宇佐八幡宮大神祖神社 

 

5.17)市寸島比売命いちきしまひめ)宗像三女神の一柱、子供の守護神、弁財天に比定

  イチキシマヒメ(イツキシマヒメとも)は、日本神話に登場する女神で、宗像三女神の一柱。水の神である。『古事記』では市寸島比売命、『日本書紀』では市杵嶋姫命と表記する。別名、狭依毘売命(さよりひめのみこと)

 

〈解説〉

 アマテラスとスサノオが、天眞名井で行った誓約(アマテラスとスサノオの誓約)の際に、アマテラスがスサノオの剣を噛んで吹き出した霧から生まれた三女神の三女。「イチキ(斎き)」は神霊を斎き祭るという意味があるという。

 

 なお、この誓約からは五男三女神が生まれており、うち、タギツヒメ(多岐津姫命(たぎつひめのみこと))・タキリビメ(多紀理姫命(たぎりひめのみこと))・イチキシマヒメの三女神を特に宗像三女神という。 絶世の美女とされ、商売繁盛、芸能、金運、勝負、豊漁、交通安全、五穀豊穣、海の神として信仰されている。

 

 『古事記』では2番目に生まれた神である。『日本書紀』においては、本文では3番目に、第二の一書では最初に生まれたとしており、第三の一書では、最初に生まれた瀛津嶋姫(おきつしまびめ)の別名が市杵嶋姫であるとしている。

 

 イチキシマヒメを祭神として祀る市杵島神社では、「市杵島姫命は天照大神の子で、皇孫邇邇芸命が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されている」という説明板がある。

 

〈イチキシマヒメを祭神とする神社〉

 宗像三女神を祭神とする福岡県の宗像大社では、総社(福岡県宗像市)辺津宮(へつみや)に祀られている。

 

 大分県の宇佐神宮では、多岐津姫命・多紀理姫命とともに比売神として、二之御殿(3つ並んだ御殿の真ん中)で祀られている。京都府の石清水八幡宮でも同様に、比咩大神として、左御前に祀られている。

 

 また、京都府の松尾大社では、中津島姫命の別名で、主祭神二柱の一柱として祀られている。元伊勢として知られる京都府の籠神社では、主祭神である彦火明命と夫婦であるとされ、絵馬になっている。

 

 後の時代の神仏習合においては本地垂迹では弁才天に比定され、同神とされた。日本三大弁天とされる広島県の厳島神社・大願寺、神奈川県の江島神社、滋賀県の都久夫須麻神社竹生島神社)宝厳寺ではいずれもイチキシマヒメと弁才天の習合がみられる。

 

 東京都国分寺市にある、子育弁財天(本町南町八幡神社の末社)でもイチキシマヒメが地蔵と共に祀られている。

 

5.19)多岐都比売命(たぎつひめのみこと)宗像三女神の一柱

 タギツヒメ(タキツヒメとも)は、日本神話に登場する女神で、宗像三女神の一柱である。『古事記』では多岐都比売命、『日本書紀』では湍津姫命と表記される。

 

〈神話における記述〉

 アマテラスとスサノオの誓約の段で、アマテラスがスサノオの十束剣を口に含み、三つにかみ砕き吐き出した霧から宗像三女神を生み、スサノオの物実から生まれたのでスサノオの子であると宣言された。この三女神は宗像の民が信仰している神であると記されている。化生した順番や、三つの内でどの宮に祀られるかは、『記紀』で異同がある。

 

 『古事記』・『日本書紀』第二の一書では、3番目に化生し、辺津宮に祀られる。『日本書紀』本文・第一の一書・第三の一書では、2番目に化生し、中津宮に祀られる。

 宗像大社では『日本書紀』本文の通り「湍津姫神」として宗像市大島の中津宮に祀られている。御神体の依代は有職故実に「紫玉」と記述されている。

 

〈解説〉

 タギツヒメを主祭神として祀る神社は中津宮のほか、青森県の岩木山神社など。

 

 また宗像三女神の一柱として各地の宗像神社・厳島神社などで、また、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた五男三女神とともに各地の八王子神社などで祀られている。

 

 『先代旧事本紀』では後に大己貴神に嫁ぎ、八重事代主神と高照光姫命を生んだと記されている。また出雲では阿遅鉏高日子根の子である多岐都比古命の妻とされる。 

 

5.20)伊勢津彦神(いせつひこのかみ)風神、日神、製鉄神、伊勢国号由来となった神名

 伊勢津彦神は、日本神話に登場する神。『伊勢国風土記』逸文では本名を出雲建子命(いずもたけこのみこと)、またの名を伊勢津彦神、櫛玉命(くしたまのみこと)、『播磨国風土記』では伊勢都比古命、『住吉大社神代記』では伊勢川叱古命と記される。

 

 複数の名称を持つが、逸文一説内の記述である(国号由来とは別の地名由来が語られている)ため、本項では国号由来となった「伊勢津彦神」の神名で統一する。

 『伊勢国風土記』では国津神とされ、記述などから風の神とされる。

 

〈伊勢国号由来となった神名〉

 『伊勢国風土記』逸文によれば、伊勢津彦神は大和の神武天皇によって派遣された天日別命に国土を渡すよう要求されたが、長く先住していたことを理由に断っていた。

 

 しかし、最終的に天日別命が攻勢の準備を整えると、これを恐れた伊勢津彦神は東方へ避退する旨を天日別命に伝えた。

 

 すると天日別命に「伊勢を去ることをどのように証明するのか」と問われたため、伊勢津彦神は「強風を起こしながら波に乗って東方へ去って行く」ことを誓い、夜の内に東方へと去って行った。のちに天皇の詔りによって国津神の神名を取って、伊勢国としたと記述される。

 

 なお後世の加筆で、追われた後、別の地の神社で祀られたことや信濃国に鎮座したことが記述される。逸文の一説では、別の地名由来が記述されている。

 

〈別伝〉

 逸文内一説の記述によれば、出雲神の子である出雲建子命の別名が「伊勢津彦の神」であり、またの名を「櫛玉命」というと記しており、「伊勢」の由来についても、国号由来とは異なる記述が成されている。

 

 それによれば、命は伊賀国穴石神社(現三重県阿山郡)に石をもって城(き)を造っていたが、阿倍志彦の神(あへしひこ-。『延喜式神名帳』内の伊賀国阿倍郡の敢国神(あへのくにつかみ。敢国神社の祭神。伊賀国の式内社一覧も参照。)と見られる)が城を奪いに来るも、勝てずして帰ったため、それに(石城(いしき、いわき)の音が訛って)由来して「伊勢」という名が生まれたと記す。 

 

 『住吉大社神代記』によれば、大田田命の子・神田田命の子・神背都比古命は、天賣移乃命の子・富止比女乃命を娶り、伊勢川叱古乃命を生み、伊勢玉移比古女乃命を娶り坐し、伊西国(伊勢国)舩木に住んだという。

 

〈考証〉

 本居宣長は『古事記伝』で伊勢津彦神は建御名方神の別名であるとし、神武天皇の時代とする記述は後世の誤伝であるとする説を唱えている。これは天津神に反抗するも勝てず東国へ逃亡する姿が似ていることから来る説である。

 

 一方、伴信友は『倭姫命世記考』で、伊勢津彦神はもともと出雲神で伊勢を支配しており、建御名方神は一旦伊勢津彦神を頼って伊勢に逃れ、その後に信濃に去っため、伊勢津彦神もその後に信濃に逃げたとする説を唱えている。ここでは建御名方神と伊勢津彦神を別神としている。

 

 また、宝賀寿男は、伊勢津彦に関する記述から、建御名方神とは本来は別神であり、神武天皇の東征によって故国を追われたことから混同されたものと独自の説を示した。同説では、その他別名(櫛玉命)や世代関係(神武一世代前)など諸要素からも伊勢津彦神こそ邇芸速日命と同神とされ、東国へ逃亡したのは実際は伊勢津彦神の子に当たる神狭命とした。 

 

〈祀る神社〉 

伊豆毛神社(長野県長野市)現在は祀られていないが、諸説ある祭神の一つ/風間神社(長野県長野市風間)/都美恵神社(三重県伊賀市柘植町)  


2 日本の神社と祭神


(参考)神社等の種類(1)神社の社号の種類 (2)一宮について

 (3)諸国一宮以下一覧 (4)全国の神社・祭神について


(参考)神社等の種類


(引用:神社本庁HP)

1)氏神神社と崇敬神社 

 全国の神社については、皇祖天照大御神をお祀りする伊勢の神宮を別格の御存在として、このほかを氏神神社崇敬神社の二つに大きく分けることができます。

 

 氏神神社とは、自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社であり、この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する方を氏子(うじこ)と称します。

 

 元来は、文字通り氏姓を同じくする氏族の間で、自らの祖神(親神)や、氏族に縁の深い神様を氏神と称して祀ったことに由来し、この血縁的集団氏子と呼んでいました。現在のような地縁的な関係を指しては、産土神(うぶすながみ)と産子(うぶこ)という呼称がありますが、地縁的関係についても、次第に氏神・氏子という呼び方が、混同して用いられるようになりました。

 

 これに対して崇敬神社とは、こうした地縁や血縁的な関係以外で、個人の特別な信仰等により崇敬される神社をいい、こうした神社を信仰する方を崇敬者と呼びます。

 

 神社によっては、由緒や地勢的な問題などにより氏子を持たない場合もあり、このため、こうした神社では、神社の維持や教化活動のため、崇敬会などといった組織が設けられています。

 

 

 氏神神社と崇敬神社の違いとは、以上のようなことであり、一人の方が両者を共に信仰(崇敬)しても差し支えないわけです。 

 

2)境内の小さな神社について

 神社の境内にある小さな社は摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)神社の呼称として用いられています。

 

 戦前の旧官国幣社においては、摂社と末社を区分する基準が設けられました。摂社に該当する条件として、まず本社御祭神の荒魂(あらみたま)后神・御子神を祀った社のほか、御祭神と関係のある神や現社地の地主神など特別な由緒がある社となっていました。こうした基準に当てはまらないのが末社であり、摂社は末社より上位に置かれていました。

 

 現在でも摂社・末社の呼称は、戦前の基準による区分をそのまま用いていることがありますが、特に本社との由緒の深い神社には摂社の呼称が用いられています。摂社・末社については、本社と同一の境内地で祀られている境内社と、境内地外で祀られている境外社といった区分もできます。

 

 このほか、伊勢の神宮や京都の石清水八幡宮などでは、特に本社御祭神と関係の深い社を別宮と称しています。

 

 伊勢の神宮においては、内外両御正宮の他に、これに次ぐ尊い社として両宮それぞれに別宮があり、『延喜式神名帳』に載る式内社が摂社『延暦儀式帳』に載る社が末社、両書に記されていませんが神宮との密接な関係により古くから祀られてきた社が所管社と称されています。「伊勢の神宮」とは、両御正宮のほか、別宮・摂社・末社・所管社を含めた125社の社の総称をいいます。

 

3)社殿の形式

 各地の神社にお参りすると、それぞれの神社で、社殿の形式が異なっていることに気がつきます。

 

  建物自体、細部まで見るとその違いは多岐にわたりますが、大きくみてその様式を二つに分けることができ、一つは高床式の穀物蔵の形から発達した「神明造」であり、もう一つは古代の住居の形から発達した「大社造」となっています。

 

 

 「神明造」とは、伊勢の神宮を代表としてみられる様式で、切妻(きりづま)造の屋根(棟を境に本を開いたように屋根が両側に流れている)の棟と平行の「平」側に入口がある平入(ひらいり)という形になっています。

 

 中でも伊勢の神宮は掘立柱の切妻造平入萱葺の様式で、特に唯一神明造と称します。この神明造から派生したものとして、前面が長くのびて向拝ごはい(参拝者のための廂ひさし)となっている「流造」や、切妻平入の建物が二棟連結している「八幡造」などがあります。

 

 

 

 

 もう一つの「大社造」とは、出雲大社に代表される様式であり、切妻造の屋根の「妻」が正面に見えるほうに入口があるため、妻入つまいりといいます。この「大社造」の流を汲むのが、住吉大社の「住吉造」や春日大社の「春日造」です。

 

 

 

 このほか、本殿・幣殿・拝殿が連結した構造で、屋根の棟数が多く複雑になっている「権現造」、拝殿の上に流造の本殿が乗り、重層構造となっている「浅間造」など、地域や信仰により社殿形式はさまざまですが、その時代の建築技術の粋を集めたものであることは確かです。

(『神道いろは』26・27頁、引用) 

4)鳥居について

  私たちが神社にお参りをするとき、まず鳥居を目にします。鳥居は神社を表示し、また神社の神聖さを象徴する建造物ともいえます。鳥居は神社の内と外を分ける境に立てられ、鳥居の内は神様がお鎮まりになる御神域として尊ばれます。

 

 また、特定の神殿(本殿)を持たず、山など自然物を御神体、または依代よりしろとしてお祀りしている神社の中には、その前に鳥居が立てられ、神様の御存在を現すものとして重視されています。

 

 鳥居の起源については、天照大御神天の岩屋にお隠れになった際に、八百万の神々が鶏を鳴せましたが、このとき鶏が止まった木を鳥居の起源であるとする説や、外国からの渡来説などがあります。

 

 鳥居は、その材質・構造も多種多様で、それぞれの神社により形態が異なります。一説には六十数種類の形態があるともいわれており、代表的なものとしては、鳥居上部の横柱が一直線になっている神明鳥居と、この横柱の両端が上向きに反っている明神鳥居があります。

 

 このほか、形態では明神鳥居の横柱上部に合掌形の破風ついた山王鳥居や、また朱塗りの稲荷鳥居など特徴的なものがあります。

 

 起源や形態などさまざまではありますが、鳥居を見ると神聖さを感じるのは、我々日本人の共通した考え方ではないかと思います。

 

5)狛犬について

 神社にお参りすると参道の両脇に一対で置かれた石製の狛犬を見かけます。神社境内のことを語るとき、鳥居と並んでまず思い浮かぶほど、狛犬は神社にとって一般的なものとなっています。

 

 普段、私たちは石製のものを多く目にしますが、このほかに、社殿内に置かれる木製や陶製のもの、また金属製のものなどがあります。狛犬は高麗犬の意味で、獅子とともに一対になって置かれているとする説もあり、その起源も名称が示すように渡来の信仰に基づくもので、邪気を祓はらう意味があるといわれています。

 

 神社にあるのが一般的ですが、寺院でも稀に置かれることがあり、東大寺南大門のものが石製としては我が国最古のものとされています。また、宮中では几帳の裾に置く重石(おもし)として木製の狛犬を用いていたようです。

 

 神社によっては狛犬ではなく、狐や牛などの場合もあります。稲荷神社天満宮に見られ、共にお祀りされている神様の神使(しんし)(お使い)であるとされています。

 

 狛犬の表情は神社、あるいは地域によって実に多様です。各地の神社を訪れた際に、いろいろな表情をした狛犬を眺めることもお参りをする楽しみの一つになるのではないでしょうか。

 

6)「神宮」「神社」の名称

 「神宮」「神社」の名称は、神社名に付される称号で社号といいます。

 

 現在、単に「神宮」といえば、伊勢の神宮を示す正式名称として用いられています。また「○○神宮」の社号を付されている神社には、皇祖をお祀りしている霧島神宮鹿児島神宮、また天皇をお祀りしている平安神宮明治神宮などがあります。このほか、石上神宮鹿島神宮・香取神宮など特定の神社に限られています。

 

 これに対して「神社」は、その略称である「社」とともに一般の神社に対する社号として広く用いられています。

 

 また、「宮」「大社」などの社号もあり、「宮」は天皇や皇族をお祀りしている神社や由緒により古くから呼称として用いられている神社に使われます。「大社」はもともと、天孫に国譲りをおこない、多大な功績をあげた大国主命を祀る出雲大社を示す社号として用いられてきました。しかし、現在「大社」は、広く崇敬を集める神社でも使われています。

 

 このほか、社号と異なりますが、古くから神様の名前に「大神」「大明神」、また神仏習合の影響による「権現」といった称号を付して、社号に類するものとして一般的に用いられ、信仰されている社もあります。

 

 このように神社により社号は異なりますが、それぞれの神社に対する人々の篤い信仰にはいささかの変わりもありません。

 

追記:2024.3.8


(1)神社の社号の種類


引用:「日本の神社100選」(宝島社 2021版)/Wikipedia

 

〈序章:神社の社号の種類から〉引用:「日本の神社100選」(宝島社 2021版)

社格制度で優遇される社が決められていた

 

1)「延喜式」神名帳に記載された神社「式内社」

●官幣社(大社・小社)

 ・名神大社(官幣社・国幣社のうち、特に格式が高い重要な神社とされたもの)

 

●国幣社(大社・小社)

 

2)平安時代中期の「二十二社」

〇畿内・・・朝廷の力が強い機内では、二十二社制度が確立

 

●上七社

・皇大神宮(神宮内宮)・豊受大神宮(神宮外宮)/石清水八幡宮/賀茂別雷神社・賀茂御祖神社/松尾大社/平野神社/伏見稲荷大社/春日大社

 

●中七社

・大原野神社/大神神社/石上神宮/大和神社/廣瀬神社/龍田神社/住吉大社

 

●下七社

・日吉大社/梅宮大社/吉田神社/広田神社/八坂神社/北野天満宮/丹生川上神社(上社・中社・下社)/貴船神社

 

〇地方・・・国司が派遣される地方では、一宮制度が確立

●一宮

●二宮

●三宮

 

 一宮、二宮、三宮・・・というのは、国司が領内の神社を巡拝する順番。例えば、二宮より一宮の方が、格が高いことになる。

 

3)「近代社格制度」

〇神宮 伊勢神宮(神宮)は別格の存在として、下記の社格の外に置かれた。

 

〇官社(官・国幣社)

●官幣大社ー官幣中社ー官幣小社・別格官幣社(※) 

※)楠木正成の湊川神社など、国の功労者をまつる別格官幣社は、官幣小社とほぼ同じ待遇とされた。

 

●国幣大社ー国幣中社ー国幣小社

 

〇諸社(民社)

●府社ー県社ー郷社ー村社ー無各社

 

4)延喜式神名帳(引用:Wikipedia)

 延喜式神名帳は、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。

 

4.1)概要

 延喜式神名帳に記載された神社、および現代におけるその論社を「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。

 

 本来「神名帳」とは、古代律令制における神祇官が作成した官社の一覧表を指し、官社帳ともいう。国・郡別に神社が羅列され、官幣・国幣の別、大社・小社の別と座数、幣帛を受ける祭祀の別を明記するのみで、各式内社の祭神名や由緒などの記載はない。

 

 延喜式神名帳とは、延喜式の成立当時の神名帳を掲載したものである。延喜式神名帳に記載された神社(式内社)は全国で2861社で、そこに鎮座する神の数は3132座である。

 

 式内社は、延喜式が成立した10世紀初頭には朝廷から官社として認識されていた神社で、その選定の背景には政治色が強くみえる。当時すでに存在したが延喜式神名帳に記載がない神社を式外社(しきげしゃ)という。

 

 式外社には、朝廷の勢力範囲外の神社や、独自の勢力を持った神社(熊野那智大社など)、また、神仏習合により仏を祀る寺となった神社、僧侶が管理した神社(石清水八幡宮など)、正式な社殿がなかった神社などが含まれる。式外社だが六国史に記載がある神社を特に国史現在社(国史見在社とも)と呼ぶ(広義には式内社も含む)

 

4.2)式内社の社格

 式内社は各種の種別がある。まず官幣社国幣社の別である。官社とは、毎年2月の祈年祭に神祇官から幣帛を受ける神社のことで、各神社の祝部(ほうりべ、旧仮名遣:はふりべ)が神祇官に集まり幣帛を受け取っていた。

 

 その後延暦17年(798年)に、引き続き神祇官から幣帛を受ける官幣社と、国司から幣帛を受ける国幣社とに分けられた。式内社では、官幣社が573社 737座、国幣社が2288社 2395座である。

 

 国幣社が設けられたのは、遠方の神社では祝部の上京が困難なためと考えられるが、遠方でも重要な神社は官幣社となっている。

 

 次が大社と小社の別である。この別はその神社の重要度や社勢によったと考えられる。官幣社・国幣社および大社・小社はすべての式内社について定められたので、式内社は以下の4つに分類されることとなる。

 

・官幣大社 - 198社 304座

・国幣大社 - 155社 188座

・官幣小社 - 375社 433座

・国幣小社 - 2133社 2207座

 

 官幣大社畿内に集中しているが、官幣小社は全て畿内に、国幣大社国幣小社は全て畿外にある。

 

 なお、近代社格制度にも同じ名称の社格があるが、式内社の社格とは意味が異なる。また、近代社格制度の社格は延喜式における社格とは無関係で、制定時の重要度や社勢に応じて定められた。

 

 式内社の中には、祈年祭以外の祭にも幣帛を受ける神社があり、社格とともに記された。

 

・名神 - 名神祭(特に霊験灼かな名神を祀る臨時祭)が行われる神社。すべて大社、よってこれらを名神大社、略して名神大ともいう。

・月次 - 月次祭(6月と12月の年2回行われる祭)に幣帛を受ける神社。

・相嘗 - 相嘗祭(新嘗祭に先立ち新穀を供える祭)が行われる神社。

・新嘗 - 新嘗祭(毎年11月に行われる1年の収穫を祝う祭)に幣帛を受ける神社。

 

4.3)論社

 式内社の後裔が現在のどの神社なのかを比定する研究は古くから行われている。現代において、延喜式に記載された神社と同一もしくはその後裔と推定される神社のことを論社(ろんしゃ)比定社(ひていしゃ)などと呼ばれる。

 

 式内社の後裔としてほぼ確実視されている神社でも、確実な証拠はほとんど無く、伝承により後裔の可能性がきわめて高い論社という扱いである。

 

 延喜式編纂時以降、社名や祭神・鎮座地などが変更されたり、他の神社に合祀されたり、また、荒廃した後に復興されたりした場合、式内社の後裔と目される神社が複数になることもある。

 

 論社には、他の研究によって後裔社だとみなされることもあるが、その神社自ら式内社だと主張することも多い。 

(追記:令和3年12月1日)


(2)一宮について


(引用:Wikipedia)

 一宮(いちのみや)とは、ある地域の中最も社格の高いとされる神社のことである。一の宮一之宮などとも書く。 

 

1 )概要

 通常単に「一宮」といった場合は、令制国の一宮を指すことが多い。一宮の次に社格が高い神社を二宮、さらにその次を三宮のように呼び、更に一部の国では四宮以下が定められていた事例もある。

 

  『「一宮」の選定とその背景』では、選定基準を規定した文献資料は無いが、一宮には次のような一定の形式があるとしている。

 

① 原則的に令制国1国あたり1社を建前にした。

 

② 祭神には国津神系統の神が多く、開拓神として土地と深いつながりを持っており、地元民衆の篤い崇敬対象の神社から選定されたことを予測できる。

 

③全て『延喜式神名帳』式内社の中から選定された1社であるが、必ずしも名神大社に限られていない。(異説あり。後述の「変遷と争い」を参照。)

 

④必ずしも神位の高きによらないで、小社もこれに与かっている。 

 

 また、『中世諸国一宮制研究の現状と課題』では、諸国一宮が少なくとも次のようなそれぞれ次元を異にする3つの側面を持つとしている。

 

①氏人や神人などの特定の社会集団地域社会にとっての守護神

 

②一国規模の領主層民衆にとっての政治的守護神

 

中世日本諸国にとっての国家的な守護神

 

 律令制において国司は任国内の諸社に神拝すると定められており、通説によると一宮の起源は国司が巡拝する神社の順番にあると言われている。律令制崩壊の後も、その地域の第一の神社として一宮などの名称は使われ続けた。

 

 現在ではすべての神社は平等とされるが、かつて一宮とされた神社のほとんどが「△△国一宮」を名乗っている。また、全ての一宮が加盟しているわけではないが、これら過去に一宮とされた神社は「全国一の宮会」を結成している。

 

 江戸時代初期の神道者・橘三喜が延宝3年(1675年)から23年かけて全国の一宮を参拝し、その記録を『諸国一宮巡詣記』全13巻として著し、これにより多くの人が一宮の巡拝を行うようになった。

 

 現在、一宮巡拝を行っている人々の集りとして「一の宮巡拝会」が結成されており、「全国一の宮会」と連携して一宮巡拝普及のイベントを行っている。 

 

2)歴史

2.1)起源

 江戸時代後期の国学者である伴信友は、天保8年(1837年)の著書 『神社私考』の中で、「一宮を定めた事は信頼できる古書類には見えず、いつの時代に何の理由で定めたか詳しく分からない」と前置きした上で

 

『延喜式神名帳』が定められた後の時代に神祇官あるいは国司などより諸国の神社へ移送布告などを伝達する神社を予め各国に1社定め、国内諸社への伝達および諸社からの執達をその神社に行わせたのではないか。また、それらの神社は便宜にまかせ、あるいは時勢によるなどして定められた新式ではないか」

 

と考察しながらも、伴信友は自説に対して「なほよく尋考ふべし」と書き添えた。 

 

 現在、一宮の起源は「国司が任国内の諸社に巡拝する順番にある」とするのが通説になっている。『朝野群載 巻22』に所収された「国務条々事」には国司が任国でなすべき諸行事や為政の心得が42箇条に渡って記されているが、この中に「神拝後択吉日時、初行政事、云々」、「択吉日始行交替政事、択拝之後、擇吉日、可始行之由牒送、云々」と言う条文があり、国司は赴任すると管内の主要神社へ参拝し、それら神社に幣を奉るのが最初の執務であるとされていた。

 

 この国司初任神拝は、同じ『朝野群載 巻22』に所収された「但馬初度国司庁宣」や「加賀初任国司庁宣」にも見ることが出来る。 

 

 『国司神拝の歴史的意義』では、10世紀末に成立した『兼盛集』に見える駿河国司富士山本宮浅間大社神拝の記述、天元5年(982年)『太政宦符案』越前国司が初任に際して越前国一宮である氣比神宮に神拝している記述、『時範記』承徳3年(1099年)2月の条において国司が因幡国一宮である宇倍神社を起点に国内諸社を巡拝している記述などをあげ、国司神拝が任国における就任儀礼として10世紀から11世紀初頭までに一般化しつつあったと述べている。

 

 その後、『中右記』の元永2年(1119年7月の条に見られるような、国司が任国へ下向しない風潮が一般化するとともに国司神拝簡略化・形式化し始め、在庁と深い関係で結ばれた主要神社に代表的な地位を与えて、その神に国司就任を認めさせることで国司神拝に換えるようになった。

 

 しかし、この様な国司神拝が生きた慣例・制度として機能したのは12世紀前半までで、その頃から在地神祇の代表であり神拝対象社の筆頭でもある一宮が、国司の礼拝を一身に教授する国鎮守としての性格を強めて、一宮の呼称が成立したのではないかと考察している。 

 

 では国司が最初に神拝する神社はどの様に選定されたのか、以下にいくつかの説を上げる。

①『「一宮」の選定とその背景』では、一宮の選定は、民衆の篤い崇敬を背景とした考え方が要因になっているとする。すなわち、民衆の一般的な崇敬を基にして起こった神社への等差的観念が「一宮」の選定と言う形になって現れ、それ故に官製の正式な文献に記録されなかったとしている。 

 

『中世成立期の軍制乱』では、「民衆の信仰を背景とする考え方」、「一般の信仰に基づいて起こった神社に対する等差的観念」が反映しているのは確かとしても、結局は国司の諸社待遇上の等差・国司の管内諸社祭祀の順位が現れたものとしている。 

 

『「鎮守神」と王権』では、一宮制の神社制度としての特質を当該期の王権との関係から考察し、中世の神祇体系は「鎮守」体系を機軸とし、国司神拝天皇の代理として「国中第一」の霊神鎮護国家の盟約更新する祭儀であり、これが後に「国鎮守」としての性格を顕在化させたのではないかとしている。 

 

 また、『国司神拝の歴史的意義』では、一宮と総社二十二社(※)との関係を考察している。それによれば11世紀から12世紀前半までの国司神拝を支えていたものは、一口で言えば「一国完結的な神社体制」と呼べるものであり、これがそのまま総社制・一宮制・諸国神名帳などを形成する基盤でもあるとしている。

 

 同書は『摂関時代における神社行政 -二十二社の成立を主題として-』が述べている、「諸社同時奉幣が11世紀の間に定例化したことにより二十二社制が成立した」との説を踏まえ、諸国の一国内完結的神社体制の形成に対応するのは、中央における二十二社体制の形成と確立ではないかと考察している。

 

 しかし、一宮制二十二社制を一括した国家祭祀体制として論じることには慎重な意見もあり、『平安期の国司祭祀と諸国一宮』では、二十二社制京都朝廷による地域限定自己完結的祭祀体制であり、国ごとの多様性をもって国衙・社家・武家の間で複雑に展開する一宮制との方向性には大きな溝があるとし、なお検討が必要ではないか、と述べている。

 

(※)二十二社

 二十二社(にじゅうにしゃ)は、神社の社格の一つ。国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受けた。平安時代後期、後朱雀天皇治世の長暦3年(1039年)に22社目の日吉社が加わり、白河天皇治世の永保元年(1081年)に制度としての二十二社が確立したとされる。京から見て遠方の神社ではなく、主に畿内の神社から選ばれた。 

 

2.2)成立時期

 通説では11世紀から12世紀にかけて成立したとされる。文献上における「一宮」称号の初見は、12世紀前半に成立したとされる『今昔物語集』に書かれた「今ハ昔シ周防ノ国ノ一宮ニ、玉祖ノ大明神ト申ス神在ス」の記述と言われている。 

 

 また、大治2年(1127年)進奏の『金葉和歌集』に見える「能因に歌よみて一宮にまゐらせて雨祈れと申ければ」との記述や、1915年(大正4年)に伯耆国一宮である倭文神社の経塚より発掘された康和5年(1103年)在銘の経筒に「山陰道伯耆國河村東郷御坐一宮大明神」の銘文があるなど、12世紀頃より文献・文書・物品に一宮の称号が入ったものが見え始めることから、前述のように10世紀から11世紀の国司神拝を起源として12世紀に確立したのではないか、とするのが通説になっている。 

 

 しかしながら、『一宮ノオト』(ノオトその17)が指摘するように、その起源が7世紀の一宮争いにあるとする相模国の国府祭伝承など、11世紀から12世紀の成立説と相容れない伝承がいくつかある。『「鎮守神」と王権』においても、一宮の成立時期には国によって懸け隔てがあり、各国の一宮は国家による法や政策を前提として一時期・一律に整備されたものとは言えないと述べている。

 

2.3)二宮、三宮

 二宮、三宮の起源も国司の神拝順とする説があるが、『時範記』に国内をぐるりと一周してくる国司神拝順路が記述されている因幡国では二宮が不詳である。それとは逆に九宮まである上野国では、地図上で一宮から九宮までを順番に線で結ぶと同じ道を行き来することになり、『一宮ノオト』では国司神拝の順路として変ではないかと指摘している。

 

 諸国における国司神拝を取り巻く状況も様々で、『中右記』の保延元年(1135年)5月6日の条には大和国司が下向神拝を拒否され、しかも大和国では国司神拝はこれまでも行われていなかったとの記述がなされている。

 

 また、『中世長門国一宮制の構造と特質』によれば、長門国では一宮と二宮を対等な存在と認めて、両社をセットとする新たな一宮体制づくりが進められたとし、その他にも能登国が一宮と二宮しかないこと、摂津住吉大社や出雲杵築大社などでは国鎮守が一つに限られていて「一宮」呼称がないことを挙げている。 

 

 このように多様な国内事情から二宮・三宮の成立状況は諸国で異なっており、後掲の「一宮の一覧」においても二宮以下が「不詳」あるいは「ない」国がいくつかある。

 

 これに関して、『「鎮守神」と王権』では、1970年代の議論以降、二宮や三宮は神祇順位の表現として一国内の政治的・社会的関係を反映したものと考えられてきた、と述べている。また、『一宮ノオト ノオトその14』では、巡詣順が一宮を決めたのではなく、一宮の存在により国司の巡詣順が決まったのではないかと考察している。 

 

2.4)変遷と争い

 『「一宮」の選定とその背景』では、民衆の一般的な崇敬を基にして起こった神社の等差的観念が競って神社に順位付けを行い、この結果、時代と共に一宮の変遷一宮争いが起こり、時には自ら僭称するものも現れたとしている。また冒頭にあげた通り、同書では一宮は全て式内社より選ばれたとし、異説に基づく社名の変更が見受けられるのは、時代による変遷や私的に僭称したことの現われであると考察した。 

 

 しかし、南北朝時代の応安8年(南朝の元号では天授元年、1375年)2月24日以前に成立したとされる卜部宿禰奥書『諸国一宮神名帳』では、陸奥国一宮鹽竈大明神豊後国一宮柞原大菩薩式外社が記載されており、全て式内社の掲載となるのは、その後の室町時代に編纂された『大日本国一宮記』とその類本からである。

 

 『「一宮記」の諸系統 -諸本の書誌的考察を中心に-』では、卜部宿禰奥書の『諸国一宮神名帳』を基に『大日本国一宮記』を編纂した際、選者は『延喜式神名帳』の式内社を強く意識したため、式外社は記載から外されたのではないかと考察している。

 

 また、『大日本国一宮記』では異なる2つの神社を同一社であるかのように記載している箇所があり、諸国の実態を把握して編纂されたかについては疑問の余地がある。

 

 以上に関わらず、諸国において「一宮の変遷」、2つ以上の神社の「一宮争い」は実際に伝えられており、以下にその具体例をあげる。

 

3)一宮の変遷

3.1)武蔵国

 武蔵国の一宮、二宮、三宮は、南北朝時代の文献と室町時代の文献で順位が入れ替わっている。武蔵国#神社(注1)および氷川神社(注2)を参照のこと。

 

(注1)一宮・三宮に関する議論(Wikipedia 武蔵国#神社

 

 一宮以下については諸説ある。『神道集』以外の文献は以下の通り。

 

・『吾妻鏡』(鎌倉時代) - 「多磨郡吉富に一宮」の記述。・・・小野神社

 

・『大日本国一宮記』(室町時代) - 一宮として氷川神社

 

・『武乾記』(江戸時代) - 二宮として金鑚神社

 

 これらを基に、室町時代以降に氷川神社小野神社に替わって一宮の地位を確立したのではないかとする説や、『延喜式神名帳』に「氷川神社:名神大社、小野神社:小社」とあることから、平安中期から氷川神社が上位にあるとする説がある。しかし現在のところ、氷川神社を一宮とする史料は中世までの間では見つかっていない。

 

 総社の大國魂神社(六所宮)では、『神道集』(南北朝時代)に記載される「武州六大明神」を基にして、一宮:小野神社、二宮:二宮神社、三宮:氷川神社、四宮:秩父神社、五宮:金鑽神社、六宮:杉山神社を公式としている。

 

(注2)一宮・三宮に関する議論(Wikipedia氷川神社)

 氷川神社自体は「武蔵一宮 氷川神社」の社標を掲げているが、武蔵国内における氷川神社の位置付けには、一宮と三宮の2説がある(「武蔵国#神社」も参照)。 

 

 平安時代中期の『延喜式神名帳』では氷川神社を「名神大社」と記しているものの、現在のところ、中世まで氷川神社を「一宮」とする資料は見つかっていない。

 

 鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、現在の東京都多摩市に所在する小野神社(延喜式神名帳では「小社」)を指すと思われる「多磨郡吉富に一宮」の記述があり、平安時代の内に、すでに社格の逆転があったとも考えられる。

 

 武蔵国総社である東京都府中市の大國魂神社(六所宮)では、南北朝時代に編纂された『神道集』を基にして、武蔵国内の一宮から六宮までを「武州六大明神」として祀っており、公式に「一宮」を小野神社、「三宮」を氷川神社としている。現在も大國魂神社の例大祭(くらやみ祭・武蔵国府祭)の祈祷に、氷川神社の神官が「三宮」として参じている。

 

 一方、室町時代後半に編纂されたと思われる『大日本国一宮記』は氷川神社を一宮とした。上記を基に、室町時代以降に当社が小野神社に替わって一宮の地位を確立したとする説がある。

 

氷川女躰宮

 これとは別に「氷川女躰宮」が一宮ともされている。主祭神は奇稲田姫命 ( 須佐之男命の妻)。大宮(さいたま市大宮区)の氷川神社(主祭神:須佐之男命)「男体社」とし、それに対し当社は「女体社」にあたる。配祀神として、三穂津姫命大己貴命を祀っている。

 

 近世の文書や拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されている。これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社(簸王子社)の三社を一体のものとして、大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したものである。

 

 また、江戸時代に橘三喜がここから巡拝を始めたという一の宮巡り発祥の地であり、それらのことから現在は、氷川神社と共に「全国一の宮会」に加盟している。

 

3.2)越中国

 越中国は能登国を併合・分立しており、その際に一宮に変遷があった。越中国#総社・一宮(注3)射水神社(注4)および気多神社(注5)を参照のこと。

 

(注3)総社・一宮(越中国#総社・一宮)

・総社:不明

・一宮: 射水神社、気多神社、高瀬神社、雄山神社

 

 能登国が越中国の一部であった時代、越中国の一宮は現在の気多大社であったが、能登国を分立する際に二宮であった射水神社が越中国一宮とされた。

 

 白山比咩神社の社伝『白山記』には、「二神(射水神社)が元々の一宮であったが、新気多(気多神社)に一宮を取られた」とあり、気多大社から分祀して国府の近くに新たに創建された気多神社(新気多)が力をつけ、二上と新気多とが勢力争いをした結果、新気多が勝って一宮を名乗るようになったということになる。

 

 延喜式の写本における名神大社の異同もこの勢力争いの結果によるものとみられる。ただし、気多神社は新しく作られた神社ということで、名神大社でありながら射水郡の最後に書かれている。

 

 後に気多神社の社勢が衰え、また、平安時代末の一時、国府が礪波郡に移された関係から、礪波郡の高瀬神社(南砺市高瀬)が一宮を名乗るようになった。室町時代の『大日本国一宮記』では越中国一宮は「礪波郡の氣多神社」としているが、これは同じく大己貴命を祭神とする気多神社と高瀬神社を混同したものとみられる。

 

 一宮について各国一社のみを記す書籍では、大日本国一宮記の地名の記載の方を正として、越中国の一宮は高瀬神社と記しているものが多い。だからと言って高瀬神社のみが一宮であるということでもない。江戸時代に全国の一宮を巡拝した橘三喜は、「越中の一宮は礪波郡にあるらしいが、それらしき社は見えず」とし、射水と気多にのみ参って高瀬には参っていない。

 

 中世に書かれた『神道集』では、越中一宮は立山権現(雄山神社(立山町))であると記されている。これは中世以降の立山信仰の普及に伴い、その中心地である立山権現が一宮とみなされたものとみられる。現在では射水・気多・高瀬・雄山の4社ともが「越中国一宮」とされ、全国一の宮会に加盟している。

 

(注4)射水神社

 

  

          拝殿                    鳥居

(引用:Wikipedia)

 

 千妙聖人が著述したものに、長寛元年(1163年)白山中宮の長吏隆厳が私注を加えて成立したと伝えられる『白山之記』には、聖武天皇の治世である神亀年間に越中国から能登国が分立した際、越中国二宮であった当神社が一宮になったこと、その後、越中国に新気多(気多神社)が奉祝されると、新気多と当神社の間に一宮争いが起こり、当神社が無力の間に新気多が一宮になった、との記事がある。

 

 延長5年(927年)には『延喜式神名帳』へ記載され、式内社となった。『延喜式神名帳』では越中国射水郡の式内13社を大社1座・小社12座としているが、当神社は『延喜式』写本のうち「出雲本」において名神大社と記載されている。

 

 しかし、「宮内省図書寮本」や『延喜式』最古の写本である「九条本」では気多神社が名神大社と記載されている。これについて、一般的に「出雲本」は誤記とみなされ、現在は「宮内省図書寮本」や「九条本」を支持して気多神社を名神大社する説が有力となっている、と『日本の神々 -神社と聖地- 8 北陸』では述べている。しかしながら、『延喜式』の「名神祭」の項には、気多神社も当神社も記載が無い。

 

 橋本芳雄は『式内社調査報告 第17巻』で上記に対し異説を唱えている。それによれば、大伴家持が越中国国守として在勤したのは、ちょうど能登国が越中国に合併されていた時期で、大伴家持の歌日記のごとき『万葉集』の巻17、巻18、巻19には当時の様子が詳細に詠われているにもかかわらず、越中国府の間近にあったはずの気多神社に関する記述が全く見えないのは、この頃まだ気多神社が存在していなかったことを暗示しているのではないか、と推定している。

 

 その上で、気多神社が『延喜式神名帳』で名神大社とされながら、射水郡式内社13座の最後に配列されているのは、創立年次が最も新しいことを暗示しているのではないか、と推察した。さらに同書では、当神社を名神大社とする「出雲本」が古い時代の形を留めており、『白山之記』にある一宮争いの記事などから、本来の名神大社は当神社であったのが、国府に近い気多神社が、天平宝字元年(757年)前後に気多大社から分祠された後、国府の権力を背景に名神大社を獲得したのではないか、と推測している。

 

 六国史を通覧した際も、当神社や高瀬神社が6度登場するのに対し、気多神社は全く記載がなく、『日本の神々 -神社と聖地- 8 北陸』では「不思議な現象と見るべきであろう。」と述べている。

 

(注5)気多神社

 

  

           社殿                 境内入り口

(引用:Wikipedia)

 能登国は養老2年(718年)に越前国より分立し、天平13年(741年)に越中国へ合併された後、天平宝字元年(757年)に再び分立しているが、林喜太郎 『伏木一宮気多神社』によれば、天平13年(741年)から天平宝字元年(757年)までの17年間は、社格からみて羽咋郡の気多大社が全越中の一宮だったはずであり、従って国府の所在地であった当所に分霊されたのは天平宝字元年(757年)前後のことであろうとしている。

 

 『高岡市史』では、能登国が越中国に合併されていた時代、国司が着任もしくは定期的に参詣しなければならない国内随一の大社は、当然に羽咋郡の気多大社であったが、国府から遠すぎるため国府近くに遥拝所が設けられ、能登国分立後に独立の神社になったのではないかとしている。

 

 『越中国式内等旧社記』には、能登国が越中国から分立した後、能登国の気多大社を勧請して創建されたので「新気多明神」と言う、と述べられている。この「新気多」と言う名称は、後述の『白山之記』にも見える。

 

 その他、林喜太郎『伏木一宮気多神社』では、社記にある元正天皇の御代である養老2年(718年)に行基により創建されたとする伝承を紹介しているが、これは射水神社の別当養老寺が開山したことを模したもので、当神社が養老2年に行基により創建されたとする資料は見当たらない、と述べている。 

 

 『中世諸国一宮制の基礎的研究』においても『式内社調査報告書』の「天平宝字元年(757年)に越中国から能登国を分立する際、能登国の気多大社から分霊を勧請したものであろうとする説が有力である」との記述を紹介している。

 

 千妙聖人が著述したものに、長寛元年(1163年)白山中宮の長吏隆厳が私注を加えて成立したと伝えられる『白山之記』には、聖武天皇の御代に越中国から能登国が分立した際、越中国二宮であった二神(二上神、射水神社を指すと言われる)が一宮になったこと、その後、越中国に新気多(当神社)が奉祝されると、当神社と射水神社の間に一宮争いが起こり、射水神社が無力の間に当神社が一宮になった、との記事がある。

 

 延長5年(927年)には『延喜式神名帳』へ記載され、式内社となった。『伏木一宮気多神社』では、当神社が正しく史上に現れたのはこの頃である、と述べている。 『延喜式神名帳』の頭注によれば、延暦3年(784年)3月3日正三位の神階に叙せられ、延喜8年(908年)8月16日官幣に預かったとされる。

 

 『延喜式神名帳』では越中国射水郡の式内13社を大社1座・小社12座としているが、当神社は「宮内省図書寮本」や『延喜式』最古の写本である「九条本」で名神大社と記載されている。しかしながら、「出雲本」においては射水神社が名神大社と記載されている。これについて、一般的に「出雲本」は誤記とみなされ、現在は「宮内省図書寮本」や「九条本」を支持して当神社を名神大社する説が有力となっている、と『日本の神々 -神社と聖地- 8 北陸』では述べている。

 

 しかしながら、『延喜式』の「名神祭」の項には、当神社も射水神社も記載が無い。

 橋本芳雄は『式内社調査報告 第17巻』で上記に対し異説を唱えている。それによれば、大伴家持が越中国国守として在勤したのは、ちょうど能登国が越中国に合併されていた時期で、大伴家持の歌日記のごとき『万葉集』の巻17、巻18、巻19には当時の様子が詳細に詠われているにもかかわらず、越中国国府の間近にあったはずの当神社に関する記述が全く見えないのは、この頃まだ当神社が存在していなかったことを暗示しているのではないか、と推定している。

 

 その上で、当神社が『延喜式神名帳』で名神大社とされながら、射水郡式内社13座の最後に配列されているのは、創立年次が最も新しいことを暗示しているのではないか、と推察した。さらに同書では、射水神社を名神大社とする「出雲本」が古い時代の形を留めており、『白山之記』にある一宮争いの記事などから、本来の名神大社は射水神社であったのが、国府に近い当神社が、天平宝字元年(757年)前後に気多大社から勧請された後、国府の権力を背景に名神大社を獲得したのではないか、と推測している。

 

 六国史を通覧した際も、同じ越中国の射水神社や高瀬神社が6度登場するのに対し、当神社に関する記載は全く無く、『日本の神々 -神社と聖地- 8 北陸』では「不思議な現象と見るべきであろう。」と述べている。『高岡市史 上巻』においても、軽々しく判断はできないと前置きした上で、勧請の由来などから考えて「出雲本」に従うのが妥当ではないか、と考察している。

 

3.3)備前国

 備前国では同国内で唯一の名神大社に列せられた安仁神社が一宮となるはずであったが、天慶2年(939年)に起きた天慶の乱において同社が藤原純友方に味方したため、一宮の地位を朝廷から剥奪されたとされ、その地位は隣国の備中国一宮たる吉備津神社(岡山市吉備津)より分祀のうえ備前国に創建された吉備津彦神社(岡山市一宮)に移ったと伝えられる。備前国#国府・一宮(注6)などを参照のこと。

 

(注6)延喜式内社

『延喜式神名帳』には、大社1座1社・小社25座20社の計26座21社が記載されている。大社1社は以下に示すもので、名神大社である。

・延喜式内社:邑久郡 安仁神社

・比定社:安仁神社(岡山市東区西大寺)

 

●総社・一宮以下 『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧。

・総社:備前国総社宮(岡山市中区祇園、位置)

・一宮:吉備津彦神社(岡山市北区一宮、位置)

・二宮:安仁神社(岡山市東区西大寺、位置) - 一説に二宮(根拠史料なし)

 

以上のほか、石上布都魂神社(赤磐市石上)(注7)も「全国一の宮会」に加盟して一宮を主張する。三宮以下はない。 

 

(注7)石上布都魂神社

 

  

            拝殿                  本宮(奥の院)

(引用:Wikipedia)

 石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)は、岡山県赤磐市にある神社。式内社、備前国一宮。旧社格は郷社。

 

〔祭神〕現在の祭神は以下の1柱。素盞嗚尊

 明治時代までは、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの剣である布都御魂と伝えられていた。明治3年(1870年)の『神社明細帳』では神話の記述に従って十握剣と書かれている。

 

 大正三年に公刊された『大和志料』が収録している「石上振神宮略抄」という資料には、

布留宿禰は春日臣と同祖にて、天足彦国押人命七世孫米餅搗大使主命の三子、市川臣は十三代成務天皇の御世に、石上振神の乞言によりて物部連に代て神宮の神宝を治しめ神府の典やくに補す。仍て物部首の氏姓を賜う。

 

 十七代仁徳天皇御宇、市川臣に勅して吉備神宮に祭る天羽々斬剣を石上振神宮に遷し蔵め加え祭る云々。

となっている。

 

〔歴史〕

 上述の十握剣を祀ったのが当社の創始と伝えられる。この剣は仁徳天皇の時代に大和国の石上神宮へ移されたとされており、このことは石上神宮の社伝にも記されている。

 

 『延喜式神名帳』では小社に列し、備前国総社神名帳では128社中2位に正二位布都魂神社と記載されている。寛文9年(1669年)、岡山藩主池田光政が山頂にあった小祠を復興した。次代綱政は延宝2年(1674年)社領20石を寄進し、宝永7年(1710年)に社殿・神楽殿を造営した。その後も歴代の藩主の崇敬を受けた。

 

 明治6年(1873年)に郷社に列した。祭神を素盞嗚尊に変更したのはこのときと見られる。明治40年(1907年)、大火で山頂の社殿が焼失し、大正4年(1915年)に中腹の現在地に再建された。昭和21年(1946年)1月10日、内務省より由諸などから県社となるべき資格ありと認定されたが、この年の2月2日に社格制度が廃止された。

 

 山上にある本宮(奥の院)が、昭和59年(1984年)2月18日に赤磐市史跡(指定当時は旧吉井町)に指定された。 

 

4)一宮争い

4.1)相模国

 7世紀の相武(さがむ)と師長(しなが、「磯長」とも表記する)の合併により相模国が成立した際、相武と師長のいずれの一宮を相模国一宮とするかで争いが起きた。国府祭(こうのまち)(注8)および川勾神社(注9)を参照のこと。

 

(注8)国府祭(要約)

 六所神社の神領地であった大磯町国府本郷の神揃山で5月5日に行われる祭礼。平安時代に相模国内の主要五神社を国府に近い柳田大明神に併せ祀って総社六所神社とした故事によるとされ、以下の神社が参加している。なお平塚八幡宮を除き、『延喜式神名帳』に記載されている延喜式内社である。

 

 一宮:寒川神社 (寒川町)/二宮:川勾神社 (二宮町)/三宮:比々多神社 (伊勢原市)/四宮:前鳥神社 (平塚市)/五宮:平塚八幡宮(平塚市)

 

 祭事は、一宮から五宮の神輿が集合するところから始まる。五社の入山後に祭典が催され、正午からは祭事の中心と言われる「座問答(ざもんどう)」の神事が始まり、一宮・寒川神社と二宮・川勾神社が席次を争い、三宮・比々多神社が「決着は翌年に」と仲裁を入れて終了する象徴劇のようなものが演じられる。

 

 一般的には、相武(さがむ)と磯長(しなが)という2つの国を合併して相模国ができた際、相武国最大の神社である寒川神社と磯長国最大の神社である川匂神社、そのどちらを合併後の相模国一宮にするかで起こった論争の様子が、国府祭の座問答になったと言われている。

 

(注9)川勾神社

 

  

          拝殿と参道                    鳥居

(引用:Wikipedia)

 川勾神社(かわわじんじゃ)は、神奈川県中郡二宮町山西に鎮座する神社。

 『延喜式神名帳』に小社と記載された相模国の延喜式内社十三社の内の一社で、同国二宮ともされる。「二宮町」の名は二宮である当社にちなみ、古くより「二宮大明神」、「二宮明神社」とも称される。

 

 当社は旧相模国の伝統的な祭事である国府祭(こうのまち)で知られ、祭の中心的な儀式「座問答」は相武(さがむ)と磯長(しなが)をあわせて相模国となったときに、寒川神社と当社のいずれを相模国一宮とするかで争った故事によるものとされる。

 

4.2)出羽国

 鳥海山を御神体とする出羽国一宮では、全山への影響力を確保する争いが登山口にある里宮の間で起こった。鳥海山大物忌神社(注10)を参照のこと。

 

(注10)大物忌神社

 

  

          山頂にある御本社           神体山とされた霊峰鳥海山

(引用:Wikipedia)

 鳥海山頂の本社と、麓の吹浦(ふくら)と蕨岡の2か所の口之宮(里宮)の総称として大物忌神社と称する。出羽富士、鳥海富士とも呼ばれる鳥海山を神体山とする。当社は鳥海山の山岳信仰の中心を担ってきており、平成20年(2008年)3月28日に神社境内が国の史跡へ指定されている。

 

〔祭神〕

・「大物忌大神」:主祭神。記紀には登場しない神で、謎が多い。『神祗志料』や『大日本国一宮記』では、大物忌大神と倉稲魂命が同一視されている。

・「豊受姫命」

・「月読命」 - 吹浦口之宮で祀られている

 

 鳥海山は、古代には国家の守護神として、また古代末期からは出羽国における山岳信仰の中心として現在の山形県庄内地方や秋田県由利郡および横手盆地の諸地域など周辺一帯の崇敬を集め、特に近世以降は農耕神として信仰されてきた。

 

〔一宮論争〕

●吹浦、蕨岡の論争

 吹浦の信徒は蕨岡の信徒が行っていたような、鳥海山中での修行は行わず、山上に祀られている鳥海山大権現を、月山大権現をとともにふもとに勧請し、両所宮として祀り、神宮寺で行事を行うなどしていた。吹浦からの登拝は行っていたものの、山頂の権現堂には関与しなかったため、蕨岡の信徒に比べると勢力的に弱かった。

 

 蕨岡の宗徒社人は山上の鳥海山大権現の学頭別当と称し、直接山上に奉仕しており、この考え方の違いがお互いに反目する原因となっていたが、蕨岡宗徒が吹浦からの登山者を差し止めたことから両者の論争となり、承応3年(1654年)ついに庄内藩や江戸寺社奉行に訴えが出された。幕府検使の臨検の後、明暦元年(1655年)に次の判決が出た。

 

① 訴えのあった守札の書付について、吹浦は鳥海山と書いていた証拠が無いので両所山と書き、蕨岡は大堂のある松岳山と書いていた証拠があるので松岳山と書くこと。

 

② 吹浦からの登山者を蕨岡は差し止めないこと。

 この裁断の後、山上に直接奉仕しているのは蕨岡宗徒であると言う認識が確定的なものとなり、山頂社殿の建替や嶺境争い等の山頂に関連した論争に吹浦は感知しない状態となってしまった。

 

●蕨岡、矢島の御堂建替の論争

 修験道には紀伊の熊野に始まった順峰と逆峰の2つの法式があるが、鳥海山においては蕨岡が順峰、矢島と滝沢が逆峰を称し、古来より順逆両部勤行の霊山として修行が行われていた。それにもかかわらず、矢島と滝沢の間に逆峰名称の論争が起き、また蕨岡と矢島の間には順逆の論争が発生した。

 

 この状況により滝沢は蕨岡の援助を得て逆峰院主を矢島から奪ったが、延宝6年(1678年)矢島は論争のすえ逆峰院主を取り戻した。これにより矢島と滝沢の逆峰院主の論争は終結し、また蕨岡と矢島も順逆お互いの法式を相犯さないと確認した。

 

 しかし元禄14年(1701年)山頂社殿建替えの話が上がると、矢島は逆峰側で建替えるのが至当であると、本山である三宝院に総代3名を送って陳訴した。これに対し三宝院は順逆両方で申し合わせのうえ相勤めよとの和解書を蕨岡へ出したが、これまで一山を取り仕切り、山頂社殿を建替えてきた蕨岡はこれを不服として三宝院へ訴状を出した。その後、順逆双方から書類を出し、同年11月に三宝院鳳閣寺より次の裁断が下された。

 

① 山頂社殿を順逆宗徒が交互に造営する理由は見当たないので、これまで通り順峰側が建替えること。

 

② 順峰が鳥海山龍頭寺の寺号を最近名乗り始めたとのことであるが、順峰側では古来より名乗っている寺号とのことであった、よって逆峰側が更なる証拠を見つけてから申し出ること。

 

③ 山頂社殿の天和2年(1682年)の棟札を遊佐郡から飽海郡へ書き換えているのは、幕府の命に従った為である。

 

④ 嶺境は行政の領分なので当方では裁断できない。後日判明した際に双方より申し立てること。それまでは従来の通りにすること。

 

⑤ 鳥海山は古来より順逆両部の山であるので、今後も順逆申し合わせのうえ古例のごとく勤仕すること。

 

 この裁断により一旦は息を潜めたかに見えた順逆の論争であるが、山頂社殿建替後の遷宮式において矢島の群衆が棟札を奪い取る事件が発生し、再燃することとなる。

 

●蕨岡、矢島の嶺境の論争

 建替え論争に破れた矢島宗徒は、三宝院が「嶺境は行政の領分なので後日申し立てること」としたことを以って嶺境の訴訟を起こした。しかしながら嶺境問題は宗徒間のみならず庄内藩と矢島藩にとっても重大問題であることから、最後は両藩が相争う状態となって行く。

 

 元禄16年(1703年) 三宝院鳳閣寺はこれまでの建替論争の経過に付帯文書を添え、さらにその顛末を述べて幕府寺社奉行所に裁決を出願した。寺社奉行所では審理の末、嶺境は不明だが『日本三代実録』に大物忌神社が飽海郡山上にあることが明記されているので、棟札は飽海郡と書くのを妥当とし、嶺境は不問とするよう裁決を出した。

 

 この裁決に矢島宗徒は従わず、それに加え、この問題が重大な国境問題となる矢島藩が領内百姓の名を以って寺社奉行に訴え出た。ここに至り寺社奉行はこの問題を重大事と判断して評定所の審理に移した。評定所は庄内の修験百姓に答弁書提出を命じ、翌宝永元年(1704年)庄内修験百姓等は答弁書を提出した。

 

 これに対し矢島宗徒は吹浦宗徒の主張を利用し、大物忌神社は吹浦に遷座しており現在の山頂社殿は由利郡に属するものであると主張、追訴した。評定所は現地に検使を派遣して検分と共に聞き取り調査を行い、かつ双方の修験百姓を江戸に呼び出し吟味した結果、同年9月次の判決を言い渡した。

 

①『日本三代実録』の記述どおり山頂社殿を大物忌神社とし、山頂社殿の所在する場所は飽海郡とする。

 

② 西は笙野岳腰より稲村岳の8分に亘り、東は女郎岳の腰までをもって郡境と定める。

 これにより、由利郡側山腹(秋田側山腹)の7合目より以南が飽海郡になった。 また、この判決に関し、いくつかのいざこざが庄内藩と矢島藩の間に起こったと言われる。

 

●吹浦の一宮名号使用の訴願

 宝永元年(1704年)の評定所の判決以降、山上に直接奉仕しているのは蕨岡宗徒であると強く認識されるようになり、その勢力は増して行った。勢力の増大により、蕨岡宗徒は山頂社殿を出羽国一宮大物忌神社、蕨岡を鳥海山表口別当、吹浦を末社と称するに至り、吹浦大物忌神社は全く蕨岡に奪われたも同然の状態となってしまった。

 

 宝永4年(1707年)社家の進藤曾太夫邦實はこれを嘆き、回復を計らんとして一宮の名号を吹浦に許されることを庄内藩に訴願した。鶴岡の寺社奉行が吟味した結果、太夫の訴願は幕府の嶺境裁断において山頂社殿を大物忌神社とした際の判決を戻すとして、「公義御裁許破り」の罪名で太夫を出羽一国追放にした。 

 

4.3)越中国

 白山比咩神社に伝わる『白山之記』には、能登国を分立後に越中国一宮となった射水神社と気多大社から分祠された気多神社の間で一宮争いが起きたと記されている。射水神社および気多神社を参照のこと(前述「注4」&「注5」参照) 

 

4.4)佐渡国

 佐渡国では度津神社別当神宮寺と畑野町一宮神社別当慶当寺の間に一宮論争が起こった。度津神社(注11)を参照のこと。

 

(注11)度津神社

 度津神社は、佐渡市羽茂飯岡にある神社。式内社、佐渡国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。『中世諸国一宮制の基礎的研究』によれば、文化13年(1816年)に度津神社別当神宮寺と一宮神社別当慶当寺の間に一宮論争が起こったのだという。同書では、その結果として度津神社別当神宮寺が勝訴し、以後は佐渡国一宮といえば度津神社と言われるようになったのだ、と述べている。 

 

4.5)肥前国

 肥前国では千栗八幡宮が一宮とされていたが、慶長7年(1602年)に後陽成天皇が與止日女神社を一宮とする勅額を下したことから両社の間で60年にわたる紛争が起こった。千栗八幡宮(注12)および與止日女神社(注13)を参照のこと。

 

(注12)千栗八幡宮

 千栗八幡宮は、佐賀県三養基郡みやき町にある神社。肥前国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。平安時代後期より肥前国一宮を称してきたが、近世になって式内社・河上神社(現 與止日女神社)との間で一宮の称が争われた。

 

(注13)與止日女神社

 與止日女神社は、佐賀市にある神社。式内社、肥前国一宮で、旧社格は県社。平安時代には、肥前国では田島坐神社(現 田島神社)が安全航海の神として崇敬され、神階も当社より上で『神名帳』では肥前国唯一の大社に列していた。しかしながら遣唐使の廃止もあってその地位は低下し、代わって中世以降は国衙に近い当社の地位が高まり、肥前国一宮として崇敬されたという。

 

 弘安の役(1281年)では與止日女大神の神霊が敵の船を摧いたと伝えられる。慶長7年(1602年)に後陽成天皇が「大日本国鎮西肥前州大一之鎮守宗廟河上山正一位淀姫大明神一宮」と書いた勅額を下した。すなわち当社が肥前国一宮であるとするものであるが、千栗八幡宮も肥前国一宮とされていたことから、両社の間で60年にわたる紛争が起こった。 

 

4.6)薩摩国

 薩摩国においては一宮が未確定であったが、蒙古襲来に際し、一宮において「異国降伏祈祷」を行うよう鎌倉幕府から命じられたことをきっかけに、新田神社と枚聞神社の間で薩摩国一宮相論が開始された。新田神社および枚聞神社)を参照のこと。 

 

5)一宮制研究史

 1983年(昭和58年)に発表された『国司神拝の歴史的意義』の序文において、一宮関係の史料は決して多いとは言えず、地域的にも偏りがあるため、諸国一宮の性格を統一的には把握できていない、と述べられていた。

 

 その後、一宮制研究は前進し、2000年(平成12年)に出版された『中世諸国一宮制の基礎的研究』の冒頭、『中世諸国一宮制研究の現状と課題』によれば、現在までのところ、研究史は大まかに以下の3つに区分できるとしている。 

 

【神社史・神社制度史の観点からの研究】

 幕末から1960年代までの研究で、『神社思考』を著した伴信友から、『神道史』を著した宮地直一の戦前・戦後の研究に代表されるもの。

 

【封建領主権力(国衙・幕府守護)による政治的イデオロギー支配の観点からの研究】

 1960年代末以後、上記の研究を克服する形で提起されたもの。

 

【地域史や宗教史・都市史・国家史などの多様な観点からの研究】

 1980年代以後に進められた、上記2つの研究成果を新たな観点から総括し直し、その上に立った多様な視点から一宮制の全面的な解明を目指すもの。 

 

 しかし、この様な研究史を経たためか、『「鎮守神」と王権』にあるのように、神社制度として一宮制の基本軸を確立してから諸国一宮を論じるべきではないかとする考え方。『中世長門国一宮制の構造と特質』にあるように、諸国一宮の実態を明らかにすることで、一宮制の普遍的側面を明確にしようとする考え方など、現在も研究者によって方向性に違いが見られる。 

 

 さらに、『中世諸国一宮制研究の現状と課題』では、一宮制の研究には、以下3つの「困難性」があるとする。 

①そのイデオロギー構造が、諸国の地域的特性や歴史的特質から離れては意味を持たなくなるという、独自の性格を持っていること。

 

②各国で史料に偏在があり、また史料の公開に制約があること。

 

③研究成果が地域史や神社史として、特定地域内において発表されることが多いため、一般の研究者の目に触れにくいこと。 

 

 これらを踏まえ、同文では、今後の一宮制研究の課題として以下5つを指摘している。 

①個別一宮の研究、基礎的研究の蓄積。

 

②各国一宮の比較史的検討と、それを踏まえた各一宮の地域的・歴史的特殊性と普遍性との統一的把握。

 

③一宮の基本的性格と諸類型の明確化。

 

④中世諸国一宮制の成立から解体に至るトータルな歴史過程の解明。

 

⑤中世諸国一宮制の歴史的位置の解明。 

 

5)地名と一宮

 一宮の神社の附近は「一宮」(一之宮、一の宮など)という地名になっている場合がある。

「全国一の宮巡拝会」が発行する『諸国一の宮一覧図』2008年10月版に記載されている106社の内、現住所の中に一宮(一之宮、一の宮などを含む)とあるものは17社、一宮は無いが神社の名前が住所に含まれているもの(諏訪市、鹿嶋市など)26社、前記いずれにも含まれないが「宮」の字が付くもの(大宮、宮内、宇都宮など)が16社ある。

 

 上記は「全国一の宮会」加盟社のみの記載なので、多摩市一ノ宮に鎮座する小野神社や糸魚川市一の宮に鎮座する天津神社などは含まれていない。また「全国一の宮会」加盟社の中にも、伊弉諾神宮のように現住所が津名郡一宮町多賀であったものが、2005年(平成17年)の5町合併により淡路市多賀へ住所変更となり、現住所から「一宮」の地名が無くなってしまった神社がある。

 

 鹽竈神社社誌の『鹽社由来追考』および『別当法蓮寺記』には、塩竈の地名は鹽竈神社の神器に由来すると記されている。また、現代においても1995年(平成7年)茨城県鹿嶋市が、鹿島町から市制に移行する際に市名を鹿島神宮の古書表記に因んで決めており、一宮の存在が地名に影響を与えることは少なくなかったと思われる。


(3)諸国一宮以下一覧


(3-1)諸国一宮以下一覧(畿内)

   ①山城国  ②大和国  ③河内国  ④和泉国  ⑤摂津国

 

(3-2)諸国一宮以下一覧(東海道)

   ①伊賀国  ②伊勢国  ③志摩国 ④尾張国  ⑤三河国⑥遠江国  ⑦駿河国  ⑧伊豆国  ⑨甲斐国 

   ⑩相模国  ⑪武蔵国  ⑫安房国  ⑬上総国 ⑭下総国  ⑮常陸国

 

(3-3)諸国一宮以下一覧(東山道)

  ①近江国  ②美濃国  ③飛騨国  ④信濃国  ⑤上野国 ⑥下野国   ⑦陸奥国   ⑧出羽国  ⑨津軽国 

   ⑩陸中国  ⑪岩代国  ⑫蝦夷国  ⑬渡島国 (渡島支庁)⑭渡島国(檜山支庁)⑮石狩国(石狩支庁)

   ⑯石狩国(空知支庁) ⑰北見国  ⑱十勝国  ⑲釧路国 

 

(3-4)諸国一宮以下一覧(北陸道)

  ①若狭国  ②越前国  ③加賀国  ④能登国  ⑤越中国  ⑥越後国 ⑦佐渡国

 

3-5)諸国一宮以下一覧(山陰道)

  ①丹波国  ②丹後国  ③但馬国  ④因幡国  ⑤伯耆国 ⑥出雲国 ⑦石見国 ⑧隠岐国

 

(3-6)諸国一宮以下一覧(山陽道)

  ①播磨国  ②美作国  ③備前国  ④備中国  ⑤備後国 ⑥安芸国  ⑦周防国  ⑧長門国

 

(3-7)諸国一宮以下一覧(南海道)

  ①紀伊国  ②淡路国  ③阿波国  ④讃岐国  ⑤伊予国 ⑥土佐国

 

(3-8)諸国一宮以下一覧(西海道):  ①筑前国  ②筑後国  ③豊前国  ④豊後国 

   ⑤肥前国  ⑥肥後国  ⑦日向国  ⑧大隅国  ⑨薩摩国  ⑩壱岐国  ⑪対馬国


(引用:Wikipedia)

 各令制国の一宮の一覧。一宮を称する神社は多いが、本節では歴史的に一宮とされる神社のみを掲載する。

 

(凡例)

①底本は『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)。

 

②『中世諸国一宮制の基礎的研究』において史料上で一宮と見える神社を太字で記載。加えて、同書で言及される神社・他の二次史料に見える神社を普通字で記載。二宮以下は普通持で記載。表記はいずれも現在における社名。神社由緒にのみ見える神社、郷・荘園の一宮と考証される神社は含まない。

 

③「社格」の式内社式内社の別(例:名神大は名神大社、大は式内大社(名神大社除く)、小は式内小社、式外は式外社、「近代」は近代社格制度での社格の別(例:官大は官幣大社、国中は国幣中社、「別表」は別表神社単立神社の別を表す。(※ここでは略せずフルで記載)

 

④一の宮会のうち、「加盟」は「全国一の宮会」加盟社、「非加盟」は非加盟社。「他」は同国で歴史的な一宮とは言えないが加盟している神社がある場合。

 

⑤二宮以下の底本は『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)。史料に見えない神社は括弧を付して記載。神社由緒にのみ見える神社、郷・荘園の二宮以下と考証される神社は除外。  

 

※勅祭社勅祭社(ちょくさいしゃ)とは、祭祀に際して天皇により勅使が遣わされる(これを勅祭という)神社のことである。ただし、毎年五大祭(月次祭を除く)に勅使が遣わされる伊勢神宮は別格とされて勅祭社に含めない。 

 

※神体山:神体山(しんたいさん)とは主に神道において神が宿るとされる山岳信仰や神奈備(かむなび・神々が神留まる森林を抱く山)の山をいう。

 また、「霊峰」とも呼ばれ、霊峰富士とされる富士山が代表的なものである。また峠や坂という小さな峰も神域や神が宿る場所とし畏怖畏敬された。 

 

※以下のタイトル神社名のリンクは、Wikipediaの当該神社へリンクしています。

 

※参考Webサイトは、「神社公式サイト」及び「玄松子の神社記憶」(個人HP)にリンクしています。


(3-1)諸国一宮以下一覧(畿内)


①山城国 ②大和国 ③河内国 ④和泉国 ⑤摂津国


(引用:Wikipedia)

①山城国

●〔一宮〕賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)(京都市北区)式内社(名神大社)旧官幣大社

     (別表神社) 二十二社  勅祭社  加盟

・〔祭神〕賀茂別雷大神 ・〔神体〕神山(神体山)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

〔一宮〕賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ) (京都市左京区 )式内社(名神大社)旧官幣大社

      (別表神社)二十二社 勅祭社 加盟

・〔祭神〕玉依姫命賀茂建角身命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下は不詳) 

 

(参考)〔二社一体の一宮〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 山城国は賀茂別雷神社賀茂御祖神社 の二社が一宮となっている。これは武蔵国のように一宮に変遷があったためではない。二社が一体なものとして一宮の地位にあったのである。こうした扱いは賀茂社の成り立ちに由来している。

 

 賀茂社の由緒としては、『釈に本紀』に載せられている『山城国風土記』逸文が良く知られている。それによると、・・・

 

「賀茂氏の娘、玉依媛が川遊びをしていると、上流から丹塗りの矢が流れてきた。これを家に持ち帰り床に立てておくと、媛は矢に感応して妊娠し、男の子を産んだ。

 

 やがて、その子が成人を迎えた時、玉依媛の父の賀茂建角身は宴を催し、孫に『お前の父と思われる者に盃を献じよ』と言った。

 

 すると、その子は盃を持ったまま、天井を破って天に昇っていった。ここからこの神のことを外祖父の姓ををとって賀茂別雷命と呼ぶようになった。

 

 また、丹塗りの矢は乙訓の郡(長岡京市)の社に鎮座する火雷神である。この神話から上賀茂には火雷神の御子神とされる神が、下鴨にはその母神と外祖父が祭られていることが分かる。

 

 なお、この話の前段で賀茂建角身が、神武天皇を熊野から大和に案内した神だとしており、ここから『古事記』『日本書紀』の神話に登場する八咫烏と同一視されている。」 

 

大和国

●〔一宮〕大神神社(おおみわじんじゃ)(奈良県桜井市)式内社(名神大社)旧官幣大社

     (別表神社)二十二社 加盟

・〔祭神〕大物主大神 〔神体〕三輪山

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下はなし) 

 

参考〔三輪山をめぐる二つの神話〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 大神神社は三輪山を御神体とする神社である。この山に鎮座する神が大和朝廷にとって重要な存在であったことは、「記紀」の神話にたびたび語られていることからも推察される。

 

 それらのなかでも朝廷との関係を知るうえで重要と思われるのが、次の二つの神話である。

 

 一つは、国土開発の協力者である少彦名命が常世の国に去ってしまったた落胆していた大国主神(大己貴神)の前に、海を照らしながら現われたというものだ。

 

 その神(大物主神)は大国主神に、「わたしのことをよく祀るのならば、ともに国造りを行ってあげよう。そうしなければ、国造りは成し遂げられないぞ」と言った。そこで大国主神がどのように祀ればよいかを尋ねると、「大和にある青々とした山に祭るとよい」と答えたので、この神を御諸山(三輪山)に鎮座させたという。『日本書紀』は、大物主神は大国主神に対して「私はお前の幸魂・奇魂なり」と言ったと伝えている。

 

 もう一つは、第10代天皇の崇神天皇の御代の話とされる。当時、疫病が大流行し、国の民がみな死に絶えてしまいそうな事態となった。その理由を知ろうと天皇が占いの床で眠ったところ、大物主神が夢に現れて、「疫病は我が意思によるものである。子孫の意富多多泥古(おおたたねこ)に祭らせれば祟りはやむだろう」と言った。そこで意富多多泥古を探し出して祀らせると、疫病は収まり、国に平安が訪れたという。 

 

③河内国

●〔一宮〕枚岡神社(ひらおかじんじゃ)(大阪府東大阪市)式内社(名神大社)旧官幣大社別表神社)加盟

・〔祭神〕天児屋根命比売御神経津主命武甕槌命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕恩智神社(おんぢじんじゃ)(大阪府八尾市)式内社(名神大社)旧府社

・〔祭神〕大御食津彦大神(大御食津彦命)大御食津姫大神(大御食津姫命)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)一宮〕片埜神社大阪府枚方市)式内社(小社)旧郷社 (称)河州一之宮 交野郡一宮

・〔祭神〕建速須佐之男大神菅原道真

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下はなし) 

 

参考〔春日大社の本宮〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 枚岡神社は平岡神社とも書き、中臣氏(後の藤原氏)の氏神社であった。社伝によると、即位前の神武天皇が国土平定のために東征していた折、天種子命に命じて神津嶽に中臣氏の祖神の天児屋根命・比売御神の二神を祀らせたのが始まりとされる。山麓の現地に移されたのは白雉元年(650)のことだという。

 

 神護景雲2年(768)に天児屋根命・比売御神の分霊を奈良の春日山に移し、鹿島神宮の武甕槌命と香取神宮の経津主命と合祀して春日大社を創建したのに伴って、当社にも武甕槌命・経津主命が祀られた。しかし、春日大社が藤原氏の氏神社として発展し、京に大原野神社(春日大社の分霊を祀った神社)が創建されたこともあって、しだいに藤原氏の氏神社としての性格は薄れていった。

 

④和泉国

●〔一宮〕大鳥大社(おおとりたいしゃ)(大阪府堺市西区)式内社(名神大社)旧官幣大社別表神社)加盟

・〔祭神〕日本武尊大鳥連祖神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕泉穴師神社(いずみあなしじんじゃ)(大阪府泉大津市)式内社(小社)旧府社

・〔祭神〕天忍穂耳尊栲幡千千姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕聖神社(ひじりじんじゃ)(大阪府和泉市)式内社(小社)旧府社

・〔祭神〕聖大神(大年神の御子神)(社家説:瓊々杵尊・天照大神・饒速日命・木花開耶姫命・磐長姫命)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔四宮〕積川神社(つがわじんじゃ)(大阪府岸和田市)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕生井神栄井神綱長井神阿須波神波比岐神(※)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔五宮〕日根神社(ひねじんじゃ)(大阪府泉佐野市)式内社(小社)旧府社

・〔祭神〕鸕鷀草葺不合尊玉依姫尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔ヤマトタケル神話の神社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 和泉国は一宮制が発展しており、五宮まであった。これら五社(大鳥大社泉穴師神社聖神社積川神社日根神社)は和泉国五社と呼ばれ、一体となって活動していた。

 

 その中心となってきた大鳥神社は、日本武尊伝説の伝承地の一つだ。日本武尊は景行天皇の皇子ので、日本神話随一の英雄神。九州の熊襲などを平定したが、伊吹山の神の祟りにあって三重の能褒野に没したという。死後、その魂は白鳥になったとされ、この地に舞い降りたと伝えられる。

 

 しかし、本来はこの地を本貫(本籍地)とする大鳥連の祖神を祀る神社で、そこにヤマトタケル信仰が採り入れられたものだろう。なお、大鳥連祖神は天児屋根命の子孫という。

 

⑤摂津国

●〔一宮〕住吉大社(すみよしたいしゃ)(大阪市住吉区)式内社(名神大社)旧官幣大社 別表神社)二十二社 加盟他

・〔祭神〕底筒男命・中筒男命・表筒男命神功皇后

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔全国一の宮会〕坐摩神社大阪府大阪市)式内社(大社)旧官幣中社(別表神社)

・〔祭神〕坐摩神(生井神、福井神、綱長井神、波比岐神、阿須波神の総称)(※)

・〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下はなし) 

 

※)座摩神(引用:Wikipedia抜粋)

*座摩神(いかすりのかみ/ざまのかみ)(坐摩神)は、神祇官西院において祀られた次の5柱の神の総称。

 生井神/福井神(栄井神)/綱長井神/波比祇神(婆比支神)/阿須波神

 

*平安時代の宮中(平安京大内裏)では、神祇官西院において「御巫」と称される女性神職、具体的には大御巫2人(のち3人)・座摩巫1人・御門巫1人・生島巫1人により重要な神々が奉斎されていた。座摩神はそれらのうち座摩巫(いかすりのみかんなぎ)によって祀られた神々である。

 

*「いかすり」は「居処領(いかしり)」または「居所知」の転と見られ、総じて宮所守護の神々とされる。生井神・福井神・綱長井神は井戸の神々であるが、井泉をもって宮殿の象徴とする様は『万葉集』の「藤原宮御井歌」にも見える。波比祇神・阿須波神については具体的には明らかでないが、『古事記』においては大年神と天和迦流美豆比売の間に生まれた御子神としており、宮中の敷地を守る神々とされる。『古語拾遺』では、これら座摩神を「大宮地の霊(おおみやどころのみたま)と記している。

 

*神祇官西院では、最重要視される大御巫8神は八神殿に東向きで祀られていたが、他の座摩巫5神・御門巫8神・生島巫2神は北庁内に南向きで祀られたと見られる。座摩神について『延喜式』では祈年祭祝詞・六月月次祭祝詞・神名帳に記述が見えるが、いずれも大御巫8神に次ぐ2番目に位置づけられている。

 

*関連社:神殿(宮中3殿の一つ)福長神社(京都市上京区)福井神・綱長井神の祭祀)坐摩神社(大阪市中央区)(難波宮での座摩神祭祀)生魂神社(大阪市天王寺区)生島神・足島神の祭祀)足羽神社(福井市)(5神を「大宮地の霊」として祭祀)

 

(参考)〔三柱からなる海の神〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 住吉大社及び各地の住吉神社で祀られる住吉大神は三柱の神の総称である。

 

 『古事記』によると、黄泉国から戻った伊弉諾尊がケガレを落とすために海で禊を行った時に、海の底で底筒男命、中ほどで中筒男命、海面で表筒男命を生んだという。しかし、個々に個性があるわけでなく、住吉神という一つの神格として活動する。一人の老人として描かれることもある。

 

 誕生神話からもわかるように海の神で、もとは九州の海洋族が進行していた神と思われる(筑前国一宮である福岡市の住吉神社は全国の住吉神社のなかでもっとも古いとされ、住吉大社の古記録においても住吉大神を「筑紫大神」と呼んでいるものがある)。


(3-2)諸国一宮以下一覧(東海道)


①伊賀国 ②伊勢国 ③志摩国 ④尾張国 ⑤三河国 ⑥遠江国 ⑦駿河国 ⑧伊豆国 ⑨甲斐国

⑩相模国 ⑪武蔵国 ⑫安房国 ⑬上総国 ⑭下総国 ⑮常陸国


(引用:Wikipedia)

 伊賀国 

●〔一宮〕敢国神社(あえくにじんじゃ)(三重県伊賀市)式内社(大社)旧国幣中社別表神社)加盟

・〔祭神〕大彦命(8代孝元天皇の第1皇子、四道将軍の一人で北陸に派遣)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕小宮神社(おみやじんじゃ)(三重県伊賀市)式内社(小社)旧村社

・〔祭神〕呉服比賣命(機織の神)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕波多岐神社(はたきじんじゃ)(三重県伊賀市)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕大鷦鷯尊(16代仁徳天皇)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(参考)〔「あべ」一族の祖神をまつる〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 敢国神社の主祭神である大彦命は孝元天皇の皇子で、崇神天皇によって四方に派遣された四人の将軍(四道将軍)の一人とされる。北陸・東海を平定したのち、一族の者とこの地に住み着き、地名をとって阿拝(あえ)氏を名乗ったという。各地の「あべ」(阿部・安倍・安部)氏はその子孫とされ、敢国神社は「あべ」一族の総祖神といわれている。

 

 しかし、大彦命が正式に祭神になったのは明治7年(1874)のことで、一宮に選ばれた中世期には少彦名命金山比咩命を祀る神社と考えられていたようだ。

 

 少彦名命は大国主命とともに国土を開発した神であるが、この地では渡来系氏族の秦氏が崇敬していたという。

 

 金山比咩命は美濃国一宮の南宮大社(金山彦命を祀る)より神託により分霊を迎えたのだという。美濃から金工の技術集団が移り住むといった事情が背景にあるのかもしれない。

 

②伊勢国

●〔一宮〕椿大神社(つばきおおかみやしろ)(三重県鈴鹿市) 式内社(小社)旧県社(別表神社)加盟 

・〔祭神〕猿田彦大神(神話の神:邇邇芸命天降りのとき天の八衢で道案内をした神)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕都波岐神社(つばきじんじゃ)・奈加等神社(なかとじんじゃ)三重県鈴鹿市)式内社(小社)

     旧県社 加盟

・〔祭神〕都波岐神社:猿田彦大神/奈加等神社:天椹野命中筒之男命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕多度大社(たどたいしゃ)(三重県桑名市)式内社(名神大社)旧国幣大社(別表神社) 

・〔祭神〕天津彦根命(神話の神:アマテラスとスサノオの誓約の際に天照大御神の玉から生まれた男神5柱のうちの1柱)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下はなし)

 

(参考)〔ふたつの「つばき」神社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

  伊勢国は伊勢神宮の鎮座地である。伊勢神宮は全ての神社の上に立つ存在であるが、皇位の継承に関わる別格の神社であったため一宮の対象外であった。

 

 その一方で、伊勢国の大部分を治めていた(全13郡中、8郡が神宮の所領である神郡とされた)ため、一宮制度はあまり機能しなかったと思われる。

 

 そういったなかにあって、伊勢国の一宮は「つばき」神社だというのが、近世以降の定説であった。しかし、それがどの神社かについては、議論があった。伊勢国には「つばき」と名のつく神社が二つあったからだ。たとえば、『大日本国一宮記』には「都波岐神社 猿田彦神也 伊勢河曲郡」とあるが、『一宮巡詣記』を書いた橘三喜は椿大神社を一宮としている。

 

 椿大神社は鈴鹿山系の中央に位置する入道ヶ嶽(高山)を神体山とする古社で、社伝によれば垂仁天皇27年に創建されたという。

 

 いっぽう都波岐神社は雄略天皇23年の詔により奈加等神社とともに創建されたとする古社で、『延喜式』では小社として記録されている。

 

 なお、明治時代に奈加等神社と合併したため、現在は都波岐奈加等神社が正式な社号になっている。

 

③志摩国

●〔一宮〕伊雑宮(いざわのみや)(三重県志摩市)式内社(大社)論社 神宮・別宮 加盟

・〔祭神〕天照坐皇大御神御魂

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕伊射波神社(三重県鳥羽市)式内社(大社)論社 無格 加盟

・〔祭神〕稚日女尊伊佐波登美命・玉柱屋姫命・狭依姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下はなし) 

 

(参考)〔伊射波神社は伊雑宮か〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 志摩国の一宮に関するもっとも古い記録は『大日本国一宮記』の「伊射波神社 志摩答志郡」とあるものだという。「伊射波」は「いざわ」と読むと思われるが、志摩国には二つの「いざわ」神社が存在し、いずれもが一宮を称していた。

 

 その一つが伊雑宮であるが、ここは伊勢神宮内宮の別宮である。天照大神遥宮とも呼ばれており、本来は神宮の遥拝所であったと思われる。一方、伊射波神社は古くは加布良古神社と呼ばれており、それ以前は荒前神社と呼ばれていたらしい。

 

 このことについては岩田貞雄しは「志摩国に一宮が二社あった理由の確たる資料はないが、伊雑宮が伊勢神宮の別宮兼官社であったから、民社で同じ祭神の当社を一宮にせざるをえない状況がしょうじたからか、または神領再興を叫ぶ伊雑宮神人に手をやく鳥羽藩が、伊雑宮への対抗上、また神人の優越感を削ぐ意味で、もう一つの一宮をつかったのかもしれない」(全国一宮祭礼記)としている。

 

④尾張国

●〔一宮〕真清田神社(ますみだじんじゃ)(愛知県一宮市)式内社(名神大社)旧国幣中社別表神社)加盟他

・〔祭神〕天火明命天忍穂耳命と高木神の娘万幡豊秋津師比売命との間に生まれた子、天孫族の祖)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕大縣神社(おおあがたじんじゃ)(愛知県犬山市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)

・〔祭神〕大縣大神(尾張開拓の祖、国狭槌尊・天津彦根命・少彦名命等諸説あり)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕熱田神宮(あつたじんぐう)(愛知県名古屋市)式内社(名神大社)旧官幣大社(別表神社)

・〔祭神〕熱田大神 ・〔神体〕草薙神剣(草薙剣)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔なぜ熱田神宮が三宮か〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 『日本書紀』『尾張国風土記』などが伝える伝説によれば、熱田神宮は日本武尊宮簀媛に預けていった草薙神剣を神体とする社で、東海の代表的な大社である。

 

 かって尾張で「宮」といえば熱田神宮のことを意味した。東海道の宮宿はまさに熱田神宮の門前町であった。神位神階も常に国のトップで、真清田神社・大縣神社がこれに続いた。

 

 三種の神器の一つが神体となっている(宮中に安置されている草薙剣は熱田神宮の身体の分霊とされる)ことや、一代一度大神宝奉献(天皇の代替わりごとに行われた特別な奉献)を尾張国で唯一受けていたことなどを考えると一宮になる資格は十分持っていたと思える。それにもかかわらず三宮に甘んじていたのはなぜだろうか。

 

 このことについて井上寛司氏は次のように考察されている。「尾張国の場合、最初から一~三宮が定められたのではなく、はじめは一・二宮のみであったが、その後改めて熱田社が三宮に定められたと考えられることである。

 

 (略)尾張国の場合、最初から熱田社を別格として除外した上で、一宮制が成立したのではないかということである。(略)恐らく熱田社では同社が尾張一国規模を超えた、十六社・二十二社にも準ずべき全国的な神社(国家的鎮守)だという自負心があり、尾張国衙もまたこうした認識を共有していたのであろう。」(『日本中世国家と諸国一宮制』)

 

 説得力のある説であるが、真清田神社も単に繰り上がっただけではなく、一宮に選ばれるそれなりの理由があったものと思われる。

 

⑤三河国 

●〔一宮〕砥鹿神社(とがじんじゃ)(愛知県豊川市)式内社(小社)旧国幣小社別表神社)加盟

・〔祭神〕大己貴命 ・〔神体〕本宮山(神体山)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶里宮奥宮

 

●〔二宮〕知立神社(ちりゅうじんじゃ)(愛知県知立市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕鸕鶿草葺不合尊・彦火火出見尊(父・山幸彦)・玉依比売命(后)・神日本磐余彦尊(子)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕猿投神社(さなげじんじゃ)(愛知県豊田市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕大碓命(12代景行天皇の皇子) ・〔神体〕猿投山(神体山)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔四宮〕石巻神社(愛知県豊橋市)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕大己貴命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶  

 

(参考)〔三河全体で信仰された本宮山〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社) 

 社伝によれば、砥鹿神社の祭神・大己貴命(大国主命)は各地をめぐったのちに三河国の本宮山に鎮座し、三河一帯を開発したという。

 

 この本宮山の山頂に建てられた社が砥鹿神社の始まりであるが、大宝年間(701~704)に里宮が本宮山南麓に建てられたとする。現在も本宮山山頂に奥宮、南麓に里宮があり、この二社を総じて砥鹿神社と呼ぶ。本宮山に点在する巨大な磐座(巨石の信仰遺跡)はその信仰が古代にさかのぼることを示しており、伝承を裏書きしている。

 

 いわば本宮山は砥鹿神社の神体山的存在なのであるが、信仰は砥鹿神社の勢力範囲に限らず、三河全体に及んでいる。とくに中世以降は修験者がその信仰を広めたらしい。興味深いのは、その際に三宮の猿投神社などとセットで霊験譚が説かれたらしく、「足助八幡宮縁起」には次のような話が載っている。

 

 本宮山には怪異なものが三種類出現した。一つは猿の形、もう一つは鹿の姿、さらにもう一つは鬼の姿であった。すなわち、猿形は猿投大明神、鹿形は砥鹿大菩薩、鬼形は熊野より回国修行の旅に出た修験者である。

 

 修験者はともかく、他の神社の祭神が根本聖地というべき場所に出没するということは、通例では考えられないことだ。砥鹿神社と猿投神社の祭神は親子といった深い関係にあるとおもわれていたのであろうか。あるいは、砥鹿神社の神職が鹿、猿投神社の神職が猿、熊野修験者が鬼に扮して行う儀礼でもあったのかもしれない。(以下、略) 

 

⑥遠江国

●〔一宮〕小国神社(おくにじんじゃ)(静岡県周智郡森町)式内社(小社)旧国幣小社別表神社) 加盟

・〔祭神〕大己貴命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)(静岡県掛川市)式内社(小社)旧県社 加盟

・〔祭神〕己等乃麻知媛命(天児屋命の母)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕鹿苑神社(ろくおんじんじゃ)(静岡県磐田市)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕大名牟遅命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕二宮神社(にのみやじんじゃ)(静岡県湖西市)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕大物主神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下はなし) 

 

(参考)〔二つずつある一宮と二宮〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 遠江国の一宮制度はなかなかやっかいだ。一宮と二宮がそれぞれ二社ずつ存在し、三宮以下は存在していない。越中国のように四社が一宮の地位を主張し合っている国も珍しいが、こうしたケースも珍しい。

 

 どうやらこのような形になったのは、四つの神社が地位を争った結果ではなく、元から成立していた一宮・二宮に対して、あらたに勢力を得た二社が我々こそが一宮・二宮に相応しいと主張したことにあるらしい。このことについて湯之上隆氏は小杉達氏の「遠江国一宮考」という論文をもとに次のように述べている。

 

「当社(事任八幡宮のこと、引用者注)を一宮とするは『三河国花祭祭文』を除き、吉田家系統の書で、中世末以来、吉田家が権威を高め、神社界を支配するようになったこと、また当社が東海道沿いに位置していたことから、中央に知られ、権威づけのため吉田家に一宮認定を依頼したことによると考えられる。」(『中世諸国一宮制の基礎的研究』「遠江国」)

 

(中略)湯之上氏らの説が正しいとするならば、中央における神道界の権力構造の変化が、地方の神祇組織の再編を招いた例といえよう。

 

⑦駿河国

●〔一宮〕富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)(静岡県富士宮市)式内社(名神大社)

     旧官幣大社 別表神社)加盟 

・〔祭神〕木花之佐久夜毘売命 (別称 : 浅間大神)・〔神体〕富士山(神体山)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶奥宮

 

●〔二宮〕豊積神社(とよつみじんじゃ)(静岡県静岡市)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕木之花佐久夜毘売命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕御穂神社(みほじんじゃ)(静岡県静岡市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕大己貴命三穂津姫命(同左妻)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔富士山信仰と浅間神社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 「浅間」というと長野県と群馬県の県境にある浅間山のことを連想しがちだが、人を寄せつけない荒々しい山のことを表わす言葉で、主に富士山のことをいった。今でこそ富士山は悠然とそびえる霊峰として受け取られているが、古代の人々にとってはいつ噴火するかわからない猛々しい火の山であった。高橋虫麻呂も「燃ゆる火を之もち消ち、降る雪を火もち消ちつつ」(『万葉集』)と呼んでいる。

 

 いったん噴火すれば麓はもちろん、近隣にまで灰や噴石を飛ばして大きな被害を出すことになるので、朝廷もその動静には注目をしていた。そして、噴火したという報告があれば、奉幣などを行って神の怒りなだめ、一日も早い収束を願った。富士山本宮浅間大社の創建も大規模な噴火がきっかけであったという。

 

 『富士山本宮浅間記』によると、孝霊天皇の御代に大きな噴火があり、人々が離散したため周辺の土地がすっかり荒れ果てるという事態が起こった。これを憂えた垂仁天皇は富士山麓で浅間大神を祀らせることにした。これが富士山本宮浅間大社の始まりとされる。

 

 富士山を鎮めるために建てられた社は富士宮市の浅間大社だけではない。噴火のたびに富士山麓に社が建てられ、祭祀が行われた。貞観6年(864)の噴火の際には、甲斐国の国司に浅間神社(甲斐国一宮の浅間神社のことだと思われる)への奉幣が命じられ、それでも被害が広まっているとわかると八代郡や山梨郡にも浅間神社が建立されることとなった。

 

 室町時代になると噴火活動も収まってきたので、信仰登山が盛んになった。山岳修行者はもちろん、庶民も白衣に身を包んで山頂を目指した。山麓の神社はそうした信仰登山の拠点とされ、人々はそこで禊を行ってから山に入った。

 

(参考)〔富士山本宮浅間大社の歴史〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

『富士山本宮浅間記』は神社が現在地に遷座したのは大同元年(806)のことだとする。平城天皇の勅命を受けた坂上田村麻呂が社殿を築いたのだという。

 

 『延喜式』では名神大社に列せられ、神階も永治元年(1141)には正一位の極位に達した。

 武家の信仰も篤く、とくに源頼朝・北条義時・武田信玄・武田勝頼・徳川家康ほ熱心に信仰した。現在の本殿・拝殿・楼門は家康が造営したものである。

 

 その本殿は寄棟造の社殿の上に流造の社殿が載るという特異な構造をしており、浅間造と呼ばれている。近世以前の本殿で二階建てとする例はほかになく、富士山を模したのではないかともいわれている。

 

⑧伊豆国 

●〔一宮〕三嶋大社(みしまたいしゃ)(静岡県三島市)式内社(名神大社)旧官幣大社 別表神社)加盟

・〔祭神〕大山祇命積羽八重事代主神(大国主神の子)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕若宮神社(静岡県三島市)三嶋大社の境内摂社

・〔祭神〕物忌奈乃命(三嶋神の子)、誉田別命(応神天皇)、神功皇后、妃大神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕浅間神社(せんげんじんじゃ)(のち二宮)(静岡県三島市)式内社(小社)論社 

・〔祭神〕木花開耶姫命・波布比売命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔四宮〕廣瀬神社(静岡県三島市)神階帳「従一位 廣瀬明神」、伊豆国四宮

・〔祭神〕倉稲魂命(食物の神、別称・稲荷大明神)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)三宮〕楊原神社(静岡県三島市)神階帳「従一位 やきわらの明神」、伊豆国三宮か

・〔祭神事代主命大山祇命

・〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)五宮〕日隈神社(静岡県三島市 )神階帳「正五位上 角の明神」、伊豆国五宮か

・〔祭神〕大己貴命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔惣社も兼ねた一宮〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 伊豆国の一宮制度は三嶋大社によって統制されていたといっていい。二宮・三宮が三嶋大社の摂社的存在であった上に、三嶋大社が惣社も兼ねていたからだ。

 

 三嶋大社は『延喜式』にきされた住所(賀茂郡三嶋郷)から平安初期には伊豆半島南部に鎮座していたと考えられるが、平安後期には現在地に遷座していた。おそらく惣社としての機能を果たすために国衙の近くに移転したのだろう。

 

 伊予国一宮の大山祇神社から遷座した社という説が唱えられたこともあるが、これは大山祇神社が大三島神社とも呼ばれることからの混同と思われる。

 

 現在の祭神は山の神である大山祇命と漁業と商売の神で恵比寿神と同体とされる事代主命であるが、もともとは航海の安全を守る海の神を祀っていたと思われる。伊豆に流されていた源頼朝が信仰していたこともあって武家の守護神としても崇敬された。

 

(参考)〔二宮となった三宮〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 伊豆国の二宮は二宮八幡宮という名の神社で、地主神を祀っていたという。現在の三島市西若町にあったと推定されているが、衰微したため三嶋大社の境内に移され、若宮として祀られている。現在の祭神の物忌奈乃命は三嶋大神の御子神。

 

 この二宮移転消滅に伴って、三宮であった浅間神社が二宮として扱われるようになっている。浅間神社は富士山信仰の神社で、三嶋大社の別宮であったとされる。

 

⑨甲斐国

●〔一宮〕浅間神社(あさまじんじゃ)(山梨県笛吹市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕木花開耶姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕美和神社(みわじんじゃ)(山梨県笛吹市)式外社 国史見在社 旧県社

・〔祭神〕大物主命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕玉諸神社(たまもろじんじゃ)(山梨県甲府市)式内社(小社)論社 旧県社

・〔祭神〕國魂大神命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔四宮〕甲斐奈神社(山梨県笛吹市)式内社(小社)論社 旧村社 甲斐国総社

・〔祭神〕彦火火出見尊大己貴命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)一宮〕河口浅間神社(山梨県南都留郡富士河口湖町)式内社(名神大社)論社 旧県社

・〔祭神〕浅間大神木花開耶姫命、天津彦彦火瓊瓊杵尊、大山祇神

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)一宮 〕一宮浅間神社(山梨県西八代郡市川三郷町)式内社(名神大社)論社 旧村社

・〔祭神〕木花咲耶姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔荒ぶる富士山を祀る〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

  『甲斐国志』によると、甲斐国には浅間(あさま)神社が3社、浅間(せんげん)神社が19社、小室浅間(おむろせんげん)神社が6社あった(斎藤典男「一宮浅間神社」『日本の神々』第10巻)

 

 いかに富士山信仰が盛んであったかがわかるが、古代においては富士山は駿河国に属すると考えられており、その祭祀も駿河国の浅間神社が行なうものとされていた。

 

 しかし、大噴火があると、そうも言っていられなかった。『三代実録』貞観6年(864)8月5日の条などによると、富士山の大噴火は駿河国浅間神社の神職の怠慢によるものだという甲斐国の国司の申請を朝廷が受け付け、甲斐国でも祭祀を行うよう命じ、翌年に浅間明神祠が建てられたのだという。甲斐国一宮の浅間神社の由緒も、この記録を裏書きするものとなっている。(以下、略) 

 

⑩相模国

●〔一宮〕寒川神社(さむかわじんじゃ)(神奈川県高座郡寒川町)式内社(名神大社)旧国幣中社

     (別表神社)加盟他

・〔祭神〕寒川比古命・寒川比女命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕川勾神社(かわわじんじゃ)(神奈川県中郡二宮町)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕大物忌命級長津彦命級長津姫命衣通姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕比々多神社(ひびたじんじゃ)神奈川県伊勢原市)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕豊国主尊天明玉命・雅日女尊・日本武尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔四宮〕前鳥神社(神奈川県平塚市)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕莵道稚郎子命大山咋命日本武尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔全国一の宮会〕鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)式内社(名神大社)旧官幣中社(別表神社)

・〔祭神〕応神天皇・比売神・神功皇后

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

●〔(称)五宮〕平塚八幡宮(神奈川県平塚市)旧県社 別表神社 相模国国府八幡宮

 ・〔祭神〕応神天皇神功皇后武内宿禰命

 〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)五宮〕有鹿神社(神奈川県海老名市)式内社(小社) 旧郷社

・〔祭神〕有鹿比古命有鹿比女命大日靈貴命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶  

 

(参考)〔一宮から四宮が顔を揃える国府祭〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 5月5日に大磯町国府本郷の神揃山で行われる国府祭は、一宮制度を考える上でとても興味深い祭事である。というのは、この祭には一宮から四宮の神輿が揃い、更に相模国の惣社である六所神社の神霊も迎えられるからである。なかでも「座問答」と呼ばれる神事が面白い。

 

 これは「一之宮寒川神社と二之宮川勾神社の社人が、「神座」を意味する虎の皮を上座へ上座へと三度敷き合い、お互いに一ノ宮を主張、決着が着かず、三之宮比々多神社の「いずれ明年まで」との仲裁で神事はおわります」(寒川神社公式ホームページ)というもので、相武と磯長を合して相模国とした時、相武の一宮であった寒川神社と磯長の一宮であった川勾神社が相模国の一宮の地位を争ったという故事に基づくとされる。

 

 相模国が成立したのは7世紀であるから、この伝説をそのまま信じるわけにはいかないが、四社と惣社が一体となって活動していることがよくわかる祭事である。

 

 建久3年(1192)北条政子の安産祈願が行われた時にも、幕府は一宮から四宮二祈禱を命じており、古くから四社が一体のものとして考えられていたことがわかる。

 

 ちなみに、大磯町は国衙があった場所で、祭では大磯町長が国司役を演ずる。

 

⑪武蔵国

●〔一宮〕小野神社(おのじんじゃ)(東京都多摩市)式内社(小社)旧郷社 非加盟他

・〔祭神〕天下春命瀬織津比咩命伊弉諾尊素盞嗚尊・大己貴大神・瓊々杵尊・彦火火出見尊・倉稲魂命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕氷川神社(ひかわじんじゃ)(埼玉県さいたま市)式内社(名神大社)旧官幣大社

     (別表神社)勅祭社 加盟他

・〔祭神〕須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命

・〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕二宮神社(東京都あきる野市)旧郷社

・〔祭神〕国常立尊 

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

〔二宮〕(金鑚神社)(五宮参照)

・〔祭神〕(五宮参照)

〔参考Webサイト〕(五宮参照)

 

●〔三宮〕氷川神社(一宮参照)

・〔祭神〕(一宮参照)

〔参考Webサイト〕(一宮参照)

 

●〔四宮〕秩父神社(埼玉県秩父市)式内社(小社) 旧国幣小社(別表神社)知知夫国新一の宮

・〔祭神〕八意思兼命・知知夫彦命・天之御中主神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔五宮〕金鑚神社(一説に二宮)(埼玉県児玉郡神川町)式内社(名神大社)旧官幣中社(別表神社)

・〔祭神〕天照大神・素戔嗚尊〔神体〕御室山(神体山)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔六宮〕杉山神社(※)式内社(小社)旧郷社 論社多数(横浜市・川崎市・町田市・稲城市)

・〔祭神〕主に五十猛神(スサノオの子)や日本武尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔全国一の宮会〕氷川女体神社(埼玉県さいたま市)(称)武蔵国一宮  式内社(小社)郷社

・〔祭神〕奇稲田姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 ※その他のサイト

 

●〔(称)一宮〕小野神社(東京都府中市)式内社(小社)論社 旧郷社

・〔祭神〕天下春命瀬織津比賣命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔忘れられた一宮〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 現在、武蔵国の一宮は埼玉県さいたま市の氷川神社だということが通説になっている。これは近世においても同様で、『大日本国一宮記』も『一宮巡詣記』も一宮は氷川神社であるとしている。しかし、本来の一宮は東京都多摩市一ノ宮の小野神社で、氷川神社は三宮であったらしい。このことは『吾妻鏡』や『神道集』(南北朝の成立)の記述からも確認できる。

 

 実は、神格からいえば名神大社である氷川神社の方が式内小社の小野神社より高く、一宮にふさわしい。それにもかかわらず三宮とされたのはなぜか。それについて釈迦堂光浩は次のように推定している。(『中世諸国一宮制の基礎的研究』)

 

 「一宮から六宮の分布は、中世初頭に形成された武蔵七党などと呼ばれる党的武士団の分布に強く影響されたものと考えられる。すなわち、一宮⇒横山党・西党、二宮⇒西党、三宮⇒野与党・足立党、四宮⇒丹党・猪俣党、五宮⇒児玉党、六宮⇒横山党である。

 (略)このような状況の下、国司あるいはその目代は、在庁官人や在地領主連合(党)を掌握するための一つの方策として、これらの神社を一宮制の下に編成したのであろう」

 

 しかし、室町時代に入って関東でも内乱が続くようになると、一宮制度を支えてきた旧来の権力構造が揺らぎ、宗教的秩序が解体していったのである。そうした中で小野神社が総社の大国魂神社への依存度を高め末社化していったのに対し、氷川神社は戦国武将の崇敬を集めて名実ともに一宮になっていったのである。

 

 ちなみに、小野神社は、武蔵開拓の祖神・天ノ下春命を祀っている。近年は「武蔵国一宮」と刻まれた社号標も立ち、再び一宮としての自覚を強めているようである。

 

⑫安房国

●〔一宮〕安房神社(あわじんじゃ)千葉県館山市)式内社(名神大社)旧官幣大社(別表神社)加盟他 

・〔祭神〕天太玉命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔全国一の宮会〕洲崎神社(すざきじんじゃ)(千葉県館山市) 式内社(大社)旧県社

・〔祭神〕天比理乃咩命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 *その他のサイト

 

●〔(称)二宮〕洲宮神社(千葉県館山市)式内社(大社)論社 旧県社

・〔祭神〕天比理乃咩命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(二宮以下は不詳) 

(参考)〔忌部氏が結ぶきずな〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 安房国と阿波国。名前が似ているのにはわけがある。いずれも忌部氏によって開拓された土地とされるのである。そのため、両国とも忌部氏の祖神を祀っている。

 

 「忌部氏は、天太玉命の子孫がその本宗となり、配下に、天日鷲命を祖と仰ぐ阿波忌部氏手置帆負命を祖と仰ぐ讃岐忌部氏彦狭知命を祖と仰ぐ紀伊忌部氏櫛明玉命を祖と仰ぐ出雲の玉作氏天目一箇命を祖と仰ぐ筑紫・伊勢の忌部氏などがいた。これ等配下の忌部氏を率いた本宗忌部氏は、幣帛の調進や宮殿建設儀礼に従事した。」(『新道事典』)

 

 このうちの阿波忌部氏が海を渡って安房国に渡ったと伝えられるのである。この伝説は『古語拾遺』にくわしい。それによると、さらなる沃土を求めた天富命阿波忌部氏の一部を率いて房総に渡り、ここに麻と穀物を植えたのだという。そして、「天富命は即ち其の地に於い太玉命の社を立つ。今の安房の社を謂う。」とする。この社が安房神社だとされる。 

 

(参考)〔洲崎神社が一宮か〕(引用:「三宮諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 ところが 、近世には館山市洲崎に鎮座する洲崎神社が一宮だとする説が流布していた。この説はかなりの信憑性をもって広まっていたらしく、洲崎神社には松平定信の筆になる「安房国一宮大明神」の扁額が残されている。

 

 これは洲崎神社も忌部氏によって創建されたという由緒をもち、天太玉命の妃神である天比理乃咩命を祀っていることから安房神社と混同されたことによるものらしい。「安房神社、洲崎大明神と号す。」(『大日本一宮記』)、「安房一宮安房郡洲崎神社、本社安房正一位大神宮、天太玉命」(『一宮巡詣記』)としている文献もある。

 

 大林太良氏は、安房神社と洲崎神社が夫婦神を祀ることから二社が一対の関係に在り、二社揃って一宮であったのではないかとしている。興味深い説であるが、裏付ける資料が無いので、ここでは「(洲崎神社が一の宮とされたのは)西岬に一宮道があったことからの誤謬」という『館山市史』の説をとっておく。

 

⑬上総国

●〔一宮〕玉前神社(たまさきじんじゃ)(千葉県長生郡一宮町)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕玉依姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕橘樹神社(たちばなじんじゃ)(千葉県茂原市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕弟橘比売命 ・〔神体〕弟橘比売命墳墓

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕三之宮神社(千葉県長生郡睦沢町)旧郷社

 ・〔祭神〕

 〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔玉を祀る社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社) 

 上総国の一宮制度には疑問は呈されていないようだ。

 上総国の一宮制度を考える上で重要なのが、9月13日に玉前神社で行われてきた上総12社祭である。この祭は「ご祭神玉依姫とその一族の神々が由縁の釣ヶ﨑海岸で年に1回再会されるという壮大な儀礼」(玉前神社公式ホームページ)で、大同2年(807)に創始されたと伝えられる。今は参加しない神社や祭事の日程を変えた神社もあるが、かっては近隣12ヶ村の神輿が終結をした。その中には二宮の橘神社(橘樹神社)や三宮の三之宮神社も含まれていた。

 

 ただし、橘樹神社には、「8月13日の祭礼には戦国期まで二宮荘の75の社の神輿が集まったが、戦国の世となり、世情も混乱し、社壇も炎上したため中止したが、近世に城主酒井定隆の時に復活した」とする宝暦5年(1755)に書かれた古記録が残されている(高村隆「上総国」『中世諸国一宮制の基礎的研究』)ので、地域ごとに同様の祭が行われていた可能性もある。

 

 玉前神社は宝玉を神体とすることで知られてきた。『古今著聞集』をはじめ多くの書物に当社の宝珠についての伝承が収録されている。

 

(参考)〔日本武尊の妃を祀る社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 日本武尊の妃・弟橘姫命は武尊を守るために自ら浦賀水道に身を投げたとされ、そのため房総には弟橘姫命を祀る神社が多い。そうした神社は姫の遺体や遺品が流れ着いたという伝説を伝えているが、橘樹神社も姫の櫛を埋葬したという伝説がある。その墓標としたのが橘の木で、ここから 橘樹神社と呼ばれるようになったという。

 

 三宮神社は嘉祥3年(850)創建と伝えられるが、詳細は不明。

 

⑭下総国

●〔一宮〕香取神宮(かとりじんぐう)(千葉県香取市)式内社(名神大社)旧官幣大社(別表神社)勅祭社 加盟

・〔祭神〕経津主大神

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕玉崎神社(千葉県旭市)下総国二宮(論社)旧郷社

・〔祭神〕玉依姫尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕二宮神社(千葉県船橋市)式内社(小社)論社 下総国二宮(論社) 旧郷社

・〔祭神〕建速須佐之男命櫛稲田比売命大国主命藤原時平命大雀命誉田別命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔地上平定の武神〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 下総国一宮の香取神宮は常陸国一宮の鹿島神宮と密接な関係に在る。信仰の面だけでなく、制度面においても結びつきが強かったため、一宮制度を語る上でも一社だけを論ずるわけにはいかない。ここでは香取神宮を中心に論ずるが、常陸国も併せて詠んでいただきたい。

 

 香取神宮の祭神・経津主大神と鹿島神宮の祭神・武甕槌大神は、いずれも国譲り神話において地上を平定した武神として語られる。しかし、『古事記』と『日本書紀』では二神の扱いが異なっている。

 

 『日本書紀』本文は、地上平定の命を受けたのは経津主大神であったが、これを聞いた武甕槌大神が「豈唯経津主大神のみ大夫にして、吾は大夫にあらずや」と言ったので、経津主大神に随行させることにしたと述べている。

 

 ところが『古事記』には経津主大神は登場せず、武甕槌大神(古事記の表記では建御雷神)のみで平定を行ったことになっている。出雲国造が代替わりごとに朝廷で奏上した「出雲国造神賀詞」も、布都怒志命が地上に派遣されたことになっている。

 

 こうした違いについて『神道事典』は、「武人物部氏の祭神であったフツヌシが、中臣氏の台頭によりその神格を次第にタケミカズチ奪われたと思われる」としている。

 

 なお、両社の祭神は中臣(藤原)氏の祖神として春日大社に勧請されている。このことについては常陸国のところで改めて述べる。

 

⑮常陸国

●〔一宮〕鹿島神宮(かしまじんぐう)(茨城県鹿嶋市)式内社(名神大社)旧官幣大社(別表神社)勅祭社 加盟

・〔祭神〕武甕槌大神

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕静神社(しずじんじゃ)(茨城県那珂市)式内社(名神大社)旧県社

・〔祭神〕建葉槌命

・〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕吉田神社(よしだじんじゃ)(茨城県水戸市)式内社(名神大社)旧県社

・〔祭神〕日本武尊

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(参考)〔春日大社の祭神となった東国の神〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 後白河法皇によって編纂された「梁塵秘抄」に「関より東軍神、鹿島・香取・諏訪の宮」と詠まれているように、鹿島神宮・香取神宮は東国を代表する軍神であった。これはこの二神が「記紀」で語られる国譲り神話で活躍する武神であることによる(このことについては下総国のところで述べているので参照されたい)のだが、実はこの二神にはもう一つの顔がある。藤原氏の祖神としての顔である。

 

 「鹿島立神影図」と呼ばれる神画像がある。男神が鹿の背に乗った絵で、鹿島神宮の祭神・武甕槌大神が鹿島から奈良の春日山(春日大社の鎮座地)へ向かう様子を表したものとされる。これは藤原不比等が平城遷都の際に祖神として崇める鹿島神宮の神を春日山に勧請したという伝承に基づくもので、神護景雲2年(768)には香取神宮(下総国一宮)・枚岡神社(河内国一宮)の祭神も迎えて春日大社が創建されたという。

 

 中臣(藤原)氏の祖先神たる天児屋根命を祀つる枚岡神社は当然としても、なぜ東国の武神が藤原氏の祖神とされたのであろうか。しかも、春日大社では鹿島の神・香取の神が第一殿・第二殿に祭られているのだ。これについて岡田精司氏は次のような推論をしている。

 

 「どうもタケミカヅチの物語は、最初に関東に下って平定する方が古い神話だったらしい。それがあとで出雲神話が作られたときに、タケミカヅチの降りる先が出雲に替えられたのではないかと思います」

 

 「しかしタケミカヅチはもともとは、どうも中臣氏と結びつくものではなかったらしい。元は物部氏が奉じていた神ではないかということを、終戦後すぐ東大の丸山二郎氏が言われました」

 

 「五~六世紀のころ、フツノミタマを奉じて物部氏が各地に遠征したわけです。(略)国譲りの神話で石上のフツノミタマの剣を操るタケミカヅチが、特に東国を鎮めるための神となる。」

 

 「東国へ遠征したタケミカヅチを鹿島の地に祭った物部氏は、聖徳太子のころに蘇我氏に敗れて没落します。そののちに大織冠・藤原鎌足が領地にしたのはこの辺だろうと思います。(略)鎌足が常陸に封土を持ったことから、鎌足の一門と常陸との関係が出来たのです。」

 

 そして、藤原氏が中臣氏から独立するにあたって新しい神社が必要となり、枚岡神社・鹿島神宮・香取神宮の神が合祀されることになったのだろう、と述べている(『新編 神社の古代史』)。


(3-3)諸国一宮以下一覧(東山道)


①近江国 ②美濃国 ③飛騨国 ④信濃国 ⑤上野国 ⑥下野国 ⑦陸奥国 ⑧出羽国 ⑨津軽国

⑩陸中国 ⑪岩代国 ⑫蝦夷国 ⑬渡島国(渡島支庁) ⑭渡島国(檜山支庁) 

⑮石狩国(石狩支庁) ⑯石狩国(空知支庁) ⑰北見国 ⑱十勝国 ⑲釧路国 


(引用:Wikipedia)

近江国 

●〔一宮〕建部大社(たけべたいしゃ)(滋賀県大津市)式内社(名神大社)旧官幣大社(別表神社) 加盟

・〔祭神〕日本武尊大己貴命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕日吉大社(ひよしたいしゃ) (滋賀県大津市)式内社(名神大社)旧官幣大社(別表神社)二十二社(下八社) 

・〔祭神〕西本宮:大己貴神/東本宮:大山咋神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕多賀大社(たがたいしゃ)(滋賀県犬上郡多賀町)式内社(小社)旧官幣大社(別表神社)

・〔祭神〕伊邪那岐命伊邪那美命

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕御上神社(滋賀県野洲市)式内社(名神大社)旧官幣中社(別表神社)

・〔祭神〕天之御影命 ・〔神体〕三上山(神体山)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔英雄神を祀る神社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 近江国の一宮が建部大社であることに疑いはないようだが、二宮が日吉大社、三宮が多賀大社である確たる証拠はない。近畿圏の多くの国のように、二宮以下はなかったのかもしれない。

 

 建部大社は日本神話随一の英雄というべき日本武尊(倭建命)を祀っている。日本武尊は景行天皇の皇子で、天皇の命により征西を行って熊襲を討ち、さらに東征して中部・関東の反逆的な神や部族を平定したが、近江の伊吹山の神の祟りにあって三重の能褒野に没したと伝えられる。『日本書紀』によると、日本武尊の死を悼んだ天皇は「建部」という名代(王族の功績を後世に伝えることを任とした部族)を創始したとされ、これが建部神社の由来とされる。

 

 建部神社は日本武尊の神霊を祀ったことに始まるといわれ、現在の地には白鳳4年(675)に遷座したと伝えられる。『延喜式』では名神大社に列せられている。

 

 しかし、建部という名代は武術を事とした一族に授けられたものであるらしく、建部大社は近江を根拠地とした武人一族の守護神を祀る神社であったのだろう。日本武尊の神話にはさまざまな武神・英雄神の神話が統合されているといわれるが、そのなかには建部大社の本来の祭神の神話も含まれているにちがいない。

 

  言い換えれば、日本武尊は武人たちの理想の姿であり、再興の守護神であったのである。この信仰は後世の武士たちにも受け継がれ、建部大社は武門の守り神として崇敬を受けてきた。 

 

②美濃国

●〔一宮〕南宮大社(なんぐうたいしゃ)(岐阜県不破郡垂井町)式内社(名神大社)旧国幣大社( 別表神社) 加盟 

・〔祭神〕金山彦命

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕伊富岐神社(いぶきじんじゃ)(岐阜県不破郡垂井町)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕多多美彦命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕多岐神社(たぎじんじゃ)(岐阜県養老郡養老町)式内社(小社)旧郷社 金幣社

・〔祭神〕倉稻魂神素盞嗚命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕伊奈波神社(いなばじんじゃ)(岐阜県岐阜市)式内小社(論社)旧国幣小社(別表神社)

・〔祭神〕五十瓊敷入彦命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

●〔(称)二宮〕大領神社(岐阜県不破郡垂井町)式内社(小社)旧郷社 南宮神社摂社

・〔祭神〕不破郡大領宮勝木實命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶  

 

(参考)〔金属業の総本山〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 美濃国の三宮については、多岐神社とするものと伊奈波神社とするものと両方の史料が残されており判然としない。そのため、ここでは一宮・二宮についてのみ述べることにする。

 

 この一宮・二宮を中心とした美濃国の一宮制度でまず気づくことは、精錬・金工・鉱山といった金属に関わる信仰である。そして、その中心となっているのが南宮大社であり、その祭神の金山彦命である。

 

 金山彦命は伊邪那美命が死の直前に産んだ神の一柱で金属加工などに関わる神とされるが、南宮大社の社伝では神武天皇の東征を助けた神とし、その功で美濃に鎮座したとする。

 

 この話は壬申の乱大海人皇子(天武天皇)が軍勢を整えるために美濃に入ったことを思わせる。これは美濃で鉄の採掘・加工に従事していた伊福部氏から武器の援助を得るためではなかったかといわれている。この伊福部氏らが奉際した神が金山彦命だったのである。南宮大社は今でも「全国の鉱山、金属業の総本宮」を称している。

 

③飛騨国

●〔一宮〕水無神社(みなしじんじゃ)(岐阜県高山市)式内社(小社)旧国幣小社(別表神社)加盟 

・〔祭神〕水無大神(御歳大神ほか14柱の総称)〔神体〕位山(神体山)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕久津八幡宮(岐阜県下呂市)式内社(小社)(伝)飛騨国二宮 旧県社

・〔祭神〕応神天皇

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下は不詳)

 

(参考)〔水源の神を祀る社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 飛騨国では二宮以下の神社の記録が見出せないという。おそらくは定められなかったのであろう。一宮が水無神社であることは間違いないようなので、ここでは水無神社についてのみ述べることとする。

 

 水無神社(現在の正式な社号は飛騨一宮水無神社)の祭神は水無神とされる。この神について公式ホームページはこう説明している。

 「飛騨一宮水無神社は、水無神として「御年大神」を主神に外14柱の神々が祀られています」

 

 すなわち、15柱の集合神だというのだが、この中心になっている御年大神大歳神の御子神で、父神同様に穀物の神とされる。水無神社については「水無」という地名から、川の水を干した(伏流水)といった伝説が語られることもあるが、神社のホームページにもあるように本来は「水主」または「水成し」で、水源を意味したのだろう。すなわち、里に水を配って穀物を実らせる神であったと思われる。

 

(参考)〔飛騨一宮水無神社〕(引用:Wikipedia)

 岐阜県高山市にある神社。式内社、飛騨国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。

 

●概要

 岐阜県北部、高山市の市街地南方に鎮座する。西南方の位山(くらいやま、標高1,529m)を神体山として祀る神社で、飛騨国の鎮守・祖神として古くは斐陀国造によって崇敬された。 安置されている左甚五郎作の稲喰神馬は伝説もあり地元の人に親しまれている。

 

●祭神

祭神は以下の15柱で、水無大神(みなしのおおかみ)と総称される。

 

・主祭神

 御歳大神 - 「水無神」と呼ばれる

 

・配神

 大己貴命、三穗津姫命、応神天皇、高降姫命、神武天皇、須沼比命、天火明命、

 少彦名命、高照光姫命、天熊人命、天照皇大神、豊受姫大神、大歳神、大八椅命

 

 水無大神は地名に由来すると考えられる。水無大神は、御歳大神とする説のほか、八幡神などとする説もある。  

 

●歴史集

 創建の年代は不詳であるが、清和天皇の時代に従五位上の神階の記事がある。『延喜式』では小社に列格し、飛騨国の一宮とされた。

 

 鎌倉時代には「水無大菩薩」と称し、社僧が奉仕した。近世には水無大明神・水無八幡宮と称した。戦国時代の戦乱で祭祀が途絶え、附近の寺が管理したが、元禄5年(1692)から吉田神道系に属するようになった。

 

 1773年(安永2年)の安永騒動(大原騒動)では、水無神社が農民の決起集会の場所となる。騒動に加担した廉で神職の山下和泉守と森伊勢守が磔に遭い、大原紹正が同7年(1778年)に信濃国今井より梶原家熊を招くまで高山に神霊が移された。梶原家熊は唯一神道に基づいて仏教を一掃し、阿弥陀如来像並びにに仁王門を一位山往還寺に、その他の仏具等を袈裟山千光寺に移した。

 

  1871年 (明治4年) に近代社格制度において国幣小社に列格した。戦後は神社本庁の別表神社に指定されている。

 

  1871年(明治4年)、国幣小社に列格した[3]。明治7年から10年までは、島崎藤村の父で『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデルとなった島崎正樹が宮司を務めていた。昭和7年(1932年)に例祭で用いるどぶろく醸造許可を得た。

 

 1945年(昭和20年)8月22日から同年9月19日までの間、熱田神宮の神体(天叢雲剣)が一時避難していた。昭和27年(1952年)より養蚕と農業の振興を祈願する生きびな祭りが始まった。

  

④信濃国

●〔一宮〕諏訪大社(すわたいしゃ)(諏訪市・茅野市・下諏訪町)式内社(名神大社)旧官幣大社(別表神社) 加盟

・〔祭神〕建御名方神八坂刀売神

〔参考Webサイト〕神社公式サイト上社本宮上社前宮下社秋宮下社春宮) 

          *玄松子神社記憶(上社本宮上社前宮下社秋宮下社春宮

 

●〔二宮〕小野神社(おのじんじゃ)(長野県塩尻市)旧県社

・〔祭神〕建御名方命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕穂高神社(ほたかじんじゃ)(長野県安曇野市)式内社(名神大社)旧国幣小社(別表神社)

・〔祭神〕穂高見命綿津見命瓊々杵命 〔神体〕穂高岳(神体山)

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶奥宮

 

●〔三宮〕沙田神社(長野県松本市)式内社(小社)(伝信濃国三宮)旧県社

・〔祭神〕彦火火見尊豊玉姫命・沙土煮命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔敗残の神にして征服神〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 諏訪大社の起源は『古事記』の国譲りの段で語られている。それによると、武甕槌神に天つ神への国譲りを迫られた大国主命は、御子神にその判断をゆだねたという。

 

 御子神の一柱、事代主神は国譲りに賛成したが、もう一柱の御子神の建御名方神武甕槌神に力比べを挑んだ。手ひどく敗れた建御名方神は諏訪まで逃げたがついに追い詰められてしまったので、天つ神に服従してこの国から出ないことを条件に命を救ってもらったとされる。

 

 この神話を信じれば諏訪大社の祭神は敗残者ということになる。しかし、建御名方神が洩矢神(もりやしん)という地元の神を打ち破って諏訪に鎮座したという、別の神話も伝わっている。すなわち、土地の神話では建御名方神は『古事記』の武甕槌神の役を演じているのである。

 

 この洩矢神と建御名方神の戦いの神話は、古い記録では守屋大臣明神の戦いとして記録されている。おそらくは当初の神話では侵攻してきた神は建御名方神とは異なる、地元では古くから信仰されていただったのだろう。朝廷などとの関係から神社の創建神話と記紀神話と関連づける必要が生じ、征服神の名を建御名方神としたのではないか。

 

 なお、諏訪大社は諏訪湖をはさんで上社下社の二社に分かれており、それぞれがさらに本宮・前宮、春宮・秋宮に分かれている。現在は上社も下社も建御名方神とその妃神の八坂刀売神を祀るとしているが、古くから四社が夫婦神を祀っていたかは分からない。

 

 若狭国のように男神と女神を別々に祀っていた可能性もある。また、上社と下社で異なった系統の神を祀っていたことも考えられる。

 

⑤上野国

●〔一宮〕一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)(群馬県富岡市)式内社(名神大社) 旧国幣中社

     (別表神社)加盟

・〔祭神〕経津主命・姫大神

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕二宮赤城神社(あかぎじんじゃ)(群馬県前橋市)式内社(名神大社論社 旧郷社

・〔祭神〕豊城入彦命大己貴尊 ほか数柱

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕三宮神社(群馬県北群馬郡吉岡町)式内社(名神大社)

・〔祭神〕彦火火出見命豊玉姫命少彦名命 〔神体〕十一面観音像

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔四宮〕甲波宿禰神社(群馬県渋川市)式内社(小社)論社 旧郷社

・〔祭神〕速秋津彦神速秋津姫神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶(行幸田川島

 

●〔五宮〕伊香保神若社(群馬県渋川市)式外社 国史見在社 旧村社

・〔祭神〕大名牟遅神少彦名神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔六宮〕榛名神社(群馬県高崎市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕火産霊神・埴山姫神

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔七宮〕小祝神社(群馬県高崎市)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕少彦名命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔八宮〕火雷神社(群馬県佐波郡玉村町)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕火雷神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔九宮〕倭文神社(群馬県伊勢崎市)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕天羽槌雄命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)二宮〕赤城神社三夜沢赤城神社)(群馬県前橋市)式内社(名神大社)論社 旧県社

・〔祭神〕大己貴命豊城入彦命 〔神体〕赤城山(神体山)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)二宮〕赤城神社(大洞赤城神社)(群馬県前橋市)式内社(名神大社)論社 旧郷社

・〔祭神〕赤城大明神・大国主命磐筒男神磐筒女神経津主神豊城入彦命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)三宮〕伊香保神社(群馬県渋川市)式内社(名神大社)旧県社兼郷社

・〔祭神〕大己貴命少彦名命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔九宮まであった上野国〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 14世紀半ばに成立した『神道集』などによると、上野国には九宮まであったという。これほど多いところはほかにはなく、神社の格式づけに対する意識が高かったことが知られる。しかし、その一方で、相模国のように一宮制の社格をもつ神社が共同で祭事を行うといったことはなかったようだ。

 

 参考までに四宮以下の社名をあげておこう。四宮、甲波宿禰神社。五宮、伊香保神若社。六宮、榛名神社。七宮、小祝神社。八宮、火雷神社。九宮、倭文神社。

 

 土地柄か、二宮の赤城神社、三宮の伊香保神社を含め、山岳信仰に関わる神社が多いようだ。

 

(参考)〔貫前神・抜鉾神と経津主神〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

  上野国一宮の現在の社号、一之宮貫前神社は昭和21年(1946)に旧社格廃止に伴ってつけられたもので、近世までは貫前神社または抜鉾神社と呼ばれていた。

 

 祭神についても貫前神と呼ぶものと抜鉾神と呼ぶものの二種類があり、ここから貫前神と抜鉾神社は異なる神を祀る別個の神社であるという説(二神二社説)が出された。

 

 二神二社説では、抜鉾神は物部氏の氏神である経津主神で、貫前神は渡来系氏族が氏神として祀った女神であるとする。しかし、両社または両神を併記した文献はなく、別々に幣帛がなされていた様子もないので、一つの神社の別名と考えるべきであろう。

 

 現在は経津主神姫大神の二神を祀るとする。姫大神について神社は「姫大神は正確な神名も祀られた由緒も伝わっていないが、一説には綾女庄(当地の古い呼称)の養蚕機織の神と云われている」(公式ホームページ)と説明している。

 

 興味深いのは主神というべきに経津主神に関する神話だ。下総国一宮の香取神宮のところで述べたように、経津主神は常陸国一宮・鹿島神宮の祭神である武甕槌神とともに地上を平定し、天照大神に統治権を大国主命に認めさせた軍神である(この国譲り神話については下総国・常陸国も参照されたい)

 

 このとき、大国主命の御子神の一柱、建御名方神は国譲りに反対したとされ、『古事記』によると建御雷神(武甕槌神)に挑んだものの破れて信濃に逃れ、諏訪に鎮座することになったという(信濃国参照)

 

 ところが、貫前神社の社伝では建御名方神を諏訪に追い詰めたのは経津主神だとする。そして、決戦のために陣を敷いたのが、貫前神社の前の鎮座地である安中市鷺宮だとする。

 

 この神話の方が『古事記』『日本書紀』に載せられているものより、国譲り神話の原形に近いのかもしれない。

 

⑥下野国

●〔一宮〕二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)(栃木県宇都宮市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟 

・〔祭神〕豊城入彦命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕二荒山神社(栃木県日光市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕二荒山大神(大己貴命田心姫命味耜高彦根命の総称)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下はなし)

 

(参考)〔二つの二荒山神社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社) 

 下野国には二つの二荒山神社がある。日光二荒山神社宇都宮二荒山神社である。このいずれが『延喜式』に記された二荒山神社なのか、またどちらが一宮であったのか、議論がなされてきた。

 

 二荒山とは日光の男体山のことで、日光二荒山神社の社伝によれば、神護景雲元年(767)に勝道が大谷川の北岸に社を建て大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命を祀ったのが始まりで、延暦元年(782)には勝道が初めて二荒山の頂上に登ったという。

 

 いっぽう宇都宮二荒山神社は、仁徳天皇の御代に奈良別王が国造として下毛野国に赴任した時、祖先の豊城入彦命を祀ったことに始まるという。しかし、本来は二荒山の遥拝所であったとみるべきだろう。

 

 ただし、『延喜式』に書かれた住所は今の宇都宮に相当すると思われるので、式内社で一宮であったのは宇都宮二荒山神社であったと思われる。

 

⑦陸奥国

●〔一宮〕鹽竈神社(しおがまじんじゃ)(宮城県塩竈市)式外社 旧国幣中社(別表神社)加盟他

・〔祭神〕塩土老翁神武甕槌神経津主神

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕都都古和氣神社(福島県東白川郡棚倉町)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟他

・〔祭神〕味耜高彦根命 

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟他

・〔祭神〕味耜高彦根命日本武尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶(馬場八槻

 

●〔二宮〕伊佐須美神社(福島県大沼郡会津美里町)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)

・〔祭神〕伊弉諾尊伊弉冉尊大毘古命建沼河別命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔全国一の宮会〕石都々古和気神社(福島県石川町)式内社(小社)(称)旧郷社

・〔祭神〕味秬高彦根命大国主命誉田別命

・〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)一宮〕近津神社(茨城県久慈郡太子町)式内社(小社)論社 旧郷社

・〔祭神〕面足尊惶根尊級長津彦命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶(下野宮上野宮

 

(三宮以下はなし)

 

(参考)〔二つの論社と三つの都々古別神社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 陸奥国は一宮の判断がもっとも難しい国の一つといえる。なぜなら、鹽竈神社都々古別神社という二つの論社がある上に、都々古別神社には三つ(あるいは六つ)の論社があるのである。

 

 結論を先に述べてしまえば、建久4年(1193)に書かれた「将軍家政所下文案」に「一宮鹽竈社」とあることや、国府から毎月1日に奉幣を受けていたことなどから、鹽竈神社が一宮であったと判断するのが妥当と思われる。

 

 『大日本一宮記』や『一宮巡詣記』などの神道書が鹽竈神社ではなく都々古別神社を一宮としているのは、鹽竈神社が『延喜式』神名帳に記載されていない式外社であったのに対し、都々古別神社は名神大社であったことによるものと思われる。

 

 鹽竈神社が『延喜式』に記載されなかったのは謎としか言いようがないが、『弘仁式』主税逸文(820)には「鹽竈神を祭る料壱万束」という記載があり、鹽竈神が朝廷から破格の扱いを受けていたことがわかる。

 

 一宮制度が成立した頃と推定される寛仁元年(1017)には、後一条天皇即位に伴う一代一度大神宝奉幣を受けており、一宮としての条件は揃っているといえる。

 

⑧出羽国

●〔一宮〕鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)(山形県飽海郡遊佐町)式内社(名神大社)

      旧国幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕大物忌大神〔神体〕鳥海山(神体山)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶蕨岡口之宮吹浦口之宮

 

●〔二宮〕城輪神社(きのわじんじゃ)(山形県酒田市)式外社 国史見在社・旧県社

・〔祭神〕倉稲魂命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕小物忌神社(おものいみじんじゃ)(山形県酒田市)式内社(小社)・出羽国三宮・旧県社

・〔祭神〕級長津比古命級長津比賣命豊受比賣命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔東北の霊山・鳥海山を祀る〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 鳥海山大物忌神社(歴史的な社号は大物忌神社)の祭神・大物忌大神は謎の神といわれる。

 

 10世紀初めには正二位という東北の神としては破格の高位に列せられ、正史にもしばしば取り上げられたにもかかわらず、「記紀」をはじめとした神話集には登場せず、どのような系統の神であるかわからないからだ。大物忌という名の由来も明確ではない。

 

 しかし、大物忌神社が鳥海山を祀る神社であることは疑いない。激しい噴火をした火山であったためか、祟り神とも思われていた。興味深いのは、外敵を打ち破る神としても信仰されたことだ。

 

 大物忌神の文献上の初見は、承和5年(838)に従五位上勲五等から正五位に昇叙したというものであるが、その2年後には従四位下に昇っている。注目されるのがその理由で、『続日本後期』は、京で祟りをなしたことと、石つぶてなどを降らせ遣唐使船を海賊から守ったこととしている。

 

 貞観10年(868)には石鏃を降らせて噴火を予告する一方、元慶2年(878)には乱の鎮定に霊験を現わして勲3等の叙勲を受けている。

 

 横井靖仁氏は、こうした大物忌大神の性質を、一宮に選ばれた神の基本的特徴である「国鎮守」の原像だとして、次のように述べている。

 

 「対外的緊張や反乱・天災など、王権の危機、「国土」の同様に際し、軍事的効能をもたらすだけの呪力を保持し、国家から呪力の発動を期待された神こそが、「鎮守」と呼び得る神(略)だったのである。」(「「鎮守府」と王権」『中世一宮制の歴史的展開』下)

 

(参考)〔三社が連携する一宮制度〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社) 

 出羽国の一宮制度は一宮・二宮・三宮が強く連していたところに特徴がある。

 

 二宮の城輪神社は城輪柵という古代の城塞に鎮座しており、ここに出羽国の国衙があったと推定されている。すなわち、国衙の鎮守ともいうべき存在であった。その一方で、その祭神は大物忌大神の第二王子といわれていた。

 

 また、小物忌神社もその社名から大物忌神社と対になる神社と考えられ、実際、神階昇叙も大物忌神社とともに行われている。

 

⑨津軽国

●〔新一宮〕岩木山神社(青森県弘前市)旧国幣小社 (別表神社)

・〔祭神〕顕国魂神・多都比姫神・宇賀能売神・大山祇神・坂上刈田麿命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

⑩陸中国

・〔新一の宮〕駒形神社(岩手県奥州市)式内社(小社)旧国幣小社(別表神社)

・〔祭神〕駒形大神

     (天照大御神天常立尊国狭立尊吾勝尊・置瀬尊(瓊瓊杵尊の別名)彦火尊の6柱の総称)

・〔神体〕駒ケ岳(神体山)

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

⑪岩代国

・〔新一の宮伊佐須美神社(福島県会津美里町)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)陸奥国二宮

・〔祭神〕伊弉諾尊伊弉冉尊大毘古命建沼河別命

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

⑫蝦夷国(北海道)

●〔新一の宮〕北海道神社(札幌市中央区)旧官幣大社 (別表神社)

・〔祭神〕大国魂神・大那牟遅神・少彦名神・明治天皇

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

⑬渡島国〔渡島支庁(渡島総合振興局)

●〔一宮〕徳山大神宮(北海道松前郡松前町)旧郷社

・〔祭神〕天照大御神豊受大神

・〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

⑭渡島国〔檜山支庁(檜山総合振興局)

●〔一宮〕姥神大神宮(北海道檜山郡江差町)旧県社

・〔祭神天照皇大御神天児屋根神住吉大神

・〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 *その他のサイト 

 

⑮石狩国〔石狩支庁(石狩振興局)

●〔一宮〕北海道神宮(蝦夷国新一の宮参照)

・〔祭神〕(蝦夷国新一の宮参照)

〔参考Webサイト〕(蝦夷国新一の宮参照)  

 

⑯石狩国〔空知支庁(空知総合振興局)

●〔一宮〕岩見沢神社北海道岩見沢市)旧県社

・〔祭神〕天照大神大己貴神

・〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶  

 

⑰北見国〔網走支庁(オホーツク総合振興局)

・〔一宮〕網走神社(北海道網走市)旧県社

・〔祭神〕市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶  その他のサイト 

 

⑱十勝国〔十勝支庁(十勝総合振興局)

・〔一宮〕十勝神社北海道広尾郡広尾町)旧県社

・〔祭神〕

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 *その他のサイト  

 

⑲釧路国〔釧路支庁(釧路総合振興局)

・〔一宮〕厳島神社(北海道釧路市)旧県社

・〔祭神〕市杵島姫命、他6柱 

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶   

 

※新一の宮の認定により明治元年(1869年)に陸奥国から分割された陸奥国(津軽国)、陸前国、陸中国、岩代国、磐城国にはそれぞれ一宮が存在するようになったが、出羽国から分割された羽前国と羽後国には存在しない。そのため、秋田県(旧羽後国)は一宮が存在しない唯一の都道府県となっている。 

 

※北海道内の一宮:北海道内で近代以降に各国の一宮と称している神社の一覧。蝦夷国新一の宮とされる北海道神宮を除き、「全国一の宮会」非加盟。


(3-4)諸国一宮以下一覧(北陸道)


①若狭国 ②越前国 ③加賀国 ④能登国 ⑤越中国 ⑥越後国 ⑦佐渡国


(引用:Wikipedia)

若狭国

●〔一宮〕若狭彦神社(福井県小浜市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟他

・〔祭神〕彦火火出見尊

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶 ※その他のサイト

 

●〔全国一の宮会〕若狭姫神社(福井県小浜市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟他

・〔祭神〕豊玉姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下は未詳) 

(参考)〔若狭の夫婦神〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 若狭国の一宮制度では若狭彦神社が一宮、若狭姫神社が二宮ということになっているが、この二社は山城国の賀茂別雷神社・賀茂御祖神社や信濃国の諏訪大社上社・下社の関係に近く、一つの神社の二つの社と考えるべきだ。実際、この二社は「若狭国鎮守一二宮」とか「若狭彦若狭姫大明神」というように一組に扱われてきた。

 

 この二社に祀られている若狭彦大神・若狭姫大神について、現在の神社の説では『古事記』『日本書紀』で語られる彦火火出見尊豊玉姫命のことだとする。

 

 彦火火出見尊というとぴんと来ないと思うが、海幸・山幸の話で知られる山幸彦のことだ。そして、なくした海幸彦の釣り針を探して訪れた海神(綿津見神)の宮殿で出会った女神が、豊玉姫命である(彦火火出見尊は神武天皇の祖父にも当たる)

 

 皇祖神と関係づけられたのは若狭社が神祇官制度に組み込まれて以降のことと思われるが、もともと海神的性質もあったのだろうと思われる。ところが、『若狭国一二宮縁起』には二神が遠敷川の上流に出現したという神話を載せており、水神としての性格もあったことを示唆している。

 

②越前国

●〔一宮〕氣比神宮(けひじんぐう)(福井県敦賀市)式内社(名神大社)旧官幣大社(別表神社)加盟

・〔祭神〕伊奢沙別命

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕劔神社(福井県丹生郡越前町式内社(小社)旧国幣小社(別表神社)

・〔祭神〕素盞嗚尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下は未詳) 

 

(参考)〔応神天皇と名前を交換した北陸道総鎮守の神〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 気比神宮も神功皇后・八幡神(応神天皇)信仰に関わる神社である。しかし、住吉社や八幡社とは違う関わり方をしている。

 

 『古事記』『日本書紀』ほかの伝えるところによれば、仲哀天皇神功皇后とともに敦賀に行幸し、行宮を建てて笥飯宮(けひのみや)と呼んだ。天皇の没後には神功皇后が皇子(後の応神天皇)に命じて武内宿禰とともに敦賀の笥飯大神(気比神宮)を参拝させたという。

 

 興味深いのは、この参詣の時に、皇子と笥飯大神が名前を好感したとされることである。『日本書紀』応神天皇即位前記には、「初め天皇、太子と為りて、越国に行して、角鹿の笥飯大神を拝祭みたてまつりたまふ。時に大神と太子と、名を相易へたまふ。故、大神を号けて、去来紗別神(いざさわけのかみ)と曰す。大使を誉田別尊(ほむたわけのみこと)と名くといふ」とある。

 

 『古事記』は名の由来にも触れている。すなわち、神が鼻を傷つけたイルカを打ち上げておいたので「御食津大神(みけつおおかみ)と称えた。これにより気比大神と呼ばれるようになった、というのである。

 

 気比神宮の神は今も、海上の安全や豊漁といった海に関わる神徳とともに食を司る神としても信仰されている。

 

(参考)〔軍神としての信仰〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 かって日本海側は日本の表玄関であった。中国や朝鮮半島と直接結びつく場であったが、それは同時に侵略の危機にもさらされていることでもあった。会場の守護神である気比神宮に海防の霊験が期待されるのは当然のことであった。宇多天皇の御代に正一位勲一等の極位に叙されたのも、中国の内乱などが大きく影響しているのだろう。

 

 敦賀の一夜松原は中国から軍船が攻めてきた時に一夜で生えたといわれ、神功皇后の御代のことであったとされる。こうした信仰も、気比神宮が一宮とされたことと無関係ではないだろう。

 

③加賀国

●〔一宮〕白山比咩神社(しらやまひめじんじ)(石川県白山市)式内社(小社)旧国幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕白山比咩大神伊邪那岐尊伊弉冉尊

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕石部神社(いそべじんじゃ)(石川県小松市)式内社(小社)旧郷社 加賀国総社 非加盟

・〔祭神〕櫛日方別命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)(石川県加賀市)式内社(小社)旧国幣小社(別表神社)

・〔祭神〕菅生石部神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下はなし) 

(参考)〔白山信仰の総本宮〕 (引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 その名からわかるように、白山比咩神社は白山への信仰を起源とする神社である。富士山周辺の浅間神社のように、白山の周辺には白山信仰が点在しており、それらの多くは個別に成立したものと思われるが、白山比咩神社の勢力が大きくなるにつれてその傘下に入っていった。また、白山を拠点とする修験者が各地をめぐって信仰を広めたので、分祠の白山神社は全国に及んでいる。

 

 本来の信仰の形では白山を神が住む霊地として立ち入ることをタブー視していたものと思われるが、修験者の先祖ともいうべき仏教系の山岳修行者が集まるようになってしだいに山中にも宗教施設が作られていった。伝説では白山に初めて登ったのは泰澄だといわれ、『泰澄和尚伝』などによると、それは養老元年(717)のことだったという。

 

 泰澄伝説では、泰澄の前に女神の姿で現れた白山妙理大菩薩は自分のことを伊弉冉尊だと言ったとされ、山頂で現した本地(本来の姿)十一面観音であったとする。しかし、白山比咩神社の現在の主祭神は菊理媛尊であり、併せて伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。

 

 菊理媛尊が主祭神となった背景には白山比咩神社内の勢力争いがあったようだが、記紀神話に登場する数ある女神の中からわざわざ菊理媛尊が選ばれたのは謎としかいいようがない。というのは、菊理媛は『日本書紀』に掲載された神話の別伝の一つだけ。それもワンシーンにだけ登場する神であるからだ。

 

 その場面というのは、先立った伊弉冉尊を連れ戻そうと黄泉へ下ってみたものの、冥界での伊弉冉尊の姿を見て逃げ出してしまった伊弉諾尊と、その行為に腹を立てた伊弉冉尊が、黄泉と現世との境で争っているいるところで、『日本書紀』にはこう書かれている。

 

 「是の時に、菊理媛神、亦曰す事有り。伊弉諾尊聞しめして善めたまふ」

 

 これだけの話なのだ。しかも肝心の菊理媛尊の発言が書かれていないのである。

 

 通説では、黄泉の世界でけがれた体を禊で清めるよう勧めたのだろうといわれる。いっぽう、白山の神は山上で出産をしたといわれ、これからケガレを嫌わないということから発展してケガレを払う神と考えられるようになり、そこからさらに発展して禊を勧めた菊理媛神と結びついたらしい。

 

④能登国

●〔一宮〕氣多大社(けたたいしゃ)(石川県羽咋市)式内社(名神大社)旧国幣大社 単立 加盟

・〔祭神〕大己貴命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕伊須流岐比古神社(いするぎひこじんじゃ)(石川県鹿島郡中能登町)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕伊須流岐比古神白山比咩神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)二宮〕天日陰比咩神社(石川県鹿島郡中能登町)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕屋船久久能智命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(三宮以下はなし)

 

(参考)〔能登の魔物を退治した大国主命〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 社伝によると、当社に鎮座する大国主命は、能登を襲った怪鳥や大蛇などの魔物を退治するために、出雲から眷属を引き連れてやって来たのだという。江戸時代に書かれた『気多社縁起』は、気多大菩薩を日本に侵入した大魔王むくりを退治するために垂迹した閻魔大王だとしている。

 

 一宮制度との関わりで注目されるのは正長元年(1428)に書かれた「気多社神官供僧訴状案」で、ここには「神功皇后の新羅征伐の折には、干満両珠を放ってこれを助勢し、よって正一位太政大臣勲1等にして気多不思議智満大菩薩の号を賜ったとする縁起的内容を載せている」(東四柳史明「能登国」『中世諸国一宮制の基礎的研究』)という。

 

 この伝説がどの程度広まっていたのかわからないが、北陸道を鎮護する武神として信仰され前田家など武士の信仰を集めた。

 

⑤越中国

●〔一宮〕気多神社(けたじんじゃ)(富山県高岡市)式内社(名神大社)旧県社 加盟

・〔祭神〕大己貴命奴奈加波比売命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕高瀬神社(たかせじんじゃ)富山県南砺市)式内社(小社)旧国幣小社(別表神社)加盟

・〔祭神〕大己貴命

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕射水神社(いみずじんじゃ)(富山県高岡市)式内社(名神大社)旧国幣中社別表神社)加盟

・〔祭神〕瓊瓊杵尊

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕雄山神社(おやまじんじゃ)(富山県中新川郡立山町)式内社小社)旧国幣小社(別表神社)加盟

・〔祭神〕伊邪那岐神天手力雄神 〔神体〕立山(神体山)

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶(中宮祈願殿前立社壇峰本社

 

●〔(称)一宮〕二上射水神社(富山県高岡市)式内社(名神大社) 旧村社

・〔祭神〕二上大神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下はなし)

 

(参考)〔四つの一宮が並び立つ国〕 (引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 越中国は四つの神社が一宮の地位を主張するという、きわめてめずらしい事態となっていた。二社ないし三社の論社が争うという例はいくつかあるが、四社も並び立つのは他にはない。

 

 このことについて、平安末に成立されたとされる「白山記」は次のように述べている。

 すなわち、天平宝字元年(757)に能登国が越中国より分立したため、それまで越中国の一宮であった気多大社が能登国の一宮となり、越中国の一宮が空席となってしまった。

 

 そこで越中国二宮であった二上神(射水神社)一宮に繰り上がった。ところが、越中国に新気多(気多大社の分祠、気多神社のこと)が勧請されたため射水神社と一宮の地位を争うことになり、気多神社のほうが勢力があったため一宮となった、という。

 

 こうした記録について研究者は、気多大社分霊の勧請は国司によるものであろうとか、九条家が気多神社の別当寺院を通じて越中国の支配を試みようとした結果ではないか、といった論考を出している。また、国府が射水から砺波へ移転ことが高瀬神社の一宮主張に関係しているのではないかという説もある。

 

 いずれも傾聴すべき意見であるが、一宮制度に関しては、はたしてこの時代まで起源をさかのぼらせていいものか疑問だ。

 

⑥越後国

●〔一宮〕彌彦神社(新潟県西蒲原郡弥彦村)式内社(名神大社) 旧国幣中社(別表神社)加盟 

・〔祭神〕天香山命 〔神体〕弥彦山(神体山)

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕居多神社(新潟県上越市)式内社(小社)旧県社 加盟

・〔祭神〕大己貴命奴奈川姫命建御名方命事代主命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕天津神社(新潟県糸魚川市)式内社(小社)旧県社 非加盟

・〔祭神〕天津彦々火瓊々杵尊天児屋根命天太玉命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕物部神社(もののべじんじゃ)(新潟県柏崎市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕二田天物部命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕八海神社(所在不明)論社多数(八海神社7社・八海山神社1社・八海山尊神社1社)

・〔祭神〕國狭槌尊(国狭槌尊)、瓊瓊杵尊木花咲耶姫命(新潟県南魚沼市にある八海神社)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔『万葉集にも歌われた彌彦の神』〕 (引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 弥彦山のことは、すでに『万葉集』で歌に詠まれている。たとえば、こんな歌だ。

「伊夜彦おのれ神さび青雲の 棚引く日すら小雨そほ降る」

 

 この霊峰への信仰が彌彦神社の起源だと思われるが、その祭神は天照大神の曾孫にあたる天香山命とする。

 

 天香山命は別名を高倉下命といい、神武天皇が熊野で悪神の祟りで難儀していた時、建御雷神が天より下した霊剣を天皇のもとまで届けた神だとされる。「記紀」が語るのはこの神話のみであるが、彌彦神社の社伝は、神武天皇の命により越後に渡り、人々に製塩法や漁業、操舵技術を教え、さらに弥彦山に鎮座して農業・醸造法を伝えて越後を開発したという。

 

※彌彦神社の御祭神(引用:彌彦神社HP)

 

           

(引用:弥彦神社HP)

 

 伊夜日子大神(いやひこのおおかみ) 御名 天香山命(あめのかごやまのみこと)

 

 御祭神は、天香山命高倉下命(たかくらじのみこと)とも申し上げ、皇祖天照大御神の御曾孫にあたられます。父神は饒速日命(にぎはやひのみこと)、母神は天道日媛命(あめのみちひめのみこと)で、天孫降臨に供奉して天降られました。

 

 天香山命が、紀伊国熊野神邑に御住まいの頃、御東征途上の神武天皇を始め皇軍将士は、熊野荒坂津にて敵の毒気により昏睡に陥りました。この危機を救うべく、天照大御神武甕槌命は天香山命に韴靈剣(ふつのみたまのみつるぎ)を神武天皇に献ずるよう夢の中で告げられました。韴靈剣とはかつて武甕槌命が国土平定に用いられた威力ある霊剣です。

 

 夢告に従い天香山命が昏睡している神武天皇に韴靈剣を献じたところ、霊剣の威力によって神武天皇を始め皇軍将士は忽ち昏睡から覚醒し、敵を撃破されました。

 

 天香山命の韴靈剣献上の大功により危機を乗り越えた皇軍は、その後次々と蛮賊を平定し、大和国に入られた神武天皇は、橿原宮で初代天皇として即位されました。 

 

 神武天皇即位四年(西暦紀元前657年)天香山命越の国平定の勅を奉じて日本海を渡り、米水浦(よねみずがうら・弥彦山の背後・長岡市野積)に御上陸されました。当地では住民に漁業・製塩・酒造などの技術を授けられ、後には弥彦の地に宮居を遷されて、国内の悪神凶賊を教え諭し万民を撫育して、稲作・畑作を始め諸産業の基を築かれました。 

 

 天香山命越後開拓の祖神であり、またその御事績から、人々の魂・生命に溌剌とした活力を御授けくださる神様と言えましょう。

 

⑦佐渡国

●〔一宮〕 度津神社(わたつじんじゃ)(新潟県佐渡市)式内社(小社)旧国幣小社(別表神社)加盟

・〔祭神〕五十猛命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕大目神社(おおめじんじゃ)(新潟県佐渡市)式内社(小社) 旧村社

・〔祭神〕大宮賣神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕引田部神社(ひきたべじんじゃ)(新潟県佐渡市)式内社小社) 旧郷社

・〔祭神〕大彦命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(参考)〔「わたつ」の神を祀る神社か〕 (引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 佐渡国では一宮の地位をめぐっての訴訟があった。

 

 「文化13年(1816)度津神社別当寺と畑野町一宮神社別当慶当寺との間に、一宮論争が起こった。その結果として、度津神社神宮寺側の勝訴となり、以降は佐渡国一宮といえば度津神社といわれるようになっている」(菊田龍太郎「佐渡国」『中世諸国一宮制の基礎的研究』)

 

 しかし、度津神社の祭神は五十猛命ということになっている。越中国のところで述べたように、五十猛命は素戔嗚尊の御子神で全国に樹木を植えた神である。

 

 しかし、これは延宝6年(1678)に佐渡を訪れた『一宮巡詣記』の著者・橘三喜の説によるもので、本来の祭神ではない。

 

「わたつ」という社号から考えて綿津見神(海神)といった海の神を祀っていたのだろう。島には同様の社号をもつ神社がまつることが多い。


(3-5)諸国一宮以下一覧(山陰道)


①丹波国 ②丹後国 ③但馬国 ④因幡国 ⑤伯耆国 ⑥出雲国 ⑦石見国 ⑧隠岐国


 (引用:Wikipedia)

 丹波国

●〔一宮〕出雲大神宮(いずもだいじんぐう)(京都府亀岡市)式内社(名神大社)旧国幣中社 単立 加盟 

・〔祭神〕大国主神・三穂津姫尊

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下はなし)

(参考)〔元出雲と呼ばれる古社〕 (引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 丹後半島の籠神社が「元伊勢」と呼ばれるのに対し、丹波国の一宮は「元出雲」と呼ばれる。その由来は『丹波国風土記』の逸文とされるものに、「和銅年間(708~715)に大国主命の神霊を杵築に移した。これが今の出雲大社である」という旨の記事があることによる。

 

 しかし、出雲大神宮本来の祭神は、神体山である御蔭山の神だったと思われる。御蔭山には古代の祭祀遺跡と思われる巨石(磐座)や古墳が点在しており、重要な聖地であったことが推察される。

 

 一説では山頂の磐座は国常立尊が降臨した地であるとし、出雲大神宮も国常立尊を祀る神社であったとする。また、三穂津姫命は国常立尊に奉仕した巫女で、没後は御蔭山に葬られたともいわれる。なお、保津川の名は三穂津姫命に由来するという。 

 

②丹後国

●〔一宮〕籠神社(このじんじゃ)(京都府宮津市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕彦火明命

・〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕大宮売神社(京都府京丹後市)式内社(名神大社)伝丹後国二宮 旧府社

・〔祭神〕大宮賣神若宮賣神

・〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶  

 

(参考)〔伊勢神宮発祥の地〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 丹波国のところでも述べたように、丹後国一宮の籠神社は「元伊勢」と呼ばれている。それは次のような神話に基づいている。

 

 もともと天照大神の神霊は宮中で祀られていたが、その神威の大きさを畏れた崇神天皇は、神体(八咫鏡)を笠縫邑に移すこととした。

 

 その後、丹波の吉佐宮に移り、ここで豊受大神より饗応を受けた。さらに垂仁天皇の御代には、天照大神の神霊を奉じた倭姫命が鎮座するのにふさわしい場所を求めて各地をめぐり、ついに伊勢の地に鎮まることが決まった。豊受大神も天照大神の神託により丹波から伊勢に移り、天照大神の御饌都神(食事の神)として外宮に祀られことになった。

 

 この神話でいう丹波の吉佐宮が籠神社に当たるとし、伊勢神宮内宮・外宮の神が伊勢に鎮まる前に留まった場所であることから「元伊勢」と呼ぶというのである。また、豊受大神が伊勢に移ってしまったので、神社は祭神を彦火明命に変えたとされる。

 

 なお、彦火明命は天照大神の孫で皇祖神である邇邇芸命の兄。籠神社の所伝では豊受大神の神霊が宿った鏡をもって丹後に降臨し、籠神社で豊受大神を祀っていたという。

 

(参考)〔山幸伝説と羽衣伝説〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 日本三景の一つ、天橋立に隣接していることもあって、籠神社にはさまざま神話・伝説が伝えられている。社号の由来についても、山幸彦(彦火火出見尊)が海神の宮に赴く時に籠に乗っていったことによるとも、塩土翁(山幸彦に海を渡る籠を与えた神)が捕らえた天女が鳥籠から光を放つようにみえたからともいう。いずれも、海に関わる神話で」あることが注目される。

 

 なお、籠神社は惣社も兼ねていたという説がある。これが事実だとすると、とても興味深いことである。丹後国の宗教的権威が籠神社に集中していたことになるからだ。 

 

③但馬国

●〔一宮〕出石神社(いずしじんじゃ)(兵庫県豊岡市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕伊豆志八前大神天日槍命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕粟鹿神社(あわがじんじゃ)(兵庫県朝来市)式内社(名神大社)旧県社 加盟(但馬国一宮又は二宮)

・〔祭神〕彦火々出見命日子坐王阿米美佐利命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕粟鹿神社(一宮参照)

・〔祭神〕(一宮参照)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕水谷神社(兵庫県養父市)式内社(名神大社)旧村社

・〔祭神〕天照皇大神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕養父神社(兵庫県養父市)式内社(名神大社)旧県社 

・〔祭神〕倉稲魂命大己貴命少彦名命谿羽道主命船帆足尼命

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔日光感精神話と渡来神〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 但馬国の一宮制度については、粟鹿神社を一宮とする説もある(『大日本一宮記』など)が弘安8年(1285)の「但馬国大田史」に「当国一宮出石大社」「当国二宮粟鹿神社」「当国三宮水谷大神」とあることから、本来の一宮は出石神社と考えられる。

 

 なお、三宮の水谷大神については、これを今の水谷神社(養父市奥米地)とする説と養父神社(養父市養父市場)とする説がある。

 

 出石神社の最大の特徴は、新羅の王子であった天日槍命を祀っていることだろう。天日槍命が日本で祀られるようになった理由について、『古事記』は次のような不思議な話を伝えている。

 

 昔、新羅の貧しい女の陰部に虹のような日を受けて赤い玉を産むということがあった。天日槍(『古事記』の表記では天之日矛)がそれを受け取ってみると、玉は美女に変わった。

 

 そこで天日槍命はその美女を妻としたが、驕りの心を起こして罵ってしまったため、女は祖国の国に帰ると言って日本に渡ってしまった。そこで天日槍命も日本に向い、但馬で妻を迎えて鎮まった。この時、携えてきた8種類の宝物が、出石八前大神だとされる。

 

 なお、天日槍命神功皇后の祖先に当たる。この点にも注意したい。

 

④因幡国

●〔一宮〕宇倍神社(うべじんじゃ)(鳥取県鳥取市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟 

・〔祭神〕武内宿禰命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)二宮〕大江神社(鳥取県八頭郡八頭町)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕大己貴命天穗日命三穗津姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下は不詳) 

 

(参考)〔最古の一宮文献〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 

 『中右記』(右大臣を勤めた藤原宗忠の日記)の元永2年(1119)7月3日の条に「彼国一宮」とあるのが、一宮に関するもっとも古い文献史料だとされる。そして、ここでいう一宮とは宇倍神社を指すものと考えられている(もっとも古い史料は伯耆国倭文神社の経筒銘であるが、これは考古資料である)

 

 文献の残存は偶然によるところが大きいから、最古の史料があるからといって宇倍神社が最古の一宮とはいえない。しかし、ごく早い時期に一宮制度が定まった国だということはできるだろう。

 

 なお、『中右記』の記事は、因幡国の国司がこのたび急遽下向することになったのは、任命されてから9年目になろうというのに一度も因幡国に赴かず一宮に参拝していないので、祟りがあるのではないかと国人が心配しているからだ、というものだ。国司が一宮を参拝することが、いかに重要な儀礼であったかを知ることができる史料でもある。

 

 宇倍神社の祭神・武内宿禰は景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五代の天皇に仕え、360歳の長寿を保ったとされる伝説の大臣であるが、神功皇后の遠征を補佐した臣下としても知られる。すなわち、宇倍神社も神功皇后信仰に関わる神社なのである。

 

⑤伯耆国

●〔一宮〕倭文神社(しとりじんじゃ)(鳥取県東伯郡湯梨浜町)式内社(小社)旧国幣小社(別表神社)加盟

・〔祭神〕建葉槌命(たけはづちのみこと)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕大神山神社(おおがみやまじんじゃ)鳥取県米子市/西伯郡大山町)式内社(小社)

     旧国幣小社(別表神社)

・〔祭神〕大己貴命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕倭文神社(鳥取県倉吉市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕経津主神・ 武葉槌神下照姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)二宮〕 波波伎神社鳥取県倉吉市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕八重事代主命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔倭文部が奉祭する神の社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 野上尊博史によると、「倭文とは、シツオリの詰まった形で、シツは「日本本来の文様」、オリは「織り」である。倭文部の奉斎した、文ある布に関する神を祀る神社をいう」(「倭文神社」『神社辞典』)という。

 

 つまり、倭文神社(静神社)は織物に関わる職能氏族の守護神社で、彼らが移住した地域に祀られることが多い。当社はその本宮的存在なのである。

 

 祭神の建葉槌命は別名を倭文神建葉槌命といい、『日本書紀』には天つ神に反逆した星の神を討伐した神と伝えられるが、『古語拾遺』に登場する倭文部の祖先神で織物の神・天羽槌雄命と同一視されている。(以下略)

 

⑥出雲国

●〔一宮〕出雲大社(いずもたいしゃ)(島根県出雲市)式内社(名神大社)旧官幣大社

     (別表神社)勅祭社 別表 加盟他

・〔祭神〕大国主大神

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕佐太神社(さだじんじゃ)(島根県松江市)式内社(小社)旧国幣小社(別表神社)

・〔祭神〕正殿:佐太御子大神・北殿:天照大神・南殿:素盞嗚尊

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔全国一の宮会〕熊野大社(くまのたいしゃ)(島根県松江市)式内社(名神大社)旧国幣大社(別表神社)

・〔祭神〕熊野大神櫛御気野命

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶 *その他のサイト

 

(三宮以下はなし) 

 

(参考)〔杵築大社と熊野大社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 出雲国については、熊野大社(松江市八雲町熊野)を一宮とする説があった。意外に思われるだろうが、実は古代においては熊野大社のほうが杵築大社(現、出雲大社)より高い勲位を得ていた。貞観元年(859)の時点で、杵築大社が従二位勲八等であるのに対し、熊野大社は従二位勲七等であった。

 

 これには杵築大社・熊野大社の成り立ちが関係しているものと思われる。

 

 杵築大社の成立は「記紀」と『出雲国風土記』で異なるが、国造り(国土開発)の神で国つ神の王ともいうべき存在である大国主大神の神殿(宮殿)として建てられたということでは共通している。

 

 『日本書紀』の第二の一書(別伝)によれば、高皇産霊尊が国譲り(統治権の放棄)の交換条件として建設を申し出たものといい、この宮に仕える者として天照大神の御子神である天穂日命を派遣すると言っている。いっぽう、熊野大社は、八岐大蛇を退治したのちに出雲に鎮まった素戔嗚尊を祀る。

 

 つまり、簡単に書くと、杵築大社国つ神の社であるのに対し、熊野大社天つ神の社なのである。そして、天つ神の天穂日命を始祖とする出雲国造は、熊野大社の近くに居を構えて杵築大社に仕えていた考えられるのである。

 

(参考)〔杵築大社と熊野大社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 平安時代になると、この関係に変化が生じてくる。国造が館を杵築大社の近くに移したのである。そして、中世になると杵築大社の祭神が素戔嗚尊だという説が広まっていった。

 

 素戔嗚尊祭神説は今では考えられないことだが、かっては公然と主張されていたようで、『先代旧事本紀』(9世紀後半)に載っているのをはじめとして、14世紀には国造の書いた文書においてもそう書かれるようになっていた。

 

 井上寛司氏は、こうしたことと杵築大社が一宮とされたことは連動しているとする。『出雲国風土記』には八束水臣津野命が新羅などから土地を引き寄せて出雲の国土を造る壮大な創世神話が語られているのだが、中世にはこの神話の主人公も素戔嗚尊とされるのである。

 

 「杵築大社は、この政治神話を得ることによって、かっての国譲りの神オオナムチを祀る神社から、出雲の国土創生の担い手(=出雲国の祖神)」スサノヲを祀る神社へと大きく転換し、「出雲国一宮」たるにまことに相応しい神社として再生することが可能となったのであった」(日本中世国歌と諸国一宮制)としている。

 

⑦石見国

●〔一宮〕物部神社(もののべじんじゃ)(島根県大田市)式内社(小社)旧国幣小社(別表神社)加盟

・〔祭神〕宇摩志麻遅命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕多鳩神社(たばとじんじゃ)(島根県江津市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕積羽八重事代主大神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕大祭天石門彦神社(おおまつりあめのいわかどのひこじんじゃ)(島根県浜田市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕天石門別命 (手力男命)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔銀山に隣接する物部氏の神社〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 石見国一宮の物部神社は、世界遺産に指定された石見銀山にほど近いところに鎮座している。伴信友の『神名帳考證』によれば、当社は「銀山領内」だという。

 

 こうした鎮座地の特性と社名から、物部氏が銀山開発の拠点としたところではないかと思えてしまうが、銀山の発見は14世紀のことであるので、当社の鎮座とは関係ないようだ。

 

 社伝によると、神武天皇の東征を助けた物部氏の祖・宇摩志麻遅命は、天皇の命により天香具山命とともに尾張・美濃・越の国と遠征したという。天香具山命は越の国の彌彦神社(越後国一宮)に鎮座したが、宇摩志麻遅命はさらに遠征を続け石見国を平定したのちに当地に鎮座したとされる。

 

 かってはこの神話のように物部氏の支族がこの地に移住してきたものと思われていたが、現在では「この付近に相当規模の物部氏配下の部民である「物部」の集団があり、古くから集落をなし、中央豪族たる物部氏の部民に編入され貢租や労力を徴収されていたのであろう」(野上尊博「物部神社」『神社辞典』)と考えられている。

 

⑧隠岐国

●〔一宮〕水若酢神社(みずわかすじんじゃ)(島根県隠岐郡隠岐の島町)式内社(名神大社)旧国幣中社)

     (別表神社)加盟   

・〔祭神〕水若酢命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕由良比女神社(島根県隠岐郡西ノ島町)式内社(名神大社)旧村社 加盟

・〔祭神〕由良比女命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下はなし)

 

(参考)〔守護代と対立した一宮〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 『大日本一宮記』などは由良比女神社(島根県隠岐郡西ノ島町浦郷)を隠岐国一宮としている。茂木栄氏は「平安朝末期に隠岐国の一宮に定められた」とする(『全国一宮祭礼記』「由良比女神社」)が、根拠は不明。享禄3年(1530)の「隠岐久清安堵状」などから水若酢神社が一宮だと思われる。

 

 もっとも水若酢神社についても、「惣社玉若酢神社の神主が国造とよばれたことからもうかがわれるように、中世隠岐国にあたっては実質的には惣社が国鎮守(一宮)としての機能を兼ねていて、一宮(水若酢神社)は名目的な存在に止まったとも考えられる」(井上寛司「隠岐国」『中世諸国一宮制の基礎的』研究』)といったことがいわれている。

 

 しかし、隠岐を統一しようとした沖宗清が水若酢神社と対立した時(1530)には隠岐の諸領主が水若酢神社側に立って蜂起しており、隠岐の信仰の中心となっていたことは確かなようだ。

 

 なお、この時の合戦の影響で中世以前の史料が失われてしまい、一宮の活動実態など伺うことが出来ない。


(3-6)諸国一宮以下一覧(山陽道)


①播磨国 ②美作国 ③備前国 ④備中国 ⑤備後国 ⑥安芸国 ⑦周防国 ⑧長門国


(引用:Wikipedia)

播磨国

●〔一宮〕伊和神社(いわじんじゃ)(兵庫県宍粟市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟 

・〔祭神〕大己貴神

・〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕荒田神社(あらたじんじゃ)(兵庫県多可郡多可町)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕天目一箇命(相殿神: 道主比売命・少彦名命・木花咲耶姫命・素盞嗚命)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 *その他のサイト

 

●〔三宮〕住吉神社(すみよしじんじゃ)(兵庫県加西市)旧県社

・〔祭神〕酒見神・住吉四神底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后)・大歳神・八幡神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔四宮〕白国神社兵庫県加西市)旧県社

・〔祭神〕

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔伊和氏が祀る大神〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 播磨国の一宮が伊和神社とすることに異論はないようだ。その祭神、伊和の神については、『播磨国風土記』に記述がみられる。たとえば、次のようなものである。

 

 「伊和の村。大神、酒をこの村に醸しき。故、神酒の村といふ。また、於和の村といへり。大神、国作り訖へて後、おわと云いておがみき」

 

 この神話は地名(社名)の由来譚ともなっている。すなわち、伊和大神が国土の開発を終え、「ああ、終わった」と言ったことから、「おわ」(いわ)と呼ばれるようになったというのである。

 

 こうした神話から伊和大神は国造りの神と考えられる。そこから大己貴神(大国主命)と同一視され、伊和神社もこの説をとって主祭神を大己貴神としているが、『播磨国風土記』は伊和大神大汝命(大己貴神)を書き分けているので、本来は別の神だと思われる。(一部略)

 

 伊和大神はこの神を奉斎していた伊和氏の祖神であったのだろう。伊和神社の周囲にそびえる花咲山などの山が、その神体であったに違いない。これらの山は祭祀対象として行われる一つの山祭(20年に1度)と三つ山祭(60年に1度)という祭は、古い信仰の形を伝えていると思われる。

 

 なお、『風土記』に大汝命の神話が語られることからもわかるように、播磨国は出雲の影響が強いところであった。大和朝廷側にとって播磨は、古代の先進地帯であった出雲の文物や技術を採り入れる場所だったのであろう(丹波国にも同様のことがいえる)。そして、伊和大神はそうした播磨国を治める神として、畏れられ重視されてきたのに違いない。

 

②美作国

●〔一宮〕中山神社(なかやまじんじゃ)(岡山県津山市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕鏡作神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕高野神社(たかのじんじゃ)(岡山県津山市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕彦波限建鵜葺草葺不合尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)三宮〕天石門別神社(岡山県美作市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕天手力男神(天石門別神)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下は不詳)

 

(参考)〔中山神社と吉備の中山〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 美作国一宮の祭神は、現在は鏡作神とされているが、かっては吉備津彦命している時があった。

 

 吉備津彦命で思い出されるのが、備前国一宮の吉備津彦神社、備中国一宮の吉備津神社、備後国一宮の吉備津神社のことである。この三社はいずれも吉備津彦命(大吉備津日子命)を祀っている。これに美作国を加えると、山陽地方の中央で国境を接する四つの国の一宮がみな吉備津彦命を祀っていることになる。

 

 もともとこの四か国がある場所は吉備国と呼ばれていた。大型古墳が数多く残されていることからもわかるように、吉備は大和・出雲と並ぶ先進地域であった。このため大和朝廷は吉備の勢力を削ぐために軍を派遣した。その将軍が孝霊天皇の皇子で四道将軍の一人の吉備津彦命だという。

 

 大和朝廷の支配下に入った持統天皇3年(689)に備前・備中・備後の三カ国に分割され、さらに備後国は和銅6年(713)に北半分が美作国として分離された。

 

 この分割の際に、吉備国の信仰の中心となっていた吉備津神社の分祠が各国に建てられたのではないかといわれている。備前・備後では本宮と同じく祭神名を社名に用いたが、美作国では吉備津神社の神体山ともいえる吉備の中山から名を取って中山神社と名づけられたという。ただし、この説には反対する研究者もおり、今後の研究がまたれる。

 

(参考)〔祭神の変遷について〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社) 

 しかし、冒頭に書いたように、現在の中山神社には吉備津彦の信仰はない。この地域を治める氏族の変化によって祭神が変化してきた。この変遷について、長谷川博史氏は『津山市史』をもとに次のようにまとめている。

 

 「中山の称号は吉備津彦を斎き祭る勢力が進出したことを意味しており、美作国英田郡楢原の東内氏の勢力、次いで猿田彦大神を拝する美作国中部の有木氏の勢力を吸収し、最後に大己貴命・天津彦々火瓊々杵命の鎮座地であった長良嶽の麓に降り立った」としている(『中世諸国一宮制の基礎的研究』「美作国」)

 

 しかし、これだけでは鏡作神の信仰が説明できない。美作北部より算出する砂鉄を利用した製鉄氏族、特に鏡作に従事した鏡作部のことは無視できないだろう。現在の祭神の鏡作神はそうした部民の守護神で、天照大神の天の岩屋隠れの時に鏡を鋳造した石凝姑神のことだとされる。

 

 いっぽうで中山神社の神は狩猟神の面ももっている。『今昔物語』『宇治拾遺物語』には中山神社の神(あるいは末社の猿神)が生け贄を求めたという説話が載せられており、社伝を記した『中山神社縁由』には贄賄吾狼神という、いかにも狩猟神らしい神名が登場する。それはこういった話だ。

 

「昔、この里の伽多野部長者乙丸という者がおり、大己貴命を信仰していたが、中山神が遷座してきたため大己貴命の神威が衰えた。これを乙丸が妬むと、中山神の従神である贄賄吾狼神の怒りを買い、乙丸一族は難を受けた。このため乙丸は驚き、その地を去って、「人贄にかえて鹿二頭づゝ年ごとにそなえ祭るべし」と堅く誓約した」(原田信男『神と肉』)

 

③備前国

●〔一宮〕吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)(岡山市北区)旧国幣小社(別表神社)加盟他

・〔祭神〕大吉備津彦命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕安仁神社(岡山市東区)式内社(名神大社)(元)備前国一宮・旧国幣中社(別表神社)

・〔祭神〕五瀬命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔全国一の宮会〕石上布都魂神社(岡山県赤磐市)式内社(小社)備前国一宮 旧郷社 

・〔祭神〕素盞嗚尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下はなし) 

 

(参考)〔吉備の中山をはさんで二つの一宮〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 備前国と備後国には「山陽道」の後の通しナンバーをつけていない。これは「大日本一宮記」が備中国の吉備津宮「備前・備中・備後、三国一宮也」として、備前国・備後国の一宮を挙げていないからだ。

 

 実際には備前国・備後国にも一宮は存在したのでこの説は誤りなのだが、まったくの誤解とはいえない面もある。美作国のところでも述べたように、この三国はもともと吉備国という一つの国であったからだ。

 

 又、備前の吉備津神社も備後の吉備津神社も備中の吉備津神社の分社的存在で、『延喜式』に記載されていない式外社である。しかも、備前国の場合は鎮座場所がきわめて特殊であった。備前・備中の国境にそびえる吉備の中山をはさんで、備中の吉備津神社とは1.2kmほどしか離れていない。

 

 一宮どうしがこれほど近くに鎮座する例はほかにない。

 

(参考)〔備中の吉備津神社と一体の関係〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 吉備の中山は標高が170mほどで山というより丘に近いが、山中には古墳や磐座(神が降臨すると信じられた岩)が点在しており、聖地というにふさわしい場所である。

 

 備前と備中の一宮はその東麓と西麓に鎮座している。この山を湖に置き換えてみると、諏訪大社に似ていることに気づく。又、川(内海)とするならば、鹿島神宮香取神宮の関係に似ている。

 

 すなわち、二社は一つの神社の二つの社、あるいは一体の関係にある二つの神社である可能性が高い。『日本略記』寛平7年(895)4月21日の条にも「備前備中両国上、有吉備津彦神社」と書かれている。

 

④備中国

●〔一宮〕吉備津神社(きびつじんじゃ)(岡山県岡山市北区)式内社(名神大社)旧官幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕大吉備津彦命 ・〔神体〕吉備中山(神体山)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕皷神社(岡山県岡山市北区)式内社(小社)伝備中国二宮 旧県社

・〔祭神〕高田姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下はなし)  

(参考)〔吉備津彦命について〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 美作国・備前国でも述べたが、かって備前・備中・備後・美作の四国は吉備国という一つの国であった。そして、備中の吉備津神社が吉備国の信仰の中心となる役割を果たしていた。

 

 備前・備後の吉備津(彦)神社、美作の中山神社(いずれも一宮になっている)は、その分祠的存在であった。『日本書紀』などによると、吉備津彦命(大吉備津彦大神)孝霊天皇の皇子で、朝廷に従わぬ豪族を平定する為に崇神天皇が四方に派遣した四道将軍の一人とされる。

 

 西道(山陽道)を任された吉備津彦命は、吉備を平定したのち吉備に定住し、土地を開拓して人々を導いたという。吉備の中山にある中山茶臼山古墳がその陵墓だと伝えられている。

 

 地元に伝わる伝説では、温羅という鬼(百済の王子ともいう)を退治したとされ、この話が桃太郎の原形になったといわれている。

 

 即ち、吉備津彦命は大和からの征服者ということになるのだが、その神話・伝説には地元の開拓神の面影が色濃く残っている。恐らく、地元の信仰に吉備津彦大神という伝説を接ぎ木することで、大吉備津彦大神という神格が創られたのではないかと考えられる。それだからこそ、旧吉備国全体で信仰され続けることになったのだろう。

 

⑤備後国

●〔一宮〕吉備津神社(きびつじんじゃ)(広島県福山市)旧国幣小社 (別表神社)加盟他 

・〔祭神〕大吉備津彦命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)二宮〕二宮神社(広島県福山市)式内社(小社)

〔祭神〕大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)・ 吉備津彦命細比売命(孝霊天皇の皇后)

    ・ 吉備武彦命・ 稲田姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下はなし)

 

(参考)〔素戔嗚神社が一宮か?(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 備前国のところで述べたように「大日本一宮記」は備中の吉備津神社を備前・備中・備後三国の一宮としているので、備前・備後に関する記述はない。そのため「山陽道」の通しナンバーはつけていない。

 

 さて、備後国の一宮は備中国の吉備津神社の分祠的存在である吉備津神社だと何度も述べてきたが、実は異説もある。広島県福山市新市町戸手に鎮座する素戔嗚神社を一宮とするものである。

 

 素戔嗚神社はその名の通り素戔嗚尊を祀る。社伝によると天武天皇の御代に創建されたといい、『備後国風土記』逸文に「疫隈国社」とあるのも当社のことをいう。

 

 この疫隈国社の話は現存最古の蘇民将来伝説(素戔嗚の化身であり疫病神でもある武塔神が親切な蘇民将来に疫病を避ける法を教えるというもの)であることから、京の祇園社(現、八坂神社)の本縁だともいわれる。

 

 当社が一宮とされる理由は定かではないが、吉備津神社が式外社であるのに対し、式内小社であるからかもしれない。

 

⑥安芸国

●〔一宮〕厳島神社(いつくしまじんじゃ)(広島県廿日市市)式内社(名神大社)旧官幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命 ・〔神体〕弥山(神体山)

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕不詳/速谷神社(広島県廿日市)式内社(名神大)旧国幣中社(別表神社)

・〔祭神〕飽速玉男命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔全国一の宮会〕 素盞嗚神社(広島県福山市) 式内社(小社)(称)備後国一宮 旧県社

・〔祭神〕素盞嗚尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 *その他のサイト

 

(三宮以下はなし)  

(参考)〔安芸の宮島に宗像三女神が祀られるわけ〕引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 社伝によると、厳島神社が創建されたのは推古天皇元年(593)だという。これを裏付ける客観的な証拠はないが、広く知られた説であるらしく、『平家物語』や『源平盛衰記』もこの説を用いている。面白いのは、その鎮座のいきさつである。

 

 『源平盛衰記』によると、佐伯鞍職が宮島の周囲を巡っていたところ、西の方から紅色の帆の船がやって来たという。船には赤い幣を立てた瓶があり、その中に神々しい美女が三人いた。彼女たちは、「我々は百王を守護するために本所を離れて王城の近くへ来ることにした。宝殿を造り、我らを厳島大明神として祀れ」と鞍職に言ったとされる。

 

 ここで言う西とは九州のことで、三女神が宗像大社の祭神であることが示唆されている。すなわち、厳島神社の祭神は宗像大社から勧請された神だと信じられていたことがわかる。

 

 しかし、本来は宮島を神体とする海の神が祀られていたものと思われる。祀るべき島=「斎く島」と呼ばれていたため、宗像三女神の一神、市杵嶋姫命と同一視されるようになったものらしい。

 

⑦周防国

●〔一宮〕玉祖神社(たまのおやじんじゃ)(山口県防府市)式内社(小社)旧国幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕玉祖命・他一座未詳

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕出雲神社(いずもじんじゃ)(山口県山口市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕大己貴命事代主命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕仁壁神社(にかべじんじゃ)(山口県山口市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕下照姫命表筒男命・中筒男命・底筒男命味耜高彦根命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔四宮〕赤田神社(山口県山口市)旧県社

・〔祭神〕大己貴命少彦名命猿田彦大神柿本人麿

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔五宮〕朝田神社(山口県山口市)旧郷社

・〔祭神〕罔象女命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔玉作氏の祖神を祀る〕 (引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 周防国には五宮まで存在していた。九宮まであった上野国ほどではないが、ここまで揃っているのは珍しい。

 

 しかし、当初から五宮まであったわけではないようだ。三宮以下のことは15世紀以降の文書にしか登場しない。ここから井上寛司氏は「当初は一・二宮のみであったのが、室町期以降守護大内氏のもとで三宮以下が整備され、一~五に拡大再編成されたとも推測される」(『日本中世国家と諸国一宮制』)と述べている。なお、明応6年(1497)に大内義興が一宮から順に参詣した時の記録が「五社参詣之次第」として残されている。

 

 さて、周防国一宮の玉祖神社であるが、その社名から玉作部(玉作氏)の祖神を祀る神社であることは容易に想像がつく。玉作部は勾玉作りに携わった職能氏族で、その祖神の玉祖命(天明玉命)は天岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉を作ったとされる神である。

 

 しかし、一宮制度との関係では仲哀天皇神功皇后が熊襲遠征への途上に立ち寄ったという伝説のほうが重要であろう。例祭前夜の9月24日に行われる占手神事は、皇后たちが戦いの吉凶を占ったのにはじまるという。

 

⑧長門国

●〔一宮〕住吉神社(すみよしじんじゃ)(山口県下関市)式内社(名神大社)旧官幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕住吉三神応神天皇武内宿彌命神功皇后建御名方命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕忌宮神社(いみのみやじんじゃ)(山口県下関市)式内社(小社)旧国幣小社(別表神社)

・〔祭神〕仲哀天皇神功皇后応神天皇

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕(龍王神社)(りゅうおうじんじゃ)(山口県下関市)旧郷社

・〔祭神〕玉依姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(参考)〔神功皇后の遠征の足跡〕引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 長門国一宮の住吉神社の創建については、『日本書紀』に記述がある。

「和魂は王身に服ひて寿命を守らむ。荒魂は先鋒として帥船を導かむ」と言って神功皇后の新羅遠征をを守護した住吉大神は、遠征の帰途、こう託宣した。

「我が荒魂をば、穴門の山田邑に祀りはしめよ」 

 

 こうして創建されたのが当社だとされる。すなわち、摂津国一宮の住吉大社が和魂を祀る社であるのに対し、当社は荒魂を祀る社なのである。そして、神功皇后をめぐる信仰の重要な拠点の一つであった。


(3-7)諸国一宮以下一覧(南海道)


①紀伊国 ②淡路国 ③阿波国 ④讃岐国 ⑤伊予国 ⑥土佐国


(引用:Wikipedia)

①紀伊国

●〔一宮〕日前神宮・國懸神宮(和歌山県和歌山市) 式内社(名神大社)旧官幣大社(単立)加盟

・〔祭神〕日前神宮:日前大神/國懸神宮:國懸大神

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕丹生都比売神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町) 式内社(名神大社)旧官幣大社(別表神社)加盟

・〔祭神〕丹生都比売大神高野御子大神・大食津比売大神・市杵島比売大神

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕伊太祁󠄀曽神社(和歌山県和歌山市)式内社(名神大社)旧官幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕五十猛命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下は不詳)

 

 (参考)〔三つの論者をもつ国〕引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 紀伊国の一宮は日前神社・國懸神宮(以下、日前・國懸神宮と略す)二社とするのが一般的な説である。たとえば、『大日本国一宮記』も『一宮巡詣』もこの説をとっている。

 

 しかし、自らこそが一宮だと主張する神社がほかにも二社あった(このような神社を「論社」という)。伊都郡かつらぎ町の丹生都比売神社と和歌山市伊太祈曾の伊太祈曾神社である。まず、その二社について検討してみることにしよう。

 

 丹生都比売神社は高野山の地主神である丹生都比売大神を祀る。丹生は朱砂(丹、硫化水銀)を産出する場所の意で、朱砂・水銀の採掘に携わる一族が奉斎した神という。また、空海に高野山の開発を許したとも伝えられ、金剛峯寺の鎮守としても信仰されてきた。

 

②淡路国

●〔一宮〕伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)式内社(名神大社)旧官幣大社(別表神社)加盟

・〔祭神〕伊弉諾尊伊弉冉尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕大和大国魂神社 (兵庫県南あわじ市) 式内社(名神大社)旧県社

・〔祭神〕大和大国魂神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下はなし) 

 

(参考)〔伊弉諾尊の陵の上に建つ神社〕引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 淡路島は古代日本、とくに大和朝廷にとって重要な「聖地」であった。なぜなら淡路島は、伊弉諾尊(伊邪那岐大神)・伊弉冉命(伊邪那美大神)が行った国生みで最初に生み出された国土であるからだ。

 

 そして、伊弉諾尊の神霊が鎮まったところともされている。『日本書紀』はこう述べる。

 「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて、寂然(しずか)に長く隠れましき」

 

 もともと伊弉諾神宮の社殿は伊弉諾尊の陵(墓)の前に建てられていたが、明治時代に神域の整備が行なわれ、陵の上の本殿が建つ形に改められた。

 

 『延喜式』神名帳には「淡路伊佐奈伎神社」の名で名神大社として記されているが、多賀神社・一宮皇大神宮とも呼ばれている。中世に二宮の大和大国魂神社とともに法華会・桜会といった儀礼を行なっており、両社が一体となって活動していたことが知られる。

 

③阿波国

●〔一宮〕上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)(徳島県名西郡神山町)式内社(名神大社)旧郷社 非加盟

・〔祭神〕大宜都比売命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕一宮神社(いちのみやじんじゃ)(徳島県徳島市)式内社(名神大社)論社(阿波一宮論社)旧県社 非加盟

・〔祭神〕大宜都比売命・天石門別八倉比売命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)(徳島県鳴門市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟

・〔祭神〕大麻比古神

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)(徳島県徳島市)式内社(名神大社)論社(阿波一宮論社)旧県社 非加盟

・〔祭神〕八倉比売命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下は不詳)

 

(参考)〔四つあった阿波国の論社〕引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 現在、阿波国の一宮は鳴門市の大麻比古神社ということになっているが、福家清司氏によれば、かってはほかの三つの論社があったという(『中世諸国一宮制の基礎的研究』「阿波国」)。その三社とは、一宮神社(徳島市一宮町)上一宮大粟神社(名西郡神山町神)天石門別八倉比売神社(徳島市国府町)だという。

 

 福家氏の説をまとめると、大粟神社の社司が阿波国衙の在庁官人を務めていたため大粟神社が実質的な一宮であったのだが、その分霊を一宮神社として祀ることで一宮制度が確立された。しかし、南北朝になると、細川氏の守護所に近く、『延喜式』の名神大社でもあった大麻比古神社が新たに一宮の地位を得ることとなった。これに対して 天石門別八倉比売神社は阿波国でもっとも神階の高い神社であった。

 

(参考)〔阿波忌部氏の祖神を祀る〕引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社) 

 福家氏は触れていないが、一宮制度の成立の背景に忌部氏があったことを考えねばならないだろう。

 阿波忌部氏は宮中の幣帛(供物)の調達や神殿の普請などを司った忌部氏の支族で、朝廷の神事で用いられる神具を作ることに従事したとされる。そして、阿波に渡ってこの地方を開拓したともいわれ、神話では祖神・天日鷲命は一族の者を引き連れて阿波に渡り、麻を植えるなどして開発を進めたという。

 

 当社の祭神の大麻比古大神は、天日鷲命の祖先で忌部氏の祖神である天太玉命(天富命)のこととする。阿波国には天日鷲命を祀る忌部神社もあり、忌部氏の勢力が大きかったことがわかる。なお、安房国一宮の安房神社は阿波忌部氏の一部が安房に移住して建てたものとされる(安房国参照)

 

④讃岐国

●〔一宮〕田村神社(たむらじんじゃ)(香川県高松市)式内社名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟 

・〔祭神〕田村大神倭迹迹日百襲姫命、五十狹芹彦命、猿田彦大神、天隠山命、天五田根命の5柱の総称)

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕大水上神社(おおみなかみじんじゃ)(香川県三豊市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕大水上大明神、保牟多別命、宗像大神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下は不詳)

 

(参考)〔床下に深淵がある一宮〕引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社) 

 讃岐国の一宮と二宮は水源信仰で結ばれている。

 言い伝えによると、田村神社の本殿下には深い淵があるのだという。この伝承は江戸時代の名所記などにも載っているので、広く知られたものであるらしい。

 

 田村神社の項式ホームページでは講説明している。

 

「当社の奥殿の床下には深淵があり、厚板でこれを覆い殿内は盛夏といえども凄冷の気が満ちていて古くから神秘を伝えている。又、領内で水旱があれば領主奉行は必ず先ず当社に祈願したといい、定水大明神と称される所以である。奥殿深淵には龍が棲み、覗いたものは絶命するとされて、開かれたことがない」

 

 雨が少なく、農業用水の確保に苦労してきた讃岐の人々は、霊験あらたかな水神を深く崇敬してきたのだろう。

 

 なお、創建は和銅2年(709)とするが、嘉祥2年(849)の従五位下の神階が授けられたとする『続日本後記』の記事が文献上の初見という。

 

⑤伊予国

●〔一宮〕大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)(愛媛県今治市)式内社(名神大社)旧国幣大社(別表神社)加盟 

・〔祭神〕大山積神

・〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)三宮〕多和神社(香川県さぬき市)式内社(小社)旧郷社

・〔祭神〕速秋津姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下はなし)

 

(参考)〔瀬戸内の島に鎮座する山の神〕引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社) 

 讃岐のところで述べたように、大山積神は山の神である。島に山の神が祀られるのは不思議な感じもするが、島の中央部にそびえる鷲ヶ頭山が航海の目印にされたからともいわれる。実際、『伊予国風土記』逸文には「乎知(おち)の郡、御嶋(みしま)、坐(いま)す神の御名は大山積神、一名(またのな)は和多志(わたし)の大神なり」と述べ、航海を守る「渡し」の神であることを示唆している。

 

 大山祁神社が鎮座する大三島は、たんに航海の目印であったわけでわない。芸予諸島の中央に位置し、海上交通の要衝でもあった。大山祁神社の社務を統括するとともに大三島を治めた大祝氏(越智氏)は、この地の利と大山祁神社の宗教的権威をもって周辺諸島の水軍を統合し、制海権を押さえていた。やはり越智氏の一族で河野水軍を率いて源平合戦・元寇で活躍した河野氏も、大山祁神社を氏神として崇敬していた。

 

 大山祁神社が一宮となった背景には、こうした大祝氏・河野氏の活躍があったものと思われる。

 

⑥土佐国

●〔一宮〕土佐神社(とさじんじゃ)(高知県高知市)式内社(大社)旧国幣中社(別表神社)加盟 

・〔祭神〕味鋤高彦根神一言主神

・〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕小村神社(おむらじんじゃ)(高知県高岡郡日高村)式外社 国史見在社 旧県社

・〔祭神〕国常立命 〔神体〕金銅荘環頭大刀

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕朝倉神社(高知県高知市)式内社(小社)伝土佐国二宮

・〔祭神〕天津羽羽神天豊財重日足姫天皇 ・〔神体〕赤鬼山(神体山)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下はなし)

 

(参考)〔賀茂氏の祖神を祀る土佐神社〕引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社) 

 土佐神社の歴史は古く、すでに『日本書紀』に記述が見られる。天武天皇4年(675)3月1日の条に「土左大神、神刀(あやしきたち)一口を以って天皇に進(たてまつ)る」とあるものがそれで、朱鳥元年(686)8月13日の条にも「秦忌寸石勝を遣(まだ)して幣(みてぐら)を土左大神に奉る」とある。ここから、7世紀には朝廷が奉幣を行うほど神威が知れわたっていたことがわかる。

 

 興味深いのはその祭神で、『土佐国風土記』逸文には「郡家を西に去ること4里、土左高賀茂神社有り。其の神名を一言主尊と為す。其の祖、詳らかならず。一説に曰く、大穴六道尊(おおあなむじのみこと)の子、味鉏高彦根尊(あじすきたかひこねのみこと)とす」

 

 高賀茂とは奈良の葛城山麓の地域のことで、賀茂氏の本拠地の一つであった(京の上賀茂・下鴨神社を建てた賀茂氏と同族かについては議論がある)。この葛城さんに鎮座する神が一言主神であった。また、味鋤(鉏・耜)高彦根神は賀茂氏の祖神とされている。

 

 『続日本紀』には高鴨神が雄略天皇によって土佐に流されたことが記されているが、これは賀茂氏の土佐移住の事情を伝えるものなのかもしれない。

 

 こうした背景をもつ土佐神社であるが、中世には土佐の信仰の中心的存在となり、歴代の土佐統治者の保護を受けた。 


(3-8)諸国一宮以下一覧(西海道)


①筑前国 ②筑後国 ③豊前国 ④豊後国 ⑤肥前国 ⑥肥後国 

⑦日向国 ⑧大隅国 ⑨薩摩国 ⑩壱岐国 ⑪対馬国



 (引用:Wikipedia)

①筑前国

●〔一宮〕住吉神社(すみよしじんじゃ)(福岡県福岡市博多区) 式内社(名神大社)旧官幣小社(別表神社)加盟  

・〔祭神〕底筒男命・中筒男命・表筒男命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕筥崎宮はこざきぐう)(福岡県福岡市東区)式内社(名神大社)旧官幣大社(別表神社)加盟

・〔祭神〕応神天皇神功皇后玉依姫命

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)一宮〕北斗宮(福岡県嘉麻市)旧県社

・〔祭神〕天之御中主神伊邪那岐神伊邪那美神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(二宮以下は不詳)

 

(参考)〔神功皇后神話の中心地〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 神功皇后の神話は北九州から中国地方西部にかけて分布しているが、特に筑紫に色濃く残っている。たとえば、宗像大社は、住吉大神とともに神功皇后の遠征を守護した神を祀る神社であるし、香椎宮は、遠征の間、仲哀天皇の棺を椎の木に掛けておいた地とされる。筑前一宮とされる住吉神社筥崎宮も、皇后ゆかりの神社である。

 

 いずれも由緒があり、社格も高く、一宮としての資格を備えているように見えるのだが、はっきりとここが一宮だといえるところはない。

 

 『大日本一宮記』や『一宮巡詣記』などは筥崎宮を一宮としているが、中世以前の史料でこれを裏付けるものはない。松薗斉氏は住吉神社が一宮だったという説をとっているが、これについても「確認できるのは南北朝期以降であり、国衙・一宮制の主たる対象期間である平安末から鎌倉期については確証がないので、あくまで一つの説」であるという(「筑前国」『中世諸国一宮制の基礎的研究』)

 

 筑前国には大宰府という特殊な行政機関があったため、一宮制度が発展しきれなかったのかもしれない。

 

(参考)〔住吉神社と筥崎宮の由緒〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 『古事記』は伊邪那岐大神が竺紫(筑紫)の日向の橘の小門の阿波岐原で、禊をした時に住吉大神が生まれたと述べるが、筑前の住吉神社はこれを博多湾のことだとし、ここから住吉神社発祥の地とし、住吉本社ともいう。

 

 筥崎宮は神功皇后が応神天皇を産んだ時の胞衣を箱に入れて埋めた地とされ、三大八幡宮の一つに数えられる。醍醐天皇が「敵国降伏」の御宸筆を下賜したことでも知られる。 

 

②筑後国

●〔一宮〕高良大社(こうらたいしゃ)(福岡県久留米市)式内社(名神大社)旧国幣大社(別表神社)加盟 

・〔祭神〕高良玉垂命八幡大神住吉大神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下は不詳) 

 

(参考)〔もう一つの神功皇后神話〕引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 高良大社の祭神・高良玉垂命も謎に満ちている。五代の天皇と神功皇后に仕えたとされる功臣・武内宿禰という説や彦火火出見尊とする説などがあるが、本来は高良山に降臨したということだろう。

 

 この高良神社には、「記紀」や住吉神社(大社)などが伝えるものとは少し異なる神功皇后神話が残されている。神社のホームページから引用する。

 

「仲哀天皇の御世、異国の兵が筑紫(九州)に攻め込んできました。西に下った神功皇后が追い返し、筑前国四王子嶺に登って神仏に助けを祈られた時、高良玉垂命という神が住吉の神と共に初めてご出現されたと伝わります。」

 

 ここで思い起こされるのが高良大社の神域を囲むように並べられている千三百個もの巨石、神籠石だ。古代の山城跡であるらしいので、神話のもとになるような戦いが実際にあったかもしれない。

 

 なお、同様の神話は長門国二宮の忌宮神社にも伝わっている。

 

③豊前国

●〔一宮〕宇佐神宮(うさじんぐう)(大分県宇佐市)名神大 官大 別表 勅祭社 加盟  

・〔祭神〕八幡大神比売大神神功皇后

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下はなし) 

 

(参考)〔謎の八幡大神〕 (引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 宇佐神宮を総本宮とする八幡宮・八幡神社は稲荷神社とともに日本でもっとも分社・分祠が多い神社である。しかし、その起源は謎に満ちている。

 

 現在、八幡大神応神天皇の神霊とされているが、この説が広まったのは8~9世紀以降のことらしい。それ以前は託宣によって神意を現わすシャーマニズム的な神と信じられていたと考えられる。

 

 八幡信仰の性格を複雑にしているのは、一つの氏族が奉斎していた神ではなく、いくつもの氏族の信仰が混入していることにある。

 

 宇佐神宮についていえば、八幡大神が降臨したという馬城峯(大元山)の磐座を祭祀場としていた宇佐氏、朝鮮半島からの渡来系氏族と思われる辛嶋氏、大和からの移住者と考えられる大神氏の信仰が核となっているとされる。

 

 しかし、八幡信仰(または八幡信仰に発展した基層信仰)は宇佐神宮の影響圏に限らず、九州全体に広まっていたものと思われる。八幡大神の信仰が朝廷にも伝わり、国家的な神として認められていくに従い、宇佐神宮を中心に神格や神話が統合されていったのだろう。このため同じ八幡信仰でも地域によって性質が異なっている。

 

 筥崎宮(筑前国)神功皇后の色合いが濃く、大隅正八幡宮とも呼ばれた鹿児島神宮(大隅国)は応神天皇を祭神としない信仰を伝えている。

 

(参考)〔皇祖神にして大菩薩〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 こうした八幡神が応神天皇と同一視されるようになった背景には、北九州中心に広まっていた神功皇后(応神天皇の母)信仰があったことは疑いない。

 

 地方の神社の霊威が朝廷に認められ公に祀られるべきものとされるためには、その祭神を記紀神話に関係づける必要があった。しかし、宇佐神宮は朝廷との接触が比較的遅かったうえに、神の性質が独特であったため神代の神と関係づけるのは難しかった。そこで、、九州人には馴染みの深い神功皇后の皇子が選ばれたのであろう。

 

 いっぽう、八幡信仰はいち早く仏教と習合したことでも知られる。八幡大神は八幡大菩薩とも呼ばれ、神像も僧形八幡といって僧の姿で表された。

 

 もともと外来の信仰の要素をもっていたので仏教と結びつきやすかったということもあるだろうが、これもやはり中央への進出のためだった可能性がある。

 

 当時、朝廷は仏教を国家統一のイデオロギーとして中央集権化を推し進めていた。伝統的な神祇信仰では氏族ごとに独自の信仰があったので、国家標準を作るのは難しかったためで、国分寺の建設はまさにその集大成と言えるものであった。

 

 そうしたなかにあって仏教に権威を認められた神ということになれば、朝廷もその存在を尊重せざるを得ない。事実、八幡大神大仏建立を守護するという名目で上京し、国家鎮護の神としての地位を得ていったのである。

 

(参考)〔国家鎮護の武神〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 しかし、八幡信仰がこれほど広まることになったのは、国家的危機、とくに外寇の時に霊験を現すと信じられたからである。八幡大神が広く知られるようになった二つの事件、養老4年(720)隼人反乱の鎮圧と神護景雲3年(769)道鏡皇位簒奪の阻止もそうした霊験の現われと信じられた。

 

 このため元寇といった国家的危機を迎えるたびにその信仰は広まり、分社が造られていった。一宮に八幡大神を祀る神社が多いのも、こうしたことと無関係ではないだろう。

 

 源氏をはじめとした武士が八幡大神を「氏神」として崇敬したのも、国家の鎮守としての武神の姿に自らの理想を重ね合わせていたからではないだろうか。

 

④豊後国

●〔一宮〕柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう(大分県大分市)旧国幣小社(別表神社)加盟 

・〔祭神〕仲哀天皇応神天皇神功皇后

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕西寒多神社(ささむたじんじゃ)(大分県大分市)式内社(大社)旧国幣中社)(別表神社)加盟

・〔祭神〕西寒多大神

〔参考Webサイト〕神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)一宮〕大分社(大分県大分市)旧郷社

・〔祭神〕大分君稚臣豊門別命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

二宮以下は不詳) 

(参考)〔西寒多神社を探しあぐねた橘三喜〕 (引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 豊後国一宮は柞原八幡宮(由原宮)西寒多神社の二つの論社がある。『大日本一宮記』『一宮巡詣記』『豊後国志』などは西寒多神社一宮説をとる。国内唯一の式内大社であったからだろう。

 

 しかし、『一宮巡詣記』の作者・橘三喜が豊後を訪れた時、西寒多神社は一宮であることばかりか、その存在さえ忘れかけられていたらしい。紀行文にはこう書かれている。

 

「由原山へまかりて、西寒多の社を尋けれど共、社人・社僧何れも知らざるよしを告ぬ、此所に10日余りも止る内に、寒田村有と聞きて尋行、是こそ一宮ならんと詣でけるに、日数へて津守村の宮もり来り、西寒多の社の事、委しく語りぬ、此宮守を案内して、羽田村の田の中に少し藪有内に僅の小社有、昔棟札有りし写なりととて、扉を開き尋けるに、西寒多社と書付有」

 

 橘三喜は感無量に書いているが、研究者は西寒多神社を一宮とするのには否定的だ。

 

(参考)〔宇佐神宮の別宮として発展した柞原八幡宮〕 (引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 しかし、私は西寒多神社説に若干の未練がある。というのは、ここは神功皇后ゆかりの地とされるからだ。社伝によると、遠征から帰国した神功皇后が西寒多山に登って国見をし、白旗を立てたのが神社の起源だという。

 

 これに対して柞原八幡宮は移植された八幡信仰であるらしい。社伝では、延暦寺の金亀和尚が天長4年(827)に宇佐神宮の神霊を柞原山に勧請したことを起源とするとしている。

 

 吉良国光氏は柞原八幡宮が一宮となった過程を次のように推測している。「恐らく当初は由原宮周辺の生石・賀来・大辰・小原・来鉢等の住民により祀られていたと思われるが、その後天台系密教との融合や宇佐八幡宮の別宮化を図り、更に、豊後国衙・国司との結びつきを強め、それにより豊後国一宮として成立したものとおもわれる」(『中世諸国一宮制の基礎的研究』「豊後国」)

 

⑤肥前国

●〔一宮〕與止日女神社(よどひめじんじゃ)(佐賀県佐賀市)式内社(小社)旧県社 加盟

・〔祭神〕與止日女命(神功皇后の妹、一説・豊玉姫)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)(佐賀県三養基郡みやき町)旧国幣小社(別表神社)加盟

・〔祭神〕応神天皇仲哀天皇神功皇后

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕不詳

・〔祭神〕不詳

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕天山社/天山神社(佐賀県小城市)

・〔祭神〕

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔141年間続いた一宮相論〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 一宮の地位をめぐる争いは長引く傾向があるが、肥前国のケースは特に長い。慶長19年(1614)に始まり、宝暦5年(1755)まで続いている。事の起こりは後陽成天皇與止日女神社(当時は河上神社)に「大日本鎮西肥前州第一之鎮守宗廟河上山正一位淀姫大明神一宮」という勅額を下賜したことに始まるという。ちなみに、天皇はその5年前に千栗八幡宮にも「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅額を下賜している。

 

 論争は藩主をも巻き込むほどに過熱したが、現代の研究者は河上神社が証拠とした文書は改竄されているとみている(大塚統子「肥前国」『中世諸国一宮制の基礎的研究』ほか)

 

 井上寛司氏は肥前国における與止日女神社の位置づけを「嘉応2年(1170)3月10日の肥前国留守所下文案には「当国第一之鎮守」とあって、国府城に位置することもあって、国衙との緊密な関係から一宮に準じる位置を占めていたことも事実」としている(『中世諸国一宮制の基礎的研究』)

 

(参考)〔五所別宮と神功皇后の妹神〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 千栗八幡宮は、郡司の壬生春成が神亀元年(724)に八幡大神の神託を受けて、千根の栗が生えている霊地に社殿を建てたことに始まるという。その後、大分八幡宮、藤崎八幡宮、鹿児島神宮(大隅正八幡宮)、新田神社とともに五所別宮と呼ばれ、宇佐八幡宮同様に宗廟(皇祖神を祀る神社)として崇敬された。

 

 いっぽう、欽明天皇25年(564)創建と伝えられる與止日女神社は、神功皇后の妹と伝えられる(異説もある)

 

 落合偉洲氏によると、「佐賀県を中心とする北九州地方に、淀姫神(与止日女神)を奉斎する神社が多くある。そのなかでも、佐賀県の嘉瀬川流域には六社鎮座している」(「淀姫神社」『神社辞典』)とする。当社もその一社である。

 

⑥肥後国

●〔一宮〕阿蘇神社(あそじんじゃ)(熊本県阿蘇市)式内社(名神大社)旧官幣大社(別表神社)加盟

・〔祭神〕健磐龍命・阿蘇都比咩命(同左妻)・ほか10柱

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶奥宮

 

●〔二宮〕甲佐神社(こうさじんじゃ)(熊本県上益城郡甲佐町)旧郷社

・〔祭神〕八井耳玉命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔三宮〕藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)(熊本県熊本市)旧国幣小社 別表神社

・〔祭神〕応神天皇

・〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)三宮〕郡浦神社(熊本県宇城市)旧郷社

・〔祭神〕蒲智比咩命・健磐龍命・速瓶玉命・神武天皇

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔阿蘇山に鎮座する大いなる神〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

  主祭神のところでは略したが、阿蘇神社には、健磐龍命・比咩神(阿蘇津姫命)・國龍神(吉見神)・比咩御子神・彦比咩神・若比咩神・新彦神・新比咩神・若彦神・彌比咩神・國造神(速瓶玉命)・金凝神の十二柱の神を祀っている。

 

 これら十二柱は健磐龍命の妻や子孫といった親類に当たるのだが、面白いのは祭神の配置の仕方で、一の神殿に男神五柱、二の神殿に女神五柱を祀り、諸神殿に國造神と金凝神、それに全国の式内社の神を祀っている。

 

 社伝によると健磐龍命神武天皇の孫で、天皇の命により阿蘇地方を平定したという。しかし、もともとは阿蘇山を神格化したものだったと思われ、外輪山を蹴り崩してカルデラ湖の水を流したといった壮大な神話が伝わっている。

 

 また、阿蘇神社には鬼八という鬼神の伝説もある。健磐龍命の家来であったが無礼を働いたので首を切られたといわれる。その霊が霜を降らせたので霜宮を建て火焚き神事を行って慰めたと伝えられるが、この神話は吉備津神社(備中国)の吉備津彦命と温羅の神話を思わせる。

 

⑦日向国

●〔一宮〕都農神社(つのじんじゃ)(宮崎県児湯郡都農町)式内社(小社)旧国幣小社(別表神社)加盟

・〔祭神〕大己貴命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕都萬神社(宮崎県西都市)式内社(小社)日向国総社論社 日向国二宮論社 旧県社

・〔祭神木花開耶姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔日向国一宮は都農神社か?〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 現在の都農神社は立派な神門・拝殿を構えており、一宮の称号にふさわしい偉容をみせている。しかし、『一宮巡詣記』の作者・橘三喜が訪れた時は、かなり衰亡していたようだ。

「13日申の剋、津野村に至り、大明神へまふてぬるに、豊後の国主大友宗麟薩摩をせめし時、あまたの社を焼きはらひ、縁記(縁起)・古記・御宝物抔悉く失ぬ、其後取立る人もなしとて、僅の小社となり、御名さへも知らず、只明神とのミいへり、されども年老たる宮守を尋出して、古キ事共語らせ、棟札などを見て、日向の一宮とは知りぬ、是によりて豊葦原一宮記を書て、宮守のもとへ遣し侍りぬ」

 

 しかしながら、井上寛司氏は都農神社一宮説に否定的である。「建久8年(1197)の日向国図田帳にその名が見えないなど疑問が多く、むしろ(略)妻万社が一宮であった可能性が高く、一宮の呼称が成立しなかった事例に属すこともかんがえられる」(『日本中世国家と諸国一宮制』)

 

 日向国一宮については研究者によって意見が分かれるようであるが、現在一宮として機能しているのは都農神社だけであるので、此処では都農神社としておく。

 

⑧大隅国

●〔一宮〕鹿児島神宮(かごしまじんぐう(鹿児島県霧島市)式内社(大社)旧官幣大社(別表神社)加盟

・〔祭神〕天津日高彦穂々出見尊豊玉比売命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕蛭児神社(ひるこじんじゃ)(鹿児島県霧島市)旧村社

・〔祭神蛭児尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下は不詳)

 

(参考)〔もう一つの八幡信仰〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 鹿児島神宮が神宮号を用いるようになったのは明治7年(1874)からのことで、それまでは大隅正八幡宮とか鹿児島神社などと呼ばれていた。

 

 祭神は今は天津日高彦穂々出見尊とされているが、正八幡宮と呼ばれていた頃は神功皇后・仲哀天皇とされていた(暦応2年=1339年の「大隅正八幡宮講衆殿上等申状写」)

 

 延宝3年(1675)に当社を訪れた橘三喜も、神主から「此社は本地日の神也、神功后宮三韓に趣給いし時、皇軍此神を祈り、終に其しるし顕る、後又神功・応神をいはいそへ、鹿児島神社共、正八幡宮共申伝ゆる」と言われている。

 

 しかし、八幡宮とはいうものの、宇佐神宮(豊前国)などとは祭神を異にするともいわれる。それは次の伝説からも読み取れる。

 

「天承元年(1132)4月、本殿の東北に二体の石神が出現し、八幡の二字が読み取れ、朝野は挙げてその奇瑞を尊んだ」(白井永二「鹿児島神宮」『神社事典』)

 

 おそらく宇佐神宮によって統一される前の八幡信仰の片鱗を伝えているのだろう。 

  

⑨薩摩国

●〔一宮〕枚聞神社(ひらききじんじゃ)(鹿児島県指宿市)式内社(小社) 国小 別表 加盟

・〔祭神〕大日孁貴命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕新田神社(にったじんじゃ)(鹿児島県薩摩川内市)旧国幣中社(別表神社) 加盟

・〔祭神〕天津日高彦火邇邇杵尊天照皇大御神正哉吾勝々速日天忍穂耳尊

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕加紫久利神社(鹿児島県出水市)式内社(小社)旧県社

・〔祭神〕天照大神多紀理毘売命住吉三神応神天皇神功皇后

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(三宮以下はなし)

 

(参考)〔弘安の相論と枚聞神社〕 (引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 弘安10年(1287)から正応年間(1288~93)にかけて、薩摩一宮の地位をめぐって枚聞神社新田神社の間で相論があった。幕府が蒙古退散の祈禱を諸国の一宮に命じたことがきっかけであったが、守護職の島津氏が新田神社の訴えを認めたため、以後は新田神社が薩摩国一宮を称するようになった。

 

 しかし、『大日本一宮記』や『一宮巡詣記』などはこの判定を認めず、枚聞神社を一宮としている。興味深いのは、祭神を今のように大日孁貴命とはせず、塩土翁神猿田彦命としていることだ。社号も和多都美神社とし、「枚聞神社とも号する」としている。

 

 「おかいもんさま」という通称からもわかるように、当社の起源は開聞岳への信仰にあった。恐ろしい火山であるとともに、外洋航海の目印でもあった開聞岳は、荒ぶる神でもあり、海上安全の神でもあった。定期的に日本に使節を送っていた琉球王が信仰し額を奉納したのも、当社が海の安全を守る神であったからだろう。

 

⑩壱岐国

●〔一宮〕興神社(こうのじんじゃ)(長崎県壱岐市)式内社(名神大社)旧村社 非加盟   

・〔祭神〕足仲彦命(仲哀天皇)息長足姫命(神功皇后)

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕天手長男神社(あめのたながおじんじゃ)(長崎県壱岐市)式内社(名神大社)論社 

     壱岐国一宮後継社 旧村社 加盟

・〔祭神天忍穂耳尊・天手力男命・天鈿女命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔二宮〕 (聖母宮)(長崎県壱岐市)式内社(名神大社)旧郷社

・〔祭神〕息長足姫尊(神功皇后)足仲彦尊(仲哀天皇)住吉大神

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶 

 

(参考)〔外寇・国防の最前線〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 隠岐もそうだが、壱岐は「国」とするには小さすぎるように思える。おそらく、これらの島が「国」扱いをされたのは、外交や国防における重要性からであろう。壱岐・対馬・隠岐は大陸に向って開かれた玄関であるとともに、国土防衛ラインでもあった。

 

 そうした視点から壱岐の神社を見てみると、住吉神社・香椎神社・箱﨑(筥崎)神社・八幡宮と神功皇后ゆかりの神社が多いことに気づく。いずれも外敵退散の霊験をもつ霊威社だ。

 

 天手長男神社は現在では天忍穂耳尊・天手力男命・天鈿女命を祀るとしているが、本来は神功皇后の新羅遠征において活躍した天手長男神を祀っていたと思われる。『宗像大菩薩縁起』によれば、宗像神は旗竿(御手長)を振り上げ降り下げして敵を翻弄したとされ、戦後、これを沖ノ島に立てたとされる。天手長男神は、この旗竿を神格化したものであろう。

 

(参考)〔失われた一宮〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 天手長男神社は『延喜式』に名が記されるほどの神威が知られた神社であったのだが、度重なる戦火などにより、江戸時代には廃絶状態になっていた。

 

 延宝3年(1675)に壱岐を訪れた橘三喜は、鉢形山の藪を掘り起こさせ、神鏡と二座の石体を掘り出したことから、ここを神社の跡と比定し、石社を建立したと『一宮巡詣記』に記している。天手長男神社は今もこの場所に鎮座している。

 

 しかし、現代の研究者はこの説に否定的である。現在の興神社が天手長男神社の後身とする説が有力になっている。なお、「興」とは国府のことで、壱岐国の最初の国府もこのあたりにあったのだという。

 

 永留久恵氏によれば、「興神社」というのは、もと国府宮と称したもので、『式社沿革考』に「古今、一ノ宮とも、国府宮とも、印鑰とも称し、延宝以前にも式内社と云えば、興神社は一ノ宮天手長男神社か」と考証している(「天手長男神社・天手長比売神社・物部布郡神社」『日本の神々』第1巻) 

 

⑪対馬国

●〔一宮〕海神神社(わたつみじんじゃ)(長崎県対馬市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)加盟 

・〔祭神〕豊玉姫命

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔一宮〕厳原八幡宮神社(長崎県対馬市)式内社(名神大社)論社 対馬国一宮論者 旧県社 非加盟

・〔祭神〕応神天皇神功皇后仲哀天皇・姫大神・武内宿禰

〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

●〔(称)一宮〕住吉神社(長崎県壱岐市)式内社(名神大社)旧国幣中社(別表神社)長崎県下筆頭神社

 ・〔祭神〕底筒男命・中筒男命・表筒男命

 〔参考Webサイト〕*神社公式サイト *玄松子神社記憶

 

(二宮以下は不詳)

(参考)〔どれが一宮の和多都美社か?〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

 『大日本一宮記』は対馬国一宮を「和多都美社 八幡宮 対馬上県郡」としている。いっぽう、『延喜式』には「わたつみ」とつく神社を上県郡に二社、下県郡に二社あげている。

 

 これらの神社が現在のどの神社にあたるのか、非常に難しい問題である。対馬には「わたつみ」とつく、あるいはかってそう呼ばれていた神社が数多く存在するからだ。

 

 和多都美(綿津見・海神)は海の神のことなので、対馬に限らず港や海を見下ろす場所に祀られることが多い。特に島嶼部で盛んに信仰されてきた。それゆえ、社名だけでは判断が難しいのだが、対馬一宮については、『大日本一宮記』に「八幡宮也」とあることがヒントとなる。この条件に合うのは、上県郡の海神神社(上津八幡宮)と下県郡の厳原八幡宮(下津八幡宮)の二社である。

 

 日隈正守氏は下津八幡宮が上津八幡宮の分社であることから上津八幡宮を対馬国一宮とした(『中世諸国一宮制の基礎的研究』「対馬国」)が、井上寛司氏は「ともに名神大社であった上津八幡宮と下津八幡宮の両社がセットをなす形で一宮に転化したものとかんがえられる」(『日本中世国家と諸国一宮』)としている。

 

(参考)〔豊玉姫信仰と神功皇后信仰〕(引用:「諸国神社一宮・二宮・三宮」渋谷申博著・山川出版社)

  この上津八幡宮こと海神神社も当初は和多都美神を祀っていたものと考えられる。八幡宮となったのは八幡大神のもつ外敵退散の霊験をい期待してのことと思われるが、対馬には和多都美神八幡大神をい同一視する信仰もあったようだ。

 

 永留久恵氏は、『対馬記事』(1809年)「当八幡宮の祭神を、彦火火出見尊・豊玉姫命・鵜茅葺不合尊とし、これを八幡三所と称しているが、この三神はワタツミの祭神にほかならない」としている。

 

 対馬の和多都美信仰は豊玉姫命とその御子神・鵜茅葺不合尊を中心としたものであったので、神功皇后と応神天皇の信仰と習合しやすかったのであろう。


(4)全国の神社・祭神について


(引用:玄松子の記憶&神社探訪)

〇参考WebサイトⅠ:「玄松子の記憶-神社記憶」の紹介

 このWebサイトは、作成者「玄松子」が歩いた全国各地の神社の記録として作成されたホームページです。

 

 Webサイトの構成は「神文調査」「神社記憶」「神社知識」「延喜式神名帳」「祭神記」「朱印収集」「廃絶神社」「社格・一宮・総社」に区分されて、日本全国の神社の所在地、祭神、神紋、由緒、境内雰囲気、社殿等写真が簡潔にまとめられ、神社の百科事典的な内容になっており、大変参考になりました。

 

 このサイトは画像及びテキストの無断転用が禁止されていますので、Webサイトの「神社記憶」のインデックスを参考に、アクセスを希望する神社へのリンク先を紹介します。

 

 当該サイトのインデックスは、全国主要地方別、都道府県別、市町村別に整理されたていますので、以下に掲載されている神社には容易にアクセスできると思います。 

 

〔参考Webサイトのトップページ〕『玄松子の記憶-神社記憶』 

※地方及び都道府県の掲載順は、Webサイトの記載順によります。

(4-1)北海道・東北地方

 ①青森県 ②岩手県 ③宮城県 ④福島県 ⑤秋田県 ⑥山形県

 

(4-2)関東地方

 ①神奈川県 ②埼玉県 ③東京都 ④群馬県 ⑤栃木県 ⑥茨城県 ⑦千葉県

 

(4-3)甲信越地方

 ①山梨県 ②長野県 ③新潟県 

 

(4-4)北陸地方

 ①富山県 ②石川県 ③福井県

 

(4-5)東海地方

 ①愛知県 ②静岡県 ③岐阜県 ④三重県 

 

(4-6)関西地方

 ①京都府 ②奈良県 ③大阪府 ④兵庫県 ⑤滋賀県 ⑥和歌山県 

 

(4-7)中国地方

 ①鳥取県 ②島根県 ③岡山県 ④広島県 ⑤山口県

 

(4-8)四国地方

 ①徳島県 ②高知県 ③愛媛県 ④香川県

 

(4-9)九州・沖縄地方

 ①福岡県 ②大分県 ③佐賀県 ④長崎県 ⑤長崎県 ⑥熊本県  ⑦鹿児島県 ⑧沖縄県 

 

〇 参考WebサイトⅡ:神社探訪ー狛犬見聞録・注連縄の豆知識

  神社探訪HP(トップ)

 このWebサイトも、都道府県別に全国の神社・祭神、写真等を紹介しています。

 

●作成者のコメント

 『日本中の神社を参拝して歩こう』と思い立ち、あちこちとりとめもなく旅を重ねてきました。その折に撮り貯めた写真を、「少しでも同好の士のお役に立てれば幸い」と思い、HPを開設致しました。

 

 又、沢山の神社を巡る内に、滅び行く数々の名品の狛犬達と、地域の方々が大切に育み護ってきた産土神を、今記録しておかなければ・・という危機感と使命感が生まれてきた事も事実です。(夫)

 

 私達夫婦は、神社の静謐さを好み、社殿の彫刻の見事さに感嘆し、狛犬の声無き声を聞く事に喜びを感じながら、ただただ呑気で気楽に神社巡りをしているだけなので、写真や記述に至らない事が多々あると思われますが、どうぞ気軽に覗いてみて下さい。又、お勧めの神社がお有りでしたら、是非お知らせ下さい。私としては可愛い狛ちゃんがいると、とても嬉しいのですが・・・。(妻)

 

(付)  尚、私達は、それぞれ神社・狛犬道を極めている方達は数多いらっしゃいますが、双方を併せて紹介している方が少ないので、まあ【神社探訪・狛犬探しの入門編】として、お散歩やご旅行の際に参考資料の一つとして活用して頂けたら・・という考えを基本姿勢としています。

 

 また、平成19年10月末に、サイト「注連縄の豆知識」を引き継がせていただくことになりました。私たちには注連縄の知識は殆ど無いのですが、「少しずつ勉強しながら進化していきたい…。」と思っております。

 

〇都道府県別の神社の細部については、参考Webサイトをご参照下さい。

 なお、参考Webサイトは、次のような略語で表します。

 ・参考WebサイトⅠ:「玄松子の記憶-神社記憶」の紹介 ⇒ 神社記憶

 ・参考WebサイトⅡ:神社探訪ー狛犬見聞録・注連縄の豆知識 ⇒ 神社探訪

 

 都道府県の記載順及び掲載神社は、参考WebサイトⅠ(神社記憶)に準拠しています。

 また、アクセスした神社は、各都道府県の先頭に重複して記載しています。

 

〇神社明細帳(引用:Wikipedia)

 神社明細帳は、内務省および庁府県に備え付けられていた神社の台帳である。

 

1)根拠法規

 1879年(明治12年)6月28日、内務省達乙第31号により、神社及び寺院の明細帳を作成し、その副本を内務省に送付することが各府県に命じられた。各府県では、社寺取扱規則(明治11年内務省達乙第57号)の基準に合致する社寺を、届出又は職権によりそれぞれ神社明細帳及び寺院明細帳に登載した。

 

2)概要

 神社明細帳は、1872年(明治5年)に神祇省から地方庁に神社の調査が命じられ、翌年、その進達にもとづいて社格の決定をした結果によるという。

 

 1879年(明治12年)、内務省は一定の様式によって府県に神社および寺院の明細帳を調進させ(明治12年内務省達乙31号)、1913年(大正2年)には省令第6号で様式を定めた。つまり、新旧2つの様式があることになる。

 

 法律的には、ここに登載されることによって行政の対象となる。その調製者は地方長官であり、地方長官は所定の様式で2通、調製し、うち1通を内務大臣に進達することを要する。記載事項は常に事実と符合させ、明確にする必要があるから、記載事項に異動が生じた場合は遅怠なく加除訂正しなければならない。

 

 神社は明細帳の記載事項に変更が生じたとき、またはその訂正を要すると認めるときは地方長官に申出て、地方長官はその事件を適当と認めたときはその事項の性質によって、地方長官限り、あるいは内務大臣に稟伺し、その認可を得て変更または訂正し、その結果は内務報告令にもとづき明細帳異動報告として内務大臣に報告することになっていた。

 

 神社明細帳は明治初年に調製されたためか、届出に誤りや洩れがあり、その取り扱いの過誤を除去してあらためて明細帳に登載すること(明細帳脱漏神社の編入)が行なわれたが、その際には神社の創立に類するような取り扱いをされ、慎重な要件のもとに許可された。

 

 内務省は宗教法人神社本庁が設立される前日の1946年(昭和21年)2月2日まで国家が定めた台帳として管理し、その後は文部省が保管した。

 

3)種類

 (1) 官国幣社明細帳(各社別)

 (2) 府県社以下神社明細帳

 (3) 招魂社明細帳(以上市郡別)

 

 官国幣社明細帳官国幣社の鎮座地、社格、社名、祭神、由緒、例祭日、本殿以下の建物および図面、造営の沿革、境内坪数および付近の平面図、氏子戸数、境内外摂末社、境内招魂社、遙拝所などが記された。

 

 府県社以下神社明細帳もほぼ(1)と同じで、鎮座地、社格、社名、祭神、由緒、社殿、境内、氏子または崇敬者名簿、境内神社などが記された。

 

 招魂社明細帳は(1)や(2)に比べると祭神名が多いから定められた欄が設けられ、神名、旧藩名、族籍身分、合祀年月日、官私祭区別、戦死事故など祭神に関するほか鎮座地、官私祭の別、由緒、社殿、境内坪数などが記された。

 

 なお、これらの明細帳に類似するものとして、遙拝所明細帳官修墳墓明細帳がある。


(4-1)北海道・東北地方


①北海道 ②青森県 ③岩手県 ④宮城県 ⑤福島県 ⑥秋田県 ⑦山形県


①北海道(参照:神社記憶 神社探訪

 

 北海道神宮 函館八幡宮 船魂神社

 

〔札幌市中央区〕

・北海道神宮(大國魂神 大那牟遲神 少彦名命 明治天皇)

 

〔函館市〕

・函館八幡宮(應神天皇 住吉大神 金刀比羅大神)

・船魂神社(鹽土老翁神 大綿津見大神 須佐之男大神/配祀:火之加具土神 埴山姫神 罔象女神 倉稻魂神)

 

 

②青森県(参照:神社記憶 神社探訪

 

岩木山神社 大石神社 巖鬼山神社 鬼神社 十和田神社 善知鳥神社 八甲田神社

 

〔弘前市〕

・岩木山神社(顯國魂神 (大己貴命) 多都比姫神 大山祇神 坂上刈田麿 宇賀能賣神)

・大石神社(高御産巣日神 神産巣日神)

・巖鬼山神社(大山祇神)

・鬼神社(高照比女神 伊奘那岐大神 大山祇神)

 

〔十和田市〕

・十和田神社(日本武尊)

 

〔青森市〕

・善知鳥神社(市杵嶋比賣命 多岐都比賣命 多紀理比賣命/配祀 天照大御神 猿田彦神 宮比賣神 海津美神)

・八甲田神社(伊邪那岐大神 伊邪那美大神  天照大御神  月夜見大神 南八甲田連峯大地主大神 大山祇大神  八甲田山大地主高靇大神  八甲田山大地主闇靇大神  大海津見大神 科津彦大神 科津姫大神  北畠顯信 北畠守親 三穗屋姫大神/配祀  久須志大神  磐長姫大神  木之花咲耶姫大神  八幡大神  猿賀大神 阿倍比羅夫  坂上田村麻呂 源義家  源義光  北畠顯成  北畠親能  北畠親治  成田泰次  八甲田山倉魂大神  八甲田山火産靈大神)

 

③岩手県(参照:神社記憶 神社探訪

〔一関市〕

・配志和神社(高皇産靈神 瓊瓊杵尊 木花開耶姫命)

・儛草神社(伊弉册命 稻倉魂命)

 

〔遠野市〕

・愛宕神社(迦具土命)

・石上神社(經津主命/配祀  伊邪那美命 稻蒼魂命)

・卯子酉様(淵の主)

・神遣神社(三女神?)

・駒形神社(保食神 月讀之神)

・倭文神社(天照皇大神 下照姫命 瀬織津姫命)

・多賀神社(伊邪那岐神 伊邪那美神)

・続石(山神?)

・遠野郷八幡宮(誉田別尊/配祀 大國主神 事代主神 少彦名神 御年神)

・早池峰神社(瀬織津姫命)

・母也明神(矢崎の巫女)

・山崎のコンセイサマ(金精様)

・六神石神社(表筒男命 中筒男命 底筒男命 息長帶姫命 大己貴命 少彦名命/合祀  誉田別命)

 

〔奥州市〕

・磐神社(伊邪那岐命)

・石手堰神社(天忍穗耳命)

・於呂閇志胆澤川神社(水速女命 あるいは 澤女命  神八井耳命 須佐之男命 若飯豊別命 大日靈命  彦火火出見命 軻遇土命 誉田別命 大山祇命 大名持命)

・駒形神社(駒形大神  (天照大御神、天之常立尊、国之狭槌尊、吾勝尊、置瀬尊、彦火火出見尊))

・鎮岡神社(大己貴命)

・止止井神社(天湯河桁命/配祀  大日靈命 迩迩藝命 大山祇命 水波夜女命 伊邪那岐命)

 

〔紫波町〕

・志賀理和氣神社(經津主命 武甕槌命/合祀  大己貴命 少彦名命 猿田彦命 保食神 船靈命)

 

〔大船渡市〕

・尾崎神社(稻倉魂神/配祀  海住神)

 

陸前高田市〕

・冰上神社(氷上神社)(衣太手神 理訓許段神 登奈孝志神 あるいは 天照大神 素盞嗚神 稲田姫命 あるいは 天照大神 速進男神 稲田姫命)

 

④宮城県(参照:神社記憶 神社探訪

 

鹽竈神社 志波彦神社 多賀神社 日高見神社 荒脛巾神社

 

〔丸森町〕

・鳥屋嶺神社(鵜草葺不合命/配祀 猿田彦命 保食命 『伊具郡誌』)

 

〔涌谷町〕

・黄金山神社(金山毘古命 天照皇太神 猿田彦命)

 

〔塩竈市〕

・御釜神社(御神釜)

・鹽竃神社(左宮 武甕槌命/右宮  経津主命/別宮  鹽土老翁神)

・志波彦神社(志波彦神(あるいは鹽土老翁神、あるいは岐神))

 

〔加美町〕

・飯豊神社(保食神 大山祇神 天照大神 八重事代主神)

・賀美石神社(速須佐男之命/合祀  猿田彦命)

 

〔色麻町〕

・伊達神社(五十猛命 經津主命 武甕槌命  大日靈命 火産靈神/配祀  岐神 興玉命 國之底立命 倉稻魂命  家都御子神 熊野夫須美神 早玉雄神 櫛稻田比賣命)

 

〔角田市〕

・熱日高彦神社(天津日高彦火廼邇々杵命 日本武尊)

 

〔蔵王町〕

・刈田嶺神社(日本武尊)

 

〔気仙沼市〕

・五十鈴神社(天照皇大神/配祀 大海津見神 素盞嗚神)

・岩倉神社(天照皇大神/配祀  日本武尊 宇迦魂神/合祀 素盞嗚尊)

・大島神社(倉稻魂神)

・御崎神社(大海津見神/配祀 素戔嗚尊 合祀 日本武尊)

・羽黒神社(倉稻魂命(宇賀之御魂神))

 

〔七ケ浜町〕

・鼻節神社(猿田彦命/手力男命『神祇志』『惣國風土記』)

 

〔利府町〕

・伊豆佐比賣神社(溝咋比賣命)

 

〔栗原市〕

・表刀神社(素盞嗚命)

・雄鋭神社(速須佐之男命/合祀  軻遇突智命)

・鹿島神社(武甕槌命/合祀  經津主命)

・香取御児神社(経津主神)

・駒形根神社嶽宮(大日孁尊 天常立尊 國常立尊 吾勝尊 天津彦番迩迩藝尊 神日本磐余彦火火出見尊)

・駒形根神社里宮(大日孁尊 天常立尊 國常立尊 吾勝尊  天津彦番迩迩藝尊 神日本磐余彦火火出見尊/合祀  日本武尊 素戔嗚尊 正哉吾勝速日命 天櫛明玉命 軻遇突智尊  保食尊 大山祇尊 木花咲耶姫命 天手力男尊 誉田別尊)

・志波姫神社(八樟新田)(木花開耶姫命/合祀  倉稻魂命 應神天皇 素盞嗚尊 菊理姫命  伊弉册命 大日靈命 軻遇突智命 倭姫命)

・志波姫神社(高清水五輪)(天鈿女命)

・新山神社(木花開耶姫命)

・御嶽神社(安閑天皇)

・和我神社(栗駒桜田)(大日孁尊)

・和我神社(築館)(武烈天皇)

 

〔大衡村〕

・須岐神社(素盞嗚尊/伊弉諾尊『神社覈録』/鋤の神『大和町史』)

 

〔大和町〕

・石神山精神社(大山祇神 大歳神 事代主神/配祀  大國主神 保食神 奥津彦神 奥津姫神)

・鶴ケ峯八幡宮(應神天皇 神功皇后 玉依姫)

・船形山神社(保食神 十二神將軍 大黒樣)

 

〔富谷町〕

・行神社(猿田彦命/靭大伴連の祖神 『大日本地名辞書』)

・鹿島天足別神社(経津主命 武甕槌命/合祀  天照皇大神 大山祇神 熊野夫須美神 大己貴命 少名彦命/『社伝』『封内風土記』石裂神/『神祇志料』天足別神(鹿島の裔))

 

〔大河原町〕

・大高山神社(日本武尊 橘豊日尊/合祀  迦具土尊 大山祇命)

 

〔石巻市〕

・朝日山計仙麻神社(倉稻魂命 豊玉彦命/配祀  菅原道眞 軻遇突智命 須佐之男命 家都御子命 白山比咩命 宇迦魂命  伊弉册神 大日靈命 市杵嶋姫命 大山祇命 天照大御神 鹽土老翁神

・飯野山神社(飯野宮下北)(稚産靈神 大山津見神 保食神/配祀  天水分神 少彦名神 國水分神 倭健命  那良皇太子 加具土命 火産靈命 大名持命)

・飯野山神社(飯野吉野)(大御食都姫神/配祀  水別神 雷神 邦良親王)

・伊去波夜和氣命神社(水沼)(鹽土翁命)

・伊去波夜和氣命神社(大宮町)(猿田彦命 武甕槌命 天照皇大神 倉稻魂命 經津主神)

・石神社(前谷地)(豊岩窓尊(櫛石窓神))

・石神社(石峰山)(湍津姫命)

・伊豆神社(香取伊豆御子神)

・大嶋神社(底筒男神 中筒男神 表筒男神/合祀  須佐之男神)

・鹿島御児神社(武甕槌命 鹿嶋天足別命)

・賀茂小鋭神社(賀茂別雷神 玉依姫命 賀茂健角身命)

・久集比奈神社(彦火火出見命/合祀  木花開耶姫命)

・黄金山神社(金山毘古神 金山毘賣神  天神八百萬神  地神八百萬神)

・白鳥神社(倭建命)

・曾波神社(志波彦神)

・龍口神社(豊玉彦命/配祀  火産靈命 磐長姫命 須佐之男命 誉田別命 /合祀  宇迦之御魂神)

・鳥屋崎神社(伊豆之姫命(伊豆能売神))

・鳥屋神社(鳥屋神社:猿田彦神 船御魂神/羽黒神社:倉稲魂神 大物忌神

・拝幣志神社(高皇産靈命/配祀 應神天皇)

・日高見神社(天照皇大神/配祀  日本武命 武内宿禰命)

・零羊崎神社(豊玉彦命)

・二俣神社(八衢比古神 水戸神 八衢比買神 船戸神/配祀  保食神 須佐之男命 誉田別尊)

・八雲神社(建速須佐之男命)

・和渕神社(経津主神 武甕槌神 大巳貴神 靇神/合祀  須佐之男命 三吉大神 倉稻魂命 火産靈神

 

〔仙台市太白区〕

・多賀神社(伊弉諾尊 伊弉冉尊/配祀  天之兒屋根命 高靇神)

 

〔多賀城市〕

・荒脛巾神社(荒脛巾神)

・浮嶋神社(奧鹽老翁神 奧鹽老女神/配祀  源融)

・多賀神社(多賀城跡附寺跡)(伊弉諾尊 伊弉冉尊)

・多賀神社(役所跡)(?)

・陸奥總社宮(陸奥國式内社百座)

 

〔大崎市〕

・荒雄川神社(鳴子温泉)(大物忌命/配祀 素盞嗚命 誉田別命 軻遇突智命 大山祇神 日本武尊)

・荒雄川神社(岩出山)(大物忌神/配祀  建速須佐之男命 瀬織津姫命 大國主神 言代主神 大山祇神   軻遇突智神 倉稻魂神 武甕槌神 經津主神)

・表刀神社(伊弉冉命 素盞嗚命/合祀  武甕槌命)

・温泉神社(鳴子温泉)(大己貴命 少彦名命)

・子松神社(武甕槌尊/合祀  大國主命 言代主命 伊邪那美尊 天照皇大御神 家都御子神)

・敷玉早御玉神社(豊玉姫命 玉依姫命)志波姫神社(天鈿女命/配祀  武甕槌命)

・温泉石神社(鳴子温泉)(大己貴命 少彦名命)

・若宮八幡神社(誉田別尊 大鷦鷯尊 神功皇后/配祀  建御名方命 木花咲耶姫命 武内宿禰命)

 

登米市〕

・遠流志別石神社(倭健命)

・柳津虚空蔵尊(虚空蔵尊)

 

〔東松島市〕

・石上神社(素盞男命 少名彦命 猿田彦命)

・鹿石神社(武甕槌命)

 

〔南三陸町〕

・計仙麻大嶋神社(迩迩藝命)

 

〔名取市〕

・佐倍乃神社(猿田彦大神 天鈿女命)

・多賀神社(伊弉諾尊  天照大神 速須佐男命 応神天皇 伊弉冉尊 熊野加夫呂櫛御食奴神

 

〔亘理町〕

・安福河伯神社(速秋津日賣神  大年神 経津主神 猿田彦神)

・鹿島天足和気神社(左殿 稜威雄走神 鹿嶋伊都乃比氣神社/中央 武甕槌神 鹿嶋天足和氣神社/右殿 猿田彦命 鹿嶋緒名太神社)

・鹿島緒名太神社(武甕槌神)

 

⑤福島県(参照:神社記憶 神社探訪

 

霊山神社

 

〔いわき市〕

・大國魂神社(大己貴命 事代主命 少彦名命)

・温泉神社(常磐湯本町)(少彦名命 大己貴命/配祀  事代主命

・鹿嶋神社(武甕槌神)

・子鍬倉神社(稻倉魂命)

・佐麻久嶺神社(五十猛命)

・澤村神社(澤村勘兵衞勝爲)

・住吉神社(表筒之男命 中筒之男命 底筒之男命)

・二俣神社(品陀和氣命)

・水守神社(三森治右衞門光豊)

 

〔国見町〕

・鹿島神社(武甕槌命/配祀  大名持命 少彦名命)

 

〔伊達市〕

・霊山神社(北畠顯家 北畠親房 北畠顯信 北畠守親)

 

会津若松市〕

・蠶養國神社(保食大神/配祀 稚産靈大神 天照大神)

 

郡山市〕

・宇奈己呂和気神社(瀬織津姫命/配祀  誉田別命)

・隠津島神社(喜久田)(建御雷之男神)

・隠津島神社(湖南)(市杵嶋比賣命 多岐理比賣命 多岐都比賣命)

・八雲神社(素盞嗚命/境内 飯豊和氣神社  遥拝殿(御饌津神)/保食神『神名帳考證』/国常立命『巡礼旧神祠記』)

 

〔須賀川市〕

・桙衝神社(日本武尊 建御雷命)

 

〔西郷村〕

・永倉神社(伊弉諾命)

 

〔古殿町〕

・伊波止和気神社(戸隱大神 手力男神)

 

〔石川町〕

・石都々古和気神社(味鉏高彦根之命/配祀  誉田別命 大國主命)

 

〔会津美里町〕

・伊佐須美神社(伊佐須美大明神(伊弉諾尊 伊弉冉尊 大毘古命 建沼河別命))

・殺生石稲荷神社(宇迦魂神)

 

〔田村市〕

・子松神社(素盞嗚尊)

 

棚倉町〕

・都々古別神社(八槻)(味耜高彦根命/配祀  日本武尊)

・都々古別神社(馬場)(味耜高彦根命)

 

〔二本松市〕

・隠津島神社(瀛津嶋姫命 田心姫命 湍津姫命)

 

〔白河市〕

・飯豊比売神社(飯豊比賣神)

・鹿嶋神社(武甕槌命)

・白河神社(鹽伊乃自直命(白河国造)天太玉命 中筒男命 衣通姫命)

 

〔福島市〕

・東屋國神社(日本武尊)

・東屋沼神社(少名彦名命 大己貴命 素盞嗚命 日本武命)

・鹿島神社(鳥谷町)(武甕槌命)

・鹿島神社(小田)(武甕槌命)

・鹿島神社(岡島)(武甕槌命)

・黒沼神社(金沢)(沼中倉太珠敷命)

・黒沼神社(浅川)(渟仲倉太珠敷命 石姫命/配祀  申田彦大神)

・黒沼神社(御山堂殿)(黒沼大神 石姫皇后)

・白和瀬神社(日本武尊)

 

〔本宮市〕

・安達太良神社(高皇産靈神 神皇産靈神 飯豊和氣神 飯津比賣神 陽日温泉神 彌宜大刀自神)

 

〔猪苗代町

・磐椅神社(大山祇命 埴山姫命/配祀  誉田和氣命 息長足姫命 木花之佐久夜比賣命 磐長姫命)

・聖神社(中目兵庫靈 伊邪那岐命 伊邪那美命/配祀 倉稻魂命 大山祇命 埴山姫命 譽田別命)

 

〔磐梯町〕

・磐梯神社(大山祇命 埴山姫命)

 

⑥秋田県(参照:神社記憶 神社探訪

 

古四王神社

 

〔横手市〕

・塩湯彦神社 奥宮(速玉尊 大山祇命)

・塩湯彦鶴ヶ池神社(速玉尊 大山祇命)

・波宇志別神社(安閑天皇/合祀  火産靈神 須佐之男命 菊理姫命 大日靈命 菅原道眞 金山毘古命  稻倉魂命 大名持神 少彦名命 岩戸別神 誉田別神 八意思兼命  伊邪那岐命 經津主命 猿田彦命 天津御女命 健御名方命 應神天皇

大山祇命 大山咋命)

 

〔秋田市〕

・古四王神社(武甕槌神 大彦命)

・添川神明社(天照皇大神 豊受姫大神 鹿嶋大神 杉皇大神 熊野大神 那智瀧大神)

 

〔大仙市〕

・唐松神社(軻具突命 息氣長足姫命 豊宇氣姫命 高皇靈命 神皇靈命/境内にある唐松山天日宮  饒速日命 玉鉾神 愛子神)

・八幡神社(保牟多和氣命 加句槌命)

 

〔八郎潟町〕

・副川神社(天照大御神 豊受大神 素盞嗚大神)

 

⑦山形県(参照:神社記憶 神社探訪

 

出羽神社 (三神合祭殿) 湯殿山神社 

 

〔酒田市〕

・小物忌神社(級長津彦命 級長津姫命 豊受比賣命 椎根津彦(物忌直の祖神))

・城輪神社(倉稻魂命)

・小物忌神社(飛鳥)(級長津彦命 級長戸邊命)

・飛澤神社(豊受姫命/配祀 稲倉魂命 月夜見命)

・八幡神社(誉田別尊 足仲津彦尊 息長足姫尊/合祀  建御名方命 甕速日神 經津主神 武甕槌神 熯速日神 菅原道眞

・六所神社(伊弉諾命 伊弉冉命/配祀  素盞嗚命 大己貴命 稻田姫命 丹生都比賣命)

 

〔西川町〕

・湯殿山神社(本道寺口之宮)(大己貴命 少彦名命 大山祇神/配祀 月讀命 伊弖波神)

 

〔鶴岡市〕

・出羽神社(三神合祭殿)(月山神社:月讀命/出羽神社: 伊弖波神 稻倉魂命/湯殿山神社:大己貴命 少彦名命 大山祇命)

・遠賀神社(外内島)(大山祇尊 倉魂命 土祖神 手力雄命)

・遠賀神社(遠賀原)(倉稻魂命 瓊々杵命 名婦殿)

・遠賀神社(井岡)(豊受大神 鳴雷神 高靇神 和久産巣日神 大山祇神 猿田彦大神/合祀  天照大神 軻遇突智命 伊弉諾尊 伊弉冉尊 大己貴神 仲姫命  山末之大主神 應神天皇 玉依毘賣命 神功皇后 武甕槌神 經津主神  天兒屋根命 比賣神 菅原道眞 吉祥姫中將殿 倉稻魂命 素戔嗚尊  大市姫神 五十猛命 気長足姫命 上筒之男命 中筒之男命 底筒之男命  田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命 少彦名命 大物主神 大國魂神 菊理媛神)

・月山中之宮(月讀命)

・椙尾神社(事代主神/配祀  天津羽羽神 竜田彦神 竜田姫神 月山神 大物忌神)

・由豆佐賣神社(中座:溝樴姫命/左座:大己貴命/右座:少彦名命)

・湯殿山神社(大山祇命 大己貴命 少彦名命/あるいは、湯殿山大神 あるいは、彦火火出見尊)

・六所神社(三和)(玉依姫命  配祀  木花開耶姫命  合祀 天照大神  あるいは、玉依姫命 天香護山命 稲倉魂命 月讀命 大己貴命 少彦名命 健南方命)

・六所神社(上藤島)(大物忌大神 小物忌大神 月山大神 出羽大神 由豆佐賣大神 遠賀大神  配祀  天照皇大神 藥師大神)

 

〔庄内町〕

・月山本宮(月讀命)

 

〔南陽市〕

・熊野大社(熊野夫須美大神(伊弉冉尊) / 熊野速玉大神(伊弉諾尊)/  熊野家津御子大神(素盞嗚尊)

 

〔米沢市〕

・上杉神社(上杉謙信公)

 

〔遊佐町〕

・劔龍神社(大己貴命)

・鳥海山大物忌神社(蕨岡口之宮)(大物忌神)

・鳥海山大物忌神社(吹浦口之宮)(大物忌大神 月山神)

・鳥海山大物忌神社 (大物忌大神(倉稲魂神)) 


(4-2)関東地方


①神奈川県 ②埼玉県 ③東京都 ④群馬県 ⑤栃木県 ⑥茨城県 ⑦千葉県


 ①神奈川県(参照:神社記憶 神社探訪

 

 鎌倉宮 白旗神社 鶴岡八幡宮 江島神社 箱根神社

 

〔横浜市神奈川区〕

・熊野神社(國常立尊 伊弉諾尊 伊弉冉尊/配祀  素戔嗚尊 天照大神 大己貴命 少名彦名命/合祀倉稻魂命 武御名方命 速玉之男命 船玉之神)

・洲崎大神(天太玉命/配祀  天比理刀賣命/ 合祀  素盞男命 大山咋命)

 

〔横浜市西区〕

・戸部杉山神社(大己貴神)

 

〔横浜市港北区〕

・杉山神社(五十猛命/配祀  権五郎景政 比野聖廟 素盞嗚命)

・師岡熊野神社(伊邪那美命 事解之男命 速玉之男命/配祀  伊邪那岐命 天照皇大神 須佐之男命 熊野夫須美命 加具土命 水波能賣命 埴山比賣命 稚産靈神 天之鈿女命 事代主之命 天忍穗耳命 瓊瓊杵命 木花開耶姫命 彦火火出見命 鵜葺草葺不合命)

・若雷神社(若雷命)

 

〔横浜市戸塚区〕

・冨塚八幡宮(誉田別命 富属彦命)

 

〔鎌倉市〕

・荏柄天神社(菅原道眞/合祀  八雲大神)

・鎌倉宮(護良親王)

・白旗神社(源頼朝公)

・銭洗弁財天宇賀福神社(本宮  市杵島姫命  奥宮  弁財天)

・鶴岡八幡宮(應神天皇 比賣神 神功皇后)

 

〔寒川町〕

・寒川神社(寒川比古命 寒川比女命)

 

〔川崎市川崎区〕

・稲毛神社(武甕槌神/配祀  経津主神 菊理媛神 伊弉諾神 伊弉冉神)

 

〔箱根町〕

・箱根神社(箱根大神  瓊瓊杵尊 彦火火出見尊 木花咲耶姫命)

 

〔藤沢市〕

・江島神社(辺津宮  田寸津比賣命/中津宮  市寸嶋比賣命/奥津宮  多紀理比賣命/龍宮  龍神/御窟内  田寸津比賣命 市寸嶋比賣命 多紀理比賣命  天照皇大神 須佐之男命)

 

②埼玉県(参照:神社記憶 神社探訪

 

 氷川神社 金鑚神社 秩父神社 三峯神社

 

〔さいたま市大宮区〕

・氷川神社(須佐之男命 稻田姫命 大己貴命/配祀  倉稻魂命)

 

〔さいたま市浦和区〕

・調神社(天照大神/配祀  豊宇気姫命 素盞嗚尊)

 

〔さいたま市緑区〕

・氷川女體神社(奇稻田姫命/配祀  三穗津姫命 大己貴命)

 

〔吉川市〕

・三輪神社(大己貴尊/合祀  木花咲耶姫命)

 

〔熊谷市〕

・大我井神社(伊邪那岐命 伊邪那美命/配祀  大己貴命/合祀  倉稻魂命 誉田別命 天照皇大神 速玉男命 事解男命  天穗日命 石凝姥命 菅原道眞)

・白髪神社(白髮大倭根子命(白髪武廣國押日本根子命=清寧天皇)/配祀  天鈿女命 猿田彦命 倉稻魂命/合祀  須佐男之命)

・奈良神社(奈良別命/合祀  火産靈命 建御名方命 大國主命 大日孁貴命  彦火火出見命 木花咲耶姫命 素盞嗚命 豊宇氣毘賣命)

 

〔上里町〕

・今城青坂稲實池上神社(伊吹戸主命/合祀 豊受姫命)

 

〔神川町〕

・金鑚神社(天照大神 素盞嗚尊/配祀  日本武尊)

 

〔深谷市〕

・榆山神社(伊邪那美命)

 

〔皆野町〕

・椋神社(野巻)(猿田彦大神/合祀  菅原道眞 金山彦命 建御名方命 大日孁貴尊)椋神社(皆野)(猿田彦命 八意思金命 大己貴命)

 

〔秩父市〕

・秩父神社(八意思兼命 知知夫彦命 天之御中主神 秩父宮雍仁親王)

・三峯神社(伊弉諾尊 伊弉册尊/配祀  天之御中主神 天照皇大御神  高皇産靈神 神皇産靈神 景行天皇 文武天皇 聖武天皇)

・椋神社(中蒔田)(猿田彦命 大己貴命 天下春命/合祀  菅原道眞 大山津見命 素盞嗚命 大山津見命 武御名方命 大地主命)

・椋神社(上蒔田)(大己貴命 猿田彦命/配祀  榛名大神 稲荷大神 丹生大神 赤城大神)

・椋神社(下吉田)(猿田彦大神  武甕槌命 經津主命 天兒屋根命 比賣神/合祀  應神天皇 猿田彦命 應神天皇 磐裂神 素盞嗚命 天手長雄命 櫛名田比賣命  表筒男命 中筒男命 底筒男命 八柱御子神 神功皇后  速玉男命 事解男命 伊弉諾命 伊弉冉命)

 

 

③東京都(参照:神社記憶 神社探訪

 

 富岡八幡宮 神田明神 谷保天満宮 小野神社 日枝神社 明治神宮 靖国神社 王子稲荷神社

 

〔稲城市〕

・青渭神社(青渭神(猿田彦命) 天鈿女命  猿田彦(青沼大明神)『風土記稿』/大田命 猿田彦大神『名所図会』/大國主命『式内社調査報告』)

・穴澤天神社(少彦名命/相殿  管神(渡唐天神))

・大麻止乃豆乃天神社(櫛真智命)

 

〔国立市〕

・谷保天満宮(菅原道眞公 菅原道武公/合祀  石土毘古神 天之日鷲命 倉稻魂命)

 

〔御蔵島村〕

・稲根神社(五十猛命 あるいは 伊大氐和氣命あるいは 国懸大神あるいは 祭神不詳)

 

〔三宅村〕

・御笏神社(佐伎多麻比咩命)

・片菅神社(?)

・后神社(伊賀牟比賣神)

・御祭神社(豊受大神)

・椎取神社(志理太宜命)

・富賀神社(事代主命 阿米都和氣命 伊古奈比咩命)

・二宮神社(伊波乃比咩命 加袮命)

 

〔多摩市

・小野神社(天下春命 瀬織津比咩命 伊弉諾尊  素盞嗚尊 大己貴大神 瓊々杵尊 彦火火出見尊 倉稲魂命)

 

〔新島村〕

・十三社神社(事代主命/合祀  大三王子明神 弟三王子明神 御蔵沢明神  泊御途口大后明神 野伏若御子明神  早嶋太前御前明神 若郷宮造明神  淡井姫后明神 冨蔵根后明神 鵜渡根后明神  鉈折御子明神 瀬戸明神/配祀  天照皇大神 八幡大神 春日大神 東照宮)

・大三王子神社(大三王子明神(多祁美加々命) 弟三王子明神)

・泊神社(泊御途口大后明神(久爾都比咩命) 野伏若御子明神)

 

〔神津島村〕

・阿波命神社(阿波咩命)

・物忌奈命神社(物忌奈命)

 

〔大島町〕

・大宮神社(天照大神 阿治古命)

・波知加麻神社(大廣祇命)

・波布比咩命神社(波布比咩命 建御名方富命/合祀 八坂刀賣命)

・三原神社(阿治古命)

 

〔利島村〕

・阿豆佐和氣命神社(阿豆佐和氣命/合祀  下上御方(阿豆佐和氣命の后神)/配祀  神武天皇)

 

〔八丈町〕

・優婆夷宝明神社(優婆夷大神(八十八重姫) 寶明神(古宝丸))

 

〔府中市〕

・大國魂神社(中殿  大國魂大神/配祀  御靈大神 国内諸神/ 東殿  小野大神(一宮) 小河大神(二宮) 氷川大神(三宮)/西殿  秩父大神(四宮) 金佐奈大神(五宮) 杉山大神(六宮))

・小野神社(天下春命(知々夫国造の祖) 瀬織津比賣命  天押帯日子命(小野氏の祖)『神名帳考證』)

 

江東区〕

・亀戸天満宮(菅原道眞/配祀  天菩日命)

・富岡八幡宮(誉田別天皇/配祀 息長足姫命 大雀命 武内宿禰命 天兒屋根命 天照皇大神 常磐社神/合祀  竃神 日本武命)

 

〔港区〕赤坂氷川神社(素盞嗚命 奇稻田姫命 大己貴命)

・烏森神社(倉稻魂命 天鈿女命 瓊瓊杵尊)

・芝大神宮(天照皇大神 豊受大御神  配祀源頼朝 徳川家康 菅原道眞/合祀  事代主命 大國主命 倉稻魂命 保食神 伊弉冉命 建御名方命  大綿津見命 須佐之男命 大物主命 木花開耶姫命 手力男命 少彦名命  品陀和氣命 天兒屋根命 市杵嶋姫命)

・御田八幡神社(誉田別尊/配祀 天兒屋根命 武内宿禰命)

 

〔渋谷区〕

・金王八幡宮(應神天皇)

・豊栄稲荷神社(田中稻荷大神 豐澤稻荷大神)

・明治神宮(明治天皇 昭憲皇太后)

 

新宿区〕

・稲荷鬼王神社(宇賀能御魂命 月夜見命 大物主命 天手力男命/合祀  旧大久保村の神)

・筑土八幡神社(應神天皇/配祀  神功皇后 仲哀天皇)

・水稲荷神社(倉稻魂大神 大宮女大神 佐田彦大神)

・鎧神社(日本武命 大己貴命 少彦名命/配祀  平將門靈神)

 

〔千代田区〕

・神田明神(大己貴命 少彦名命 平將門)

・築土神社(天津彦火瓊瓊杵尊/配祀  平將門 菅原道眞)日枝神社(大山咋神/配祀  國常立神 伊弉冉神 足仲彦尊)

・靖国神社(靖國の神)

 

〔台東区〕

・秋葉神社(火産靈神 水波能賣神 埴山比賣神)

・鳥越神社(日本武尊/配祀  天兒屋根命/合祀  徳川家康)

 

〔大田区〕

・磐井神社(應神天皇  大己貴命 仲哀天皇  神功皇后 姫大神)

・鵜ノ木八幡神社(誉田別命)

・蒲田八幡神社(誉田別命)

・久が原西部八幡神社(誉田別命)

・久が原東部八幡神社(誉田別命)

・薭田神社(誉田別命 天照大神 武内宿禰命 荒木田襲津彦命 春日大神)

・六郷神社(誉田別命)

 

〔中央区〕

・兜神社(倉稲魂命/相殿  大国主命  事代主命)

 

〔品川区〕

・荏原神社(高龗神 天照皇大神 須佐之男尊 豊受姫之命 日本武尊 手力雄之尊)

・品川神社(天比理乃咩命 素盞雄命 宇賀之賣命)

 

〔文京区〕

・根津神社(須佐之男命 大山咋命 誉田別命  配祀  大國主命 菅原道眞)

・白山神社(菊理比咩命 伊弉諾命 伊弉冉命)

 

〔北区〕

・王子稲荷神社(宇迦之御魂神 宇氣母智之神 和久産巣日神)

・王子神社(伊邪那美命 伊邪那岐命 天照大御神 速玉之男命 事解之男命)

 

④群馬県(参照:神社記憶 神社探訪

 

 総社神社 一之宮貫前神社 伊香保神社

 

〔みどり市〕

・大間々神明宮(大日孁命 豊受毘売神)

 

〔安中市〕

・熊野神社(信州側 那智宮  事解男命/上信両国境 本宮 伊邪那美命 日本武尊/上州側 新宮  速玉男命)

・咲前神社(経津主命 大己貴命 保食命)

 

〔伊勢崎市〕

・大國神社(大國主命/配祀  日葉酢媛命 渟葉田瓊入媛命 眞砥野媛命 竹野媛命 薊瓊入媛命)

・倭文神社(天羽槌雄命/配祀  倉稻魂命 菅原道眞 豊受姫命  木花咲耶姫命 大己貴命 大山祇命  誉田別命 素盞嗚命 菊理姫命)

 

〔下仁田町〕

・荒船神社里宮(經津主命/配祀  大山津見命 大日孁命 建御名方命 菅原道眞 國常立命  迦遇突知命 須佐之男命 火産靈命 金山毘古神  伊斯許理度賣命 宇迦之御魂命 市杵嶋比賣命 誉田別命  保食命 罔象女命 味耜高彦根命 大國主命  日本武尊 煩大人神 波迩夜須比賣神 天椹野命)

・稲含神社(宇迦之御魂神 經津主命 速玉之男命 伊邪那美命 事解男之命  天兒屋根命 建御名方神 大國主命 大山津見命 大物主命)

 

〔甘楽町〕

・稲含神社(宇迦御魂神/配祀  經津主神 大山祇神 事代主神 建御名方神 八坂刀賣神)

 

〔桐生市〕

・賀茂神社(別雷神/合祀  玉依姫命 経津主神 武甕槌神  建御名方神 素盞嗚命 白滝姫命  宇迦之御魂神  外二十柱)

・桐生天満宮(天穗日命 菅原大神/合祀  素盞嗚命)

・美和神社(大物主櫛甕玉命/合祀  素盞嗚命)

 

〔高山村〕

・中山神社(木花咲屋姫命 菅原道眞 譽田別命 建御名方命 須盞雄命 保食命  少彦名命 天照大御神 軻遇突知命 大山祇命 火之迦具土命 大名持命  大物主神 祭神不詳二座)

 

〔草津町〕

・白根神社(日本武尊)

 

〔中之条町〕

・吾妻神社(大穴牟遲神  菅原道眞 大山祇命 火産靈命 速須佐之男命  天照皇大神 大日靈命 軻遇突知命 豊宇氣姫命  豊受大神 宇氣母智神 宇迦之御魂神 大物主命  日本武尊 埴山比賣命 市杵嶋姫命 別雷神  速玉男命 伊弉冉命 事解男命 建御名方命  八坂刀賣命 経津主命 天之御中主尊  木花開耶姫命 橘姫命 武甕槌命 麓山祇命  祭神不詳二十六座)

 

長野原町〕

・王城山神社(建御名方命 八坂刀賣命 日本武尊  品陀和氣命 菅原道眞 宇迦之御魂神  大山祇神 市寸嶋比賣命)

 

〔東吾妻町〕

・大宮巌鼓神社(日本武尊 弟橘姫命 素盞嗚命 保食命/配祀  菊理姫命 菅原道眞 宇迦御魂神 大雷命  大國主神 鹿屋野比賣命 伊弉册命 奇稻田姫命  建御名方神 大山祇命 大物主命)

・甲波宿禰神社(速秋津比古命 速秋津比咩命)

 

〔高崎市〕

・大森神社(國常立之尊/合祀  大己貴尊 大山祇命 建御名方神 火産神 埴山姫神  宇迦之御魂神 志那都比古神 埴安姫神 保食神  瀬織津比咩命 菅原道眞 徳川家康 藤大夫 吉備眞備  天照大神 豊受大神 素盞嗚命 稚日姫命 天照大神)

・小祝神社(少彦名尊/  合祀  速玉男命 大日孁命 五十猛神  健御名方神 大國主神 誉田別命 伊弉册命  宇氣母智神 倉稻魂神 大名持神 大山祇命  八衢姫命 菊理姫命 軻遇突智命  八衢彦神 久那止神 市杵嶋姫命  事解男命 素盞嗚命 菅原道眞)

・小祝神社(冷水町)(小祝神)

・辛科神社(速須佐之男命/配祀 五十猛命/合祀  金山毘古命 品陀和氣命 中筒男命 伊邪那美命 大山津見命  建御名方命 八坂刀賣命 大物主命 大日靈命 宇迦之御魂命  木花佐久夜毘賣命 天兒屋根命 市寸嶋比賣命 菅原道眞 鹽光清)

・倉賀野神社(大國魂神/配祀  御間城入彦五十瓊殖命 活目入彦五十狹茅尊 大足彦忍代別尊  豊城入彦命 八綱田命 彦狹嶋王命 御諸別王命 荒田別巫別命  上毛君田道命 上毛君形名命 上毛野稚子命  上毛野安麿命 上毛野朝臣廣人命 上毛野朝臣頴命/合祀  速須佐之男命 宇迦之御魂命 月夜見命 菊理比咩命)

・車持神社(車持公/配祀 火産靈命 波迩夜麻毘賣命)

・上野国一社八幡宮(品陀和気命/配祀 息長帯姫命 玉依姫命/合祀  品陀別尊 建御名方命 伊邪那美命 國常立命 天照大御神 菅原道眞 埴山毘賣命)

・進雄神社(速須佐之男命/配祀  稻田比賣命/合祀  二十四神  櫛御氣野命 宇迦野御魂神 保食命 軻遇突知命  菅原道眞公 建御名方命 市杵嶋姫命 木花開夜姫命  誉田別命 経津主命 伊邪那美命 豊宇氣姫命  大物主命 火産靈神 積羽八重言代主命 高龗神  上津綿津見神 八衢比古神 八衢毘賣神 大日孁命  埴山毘賣神 大山祇神 大己貴命 大國主命)

・諏訪神社(建御名方命/合祀  布都御魂神(石上神社)/合祀  火産靈神 埴山姫神(榛名神社))

・高崎神社(伊弉册命 速玉男命 事解男命  大穴牟遲命 豊木入日子命 建御名方神  建速須佐之男命 宇気母智神 大日孁命  豊宇気毘賣神 宇迦之御魂命 猿田彦命  大山祇命 苔蟲神 菅原道眞  迦具土命 祭神不詳一座)

・榛名神社(火産靈神 埴山姫神/合祀  水分神 高靇神 闇靇神 大物主神 木花開耶姫神)

・妙見社(未確認(天御中主神か)) 

・山名八幡宮(誉田別命/配祀  玉依姫命 息長足姫命)

 

〔玉村町〕

・火雷神社(火雷命/配祀  那波八郎 保食命 菅原道眞  火産霊命 香々背男)

・玉村八幡宮(誉田別命 気長足比賣命 比咩命/配祀  素盞嗚命 健御名方命 大鷦鷯命 熊野久須毘命 大己貴命 倉稲魂命  火産霊命 大日孁命 豊受姫命 菅原道眞 伊弉諾命 伊弉册命  櫛御気野命 瓊瓊杵命)

 

〔渋川市〕

・伊香保神社(大己貴命 少彦名命)

・甲波宿禰神社(川島)(速秋津彦神 速秋津姫神/合祀  大山祇神 誉田別神/配祀  大物主神 倉稻魂神 水波之賣神)

・甲波宿禰神社(行幸田)(速秋津彦命 速秋津姫命)

・木曽三社神社(須佐之男命 宇気母智神 彦火火出見命 豊玉姫命)

・子持神社(木花開耶姫命/配祀  迩迩藝命 猿田彦大神 蛭子命 天鈿女命  大山祇神 大己貴命 手力雄命 須佐之男命/本山奥宮  倭建命)

・武内神社(建内宿禰命/配祀  宇氣母智神 速須佐之男命/日本武尊『群馬郡村誌』)

・若伊香保神社(大名牟遲神 少彦名神)

 

〔沼田市〕

・河内神社(大己貴命 日本武尊 少彦名命/合祀  菅原道真公 波邇夜麻比売神 五十猛命 建御名方命  大屋津姫命 火産霊命 譽田別尊 大山祇命)

・須賀神社(素盞嗚尊/配祀  穂高見神 大己貴命 大日孁貴尊/合祀  菊理姫命 稲田姫命 少彦名命)

・榛名神社(埴山姫命 倭建命 菅原道眞公/合祀  建御名方命)

 

〔前橋市〕

・赤城神社(三夜沢)(大己貴命 豊城入彦命)

・赤城神社(大沼)(赤城大明神 豊城入彦命 磐筒男命 磐筒女命 經津主命/配祀  大山祇神 徳川家康/合祀  月讀命 素盞嗚尊 埴山姫命 豊受姫命 市杵嶋姫命 高靇命  建御名方命 大日孁尊 菅原道眞 誉田別命 水分神 火産靈命  御穗須須美   煩之大人命 迦具土命 彌都波能女命 大土命 大物主命  鎌倉權五郎景政 保食命 罔象女命 倉稻魂命 猿田彦命 大國主命  木花咲夜姫命 伊弉册命 事解之男命 天照皇大神 速玉之男命 久那斗神  大雷命 柿本人丸 屋加須利神 大山咋命)

・赤城神社(富士見町)(豊城入日子命/合祀  誉田別尊 経津主命 大山祇命 市杵嶋姫命  奧津姫命 奧津彦命 建御名方命 大己貴命  木花咲耶姫命 保食命 竜田姫命 大日孁尊  素盞嗚尊 火結命)

・大胡神社(大己貴命 豊城入彦命/配祀  八綱田命 菅原道眞 大雷命 市杵嶋姫命  保食命 大物主命 大日孁命 道之長乳歯神  建御名方命 久那斗神 八衢彦命 八衢姫命  八十枉津日神 誉田別命 火産靈命 罔象女命  多紀理毘賣命 狹依毘賣命 多岐津比賣命  天忍穗耳命 天津日子根命 活津日子根命  熊野久須毘命 天穂日命 木花咲耶姫命  埴山姫命 大地主命 大山咋命 手力雄命)

・小石神社(素戔鳴尊/配祀  大物主命 菊理姫命 大己貴命 菅原道眞  伊邪那岐命 伊邪那美命 木花佐久夜比賣命)

・御霊神社(上毛野君田道 村岡小五郎忠通 鎌倉權五郎景成)

・総社神社(磐筒男命 磐筒女命 經津主命 宇迦之魂命 須佐之男命/配祀  上野國内五四九社の神)

・近戸神社(大己貴命 豊城入彦命/配祀  大物主命 誉田別命 伊弉諾尊 伊弉册尊  少名彦名命 大山咋命 素盞嗚尊 大山祇命  大日孁尊 火産靈命 宇賀魂命 菅原道眞 保食命  )

・二宮赤城神社(大己貴命  多紀理比賣命 多岐津比賣命 市岐嶋毘賣命  天忍穗耳命 天之笠早命 熊野久須毘命 活津日子根命 天津日子根命  和久産巣日命 大物主命 建御名方命/配祀  級津姫命  須佐之男命 建御賀豆智命 大地主命 誉田別命 菅原道眞  彦狹嶋命 少彦名命 天津日大御神 級津彦命 大山祇命  磐筒男命 磐筒女命 日本武命 級津姫命)

・前橋東照宮(徳川家康/配祀  菅原道眞 木之花佐久夜毘賣命  日子番能迩迩藝命 建御雷命)

・前橋八幡宮(品陀和氣命 比咩神 息長足媛命/配祀  健御名方命 大物主神  伊邪那岐命 伊邪那美命 武内宿禰命  菅原道眞 高産霊神 神産霊神 天御中主神  天照皇大神 宇迦之御魂命 市寸嶋比賣命)

 

〔藤岡市〕

・鬼石神社(磐筒男命 伊邪那岐命 伊邪那美命)

・神明宮(大日孁命  配祀  建御名方神)

・土師神社(野見宿禰)

 

〔富岡市〕

・一之宮貫前神社(経津主神 比賣大神『神道集』/天竺の女神(抜鉾大明神)『一宮巡詣記』/稚日女尊  相殿  経津主命  『明治十年神社明細帳』/経津主神  配祀  大日孁尊)

・宇藝神社(倉稻魂神 建御名方神 速玉之男命 伊邪那美命  大山津見神 事解之男命 大日孁尊)

・小舟神社(經津主命)

・蛇宮神社(高龗神)

・妙義神社(日本武尊(倭建命)/配祀  菅原道眞公 権大納言長親卿 豊受大神(あるいは 丹生都姫命)/合祀  建御名方命 素盞嗚  國常立命  八衢比古命 八衢比賣命 大國主命  彌種継命 大地主命 大己貴命 疱瘡神  伊邪那美命 大日孁尊 祭神不詳)

 

〔吉岡町〕

・三宮神社(彦火火出見尊 豊玉姫命 少彦名命)

 

⑤栃木県(参照:神社記憶 神社探訪

 

 二荒山神社(宇都宮) 二荒山神社(日光) 日光東照宮

 

〔宇都宮市〕

・高尾神社(高龗神)

・二荒山神社(豊城入彦命/配祀  大物主命 事代主命)

 

〔上三川町〕

・白鷺神社(上三川町)(日本武尊/配祀  大己貴命 事代主命 豊城入彦命)

 

〔佐野市〕

・一瓶塚稲荷神社(豊受姫大神 猿田彦大神 大宮能賣大神 久々能智大神 草野姫大神)

・鹿嶋神社遥拝殿(武甕槌命 經津主  天兒屋根命/合祀  大山祇命 高龗命 素盞嗚命  誉田別命 大日孁命 稻蒼魂命  柿本人丸 伊邪那美命 白山姫命)

・唐澤山神社(藤原秀郷(田原藤太 俵藤太))

 

〔鹿沼市〕

・鵜飼神社(鵜飼佐十郎命)

・賀蘇山神社(天御中主神 月讀命 武甕槌命/配祀  大國主命)

・加蘇山神社(磐裂命 根裂命 武甕槌男命)

・奈佐原神社(大己貴命)

・胸形神社(田心姫神/相殿  天御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神  可美葺牙彦舅神 天常立神 国常立神 豐斟渟神 天照皇大神  天恩穂耳神 瓊々杵神 彦火火出見神 鸕鷀草葺不合神  大日孁貴神 少名彦名神 日本武神 鎌倉権五郎景政)

 

〔小山市〕

・網戸神社(田心姫命/配祀  大山祇神 天兒屋根命)

・安房神社(天太玉命 莬道稚郎子命)

・高椅神社(磐鹿六雁命 國常立尊/合祀  木花開耶姫命 經津主神 高靇神 火産靈命 豊受比賣神  )

・胸形神社(宗像三女神/田心姫命/配祀  市杵島命 多岐津比売命『栃木県神社誌』)

 

〔真岡市〕

・大前神社(大己貴命 事代主命/配祀  天照大神)

 

〔足利市〕

・粟谷神社(大己貴命/配祀  大山祇命 日本武命 素盞嗚命)

・下野國一社八幡宮(譽田別命 大帶姫命 姫大神)

・六之丞八幡宮(堀江六之丞命 妻・よね)

 

〔大田原市〕

・温泉神社(大己貴命 少彦名命/配祀  名城入姫命 高日子根命 大山祇命 別雷命 木花咲耶姫命 稻倉魂命  素盞嗚命 高龗命 伊弉册命 訶遇槌命 火靈命 大日靈命)

・笠石神社(那須國造直韋提命)

 

〔栃木市〕

・太平山神社(瓊瓊伎命 天照皇大神 豊受姫大神/配祀  伊邪那岐  大己貴神 天宇受賣命  御食津神 大物主神 別天神 月夜見尊)

・大前神社(栃木藤岡町)(於褒婀娜武知命/配神  神日本磐余彦火々出見命/豊城命『神名帳考證』出口延経/ 大穴持命『神名帳考證』伴信友/ 大名持命『下野國誌』/大己貴命 『神名蝶』/ 於褒那武知命 神日本磐餘彦火々出命  一品中務卿具平親王 三品弾正尹阿保親王 四品中務卿上総常陸大掾貞純親王 『明治神社誌料』)

・大神神社(栃木市)(倭大物主櫛𤭖玉命/配祀  大山咋神 瓊瓊杵尊 木花開耶姫命 彦火火出見尊 火遠理命/『明治神社誌料』  倭大物主櫛𤭖玉命  彦穂瓊々杵命 彦火々出見命  木花開耶姫命 大山祇命  倉稲魂命 伊弉諾命 伊弉冉命)

・村檜神社(誉田別命 熊野大神 大山咋命)

 

〔那珂川町〕

・健武山神社(日本武尊 金山彦命/素盞嗚尊 説『神社覈録』/大己貴命 金山彦命 説『神社覈録』)

・鷲子山上神社(天日鷲命/配祀  大己貴命 少名彦命)

・三和神社(大物主命/配祀  火産霊神 木花咲耶姫命)

 

〔那須町〕

・温泉神社(大己貴命 少彦名命/配祀  誉田別命)

 

〔日光市〕

・若子神社(下照姫命)

・日光東照宮(徳川家康公/相殿  豊臣秀吉公 源頼朝公)

・二荒山神社・中宮祠(二荒山大神 (大巳貴命 田心姫命 味耜高彦根命))

・二荒山神社・日光(二荒山大神 (大巳貴命 田心姫命 味耜高彦根命))

・二荒山神社・別宮滝尾神社(田心姫命)

・二荒山神社・別宮本宮神社(味耜高彦根命)

 

〔益子町〕

・八幡宮(誉田別命/配祀  大物主命 大山祇命 素盞嗚命)

 

〔茂木町〕

・荒橿神社(國常立尊 國狹槌尊 豊斟渟尊/國常立命 豊雲野之命 阿夜訶志根命『明治神社誌料』他)

 

〔矢板市〕 

・木幡神社(正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊/配祀  事代主命 田心姫命 大己貴命)

 

 

⑥茨城県(参照:神社記憶 神社探訪

 

筑波山神社 八溝嶺神社 鹿島神宮 息栖神社 常盤神社

 

〔かすみがうら市〕

・子安神社(木花開耶姫命 武甕槌命)

・胎安神社(木花開耶姫命 經津主命 彦火瓊瓊杵命 彦火火出見命/配祀  大山祇命)

 

〔つくば市〕

・筑波山神社(筑波男大神(伊弉諾尊) 筑波女大神(伊弉冉尊)/『神祇宝典』 日本武尊 弟橘姫命)

 

〔ひたちなか市〕

・酒列磯前神社(少彦名命 大己貴命)

 

〔阿見町〕

・阿彌神社(竹来)(健御雷之男命/配祀  經津主命 天兒屋根命)

・阿彌神社(阿見)(豊城入彦命 經津主命)

 

〔美浦村〕

・楯縫神社(經津主命/配祀  大己貴命二座 宇賀魂命二座  市杵嶋姫命 須佐之男命 神皇産靈命 熊野加夫呂岐命 彦狹知命)

 

〔笠間市〕

・愛宕神社(火之迦具土命/配祀  伊弉册大神 火結命 水波女命 埴山比賣命)

・稻田神社(奇稻田姫之命/合祀  經津主命 菅原道眞 大山咋命 大日孁貴命  )

・大井神社(神八井耳命)

・佐志能神社(豊城入彦命 建御雷之神 大國主神/相殿  品陀和氣命  八幡神社/宇迦御魂命  城山稲荷神社/市杵志麻比賣命  伊都伎島神社/迦具土命 迦遇突智神社/宇迦御魂命  出世稲荷神社)

・羽梨山神社(木花咲耶姫命)

 

〔大子町〕

・近津神社(下野宮)(面足尊 惶根尊 級長津彦命)

・近津神社(上野宮)(面足尊 惶根尊 級長津彦命)

・八溝嶺神社(大己貴命 事代主命)

 

〔結城市〕

・健田須賀神社(須賀神社  須佐之男命/健田神社  武渟川別命)

 

〔桜川市〕

・磯部稲村神社(天照皇大神 木華咲耶姫命 天手力雄命 栲幡千千姫命  瀬織津姫命 日本武尊 天太玉命 玉依姫命  玉柱屋姫命 天鈿女命 倭姫命 天兒屋根命 豊受大神)

・大國玉神社(大國主命/配祀  武甕槌命  別雷命/『神祇寶典』『神名帳考證』  大國主命/『常陸國二十八社考』『続常陸遺文』大國主命  活玉依媛命/『大日本史神祇志』大國玉神  武甕槌神)

・鴨大神御子神主玉神社(主玉神/配祀  太田田根子 別雷神)

 

〔鹿嶋市〕

・鹿島神宮(武甕槌神)

 

〔常総市〕

・桑原神社(豊城入彦命 天熊人 稚彦命 大山咋命  天熊大人命/配祀  稚彦命『平成祭データ』/天熊大人命 稚彦命 猿田彦命 大山咋命『明治神社誌料』)

 

〔常陸太田市〕

・天志良波神社(天白羽命(天之志良波神 長白羽神))

・稲村神社(饒速日尊/配祀  神世七代の神々  國常立尊 國狹槌尊 豊斟渟尊 泥土煮尊 沙土煮尊  大戸之道尊 大苫邊尊 面足尊 惶根尊  伊弉諾尊 伊弉册尊)

・鹿嶋神社(武甕槌命 天速玉姫命)

・薩都神社(立速男命(別名・速経和気命))

・天満宮(菅原道眞)

・長幡部神社(綺日女命 多弖命)

 

〔常陸大宮市〕

・立野神社(級長津彦命 級長戸邊命 素盞嗚命)

 

〔神栖市〕

・息栖神社(岐神  配祀  天鳥船命 住吉三神)

 

〔水戸市〕

・有賀神社(武甕槌命 經津主命/配祀  少彦名命)

・大井神社(建借馬命/配祀  木花開耶姫命)

・立野神社(級長津彦命 級長戸邊命)

・常磐神社(高讓味道根之命(徳川光圀公=義公)押健男國之御楯命(徳川斉昭公=烈公))

・藤内神社(經津主命)

・吉田神社(日本武尊)

 

〔石岡市〕

・足尾神社(國常立命 面足命 惶根命)

・佐志能神社(染谷)(豊城入彦命(あるいは日本武尊)高靇神)

・佐志能神社(柿岡)(豊城入彦命/配祀  彦狹嶋命 日本武尊  )

・常陸國總社宮(伊弉諾尊 素盞嗚尊 瓊々杵尊 大國主尊 大宮比賣尊 布留大神)

 

茨城町〕

・夷針神社(澳津彦命 奥津姫命/配祀  武三熊大人 興玉命)

 

〔城里町〕

・青山神社(五十猛命)

・阿波山上神社(少彦名命/配祀  軻遇突智命 菅原道眞)

・石船神社(鳥之石楠船神)

 

〔大洗町〕

・大洗磯前神社(大己貴命 少彦名命)

 

〔那珂市〕

・靜神社(建葉槌命/配祀  手力雄命 高皇産靈命 思兼命)

 

〔日立市〕

・泉神社(天速玉姫命)

 

〔鉾田市〕

・主石神社(大山祇命)

 

〔北茨城市〕

・佐波々地祇神社(大津町)(天日方奇日方命/配祀  大己貴命 事代主命 大物主命 姫蹈鞴五十鈴姫命 五十鈴依姫命/合祀  大山祇命 少彦名命 素盞嗚命 火産靈命  伊邪那岐命 伊邪那美命 海津見命 大物主命  木花開耶姫命 天照皇大神 日本武尊 面足命)

・佐波々地祇神社(華川町)(天日方奇日方命)

 

〔利根町〕

・蛟蝄神社(彌都波能賣命 波迩夜須毘賣命/合祀  倉稻魂命 須佐男之命  菅原道眞 誉田別命)

 

⑦千葉県(参照:神社記憶 神社探訪

 

 安房神社 香取神宮 玉前神社 茂侶神社(流山) 

 

〔旭市〕

・玉崎神社(旭市飯岡)(玉依毘賣命/配祀  日本武尊)

 

〔館山市〕

・安房神社(天太玉命/配祀  天比理刀咩命)

・洲崎神社(天比理刀咩命/合祀  天太玉命 天富命)

・洲宮神社(天比理刀咩命/相殿  天鈿女命 天冨命)

・鶴谷八幡宮(品陀和氣命 帶中比古命 息長帶比賣命)

・六所神社(?)

 

〔神崎町〕

・神崎神社(天鳥船命 少彦名命 大己貴命/配祀  面足命 惶根命)

 

〔香取市〕

・香取神宮(經津主大神/相殿  武甕槌命 比賣神 天兒屋根命)

 

〔市川市〕

・六所神社(大己貴命/配祀  大日靈女貴命 伊弉那岐命 素戔嗚命 瓊瓊杵尊 大宮姫命)

 

〔松戸市〕

・茂侶神社(大物主命)

 

〔成田市〕

・小御門神社(太政大臣藤原師賢公(文貞公))

・麻賀多神社(台方)(稚産靈命)

・麻賀多神社(船形)(稚日孁命)

 

〔船橋市〕

・二宮神社(速須佐之男命/配祀  稻田比賣命 大國主命 藤原時平 大雀命 誉田別命  )

・船橋大神宮(天照坐皇大御神/配祀  萬幡豊秋津姫命 天手力雄命)

・茂侶神社(木花咲耶姫命)

 

〔匝瑳市〕

・老尾神社(阿佐比古命/配祀  磐筒男命 磐筒女命 國常立命)

 

〔一宮町〕

・玉前神社(玉依姫命/玉前命(高皇産霊の孫、あるいは甥)『神名帳頭註』)

 

〔南房総市〕

・下立松原神社(白浜町)天日鷲命 天太玉命 天富命  伊弉諾命 伊弉册命/配祀  阿八別彦命 須佐之男命/合祀  住吉大神 高倉彦命 大麻産靈命 高雷命 闇雷命  高皇産靈神 神皇産靈神 倭健命 柿本人丸 高靇命 闇靇命  天忍日命 天照皇大神 磯根御氣姫命 衣通比賣命 木花開耶姫命 金山彦命 菅原道眞)

・下立松原神社(千倉町)天日鷲命 木花開耶姫命 月夜見命/祭神不詳 『安房古事志』/彦狭知神 『神祇志料』)

・高家神社(磐鹿六雁命(高倍神)/合祀  天照皇大神 稻荷大神/『大日本史』大御食津神 磐鹿六雁命/『日本地理志料』天道根命(彦狭知命の子 高家首の祖神))

・莫越山神社(沓見)(御祭神  手置帆負命 彦狹知命/ 配祀  彦火火出見尊 鸕鷀草葺不合尊 豊玉姫命/合祀  天照皇大御神 誉田別尊)

・莫越山神社(宮下)(手置帆負命 彦狹知命/配祀  小民命 御道命)

 

〔流山市〕 

・茂侶神社(流山市)(大物主命)


(4-3)甲信越地方


①山梨県 ②長野県 ③新潟県


①山梨県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔甲州市〕

・大石神社(塩山)大山祇神 可美眞手命)

・大石神社(勝沼)(石凝姥命)

・神部神社(神直日神 大直日神 八十枉津日神  表津少童命 中津少童命 底津少童命  表筒男命 中筒男命 底筒男命) 

・諏訪神社(建御名方神 事代主神)

・玉諸神社(天羽明玉命  天明玉命『神社明細帳』玉屋命『名勝志』)

・松尾神社(大山咋命 天照皇大神 大己貴命  配祀 誉田別命 足仲彦命 氣長足姫命)

 

〔甲斐市〕

・笠屋神社(大己貴命 建御名方命 事代主命)

・諏訪大神社(建御名方命)

・船形神社(建御名方命)

 

〔甲府市〕

・青沼浅間神社(木花咲耶姫命)

・穴切大神社(大己貴命 少彦名命 素盞嗚尊) 

・宇波刀神社(應神天皇 仲哀天皇 神功皇后) 

・表門神社(木花開耶姫命 建御名方命)

・甲斐奈神社(菊理姫命 木花咲耶姫命)

・笠屋神社(大己貴命 事代主命)

・金櫻神社(少彦名命 大己貴命 須佐之男命  相殿 日本武尊 櫛稲田姫命)

・熊野神社(伊弉册尊 配祀 速玉男神 事解男神)

・黒戸奈神社(大山祇命) 

・五社神社(天照皇大神 伊邪那岐神 伊邪那美神  武甕槌神 經津主神)

・祭宮神社(珊瑚珠姫命 あるいは 保食神) 

・酒折宮(日本武尊)

・佐久神社(向山土本毘古王 建御名方命 菊理姫命)

・柴宮神社(櫛稲田姫命  配祀  脚摩乳命 手摩乳命)

・諏訪神社(建御名方命 八坂刀賣命)

・武田神社(武田信玄公(武田晴信命))

・玉諸神社(大国玉大神)

・二宮神社(天津彦火瓊瓊杵尊 大己貴命 天穗日命)

・八幡神社(誉田別命 息長足姫命 姫大神)

・古八幡神社(誉田別神 媛神 息長帯姫神)

・細草神社(日本武尊 配祀 天照大神 倭姫命)

・御﨑神社(大國主神 保食神 稚産靈神)

 

〔山梨市〕

・大石神社(大山祇命)

・大井俣窪八幡神社(中殿 誉田別尊 北殿 足仲彦尊 南殿 息長足姫尊)

・大井俣神社(建御名方命 罔象女命)

・金櫻神社(牧丘町)(大國主命 少名彦名命)

・金櫻神社(万力)(大己貴命 事代主命)

・金櫻神社(歌田)(伊弉諾尊 伊弉冉尊 大己貴命 少彦名命)

・神部神社(神渟名川耳尊 大山咋命 大穴牟遲命/大山咋命 相殿 大穴牟遲命外二十神『式内社調査報告』)

・黒戸奈神社(素盞嗚尊)

・建岡神社(伊弉諾尊 伊弉冉尊 菊理姫命) 

・山梨岡神社(伊弉諾尊 事解男命 速玉男命 國常立尊 大國主命 少彦名命)

 

〔市川三郷町〕

・一宮淺間神社(木花咲耶姫命  合祀  瓊瓊杵尊 彦火火出見尊 事解男命)

・表門神社(天照大御神 倉稻魂命 瓊瓊杵尊)

・正一位浅間神社(木花開耶姫命 邇々藝命 彦火々出見命)

・弓削神社(瓊瓊杵命 木花開耶姫命 彦火火出見尊  日本武尊 大伴武日連命)

 

〔中央市〕

・八幡穂見神社(誉田別命 倉稻魂命)

 

〔笛吹市〕浅間神社(木花開耶姫命)

・斐奈神社(一宮町)(國常立命 高皇産靈命 伊弉那岐命 伊弉那美命)

・金重明神社(金子重右衛門命)

・賀茂春日神社(玉依姫命 別雷命 神武天皇  天兒屋根命 經津主命 武甕槌命)

・杵衝神社(素盞嗚尊)

・坂折天神社(日本武尊)

・佐久神社(岩裂神 根裂神 天手力雄命)

・山神宮(大山祇神  配祀 月読尊 稚産霊命 宇気母智命)

・竹居熊野神社(伊弉册命 速玉男命 事解男命)

・中尾神社(笛吹市)(大己貴命 少彦名命  大己貴命『甲斐名勝志』『特撰神名蝶』)

・中尾神社(八代町)(少彦名命 大己貴命)

・鉾衝神社(天鈿女命)

・美和神社(大物主命)

・物部神社(饒速日命 宇麻志麻治命 より物部氏祖神十柱)

・山梨岡神社(大山祇命 別雷命 高靇神 虁神)

 

〔南アルプス市〕

・笠屋神社(事代主命)

・神部神社(下宮地)(大物主命)

・神部神社(寺部)(天糠戸神 石凝姥命 誉田別尊  相殿  大己貴命 大山咋命)

・穂見神社(保食神)

・水宮神社(彌都波能賣神)

 

〔富士川町〕

・姫宮神社(建御名方神  合祀  淺黄媛命)

 

〔富士河口湖町〕

・河口淺間神社(木花咲耶姫命 瓊瓊杵尊 大山祇命)

 

〔韮崎市〕

・宇波刀神社(建御名方命  合祀  事代主命 日本武尊)

・倭文神社(天羽槌雄命 天棚機姫命/建葉槌命 棚機姫命『大日本史』)

・武田八幡神社(誉田別命 息長足姫命 足仲津彦命 武田武大神)

・當麻戸神社(大酒解命 小酒解命  建御名方命 素盞嗚尊 大己貴命)

・南宮大神社(建御名方命 大己貴命 事代主命 金山彦命)

・穂見神社(主神 諏訪大神 (健御名方神)  左 素盞嗚命 右 倉稲魂命)

・本宮倭文神社(天棚機姫命 天羽槌雄命  合祀  天照大神 豊受大神 伊弉册命 菅原道眞)

 

〔北杜市〕

・熱那神社(誉田別命 足仲彦命 氣長足姫命)

・宇波刀神社(建御名方命 伊弉諾命 伊弉冉命  合祀  素盞嗚命 倉稻魂命)

・大滝神社(大国主命 少彦名命)

・神部神社(天手力男命 誉田別命 廣國押建金日命 諏訪大神)

・五社神社(伊弉諾命 伊弉册命 素盞嗚命 少彦名命 大己貴命)

・諏訪神社(須玉町)(建御名方命)

・諏訪神社(長坂町)(建御名方命)

・諏訪神社中社(大武川)(建御名方命)

・建岡神社(建御名方命)

・竹宇駒ケ嶽神社(大己貴神 少彦名神 天手力男神)

・根古屋神社(天兒屋根命  合祀  加具土命 大雷神 菅原道眞 大山祇神)

・白山神社(伊弉册命 經津主命  合祀  建御名方命 大日靈女命)

・比志神社(広国押建金日命 大己貴命 誉田別命)

・広野神社(建御名方命 天照大神 大山祇神)

・藤武神社(建御名方命)

・形神社(長澤)(建御名方命)

・船形神社(小池)(建御名方命 事代主命)

・穂見諏訪十五所神社(保食神  配祀  建御名方命 國狹槌尊 豊斟渟命 大戸道命 大戸邊命  面足命 惶根尊 句句廼馳命 迦倶槌命 埴安姫命 金山彦命 罔象女命  天八十魂命 天三下魂命 天八百魂命 天合魂命 天八十萬日魂命)

・横手駒ケ嶽神社(大己貴命  合祀  天之御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神  少彦名命 素戔嗚命 保食之神) 

 

②長野県(参照:神社記憶 神社探訪

 

 穗高神社 本宮 諏訪大社 上社 前宮 諏訪大社 下社 秋宮 諏訪大社 下社 春宮 生島足島神社

 

〔安曇野市〕

・穂高神社本宮(穗高見命 綿津見神 瓊瓊杵尊)

 

〔塩尻市〕

・阿禮神社前宮(素盞嗚命 相殿 大己貴命 誉田別命)

・阿禮神社奥宮(素盞嗚命)

・小野神社(建御名方命)

 

〔阿智村〕

・阿智神社(天八意思兼命 天表春命  配祀  誉田別命 健御名方命 大山咋命)

・安布知神社(天思兼命  相殿  誉田別尊(八幡大神) 須佐之男命(新羅明神))

・神坂神社(表筒男命 中筒男命 底筒男命  合祀  日本武尊 誉田別尊 建御名方命 須佐之男命)

 

〔阿南町〕

・諏訪神社(表筒男命 中筒男命 底筒男命  合祀  日本武尊 誉田別尊 建御名方命 須佐之男命)

・伊豆神社(天津彦根火瓊々杵尊  相殿  伊弉諾尊 伊弉册尊)

 

〔下條村〕

・大山田神社(大国主命  相殿  応神天皇 鎮西八郎為朝(源為朝))

・入登山神社(大山祇命  配祀  伊弉諾尊 健御名方命)

・根之神社(?)

 

〔山ノ内町〕

・馬脊社(素盞嗚命)

 

〔木島平村〕

・山水元神社(日本武尊 大山祇命  配祀 長坂織部正重清命)

 

〔野沢温泉村〕

・湯澤神社(建御名方命)

  

〔栄村〕

・北野神社(菅原道眞)

 

〔茅野市〕

・葛井神社(槻井泉神)

・諏訪大社上社摂社御座石神社(高志沼河姫神)

・諏訪大社上社前宮(八坂刀賣神(本地  千手観音)/御左口神(御社宮司神)『諸神勧請段』『年内神事次第旧記』)

 

〔佐久市〕

・荒船山神社里宮(建御名方命 八坂斗賣命)

・英多神社(建御名方命)

・大伴神社(天忍日命(大伴氏祖神) 天道根命 月読命  合祀  御嶽社  素盞嗚尊 大己貴命 少名彦命  他  明治合祀十数柱)

・新海三社神社(東本社  興萩命  中本社  建御名方命  西本社  事代主命  相殿  誉田別命)

・諏訪神社(御穗須須美命)

・八幡神社(誉田別命 息長帶比賣命 玉依比賣命  配祀  高良玉垂命)

・鼻顔稲荷神社(宇迦乃御魂命  配祀  猿田彦命 大宮能売大神)

・若宮八幡神社(大雀命 誉田別命 健御名方命  事代主命 武内宿禰命)

 

〔青木村〕

・子檀嶺神社奥社(木俣神 相殿 建御名方刀美命/(あるいは駒弓神 『三代実録』))

・子檀嶺神社里社(木俣神 相殿 建御名方刀美命  (あるいは駒弓神 『三代実録』))

・子檀嶺神社中社(木俣神(あるいは駒弓神『三代実録』))

・新七稲荷(平林新七命)

・勇吉宮(堀内勇吉命) 

・与兵衛明神(増田与兵衛命)

 

〔長和町〕

・松尾神社(大山咋大神)

 

〔松本市〕

・沙田神社(彦火火見尊 豊玉姫命 沙土煮命)

・伊和神社(大己貴命)

・岡田神社(保食神 (豊受大神))

・穂高神社奥宮(穗高見命)

・四柱神社(天之御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 天照大神)

 

〔辰野町〕

・矢彦神社(正殿 大己貴命 事代主命  副殿 健御名方命 八坂刀賣命/南殿 天香語山命 熟穗屋姫命/北殿 神倭磐余彦命 誉田別命  明治宮 明治天皇)

 

〔高山村〕

・高杜神社(建御名方命 高毛利命  豊受姫命 武甕槌命 市杵嶋姫命  天照大御神 大山祇命 伊邪奈美尊 稲田姫命  大鞆和氣命 菅原道眞 菊理姫命)

 

〔小布施町〕

・逢瀬神社(健御名方命 軻遇突智命  配祀  八坂刀賣命 倉稲魂命 味耜高彦根命 素盞嗚命  合祀  保食命)

・欅原神社(健御中方命)

 

〔小川村〕

・小川神社(瀬戸川)(健御名方命  配祀  事代主命)

・小川神社(小根山)(正殿  健御名方命  相殿  大己貴命 言代主命)

・小川八幡宮(日本武尊 誉田別尊  配祀  八坂大神)

 

〔上田市〕

・安曽神社(健南方富命 大己貴命 八坂刀女命  合祀  八意思兼命 大山祇命)

・生島足島神社(生島大神 足島大神)

・大星神社(建南方命 前八坂刀賣命 事代主命)

・草創神社(須佐之男命 彌種繼命)

・国分神社(應神天皇)

・子檀嶺神社(宇賀御魂命 建御名方命 八坂刀賣命/木股神  『神名帳考證』)

・塩野神社(前山)(素盞嗚尊 大己貴尊 少彦名尊)

・塩野神社(保野)(鹽垂津彦命 素盞嗚命 健御名方命)

・科野大宮社(大己貴尊 事代主命 健南方富命)

・長津瀬神社(建御名方命 事代主命  合祀  泉津事多解男命 速玉男命 豊受姫命  伊弉冉尊 大物主命)

・馬脊神社(馬背神 建御名方富命)

・御嶽神社(大己貴命 少彦名命 安閑天皇)

・山家神社(大己貴命 菊理姫命 伊邪那美命 日本武尊)

・弓崎神社(譽田別尊 息長足姫尊 玉依姫尊  合祀  天照皇大神 建御名方命 八坂刀賣命  大己貴命 崇徳天皇 保食命 磯猛命)

・弓立神社(天照皇大神、應神天皇、十二大神)

 

〔坂城町〕

・坂城神社(大己貴命  配祀  事代主命 建御名方命  大山咋命 伊弉冊命 天照大神 豊受姫命 菅原道真  須佐男命 誉田別尊 倉稲魂命 御穂須々美命 保食命 大日孁命)

・昌言社(稲玉徳兵衞昌言)

 

〔下諏訪町〕

・諏訪大社下社秋宮(建御名方神 八坂刀賣神(八月一日から一月三十一日まで)  配祀  事代主神)

・諏訪大社下社春宮(建御名方神 八坂刀賣神(二月一日から七月三十一日まで)配祀 事代主神)

 

〔富士見町〕

・諏訪大社上社摂社御射山神社(諏訪明神(建御名方神・大己貴神・高志沼河姫神) 国常立命)

 

〔諏訪市〕

・足長神社(脚摩乳神)

・諏訪大社上社本宮(建御名方神(本地 普賢菩薩))

・千鹿頭神社(内県神(建御名方命の御子神))

・手長神社(手摩乳神)

・八剣神社(八千矛神 日本武尊 誉田別尊)

 

〔須坂市〕

・小坂神社(小坂神(高角身命) 誉田別命)

・越智神社(饒速日命)

・墨坂神社(墨坂)(墨坂大神 帶中津日子尊 氣長足姫尊 品陀和氣尊 天照大神  配祀 健御名方命  合祀 菅原道眞 天照大御神 火産靈命)

・墨坂神社(須坂)(墨坂神 合祀 健御名方命)

 

〔千曲市〕

・雨宮坐日吉神社(大山咋命  配祀  大己貴命 少彦名命/左相殿  保食神 罔象女命/右相殿  猿田彦命 久延毘古命)

・粟狭神社(健御名方命 配祀 事代主命 少彦名命)

・佐良志奈神社(誉田別尊 息長足姫尊 大鷦鷯尊)

・清水神社(豊受姫命 崇徳天皇 健御名方命)

・須須岐水神(大國主命 生魂命 事代主命 罔像女命  配祀  豊玉姫命 速秋津彦命 速秋津姫命 少彦名命 保食命 國常立命)

・武水別神社(武水別大神  配祀 誉田別命 息長帶比賣命 比咩大神)

・波閇科神社(天照大神 配祀 豊受大神 日本武尊)

・治田神社(千曲稲荷山)(治田大神 配祀 倉稻魂命 事代主命)

・治田神社(千曲桑原)(健御名方命  配祀  八坂斗女命 保食命)

 

〔大町市〕

・阿部神社(安倍貞任 安倍宗任)

・仁科神明宮(天照皇太神)若一王子神社(伊弉册尊 仁品王 妹耶姫 若一王子)

 

〔中野市〕

・小内八幡神社(應神天皇 大氣都姫神 神功皇后  合祀 大日孁命)

・王日神社(建御名方神  合祀  天水分神 軻遇突智神)

・越智神社(御穗須須美命  饒速日命  合祀  菅原道眞)

・笠原神社(少彦名神)

・高杜神社中社(少那彦名之命 配祀 大國主之命)

・間山豊富神社(天照皇大神  配祀  罔象女命 宇麻志葦牙彦舅神)

 

〔長野市〕

・粟野神社(豊野町)(天日方奇日方命)

・粟野神社(市上野)(健御名方命  配祀  少彦名命)

・飯縄神社里宮(保食神)頤氣神社(松代町)(池生神  配祀 建御名方命 事代主命 猿田彦命)

・頤氣神社(小島田町)(荒田別命 (通称 頤氣神)  配祀 建御名方命 事代主命)

・伊勢社(天照大神)

・伊豆毛神社(素盞嗚命 大己貴命/素盞嗚尊『神社私考』『信濃地名考』/出雲建子命『大日本史』『神祇志料』『大日本神社史』/伊勢津彦命 『神名帳考證』)

・小内神社(宇麻志摩遲命 建御名方刀美命 埴安神  合祀 素盞嗚命)

・風間神社(伊勢津彦命 級長津彦命 級長戸辺命 建御名方命)

・熊野出速雄神社(出速雄命 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 速玉男命 予母都事解之男命  配祀 舒明天皇 古人大兄皇子)

・更級斗女神社(建御名方命  配祀 八坂刀賣命)

・清水神社(田野口)(罔象女命  合祀  事代主神 健南方命 八坂斗賣命)

・清水神社(三水)(天手力男命  配祀  天思兼命 天表春命)

・清水神社(真島長)(廣國押武金日命  配祀  秋津比古神 秋津比賣神)

・白鳥神社(日本武尊  貞元親王 貞保親王  武靖大神(初代松代藩主・真田伊豆守滋野信之)眞田信政(二代) 眞田幸道(三代) 眞田信弘(四代)眞田信安(五代) 眞田幸弘(六代) 眞田幸專(七代)眞田幸貫(八代) 眞田幸教(九代) 眞田幸民(十代))

・皇足穂命神社諏訪社合殿(皇足穂命神社  倉稻魂命/配祀 誉田別命 氣長足姫命/諏訪社 健御名方命 事代主命/合祀  月讀尊 天照大御神 健御名方命 軻遇突智命 金山彦命  三峰大神 十二天白神 大物主命 手力雄命 大山祇命 伊弉册命)

・皇足穂命神社(迩迩藝命  相殿 健御名方命 八坂刀賣命 倉稲魂命 大山祇命)

・諏訪社(健御名方命)

・象山神社(佐久間象山)

・當信神社(健御名方命)

・健御名方富命彦神別神社(信州新町)(正殿 彦神別命  相殿 健御名方命 八坂戸賣命 神八井耳命)

・健御名方富命彦神別神社(長野市)(健御名方富命)

・玉依比賣命神社(玉依比賣命  配祀  天照皇大御神 建御名方命  相殿  素戔鳴命)

・妻科神社(八坂刀賣命 配祀 健御名方命 彦神別命)

・戸隠神社奥社(奥社  天手力男命/ 九頭龍社  九頭龍大神 (または天岩戸守神、または天手力男命の荒御霊))

・戸隠神社中社(天八意思兼命)

・戸隠神社日之御子社(高皇産霊命 天忍穂耳命 栲幡千々姫命 天鈿女命)

・戸隠神社宝光社(天表春命)

・中村神社(天児屋根命 大國主命 健御名方富命 素盞鳴命 事代主命)

・長谷神社(上社  八聖大神  下社  健南方命 事代主命)

・花井神社(花井遠江守吉成 花井主水正義雄)

・祝神社(生魂命  配祀 健御名方富命 八坂斗賣命)

・日置神社(天櫛玉命 天櫛耳命 健御名方命 八坂刀賣命  配祀  大己貴命 菅原道眞 倉稻魂命)

・氷銫斗賣神社(宇都志日金拆命  配祀 建御名方命 八坂刀賣命)

・樋知大神社(武水別命  あるいは 水波女命)

・布制神社(布施五明)(大彦命 豊受姫命 健御名方命 八坂斗女命)

・布制神社(山布施)(天照大神 大彦命)

・布制神社(石川)(大倭根子彦國玖琉尊(孝元天皇) 大毘古命 彦太忍信命/左殿  誉田別尊 建御名方命 八坂刀賣命/右殿  大山祇命)

・宮王神社(健御名方命)

・美和神社(大物主命  相殿  國業比賣神 神部神)

・守田神社(長沼穂保)(大碓命 大己貴命 大山咋命)

・守田神社(七二会)(守達神/左殿  大碓命 久延毘古命 事代主神/右殿 健御名方命 素盞嗚尊 誉田別尊)

・守田廼神社(誉田別命 建御名方命 保食神)

 

〔東御市〕

・縣諏訪神社(健御名方刀美命  八坂刀自神 久留須命)

・白鳥神社(日本武尊  配祀 貞元親王 善淵王 海野広道)

 

〔生坂村〕

・日置神社(彦火火出見尊 天照皇大神 菅原道眞)

 

〔小海町〕

・水神社(山口弥兵衞命  あるいは 城土丈右衛門命)

・松原諏方神社(建御名方命 事代主命 下照比賣命)

 

〔南相木村〕

諏訪神社(建御名方命  配祀  天照大御神 少彦名命 大山祇命 誉田別命)

 

〔飯山市〕

・小菅神社里社(素盞雄尊  配祀  平城天皇 嵯峨天皇)

・健御名方富命彦神別神社(健御名方富命  配祀  庭津女命 知奴命 沙南豆良姫命 麻背命 八須良雄命 武彦根命)

・白山神社(伊弉奈美命)

 

〔池田町〕

・川會神社(底津綿津見命)

 

〔軽井沢町〕

・熊野皇大神社(信州側 那智宮  事解男命/上信両国境 本宮  伊邪那美命 日本武尊 /上州側 新宮  速玉男命)

・長倉神社(誉田別命 息長足姫命 玉依姫命)

 

〔立科町〕

・蓼科神社里宮(高皇産靈神  配祀  大己貴命 木花開耶媛命)

 

〔王滝村〕

・御嶽神社里宮(王滝口)(国常立尊 大己貴命 少彦名命)

 

〔木曽町〕

・御嶽神社里社本社(黒沢口)(大己貴命 少彦名命)

・御嶽神社里社若宮(黒沢口)(大己貴命 少彦名命)

 

③新潟県(参照:神社記憶 神社探訪 神社探訪(佐渡)

 

 彌彦神社(弥彦村) 

 

〔 阿賀野市〕

・旦飯野神社(誉田別命  配祀  豊受姫命  相殿  天照皇大神 天児屋根命)

 

〔加茂市〕

・青海神社(椎根津彦命 大國魂命  配祀  賀茂別雷命 多多須玉依姫命 賀茂建角身命)

・長瀬神社(宮寄上)(伊弉諾尊 伊弉册尊 速玉男命 事解男命)

・長瀬神社(上条)(瀬織津姫命 言代主命 気長足姫命 誉田別命 玉依姫命)

 

〔魚沼市〕

・清水川邊神社(建御名方命)

・諏訪神社(虫野)(建御名方命  配祀 保食命 大山祇命)

・諏訪神社(四日町)(建御名方神  合祀  少彦名命)

 

〔見附市〕

・小丹生神社(波多武日小命 天美明命 須佐之男命)

 

〔五泉市〕

・五泉八幡宮(誉田和気命 気長足姫命 田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命/合殿 白山比賣命 天児屋根命 大名持命 少彦名命 天香語山命 大物主命  大山祇命 健御名方命 八坂戸女命 天津麻良命 石凝姥命  表筒男命 中筒男命 息長足比賣命 神大市比賣命 大己貴命 大国主命  少彦名命 八衢比古命 八衢比賣命 久那斗神 神直日神 大直日神  速秋津比賣神 速佐須良比賣神 彌都波能賣神 迦具土神 埴安比賣神)

・中山神社(大名牟遅命 大山咋命)

・矢津八幡宮(誉田別命  配祀 息長足比賣命 玉依比賣命)

 

〔佐渡市〕

・熱串彦神社(阿田都久志尼命 配祀 金山彦命)

・飯持神社(保食神(美氣毛智 若宇賀能賣神 御膳持須留若宇賀能賣神)/配祀  応神天皇 武内宿禰 気長足姫尊 菊理姫尊 狭依姫尊

・大膳神社(左殿  日野資朝卿/正殿  御食津大神/右殿  大膳坊賢榮)

・大幡神社(大股主命(大幡主命  別名  大若子命、または 大俣王))大目神社(大宮賣神 大己貴命とする説もある)

・越敷神社(埴安姫命  合殿  誉田別尊 菅原道真朝臣)

・総社神社(伊弉諾尊 伊弉冉尊 素盞嗚尊 誉田別命 天太玉命  大己貴命 少彦名命/『佐渡国寺社境内案内帳』惣社大明神)

・引田部神社(大彦命/大己貴命『神社名鑑』/猿田彦命『明治神社誌料』)

・御食神社(大御食大神)

・物部神社(宇麻志麻治命  合祀  応神天皇 神功皇后 菊理媛命 伊弉冊尊) 度津神社(五十猛命  配祀  大屋都姫命 抓津姫命)

 

〔三条市〕

・五十嵐神社(五十日帯日子命  合祀  大日孁尊 大山祇命 応神天皇 建御名方命 倉稲魂命)

・伊久礼神社(誉田別尊 埴安神 闇御津羽神  合祀  諏訪神社 稲荷神社 二荒神社)

・小布勢神社(大比古命 誉田別命  配祀  天照皇大神 大山祇命 建御名方命 菅原道真朝臣(明治42年合祀による))

・槻田神社(三条月岡)(津之大神  合祀  建御名方大神 大山祇大神 少彦名大神 立石大神)

・槻田神社(三条荒町)(調倉神 倉稲魂命 誉田別尊  合祀  水速女命 素盞嗚尊 大山咋命 木花咲耶姫命)

・中山神社(國常立尊 健御名方命 木花咲屋姫命)

・八木神社(八木大明神(倉稲魂命) 守門大明神(豊磐間戸命,櫛磐間戸命)新田義貞 新田義顕 新田義興 新田義宗  合祀  大山祇命 高靇命 誉田別命 天照皇大神)

 

〔出雲崎町〕

・石井神社(大國主命/御井神『神名帳考證』/出雲大神 あるいは 十二所熊野神『大日本地名辞書』/少彦名尊『越佐史料』)

・宇奈具志神社(天穂日命  合祀 建御名方命 大山祇命)

 

〔糸魚川市〕

・青澤神社(沼河比賣命)

・天津神社(天津彦火瓊々杵尊 天太玉命 天兒屋根命)

・青海神社(椎根津彦命  配神  稚産霊神 倉稻魂神)

・大野神社(品陀別命 天照皇大神 大穴牟遅命 武甕槌命)

・大神社(高皇靈尊 少彦名尊 大己貴尊 大彦命 美保古命(宮司佐藤家祖先)/合殿 天満宮  菅原道真 吉祥女/合殿 春日神社/武甕槌男神 天津兒屋根命 經津主神 廣波多賣命)

・佐多神社(大國主命 建速須佐之男命)

・剱神社(建速須佐之男命 伊邪那岐命 大國主命 建御名方命/建速須佐之男命 伊邪那岐命 大國主命『神社明細帳』/素盞鳴尊『神名帳考證』/伊弉諾尊 伊弉冉尊 素盞鳴尊『越後風土記節解』など/正殿  佐多神社  南殿  瓊矛神社  北殿  矛神社  『修造記』)

・奴奈川神社(奴奈川比賣命 大日孁命 八千矛命)

・白山神社(奴奈川比賣命 伊佐奈伎命 大己貴命(明治44年までは、奴奈川比賣命のかわりに菊理比賣命だった))

・藤崎神社(大己貴命  合祀  天照皇大神 豊受大神 品陀別命)

・水嶋礒部神社(建御名方命  配祀  天照皇大神 豊受大神 竒日方命 船玉神)

 

〔小千谷市〕

・伊米神社(天香語山命  相殿  誉田別命(八幡)/稲魂女  『神名帳考證』/伊米大神 (天香山命別魂) 相殿  天香山命  『大日本史神祇志』)

・魚沼神社(天香語山命(彌彦神)/豊玉姫命『神祇志料』/阿彦『北越雑記』)

 

〔上越市〕

・阿比多神社(少彦名命/相殿  菅原道真 建御名方命 迦具土命 大山祇命 大鷦鷯命/大彦命 『神名帳考證』『越後野志』/大己貴命 少彦名命『北越風土記節解』/奴奈川姫命 少彦名命 建御名方命『阿比多神社略縁記』/少彦名命『神社明細帳』『大同類聚方』/天神『越後国式内神社案内』)

・五十君神社(五十日帶日子命(十一代垂仁天皇第五皇子)/配祀  劍大明神(日本武尊 白鳥大明神) 飯縄大明神(倉稻魂命)/五十日足彦『越後野志』/諾册乎『神名帳考證』/級長津彦 級長戸邊命『越後國式社考』/五十猛命 木種大明神『北越後風土記節解』/五十日足彦命 木種大明神『頸城郡誌稿』/物部印岐美連『特選神名牒』/五十日帶日子命『神社由緒書き』/五十日帶子命『神社明細帳』)

・江野神社(建御名方命 事代主命 大己貴命 素佐能男命 稻田比賣命  屋主忍男武雄心命 影姫命 武内宿禰命  合祀 産土神)

・圓田神社(名立区)(道臣命 大己貴命 少彦名命)

・圓田神社(柿崎区)(國常立尊 大己貴神 大山咋神 誉田別尊)

・大神社(尾神)(大国主命 建御名方命)

・居多神社(大国主命 奴奈川姫 建御名方命 事代主命)

・菅原神社(天穂日命  配祀  菅原道真 菅原道雄(道真の御子))

・直江八幡宮(誉田別命 息長帶姫命 玉依姫命  配祀  田紀理姫命 奧津嶋姫命 市寸嶋姫命 武内宿禰命)

・府中八幡宮(應神天皇  配祀 沼河比賣 建御名方神  合祀  越後國総社)

・水嶋磯部神社(梨平)(誉田別尊 武甕槌命 経津主命)

・水嶋磯部神社(坊ヶ池)(?)

・物部神社(宇摩志眞知命)

・八坂神社(建御名方命(諏訪)  須佐男命(八坂)  大山咋命(日吉))

 

〔新潟市北区〕

・松浜稲荷神社(宇賀魂命)

 

〔新潟市東区〕

・大形神社(大己貴神)

 

新潟市中央区〕

・蒲原神社(椎根津彦命  埴山姫命 水波廼女命 久久廼知命 金山彦之命 迦具土之命  配祀  天照大御神 建御名方命 日本武尊 菅原道眞 畠山六郎重宗) 

・白山神社(菊理媛命 天照皇大神)

・船江太神宮(天照大神 豊受大神 猿田彦大神 大彦命)

 

〔新潟市秋葉区〕

・旦飯野神社(朝日)(誉田別命  合祀  建御名方命 事代主命 倉稲魂命 石動彦命 大山祇命)

 

〔新潟市西区〕

・神明社(天照皇大神)

 

〔新発田市〕

・石井神社(倉稻魂命)

・二王子神社(大國主大神  配祀  豊受姫大神 一言主大神 熊野加布呂大神)

・藤戸社(大國主大神 天照皇大神 宇多天皇)

 

〔弥彦村〕

・彌彦神社御神廟(天香山命)

・彌彦神社(伊夜彦神(天香山命)(あるいは、大屋彦命あるいは、大彦命))

 

〔村上市〕

・荒川神社(小岩内)(水波之賣命 應神天皇  合祀  大日孁貴命 保食神)

・荒川神社(荒川)(菊理姫命  配祀  天兒屋根命 天照皇大神 大山祇命 素盞雄尊 大己貴命 經津主命)

・石船神社(饒速日命 水波女命 高靇神 闇靇神)

・漆山神社(雷神 龍神 大山祇神 /神名帳考證』速秋津日命/『神社覈録』経津主命 武甕槌命)

・大山祇神社(大山積神)

・河内神社(雲上佐市郎)

・蒲原神社(天照皇大神  配祀  大山津見命)

・西奈彌神社(気比大神 (保食神))

・西奈彌羽黒神社(奈津姫命 倉稻魂命 月讀命  配祀  聖母大神 應神天皇 仲哀天皇 迦具土命 火産靈命)

・多岐神社(湍津姫命)

・筥堅八幡宮(應神天皇  配祀 草野姫命 天照皇大神 大山祇命)

・湊神社(速秋津彦神 速秋津姫神)

・桃川神社(誉田別尊)

 

〔胎内市〕

荒川神社(天鈿女命)

川合神社(多奇波世神 熊野加夫呂岐櫛御食野命 湍津姫命  合祀  倉稻魂命 大山祇命 水波之女命)

神明宮(天照大神)

八所神社(天照大御神  神皇産靈神 高皇産靈神 玉留産靈神 生産靈神  足産靈神 大宮女命 御食津神 事代主神

 

〔長岡市〕

・石井神社(神石井彦命  合祀  天照皇大神 大山祇命)

・宇奈具志神社(太田命(猿田彦大神の後裔)合祀  建南方命(諏訪社) 素戔嗚命(天王社) 大物主命(金刀比羅社))

・金峯神社(金山彦命)

・川合神社(天水速女命  相殿  武甕槌神)

・桐原石部神社(下桐)(天日方奇日方命)

・桐原石部神社(上桐)(天日方奇日方命)

・高彦根神社(味耜高彦根命)

・都野神社(芹川)(八幡大神 大山咋命)

・都野神社(与板)(多紀理姫命 市杵島姫命 多紀津姫命  合殿 誉田別尊 息長足姫命)

三嶋神社(事代主命)

・三宅神社(妙見町)(大彦命)

・三宅神社(六日市町)(波多武日子命  配祀  天美明命)

・三宅神社(中潟町)(波多武彦命)

 

〔田上町〕

・土生田神社(埴安姫命)

 

〔湯沢町〕

・魚沼神社(天児屋根命(春日) 中筒男命(住吉) 誉田別命(八幡))

 

〔南魚沼市〕

・一宮神社(大己貴神 少彦名神 奇稻田姫命)

・大前神社(稲荷五神(宇迦之御魂命 佐田彦命 大宮能賣命 大己貴命 神功皇后)/豊城入彦命『神名帳考證』『特撰神名牒』/太田諸命(速魂命三世孫)『越後風土記節解』『神社覈録』/大山祇命 『越後野史』/天津彦火瓊々杵尊『南魚沼郡史』/豊受比賣命『神社明細帳』)

・坂本神社(宮)(瓊々杵尊 木花開耶姫命)

・坂本神社(大和)(天津彦火々瓊々杵命 木花開耶姫命  配祀 彦大忍信命 紀白糸姫命)

・八幡宮(大國主命 猿田毘古命  配祀  多紀理比賣命 狭依比賣命 多紀津比賣命  足仲彦命 息長帯姫命 誉田別命)

・日吉神社(大己貴命 大山咋命 瓊瓊杵命 建御名方命 八坂刀賣命 菅原道眞)

 

〔柏崎市〕

・石井神社(西山)石凝姥命  合祀  大山祇命(十二神社) 御穗須須美命(諏訪社) 白山媛命(白野神社))

・石井神社(西本)(住吉三神  配祀  息長帶姫命)

・石井神社(北条)(誉田別尊 気長足姫命  合祀 天照皇大神 寒川比古命 玉依姫命)

・鵜川神社(野田)(美都波能賣命)

・鵜川神社(新道)(誉田別尊 息長足姫 玉依姫尊)

・鵜川神社(宮場)(鵜草葺不合尊 品陀和氣尊)

・黒姫神社(罔象女命 黒姫神 合祀  伊弉册尊 速玉雄命 事解男命 倉稻魂命  石動彦命 石動姫命 天目一箇命 建御名方命 埴山姫命) 

・多岐神社(高靇神  合祀  笹山天滿天神 荒谷十二大神 内越金刀比羅大神 尾頃部六所大神  立村十二大神 大寶大神 羽黒大神 諏訪大神 熊野大神  配祀  大山祇命 稻田多彦命 健御名方命  伊邪那岐命 伊邪那美命 誉田別命 菅原道眞 大國主命) 

・多々神社(神八井耳命 配祀 神日本磐余彦尊)

・御島石部神社(西山)(大己貴命)

・御嶋石部神社(北条)(久斯比賀多命 追祀  武甕槌命)

・三島神社(大山祇命  相殿  大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇) 吉備津彦命)

・物部神社(二田天物部命  配祀 物部稚櫻命 健御名方命)

 

〔妙高市〕

・關山神社(左尊  伊弉册尊/中尊  国常立尊/右尊  素盞鳴尊)

・斐太神社(大國主命(八千矛神) 矢代大神(積羽八重事代主神) 諏訪大神(建御名方神)/八千矛神 『特撰神名牒』/八千矛神 天照皇大神 建御名方神 積羽八重言代主神 『神社明細帳』/巨勢雄柄宿禰命 『神名帳考證』『越後野志』/荒人命(巨勢斐太臣の後裔)『日本神祇志料』など) 


(4-4)北陸地方


①富山県 ②石川県 ③福井県


①富山県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔朝日町〕

・鹿嶋神社(健甕槌命 三面觀世音 諏訪大明神 白髭大明神)

・脇子八幡宮(譽田別尊/合祀  豐城入彦命 事代主神 北陸宮)

 

〔入善町〕

・入善神社(誉田別尊/配祀 建御名方命)

 

〔滑川市〕

・櫟原神社(神明)(素盞嗚命/配祀  天照皇大神 菅原大神 市大稲日命)

・櫟原神社(柳原)(須佐之男命/合祀  天満大神)

・加積雪嶋神社(大山咋命/配祀 大己貴命)

・加積神社(素盞嗚命)

 

〔魚津市〕

・魚津神社(天照皇大神/配祀  建御名方命 菅原大神  倉稻魂命 大市比賣命 彦火火出見尊 素盞嗚尊)

・石勝神社(武甕槌命)

・布勢神社(五十猛命 五十日足彦命/天児屋命 五十猛命『文政社号帳』/大彦命(布勢氏祖神)『度会延経神名帳考證』ほか)

・宮津八幡宮(譽田別尊/配祀 天照皇大神 菅原道真)

 

〔高岡市〕

・淺井神社(石堤)(水波能女命/合祀  天照大御神 菊理媛命 少彦名命 天滿天神)

・淺井神社(福岡町)(八河江比賣神 高皇産靈神/配祀  天照大御神 誉田別命 伊弉諾命 菅原道眞 健御名方命 金山彦命 金山媛命  大山咋命 木花咲夜比賣命 白山媛命)

・有礒正八幡宮(有礒神 綏靖天皇 応神天皇/配祀  神功皇后 仁徳天皇 武内宿禰/合祀  建御名方命 素戔嗚命 大己貴尊 罔象女神  天照皇大神 石凝姥命 日本武尊 前田利長  安徳天皇 原子八幡大神)

・移田八幡宮(移田大神 譽田別尊 天照皇大神 豊受大神)

・射水神社(瓊瓊杵尊)

・荊波神社(天津彦火瓊々杵尊 大己貴命 天照皇大神)

・気多神社(大己貴命 奴奈加波比賣命/相殿  菊理姫命 事代主命)

・高岡関野神社(天照皇大神 國常立尊 伊弉冉尊 稲荷大神 前田利長命 菅原道真命)

・中川熊野神社(伊弉冉命 事解男命 速玉男命 彦屋主田心命)

・速川神社(国常立尊 天照皇大神 建御名方命)

・早川八幡社(誉田別命 瀬織津姫命)

・二上射水神社(瓊々杵尊(二上神))

・道神社(大彦命)

・物部神社(宇麻志摩遲命/合祀  應神天皇)

 

〔黒部市〕

・愛本新用水天満宮(加賀藩十一代藩主 前田治修公)

・新治神社(譽田別尊 建御名方命 少彦名命/配祀  伊弉諾命 伊弉册命 大加牟豆身命 軻遇突智命 十握劍)

・八心大市比古神社(大山祇神 少彦名神 軻遇突智神/合祀  天照皇大神)

 

〔射水市〕

・加茂社(別雷神/合祀  天照皇大神 豊受皇大神 建御名方命 高靇神 闇靇神  市杵嶋姫命 宇迦御靈神 大宮賣命 猿田彦命 大名牟遲神)

・加茂神社(別雷神/合祀  天照皇大神 豊受皇大神 建御名方命 高靇神 闇靇神  市杵嶋姫命 宇迦御靈神 大宮賣命 猿田彦命 大名牟遲神)

・草岡神社(大己貴命/合祀  事代主命  玉依姫命 大己貴命『文化八年棟札』/ 彦坐命『神名帳考證』)

・櫛田神社(武素盞嗚尊 櫛稻田姫命/合祀  天照皇大神 少彦名命 息長帶姫命 誉田別命 住吉大社 天滿天神/配祀  武内大臣 豊臣大臣 源義將君 大亞利家)

・氣多神社(大己貴命)

・放生津八幡宮(應神天皇/配祀  仁徳天皇)

・道神社(大彦命 彦屋主田心命/合祀  気長足姫命 誉田別命 比咩大神 天照皇大神)

 

〔小矢部市〕

・糸岡神社(鵜草葺不合尊/合祀  少彦名命/配祀  彦五瀬尊 御毛入野尊 彦稲氷尊 神日本磐余彦天皇)

・巖谷門神社(菊理姫命/合祀  天照皇大神 火産靈神)

・臼谷八幡宮(誉田別命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 日子刺肩別命  伊邪那岐命 少彦名命 建御名方命)

・護國八幡宮(誉田別天皇/配祀  息長足媛命 田心比賣命 湍津比賣命 市杵島媛命/合祀  春日社:天津兒屋根命 經津主命 武甕槌男命 比賣大神/埴安姫社:波邇耶須比賣命/諏訪社:建御名方命 八坂刀女命/霊社:東照宮分霊 尾山神社分霊/天満宮:菅原道真/出雲社:大國主大神)

・長岡神社(鵜草葺不合尊/合祀  天照皇大神(七社神明宮)  誉田別命(七社八幡宮) 

・比賣神社(田心比賣命 天照皇大神 伊邪那伎命)

・松尾神社(大山咋命 市杵嶋比賣命/合祀  手向社(猿田彦大神)手向神/合祀  稲荷社(倉稻魂神)/合祀  天神社(少彦名命)

 

〔上市町〕

・神度神社(神度神 豊宇氣神)

 

〔立山町〕

・雄山神社中宮祈願殿(天手力雄命 伊弉那岐命/配祀  文武天皇 佐伯宿禰有若 稻背入彦命)

・雄山神社前立社壇(伊弉諾尊 天手力男尊)

・雄山神社峰本社(天手力男尊 伊弉諾尊)

・熊野神社(伊邪那美命 天照大御神 宇氣母智神)

・日置神社(日置)(天太玉命/配祀  天照皇大神)

・日置神社(日中)(天押日命)

 

〔砺波市〕

・荊波神社(日子刺肩別命/配祀  伊弉諾尊 伊弉冉尊 菊理姫命)

・雄神神社(高靇神 闇靇神/配祀  瀬織津姫神)

・春日神社(武甕槌命/配祀  天照大神 建御名方命)

・栴谷神社(天照皇大神 誉田別尊 神功皇后)

・八幡宮(誉田別尊/配祀  大若子命 姉倉比賣命)

・林神社(林)(道臣命/天忍日命(またの名 神狭日命)『越中國式内等旧社記』)

・林神社(頼成)(日臣命/合祀  天照大神 豊受大神 大己貴命 應神天皇 崇徳天皇)

・比賣神社(下中条)(市杵嶋比賣命/合祀  天照皇大神 豊受皇大神 大山咋神)

・比賣神社(柳瀬)(市杵嶋姫命/合祀  豊受皇大神 金山彦命 彦波狹武鵜草葺不合命 菊理媛命)

・元雄神神社(弁財天  市杵島姫命  保食神  「境内石碑」瀬織津姫神  高龗神  『富山県神社誌』)

 

〔南砺市〕

・井波八幡宮(応神天皇 神功皇后 仲哀天皇/合祀  天照皇大神 天照皇大神 天照皇大神  誉田別命 諏訪大明神 菅原道眞 金山彦神)

・石武雄神社(石武雄神/合祀  天照皇大神)

・宇佐八幡宮(誉田別命 息長帯日賣命 誉田別比賣命/配祀  火産霊命 彌都波能賣神 大國主命  菅原大神 倉稲魂神)

・荊波神社(日子刺肩別命/配祀  底津海積命 中津海積命 表津海積命/合祀  應神天皇 建御名方命)

・大森神社(誉田別命)

・城端神明宮(天照皇大神 誉田別命 天津児屋根命/相殿  菅原大神)

・神明宮(天照大神)

・高瀬神社(大己貴命 天活玉命 五十猛命/越中式内社三十四座 礪波郡内氏神/相殿 神明宮 天照皇大神/相殿 風宮 級長戸辺命/相殿 学神 大宰府天満大神/末社 稲荷社 伏見稲荷大神)

・比賣神社(下照比賣命)

 

〔氷見市〕

・朝日神社(朝日神社  天照大御神   夕日神社  豊受大神)

・礒部神社(天日方奇日方命)

・石武雄神社(猿田彦大神/合祀  大国主命 天照大神 国狭鎚神  誉田別尊 比売大神 息長帯比売命  菊理姫命 倉稻魂命 菅原道眞  建御名方神 大山祇神)

・加久彌神社(稲倉魂神 天照大御神)

・久目神社(大久目命)

・白川八幡社(應神天皇 神功皇后 仁徳天皇 武内宿禰)

・高階社(迦具土命)

・手向神社(猿田彦神 大物主神/配祀 天照大神 建御名方神 少彦名神  )

・白山社(伊弉冉命 菊理姫命/配祀 事代主命 大國主命)

・八幡宮(一刎)(応神天皇 玉依姫命)

・八幡神社(朝日丘)(應神天皇/配祀 神功皇后  比賣神)

・速川神社(瀬織津比賣命/合祀  稲倉魂命 菊理媛命 大山咋命)

・日宮神社(大浦)(天照大神/合祀  市杵嶋姫命 速玉男命 建御名方命)

・日宮神社(中央町)(天照大日靈尊/配祀  天満大神 豊受大神 須佐之雄命/合祀  迦具土命 大市姫命 火雷之命)

・布勢神社(大彦命)

・御田神社(誉田別命 御年大神 大年大神  伊邪那岐大神 天児屋根命 伊邪那美大神)

・道神社(猿田彦神)

・箭代神社(葛城襲津彦命/配祀 火皇産霊神 菅原道真)

・夕日神社(朝日神社 天照大御神   夕日神社  豊受大神)

 

〔富山市〕

・姉倉比賣神社(呉羽町)(天照皇大神 姉倉比賣命 大己貴命 武御名方主命/姉倉比賣命『神社覈録』/豊受比賣命『明治十二年神社明細帳』)

・姉倉比賣神社(舟倉)(姉倉比賣神/豊宇賀能賣神『神名帳考證』)

・一國一社八幡宮(大幡主命 誉田別命 息長帯比賣命 玉依日女命  天照皇大神 豊受大神  合祀  天照皇大神 天照皇大神 氏子の祖靈)

・岩瀬諏訪神社(建御名方神  相殿  天照大御神 大山咋神  宇迦之御魂神 少彦名神  菅原道真公 前田利家公)

・鵜坂神社(淤母陀琉神 訶志古泥神  配祀  鵜坂姉比咩神 鵜坂妻比咩神 大彦命  合祀  天照皇大神 豊受大神 誉田別大神 豊玉姫命  倉稻魂神 建御名方命 水波賣神 天兒屋根命)

・越中白山総社(菊理姫大神)

・於保多神社(菅原道眞  合祀 前田利次卿 前田正甫卿 前田利保卿)

・熊野神社(熊野道)(伊弉冉尊 事解男神 速玉男神)

・熊野神社(友坂)(熊野加武呂命)

・熊野神社(宮保)(櫛御氣野命 あるいは、伊弉冉尊 事解男神 速玉男神  合祀 天照大神 應神天皇 水罔女神)

・熊野神社(中名)(伊弉册尊 事解男神 速玉男神)

・白鳥神社(寺町)(日本武尊)

・白鳥神社(八尾町)(日本武尊)

・神明社(天照皇大神 豊受皇大神 倉稻魂神)

・杉原神社(八尾町)(杉原大神 誉田別命 建御名方命 菅原道眞 水分神)

・杉原神社(婦中町田屋)(木祖神)

・杉原神社(婦中町浜子)(奥津那藝佐彦神 邊津甲斐辨羅神 大己貴)

・諏訪社(建御名方神 玉姫稻荷神)

・多久比禮志神社(彦火火出見命 豊玉姫命 鹽土老翁/祭神不詳『神社覈録』/大彦命『神名帳考證』)

・立蔵神社(保食神)

・豊栄稲荷神社(宇迦乃御魂神 大宮乃賣神 佐太彦神/配祀 摂社薬祖社  少名彦神 前田正甫公 前田利保公 万代常閑翁  日比野小兵衞 松井屋源右衞門宗弘 八重崎屋源六/配祀  摂社成就天満宮  菅原道真公)

・新川神社(大己貴尊/配祀  大新川姫命 天照大神 白山比咩命/合祀  琴比羅神 建御名方命)

・速星神社(五百箇磐石尊)

・日枝神社(大山咋神 大己貴神/合祀  天照大御神 豊受大御神)

・日宮神社(天照皇大神 天穗日命/合祀 諏訪社  建南方刀美命/合祀 神明社  豊受皇大神)

・八尾八幡社(誉田別命/合祀  大国主命)

・四方神社(伊須流岐比古神 伊邪那岐神 伊耶那美神  木花咲耶比賣神 火産巣日神 須佐之男神/合祀  事代主神 住吉三柱神 天照大神 稲倉魂神  菅原道眞 四方建比古神)

・吉倉八幡宮(誉田別尊 息長定姫命 玉依比賣命 武内宿禰/『平成祭データ』天照大神 誉田別尊 武内宿禰)

 

②石川県(参照:神社記憶 神社探訪

 

 尾山神社 白山比咩神社 重蔵神社 住吉神社

 

〔かほく市〕

・賀茂大宮(賀茂別雷神/配祀  貴布禰神/合祀  天照大神)

・瀬戸菅原神社(速秋津比古神 天滿天神 少彦名命/合祀  伊邪那美命 大國主命)

・額神社(野蛟神  伊弉諾尊 事代主神 櫻井三郎左衞門)

 

〔志賀町〕

・大穴持美代神社(大穴牟遲神 少名毘古那神)

・神代神社(宇迦之御魂神/合祀  大物主神 崇徳天皇)瀬戸比古神社(素都乃奈美留命)

・奈豆美比咩神社(豊玉毘賣命)

・百沼比古神社(百沼比古神/合祀  大鷦鷯命)

・諸岡比古神社(二所宮)(大中津日子命/合祀  伊弉諾尊 伊弉冉尊 誉田別命 菊理比咩命)

・諸岡比古神社(東小室)(大己貴命)

・八千鉾神社(大穴牟遲命/合祀  志那都比古神 志那都比米神 表筒男命 中筒男命 底筒男命)

・若宮神社(諸岡比古神 大己貴神)

 

〔宝達志水町〕

・相見神社(大國主命)

・志乎神社(素盞嗚尊/配祀  大國主命 建御名方神)

・手速比咩神社上社(手速比咩神)

・手速比咩神社下社(手速比咩神)

 

〔羽咋市〕

・大穴持像石神社(大穴持神/相殿  少彦名神)

・気多大社(大己貴命)

・椎葉圓比咩神社(円井町)(奇稻田豐麻奴良比咩命/配祀  建御名方命 大己貴命)

・椎葉圓比咩神社(柴垣町)(椎葉圓比咩命)

・羽咋神社(石撞別命/相殿  石城別命 弟苅幡刀辨 道反大神)

・御門主比古神社(御門主比古神/配祀  天照大神 豊受大神 中筒男命  大己貴神 大国主神 句句廼馳神  軻遇突智神 埴山姫神 金山彦神 罔象女神)

 

〔加賀市〕

・出水神社(天津日高彦火火出見命 豊玉姫命 應神天皇/合祀  稻倉魂神)

・宮村?岩部神社(宮村?岩部神(天神とも、櫛日方命とも))

・市之瀬神社(天照皇大神 大穴持命 山代日子命)

・忌浪神社(倉稻魂命)

・潮津神社(鹽土老翁/合祀  應神天皇)

・貴船神社(高靇神)

・篠原神社(天兒屋根命)

・菅生石部神社(菅生石部神)

・服部神社(天羽槌雄神/相殿  菊理媛神/『加賀國式内等舊社記』波登理媛命/『加賀能登式社私考録』天御桙命/『山代志』火御食津命)

・御木神社(大御食津神/合祀  菅原道眞)

 

〔金沢市〕

・尾山神社(前田利家公)

・額西神社(伊邪那美命)

・額東神社(伊邪那岐命  国底立命)

・波自加弥神社(波自加彌神 護國八幡大神/配祀  天照大神 春日大神 諏訪大神 少名彦神  白山比咩大神 稻荷大神 大國主神 菅原神)

 

〔中能登町〕

・天日陰比咩神社(二宮)(屋船久久能智命  相殿  大己貴命 應神天皇/配祀  崇神天皇 印色之入日子命 建御名方命  伊弉諾大神 菊理媛命 大山咋命)

・天日陰比咩神社(西馬場)(水波能賣命/配祀  高靇神 闇靇神)

・伊須流岐比古神社(伊弉諾命(大宮大権現:伊須流支比古神)/相殿  伊弉册命(客人大権現)天目一箇命(梅宮鎮定大権現)大物主神 あるいは 迦具土命(火宮蔵王大権現)市杵島姫命 あるいは 素盞嗚命(剣宮降魔大権現)/配祀  保食神 外七柱/合祀  火産霊神 外七十四柱)

・久氐比古神社(久延毘古神 天目一箇神 火産霊神)

・白比古神社(白比古神/合祀  軻遇突智神 息長足姫神 誉田別尊 比咩大神  底筒男神 中筒男神 上筒男神)

・宿那彦神像石神社(少彦名命 建御名方神 中筒男命 大名持命  )

・瀬戸比古神社(速秋津比古命/配祀  應神天皇 軻遇突智命 )

・鳥屋比古神社(鳥屋比古神/相殿  大穴牟遲命 埴安命 句句廼遲命 加具土命 金山比古命 水波能賣命)

・能登生国玉比古神社(多食倉長命/配祀  市杵嶋姫命 少彦名命 事代主命 菅原道真)

・能登比咩神社(能登比咩神 沼名木入比賣命/合祀  天照大神 虚空津比賣命 猿田彦大神 建御名方神 倉稻魂命  菅原道眞 素戔嗚尊 日本武尊 少名彦命)

・能登部神社(能登比古神 大入杵命/合祀  天照大神 豊受大神 少彦名命 天滿天神 建御名方命 迦具土命)

 

〔七尾市〕

・荒石神社(石凝姥命)

・荒石比古神社(石凝姥命 倉稻魂命)

・阿良加志比古神社(阿良加志比古神)

・伊夜比咩神社(大屋津媛命  天照大神 豊受大神 應神天皇 神功皇后  伊弉册命 菊理媛命/配祀  菅原道眞)

・鰀目嶽神社(天忍媛命/配祀  田心媛命 大國主命 健御名方命)

・久志伊奈太伎比咩神社(国分)(奇稻田姫命/合祀  天照大神 豊受大神)

・久志伊奈太伎比咩神社(飯川町)(奇稻田姫命/合祀  大鷦鷯命 天照大御神)

・久麻加夫都阿良加志比古神社(阿良加志比古神/配祀  都努加阿羅斯止神)

・白比古神社(猿田彦大神/合祀  天照大御神)

・菅忍比咩神社(天忍比咩命 天忍穗耳命 栲幡千千姫命)

・宿那彦神像石神社(少彦名命/合祀  健御名方命)

・能登生國玉比古神社(氣多本宮)(大己貴神/配祀  素戔嗚尊 奇稻田姫命/合祀  事代主神 底筒男神 中筒男神 上筒男神  建御名方命 多遲摩毛理命)

・能登國総社(能登國式内四十三座神)

・日面神社(正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命 鹽土翁神 息長足姫命 誉田別命  )

・日吉神社(荒石比古神 大己貴命 少彦名命 石凝姥命)

・藤津比古神社(藤津比古神/配祀  熊野速玉神)

・藤原比古神社(天兒屋根命/合祀  誉田別命 建御名方神 水上大神 底筒男命 中筒男命 表筒男命)

・御門主比古神社(御門主比古神/合祀  櫛八玉神)

 

〔珠洲市〕

・加志波良比古神社(加志波良比古神 伊加志穗比古神/合祀  大山咋命 穴穂皇子 建甕槌命 天津児屋命 経津主命 大宮賣神  猿田比古神 倉稲魂命 天照皇大神 菅原道真 衣通姫神)

・古麻志比古神社(日子坐主命)

・須須神社奥宮(美穗須須見命  武甕槌命 經津主命 天兒屋根命 姫大神)

・須須神社金分宮(木花咲耶姫命)

・須須神社高座宮(天津彦彦火瓊瓊杵尊 美穗須須見命  建御名方命 保食神 武甕槌命)

 

〔小松市〕

・石部神社(櫛日方別命  大物主神『加賀國式内等舊記』等)

・菟橋神社(菟橋大神 建御名方命 八坂刀賣命)

・滓上神社(五十日足彦命  應神天皇 神功皇后 比咩大神  伊弉諾尊 伊弉冉尊 菊理媛命)

・気多御子神社(大己貴神 (気多大神) 菊理媛神 (白山大神) 天照皇大神 (神明大神))

・瀧浪神社(多幾里比咩命 天照皇大神)

・多太神社(衝桙等乎而留比古命 仁徳天皇/配祀  八幡宮  應神天皇 神功皇后 比咩神/配祀  西宮社  蛭兒命 軻遇突智神/配祀  大山咋命 素盞嗚命 繼軆天皇 豊臣秀吉  菅原道眞 保食神 稻倉魂神  猿田彦命 大宮女命 齋藤實盛 水上大神)

・刀何理神社(菊理媛神 応神天皇)

 

〔能美市〕

・岩本神社(高皇産靈神  あるいは  白山第二御子神)

・熊田神社(稻倉魂神)

・狭野神社(素盞嗚尊命 天照大神 豊受大神)

・瀧浪神社(大國主命 菊理姫命 伊弉諾命 伊弉冉命)

 

〔白山市〕

・笠間神社(大宮比咩神/相殿  住吉三前大神 少彦名大神/配祀  八幡大神)

・神田神社(饒速日命/配祀  天兒屋根命 武甕槌命 經津主神/合祀  應神天皇 仲哀天皇 神功皇后 比賣神)

・金劔宮(鶴来)(白山第一御子彦神  あるいは 天津彦火瓊瓊杵尊/配祀  菅原道眞 大山咋命 少彦名命/合祀  護國の英靈)

・佐羅早松神社(佐羅宮)(鵜鷀草葺不合命 菊理姫命)

・白山比咩神社(白山比咩大神(菊理媛神) 伊弉諾尊 伊弉冉尊/伊弉諾尊「元享釈書」「諸神記」/伊弉冉尊「大永神書」「神名帳考證」「神祇志料」/伊弉諾尊 伊弉冉尊「神社霊応記」/伊弉冉尊 菊理媛神「神社覈録」「諸國一ノ宮神名帳」「諸國一ノ宮記」)

・白山別宮神社(白山比咩神 大己貴神 大山祇神)

・笥笠中宮神社(中宮神  あるいは 木花開耶姫命 彦火火出見命)

・多伎奈彌八幡神社(応神天皇 天満大神)

・楢本神社(下柏野)(伊邪那岐命 伊邪那美命)

・楢本神社(上柏野)(比古伊邪許志別命 あるいは 日本武尊)

・楢本神社(宮丸)(伊弉冉尊  合祀  菅原道真 応神天皇 少彦名命 底筒男命 中筒男命 上筒男命  )

・本村井神社(少彦名命 春日四柱神 菅原道眞  合祀  應神天皇)

 

〔穴水町〕

・穴水大宮(田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命  大山咋命 加具頭知命 宇迦魂命 少名彦命  )

・沖波諏訪神社(神目伊豆伎比古命 加具頭遲神  配祀  建御名方主命 事代主神 菊理比女命 蛭兒命 大國玉命 須佐之男命)

・加夫刀比古神社(大己貴命 少彦名命 倉稻魂命  合祀  加具土命 蛭兒命 速玉之男命)

・神杉伊豆牟比咩神社(伊豆牟比咩命 大名持命 三穗津比咩命)

・美麻奈比古神社(美麻奈比古神 美麻奈比咩神 菊理媛神  宇迦之御魂神 建御名方神 猿田彦命)

・諸橋稲荷神社(神目伊豆伎比古神 稻荷大神  宇氣母智神 倉稻魂神 猿田比古命  大山咋命 鵜草葺不合命 市杵嶋姫命)

 

〔能登町〕

・神目神社(迦爾米雷命 大國主命 天忍穗耳尊)

 

〔輪島市〕

・石倉比古神社(天手力男命 天石門別神)

・櫟原北代比古神社(天照大神 大日本彦耜友尊 湍津姫神 氣長足姫命  應神天皇 大物主神 保食神 天兒屋根命 建御名方神 菅原道眞 天糠戸命  )

・石瀬比古神社(石瀬比古神/合祀  酒解神 應神天皇 神功皇后)

・大幡神杉伊豆牟比咩神社(足摩乳命 奇稻田比咩命/配祀  市杵嶋姫命/合祀  應神天皇 神功皇后  )

・奥津比咩神社(舳倉島)(田心姫命)

・奥津比咩神社(田心姫命)

・櫛比神社(大名牟持命 少名彦命)

・重蔵神社(天之冬衣命 大國主命/配祀  天忍穗耳命 天津日子根命 天之菩卑能命 活津日子根命 熊野久須毘命  多紀理姫命 市杵嶋姫命 田寸津姫命  表筒男命 中筒男命 底筒男命  建御名方神 豊受大神 事代主命 大山咋神)

・住吉神社(底筒男命 中筒男命 表筒男命 神功皇后/配祀  大己貴命 鳳至比古命/合祀  大國玉命 稻荷大神 惠毘須大神 牛頭天王  )

・白山神社(菊理媛命)

・廣田神社(天照大神 表筒男神 中筒男神 底筒男神  高皇産靈尊 神功皇后 大山咋神 建御名方神  )

・諸岡比古神社(岩城別王 天日鷲命 三筒男命 豊受大神 大国主命 国狹槌命)

 

③福井県(参照:神社記憶 神社探訪

 

あわら市〕

・大溝神社(武甕雷命 經津主命 姫御神 天津兒屋根命 天押雲命)

・春日神社(沢)(天兒屋根命)

・春日神社(中番下番)(天津兒屋根命 武御賀豆智命 經津主命 姫太神/境内:井口神社(男大迩命(彦太神)

・白山神社(伊佐奈美尊/境内:神明神社(國常立尊))

・御前神社(天津兒屋根命 豊受神 伊弉册尊)

 

〔おおい町〕

・新鞍神社(大國主命/合祀  火之夜藝速男神 豊受姫命 大山祇命 應神天皇)

・伊射奈伎神社(伊射奈岐命/配祀  菅原道眞/合祀  熊野大神 大山祇命)

・大飯神社(大飯鍬立大神/合祀  應神天皇 火産靈神

・苅田彦神社(苅田比古大神)

・苅田比賈神社(苅田比賣神)

・静志神社(少名毘古名神/合祀  水分神 事代主命 倉稻魂命 菅原道眞

・天満宮(菅原道真公)

 

〔越前市〕

・味真野神社繼體天皇 佐々宣王 伊弉册尊 大國主神 大己貴命 天照大神 建御名方命 事代主命/合祀  小山田神社 愛鬘命

・荒樫神社(天照皇大神/合祀  仲哀天皇 神功皇后  表筒男神 中筒男神 底筒男神/境内  鵜甘神社応神天皇/合祀  武内宿禰 繼軆天皇 安閑天皇 宣化天皇 國中主神

・雷神社(大山祇命 天照皇大神/合祀  廣端大神 雄碓命)

・飯部磐座神社(天照皇大神 八幡大神 猿田彦命)

・鵜甘神社(入谷町)(贄持命)

・鵜甘神社(片屋町)(應神天皇/配祀  神功皇后 武内宿禰 火産巣日神)

・兄子神社(穴穗尊)

・大塩八幡宮(誉田別天皇 帶中津日子天皇 息長帶日賣尊)

・大滝神社(國常立尊 伊弉諾尊 伊弉那美尊  岡太神社  川上御前)

・大虫神社(天津日高彦火火出見命/配祀  鵜鵜草葺不合尊 大山咋命/合祀  小虫神社  豊玉姫命/雷神社  大山祇命/雨夜神社  水波之賣命)

・岡太神社(岡本町)(大山咋命 天照皇大神)

・岡太神社(粟田部町)(建角身命 國狹槌尊 大己貴命/配祀  継体天皇

・小山田神社(經津主命 武甕槌命 事代主命)

・國中神社(国中)(越比古神/配祀  越比賣神 彦火火出見尊

・國中神社(中津山)(越國靈彦神 越國靈姫神/合祀  天照皇大神 松葉大神 )

・酒列神社(少名彦尊)

・敷山神社(志藝山津見神 大山祇神)

・神明神社(天照皇太御神)

・須波阿津疑神社(保食神)

・諏訪神社(建御名方神 天照皇大神 手力雄命 萬幡姫命 繼體天皇 荳角皇女)

・總社大神宮(大己貴命/配祀  天常立命 國常立命 多岐理比賣命 多岐都比賣命 狹依比賣命  少彦名命 事代主命 猿田彦命 市杵嶋姫命 孝謙天皇 宗像神/合祀  國中官社百二十六座 天照皇大神)

・刀那神社(天御桙命)

・斗布神社(天津日高彦火火出見尊)

・十府神社(彦火火出見尊/合祀  菅原道眞)

・日野神社繼軆天皇 安閑天皇 宣化天皇)

・枚井手神社(枚井手大神/配祀  波迩夜須毘賣命/合祀  菅原道眞

・帆山神社(別雷神 天照皇大神 豊受神)

 

〔永平寺町〕

柴神社(天兒屋根命 武甕槌命 齋主命 姫大神/配祀  上柴神)

 

〔池田町〕

鵜甘神社(應神天皇 大己貴大神/配祀  神功皇后 武内宿禰 天御中主神 保食神 太田命 御年神 )

須波阿須疑神社(建御名方命 倉稻魂命 大野手比賣命/配祀  太田命 大己貴命

 

〔坂井市〕

・伊伎神社(伊邪那美神 速須佐之男神 大山津見神/合祀  日本武尊 男大迹天皇 安閑天皇 大日孁貴命 大山祇女命 伊弉册尊)

・鵜森神社(伊弉册尊/合祀  天津兒屋根命 天照皇大神 大日靈貴尊)

・笠間神社(天照皇大神)

・春日神社(天兒屋根命 姫大神 武甕槌命 經津主命 彦太命(繼體天皇))

・片岸神社(繼軆天皇)

・紀倍神社(坂井町)(別雷神  館宮  大山咋神  白山宮  白山比咩神)

・紀倍神社(春江町)(別雷神/配祀  建角身命 玉依日賣命)

・國神神社(椀子皇子/配祀  振姫命  應神天皇  合祀  有馬晴信)

・久米多神社(大伴金村大連)

・神明社(天照皇大御神 男大迩皇子

・高向神社(応神天皇/配祀  振媛命あるいは継体天皇配祀  振媛命 )

・多禰神社(稻倉魂命/合祀  天兒屋根命)

・八幡神社(春江町)(應神天皇/配祀  吉備武彦命)

・八幡神社(丸岡町)(應神天皇)

・氷川神社(素盞嗚尊)

・布久漏神社(誉田別命/配祀  息長帶姫命)

・三國神社(大山咋命  繼軆天皇  配祀  雷神)

・横山神社(繼軆天皇)

 

〔鯖江市〕

・石部神社(吉日古命 吉日賣命)

・石田神社(大日孁貴尊/配祀  誉田別尊 大己貴命 少彦名命 鵜鵜葺不合尊)

・春日神社(吉谷町)(天兒屋根命)

・春日神社(鳥井)(武甕槌神 經津主神 天兒屋根神 比咩大神)

・加多志波神社(多加意加美神)

・敷山神社(鵜鷀草葺不合尊  彦火々出見尊)

・神明社(天照皇大神/合祀  菅原道眞)

・禅定神社(白山大権現)

・刀那神社(建御雷男命 伊弉册尊)

・白山神社(伊弉册尊/合祀  磐長姫命 天御中主命

・船津神社(大彦命/相殿  大山御板神社(猿田彦命)  /配祀  孝元天皇 素佐嗚命)

 

〔美浜町〕

・伊牟移神社(國常立命/合祀  伊弉册尊 誉田別命 天津兒屋根命 市姫大神  誉田別命 大日孁貴命 伊弉諾尊 建御名方命)

・織田神社(北田)(國常立尊/合祀  大山祇命 大物主命 稻倉魂命)

・織田神社(佐田)(國常立尊/配祀  應神天皇 保食神 水波賣神 大山祇命 大山咋命

・木野神社(天日方奇日方命/配祀  應神天皇 二王ノ大神 大山積命)

・佐支神社(佐支大神/配祀  素盞嗚尊)

・須可麻神社(世永大明神(菅竈由良度美姫)麻気大明神)

・高那彌神社(高那彌大神 大山咋命 倉稻魂命)

・丹生神社(別雷命)

・日吉神社(大山咋命)

・彌美神社室比古王 建御雷神 天兒屋根命 布都主神 比咩大神 大山祇命)

 

〔若狭町〕

・石桉比古比賣神社(小原)(石桉比賣大神 石桉比古大神/配祀  素盞嗚命)

・石桉比古比賣神社(大鳥羽)(石桉比古大神 石桉比賣大神)

・宇波西神社(鵜草葺不合命)

・川中神社(於瀬川中大神/合祀  宇賀能御魂神)

・闇見神社(沙本之大闇見戸賣命  菅原道眞 天照大神/合祀  建御名方命 八坂刀賣神 火軻遇突智神 表筒男命 中筒男命 底筒男命  大山咋神 別雷神 玉依姫 加茂健角見命  國懸神 日前神 應神天皇 神功皇后)

・須部神社(蛭子大神/配祀  陶津耳命 大國主命)

・多由比神社(誉田別命/配祀  菅原道眞 天照大神/合祀  大髭大神 白髭大神 若宮大神 倉稻魂大神  大山祇命 神明大神 素盞嗚尊 蛭子尊 大己貴命)

・常神社(神功皇后/合祀  若狹彦神 若狹姫神 鵜草葺不合尊  天照皇大神 柳原神 渡津松神 神留間神 三望大神)

・天神社(菅原道眞)

・能登神社(大入杵命/合祀  誉田別尊 大山祇命 大鷦鷯命 加茂大神 大山咋命

・波古神社(波邇夜須毘古命 天照大御神 伊弉册尊

・御方神社(櫛御方命/合祀  山脇大神 事代主命 大山咋命)

 

〔小浜市〕

・阿奈志神社(大己貴命)

・苅田姫神社(苅田姫命)

・久湏夜神社(大己貴命)

・小浴神社(若狹彦神 若狹姫神(彦火々出見尊 豊玉姫尊))

・椎村神社(青海首椎根津彦神/合祀  大山祇命)

・総社神社(五十猛神 大山祇命/合祀  菅原道眞)

・曾尾神社(素盞嗚尊)

・多田神社(大己貴命/配祀  應神天皇)

・丹生神社(彦火火出見尊)

・彌和神社(三輪大歳彦明神 あるいは 障神)

・若狭彦神社(若狭彦大神(彦火火出見尊))

・若狭姫神社(若狭姫大神(豊玉姫命))

 

〔高浜町〕

・青海神社(椎根津彦命/合祀  應神天皇  神功皇后  比咩大神  倉稻魂命

・香山神社(天香山命/配祀  猿田彦命 蛭子命 事代主命) 

・佐伎治神社(素盞嗚尊 稻田姫命 大己貴命)

・日置神社(應神天皇)

 

〔大野市〕

・荒嶋神社物部大連 天津兒屋根命)

・座神社(彦火火瓊瓊杵尊/合祀  誉田別尊)

・風速神社(住吉三神)

・春日神社(天兒屋根命/合祀  伊弉諾尊 伊弉册尊 天照皇大神 誉田別尊 菅原大神)

・國生大野神社(伊邪那美尊 大若生子命)

・坂門一事神社(阪田大跨命)

・篠座神社(大己貴命/合祀  誉田別命 豊受姫命 少彦名命/合祀  樺神社(木花咲夜姫命)/境内  磐座神社(稲田姫命)

・清瀧神社(大國主命/合祀  天照皇大神 事代主神 一言主神/合祀  國生大野神社(大國魂神)

・高於磐座神社(大山祇命  天津兒屋根命 天照大日孁尊

 

〔越前町〕

・大洗磯崎神社(大名持命 少彦名命)

・佐佐牟志神社(鵜茅草葺不合尊 神倭磐余彦尊 椎根津彦尊 武位起尊)

・劔神社(織田)(素盞嗚大神/配祀  氣比大神 忍熊王/境内摂社  織田神社(保食大神 仲哀天皇 応神天皇))

・劔神社(平等)(武甕槌命)

・長岡神社長岡神社  天之御中主神/天御布須麻神社  高御産巣日神 神産巣日神/八幡神社  應神天皇)

・麻氣神社(少彦名命 藥師如來)

・八坂神社(素盞嗚尊 奇稻田姫命 應神天皇)

 

〔敦賀市〕

・大椋神社(天手力雄命)

・金崎宮(尊良親王 恆良親王)

・久豆彌神社(木花咲耶姫命 瓊瓊杵命 大山咋命)

・氣比神社(伊奢沙別命 仲哀天皇 神功皇后 日本武尊 應神天皇 玉妃命 武内宿禰命)

・志比前神社(經津主命)

・常宮神社(神功皇后/配祀  仲哀天皇 天八百萬比咩神)

・白城神社(彦波瀲武鵜草葺不合尊)

・信露貴彦神社(迩迩藝命 日本武尊)

・晴明神社(保食神 安倍晴明公 春玉稲荷)

・田結神社(田結大神)

・高岡神社(菅原道眞/配祀  市杵嶋姫命 天兒屋根命 住吉大明神 熱田大明神 素盞嗚命

・劔神社(莇生野)(比咩大神/配祀  誉田別天皇)

・劔神社(手)(天利劍大神)

・利椋八幡神社(應神天皇 利椋大神)

・野坂神社(大山祇命/配祀  天津彦火瓊瓊杵尊 木花開耶姫命 秋葉大神 蛭子大神)

・白山神社(伊弉諾尊 伊弉册命)

・八幡神社(應神天皇)

・横椋神社(伊弉諾尊 伊弉册尊)

 

〔南越前町〕

・鵜甘神社(鵜草葺不合尊/合祀  大山咋尊 天津彦火瓊瓊杵尊 伊邪那美尊 大國主大神 曽博王神

・鹿蒜神社(誉田別尊 伊弉諾尊 武甕槌命)

・鹿蒜田口神社(誉田別尊 大山住命 大山咋命)

・新羅神社(素盞嗚命 火産靈命 大山咋命)

・白山神社(伊弉那美尊/合祀  應神天皇)

・麻氣神社(奇玉饒速日命)

 

 

〔福井市〕

・足羽神社継体天皇 大宮地之霊(生井神 福井神 綱長井神 阿須波神 波比岐神)/合祀  大穴持像石神 事代主命 少彦名命 柿本人麿 耳皇子  武小廣國押楯命 宇多天皇 天國排開廣庭命 素盞嗚尊 菅原道真公) 

・大己貴命神社(大己貴命合祀  菅原道真(天満神社)/合祀  直野神社(三尾君)

・越知神社(伊弉諾命/配祀  神狹日命)

・春日神社(天津兒屋根命 比賣神 武甕槌命 經津主命

・樺八幡神社(誉田別尊)

・賀茂神社(別雷神 大己貴命 玉依姫命 伊賀古夜比賣命/配祀  神武天皇 弓矢大神)

・加茂廼神社(別雷神 伊弉諾尊 伊弉冉尊 少奈彦命 違提希)

・金劔神社(迩迩藝命/配祀  伊邪那美命 級長津彦命)

・熊野神社(熊野櫲樟日命)

・黒龍神社(高龗大神  闇龗大神  大山祇神  継体天皇

・毛谷黒龍神社(高龗大神 闇龗大神 継体天皇

・社白髭神社(猿田彦大神/配祀  伊弉冉尊 倉稲魂命)

・登知爲神社(瓊瓊杵尊   菅原道眞 高木神 伊弉册命)

・白山神社(伊弉册尊)

・八幡神社(大宮町)(誉田別尊/配祀  武御名方神/合祀  伊弉諾尊 伊邪那美尊 市寸嶋比咩命

・八幡神社(東河原)(誉田別尊/合祀  神功皇后 武内宿禰 伊弉册尊)

・八幡神社(片粕町)(誉田別尊 伊邪那美尊 火産靈命 武甕槌命)

・八幡神社(大丹生町) (應神天皇/配祀  仲哀天皇 神功皇后)

・福井神社(松平慶永(春嶽公))

・藤島神社(新田義貞/配祀  新田義顯 (義貞嫡子)/配祀  新田義興(義貞第二子)/配祀  新田義宗(義貞第三子)/配祀  脇屋義助(義貞の弟))

・味坂神社(味坂比賣命)

・與須奈神社(大己貴命/合祀  少彦名命 繼軆天皇 大山祇命 稚子媛)

・分神社(伊波知和希命)

 

 継体天皇を祀る神社〕(引用:『玄松子の記憶』) 

●高向神社( 福井県坂井市丸岡町高田1-7-1 )

 当地高田は「高向の宮跡」と呼ばれる史跡。武内宿禰六世の孫高向氏が統治した高向の郷で、継体天皇の母・振媛命が、継体天皇を育てた宮の跡なのだそうだ。

 

 境内の案内によると、五世紀の中頃近江国高島郡三尾に住んでいた応神天皇の後裔・彦主人王は、越の坂名井から振媛命を妻として迎えた。振媛命は男大迹王(後の継体天皇)を生んだが。まもなく彦主人王が亡くなったので、幼い男大迹王を連れて故郷 の高向に帰り養育したとある。

 

 祭神は、境内の由緒石碑には継体天皇の父である彦主人王の祖・応神天皇と母・振媛命とある。

 

 ただし『福井県神社誌』には、継体天皇振媛命と記されている。また、三国命、八幡太神、振媛命の父・乎波智君とする説もある。当社は『古堂様』とも呼ばれ、振媛命一族の氏神であり、高向郷の総社であったという。

 

●横山神社(福井県坂井市丸岡町坪江19-37 ) 

 この附近が、継体天皇(男大迹皇子)の育った地高向の郷と考えられることから神社後方の山にある横山古墳群は、継体天皇との関連が深いと云われている。また、三国国造の古墳群とする説もある。 

 

●岡太神社(福井県越前市粟田部町大山19 )

  社伝によると、男大迹皇子が御潜龍の折、当地の水害を憂い、水路を穿ち、九頭龍・足羽・日野の三大川を開かれた時、建角身命・國狹槌尊・大己貴命の三柱を奉祀し岡太神社と号して祈誓されたのが起源。

 

●足羽神社(福井県福井市足羽1-8-25)

 社伝によると、継体天皇による創祀。継体天皇が、御母の里高向でお育ちになり、成長された頃、沼地であった越前の国を開拓する時に、足羽の地に、大宮地之霊を祀ったのが当社の起源。

 

 皇位を継承し、都へ行くときに、「末永く此の国の守神に成ろう」と、自ら御生霊のこの宮に鎮め、越前開闢之祖神となったという。大宮地之霊とは、坐摩神五座のこと。(生井神・福井神・綱長井神・阿須波神・波比岐神)

 

 斎主となった継体天皇の皇女・御子馬来田皇女阿須波神の名から、当社を足羽宮と称したという。また、福井の名も、この神々に由来するとも。

 

●味真野神社(福井県越前市池泉町21-18)

 謡曲「花筐」と味真野神社(境内案内板より)

 

 謡曲「花筐」は、雲の上人と里の女との 隔てない恋を美しく描写した狂女物です。武烈天皇が崩御され、越前国味真野にお られた男大迹皇子が選ばれて皇位を継ぐ事 になり、寵愛されていた”照日の前”に、 文と花筐を形見として残されました。

 

 皇子は即位して継体天皇となられ、 在る日の御幸の折、狂い歩く女をお見か けになりました。 持っている花筐から、皇子を慕う”照日 の前”と分かり都に連れて帰られたのです。

 

 この味真野神社は男大迹皇子の御所跡で、 継体天皇をお祀りし、皇子と”照日の前” との、ロマンスのあった地として、謡曲 「花筐」発祥の地にふさわしい所です。

 

●日野神社(福井県越前市中平吹町字茶端80-1 )

 『越前名勝志』には「頂上ニ三社。養老ノ項泰澄大師ノ開キ給フ。彫作観音、文殊、不動三社。」とあり、昔は三社が祀られていたようだ。式内社・兄子神社の論社の一つだが、『日本紀略』の延喜十年九月五日の条にある、従五位下を授けられた、式外社とする説もある。

 

 現在の祭神は、継体天皇・安閑天皇・宣化天皇の三神。天照皇大神・火産灵命・天兒屋根命とする異説もある。また、安閑天皇を祀り兄子神社とする説や大己貴命五世孫の和爾子命を祀って兄子神社とする説も。 

 

●與須奈神社(福井県福井市下市町27-36)

 創祀年代は不詳。『越前国惣神分』に「従四位 依須那神」と記された古社。昔は、「寄品明神」「依品明神」と呼ばれ、『足羽郡誌』によると、元は大瀬の大杉の下にあったという。村人が下肥を車に積んでこの神祠をしばしば通行したので明神がこれを忌み、下市へ遷りたいと願った。下市の市左衛門が夢の告にてこれを知り下市の山腹に堂を建てて祭ったという。

 

 このように祀られた当社だが、明治四十二年六月、無格社・中山神社とともに下市宮ノ越にあった村社薬師神社へ合祀。旧地の山中には石柱が残っているという。

 

 明治四十四年六月、その薬師神社を当地・亀山へ移転。その後、薬師神社の社号を與須奈神社と改めた。現在の祭神の中で、與須奈神社としての祭神は繼軆天皇。大己貴命・少彦名命は薬師神社の祭神。

大山祇命は中山神社、稚子媛は亀山神社の祭神だった。

 

●春日神社(境内:井口神社)福井県あわら市中番下番入会地1の甲)

 当地は、もとはこの井口神社の境内地であった。井口神社の創祀年代は不詳。第二十七代継体天皇は即位前は男大迩命と称し、当地に在住していた。

 

 その頃、国中の水利の不便を憂い当国三大河(九頭竜川・日野川・足羽川)および坂井港を開かれ国中の治水を行ない、当地に行宮を構えた。

 

 天皇の崩御後、当地に社殿を造営し祭神として祀ったのが初めという。ただし、祭神には異説もあり、御井神(井戸の神)とする説もある。

 

●荒樫神社(境内: 鵜甘神社)(福井県越前市西樫尾町28-5)

  創祀年代は不詳。社伝によると、男大迹皇子(継体天皇の幼名)が御潜龍の時、祖神を、筑前国香椎宮から勧請したのが、当社の創祀。

境内社の麻気神社は、男大迹皇子、幼少の頃、御生母・振姫に従い、当地へ来た時伯父・麻加加介の世話になったことから、振姫と麻加加介の二柱を祀っている。

 

 参拝時には気付かなかったが、境内には「御陵」と称する周囲54m、高さ2.5mの亀の形をした古墳があるらしい。明治時代に教部省及び宮内省の実地検分が行われたが墳墓の主は不明だという。

 

●諏訪神社(福井県越前市五分市町11-10)

創祀年代は不詳。伝承によれば、往古、五分市池田に須波阿須疑神社三座が鎮座。この社が、式内社・須波阿須疑神社だが、中古、三柱の祭神を分かち三社に分離。

池泉の伊弉諾神社(現在の味真野神社)を本宮とし、池泉字諏訪上割の諏訪神社(味真野神社に合祀)を上の宮として、五分市南西村の当社・諏訪神社を下の宮とした。

明治四十一年、許可を得て、同区村社・神明神社(天照皇大神 手力雄命 萬幡姫命)を合祀した。

 

●三国神社福井県坂井市三国町山王6-2-80)

 男大迹天皇(継体天皇)が、坂井中高向から三国の地に移られ治水・排水の難事業を克服され、開港の精華を得られたのは宝亀四九年の頃。その縁により、天皇崩御の後、朝廷より天皇の御神霊を鎮め祀られたのが当社の起源。

 

 しかしながら、その後、乱世となり中世期には、すでに廃絶してしまい、神官も絶えて、三国山に隣接する正智院の修験僧が守護するようになって三国神社の社号も忘れ去られてしまったという。天文九年頃、正智院の感得により、大山咋命を奉斎し山王権現と称するようになり、信仰は盛んとなった。 天保七・八年、旧社殿が老朽化したので桜谷山の東方を新たに開拓して、新社殿を造営。天保十年三月十一日に遷座。

 

 明治になって、山王宮は三国神社に改称を願い出たが福井藩によって却下され、鎮座地名に地なんで、桜谷神社と称したが、明治十八年になり、三国神社への改称が許され、復古した。

 

 上記のように、当社祭神は男大迹天皇(継体天皇)大山咋命だが異説も存在する。まず、三国国造の祖である、孝元天皇の皇子・彦太忍信命とする説。さらに彦太忍信命と若長足尼命とする説。三国真人の祖、継体天皇の皇子・椀子王とする説。三国君の祖、応神天皇の皇子・意富富杼王とする説。

 

 相殿の男大迹天皇(継体天皇)は、水門神社に祀られていたが、明治五年に当社に合祀されたもの。明治になって、水門神社の再建が検討されたが本来は、三国神社が男大迹天皇を祀る旧社であることから三国神社に合祀されることとなったらしい。配祀の雷神は、明治四十年に合祀された三国町上西の秋葉神社の御祭神。


(4-5)東海地方


①愛知県 ②静岡県 ③岐阜県 ④三重県


①愛知県(参照:神社記憶 神社探訪

 

 真清田神社 熱田神宮 久能山東照宮 井伊谷宮

 

〔安城市〕

・櫻井神社(伊弉諾尊 伊弉册尊 菊理媛尊/配祀  天照皇大神 八幡大神  合祀  火之迦具土神 火産靈神 應神天皇 倭姫命 菅原道眞)

・日長神社(天照大神)和志取神社(天日鷲命  合祀  伊弉諾命)

 

〔一宮市〕

・大神神社(愛知一宮)(大物主神)

・真清田神社(天火明命)

 

〔稲沢市〕

・尾張大國靈神社(尾張大國靈神/配祀  伊弉册命 天照大御神 素盞烏尊  奇稻田姫命 活玉依姫 手摩乳 脚摩乳/ 別宮  大御霊神社(大御靈神)宗形神社(田心姫命))

 

〔岡崎市〕

・謁播神社(知波夜命/配祀  春日大神)

・稻前神社(天照大神/合祀  天兒屋根命 應神天皇)

・糟目犬頭神社(彦火火出見尊 伊弉諾尊 伊弉册尊 素盞嗚命 犬頭靈神/合祀  豊受姫命)

・酒人神社(酒人親王/配祀  稻倉魂尊)

・比蘇天神社(高御産巣日神/合祀  豊受姫命(倉稻魂命) 猿田彦命(社口神)  )

・日長神社(吾田鹿葦津姫尊  天津日高子番能邇々藝尊 大日霊貴尊)

・和志取神社(五十狹城入彦皇子)

 

〔蒲郡市〕

・赤日子神社(彦火火出見尊 豊玉彦命 豊玉姫命)

・形原神社(埴安大神 朝廷別王命 誉田別命 豊受姫大神 天兒屋根神)

 

〔犬山市〕

・大縣神社(大縣大神)

 

〔新城市〕

・石座神社(天御中主命 市木島比賣大神 大山祇神 素盞嗚尊 天稚彦命 伊弉册命 倉稻魂命)

 

〔西尾市〕

・久麻久神社(熊味町)(倉稻魂神 久久能智神/合祀  天兒屋根命 豊宇氣毘賣命 多紀理毘賣命 狹依毘賣命 多紀都毘賣命)

・久麻久神社(八ツ面町)(大雀命 須佐之男神/配祀  熱田大神/合祀  奧津比古神 奧津比賣神 火産靈神 豊宇氣毘咩神 伊邪那美命 氣理比咩神)

幡頭神社(建稻種命/合祀  誉多別命 大物主命)

 

〔阿久比町〕

・阿久比神社(開囓神/合祀  猿田彦大神 天津彦命 瓊瓊杵尊  八幡大神 田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命  英比丸命)

・北原天満宮(菅原道真公)

・五郷社(素盞男命)

 

〔南知多町〕

・入見神社(天忍穗耳尊 天穗日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野櫲樟日命  田心姫命 市杵嶋姫命 湍津姫命)

・羽豆神社(建稻種命)

 

〔知立市〕

・知立神社(鸕鷀草葺不合尊 彦火火出見尊 玉依比賣命 神日本磐余彦尊/合祀  聖徳太子/配祀  青海首命)

 

〔津島市〕

・津島神社(建速須佐之男命/配祀  大穴牟遲命)

 

〔田原市〕

・阿志神社(木花咲耶姫命/合祀  健御名方命 誉田別命 須佐之男命  五男三女神 菅原道眞 大名持命 少名彦命)

 

〔豊橋市〕

・石巻神(大己貴命)

 

〔豊川市〕

・砥鹿神社境外末社岩戸神社(大己貴命)

・菟足神社(菟上足尼命)

・總社(三河國總社神)

・砥鹿神社奥宮(大己貴命 田心姫命)

・砥鹿神社里宮(大己貴命)

・御津神社(大國主命)

 

〔豊田市〕

・射穂神社(廣國押建金日命(安閑天皇)   春日山田皇女 神前皇女)

・糟目春日神社(天宇受賣命/ 配祀  彦火火出見命 素盞男命 天照大神  )

・猿投神社(大碓命/配祀  景行天皇 垂仁天皇)

・埜神社(豊斟渟命)

・野見神社(野見山町)(野見宿禰/相殿  大己貴命 素戔嗚尊)

・野見神社(榊野)(天夷鳥命)

・灰寶神社(波爾安比咲命(波邇夜須毘売神))

・兵主神社(大物主命 大己貴命 三穗津姫命  天照大御神 大山祇命 豊受皇大神 須佐之男命)

・広沢天神社(少名彦神)

 

〔名古屋市熱田区〕

・青衾神社(天道日女命)

・熱田神宮(熱田大神  配祀  天照大神 素盞嗚尊 日本武尊 宮簀媛命 建稻種命)

・高座結御子神社(高倉下命)

 

②静岡県(参照:神社記憶 神社探訪

 

久能山東照宮 井伊谷宮 秋葉山本宮 秋葉神社 上社 同左 下宮 山住神社 三嶋大社 

 

〔伊東市〕

・葛見神社(葛見神 倉稻魂命/合祀  大山祇命)

・八幡宮來宮神社(誉田別命 伊波久良和氣命)

・引手力男神社(手力男神)

・比波預天神社(加理波夜須多祁比波預命  配祀  菅原道眞)

 

〔伊豆の国市〕

・荒木神社(天津日子根命/ 別殿  熊野久須毘命(熊野神社) 高淤加美命(貴船神社) )

・小坂神社(大國主命  合祀  倭文神社  葛城神社)

・神益麻志神社(長白羽命)

・劔刀神社(劔刀乎夜爾命)

・奈胡谷神社(金村五百君別命)

・廣瀬神社(三嶋溝杙姫命  ほか  不詳二神)

・豆塚神社(石徳高命)

・守山八幡宮(誉田別命 大山祇神 木花開耶姫命/配祀  氣長足姫命 武内宿禰命 大鷦鷯命 猿田彦命/合祀  平岡神 經津主神 武甕槌神 松川神  大山咋神 鹽土老翁神 宇迦之御魂神 市杵嶋姫神 瓊瓊杵尊 愛宕神)

 

〔伊豆市〕

・伊加麻志神社(事代主命)

・稲宮神社(豊受比賣命)

・大宮神社(大己貴命)

・軽野神社(八重事代主命)

・國玉神社(大國主命  あるいは  國玉命)

・倭文神社(不明(倭文神か))

・神明神社(甕玉姫命)

・浅間神社(岩倉姫命)

・土肥神社(豊御玉命 應神天皇/配祀  大國主命 彌豆波乃賣命  )

・子神社(大國主命)

・八幡神社(應神天皇  あるいは 青玉比賣命 大鞆和気命 天児屋根命)

 

〔下田市〕

・下田八幡神社(誉田別命/配祀 牛頭天王)

・白濱神社(伊古奈比咩命/相殿  三嶋大明神 見目大神 若宮大神 劍の御子)

・走湯神社(伊豆奈比咩命)

・浅間神社(木花開耶姫)

・竹麻神社(誉田別命)

・八幡宮(誉田別命 /相殿  竹麻神社三座/三嶋神社/境内  多祁美加々命神社  若宮)

・波布比咩命神社(波布比咩命)

・波夜多麻和氣命神社(波夜多麻和氣命/別殿  荒神宮(火産靈神)八幡宮(應神天皇))

・三島神社(大國主命/配祀  中筒男命 /合祀  多祁富許都久和氣命神社/竹麻神社三座/武峯神社(多祁富許都久和氣命))

・両神社(伊弉諾尊 伊弉冉尊)

 

〔河津町〕

・杉桙別命神社(杉桙別命/合祀  五十猛命 少彦名命 笹原姫)

・瀧山神社(伊佐那岐尊)

・奈疑知命神社(奈疑知命/相殿  大山祇命(山神社)素盞嗚命(天王社))

・姫宮神社(笹原姫命)

・三嶋神社(逆川)(布佐乎宜命/相殿  西大一座神  磐長比賣神)

・三嶋神社(川津筏場)(布佐乎宜命)

・見高神社(多祁伊志豆岐命)

 

〔松崎町〕

・伊志夫神社(大山祇之神)

・伊那上神社(積羽八重事代主命)

・伊那下神社(彦火火出見尊 住吉三柱大神)

・國柱命神社(國柱姫命)

・浅間神社(磐長姫尊)

・仲神社(事代主命 菅原神)

・野本神社(大神宮 大六天)

・舟寄神社(積羽八重事代主命)

・箕勾神社(?)

 

〔西伊豆町〕

・宇久須神社(積羽八重事代主命)

・浦守神社(國玉命)

・佐波神社(廣幡八幡大神 積羽八重事代主命)

・神明神社(浮島)(布刀主若玉姫命)

・神明神社(仁科)(天照皇大神)

・哆胡神社(積羽八重事代主命 哆胡若宮命/相殿  廣幡八幡大神)

・多爾夜神社(積羽八重事代主命)

 

〔東伊豆町〕

・志理太乎宜神社(志理太乎宜命/別殿  五十猛命)

 

〔南伊豆町〕

・石室神社(伊波例命)

・王子神社(穗都佐和氣命)

・加畑賀茂神社(八重事代主命)

・諏訪神社(伊波氐別命)

・月間神社(事代主命/配祀  天照皇大神)

・八幡神社(伊波久良別命/別殿  菅原道眞公)

・姫宮神社(伊波比咩命 /相殿  八幡神社(誉田別命)/相殿  三島神社(事代主命)/多祁伊志豆伎命神社)

・三島神社(蝶ケ野)(事代主命 譽田別命)

・三島神社(入間)(事代主命)

・三島神社(青野)(事代主命)

・三島神社(二條)(溝杙姫命/合祀  石井山神社(大山祇命)加納八幡神社(誉田別命)田村神社(田村神 瓊々杵尊)貴船神社(高龗神)黄宮神社(八雲神社)(素盞鳴尊)

・三島神社(下小野)(阿米都加多比咩命 誉田別命)

・三島神社(妻良)(大津往命/配祀  須佐之男命)

・若宮神社(物忌奈命)

 

〔掛川市〕

・事任八幡宮(己等乃麻知比売命 誉田別命 息長帯比売命 玉依比売命/『明治神社誌料』『静岡県神社誌』『神社名鑑』『式内社調査報告』には應神天皇 玉依姫命 神功皇后)

 

〔湖西市〕

・諏訪神社(建御名方命 八坂刀賣命  合祀  天照大神 豊受大神 事代主神 大己貴神 猿田彦神 少彦名神  武甕槌神 經津主神 伊弉諾尊 伊弉冉尊  田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命)

・二宮神社(大物主神)

・湊神社(須佐之男命)

 

〔三島市〕

・赤王神社(櫛眞智神/配祀  大己貴神 少彦名神 日本武尊 大口眞神)

・右内神社(櫛石窗命)

・鍬戸神社(倭文神(祭神不詳))

・左内神社(阿米都瀬氣多知命)

・浅間神社(木花開耶姫命 波布比売命/相殿  瓊々杵命 火明命 火蘭降命 彦火々出見命)

・高橋神社(磐鹿六雁命)

・劔刀石床別命神社(劔刀石床別命 日本武尊)

・広瀬神社(?) 

・三嶋大社(大山祇命 事代主命/配祀  阿波神 伊古奈比咩命 楊原神)

・若宮神社(誉田別命)

 

〔森町〕

・小國神社(大己貴命)

 

〔清水町〕

・小河泉水神社(熊野夫須美之命)

 

〔長泉町〕

・桃澤神社(建御名方命 愛鷹大神)

 

〔沼津市〕

・鮑玉白珠比咩命神社(鮑玉白珠比咩命/合祀  蔵王権現)

・井田神社(大國主命)

・大朝神社(大日孁命)

・大瀬神社(引手力命)

・神明八幡神社(天照大神 櫲樟日命 品陀和氣命)

・浅間神社・丸子神社(浅間神社:木花開耶姫命  配祀  瓊瓊杵尊 彦火火出見尊/丸子神社:金山彦命  配祀  國常立尊 大山咋命 豊受姫命 宇迦之御魂命 素盞嗚命 稻田姫命  大國主命 少彦名命 事代主命 大物主命 火之迦具土命 猿田彦命  日本武尊 菅原道眞 平將門 大己貴命 思兼神)

・玉作神社(玉祖命 水波廼女神)

・長濱神社(阿波咩命)

・部田神社(大國主命)

・丸子神社(金山彦尊)

・桃澤神社下社(建御名方神  瓊瓊杵命  木花咲耶姫命)

・諸口神社(弟橘姫命)

・楊原神社(大山祇命/配祀  磐長姫命 木花開耶姫命)

・鷲頭神社(高龗神/配祀  天穂日命 誉田別命 日本武尊)

 

〔焼津市〕

・那閉神社(八重事代主命 大國主神)

・燒津神社(日本武尊/配祀  吉備武彦命 大伴武日連命 七束脛命)

 

〔吉田町〕

・片岡神社(底筒之男命 中筒之男命 表筒之男命 息長帶毘賣命)

 

〔静岡市葵区〕

・浅間・神部・大歳御祖神社(浅間神社:木之花開耶姫命  配祀  瓊瓊杵命 栲幡千千姫命/神部神社:大己貴命 配祀  瓊瓊杵命 栲幡千千姫命 東照神/大歳御祖神社:大歳御祖命 配祀  雷神)

・足坏神社(蛭子大神)

・小梳神社(建速須佐之男命 奇稻田姫命/配祀  大己貴命 天照皇大御神/合祀  金山彦命 金山姫命 石凝留命 猿田彦命)

・白澤神社(伊邪那美命 建御名方命/合祀  大雀命 木花佐久夜毘賣命)

・住吉神社(表筒男命 中筒男命 底筒男命)

・建穂神社(保食神 天照皇大御神/合祀  猿田彦命 須佐之男命)

・別雷神社(別雷神 玉依比賣命/配祀  保食命 大山咋命 火之迦具突智命  大穴貴命 少彦名命 猿田彦命/合祀  彰徳神)

 

〔静岡市駿河区〕

・伊河麻神社(品陀別命)

・池田神社(事代主神/配祀  大己貴命 木花開耶姫命  武内宿禰命 大山祇命/合祀  須佐之男命)

・久能山東照宮(徳川家康/配祀  豊臣秀吉 織田信長)

 

〔静岡市清水区〕

・久佐奈岐神社(日本武尊/配祀  弟橘姫命 吉備武彦命 大伴武日連命 膳夫七掬胸脛命)

・草薙神社(日本武尊)

・豊積神社(木花之佐久夜比賣命)

・豊由氣神社(豊受姫命/配祀  木花開耶姫命)

・御穂神社(大己貴命 (三穗津彦命) 三穗津姫命)

 

〔函南町〕

・初姫神社(金村五百村咩命)

・満宮神社(誉田別命/  配祀  王子大神 少名彦命 大山祇命)

 

〔島田市〕

・大楠神社(大己貴命)

・敬満神社(敬滿神 (少彦名命) / 配祀  天照皇大神 速須佐之男尊/合祀  建御名方命 事代主命 軻遇突知命 御食都神 高皇産靈神)

 

〔藤枝市〕

・飽波神社(少彦名命/配祀  瀬織津姫命 蛭子命 天忍穗耳命)

・神神社(大物主神/相殿  天照大神 葛城一言主神)

 

〔熱海市〕

・伊豆山神社(伊豆山神(火牟須比命・伊邪那岐命・伊邪那美命)/ 境内  火牟須比命神社/摂社  雷電社  火牟須比命荒魂 雷電童子)

・来宮神社(大己貴命 五十猛命 日本武尊/  相殿  稲荷神社(倉稲魂命)柿本社(不詳)天神社(菅原道真))

・多賀神社(伊弉諾尊 伊弉册尊)

・本宮神社(伊豆山神)

・湯前神社(少彦名命)

 

〔磐田市〕

・天御子神社(素戔嗚尊/配祀  櫛稻田姫命)

・淡海國玉神社(大國主命 /合祀  速玉之男命 事解之男命 伊邪那岐命 御間城入彦五十瓊殖天皇 大山咋神  宇迦之御魂命 天照大神 豊受大神 赤鬚神 須佐之男命 迦具土命 大己貴命/合祀  御子神神社二座(瓊々杵命 木花開耶姫命)御祖神社(鴨御祖神)須波若御子神社(須波若神))

・鎌田神明宮(豊受姫大神  配祀  迩迩藝之命 天兒屋根命 天之太玉命)

・田中神社(宇迦之御魂命)

・東八王子神社(天之忍穗耳命 天津日子根命 活津日子根命 天穗日命 熊野久須日命  多紀理毘賣命 狹依毘賣命 多岐都比賣命)

・府八幡宮(足仲彦命 気長足姫命 誉田別命) 

・松尾八王子神社(正哉吾勝々速日天之忍穗耳命 天之穂日命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須日命  市寸島姫命 多岐都姫命 多紀理姫命  大山咋命)

・矢奈比賣神社(矢奈比賣大神/相殿  菅原大神/合祀  愛宕神社(火之迦具土神)住吉神社(表筒男神 中筒男神 底筒男神))

・雷三神社(豊雷命 豊雷比賣命 生雷命)

・鹿苑神社(大名牟遲命)

 

〔浜松市中区〕

・息神社(志那都比古神 志那都比賣神 宇迦之御魂神 猿田毘古神 大宮比賣神)

 

〔浜松市西区〕

・賀久留神社(闇御津羽神 闇淤加美神 氣長帶比賣命 誉田別命 玉依比賣命)

・春日神社(武甕槌命 經津主命 天兒屋根命 比賣神)

・岐佐神社(蚶貝比賣命 蛤貝比賣命  配祀  市杵嶋比賣命)

 

〔浜松市北区〕

・渭伊神社(玉依姫命 品陀和氣命 息長足姫命)

・井伊谷宮(一品中務卿宗良親王(後醍醐天皇第四皇子))

・猪鼻湖神社(武甕槌命 市桙姫命)

・乎豆神社(内宮 天照大御神  外宮 豊受大神/相殿  天手力男命 拷幡千千姫命 瓊瓊杵命  天児屋根命 天太玉命)

・四所神社(底筒男命 中筒男命 上筒男命 荒魂皇大神)

・神明宮(天照皇大御神 豊受大神)

・須倍神社(内宮 天照皇大神 相殿 天手力男命 栲幡千千比賣命 /外宮 豊受姫大神 相殿 迩迩藝命 天兒屋根命 天太玉主命  )

・二宮神社(多道間守命 宗良親王)

・蜂前神社(熯速日命 /左脇宮  甕速日命/右脇宮  武甕槌命)

・濱名惣社神明宮(天照皇大御神/境内社  太田命社(太田命)、天棚機媛神社(天棚機姫命)、  浜名天満宮(菅原道真公)、天羽槌雄神社(天羽槌雄命))

・細江神社(建速素盞嗚尊 奇稻田姫尊)

・三嶽神社(勾大兄広国押武金日尊/配祀  大國主命 少彦名命/ 合祀  表津綿津見神 中津綿津見神 底津綿津見神  表筒之男命 中筒之男命 底筒之男命)

 

〔浜松市天竜区〕

・秋葉山本宮秋葉神社上社(火之迦具土大神)

・秋葉山本宮秋葉神社下社(火之迦具土大神)

・山住神社(大山祇命 事解男命 伊弉册命 速玉男命)

 

〔富士宮市〕

・倭文神社(健羽雷神/合祀  大屋毘古神 大山祇神 熊王山神  高皇産靈神 伊邪那岐神  )

・冨知神社(大山津見神)

・富士山本宮浅間大社奥宮(木花之佐久夜毘賣命/配祀  天津日高日子番能迩迩藝命 大山津見神)

・富士山本宮浅間大社(木花之佐久夜毘賣命/配祀  天津日高日子番能迩迩藝命 大山津見神/合祀  荒御魂神 彌都波能賣神 須佐之男命  日之宮神 天照大御神 應神天皇  市杵嶋姫命 水神 見目神 飯酒御子神)

 

〔富士市〕

・富知六所浅間神社(大山祇命/配祀  木花之佐久夜比賣命 大山咋神  深淵之水夜禮花神 阿波乃咩神 高龗神)

 

〔牧之原市〕

・飯津佐和乃神社(素盞嗚尊/配祀  高皇産靈尊/合祀  猿田彦神 菅原道眞)

服織田神社(麻立比古命 天八千千比賣命/合祀  蛭子命 天之忍穗耳命 市杵嶋姫命 木花咲夜比賣命  速玉男命 猿田彦命 石長比賣命 大山祇命 少名比古命)

 

③岐阜県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔安八町〕

・宇波刀神社(天照大神 豊受大神 倭姫命 家津御子神)

 

〔神戸町〕

・宇波刀神社(宇波刀大神)

 

〔輪之内町〕

・加毛神社(神別雷命(猿田彦命))

 

〔羽島市〕

・阿遲加神社(日本武尊)

・八剱神社(八剱神社:櫛岩窗神/稲荷神社:倉稻魂神)

 

〔東白川村〕

・神田神社(伊邪那岐命 伊邪那美命 大国主命 少彦名命 速玉男命/合祀  猿田比古命 大山祇命 水分命 天照皇大神  菊理比女命 大雀命 火産霊命 誉田別命 須佐之男命)

 

〔白川町〕

・大山白山神社(菊理姫神 伊邪那岐神 伊邪那美神/合祀  家津御子神 速玉男神 熊野夫須美神  志那都比古神 志那都比女神)

・中屋神社(菊理姫神 伊邪那伎神 伊邪那美神/合祀  大名牟遲神)

 

〔岐阜市〕

・伊奈波神社(五十瓊敷入彦命/配祀  渟熨斗媛命(妃神) 日葉酢媛命(母神) 彦多都彦命(外祖父) 物部十千根命(功臣) /合祀  物部神社)

・方県津神社(丹波之河上之摩須郎女命/合祀  天照大神)

・津神社(縣須美命 武渟川別命)

・八幡神社(應神天皇)

・若江神社(應神天皇 氣長足姫命 玉依姫命)

 

〔恵那市〕

・武並神社(大己貴命 誉田別命 少彦名命)

・中山神社(廣國押建金日命/配祀  金山毘古神 金山毘賣神)

・八王子神社(天忍穗耳命 天穗日命 天津彦根命 熊野樟日命  活津彦根命 田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命)

 

〔高山市〕

・阿多由太神社(大歳御祖神 大物主神/配祀  家津御子神 早玉之男神 熊野久須美命 阿須波之神/合祀  大己貴命 崇徳天皇)

・荒神社(火結神 火之夜藝速男神 奧津日子神 奧津日賣神/埴山姫命 興津彦命 興津姫命『飛州志』/奥津日子神 奥津比賣神 火産霊神 庭日神『斐太後風土記』)

・荒城神社(大荒木之命 國之水分命 天之水分命 彌都波能賣神)

・荏名神社(高皇産靈神 荏名大神/大屋津姫命『神名帳考證』 /稲置森子安神『飛州志』)

・栗原神社(五十猛神 大山祇大神 宇迦之御魂神  伊邪那美命 伊邪那岐命 菊理姫命 火産靈神/五十猛神『特選神名牒』/祭神不詳『神社覈録』)

・槻本神社(大山津見神/相殿  櫛御氣野神  建御名方刀美神 八坂刀賣神/月元大明神『飛騨國總社考』)

・天満神社(菅原道眞 天津神/合祀  建速魂神 天兒屋根神)

・飛騨總社(正殿主神  大八椅命/脇殿(延喜式神名帳所載八神)水無神 槻本神 荏名神 大津神 荒城神 高田神 阿多由太神 栗原神/脇殿(国史現在社十神) 大歳神 走淵神 四天王神 遊幡石神 渡瀬神 道後神  気多若宮神 本母国津神 剣緒神 加茂若宮神/合祀  菊理姫命 伊邪那美命 伊邪那岐命)

・水無神社(水無神(御歳神)/配祀  大己貴命 三穗津姫命 應神天皇 高降姫命 神武天皇 須沼比命 天火明命  少彦名命 高照光姫命 天熊人命 天照皇大神 豊受姫大神 大歳神 大八椅命/大己貴命『一宮御本縁』/高照光姫命『神名帳頭註』/神武天皇『飛騨八所和歌裏書』/八幡神『元禄検地水帳』/天火明命『神名帳考証』水神『先代旧事本紀』)

 

〔大垣市〕

・大神神社(大物主櫛甕玉命/配祀  神倭磐余彦天皇 比賣多多良五十鈴姫命)

・白鬚神社(猿田彦大神)

・墨俣神社(墨俣大神)

・鵄栖神社(猿田彦神 蛭子神)

・長彦神社(志那津比古神 志那津比女神)

・八幡神社(應神天皇)

 

〔中津川市〕

・恵那神社(伊弉諾命 伊弉册命/配祀  天照皇大神 豊受大神 一言主命  木花開耶姫命 速玉男命 天目一箇   猿田彦命)

・熊野神社(祭神は熊野神呂伎櫛御氣野命で、伊弉諾命、伊弉冉命を配祀している。)

・榊山神社(建速須佐之男命/配祀  天照大御神 伊邪那美之命)

・坂本神社諏訪社(建御名方神/配祀  誉田別尊 速玉男命)

・坂本神社八幡宮(誉田別尊 大山祇神 帯中日子命)

・諏訪神社(建御名方命/配祀  伊弉諾尊 伊弉冉尊 天照皇太神  誉田別尊 木花開耶姫命)

・中川神社(菊理媛命 伊邪那美命 木花咲耶媛命)

・八幡神社(誉田別命)

・丸山神社(天照皇大御神/配祀  天水分神 志那都比古神 豊受毘賣神 国水分神  志那津比賣神 伊邪那岐神 大己貴神 菊理姫神)

 

〔飛騨市〕

・大津神社(大彦命/配祀  武渟河別命/合祀  建南方富命)

・大歳神社(大歳神/配祀  大己貴神 崇徳天皇/合祀  菅原道眞/合祀  阿多由太神社(火闌降神 白山比咩命))

・貴船神社(高靇大神/配祀  大山咋大神 高照光姫 大年神)

・高田神社(高魂命/合祀  白山比咩命 建御名方命 賀茂別雷命 天津彦根命  )

 

〔垂井町〕

・伊富岐神社(多多美彦命)

・領神社(不破郡大領宮勝木實命/配祀  伊邪那美尊 速玉之男神 泉津事解之男神)

・南宮御旅神社(金山姫命/配祀  豊玉姫命 埴山姫命)

・南宮大社(金山彦命/配祀  見野命 彦火火出見命/『美濃明細記』『美濃国式内神社祭神記』  金山彦命 御野命 彦火々出見命  秘神として罔象女命 埴山媛命/ 境内社 数立神社(塩土老翁 あるいは 猿田彦命))

 

〔大野町〕

・来振神社(伊弉諾命 伊弉冉命 菊理姫命 大己貴命 白山輔佐翁)

 

〔池田町〕

・養基神社(養基大神)

 

〔揖斐川町〕

・花長上神社(天甕津日女命 應神天皇 速玉男命  天照大御神 大山祇神 高靇神  熊野久須美命 豊受大神 家津御子神 天水分神)

・花長下神社(赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命)

 

〔養老町〕

・久々美雄彦神社(久久美雄彦神)

・多岐神社(倉稻魂神 素盞嗚命/配祀  大市比咩神)

・田代神社(別雷命  武甕槌命 經津主命 天兒屋根命 姫神  家津御子神 速玉男神 熊野久須美命  建御名方神 應神天皇 猿田毘古神/配祀  天照大神)

・御井神社(御井神) 

 

 

④三重県(参照:神社記憶 神社探訪

 

皇大神宮 内宮 豊受大神宮 外宮 

 

〔伊賀市〕

・葦神社(大國主神 事代主神 市杵嶋姫命 田心姫神 湍津姫命  天日方命 奇日方命 天手力男命 少名毘古那命 布都御魂神 神功皇后/合祀  日本武尊 火産靈神 伊古那姫神 猿田毘古神  伊邪那岐神 健速須佐之男神 菅原道眞 地主神 帶中日子神 品陀和氣命  高良玉垂命 大雀命 宇迦能御魂命 大日靈貴尊 奧津日子神 天穗日命)

・穴石神社(木花佐久夜比賣命 天津兒屋根命 天長白羽命 天香香脊男命/合祀  市杵嶋比賣命 宇迦能御魂命 大山祇命 火産靈神 彌都波能賣神  武甕槌命 經津主命 健速須佐之男命 仁徳天皇)

・敢國神社(大彦命 少彦名命 金山媛命/配祀  九所社 六所社)

・阿波神社(稚日女神 猿田毘古命 火産靈命/合祀  菅原道眞 火迦具土命 健速須佐之男命  天忍穗耳命 天穗日命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命  多紀理比賣命 狹依毘賣命 多紀津比賣命  大物主命 少彦名命 速玉之男命 大山祇命 山王/天日方奇日方命『神名帳考證』(出口延経)/息長田別命『三重縣神社誌』(大正版?)/猿田彦命 神功皇后『伊水温故』/神功皇后 『三國地誌』)

・猪田神社(猪田)(武伊賀津別命/相殿  少毘古那命 上筒男命 中筒男命 底筒男命  健速須佐之男命 天兒屋根命 健御名方命  速玉男命 事解男命 大物主命 大山咋命  大山祇命 金山毘古命 蛭子命 猿田彦命 應神天皇 菅原道眞公) 

・猪田神社(下郡)(猪田神/合祀  依那古神 健御名方命 宇迦能御魂神 小泉太郎左衞門  蛭子命 大日孁貴命 坂戸神 應神天皇 仁徳天皇 大物主神  市杵嶋比賣命 大山咋命 健速須佐之男命 天兒屋根命 綾門日女命  猿田彦命 菅原道眞 大山祇神 木花佐久夜比賣命 伊弉册命 火之迦具土神 速玉男命 事解男命 倭姫命/配祀  底土命 赤土命 磐土命  合祀  神功皇后)

・射手神社(應神天皇/配祀  玉垂命 八神靈 伊邪那岐命 宇迦能御魂神 菅原道眞 大山祇神 彌都波能賣神  建比良鳥命 建速須佐之男命 五男三女神 仁徳天皇 八衢比古神 火産靈神)

・植木神社(健速須佐之男命 櫛名田毘賣命/配祀  鳥鳴海神命 事代主神命 火之迦具土神命 品陀和氣尊命 菅原道眞命  大山祇命 猿田毘古神命 彌都波能賣神命 正哉吾勝々速日天之忍穗耳命  天之穗日命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命  多紀理毘賣命 多岐津毘賣命 武甕槌命 市杵島姫命  少彦名命 宇迦之御魂命 上筒之男命 中筒之男命 底筒之男命 大日孁貴命 鹿島御子三十八神 大物主命  香香脊男命 五十猛神命 大稻輿命 大友皇子命  志那都毘古命 志那都毘賣命 安閑天皇 山田惟之命 大己貴命)

・宇都可神社(天忍日命)

・鸕宮神社(事代主命/配祀  大那牟遲命 神倭磐余彦命 菅原道眞 木花咲夜比賣命/合祀  市杵嶋姫命 建速須佐之男命 天照大神 豊宇氣大神  建御名方神 大物主神 大山祇神 品陀和氣神 少那比古神 稻倉魂命)

・依名古神社(味鋤高彦根命   宗像神『惣国風土記』/大稲輿命『神名帳考証』度会延経/味鋤高彦根命 大稲輿命『神名帳考証』伴信友/依那古神『特選神名牒』/天児屋根命 建御名方命 宇迦能御魂命『三重縣神社誌』)

・大村神社(大村神/配祀  武甕槌神 經津主神 天兒屋根命/合祀  應神天皇 大日孁貴命 天押雲命 市杵嶋比賣命 大物主命 大山祇命  事代主命 火之迦具土命 建速須佐之男命 多紀里毘賣命 狹依毘賣命 多岐津比賣命  水波能賣命 宇迦能御魂神 速玉男命 月夜見命 稻田姫命)

・小宮神社(呉服比賣命  配祀  健御名方命 大山祇命 健速須佐之男命)

・春日神社(天兒屋根命/合祀  應神天皇 木之久々能智神 名山主眞劍荒魂 建速須佐之男命  少毘古那命 木花咲夜比女命 速玉之男命 倉稻魂命  熊野八荘司之後裔木村長佐三左衛門 大山祇命 息長足姫命  撞賢木厳之御魂天疎向津姫命)

・神戸神社(大日孁貴命/配祀  天兒屋根命 倭姫命 天太玉命 栲機千千姫命 天手力男命/合祀  三穗津比賣命 彌都波能賣神 火之迦具土神 大山祇神 大物主神  市杵嶋姫命 猿田彦神 大海津見神 金山彦命 速須盞男命 事代主命  八柱皇大神 経津主神)

・木根神社(事代主命 素盞嗚尊  昔は、酒地明神(建角見命)  あるいは、枳禰命(枳禰都彦命)『三重縣神社誌』)

・佐々神社(八重事代主命  合祀  須佐之男命 倉稻魂命 大己貴命 金山彦命 大山祇命)

・白石神社(?)

・須智荒木神社(猿田彦命/配祀  武内宿禰命 葛城襲津彦命/合祀  誉田別命 菅原道眞 火魂日命 大日孁貴命 須佐男命 市杵嶋姫命 金山彦命  大山祇命 天兒屋根命 天萬栲幡千幡比賣命 宇迦能御魂命 大鷦鷯命 彌都波能比賣命)

・高瀬神社(高瀬神/合祀  建速須佐男神 猿田彦神 大物主神 火迦具土神 市杵島比賣神)

・高土之宮(高瀬神/配祀  健速須佐之男命 大物主神 火之加具土神 市杵嶋比賣命 猿田彦神)

・田守神社(彦屋主田心命 別雷神 木花咲耶媛命/合祀  表筒男命 中筒男命 底筒男命 建御名方神 大山祇命 大物主命  誉田別命 建速須佐之男命 白山比咩神 宇迦能御魂神 火之迦具土神  大綿津見神 五男三女神 六所大神 事代主神 大日孁貴神 速玉之男命  市杵嶋姫命)

・都美恵神社(栲幡千々比賣命  配祀  経津主命 布都御魂命  合祀  倭姫命 應神天皇 健速須佐之男命 稲田比賣命 仁徳天皇 天穗日命  火産靈命 大山祇命 三筒男命 安閑天皇 大山咋神  建御名方命 八坂刀賣命 大日孁貴命 埴山比賣命 彌都波能賣命  市杵嶋比賣命 伊弉册命 菊理比咩命 天太玉命 宇氣母智命 伊勢津彦命  天手力男命 武甕槌命 宇迦能御魂命 天津彦彦火瓊瓊杵命 木花佐久夜比賣命  玉依比賣命 建角見命 猿田彦大神 天御柱命 國御柱命 火之迦具土命)

・鳥坂神社(武内宿禰 大日孁貴命 愛鬘命/合祀  彌都波能賣命 彌五郎 大山祇神 木花咲耶姫命  速玉之男命 大山咋神 健速須佐之男命)

・波多岐神社(大鷦鷯尊(仁徳天皇) 境内社 宇都可神社(大物主命 大己貴命 罔象女命 高皇産靈命 建御名方命  源滿仲公 源頼光公 源頼信公 源頼義公 源義家公/境内社  府中神社(須佐之男命 軻遇突智命 大地主命  塞神 木花開耶姫命 大山祇命 火産靈命 天津國玉命))

・花垣神社(天兒屋根命 經津主命 武甕槌命 比賣大神/合祀  大日孁貴神 五男三女神 誉田別命 安閑天皇 木花咲夜姫命  宇迦能御魂神 八衢比古神 八衢比賣神 久那戸神 建速須佐之男命 市杵嶋姫命  菅原道眞 大山祇神 火産靈神 三筒男神 大己貴神)

・比自岐神社(比々岐)(比自岐神  配祀  天兒屋根命 天照大神/合祀  劔根命 應神天皇 建速須佐之男命 火産靈神 大物主神 宇迦之御魂命  木花佐久夜比賣命 大山祇神 伊邪那岐命 大綿津見神 菅原道眞)

・比々岐神社(北山)(比々岐神  武甕槌神 経津主神 天兒屋根命 建速須佐之男命 大日孁貴命  速玉男命 事解男命 伊邪那美命 誉田別命 大物主神 大山祇神  火産靈神 市杵嶋比女神 綾門日女神 事代主神 宇迦之御魂神)

・眞木山神社(天兒屋根命 經津主命 眞木山神/合祀  菅原道眞 伊邪那岐命 應神天皇 大物主命 健速須佐之男命  武甕槌命 大日靈貴命 蛭子命 火之迦具土命 天手力男命 大山祇命)

・陽夫多神社(健速須佐之男命/配祀  五男三女神/合祀  天之火明命 火之迦具土神 香香背男神 大物主神  大山祇神 大日孁貴命 宇迦之御魂命 伊邪那伎命 伊邪那美命  速玉之男命 事解之男命 天兒屋根命 蛭子命 菊理比賣命)

・乎美祢神社(乎美禰神/素盞嗚尊『伊水温故』『伊賀國風土記』/大峯大尼命(物部氏出石心大臣命の孫、大彦命の叔父)『神名帳考證』(度会延佳)/大峯大尼命 伊弉册尊 天手力男命『伊賀國誌』)

 

〔伊勢市〕

・伊勢の神宮百二十五社(※別途)

・皇大神宮伊勢神宮(内宮)(天照坐皇大御神/相殿  手力男神 萬幡豊秋津姫命)

・豊受大神宮伊勢神宮(外宮)(豊受大御神/相殿  御伴神三座(東一座 西二座)一説に津彦々火瓊々杵尊 天児屋根命 太玉命)

・皇大神宮別宮月讀宮(月読尊)

・皇大神宮別宮倭姫宮(倭姫命)

・皇大神宮摂社朝熊神社(大歳神 苔虫神 朝熊水神  櫻大刀自(櫛玉命の子、大歳の子) 苔虫 朝熊水神(大山罪命の子)『儀式帳』)

・皇大神宮摂社粟皇子神社(須佐乃乎命御玉道主命)

・皇大神宮摂社宇治山田神社(須佐乃乎命御玉道主命)

・皇大神宮摂社江神社(長口女命(天須婆留女命の子) 大歳御祖命 宇加乃御玉命)

・皇大神宮摂社大土御祖神社(大國玉命 水佐々良比古命 佐々良比賣命  (三神とも国生神の子))

・皇大神宮摂社大水神社(大山罪乃御祖命  皇大神宮摂社)

・堅田神社(佐見都日女命)

・皇大神宮摂社川原神社(月読尊御魂)

・皇大神宮摂社神前神社(荒前比賣命(国生神の子))

・皇大神宮摂社園相神社(曾奈比比古命(大水上神の子) 御前神)

・皇大神宮摂社津長神社(栖長比賣命(大水上の子))

・皇大神宮摂社湯田神社(大歳御祖命 御前神)

・皇大神宮末社鏡宮神社(岩上二面神鏡魂)

・皇大神宮末社加努弥神社(’稲依比女命(大歳神の御子)

・皇大神宮所管社饗土橋姫神社(宇治橋鎮守神)

・皇大神宮所管社大山祗神社(大山祗神)

・皇大神宮所管社御塩殿神社(御塩殿鎮守神)

・豊受大神宮別宮月夜見宮(月夜見尊 月夜見尊荒御魂)

・豊受大神宮摂社宇須乃野神社(宇須乃女命  五穀霊神『神名秘書』御神霊二座宇賀能美多麻神亦宇賀能賣神『高向神社記』/草野姫命『神名帳再考』)

・豊受大神宮摂社小俣神社(宇賀御魂神  宇迦神、一名稻女大明神『神名秘書』)

・豊受大神宮摂社河原神社(川神 水神)

・豊受大神宮摂社河原淵神社(澤姫命)

・豊受大神宮摂社清野井庭神社(草野姫命  草神『神名秘書』/草野姫命 裏書屋船命『類聚神祇本源』/草野姫命又ノ名、野槌『神三郡神社参詣記』/屋船命『勢陽五鈴遺響』/屋船久々遅命 屋船豊宇氣姫命『神名帳考證』/茅野姫命『勢國見聞集』)

・豊受大神宮摂社草奈伎神社(標劔仗神  草薙劔『神名秘書』)

・豊受大神宮摂社志等美神社(久久能智命/『神名秘書』木神/『神名略記』句々迺馳命/『延経考物』鹿葦津姫(木花之開耶姫)/『神名帳考證再考』埴安神)

・豊受大神宮摂社田上大水神社(小事神主)

・豊受大神宮摂社御食神社(水戸御食都神/水戸神 名速秋津日子神 亦名 水戸御饗都神『神名秘書』)

・豊受大神宮摂社山末神社(大山津姫命)

・豊受大神宮摂社度会大国玉比賣神社(大国玉命 弥豆佐佐良比賣命 /度會大国玉比賣神『二宮管社沿革考』/大己貴命 佐佐良比賣命『倭姫命世記』『神名秘書』/大國玉命 佐佐良比賣命『神名略記』『神名帳考證』/天日別命『神名帳考證再考』/大己貴命の子・佐良姫命『勢陽雑記拾遺』/大國玉神の姫神『神宮典略』)

・豊受大神宮末社伊我理神社(伊我利比女命)

・豊受大神宮末社志宝屋神社(鹽土老翁)

・磯神社(正殿一座  天照大神御霊/相殿二座  豊受毘賣神  木花佐久夜毘賣神/合祀  宇都志國玉神 (清濱神社)/合祀  菊理姫神 (白山社)/合祀  大山津見神 (山神二柱))

・今社(鹿屋根姫命/合祀  八衢比古神 八衢比売神 誉田別命 大山祇神(二座)  菅原道真(二座) 大己貴神 宇賀之御魂神(二座) その他)

・大口神社(速秋津彦命 速秋津比賣命 手置帆負命  河神 水神 八柱神)

・加須夜神社(出雲笠夜命/合祀  八柱神 日枝権現 木花佐久夜毘賣命 海神 不詳一座)

・神村神社社地跡(祭神不詳(蕪矢大明神))

・官舎神社(建御雷之男神 經津主神 天兒屋根命 姫神  その他 小俣村集落内神社の神々を合祀)

・須原大社(正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 天之穂日尊  天津日子根尊 活津日子根尊 熊野久須日尊  多岐理比賣命 市木島比賣命 多紀津比賣命/合祀  木花開耶姫命 大山祇神 菅原道眞公 不詳一座)

・高向大社(大山祇神 不詳二座(高向大神 神村大神))

・二見興玉神社(猿田彦大神 宇迦御魂大神)

・松井神社(松井孫右衛門命)

・松下社(素盞鳴尊 菅原道真 不詳一座)

・箕曲神社(天児屋根命/配祀  箕曲神 塩比乃御前神 祭神不詳二座)

・雷電神社(?)

 

〔桑名市〕

・多度大社(天津彦根命)

 

〔志摩市〕

・皇大神宮別宮伊雑宮(天照大御神御魂/相殿  玉柱屋姫命(=伊佐波登美神))

・伊雑宮所官社佐美長神社(大歳神)

・國府神社(正哉吾勝勝速日天忍穗耳命/配祀  天穗日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野久須日命  市杵嶋姫命 田心姫命 湍津姫命/合祀  伊弉諾命 伊弉冉命 木花開耶姫命  天御中主命 大山祇命)

 

〔松阪市〕

・皇大神宮所管社神麻續機殿神社(神麻續機殿鎮守神(天八坂彦命))

・皇大神宮所管社神服織機殿神社(神服織機殿鎮守神)

・阿射加神社(小阿坂)(猿田彦大神)

・阿射加神社(大阿坂)(猿田毘古大神)

・天香山神社(八柱命/配祀 高嵜姫  須佐之男命 伊邪那岐命)

・蘭宇氣白神社(建速須佐之男命  伊邪那美命 天兒屋根命 大國主命 仁徳天皇  宇迦之御魂命 火産霊命 蛭子命 菅原道真  天之忍穂耳命 天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命  熊野久須毘命 多紀理毘売命 市寸嶋比売命 多岐都比売命)

・伊佐和神社(建速須佐之男命  大山祇命 市杵島比売命 建津奴身命 宇賀之御魂神  天穂日命 天津彦根命 活津彦根命 猿田彦大神  熊野樟日神 菅原道眞公 柿本人麿公 田心姫命  伊弉諾命 瑞津姫命 天之水分命 水波女命  大山祇荒魂神 大物主命 天之手力男命 火産霊日神  不詳四座)

・伊勢寺神社(建速須佐之男命  天火明命 宇迦魂命 伊邪那岐命 誉田別命  高皇産霊命 塩土神 大山祇命 別雷命  天児屋根命 聖武天皇 天鈿女命 大物主命   天忍穂耳命 天穂日能命 天津彦根命  活津彦根命 熊野久須毘命 多紀理姫命  市杵島姫命 多岐都姫命 奇稲田姫命  月読命 木花之開耶姫命 金山彦命  菅原家祖神 不詳一座)

・伊勢庭神社(天忍穂耳命  田心姫命 瑞津姫命 市杵島姫命  誉田別命 水波能女神 水分神)

・石前神社(石前神社:道之長乳歯神/神明社:天照大神/三熊神社:熊野大神/宇氣比神社:天忍穗耳命/秋葉神社:火遠理命/蛭子神社:事代主神/愛宕神社:火之迦具土神/朝長神社:天児屋根命/八幡神社:譽田別尊)

・魚海神社(豊玉彦命 豊玉姫命  月讀荒魂命 天之忍穗耳命 須佐之男命 大山津見尊  )

・魚見神社(天照皇大神 月讀荒魂命  配祀  天之忍穗耳命 須佐之男命 火之迦具土命  応神天皇 大山津見命 倭姫命)

・宇氣比神社(八柱神  木花開耶比賣命 仁徳天皇 地主神 大山祇命  応神天皇 建速須佐之男命 火具津智命 宇加魂命  )

・牛庭神社(下蛸路)(素盞嗚命 庭高津日命 大山祇命  天之忍穗耳命 大山咋命 火遠理命)

・牛庭神社跡(東久保)(大山咋神 庭高津日神)

・宇留布津神社(埴安姫命 大綿津見命)

・大國玉神社(大國御魂神  配祀  大土御祖神 市杵嶋姫命 菅原道眞  早玉男命 須佐之男命)

・大神社跡(大物主命)

・紀師神社(八王子 菅原道真)

・須加神社(道主貴神/合祀  素盞嗚尊 大日孁貴命 天児屋根命 御食津神  応神天皇 迦具土神 大国主神 五男三女神  大山祇神 仁徳天皇 八嶋士奴美尊 奇名田姫尊  足名椎命 手名椎命 天忍穗耳命 不詳一座)

・須麻漏賣・麻刀方神社跡(須麻漏賣神社(粒形社):須麻漏賣神/麻刀方神社(松方社):木俣神)

・流田上神社跡(埴安姫神)

・波氐神社(多奈波太姫(天棚機姫命)/合祀  天児屋根命 天忍穂耳命 木花開耶姫命  誉田別命 不詳一座)

・服部伊刀麻神社旧地(大命津姫命 あるいは 速佐須良比賣神)

・敏太神社(誉田別尊 神功皇后  住吉神 鹿嶋神 枚岡神 香取神  比賣神 熱田神 加茂神 建速須佐之男命  市杵嶋姫神 蛭兒神) 

 

〔多気町〕

・皇大神宮摂社御船神社(大神御蔭川神/大神乃御船神『伊勢二所太神宮神名秘書』/天鳥船神『延喜式神名帳僻案集』/鳥石楠船神『伊勢國神名帳考證』)

・相生神社(須佐之男命 多紀理毘賣命 市寸島比賣命 多岐都比賣命  天忍穗耳命 天菩卑命 活津日子根命 天津日子根命  熊野久須毘命 天手力男命 宇迦御魂神 御年神  木花之佐久夜比賣命 金山彦命 菅原道眞公 不詳九座)

・相鹿上神社(天児屋根命 伊弉諾命 大彦命 大鹿島命  巨狭山命 天之忍穂耳命 天菩卑能命  天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命  多紀理比売命 市寸木島比売命 多岐津比売命  八衢比古命 八衢比売命 誉田別命 宇迦之御魂神  久那戸神 火産霊神 菅原道真公 両大神御魂  不詳五座)

・佐那神社(若沙那賣命 彌志呂宿禰命 天照大御神  伊弉册命 素盞鳴命 天鈿女命 天忍穂耳命  天穂日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野櫲樟日命  田心姫命 瑞津姫命 市杵島姫命 譽田別命  木花開耶姫命 稲倉魂命 火産霊命 事解男命  速玉男命 大山祇命 菅原道眞 不詳三座)

・須麻漏賣神社跡(天鈿女命 あるいは 須麻漏賣神)

・津田神社(木俣神/合祀  天之忍穗耳命 天津彦根命 熊野久須比命 天之菩卑能命  活津日子根命 多紀理毘賣命 市寸島姫命 田岐都比賣命  久々野智命 大山祇命 蛭子命 大物主命 木花開耶姫命  譽田別尊 天兒屋根命 火之迦具土命 天照皇大神 猿田彦命  八衢比古命 八衢比賣命 久那斗命 津速素盞鳴命  木ノ國熊野三所明神 菅原道眞公 火産靈命 春日大神  不詳四座)

・西外城田神社(天忍穂耳命 天穂日命 熊野橡樟日命  田心姫命 天津彦根命 湍津姫命 活津彦根命  市杵嶋姫命 布留御魂 天御中主命 国狭土命  迦具土命 素戔嗚命 櫛稲田姫命 大山祇命  誉田別命 不詳二座)

・八柱神社(四疋田)(八柱の神  天之忍穗耳命 天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命  熊野久須毘命 多紀理毘賣命 市寸島比賣命 多岐津比賣命  )

・八柱神社跡(油夫)(五男三女神)

 

〔大台町〕

・川添神社(建日別命 天手力雄命  天忍穂耳命 天穂日命 天津彦根命 活津彦根命  熊野櫲樟日命 田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命  国狭槌命 句句廼馳命 誉田別命 蛭児命  軻遇突智命 天照大神 天児屋根命 大己貴命  倉稲魂命 太田命 大宮女命 保食神 大山祇命  金山彦命 高産土神 神産土神 木花咲耶姫命  菅原道眞 埴山姫命 素戔嗚命 祭神不詳)

 

〔明和町〕

・伊呂上神社舊跡(伊呂ノ売神)

・石田神社舊跡(豊宇気比売)

・宇田明神跡(天海田水代大刀自)

・宇爾櫻神社(木花之佐久夜姫神  配祀  建速須佐男命 天忍穗耳命 天菩卑能命  天津日子根命 活津日子根命 熊野久須比命  多紀理姫命 市寸嶋姫命 多伎都姫命  神八井耳命 不詳一座)

・宇留布都神社古社地(大日孁命)

・麻續神社(豊城入彦命  豊鍬入姫命 須佐之男命 応神天皇  大己貴命 宇迦之御魂神 豊受比賣神  不詳三座)

・織殿神社(天八千々比賣命)

・佐伎栗栖神社跡地(饒速日命 宇麻志麻治命)

・竹大與杼神社(建速須佐之男命/合祀  大山祇命 蛭子命 春日神 住吉神  誉田別命 菅原神 綿津見命   霊符神 白峯神 不詳十座)

・竹佐々夫江神社(建速須佐之男命  配祀  大歳神 栲幡千千姫命)

・竹神社(長白羽神 天照大御神 建速須佐之男命 八柱神  応神天皇 地主神 火産霊神 宇迦御魂神  大己貴命 天棚機姫命 八千々姫命 瀬織津姫神)

・鳥墓神社(須佐之男命 倉稲魂神 埴安神  天之忍穂耳命 天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命  多紀理毘売命 市寸島比売命 田寸津比売命)

・仲神社(八井耳命)

・根倉・國之御神社跡地(根倉神社:宇賀魂神/國之御神社:土之御祖神)

・畠田神社(火之迦具土命 埴安比賣命 豊宇氣比賣命  饒速日命 天忍穗耳命 天津彦根命  活津彦根命 熊野久須毘命 天之穗日命  市杵島姫命 多紀理姫命 多岐都姫命  大日孁命 菅原道眞 大山祇命 蛭子命  品陀和氣命 建速須佐之男命 火産霊命  宇麻志摩治命 伊豆乃賣命 入船姫命  宇迦魂命 彌津波能女命 土之御祖命)

・火地神社古社地(火産霊神)

・御山御前神社跡地(大山祇命)

・八柱神社(八柱の神  天之忍穗耳命 天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命  熊野久須毘命 多紀理毘賣命 市寸島比賣命 多岐津比賣命  )

 

〔鳥羽市〕

豊受大神宮末社赤崎神社(荒崎姫命(国生神の御子))

・伊射波神社(伊射波登美命/配祀  玉柱屋姫命  同社域鎮座  加夫良古大明神(無社殿石躰也))

 

〔津市〕

・香良洲神社(稚日女尊/配祀  御歳神)

・北畠神社(北畠顯能/配祀  北畠親房 北畠顯家)

・結城神社(結城宗廣/配祀  結城親光以下殉難戰沒將士)

 

〔玉城町〕

・皇大神宮末社小社神社(高水上命(大水上の子))

・皇大神宮摂社蚊野神社(大神御蔭川神/瀬織津姫命『神名帳考證』/穀霊『神名帳考證再考』)

・皇大神宮末社鴨下神社(石己呂和居命 鴨比古命 鴨比賣命)

・皇大神宮摂社鴨神社(石己呂和居命(大水上の子) 御前社)

・皇大神宮摂社朽羅神社(千依比賣命 千依比古命(大歳神の子))

・皇大神宮摂社坂手国生神社(高水上神(大水神の子))

・皇大神宮摂社狭田国生神社(速河比古命 速河比女命 山末神御魂)

・皇大神宮摂社棒原神社(天須婆留女命御魂 御前神)

・皇大神宮摂社田乃家神社(大神御滄川神)

・皇大神宮末社津布良神社(津布良比古命 津布良比賣命)

・皇大神宮摂社奈良波良神社(那良原比女命(大水上の子))

・上宮古神社(八柱神 金比羅 山神)

・田宮寺神社(未確認)

 

〔大紀町〕

皇大神宮別宮瀧原宮(天照大御神御魂(御形鏡坐 『儀式帳』))皇大神宮摂社多岐原神社(麻奈胡神)

 

〔度会町〕

皇大神宮摂社久具都比賣神社(久々都比女命 久々都比古命(大水上神の子) 御前神(あるいは山神))

 

〔名張市〕

宇流冨志禰神社(宇奈根命/配祀  天照大神 武甕槌神 經津主神 天兒屋根神 姫大神  大物主神 火之迦具土神 宇迦之魂神  建速須佐之男神 仁徳天皇 應神天皇)

・名居神社(大己貴命/配祀  少彦名命 天兒屋根命 市杵嶋姫命 事代主命 蛭子命  )

 

〔鈴鹿市〕

伊奈冨神社(保食神 大國道命/合祀  豊宇賀能賣命 稚産靈神 鳴雷光神 大山祇命  )

・椿大神社(猿田毘古命/配祀  天津彦火瓊瓊杵尊 栲幡千千比賣尊/合祀 高御産巣日神 天照大御神 五男三女神 天之穗日神 豊受大神 大穴牟遲神  速玉男神 伊邪那美大神 大事忍男神 保食神 迦具土神 建速須佐之男命  大山津見命 木花佐久夜比賣命 大雀命 品陀別命 菅原道眞 彌都波能賣命  大山咋命 宇迦之御魂神 八百萬神 息長帶比賣命 天津日子根命 天眞名鶴命  志那都比古神 板倉家祖先 白髮大神主)

・都波岐神社・奈加等神社(猿田彦大神 中筒之男命 天椹野命/合祀 大穴牟遲神 少毘古那神 宇迦之御魂神  品陀和氣命 鷹司房輔 菅原神  須佐之男命 大山津見神 )

 

・三宅神社  (國常立之命 大穴牟遲命/合祀  若狹比賣命 伊弉冉命/配祀  綿津見命 誉田別命/配祀  軻遇突知命 速玉男命 /合祀  天照皇大神 木花咲久耶姫命/配祀  奧津彦命 奧津比賣命/配祀 神日本磐余彦命/合祀  伊邪那岐命 須佐之男命/合祀  市杵嶋姫命 大山祇命/合祀  上筒男命 中筒男命 底筒男命/配祀 罔象女神 菅原道眞)


(4-6)関西地方


①京都府 ②奈良県 ③大阪府 ④兵庫県 ⑤滋賀県 ⑥和歌山県


 ①京都府(参照:神社記憶 神社探訪

 

 籠神社 奈具神社 平安神宮 八坂神社 伏見稲荷大社 石清水八幡宮 吉田神社

 

〔綾部市〕

・赤國神社(瓊瓊杵尊  相殿 天宇受賣命 猿田彦命)

・阿須須岐神社(天御中主神 神皇産靈神 高皇産靈神 道主貴神)

・伊也神社(大日靈賣尊 月夜見尊 素盞嗚尊)

・大川神社(大山祇命)

・河牟奈備神社(天下春命)

・澤神社(東殿社(大嶋社)  事代主命  西殿社(澤社)國常立命 埴安姫命)

・篠田神社(大國主命)

・島萬神社(須佐之男命)

・須波岐部神社(大日孁貴命)

・高藏神社(建内宿禰)

・福太神社(須佐之男命)

・御手槻神社(伊弉諾尊)

・山口神社(大山祇神)

 

〔宇治市〕

・宇治上神社(中殿  應神天皇/左殿  菟道稚郎子/右殿  仁徳天皇)

・宇治神社(菟道稚郎子命)

・彼方神社(大物主命)

・許波多神社(木幡)(正哉吾勝々速日天忍穗耳尊  配祀  天照大御神 天津日子根命)

・許波多神社(五ヶ庄)(正哉吾勝々速日天忍穗耳命/相殿  天津彦火瓊々杵命 神倭磐余彦命)

 

〔大山崎町〕

・離宮八幡宮(應神天皇  神功皇后/左殿  酒解大神(大山祇神)/右殿  比売三神(市杵嶋姫命 湍津姫命 田心姫命))

 

〔亀岡市〕

・愛宕神社(伊邪那美命 火産靈命 大國主命)

・出雲神社(大己貴命)

・出雲大神宮(大國主尊 三穗津姫尊  配祀  天津彦根命 天夷鳥命)

・請田神社(大山咋命 市杵嶋姫命)

・大井神社(御井神(木俣神) 月読神 市杵島姫命)

・小川月神社(月讀命)

・小幡神社(開化天皇  配祀  彦坐王 小俣王)

・桑田神社(篠町山本)(市杵嶋姫命  配祀  大山咋命 大山祇命)

・桑田神社(篠町馬堀)(市杵嶋姫命 大山咋命 大山祇命/市杵嶋姫命『平成祭データ』/大山咋命『特選神名牒』)

・鍬山神社(大己貴命)

・多吉神社(高御産靈神 神御産靈神)

・伊達神社(宇津根町)(五十猛命)

・伊達神社(余部町)(五十猛命)

・玉依神社(彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命)

・走田神社(彦火火出見命 豊玉姫命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊)

・薭田野神社(保食命 大山祇命 野椎命)

・松尾神社(大山咋命 市杵嶋姫命)

・宮川神社(伊賀古夜姫命 譽田別命)

・三宅神社(倉稻魂命 稚産靈命 保食命)

・村山神社(大山祇命 木花開耶毘賣命  配祀  應神天皇 仁徳天皇)

・與能神社(事代主命 健御名方命 天照皇大神 天兒屋根命)

 

〔宮津市〕

籠神社(彦火明命  配祀  天照大神 豊受大神 海神 天水分神)

奈具神社(豊宇賀能賣命)

 

〔京丹後市〕

・伊豆志彌神社(出石心大臣命)

・依遅神社(豊受比賣神)伊吹神社(氣吹戸主神)

・意布伎神社(氣吹戸主神)

・春日神社(大日靈命  境内  床尾神社(床尾神))

・神谷神社(丹波道主命  配祀  八千矛神 天神玉命 天種子命)

・聴部神社(菊理媛命)

・熊野新宮神社(事解男命 速玉男命)

・熊野神社(伊邪那美命)

・熊野若宮三社神社(天熊人命)

・志布比神社(網野町)(櫛八玉比女命 鹽椎神 若宮大明神 豊受賀能咩命  御来屋大明神 木花開耶姫命)

・志布比神社(丹後町)(志夫美宿禰命)

・衆良神社(河上摩須)

・竹野神社(天照皇大神 )

・斎宮神社(竹野媛命 建豊波豆羅和氣命 日子坐王命)

・賣布神社(豊受姫命 大屋媛命 抓津媛命)

・蛭兒神社(火遠理命 配祀 豊玉比賣命)

・布杜神社(天太玉命 天兒屋根命)

・丸田神社(宇氣母智命(豊受))

・三嶋田神社(大山祇命)

・村岳神社(思兼神  相殿  倉稻魂命 武甕槌命)

・賣布神社(豊宇賀能咩命 素盞嗚命)

・矢田神社(建田背命  配祀  和田津見命 武諸隅命)

・矢田八幡神社(應神天皇 神功皇后 武諸隅命  配祀  孝元天皇 内色姫命)

 

〔京都市北区〕

・今宮神社(大己貴命 事代主命 稲田姫命)

・大田神社(天鈿女命 猿田彦命)

・賀茂別雷神社(賀茂別雷命)

・久我神社(賀茂建角身命)

・玄武神社(惟喬親王(文徳天皇第一皇子))

・幸神社(?)

・建勲神社織田信長  配祀  織田信忠)

・西賀茂大将軍神社(磐長姫命 家族五柱神)

・平野神社(今木神 久度神 古開神 比賣神)

・わら天神宮(木花開耶姫命  配祀  天日鷲命 栲幡千千姫命)

 

〔京都市上京区〕

出雲路幸神社(猿田彦神  相殿  天之御中主日御神 可美葦牙彦舅尊 天照皇太神 皇孫瓊々杵尊  天鈿女命 大国主尊 少彦名太神 事代主命)

・厳島神社(市杵嶋姫命 田心姫命 湍津姫命  合祀  祇園女御)

・大宮姫命稲荷神社(大宮姫命)

・上御霊神社(八所御霊/崇道天皇:早良親王、光仁天皇の御子、桓武天皇の同母弟/井上大皇后:光仁天皇の后/他戸親王:光仁天皇の子/藤原大夫神:藤原広嗣/橘大夫:橘逸勢/文大夫:文屋宮田麿/火雷神:菅原道真/吉備大臣:吉備聖霊/相殿  小倉実起 小倉公連 中納言典侍局 小倉季伴/配祀  若宮:和光明神(菅原和子))

・北野天満宮(菅原道真公  相殿東座 中将殿(道真嫡男) 相殿西座 吉祥女(道真妻))

・護王神社(和気清麻呂 和気広虫  配祀 藤原百川 路豊永)猿田彦神社(猿田彦大神 配祀 天鈿女大神)

・白峯神宮(崇徳天皇 淳仁天皇)

・晴明神社(安倍晴明)

・大将軍八神社(素盞嗚尊  配祀 五男三女神 聖武天皇 桓武天皇)

・梨木神社(三條實萬公 三條實美公)

・鵺大明神(鵺大明神 玉姫大明神 朝日大明神)

・福長神社(稲荷神 福井神 綱長井神)

 

〔京都市左京区〕

・厳島神社(市杵嶋姫命)

・江文神社(倉稻魂命)

・賀茂波爾神社(波爾安日子神 波爾安日女神)

・賀茂御祖神社(東御本殿 玉依媛命  西御本殿 賀茂建角身命)

・貴船神社(高靇神 闇靇神 罔象女神)

・静原神社(伊弉諾尊 瓊瓊杵尊)

・神明神社(天照皇大神 豊受大神)

・崇導神社(早良親王(謚 崇道天皇))

・赤山禅院(赤山大明神)

・大神宮(天照皇大神)

・平安神宮(桓武天皇 孝明天皇)

・末刀岩上神社(?)

・御蔭神社(賀茂建角身命荒魂 玉依日売命荒魂)

・由岐神社(大己貴命 少彦名命  相殿  八所大明神)

・吉田神社(健御賀豆智命 伊波比主命 天之子八根命 比売神)

 

〔京都市中京区〕

・下御霊神社(八所御霊/吉備大臣:吉備聖霊/崇道天皇:桓武天皇皇太子早良親王/伊豫親王:桓武天皇皇子、贈一品/藤原大夫人:伊豫親王御母、贈従二位藤原吉子命/藤原大夫:藤原廣嗣命/橘大夫:贈従四位下橘逸勢命/文大夫:文屋宮田麻呂命/火雷天神:菅原道真/相殿 天中柱皇神 霊元天皇)

・隼神社(梛神社 素盞嗚尊 配祀 宇賀御魂命 伊弉冉命 誉田別尊/隼神社 建甕槌神 配祀 経津主神)

 

〔京都市東山区〕

・豊國神社(豊臣秀吉)

・東三条大将軍神社(素戔嗚尊  相殿  関白藤原兼家)

・八坂神社(中御座:素盞嗚尊(牛頭天王)/東御座:櫛稲田姫命(婆利采女)/西御座:八柱御子神(八王子)/配祀  神大市比売命 佐美良比売命 稲田宮主須賀之八耳神/八柱御子神とは、八島茶見命 五十猛命 大屋津比売命 抓津比売命(母は櫛稲田姫命)大歳神 宇迦之御魂神(母は神大市比売命)大屋毘古命 須勢理比売命(母は佐美良比売命))

 

〔京都市下京区〕

・市比賣神(神大市比賣 多紀理比賣 市杵島比賣 多岐津比賣 下光比賣)

・稲住神社(安倍晴明)

 

〔京都市南区〕

・綾戸國中神社(國中神社  素盞嗚尊/綾戸神社  大綾津日神 大直日神 神直日神)

 

〔京都市右京区〕

阿刀神社(天照皇大神  阿刀宿禰祖昧饒田命『神社史料』)

・梅宮大社(本殿四座: 酒解神(大山祇神)大若子神(瓊々杵尊)小若子神(彦火々出見尊)酒解子神(木花咲耶姫)/相殿四座: 嵯峨天皇 橘清友公 橘嘉智子(檀林)皇后 仁明天皇)大井神社(宇賀霊神)大酒神社(秦始皇帝 弓月王 秦酒公/相殿  兄媛命 弟媛命(呉服女 漢織女)/秦始皇帝祖神『広隆寺来由記』/秦酒公『神名帳考證』/安閑天皇の皇子・豊彦王『神社覈録』/弓削守屋『延喜神名式比保古』/道祖神『京都の歴史』)

・木嶋坐天照御魂神社(天之御中主 大国魂神 穂々出見命 鵜茅葺不合命)

・住吉大伴神社(天忍日命 上筒男 中筒男 底筒男)

・野宮神社(野宮大神(天照皇大神))

・福王子神社(班子皇后(宇多天皇の母、光孝天皇の皇后、桓武天皇の孫))

 

〔京都市伏見区〕

飛鳥田神社(荷田竜頭之遠祖靈)

・御香宮神社(神功皇后  相殿  仲哀天皇 應神天皇 宇倍大明神 瀧祭神 河上大明神  高良大明神 仁徳天皇 菟道稚郎子尊 白菊大明神)

・城南宮(国常立尊 八千矛神 息長帯日売命  配祀  天忍穗耳尊 彦火瓊瓊杵尊 天照大御神  品陀和氣尊 別雷神 大山咋神  久度神 宇氣毛智神 天兒屋命)

・藤森神社(素盞嗚尊  配祀  別雷命 日本武命 應神天皇 神功皇后 武内宿禰 仁徳天皇  崇道尽敬皇帝(舍人親王) 天武天皇 崇道天皇(早良親王)  伊予親王 井上内親王)

・伏見稲荷大社(宇迦之御魂大神  配祀  佐田彦大神 大宮能賣大神 田中大神 四大神)

 

〔京都市西京区〕

櫟谷宗像神社(奥津島姫命 市杵島姫命)

・入野神社(天兒屋根命 武甕槌命 比賣神 齋主神)

・石井神社(磐裂大神)

・大歳神社(大歳大神  配祀  石作神 豊玉姫命  合祀 石作神社  火明命(あるいは建麻利根命))

・大原野神社(建御賀豆智命 伊波比主命 天之子八根命 比咩大神)

・月読神社(月讀尊  相殿  高皇産霊尊)

・松尾大社(大山咋神 中津嶋姫命(市杵島姫命))

 

〔京丹波町〕

何鹿神社(大山祇命 品陀別命 彦狹知命)

・酒治志神社(伊邪那岐尊 伊邪那美尊)

 

〔南丹市〕

荒井神社(荒魂神  健御雷命 經津主命 天兒屋根命 比賣神)

・志波加神社(月夜見命)

・宗神社(天兒屋根命)

・多治神社(大山咋命 天太玉命)

・道相神社(神武天皇 五瀬命 木梨軽皇子)

・幡日佐神社(品陀別命 氷室命)

・船井神社(表筒男命 中筒男命 底筒男命  武甕槌命 經津主命 天兒屋根命 比賣神)

・摩氣神社(大御饌津彦命)

・籔田神社(月讀命 伊邪那岐命 須佐之男命)

 

〔八幡市〕

石清水八幡宮(誉田別尊 多紀理毘賣命 市寸嶋姫命 多岐津毘賣命 息長帶比賣命)

 

〔舞鶴市〕

・伊智布西神社(伊弉册尊)

 

〔福知山市〕

・阿毘地神社(大日孁貴命)

・天照玉命神社(天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊)

・天岩戸神社(櫛御毛奴命  あるいは櫛岩窓戸命 豊岩窓戸命)

・荒木神社(天津神)

・阿良須神社(神吾田津姫命)

・奄我神社(天穗日命 生嶋神 氣長足姫命)

・生野神社(天鈿女命)

・熊野神社(櫛御氣野命 伊邪奈岐命 伊邪奈美命)

・皇大神社(元伊勢内宮)(天照皇大神)佐須賀神社(武速須佐之男命  配祀  稻田宮主神 稻田宮主簀狹之八箇耳)豊受大神社(元伊勢外宮)(豊受大神  相殿  日子番能邇邇芸尊 天児屋根命 天太玉命)

 

〔伊根町〕

・宇良神社(浦嶋子 配祀 月讀命 祓戸大神) 

 

②奈良県(参照:神社記憶 神社探訪

 

 橿原神宮 金峯神社 吉野神宮 吉野水分神社 飛鳥坐神社 加夜奈留美命神社

     大神神社 大兵主神社 談山神社 石上神宮

 

〔三宅町〕

・鏡作神社(石凝姥命)

 

〔川西町〕

・糸井神社(本殿  豊鍬入姫命/二ノ宮  猿田彦命/三ノ宮  綾羽明神/四ノ宮  呉羽明神)

・比賣久波神社(久波御魂神 天八千千姫命)

 

〔田原本町〕

・池坐朝霧黄幡比賣神社(天萬栲幡千々比賣命 菅原道真公)

・多坐弥志理都比古神社(神武天皇 神八井耳命 神沼河耳命  姫御神 太安万侶)

・鏡作伊多神社(保津)(石許利止賣命)

・鏡作伊多神社(宮古)(石凝姥命)

・鏡作坐天照御魂神社(天照國照彦天火明命 石凝姥命 天糠戸命)

・鏡作麻気神社(天麻比止都禰命/天糠戸命『神名帳』)春日神社(武甕槌命 経津主命 天児屋根命 比咩大神/境内 千代神社(八千千姫命))

・岐多志太神社(天香山命 天兒屋根命)

・小杜神社(太朝臣安萬呂)

・姫皇子命神社(姫皇子命)

・富都神社(富都大神あるいは、武雷神 登美屋彦命 登美屋比賣命  あるいは、建布都神)

・皇子神命神社(皇子神命)

・村屋坐弥冨都比売神社(彌富都比賣神 大物主命)

・森市神社(生雷命/境内  千代神社(八千千姫命))

 

(参考)鏡作坐天照御魂神社(引用:Wikipedia)

 4から5世紀にかけて鏡類を製作鋳造していた鏡作部がこの地一体に居住し、御鏡(天照国照彦火明命)並びに遠祖(石凝姥命)を氏神として開いた神社であるとされる。

 記紀によると、崇神天皇6年、皇居内で祀られている天照大神を畏れ多いとして笠縫邑の地に遷座したとし、社伝によると、「崇神天皇6年9月3日、この地において日御像の鏡(天照大神の代わりとして宮中で祀る為に)鋳造し、天照大神の御魂となす。今の内侍所の神鏡是なり。本社は其の(時に試作された)像鏡を天照国照彦火明命として祀れるもので、この地を号して鏡作と言ふ」とある。

 この際に作られた試作の神鏡を御神体として祭祀し、天照大神が天岩戸に隠れた時に八咫鏡を作った遠祖である石凝姥命とその父天糠戸命をも併せて祀ったのが当社の起源とされる。『和名抄』には大和国城下郡の条に「鏡作郷」と記載があり、この地には仿製鏡の製作に従事した鏡作部(かがみつくりべ)が居住していたとされることから、当社の創建には鏡作部との関係が強いものと考えられる。更に近辺には鏡作伊多神社、鏡作麻気神社といった神社があり、当社との関連が指摘されている。

 

〔御杖村〕

・御杖神社(久那斗神 八衢比古神 八衢比女神)

 

〔曽爾村〕

・門僕神社(天兒屋根命  配祀  經津主命 武甕槌神 姫大御神 玉祖命 天手力男命 天宇受賣命)

 

〔宇陀市〕

・宇太水分神社上宮(第一殿 天の水分の大神/第二殿 速秋津彦の大神/第三殿 国の水分の大神)

・宇太水分神社下宮(天水分神 国水分神 天児屋根命 品陀別命)

・墨坂神社(墨坂大神(天御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 伊邪那岐神 伊邪那美神 大物主神))

・惣社水分神社(天水分神 国水分神 速秋津比古命 天之児屋根命 誉田別命 他数神

・丹生神社(高靇神)

・御井神社(御井大神 天照皇大神 春日大神 水分大神

・室生龍穴神社(高靇神あるいは、善女竜王  配祀  天兒屋根命 大山祇命 水波能賣命 須佐之男命 埴山姫命)

・八咫烏神社(建角身命 (八咫烏))

 

〔橿原市〕

・天岩戸神社(天照皇大神)

・天香山神社(櫛眞命)

・天高市神社(事代主命)

・天太玉命神社(天太玉命 大宮賣命 豊石窗命 櫛石窗命)

・稻代坐神社(御年神)

・畝尾都多本神社(啼澤女命/相殿 天照大神 春日大神 八幡大神)

・畝尾坐健土安神社(健土安比売命 天児屋根命)

・大歳神社(大山咋命 大歳神 天児屋根命/保食神 大歳神『五郡神社記』)

・橿原神宮(神武天皇 皇后媛蹈鞴五十鈴媛命)

・春日神社(武甕槌命 經津主命 天兒屋根命 姫大神)

・輕樹村坐神社(誉田別命/彦坐神 白髪王(輕氏祖神)『五郡神社記』)

・河俣神社(鴨八重事代主神)

・国常立神社(國常立命)

・巨勢山座岩椋神社(石椋孫神 天児屋根命 倭彦命)

・木葉神社(木花開耶姫命)

・子部神社(小子部命  合祀  武甕槌命 経津主神 天児屋根命 姫大神  素盞鳴命 斎主神)

・阪門神社(武甕槌命 経津主命 天児屋根命 比売大神)

・鷺栖神社(天児屋根命 誉田別命 天照皇大神)

・宗我坐宗我都比古神社(曾我都比古神 曾我都比売神/武内宿禰 石川麻呂『五郡神社記』)

・竹田神社(天香具山命/道臣命『明治二十六年神社明細帳』/天火明命『特選神名牒』『大日本史』/神皇産霊尊『神祇宝典』)

・高市御縣神社(天津彦根命 高皇産霊神)

・天満神社(高御魂神 神産日命 菅原道真)

・十市御縣座神社(豊受大神  配祀  市杵嶋姫命)

・馬立伊勢部田中神社(天児屋根命 豊受姫命 誉田別命)

・耳無山山口神社(耳成山口神社)(大山祇命 高皇産靈神)

・牟佐坐神社(高皇産霊命 孝元天皇)

・屋就神命神社(屋就神命)

・東大谷日女命神社・畝傍(姫蹈鞴五十鈴姫命)

・山之坊山口神社(大山祇命)

 

〔下市町〕

・丹生川上神社下社(闇靇神)

 

〔吉野町〕

・大名持神社(大名持御魂神  配祀  須勢理比咩命 少彦名命)

・勝手神社(天之忍穗耳命  配祀  大山祇命 久久能智命  木花佐久夜比咩命 苔蟲命 菅野比咩命)

・金峯神社(金山毘古神)

・吉野神宮(後醍醐天皇)

・吉野水分神社(正殿  天之水分神/右殿  天萬栲幡千幡比咩命 玉依姫命 天津彦火瓊瓊杵命/左殿 高皇産靈神 少名彦神 御子神)

・吉野山口神社・高鉾神社(吉野山口神社:山祇神/高鉾神社:高皇産靈神  配祀  神皇産靈神)吉水神社(後醍醐天皇  配祀  楠木正成 吉水院宗信法印)

 

〔十津川村〕

・玉置神社(国常立尊 伊弉諾尊 伊弉冊尊 天照大御神 神日本磐余彦尊)

 

〔川上村〕

・丹生川上神社上社(高靇神  配祀  大山祇神 大雷神)

 

〔東吉野村〕

・丹生川上神社中社(罔象女神  配祀  伊邪奈岐神 伊邪奈美神 天照大神 大国主命)

 

〔御所市〕

・葛城一言主神社(葛城一言主大神 幼武尊)

・鴨都波神社(都味波八重事代主命 下照比売命  配祀 建御名方命 大物主櫛𤭖玉命)

・鴨山口神社(大山祇命 大日孁貴命 御霊大神 天御中尊)

・駒形大重神社(駒形神社 不詳  あるいは  木股神  大重神社 滋野朝臣貞主 あるいは葛木犬養神)

・高鴨神社(味耜高彦根命 下照姫命(妹) 天稚彦命(妹婿) 田心姫命(母:現在は境内西神社))

・長柄神社(下照姫命 あるいは 八重事代主命 あるいは 高照姫命)

 

〔高取町〕

・天津石門別神社(天手力男神)

 

〔明日香村〕

・飛鳥坐神社(事代主神 高皇産靈神 飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂) 大物主神/境内 摂社 飛鳥山口神社(大山津見乃神 久久乃知之神 猿田比古神)

・飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社(宇須多伎比売命 神功皇后 応神天皇/臼瀧姫(=下照姫命)『五郡神社記』/宗像神 『古史傳』『日本書紀傳』『祝詞講義』) 

・甘樫坐神社(推古天皇/相殿  八幡宮 春日大明神 天照皇大神  八咫烏神 住吉大明神 熊野権現/八十禍津日神 大禍津日神 神直日神 大直日神 『五郡神社記』)

・於美阿志神社(阿智使主神夫妻二柱)

・加夜奈留美命神社(加夜奈留美命/『五郡神社記』加夜奈留美命(=高照姫命))

・櫛玉命神社(櫛玉命 櫛玉姫命 天明玉命 豊玉命)

・呉津彦神社(木花咲耶姫命 天児屋根命)

・気都和既神社(気津別命 天児屋根命)

・許世都比古命神社(許世都比古命)

・酒船石()

・治田神社(品陀別天皇 素盞嗚尊 大物主神/大地主神『五郡神社記』治田氏の祖神(=彦坐命))

 

〔桜井市〕

・殖栗神社(殖栗王 天児屋根命)

・大神神社(大物主大神  配祀  大己貴神 少彦名神)

・大神神社活日神社(高橋活日命)

・大神神社磐座神社(少彦名大神)

・大神神社大直禰子神社(大直禰子命(大田田根子)配祀  少彦名命 活玉依姫命)

・大神神社春日神社(武甕槌命 斎主命 天児屋根命 比売神

・大神神社金拆神社(金拆社  宇都志日金拆命/天宮社  天日方奇日方命/神室社  靇神/大峯社  大山祇命)

・大神神社神御前神社(倭迹迹日百襲姫命)

・大神神社神宝神社(家都御子神 熊野夫須美神 御子速玉神

・大神神社貴船神社(淤加美神)

・大神神社久延彦神社(久延毘古命)

・大神神社事比良神社(右  事比良神社  大物主神/左  稲荷社  宇賀御魂神)

・大神神社狹井坐大神荒魂神社(大神荒魂神 大物主神 姫蹈鞴五十鈴姫命 勢夜陀多良姫命 事代主神)

・大神神社大行事社(事代主神 加屋奈流美神 八尋鰐)

・大神神社玉列神社(玉列王子神  配祀  天照大御神 春日大御神)

・大神神社綱越神社(祓戸大神)

・大神神社天皇社(御真木入日子印恵命(崇神天皇))

・大神神社檜原神社(天照大神若御魂神 伊弉諾尊 伊弉册尊)

・大神神社富士神社・厳島神社(木花咲耶姫命 市杵島姫命)

・大神神社神坐日向神社(櫛御方命 飯肩巣見命 建甕槌命)

・大神神社八阪神社(八阪社  素盞鳴命/大峯社  大山祇命/賃長社  磐長姫命/金比羅社  大物主命)

・大神神社(粟殿)(大物主命 天児屋根命 金山彦命)

・忍坂坐生根神社(少彦名命)

・下居神社(彦八井耳命)

・志貴御縣坐神社(大己貴神/天津饒速日命『神道大辭典』/御縣の霊 『大和志料』)

・素盞雄神社(初瀬)(素盞雄命/合祀 鍋倉神社(大倉比賣命))

・大兵主神社(左殿  大兵主神/中央  兵主神/右殿  若御魂神)

・談山神社(藤原鎌足公)

・等彌神社(大日孁貴尊(上ツ尾社))

・長谷山口坐神社(大山祇大神 天手力雄神  合祀  豊受姫命)

・宗像神社(多紀理毘賣命 市寸嶋比賣命 田寸津比賣命)

・東大谷日女命神社・山田(東大谷姫命(稚姫命))

・與喜天満神社(初瀬)(菅原道眞)稚櫻神社(気息長足姫命 出雲色男命 去来穂別命)

・若櫻神社(伊波我加利命)

 

〔山添村〕

・神波多神社(神須佐之男命  合祀 櫛稻田姫神 春日大神)

・六所神社(大山祇命/饒速日命 天忍穂耳命 天津彦根命 天穂日命 熊野忍踏命 熊野忍隅命

 

〔三郷町〕

・龍田大社(天御柱命 国御柱命  級長津彦命 級長戸邊命『神社覈録』)

 

〔斑鳩町〕

・龍田神社(東社殿 三大神/東本殿 天御柱大神 国御柱大神/西本殿 龍田比古大神 龍田比女大神/西社殿 瀧祭大神)

 

〔大和郡山市〕

・八幡菅田比賣神社(足仲彦命 誉田別命 息長足姫命)

・賣太神社(主斎神  稗田阿礼命/副斎神  猿田彦命 天鈿女命)

・矢田坐久志玉比古神社(櫛玉饒速日神 御炊屋姫神)

・和爾下神社(素盞嗚尊 大己貴命 櫛稻田姫命)

 

〔天理市〕

・伊射奈岐神社(伊射奈岐神 菅原道真)

・石上市神社(少彦名命)

・石上神宮(布都御魂大神 布留御魂大神 布都斯魂大神  配祀 宇麻志麻治命 五十瓊敷命 白河天皇 市川臣命)

・大和神社(中殿  大國御魂神(大己貴神荒魂,大地主大神)神体八尺瓊  玉/左殿  八千戈神  神体廣矛  剣/右殿  御歳神  神体八握厳稲  鏡)

・渟名城入姫神社(渟名城入姫命)

・祝田神社(豊受大神)

・姫丸稲荷大明神(宇賀御魂神)

・水口神社森神社(天兒屋根命)

・夜都岐神社(武甕槌神  合祀  經津主命 比賣大神 天兒屋根命)

・和爾下神社(素盞嗚尊 大己貴命 稻田姫命)

・和爾坐赤阪比古神社(阿田賀田須命 市杵嶋比賣命)

 

〔奈良市〕

・赤穂神社(天兒屋根命 天満天神 弁才天)

・穴栗神社(天太玉命(伊栗大神) 高皇産靈神(穴栗大神)青和幣 白和幣)

・天石立神社(豊磐間戸命 櫛石間戸命 天磐門別命 天照大姫命)

・五百立神社(天富命)

・宇奈多理坐高御魂神社(高御魂尊(中座) 天太玉命(東座) 思兼命(西座))

・大神神社率川神社(姫蹈鞴五十鈴姫命  玉櫛姫命 (御母神) 狹井大神 (御父神))

・春日大社(第一殿 武甕槌命/第二殿 經津主命/第三殿 天兒屋根命/第四殿 比賣神)

・漢國神社(韓神(大物主命) 大己貴命 少彦名命)

・狹岡神社(若山咋之神 若年之神 若沙那賣神 彌豆麻岐之神  夏高津日之神 秋比賣之神 久々年之神 久々紀若室葛根之神 

・佐紀神社(亀畑)(天児屋根命 経津主命 六御県命)

・佐紀神社(西畑)(天児屋根命 経津主命 六御県命)

・嶋田神社(神八井耳命 崇道天皇)

・都祁水分神社(速秋津彦命 天水分神 国水分神)

・登彌神社(東本殿 高皇産霊神 誉田別命/西本殿 神皇産霊神 登美饒速日命 天児屋命/速日命六世孫伊香我色乎命『神名帳考證』/天兒屋根命 誉田別命『郷村社取調帳』/高皇産霊神 神皇産霊神 天兒屋根命 誉田別命『神社明細帳』/饒速日命『神社覈録』)

・御前原石立命神社(御前原石立命 崇道天皇 春日明神)

・夜支布山口神社(素盞嗚命)

 

〔河合町〕

・廣瀬大社 (若宇加能賣神 別名 豊宇気比売大神/配祀  櫛玉比女命神社(櫛玉命)/穂雷命神社(穗雷命 )/於神社/水分神社(水分神))

 

③大阪府(参照:神社記憶 神社探訪

 住吉大社 枚岡神社

 

〔 堺市西区〕

・大鳥大社(日本武尊 大鳥連祖神)

 

〔島本町〕

水無瀬神宮(後鳥羽天皇 土御門天皇 順徳天皇)

 

〔四條畷市〕

・四條畷神社(楠木正行(小楠公)/配祀  楠木正時 楠木正家 楠木正家子息

和田賢秀 和田正朝 和田紀六左衞門 和田紀六左衞門子息 和田紀六左衞門子息  大塚惟久 畠山與三職俊 畠山六郎 野田四郎 野田四郎子息 野田四郎子息  金岸(某) 金岸(某)弟 關住良圓 關住良圓子息 三輪西阿 三輪西阿子息  河邊石掬丸 誉田(某) 阿間了願 青屋刑部)

・御机神社(素盞嗚尊)

 

〔大阪市天王寺区〕

・生國魂神社(生嶋神 足嶋神  配祀  大物主神)

 

〔大阪市阿倍野区〕

・阿部野神社(北畠親房公 北畠顯家公)

 

〔大阪市住吉区〕

・生根神社(少彦名命  活津彦根命『神名帳考證』)

・住吉大社(第一本宮  底筒男命/第二本宮   中筒男命/第三本宮  表筒男命/四本宮  息長足姫命)

 

〔大阪市中央区〕

・坐摩神社(生井神 福井神 綱長井神 阿須波神 波比祇神)

 

〔東大阪市〕

・枚岡神社(天兒屋根大神 比賣大神  配祀  齋主大神 武甕槌大神) 

 

 

④兵庫県(参照:神社記憶 神社探訪 神社探訪(淡路)

 

 長田神社 海神社 生田神社 湊川神社 伊弉諾神宮 出石神社

 

〔佐用町〕

・佐用都比賣神社(市杵嶋姫命(狭依毘売命)配祀  素盞嗚尊 大國主命 誉田別命 天児屋根命

・天一神社(天之御中主大神  配祀  天目一箇神)

 

〔宍粟市〕

・雨祈神社(高龗神)

・伊和神社(大己貴神  配祀  少彦名神 下照姫神)

・大倭物代主神社(大己貴神 事代主神 大物主神 健御名方神  奧津比古命 奧津比賣命)

・迩志神社(伊弉諾命 伊弉册命 須佐之男命 

・庭田神社(事代主命)

・御形神社(中殿  葦原志許男神  左殿  高皇産靈神 素戔嗚神  右殿  月夜見神 天日槍神)

・與位神社(素盞嗚命 稻田姫命)

 

〔洲本市〕

・賀茂神社(別雷命)

・河上神社(河上大神(高靇神)合祀  菅原大神)

・岸河神社(田心姫命 市杵嶋姫命 湍津姫命)

・山王神社(大山咋命)

・築狭神社(速須佐男命 誉田別尊)

・由良湊神社(速秋津日子神 速秋津日賣神 品陀和氣尊)

 

〔神戸市長田区〕

・長田神社(事代主神)

 

〔神戸市垂水区〕

・海神社(底津綿津見神 中津綿津見神 上津綿津見神  相殿  大日孁貴尊)

 

〔神戸市中央区〕

・生田神社(稚日女尊)

・湊川神社(楠木正成公(大楠公)配祀  木正行公(小楠公)湊川の戦に殉職された楠木正季卿以下御一族十六柱  菊池武吉命 江田高次命 伊藤義知命 箕浦朝房命  岡田友治命 矢尾正春命 和田正隆命 神宮寺正師命  橋本正員命 冨田正武命 恵美正遠命 河原正次命  宇佐美正安命 三石行隆命 安西正光命 南江正忠卿)

 

〔西宮市〕

・西宮えびす神社(第一殿  西宮大神(えびすさま)  第二殿  天照大神 大国主大神  第三殿  須佐之男大神)

・廣田神社(天照大御神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)  第一脇殿 第二脇殿 第三脇殿 第四脇殿  住吉大神 八幡大神 諏訪建御名方神 高皇産霊尊)

 

〔上郡町〕

・鞍居神社(帶中津比古命 息長足姫命 誉田別命)

・八保神社(豊受姫命  合祀  素盞嗚命 誉田別命)

 

〔赤穂市〕

・伊和都比売神社(伊和都比賣大神)

 

〔淡路市〕

・伊弉諾神宮(伊弉諾大神 伊弉冉大神)

・伊勢久留麻神社(大日孁貴尊)

・石屋神社(國常立尊 伊弉諾尊 伊弉冉尊)

・河上神社(木曽上畑)(國常立尊 伊弉諾尊 伊弉冉尊)

・河上神社(斗ノ内)(高靇神)

・熊野神社(伊邪那美尊 國常立尊 天照大御神)

・志筑神社(少彦名神)

 

〔朝来市〕

・青倉神社(和久産果神  あるいは少彦名命)

・赤淵神社(大海龍王神 赤渕足尼神 表米宿禰神)

・足鹿神社(道中貴命)

・粟鹿神社(彦火々出見尊、あるいは日子坐王)

・石部神社(大己貴命)

・倭文神社(天羽槌命)

・伊由神社(稚産霊命  あるいは  少彦名命)

・大歳神社(大年神)

・桐原神社(祭神不詳『但馬郷名記』経津主神『神祇全書』秋韓神)

・佐伎都比古阿流知命神社(佐伎都比古命 佐伎都比古阿流知命  相殿 大国主命)

・笹御霊神社・小田巻神社(奧津彦命 奧津姫命  配祀  天羽槌雄命  )

・佐嚢神社(須佐之男命)

・更杵神社(素盞嗚尊)

・十六柱神社(不詳  一説に素盞嗚尊を十六柱明神とする)

・手谷神社(少彦名命)

・刀我石部神社(踏鞴五十鈴姫命 天日方奇日方命 五十鈴依姫命)

・八幡社(山東町森)(誉田別尊)

・八幡神社(和田山町)(不詳(誉田別尊か))

・兵主神社(大己貴命)

・盈岡神社(誉田別命  配祀  息長足姫命 武内宿禰)

 

〔南あわじ市〕

・久度神社(仲哀天皇)

・十一明神神社(十一大明神  あるいは  不詳  あるいは  事代主命)

・湊口神社(速秋津日子命 速秋津比賣命 誉田別命)

・笶原神社 東宮(素盞嗚尊  合祀  月読命 少彦名命)

・笶原神社 西宮(素盞嗚尊)

・大和大圀魂神社(淡路島)(大和大圀魂命  配祀  八千戈命 御年命 素盞嗚尊 大己貴命 土御祖神)

 

〔香美町〕

・伊伎佐神社(伊弉諾尊  配祀 彦坐王命 天兒屋根命 出雲色男命 応神天皇)

・伊曾布神社(保食神)

・小代神社(天照皇大神 豊受大神)

・椋橋神社(伊香色乎命)

・黒野神社(黒野坐大神(天津彦火能邇邇芸命)配祀  志都美上大神(天御中主命)志都美下大神(木花咲耶姫命))

・佐受神社(佐受主命 佐受姫命)

・高坂神社(高皇産靈尊)

・多他神社(素盞嗚尊 太田他根子命 埴安姫命)

・等余神社(豊玉姫命  合祀  月讀命 天太玉命)

・丹生神社(丹生津彦命 丹生津姫命 吉備津彦命)

・法庭神社(八幡神社  誉田別尊  法庭神社  武甕槌命 あるいは天照國照天火明饒速日命 あるいは野見宿禰命)

・平内神社(野椎神)

・美伊神社(余部明神谷)(大山咋命)

・美伊神社(三川山)(天火明命 武額明命 美伊毘古命 建饒穂命 美伊毘賣命)

 

〔新温泉町〕

・大歳神社(大歳神  配祀  御年神 若年神)

・大家神社(大己貴命)

・須賀神社(道中貴命  または  素盞鳴尊)

・春來神社(天照皇大神 伊弉諾命 伊弉冊命 大己貴命 少彦名命)

・二方神社(大己貴神)

・面沼神社(倉稻魂命 美尼布命 天穗日命  配祀 保食命 稚産靈命  合祀 天神地祇 伊弉諾命 伊弉册命 素盞嗚命)

 

〔姫路市〕

・射楯兵主神社(西(左)が 射楯大神(五十猛命) 東(右)が 兵主大神)

 

〔豊岡市〕

・葦田神社(天麻止都袮命)

・穴見郷戸主大生部兵主神社(未確認)

・穴目杵神社(船帆足尼命  あるいは  穴目杵命)

・阿牟加神社(天穗日命あるいは物部十千根命 あるいは天湯河板擧命)

・安牟加神社(天穗日神  合祀  不祥(上宮神社祭神)事解男神 大日霊貴神)

・雷神社(大雷神  配祀  須佐之男命 菅原道眞)

・伊久刀神社(瀬織津姫神 大直毘神)

・出石神社(天日槍命 出石八前大神)

・石部神社(天日方奇日方命  大山積神 大己貴神 大物主神 事代主命 健御名方命 高彦根命 瀧津彦命)

・井田神社(倉稻魂命あるいは誉田別命あるいは大冝都比賣命)

・伊智神社(神大市姫命)

・伊福部神社(素盞嗚尊  配祀  天香山命 伊福部宿袮命)  

・色來神社(國狹槌命)

・小江神社(豊玉彦命)

・大生部兵主神社(薬王子)(武速素盞嗚命  配祀  武雷命)

・大生部兵主神社(奥野)(大己貴命)

・大岡神社跡(大己貴命)

・小坂神社(出石町三木)(小坂神)

・小坂神社(出石町森井)(小坂神)

・小田井縣神社(國作大己貴命)

・小野神社(天押帶日子命)

・思往神社(思兼命)

・海神社(大綿津見命)

・嘉麻神社(奧津日子命)

・神門神社(大國主命 武夷鳥命 大山咋命)

・韓國神社(物部韓國連眞鳥命 物部韓國連墾麿命)

・絹巻神社(天火明命  配祀  海部直命 天衣織女命)

・桐野神社(倉稻魂命)

・久々比神社(久久遲命)

・久刀寸兵主神社(素盞嗚尊 大己貴命)

・久麻神社(熊野忍隅命 久麻直)

・久流比神社(闇御津羽神)

・桑原神社(竹野町森本)(稻倉魂神 大己貴命)

・桑原神社(竹野町桑野本)(保食神 仁布命)

・氣多神社(大己貴命)

・氣比神社(五十狹沙別命  配祀  神功皇后)

・酒垂神社(酒美津男命 酒美津女命)

・佐久神社(手力男神  合祀  息長帶比賣命 品陀和氣命 山祇命 奧津彦命)

・佐々伎神社(少彦名命 大彦命)

・重浪神社(物部韓國連神津主命)

・須義神社(由良度美神  配祀  誉田別神)

・須谷神社(句句廼智命)

・須流神社(伊弉諾尊 伊弉册尊)

・西刀神社(稲背脛命 西刀宿袮命)

・鷹貫神社(鷹野姫命)

・鷹野神社(武甕槌神  配祀  天穗日命 天滿大自在天神  合祀   須佐之男命 建御雷命 伊波比主命 五男三女神)

・高負神社(白山比賣命 菊理比賣命)

・楯縫神社(彦狹知命 誉田別命 息長足姫命)

・多摩良木神社(彦火火出見命)

・手谷神社(埴安神 倉稻魂命 大彦命)

・戸神社(大戸比賣命(奧津姫命)奧津彦命  合祀  品陀和氣命)

・中嶋神社(田道間守命  配祀  天湯河棚神)

・㯮椒神社(㯮椒大神)

・日置神社(天櫛耳命あるいは天櫛玉命)

・比遅神社(畑山)(多遲摩比泥神)

・日出神社(多遅摩比多訶神)

・日出神社(南尾)(多遲麻日多訶神 由良止美神)

・兵主神社(赤石)(速須佐之男命)

・兵主神社(日高)(大己貴命)

・兵主神社(山本)(速須佐男神 合祀 高淤伽美神)

・布久比神社(岩衝別命)

・御井神社(御井神  配祀  菅原道眞)

・御出石神社(日矛神)

・深坂神社(寄日方命)

・三野神社(師木津日子命  あるいは天湯桁命(天湯河板挙命) 彦坐命)

・耳井神社(御井神)

・女代神社(高皇産靈神)

・賣布神社(大賣布命  配祀  毘沙門天 稻荷大明神)

・桃島神社(大加牟豆美命)

・森神社(大山祇命 八幡大神)

・諸杉神社(多遲摩母呂須玖神)

・山神社(大山祇神  随神  句句廼馳命 埴山姫  合祀  火結神 奧津彦神 奧津姫神 倉稻魂命 保食神  櫛稻田姫神 品陀和氣命 速素盞嗚命)

・與佐伎神社(依羅宿禰命  配祀  保食命)

 

〔養父市〕

・齋神社(天太玉命 手置帆負命 彦狹知命/境内  楯縫神社(彦狹知命))

・井上神社(素盞嗚命 稻田姫命)

・宇留破神社(許乃波奈佐久夜比賣命)

・大與比神社(葺不合尊 彦火火出見尊 玉依姫命 木花開耶姫命)

・男坂神社(男坂大神 (菅原道真))

・春日神社(彦火瓊々杵命 天津児屋根命)

・五社神社(?)

・坂益神社(正勝山祇命)

・浅間神社(木花開耶姫命)

・楯縫神社(彦狹知命)

・名草神社(名草彦神  配祀  天御中主神 高御産霊神 神御産霊神 日本武尊 御祖神 比賣神あるいは天御中主神 高御産霊神 神御産霊神 五十猛神 大屋津姫神 抓津姫神)

・花岡神社(?)

・御井神社(御井神  配祀  脚摩乳命 天穂日命 素盞嗚命 手摩乳命 熊野櫲樟日命 田心姫命  奇稲田命 天津彦根命 天忍穂耳命 市杵島姫命 活津彦根命 湍津姫命  配祀(神社明細帳)大屋彦命 大屋姫命 抓津姫命)

・水谷神社(天照皇大神)

・杜内神社(杜内大明神)

・屋岡神社(天照皇大神 応神天皇)

・養父神社(倉稻魂命 大己貴命 少彦名命 谿羽道主命 船帆足尼命

・山神神社(伊弉冉命 速玉命 事解之男命 忍穂耳之尊 瓊々杵之尊)

・和奈美神社(大己貴命 天湯河板挙命)

 

⑤滋賀県(参照:神社記憶 神社探訪

 

 多賀大社 三重生神社 水尾神社 大荒比古神社 波爾布神社 近江神宮 日吉大社

 

〔日野町〕

・馬見岡綿向神社(天穂日命 天夷鳥命 武三熊大人)

・比都佐神社(彦火火出見尊 天津彦火瓊瓊杵尊 木花開耶姫命 武甕槌神  天太玉神 大己貴神 經津主命 天兒屋根神 猿田彦神)

 

〔近江八幡市〕

・大嶋奥津嶋神社(大國主命 奧津嶋比賣命)

・奥津嶋神社(奧津嶋比賣命)

 

〔栗東市〕

・五百井神社(木俣神 又の名 御井神)

・小槻大社(於知別命 大己貴命)

・大宝神社(素盞鳴尊/境内社  追来神社  多々美彦命)

・高野神社(大名草彦命)

 

〔多賀町〕

・多賀大社(伊邪那岐大神 伊邪那美大神)

 

〔湖南市〕

・飯道神社(素盞嗚尊 配祀 菅原道真公)

・川田神社(天兒屋根命  配祀  天湯川桁命 味饒田命 白鬚明神)

・吉姫神社(上鹿葺津姫神 吉比女大神  配祀  木花開耶姫)

・吉御子神社(吉彦命 鹿葦津姫命 吉姫命  相殿 應神天皇 猿田彦命)

 

〔甲賀市〕

・油日神社(油日大神  配祀  罔象女命 猿田彦命)

・柏木神社(大己貴命  配祀  誉田別命 川島皇子)

・川田神社(土山町)(倭姫命  配祀  猿田彦命 豊受姫命 素盞嗚命 天照皇大神 倉稲魂神)

・川田神社(水口町)(天湯川桁命  天川田奈命  配祀  天児屋根命  大己貴命)

・飯道神社(伊弉冊尊 速玉男神 事解男神  配祀  大倭根子天皇 岐神 菊理媛神)

・水口神社(大水口宿禰  配祀  大己貴命 素盞嗚尊 稻田姫命)

・矢川神社(大己貴命 矢川枝姫命)八坂神社(素盞嗚命 聖武天皇 神武天皇/境内  川枯社(熊野神社)伊弉册命 速玉之男 川枯姫命)

 

〔高島市〕

・阿志都彌神社(嶋津彦命)

・阿志都彌神社・行過天満宮(木花咲耶姫命 菅原道眞/境内社  白山神社/小海神社(大山祇命 伊弉諾尊))

・櫟神社(罔象女神 片岡神)

・市杵島神社(市杵嶋姫命/境内社 小野神社(やしうめ御前)/大野神社(ひじり御前))

・櫟原神社(天照大神 豊受大神)

・稲荷神社(保食神/合祀  宇伎多神社)

・今宮神社(大山咋神)

・宇伎多神社(八重事代主神)

・大荒比古神社(大荒田別命 豊城入彦命  相殿  少彦名命 仁徳天皇 宇多天皇 敦實親王)

・大荒比古鞆結神社(豊城入彦命 大荒田別命 須勢理比女命 大己貴命 誉田別命  合祀  須佐男命 菅原道眞)

・大川神社(不詳  一説には大己貴命)

・大前神社(素戔嗚命)

・大田神社(大年神 菅原道眞  合祀  天津久米命)

・太田神社(太田神 宇須賣命)

・大處神社(大地主命/境内 日置神社  酒波神社(素盞嗚尊))

・海津天神社(菅原道眞/境内 小野神社 大野神社  大前神社)

・川裾宮唐崎神社(瀬織津比咩神 速開都比咩神 速佐須良比咩神/境内 大川神社(大宮女神))

・熊野神社(今津)(熊野久須毘命)

・熊野神社(安曇川)(伊邪那岐命 伊邪那美命)

・小海神社(倉稻魂命)

・五社神社(天照皇大神 豊受大神 稲荷大神 事比羅大神 愛宕大神)

・坂本神社(木角宿禰)

・佐田神社(佐田彦命)

・山神社(大山祇命)

・志呂志神社(瓊々杵尊 玉依姫命)

・白山神社(大山祇命 伊弉諾尊)

・田部神社古社地(大国主神)

・津野神社(角川)(武内宿禰命 大國主命)

・津野神社(北仰)(角凝魂神 紀角宿禰命 武内宿禰命 孝元天皇/境内  田部神社)

・長田神社(事代主命 相殿  天鈿女命)

・八幡神社(誉田別命  配祀  大山咋神)

・波爾布神社(彌都波乃賣命 波爾山比賣命/境内  熊野神社  熊野久須比命)

・日枝神社大水別神社(迩迩藝命 天水別神)

・日枝神社(中庄)(大山咋神)

・日枝神社(蛭口)(大山咋命/合祀 麻知神社(櫛眞智命)/境内社  若宮八幡宮(應神天皇))

・日置神社(素盞嗚命 日置宿禰 稻田姫命 武甕槌命 天櫛耳命 大國主命

・日吉神社(マキノ町)(大山咋神)

・日吉神社(朽木)(大山咋神 猿田彦命 応神天皇/境内摂社 大川神社)

・日吉神社(青柳)(阿夜訶志古泥神 市寸嶋比賣命 橘比賣命/飛地境内社  與呂伎神社・大水別神社  與呂伎神社  太田神社)

・日吉神社(西万木)(瓊瓊杵尊/飛地境内  今宮神社)

・三重生神社(彦主人王  振媛)

・水尾神社(磐衝別命  比咩神)

・箕島神社(大山積命 あるいは 事代主命)

・森神社(八衢比古神 八衢比賣神 久那戸神)

・弓削神社(應神天皇  弓削皇子)

・横林神社跡(?)

・與呂伎神社(子守神 勝手神)

・若宮神社(仁徳天皇/境内  八幡神社)

 

〔守山市〕

・馬路石邊神社(素盞鳴尊 大己貴命)

・小津神社(宇迦之御魂命)

・己爾乃神社(列系図)(天兒屋根命 伊香津臣命 伊邪那岐命 伊邪那美命)

・己爾乃神社(御前社)(大己貴命 天津彦根命 素盞嗚命)

・下新川神社(豊城入彦命 小楯姫命)

・新川神社(小楯比賣命)

 

〔草津市〕

・印岐志呂神社(大己貴命  配祀  国常立尊)

・小槻神社(於知別命 天兒屋根命)

・三大神社(志那津彦命 志那津姫命  配祀  大宅主命)

・志那神社(志那津彦命 志那津姫命 伊吹戸主命)

・惣社神社(志那津彦命 志那津姫命)

 

〔大津市〕

・石坐神社(八大龍王宮 豊玉比古神(海津見神) 彦坐王命/正霊天王宮 天智天皇(天命開別尊) 大友皇子(弘文天皇) 伊賀宅子媛命)

・近江神宮(天智天皇(天命開別大神))

・小椋神社(闇靇神 猿田彦神)

・小野神社(天足彦國押人命 米餠搗大使主命)

・小野道風神社(小野道風)

・唐崎神社(女別當命)

・神田神社(真野普門町)(彦國葺命 素盞嗚命 鳥務大肆忍勝)

・神田神社(真野町)(彦國葺命 天足彦國押人命)

・佐久奈度神社(瀬織津姫命 速秋津姫命 氣吹戸主命 速佐須良姫命  合祀  大山咋神)

・倭神社(不詳 一説に倭姫皇后)

・建部大社(日本武尊/相殿  天明玉命  権殿  大己貴命)

・天皇神社(素盞嗚尊)

・那波加神社(天太玉命『明治神社誌料』宇賀御玉命)

・日吉大社(上七社(山王七社):本宮西本宮(大己貴神)本宮東本宮(大山咋神)摂社宇佐宮(田心姫神)摂社牛尾神社(大山咋神荒魂)摂社白山姫神社(白山姫神)摂社樹下神社(鴨玉依姫神)摂社三宮神社(鴨玉依姫神荒魂)/中七社:摂社大物忌神社(大年神)末社牛御子社(山末之大主神荒魂)摂社新物忌神社(天知迦流水姫神)末社八柱社(五男三女神)摂社早尾神社(素盞嗚神)摂社産屋神社(鴨別雷神)末社宇佐若宮(下照姫神)/下七社:末社樹下若宮(玉依彦神)末社竈殿社 (奥津彦神・奥津姫神)末社竈殿社(奥津彦神・奥津姫神)摂社氏神神社( 鴨建角身命・琴御館宇志麿)末社滝社(市杵島姫命・湍津島姫命)末社剣宮社(瓊々杵命)末社気比社(仲哀天皇)

・倭神社(日本武尊  配祀 兩道入姫皇女,稻依別王)

 

〔長浜市〕

・伊香具神社(伊香津臣命)

・伊波太岐神社(保食神 伊弉諾尊)

・大澤神社(澤道彦命  配祀  大國主命)

・大見神社(須佐之男命 神功皇后 武内宿禰  配祀  菅原道眞)

・大水別神社(天之水分神/境内 大浴神社(豊城入彦命 大己貴命 倉稲魂神))

・意波閇神社(大鷦鷯命)

・意太神社(迦具土神)

・乎彌神社(臣知人命  配祀  海津見命  合祀 乃彌神社(梨迹臣命))

・春日神社(天兒屋根命 毘賣大神 武甕槌命 經津主命) 

・香取五神社(經津主神 武甕槌神 天兒屋根命  大日孁貴尊 天鈿女命 安閑天皇)

・香取神社(經津主神 岩裂神 根裂神  磐筒男神 磐筒女神)

・北野神社(菅原道眞/境内  足前神社)

・草岡神社(高御産巣日神 神御産巣日神 日子坐王命 菅原道眞)

・黒田神社(大己貴命 黒田大連)

・佐味神社(豊城入彦命)

・佐波加刀神社(日子坐王 大俣王 小俣王 志夫美宿禰王  沙本毘古王 袁邪本王 佐波遲比賣王 室毘古王)

・鹽津神社(鹽土老翁神  配祀  彦火火出見尊 豊玉姫尊

・下鹽津神社(鹽土老命  配祀  伊邪那岐  伊邪那美命)

・都久夫須麻神社(市杵嶋姫命 宇賀神 淺井姫命)

・丹生神社(上丹生)(市杵嶋姫命 宇賀神 淺井姫命)

・丹生神社(下丹生)(高靇神 丹生都姫命)

・八幡神社(誉田別命 猿田彦命 天照皇大神 大山咋命  合祀  椿神社)

・水分神社(天之水分命)

・矢合神社(猿田彦神 應神天皇)

・八幡神社(波多八代宿禰命 誉田別命 倉稻魂神)

・横山神社(大山祇大神 岩長比賣命 木花咲屋姫命  椙倉大明神 大音大明神 夷之宮八幡神)

 

〔米原市〕

・伊夫伎神社(伊富岐大神 素盞嗚尊 多多美比古命)

・岡神社(皇産靈大神 祭神不詳六柱)

・長岡神社(素盞嗚尊)

 

〔野洲市〕

・浅殿神社(積羽八重事代主神  配祀  大國主神/合祀: 旧秩父神社(天之御中主神旧稲荷神社(宇賀之御魂神)旧富士神社(木花之佐久夜毘賣命))

・新川神社(須佐之男命  配祀  大物主命 奇稻田姫)

・二之宮神社(天兒屋根命  配祀  經津主命/境内比利多神社(素戔嗚尊))

・兵主大社(八千矛神  配祀  手名椎神 足名椎神))

・御上神社(天之御影神)

 

⑥和歌山県(参照:神社記憶 神社探訪

 

熊野速玉大社 熊野本宮大社 熊野那智大社 

 

〔かつらぎ町〕

・丹生都比賣神社(第一殿 丹生都比賣大神(稚日女尊)/第二殿 高野御子大神/第三殿 御食都比賣大神/第四殿 市杵島比賣大神:合祀社:一澤神社 丹生都比賣神/中澤神社 丹生都比賣神 高野御子神/八王寺神社 天忍穂耳命 熊野久須比命 天菩卑命 多岐利比女命  天津古屋根命 市杵島姫命 活津彦根命 田岐津姫命/辧財天神社 市杵島姫命/愛宕神社 迦具土命/天満神社 菅原道真)

 

〔岩出市〕

・荒田神社(高魂命 劔根命(高魂命五世孫、荒田直の祖)/天疎向津姫命 氣長足姫命 誉田別命 大山咋命 大山祇命 天忍穂耳命『神社明細帳』)

 

〔紀の川市〕

・海神社(豊玉彦命 国津姫命/稲飯命 『御祭神及由緒沿革』)

 

〔橋本市〕

・小田神社(物部建彦命/合祀社:厳島神社(市杵島姫命)八幡神社( 誉田別尊)三大神社(大日孁尊)牛頭神社(素盞嗚命)稲荷神社(倉稲魂命)大将軍神社(日本武尊))

 

〔新宮市〕

・熊野速玉大社(第一本社 結宮 熊野結大神(いざなみの命)二本社 速玉宮 熊野速玉大神(いざなぎの命)/上三殿:第三殿 証誠殿(家津美御子命・国常立命)第四殿 若宮(天照大神)第五殿 神倉宮(高倉下命)/八社殿:第六殿 禅地宮(天忍穂耳命)第七殿 聖宮(瓊々杵命)第八殿 児宮(彦火々出見命)第九殿 子守宮(鸕鷀草葺不合命)第十殿 一万宮十万宮(国狭槌命・豊斟渟命)第十一殿 勧請宮(泥土煮命)第十二殿 飛行宮(大斗之道命)第十三殿米持宮(面足命)/第二本社と上三殿の間:第十四殿 奥御前三神殿(天之御中主神  高皇産靈神  神皇産靈神/境内社:第十五殿 新宮神社(新宮町内の末社の神々を合祀)第十六殿 熊野恵比寿神社(蛭児大神))

 

〔串本町〕

・潮崎本之宮神社(底筒男命 中筒男命 表筒男命)

 

〔田辺市〕

・熊野本宮旧社地大斎原(熊野本宮大社の旧社地)

・熊野本宮大社(西御前(結宮) 熊野牟須美大神(伊弉冉大神) ・事解之男神/中御前(速玉宮) 速玉之男神/本殿(證証殿) 家都美御子大神/東御前(若宮) 天照大神)

 

〔那智勝浦町〕

・熊野那智大社(第一殿 滝宮 大己貴命(大国主神)・第二殿 証誠殿 家都御子神(素戔嗚尊)・第三殿 中御前 御子速玉神(伊弉諾尊)・第四殿 西御前 熊野夫須美神(伊弉冉尊)・第五殿 若宮 天照大神・第六殿 八社宮 天神地祇八神/配祀 國常立神 伊邪那岐神  黄泉事解男神 豊雲野神)

 

〔有田市〕

・須佐神社(素盞嗚尊)

 

〔和歌山市〕

・朝椋神社(大國主命 /大己貴命『紀伊國名所図会』/ 天津羽々神 天石帆別神『紀伊続風土記附録』)

・伊久比売神社(伊久比賣命)

・伊太祁曾神社(五十猛命  亦名  大屋毘古神/左脇宮  大屋津比賣命/右脇宮  都麻津比賣命)

・伊達神社(五十猛命 神八井耳命 相殿 市杵島姫命/五十猛命 素盞嗚尊 『紀伊続風土記』)

・大屋都姫神社(大屋都姫命/左脇宮  五十猛命/右脇宮  抓都姫命)

・加太淡島神社(大己貴命 少彦名命 息長足姫尊)

・加太春日神社(天児屋根命 武甕槌神 経津主神  配祀  天照大神 住吉大神)

・竃山神社(彦五瀬命)

・刺田比古神社(大伴佐氐比古命 大伴道臣命(一説に大国主命)/刺田比古神『紀伊國神名帳』/狭手彦命『神名帳考證』/刺國大神(大國主神の母刺國姫の父)『古事記傳神祇志料』)

・静火神社(静火大神/火結神『鵜飼氏文書』)

・志磨神社(中津島姫命 亦名 市杵島姫命/配祀  生國魂神/相殿  大己貴命 素盞嗚尊『志磨神社頭職系』/九頭大明神『棟札』)

・高積神社上宮(都麻都比賣命 五十猛命 大屋都比賣命/高積比古神 高積比賣神『紀伊國名所圖會』/天照皇大神 須佐男命 八王子神 大山祇神(以上 四柱神社合祀)/應神天皇 神功皇后 比賣大神(以上 八幡神社合祀)/氣津別神(以上 氣鎮神社合祀)『海部郡神社明細帳』) 

・高積神社下宮(上宮と同じ)

・玉津島神社(稚日女尊 息長足姫尊 衣通姫尊 明光浦霊)

・都麻津姫神社(平尾)(都麻津姫命)

・都麻津姫神社(吉礼)(都麻津姫命/相殿  吉禮津姫命/脇殿  五十猛命 大屋津姫命)津秦天満宮(菅原道真公配祀  天照皇大神 知波夜比賣神 木花咲耶比賣神  名草彦命 名草姫命 稲荷神 草野比賣神/合祀 麻爲比賣神社)

・鳴神社(天太玉命 速秋津彦命 速秋津姫命/『南紀神社禄』速秋津彦命 速秋津姫命/合祀  香都知神社(軻遇突知神)堅眞音神社(神吾田鹿葦津姫命)/『南紀神社禄』小鞆宿禰)

・日前國懸神宮(日前神宮:日像鏡 を御霊代に、日前大神  相殿  思兼命 石凝姥命/國懸神宮:日矛鏡 を御霊代に、國懸大神  相殿  玉祖命 明立天御影命 鈿女命/境内  麻爲比賣神社/境内末社菟佐神社)

・府守神社(倭武命)

・山口神社(伊久津比売命)

 

・力侍神社(天手力男命 /摂社  八王子神社) 


(4-7)中国地方


①鳥取県 ②島根県 ③岡山県 ④広島県 ⑤山口県


①鳥取県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔大山町〕

・大神山神社奥宮(大己貴神)

・名和神社(名和伯耆守源朝臣長年公/合祀  名和一族以下戦歿将士四二名)

 

〔倉吉市〕

・國廳裏神社(大己貴命 少彦名命 木花之開耶姫命 保食神 大山祇命  櫛稲田姫   素盞嗚神 大國主神 品陀和気命 玉依姫命 天児屋根命)

・倭文神社(経津主神 武葉槌神 下照姫命/合祀  伊弉諾命 伊弉冉命 誉田別命/『神名帳考證』『神祇志料』天羽槌雄命/『神祇宝典』天羽雷命『特撰神名牒』健羽雷神)

・波波伎神社(八重事代主命 天稚彦神 下照姫神 少彦名神 建御名方神 味耜高彦根命)

 

〔鳥取市〕

・天日名鳥命神社(天日名鳥命 素盞嗚命)

・天穂日命神社(天穗日命/配祀  熊野櫲樟日命 保食神)

・板井神社(天明玉命 倉稻魂命)

・宇倍神社(武内宿禰命)

・加知彌神社(中座:彦火火出見命  左座:鵜萱葺不合命  右座:玉依姫命)

・久多美神社(伊弉諾尊 伊弉册尊/合祀  鹽土老翁)

・志加奴神社(大己貴命 素盞嗚尊 少彦名命 保食神)

・多加牟久神社(大己貴神 事代主神/合祀  保食神)

・多居乃上神社(大穴牟遲命 須勢理毘賣命/合祀 少毘古那神 速佐須良姫神 須佐之男命 菅原道眞

・都波只知上神社(大帶日古淤斯呂和氣命(景行天皇) 日本武尊  合祀  天穗日尊 大己貴尊 三穗津姫命 素盞嗚尊 櫛名田比賣尊 八上比賣尊  天太玉尊 彦火火出見尊 鹽土老翁尊 景行天皇 猿田彦尊 事代主尊  意富伊我都命 伊弉册命 伊弉諾命 十握劍 保食神 罔象女命  倉稻魂命 級長戸邊命 帶中津彦命 誉田別命 氣長足姫尊 浅﨑尊)

・都波奈彌神社(素盞嗚尊 櫛名田比賣命/合祀  天之忍穗耳命 天之穗日命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命  多紀理比賣命 多岐都比賣命 市杵嶋比賣命)

・手見神社(大山咋神 市寸嶋比賣命/合祀  素盞嗚尊 大己貴尊)

・白兎神社(白兎神  配祀  保食神)

・幡井神社(天照大御神 栲幡千千姫命 須佐男命 保食神 事代主命 天熊人命)

・利川神社(速開津比咩命 速佐須良比咩命 瀬織津比咩命/合祀  素盞雄命 保食神)

・御熊神社(御熊命/配祀  天目一箇命 保食神 木花開耶姫命)

・美歎神社(經津主命 武甕槌命/合祀  市杵嶋姫命)

・賣沼神社(八上比賣神/合祀  伊弉册尊 保食神 建御名方神 高靇神 闇靇神)

 

〔湯梨浜町〕

・倭文神社(建葉槌命/相殿  下照姫命 事代主命 建御名方命 少彦名命 天稚彦命 味耜高彦根命)

 

〔北栄町〕

・國坂神社(少彦名神/大穴牟遲神 少名彦那神 事代主命『特撰神名牒』/大己貴命  『神祇志』/大国主命『日本地理志料』/彦坐王『神名帳考證』)

 

〔若桜町〕

・意非神社(天饒日尊)

 

〔八頭町〕

・伊蘇乃佐只神社(神直毘神 大直毘神  配祀  保食神)

・大江神社(大己貴命 天穗日命 三穗津姫命/合祀   素盞嗚尊 品陀和氣命 級長津彦命 保食神 武甕槌命 菅公  高皇産靈神 大山祇神 罔象賣神 神皇産靈神 猿田彦大神 少彦名命  稻背脛命 奇稻田姫命 經津主命 伊弉諾命 月夜見命 大年神  大香山戸臣神 若經津主命 瓊瓊杵命 木花咲夜姫命 彦火火出見命 豊玉姫命  脚摩乳命 手摩乳命 市杵嶋姫命 湍津姫命 豊岩窗神 櫛岩窗神  訓黒同姫命 蛤貝姫命 國常立尊)

・塩野上神社(彦火火出見命 鹽土老翁  合祀  稲生神 愛宕神)

・布留多知神社(素盞嗚尊)

・美幣奴神社(太玉命 瀬織津姫神 保食神)

・和多理神社(左留陀比古神)

 

〔米子市〕

・大神山神社(大穴牟遅神/相殿  大山津見神 須佐之男神 少名毘古那神)

・宗形神社(田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命/相殿  経津主命 武甕槌命 日本武命 上筒男命 中筒男命 底筒男命  誉田別命 伊弉諾命 伊弉册命 大日孁命 素盞嗚命 大國主命/合祀  倉稲魂命 天児屋根命 天太玉命 猿田彦命 鈿女命  阿蘇彦命 阿蘇姫命 保食命 月読命 /『伯耆民談記』天稚彦命)

 

②島根県(参照:神社記憶 神社探訪

 

安来市〕

・出雲路幸神社(猿田彦命 天鈿女命)

・意多伎神社(大國魂命/合祀 大田命 日神荒魂神/合祀食師社あるいは境内社稲荷神社 倉稲魂命/五十猛神『出雲風土記解』/合祀 同社坐御譯神社 大田命)

・都辨志呂神社(素盞嗚尊 岐戸大神)

・富田八幡宮(配祀/天照大御神 神功皇后 仁徳天皇/境内社 勝日神社  大己貴命  相殿  須佐之男神 稲田姫神)

・能義神社(天穗日命/配祀 同社坐大穴持神社(大己貴命)同社坐大穴持御子神社(事代主命)/合祀  誉田別命 息長足姫命 経津主命 國常立命 國狹土命  伊弉冉命 玉依姫命 順徳天皇 神皇魂命 惶根命)

・山狹神社(伊弉諾尊 伊弉冉尊 速玉男命 事解男命/伊弉册尊 速玉男 事解男『雲陽誌』/伊弉諾尊 速玉男 事解男『出雲國式社考』/久志美氣野神『特撰神名牒』)

 

〔隠岐の島町〕

・天健金草神社(大屋津姫命 抓津姫命 誉田別尊/配祀 息長足姫命 玉依姫命 鹽土翁 建御名方命(誉田別尊以下三神は合祀八幡宮祭神)(建御名方命は大正六年合祀諏訪神社祭神)/『舊社取調帳』(明治)には、左殿  大屋津媛命 抓津媛命 鹽土翁  右殿  誉田皇尊 玉依姫命 息長足姫命)

・有木神社(大山咋命 建御名方命 大己貴命 保食神 逸玉男命 伊弉册命)

・伊勢命神社(伊勢命)

・賀茂那備神社(別雷神/配祀  素盞鳴尊 玉安姫命)

・國府尾神社(應神天皇)

・玉若酢命神社(玉若酢命/配祀  大己貴命 須佐之男命 稲田姫命 事代主命 須世理姫命)

・壇鏡神社(瀬織津比咩命 大山咋命 諾浦姫命 事代主命 大山咋命)

・水祖神社(八田)(罔象女命 菅原道真)

・水祖神社(港町)(水祖神  相殿  菅原道真公)

・水若酢神社(水若酢命  左相殿 中言神  右相殿  鈴御前)

・和気能酢神社(和氣能須命(景行天皇第五皇子・大酢別皇子とする説がある))

 

〔海士町〕

・宇受賀命神(宇受賀命)

・隠岐神社(後鳥羽天皇)

・奈伎良比売神社(奈伎良比賣命)

 

〔西ノ島町〕

・大山神社(大山祇命)

・燒火神社(大日孁貴尊(焼火の神))

・比奈麻治比賣命神社(比奈麻治比賣命(濟大明神))

・眞氣命神社(眞氣命)

・由良比女神社(由良比女神(海童神,須世理比賣命などの説がある))

・海神社(祭神不詳)

 

〔知夫村〕

・天佐志比古命神社(天佐志比古命(大己貴命の別号とする説がある))

・大山神社(大山祇命)

 

〔雲南市〕

・飯石神社(伊毘志都幣命)

・海潮神社(宇能活比古命/相殿 誉田別命(八幡宮))

・加多神社(少彦名命/合祀  大己貴命 神阿多津姫命)

・狩山八幡宮(誉田別命 足仲彦命 息長足姫命/合祀 須佐能袁命 月夜見命 大國主命)

・河邊神社(久志伊奈太美等與麻奴良比賣命(奇稲田媛命)/配祀  清之湯山主三名狭漏彦八島篠命/相殿  誉田別命 気長足媛命 足仲彦命 上津海童命 中津海童命 下津海童命)

・來次神社(大己貴命 武甕槌命/相殿  誉田別命(八幡宮))

・佐世神社(須佐能袁命 奇稻田姫命/合祀  誉田別命 足仲彦命 息長足姫命  武内宿禰命 底筒男命 中筒男命 表筒男命  伊邪那美命 宇賀迺魂命 稲倉魂命 市杵島比賣命)

・須美禰神社(須我祢命 猿田彦命 天鈿女命)

・西利太神社(金山比古命/合祀  伊弉冉命 速玉男命 事解男命)

・斐伊神社(須佐之男尊 稲田比売命 伊都之尾羽張命/合殿   樋速夜比古命 甕速日命 火炫毘古命 (樋速夜比古神社))

・三屋神社(大己貴命 素盞嗚尊 稲田姫命 脚摩乳命 手摩乳命)

 

〔益田市〕

・小野神社(小野天大神之多初阿豆委居命/配祀  日本武尊 應神天皇 神功皇后 比賣大神 須佐之男命  武内宿禰 少彦名神 彌都波能賣神 金山彦神 倉稻魂神  猿田彦神 宮比神 大年神 御年神 若年神 事代主神  綿津見神 大己貴神 天射若子神)

・櫛代賀姫神社(櫛代賀姫命/配祀 應神天皇)

・佐毘賣山神社(金山彦命 金山姫命/相殿  埴山姫命 大山祇命 木花咲耶姫命/別殿  闇靇神 廣國押武金日天皇/合祀  水波能賣命 國常立命 多紀理毘賣命 狹依毘賣命 多紀都毘賣命)

・染羽天石勝神社(天石勝命/配祀  伊弉諾神 伊弉册神 天照大神 國常立神 事解男神 速玉男神  忍穗耳神 瓊瓊杵神 彦火火出耳神 葺不合神 軻遇突智神 埴安姫神)

 

〔江津市〕

・岩根神社(伊弉諾尊 伊弉册尊 正哉吾勝速日天忍穗耳尊  天穗日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野久須毘命 田霧姫命 狹依毘賣命 湍津姫命)

・敬川八幡宮(應神天皇 仲哀天皇 神功皇后 底筒男神 中筒男命 表筒男神 武内宿禰)

・大飯彦命神社(大背飯三熊大人)

・大年神社(和木町)(大年神)

・大年神社(都野津町)(大年神 稻倉魂命)

・大年神社(渡津町)(大年神  配祀  稻倉魂命)

・多鳩神社(積羽八重事代主大神)

・津門神社(田心姫命 米餠搗大使主命/合祀 大年神 倉稻魂命)

・夜須神社(應神天皇 大己貴命 多紀理比賣命 多岐都比賣命 狹依毘賣命)

・山辺神宮(布都御魂 素戔嗚尊 稻田姫命/配祀  正哉吾勝勝速日天忍穗耳命 天之菩卑能命  天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命  多紀理比賣命 狹依理比賣命 多岐津比賣命)

 

〔出雲市〕

・朝山神社(眞玉著玉之邑日女命 神魂命 大己貴命)

・阿須伎神社(阿遲須伎高日子根命/配祀  五十猛命 天稚彦命 素盞嗚命 下照姫命 猿田彦命  伊邪那岐命 天夷鳥命 稻背脛命 事代主命 天穗日命/ 合祀  神韓國伊大弖神社(五十猛命)天若日子神社(天稚彦命)湏佐袁神社(素盞嗚命)魂意保刀自神社(大刀自神)神阿湏伎神社(祭神不詳)神伊佐那伎神社(伊邪那岐命)神阿麻能比奈等理神社(天夷鳥命)神伊佐我神社(伊佐我命)阿遲湏伎神社(阿遲須伎高日子根命)天若日子神社(天若日子命))

・阿須利神社(豊玉比古神 豊玉比女神 玉依比女神 大己貴神/合祀  誉田別命 氣長足姫命 足仲彦命  加久突知神 和多津見神 事代主命 大年神)

・阿禰神社(天照大御神 品陀和気皇命/合祀  帯中津日子命 息長大足比賣命 當努貴大明神  多紀理比女命 市寸嶋比女命 多伎都比女命)

・阿利神社(阿遅須枳高彦根命/右相殿  坐加利比賣神社(加利比賣命)/左相殿  幸神社(猿田比古命 宇豆賣命)/境内社  彈正社(吾郷彈正武利命))

・出雲大社(大國主大神)

・出雲大社出雲井社(岐神)

・出雲大社因佐神社(建御雷神)

・出雲大社大歳社(大歳神)

・出雲大社大穴持御子神社(事代主神  配祀  御年神 高比賣命)

・出雲大社大穴持御子玉江神社(下照比賣命)

・出雲大社上の宮(素盞鳴尊 八百萬神)

・出雲大社神魂伊能知奴志神社(神皇産霊神)

・出雲大社下の宮(天照大御神)

・出雲大社湊神社(櫛八玉神)

・伊奈西波岐神社(稻背脛命  配祀 白兔神)

・伊努神社(赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命/配祀  鵜葺草葺不合命 玉依毘賣命 速秋津比賣命 神皇産霊命  天之甕津日女命 誉田別皇命 息長足姫命 武内宿禰命/合祀 神魂伊豆乃賣神社  神魂神社  比古佐和氣神社  意布伎神社))

・鹽冶神社(鹽冶毘古命 鹽冶毘賣命 鹽冶毘古麻由彌命 燒太刀天穗日子命/合祀  誉田別命 事代主命 大山祇命 塩冶判官高貞)

・大山神社(大山津見命)

・神代神社(宇夜都辨命/相殿 大己貴命 大年神 誉田天皇)

・韓竃神社(素盞嗚尊)

・久佐加神社(大穴持命 日子坐王命 大穴持海代比古命 大穴持海代比女命)

・久奈子神社(伊邪那美命/合祭  速玉男命(久奈子社) ・武甕槌命(三武社) ・大年命(大年社)・事解男命(久奈子社) ・誉田別命(八幡宮) ・保食命(櫃森社)/合殿  建御名方命(諏訪社))

・國村神社(八束水臣津努命/配祀 須佐之男命 大年之大神)

・久武神社(素盞嗚尊 誉田別命)

・来阪神社(素盞鳴尊 稲田姫尊 大己貴尊 少彦名尊/配祀  天之御中主神 正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命 天津日子根尊  活津日子根尊 熊野久須毘尊 多紀理毘賣尊 市杵嶋毘賣尊 田寸津比賣尊/合祀式内社  大穴持海代日古神社(海代日古尊)・大穴持海代日女神社(海代日女尊))

・佐伯神社(天照大神 須佐之男命/合祀  天之忍穂耳命 天之菩卑命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命  市寸嶋比賣命 多伎都比賣命 多岐理比賣命)佐香神社(久斯之神 天津彦彦火瓊瓊杵尊 大山咋命 木花咲耶姫之命 百八十神等)佐志武神社(建御雷神 経津主神)須佐神社(須佐之男命/配祀 稲田姫命 手摩槌命 足摩槌命)諏訪神社(武御名方命 八束水臣津野神/合祀  韓國伊大弖神社(五十猛命))

・曾枳能夜神社(伎比佐加美高日子命/配祀  伊弉冉尊 速玉男神 豫母都事解男神/境内  韓國伊大弖奉神社(坐韓国伊大氐奉神社))

・多伎藝神社(多伎伎比売命 大加牟須美命 伊邪那伎命)

・多伎神社(阿陀加夜努志多伎吉比賣命/配祀  大己貴命/阿陀加夜努志命 大己貴命 多伎吉比賣命『雲陽誌』/多伎都毘賣命 市寸島毘賣命 多伎理比賣命 『神社明細帳』)

・多久神社(多伎都彦命 天御梶姫命/合祀 猿田彦命 鈿女命(拝田神社))

・立虫神社・万九千神社(立虫神社:五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命/万九千神社:櫛御気奴命 大穴牟遅命 少彦名命 八百萬神/大穴牟遅命 須佐男命一名熊野加武呂之命 少名毘古那命『社家記録』/素盞嗚尊 葦原醜男命 少彦名命『寛延年間の棟札』/あしはらのしこを命『出雲神社巡拝記』)

・多倍神社(須佐之男命/合祀  足仲彦命 誉田別命 息長足姫命 湯山主命 稻田姫命 和田津見命/多米連の祖 『特撰神名牒』)

・智伊神社(高皇産靈神/配祀  埴安姫神/境内  比布智神社(神魂子角魂神))

・都我利神社(阿遅志貴高彦根命/配祀  伊弉諾命 伊弉冉命 速玉男命 事解男命  倉稲魂命 軻遇突命 道實霊神/あるいは、津狡命『特撰神名牒』/合祀  伊佐波神社(伊弉諾尊あるいは、泣澤女命)『出雲國神社考』/あるいは、伊射波止美命 『特撰神名牒』)

・鳥屋神社(建御名方神 大國主神 事代主神 少名彦神 八十神  天菩比神 天若日子神 天照大神 八百萬神 宇加之魂神 天照大神 疫神/建御名方尊『雲陽誌』『出雲神社巡拝記』)

・那賣佐神社(葦原醜男命/配祀 須勢理姫命 大物主神/合祭  伊邪那岐命 誉田別命 息長足姫命 武内宿禰 他十五柱/合祀 坐和加湏西利比賣神社)

・斐代神社(阿遅須枳高日子命  くにさづちの命『出雲神社巡拝記』)

・比那神社(比那鳥命/比奈良志毘賣神 あるいは 武比奈鳥命『式社考』/このはなさくやひめの命『出雲神社巡拝記』)

・日御碕神社(「神の宮」主祭神 素盞鳴尊/相殿  田心姫 湍津姫 厳島姫/「日沈宮」主祭神  天照大神  相殿  正哉吾勝尊 天穂日命 天津彦根 活津彦根命 熊野櫲樟日命)

・比布智神社(伊弉冉尊 伊弉諾尊 大日霊貴神/伊佐那美尊『出雲風土記鈔』/伊弉諾尊 伊弉册尊『雲陽誌』)

・富能加神社(本牟智和氣尊 肥長毘賣尊/配祀  伊邪那岐命 伊邪那美命)

・彌久賀神社(天之御中主神  合祀  宇賀御魂命)

・三谷神社(健磐龍命  亦名  阿蘇津彦命)

・美談神社(経津主命 武甕槌命 息長足姫命/配祀  比賣遲神社(比賣遅神)/境内 縣神社(天穂日命 和加布都努志命)・印波神社(天手力雄命 太玉命)

・八野神社(八野若日女命  相殿  大歳神)

 

〔松江市〕

・秋鹿神社(秋鹿日女命/合祀 御井神社(罔象女命)・八幡宮(誉田別命))

・生馬神社(八尋鉾長依日子命/合祀  天照大神 高皇産靈神 神皇産靈神  誉田別命 児屋根命 国狭槌命 建御名方命 大己貴命)

・揖夜神社(伊弉冉命 大己貴命 少彦名命 事代主命/配祀  武御名方命 経津主命/境内 坐韓國伊太氐神社(素盞嗚命 五十猛命)/境外末社市原神社  磐坂神社(磐坂日子之命/配祀  國狹槌尊 伊弉諾尊 岩裂神 表筒之男神 根裂神 伊弉册尊)忌部神社(天照大御神 天太玉神 天兒屋根神/配祀  大穴牟遲神 事代主神 味耜高彦根神 天御梶姫神 素盞嗚神  國常立尊 國狹槌尊 豊斟渟尊 泥土煮尊 沙土煮尊 大戸之地尊  大苫邊尊 面足尊 惶根尊 伊弉册尊 正哉吾勝勝速日天忍穗耳命  天津彦火能瓊瓊杵命 彦火火出見命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合命  事解男神 速玉男神/合祀  久多彌神社(大穴牟遲神))

・内神社(和加布都努志命 下照姫命)

・宇留布神社(大山祇命 木花咲耶姫命/配祀  須佐之男命 稲田比賣命 天照大御神 伊邪那美命 稲背脛命 菅原道真霊)

・惠曇神社(惠曇)(磐坂日子命 彦火火出見命 豊玉姫命 玉依姫命/配祀  蛭子命 市杵島姫命 稲倉魂命 素盞嗚命)

・惠曇神社(本郷)(磐坂日子命)

・大野津神社(須佐之男命)

・大森神社(大穴牟遲命/配祀  須佐之男命 少名彦神 事代主命 安閑天皇 建雄神)

・神魂神社(伊弉冊大神 伊弉諾大神)

・川上神社(大己貴命 高龗男命 稻田姫命)

・来待神社(大物主櫛甕玉命 積羽八重事代主命 五十猛命)

・来待本宮(月夜見神/配祀  佐久多大神 天照大神外十一神 神戸大神 手力雄神/境外末社佐久多神社(天照大神 素盞男之神 五男三女神))

・久多美神社(大穴牟遅神 事代主神 味耜高彦根神 天御梶姫神)

・國司神社(國常立尊 大國主命 稻田姫命/合祀  事解男命 罔象女命 秋鹿姫命 誉田別命 天之御中主命 天照大神/合祀  垂水神社)

・熊野大社(櫛御食野命 別名 素盞鳴尊・伊射那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命:由緒より/境内摂社 稲田神社  真髪觸奇稻田姫命  相殿  脚摩乳命 手摩乳命  合祀  前神社(少彦名命)/境内摂社伊邪那美神社(伊弉冉命)合祀  能利刀神社(天兒屋根命 か 太詔戸命)合祀 田中神社(衢神 か 鈿女命)合祀 楯井神社(太田命 か 猿田彦命)合祀 速玉神社(速玉之男命)合祀 布吾弥神社(埴山姫命 か 埴山姫命 稚産靈命)合祀 磐坂日子命 五十猛命 麓山祇命 爾保都比賣命 山雷神)

・久良彌神社(闇於加美神 速都牟自別神/配祀  都留支日子神 宇迦之御魂神/合祀  素盞嗚命 建御名方命)

・許曾志神社(猿田毘古命 天宇受賣命)

・佐久多神社(天照大神 素盞男之神  忍穂耳命 天之穂日之命 天津日子根之命 活津日子根命 熊野久須毘命  多紀理毘賣命 市寸島比賣命 多岐都比賣命/合祀  坐韓國伊太弖神社  (五十猛命))

・佐太神社(南殿:素盞鳴尊  秘説四座  中殿:佐太御子大神  伊弉諾尊  伊弉冉尊  事解男命  速玉男命 北殿:天照大神  瓊々杵尊/合祀 宇多紀神社(下照姫命)/境内 日田神社(稲田姫命)御井神社(未詳)垂水神社(罔象女神)

・須多神社(宇迦之魂命/合祀  須田下社(金山彦命)(出雲風土記記載社)・意宇ノ社(八束水臣津野命)

・多氣神社(武甕槌命 経津主命/『出雲神社巡拝記』おほなもち/『神社覈録』不詳/『特撰神名牒』火酢芹命)

・玉作湯神社(櫛明玉神 大名持神 少毘古那神/合祀  坐韓國伊太氐神社(五十猛命)/境外摂社  布吾彌神社(大名持命) 

・筑陽神社(事代主命 合殿 波夜都武自和氣命)

・爾佐加志能爲神社(大己貴命 天照大御神)

・爾佐神社(都久津美神 伊弉諾神 伊弉册神/相殿 天忍日命 大山咋命 宇賀命)

・野白神社(猿田彦命 天鈿女命)

・布自奈大穴持神社(大穴持命/境内摂社  布自府神社(事代主命)

・法吉神社(宇武加比比賣命 天児屋根命 天太玉命/合殿 坡神社 思兼神)

・真名井神社(伊弉諾尊 天津彦根命)

・美保神社(事代主神 三穗津姫命)

・賣豆紀神社(下照姫命/配祀  大山咋命 木花佐久夜比賣命/合殿 伊勢宮(天照大御神 豊受比賣命)

・賣布神社(速秋津比賣神/合殿  五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命/摂社神  櫛八玉神)

・八重垣神社(素盞嗚尊 櫛稻田姫命須/合祀  大己貴命 青幡佐久佐日古命(佐久佐神社)

・山代神社(山代日子命(大穴持命御子))

・横田神社(大己貴命  相殿  事代主命(美保神社)) 

・六所神社(伊邪那岐命 天照皇大神 月夜見命 伊邪那美命 素盞鳴尊命 大己貴命)

 

〔奥出雲町〕

・三澤神社(阿遲須枳高日子根命/合祀  大己貴命 素盞嗚命 志那都比古命 志那都比賣命  氣長足比賣命 別雷命 少彦名命 五十猛命)

 

〔大田市〕

・朝倉彦命神社(朝倉彦命/合祀 大物主神 素盞嗚尊)

・五十猛神社(五十猛命 應神天皇

/配祀  抓津姫神 大屋姫神)

・神楽岡八幡宮(品陀和氣命 息長帶比賣命 帶中日子命/配祀  徳川家康 足利直冬 毛利輝元/合祀  菅原道眞/合祀  國分寺霹靂神社(別雷神 玉依姫神)

・苅田神社(苅田比古神 苅田比咩神 倉稻魂神/合祀  國常立神)

・神邊神社(大彦命 伊弉册命 事解男命 速玉男命)

・城上神社(大物主命/合祀  武甕槌命 齋主命 天兒屋根命)

・刺鹿神社(誉田別尊 息長足媛命 武内宿禰/合祀  大彦命 國常立命)

・佐比賣山神社(三瓶町)(大己貴命 少彦名命 須勢理姫命/配祀  金山彦命 面足命 惶根命 天御中主大神 伊邪那岐命 伊邪那美命)

・佐比賣山神社(鳥井町)(金山彦命 金山姫命  配祀  八束穂宇美津奴命 市杵嶋姫命 田心姫神  誉田別尊 息長足姫命 武内宿禰 事代主命 稻倉魂命)

・静間神社(大己貴命 少彦名命/配祀  田寸津姫命 田心姫命 市杵嶋姫命 大歳神 若年神 倉稲魂神)

・新具蘇姫命神社(新具蘇姫命/合祀  天照大神 應神天皇 神功皇后 比咩大神)

・迩幣姫神社(三瓶町)(迩幣姫神/配祀  多紀理毘賣神 狹依毘賣神 多岐都比賣神)

・迩幣姫神社(長久町)(埴夜須毘賣神/配祀  大屋津比賣神 抓津比賣神 大物主神  保食神 土御祖神 大年神 大山祇神)

・野井神社(神皇産靈神 誉田別尊 息長足姫尊/配祀  大山祇神 天照皇大神)

・霹靂神社(別雷神 玉依姫命)

・水上神社(上津綿津美神 上筒男神)

・物部神社(宇摩志麻遅命(物部氏初代)/相殿神  右座 饒速日命 布都霊神  左座 天御中主大神 天照大神 /客座:別天神( 天之御中主神 高御産巣日神 神産巣日神  宇麻志阿斯訶備比古遅神 天之常立神)鎮魂八神(高皇産霊神 神皇産霊神 魂留産霊神  生産霊神 足産霊神 大宮売神 事代主神 御食津神)

・山邊八代姫命神社(久利町)(天照皇大神/配祀  誉田別命 息長足姫命 玉依姫命 徳川家康)

・山邊八代姫命神社(大代町)(天照大神  合祀  豊石窗神)

 

〔浜田市〕

・天豊足柄姫命神社(天豊足柄姫命  配祀  豊受姫命) 

・伊甘神社(天足彦國押人命)

・大麻山神社(天日鷲命 猿田彦命 大麻彦命(太玉命)/配祀  藏王權現 熊野權現 走湯權現 白山權現 山王權現)

・大歳神社(元浜町)(大年神  配祀  倉稻魂神)

・大歳神社(弥栄村)(大歳神 國常立命)

・大祭天石門彦神社(天石門別命 (手力男命)/配祀  建御名方命

・櫛色天蘿箇彦命神社(櫛色天蘿箇彦命/配祀 大年神 御年神 護國の英靈)

・国分寺霹靂神社(雷神/配祀  事代主神 國常立命 心吉神 護國の英靈)

・八幡宮(應神天皇 仲哀天皇 神功皇后/配祀  仁徳天皇 武内宿禰命 國常立神 須佐男命 稻田姫命  正哉吾勝勝速日天忍穗耳命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命  多紀理姫命 狹依姫命 多岐津姫命 受保神)

 

〔美郷町〕

・天津神社(高皇産靈神)

・田立建埋根命神社(建眞利根命 大山祇神/合祀  品陀和氣命 息長帶比賣命 玉依毘賣命 國常立命 蛭兒命  湍津姫命 底筒男命 中筒男命 表筒男命 猿田彦命)

 

邑南町〕

・大原神社(大原)(伊弉諾神  配祀  大原宿禰神)

・大原神社(日貫)(天之子八根命 健御賀豆智命 伊波比主命 比賣神)

・賀茂神社(賀茂別雷命/合祀  菅原道眞 豊受姫命 神功皇后  應神天皇 玉依姫命 少名彦命  大年神 地主神 猿田彦之命 受母智神/相殿  大原神社(武甕槌神 天津兒屋根命 齋主命 姫大神)

  

③岡山県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔井原市〕

・足次神社(西江原)(足名椎神 手名椎神)

・足次山神社(井原)(阿須波神 波比岐神 宗像三女神  誉田別神 息長帯比売神 他一柱)

・大山神社(大山祇神 木花之佐久夜毘売命 天津日高日子穂々手見命/摂社 足次神社)

 

〔岡山市〕

・安仁神社(五瀬命  配祀  稲氷命 御毛沼命/天照大神  『岡山藩主池田綱政祈願文』/参議従三位秋篠安仁卿『寸簸乃塵』/大納言正三位右近衛大将安倍朝臣安人霊『吉備温故秘録』/地主神『吉備温故秘録』/阿田賀田須命『吉備温故秘録』/兄彦命『大日本地名辞書』/和邇氏『大日本地名辞書』/五十狭芹彦命(孝霊天皇三皇子の長男)『大日本地名辞書』/阿知使主『大日本地名辞書』/未詳『明治三年神社明細帳』/安仁神『安仁神社誌』)

・天神社(少彦名命)

・天野八幡宮(仲哀天皇 応神天皇 神功皇后  高皇産靈神 若日女神 神皇産靈神)

・天計神社(手置帆負命 彦狹知命)

・伊勢神社(天照皇大神 豊受大神/配祀  栲幡千千姫命)

・石門別神社(北区奥田)(天津石門別命)

・石門別神社(北区大供表)(天津石門別命)

・大神神社(大物主神 大穴持神 三穗津姫神 少名日古那神)

・岡山神社(倭迹迹日百襲姫命 大吉備津彦命 妹姫命 日本武尊  大山咋命 倉稲魂命 菅原道真公 池田光政)

・尾治針名眞若比女咩神社(尾治針名眞若比女咩命)

・尾針神社(天火明命  配祀  大氣都比賣命/『吉備温故秘録』尾綱根命(一説に日本武尊))

・御崎宮(大國主神 猿田彦神 須佐之男神)

・吉備津神社(大吉備津彦命/相殿:日子刺方別命  倭飛羽矢若屋比賣命  千千速比賣命  大倭迹々日百襲比賣命  御友別命  若日子建吉備津彦命  中津彦命  日子寤間命/外陣:東笏御崎神(浦凝別命・鴨別命)  西笏御崎神(稲速別命・弟彦命))

・吉備津彦神社(天御中主大神 高御産巣日神 神産巣日神  天之常立神 国之常立神 伊邪郡岐大神 伊邪那美大神  天照大御神(気比大明神・気比比売大神) 月読大神 素戔嗚大神  建日方別大神 大山津見大神 宇迦之魂大神  大国主命 事代主命 少名彦命 神倭磐余彦天皇  天津神 国津神 八百萬神々/あるいは、大吉備津日子命/相殿:吉備津彦命(吉備津武彦命)孝霊・孝元・開化・崇神各天皇  彦刺日方別命 天足彦国押人命  大倭迹々日百襲比賣命 大倭迹々日稚屋比賣命  金山彦命(鉄の神)大山咋命)

・吉備中山()

・國神社(大國主命 事代主命/配祀 仲哀天皇 應神天皇 神功皇后)

・総社宮(大己貴命 須勢理毘賣/配祀  神祇官八神/配祀  備前国内古社式内式外一二八社)

・高嶋神社遥拝所(神武天皇/相殿 天児屋根命 武甕槌命 経津主命 比咩命)

・皷神社(高田媛命 吉備津彦命 樂樂森彦命 吉備武彦命 遣靈彦命/合祀  天穗日命 大名持命 太玉命)天神社(天之御中主命 少彦名命)

・内宮(天照大神  合祀 倭姫命 大己貴命)

・廣幡八幡宮(應神天皇 仲哀天皇 神功皇后 武内宿禰/合祀 彦火火出見命)

・宗形神社(多紀理比賣命 市杵嶋比賣命 多岐津比賣命/相殿 素盞嗚命)

 

〔吉備中央町〕

・鴨神社(別雷命)

・大和神社(應神天皇 神功皇后/配祀  多岐理比賣命 多岐津比賣命 市杵嶋比賣命/合祀 式内社 備中國賀夜郡 野俣神社)

 

〔笠岡市〕

・在田神社・有田八幡神社(在田神社:苅田彦命 苅田姫命 宗像神/有田八幡神社:応神天皇 神功皇后 玉依姫)

・神島神社(興世姫命 神日本磐余彦命)

・天神社(菅原道眞/合祀  御崎神社)

 

〔玉野市〕

・鴨神社(味耜高日子根命  仲哀天皇 神功皇后 應神天皇)

 

〔高梁市〕

・穴門山神社(天照大神 倉稻魂神/合祀 足仲彦命 穴戸武姫命)

 

〔矢掛町〕

・鵜江神社(小林)(吉備津彦命)

・鵜江神社(西川面)(吉備津彦尊)

・大元鵜江神社(吉備津彦命 宇良御玉命/相殿 天之御中主命)

 

〔真庭市〕

・形部神社・佐波良神社(形部神(神阿多津比売命)/佐波良神社(佐波良神)

・長田神社(事代主命 素盞嗚尊 他十四柱)

・二宮神社(壹粟神社 神大市姫命/大笹神社 大佐々神/久刀神社 久那止神/菟上神社 岐神 あるいは 弟彦王命/長田神社(事代主神)横見神社(大山津見命)

 

〔瀬戸内市〕

・片山日子神社(片山日子命/大山咋神『備前国志』『神社覈録』/賀茂片山御子神『神祇志料』/天日方奇日方命『吉備温故録』/吉備津日子命  社伝)

・多賀神社(伊邪那岐命/配祀  素盞嗚命 大山津見命 奧津彦命 奧津姫命 保食神/境内  美和神社)

・美和神社(長船町福里)(大物主神)

・美和神社(長船町東須恵)(大物主命/配祀  仲哀天皇 應神天皇 神功皇后 天照大神 天日方奇日方命)

 

〔赤磐市〕

・石上布都魂神社(素盞嗚尊)

・鴨神社(別雷神/『特選神名牒』鴨建角身命 玉依日賣命 鴨別雷命)

・布勢巨神社(事代主命)

・布勢神社(大穴牟遅命/『明治三年神社明細帳』大己貴命 大彦命 天鈿女命)

・宗形神社(多紀理毘賣命 市寸嶋比賣命 田寸津比賣命/合祀  大己貴命 大日孁命 豊宇気比賣命 須佐之男命 菅原神  伊邪那美命 速玉男命 事解男之命 大山咋命)

 

倉敷市〕

・足高神社(大山津見命/配祀  石長比賣命 木之花佐久夜比賣命)

・穴門山神社(穴門武媛命/配祀  天照大神 倉稻魂神 仲哀天皇 少名彦命/合祀  大己貴命 下照姫命 天穗日命 活津彦根命 市杵嶋姫命  神皇産靈神 三熊野大神 天稚彦命 田心姫命)

・菅生天津神社(天照皇大神)

・菅生神社(高皇産靈神)

・田土浦坐神社(大綿津見神)

 

〔総社市〕

・池田神社(祭神資料未入手/合祀  古郡神社)

・石畳神社(經津主神)

・備中国總社(大名持命 須世理姫命/配祀  高皇産靈神 神皇産靈神 魂留産靈神 生産靈神 足産靈神  大宮能賣神 御膳神 事代主神 備中國内三百四神社/境内  沼田神社(大年神  配祀  大物主命 少彦名命)

・古郡神社(吉備武彦命)

・麻佐岐神社(大國魂神)

・神神社(大物主命 天照大神 素盞嗚尊 大山咋命  應神天皇 仲哀天皇 神功皇后/合祀  武甕槌命 經津主命 天兒屋根命 比賣神  市杵嶋姫命 湍津姫命 多岐理姫命)

・百射山神社(大山祇命/合祀  御崎神社(吉備武彦命)

・三輪神社(猿田彦命 大物主命)

・横田神社(天穗日命 菅原道眞)

 

〔津山市〕

・高野神社(津山二宮)(彦波限建鵜葺草葺不合尊/配祀  鏡造命(中山神)大己貴命(総社神)  

・高野神社(高野本郷)(高野造祖大神/主神 鵜葺草葺不合命/相殿 応神天皇 神功皇后)

・中山神社(鏡作神/相殿  天糠戸神 石凝姥神/大己貴命『延喜式頭注』/吉備武彦命『作陽誌』/吉備津彦命『大日本史』『神祇志料』)

・美作総社宮(大巳貴命/配祀  鏡造命(一宮中山神社) 鵜茅葺不合命(二宮高野神社)美作国内神祇九百拾座)

 

〔備前市〕

・神根神社(木花開耶姫命/配祀  仲哀天皇 応神天皇 神功皇后 天照大神 豊受大神 素盞嗚尊  伊弉諾尊 伊弉冉尊 大己貴命 速玉男命 事解男命 大山祇神/『備陽國誌』開化天皇皇子・大根王(記紀になし)/『吉備温故秘録』開化天皇孫・神大根王/『吉備温故秘録』鐸石別命(和気氏始祖)/『吉備温故秘録』大中津日子命(和気氏本姓磐梨別公の祖))

 

〔美作市〕

・天石門別神社 (天手力男神(天石門別神)

 

④広島県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔府中町〕

・多家神社(神武天皇 安芸津彦命/相殿  神功皇后 応神天皇 大己貴命)

 

〔三原市〕

・賀羅加波神社(天照大御神 素盞嗚尊 豊受比売命/相殿  天宇豆売命 天太玉命 瀬織津比売命)

 

〔世羅町〕

・世良八幡神社(天照皇大神 誉田別尊 玉依比売命  天児屋根命 世良彦命 市寸島比売命  大山祇命 高靇命 菅原道真命)

・八幡神社(品陀和気命 帯中津彦命 息長帯比売命  櫛名比売命 多岐理比売命 多岐津比売命  伊邪那岐命 伊邪那美命 狭依理比売命 猿田彦命/武内宿祢 大山津見命 高靇神 波邇夜須比売命 波邇夜須彦神  菅原道真公 宇迦之御魂神 宇気母智神 金山彦神 金山比売神)

・和理比賣神社(櫛名毘賣神)

 

〔廿日市市〕

・厳島神社(市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命/配祀  玉留魂神 國常立尊 天照皇大神 素盞嗚尊 高皇産靈神 神皇産靈神 生魂神 足魂神  大宮比賣神 御饌津神 事代主神 軻遇突智神 埴山姫神 保食神 稚産靈神 倉稻魂神  豐磐窗神 奇磐窗神 埴安神 金山彦神 猿田彦神 興津彦神 興津姫神 罔象女神  天村雲神 屋船句句廼馳神 屋船豐宇氣姫神 八十枉津日神 神直日神 大直日神  底津海童命 中津海童命 表津海童命 底筒男命 中筒男命 表筒男命)

・速谷神社(飽速玉男命/五烏神(神社明細帳記載の異伝)/市岐島媛の妹あるいは伯母『神祇志料』/多支都比咩乃命『安藝國神名帳考』)

 

〔府中市〕

・小野神社(押媛命 相殿  吉備武彦命)

・甘南備神社(事代主神 大国主神 少彦名神  相殿  龍王神)

 

〔福山市〕

・天別豊姫神社(豊玉姫命 速進雄命 事代主神/合祀  吉備津彦命 火之加具土神)

・吉備津神社(大吉備津彦命/『明治神社誌料』大日本根子彦太瓊命 細比賣命 大吉備津彦命 稚武吉備津彦命/境内摂社  多理比理神社 息長帯姫神)

・国司神社(大國主神 國高依彦命 石川王)

・素盞嗚神社(新市)(素盞嗚尊 稲田姫命 八王子命)

・素盞嗚神社(上御領)(素盞嗚命)

・高靇神社(高靇神/相殿 高魂命 (國高依彦神社)/相殿  月夜見命 猿田彦命 松浦明神)

・高諸神社(須佐之男命 劔比古神)

・多祁伊奈太岐佐耶布都神社(下道国造兄彦命 大穴牟遅命)

・天神社(素盞嗚神)

・二宮神社(大日本根子彦太瓊命 吉備津彦命  細比売命 吉備武彦命 稲田姫命)

・沼名前神社(大綿津見命 須佐之男命)

・八幡神社(三女神 誉田別神 足仲彦神 息長足姫神  高皇産霊神 神皇産霊神 天御中主神  大山祇神 大己貴神 少彦那神  豊玉姫神 思兼神 大年神/相殿  多理比理神社(多比理岐志麻流美神)

・彦佐須岐神社(天彦火々出見命 大己貴命 大山祇命  奥津比古命 奥津比賣命 落神/『神社考證』彦狭島命(日子寤間命)

 

⑤山口県(参照:神社記憶 神社探訪 

 

〔下関市〕

・赤間神宮(安徳天皇)

・忌宮神社(仲哀天皇 神功皇后 応神天皇)

・亀山八幡宮(應神天皇 神功皇后 仲哀天皇 仁徳天皇)

・末廣稲荷神社(倉稲魂神)

・住吉神社(第一殿 住吉大神・荒魂/第二殿 応神天皇/第三殿 武内宿祢命/第四殿 神功皇后/第五殿 建御名方命)

・惣社宮(大己貴命  外一座)

・杜屋神社(三穂津姫神  配祀  仲哀天皇 応神天皇 神功皇后)

・龍王神社(玉依姫命/配祀  住吉荒魂大神 天津兒屋根命 息長足姫命 誉田和氣命/合祀  底津綿津見神 中津綿津見神 上津綿津見神)

 

〔岩国市〕

・岩隈八幡宮(熊毛神社三座  三毛入野神 磐余彦神 玉依姫神/八幡大神三座  應神天皇 仲哀天皇 神功皇后/住吉大神三座  表筒男神 中筒男神 底筒男神)

 

〔光市〕

・石城神社(主神  大山祇神(本地釈迦如来)/配祀 雷神(本地普賢菩薩) 高靇神(本地文殊菩薩)/天津彦根命 『特撰神名帳』『神祇志料』『日本地理志料』)

 

〔山口市〕

・赤田神社(大己貴命 少彦名命 猿田彦大神 柿本人麿)

・朝田神社(罔象女命/配祀  誉田別命 氣長足姫命 大鷦鷯命 田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命  表筒男命 中筒男命 底筒男命 伊邪那美命 須佐之男命)

・出雲神社(大己貴命 事代主命)

・今八幡宮(應神天皇 仲哀天皇 神功皇后 玉依姫 宇治皇子)

・金毘羅神社(瑠璃光寺)(大物主神 崇徳天皇)

・豊栄神社(毛利元就公)

・仁壁神社(主神  表筒男命 中筒男命 底筒男命/相殿  味鋤高彦根命 下照姫命/味鋤高彦根命  相殿  下照姫命  合祀  住吉三神『仁壁神社鎮座考』/下照姫命  合祀  他四神『近藤芳樹の著』)

・野田神社(毛利敬親公  配祀  毛利元徳公)

・船路八幡宮(應神天皇 羽明玉神(玉祖神) 道反大神)

・三坂神社(大国主命 事代主命/配祀  速玉之男命 道反大神/合祀  素盞嗚尊 大歳神 埴山姫命)

・山口大神宮(天照皇大神 豊受皇大神/配祀  天手力雄命 萬幡豊秋津姫命 天津彦火瓊瓊藝命 天兒屋根命 天太玉命/合祀  建御名方神 八坂刀自命)

 

〔周南市〕

・大歳神社(素盞嗚尊 稲田姫命 大己貴命/『山口県神社誌』素盞嗚尊 大歳神 大己貴命)

・熊毛神社(御毛入沼命 玉依姫命/配祀  八幡宮(仲哀天皇 応神天皇 神功皇后)

・白山神社(菊理媛命 伊弉諾命 伊弉册命)

・周方神社(建御名方神  配祀  大物主神 八千矛神)

・二所山田神社(二所神社  八千矛神 大物主神/山田神社  天照大神 豊受大神)

・二俣神社(大物主神 八千矛神 櫛稲田姫命)

 

〔防府市〕

・佐波神社(天照皇大神  素盞鳴尊 三穂津姫命 級長津彦命 級長津姫命  倉稲魂命 保食命 表筒男命 中筒男命 底筒男命  大己貴命 事代主命 健御名方命 武甕槌命 経津主命  田心姫命 市杵島姫命 湍津姫命 豊玉彦命 水分神 大山咋神  応神天皇 仲哀天皇 神功皇后)

・玉祖神社(玉祖命  外一座未詳)

・劔神社(素盞嗚尊 武甕槌命 日本武尊/配祀 林崎重信命)

・防府天満宮(配祀 天穗日命 武夷鳥命 野見宿禰)

 

〔柳井市〕

・賀茂神社(別雷命 玉依姫命 三毛入野命)  


(4-8)四国地方


①徳島県 ②高知県 ③愛媛県 ④香川県


①徳島県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔阿南市〕

・賀志波比売神社(賀志波比賣命)

・古烏神社(建比賣命/  阿波國式内社考』高姫あるいは下照姫あるいは埴安比賣(=建島女祖神)他説に、豊葦建姫命 高比賣 大倉比賣など)

・津峯神社(賀志波比賣命  相殿  大山祇命)

・羽浦神社(誉田別命  他二十二柱/合祀  和耶神社  和奈佐意富曾神社)

・室姫神社(室比賣命(木花咲弥姫命))

・八桙神社(大己貴命  他  三十四柱/『神名帳考證』『阿波志』八千矛神/『特撰神名牒』『大日本史』八桙神(建御名方命の子、あるいは曾孫))

 

〔阿波市〕

・赤田神社(武甕槌命 經津主命)

・伊笠神社(天之二上命/『徳島県神社誌』武甕槌命 布津主命 天御中主命)

・事代主神社(事代主命  合祀  大國主命)

・建布都神社(郷社本)(建布都神(武甕槌神) 経津主神 大山祇神 事代主神)

・建布都神社(郡)(西宮神社事代主命建布都神社武甕槌神 經津主神)

・八幡神社(応神天皇 神功皇后 玉依媛命 大己貴命 事代主命  大山祇命 猿田彦命 萱野媛命 菅原道真公)

 

〔海陽町〕

・阿津神社(木花開耶姫命)

・和奈佐意富曾神社(諸説あって未確認)

 

〔吉野川市〕

・天村雲神社(村雲)(天村雲命 伊自波夜比賣命)

・伊加加志神社(伊加賀色許賣命 伊加賀色許雄命 天照大神)

・忌部神社(天日鷲翔矢尊(天日鷲命) 后神言筥女命 天太玉尊 后神比理能賣命  津咋見命 長白羽命 由布洲主命 衣織比女命)

・高越神社(天日鷲命/配祀  天御中主神 伊弉諾命 伊弉册命 天照皇大神 安閑天皇  國常立神 高皇産神 神皇産神 三十八社神 瓊瓊杵神  天兒屋根神 齋主神 武雷神 大山祇神)

・敷島神社(天水沼間比古神(社)天水塞比賣神社二座)

・杉尾神社(天水沼比古神 天水塞比賣神)

・天村雲神社(流)(天村雲命 伊自波夜比賣命)

・中内神社(祕羽目神 足濱目門比賣神)

・八幡神社(誉田別天皇 祕羽目神 足濱目門比賣神

 

〔東みよし町〕

・天戸八坂神社(高皇産靈神 豊磐間戸神 櫛磐間戸神 素盞嗚神)

・天椅立神社(伊邪那岐命 伊邪那美命)

・鴨神社(別雷命 市杵島姫命 品陀和気命 天照皇大神/合祀  横田神社  田寸神社)

・田寸神社(田寸津彦神 田寸津姫神)

・八幡神社(大己貴命 應神天皇 武内宿禰 神功皇后)

・横田神社(市杵島姫命 /玉依姫命『名神序頌』/猿田彦命『阿波式内神社考』)

 

〔三好市〕

・医家神社(大國主神 少彦名神)

・馬岡新田神社(埴山姫命 天神玉命 新田義治 倉稻魂命)

・武大神社(主神  素盞嗚命  相殿  稻田姫命 八氣蛇猛命)

・竹神社(猿田彦命)

・八幡神社(仲哀天皇 應神天皇 神功皇后 氣長足姫命)

 

〔勝浦町〕

・生夷神社(事代主命)

 

〔小松島市〕

・建嶋女祖命神社(建嶋女祖命  合祀  應神天皇)

・豊國神社(豊臣秀吉/境内社 御縣神社)

 

〔徳島市〕

・朝立彦神社(豊玉毘古命 豊玉姫命)

・天佐自能和氣神社(神皇産霊尊 高皇産霊尊  日子刺肩別尊 意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命)

・雨降神社(豊玉媛命)

・一宮神社(大宜都比売命 天石門別八倉比売命/『明治神社誌料』大宜都比賣命 阿波女命 八倉比売命)

・忌部神社(天日鷲命)

・宇母理比古神社(鵜鷲守神)

・宅宮神社(大苫邊尊 大年大神 稚武彦命)

・王子和多津美神社(豊玉姫命)

・大麻比古神社(猿田彦命)

・大御和神社(大己貴神 大山咋神)

・勝占神社(大己貴命/配祀  事代主命 須勢理姫命 少名彦命 玉櫛姫命 大山祇命)

・金山神社(金山毘古神)

・惣社大御神(応神天皇)

・立岩神社(天津麻羅)

・速雨神社(豊玉比女神)

・八倉比賣神社(八倉比売命)

 

〔那賀町〕

・宇奈爲神社(豊玉彦命 豊玉姫命 玉依姫命)

 

〔上板町〕

・葦稲葉神社(葦稻羽神(倉稻魂命)鹿江比賣神)

・殿宮神社(素盞嗚尊)

 

〔板野町〕

・岡上神社(豊受姫命/配祀  奧津比賣命 猿田彦命 草野姫命  市寸島姫命 日本武命 楠正成公)

 

〔つるぎ町〕

・御所神社(天日鷲命)

・建神社(素盞嗚命)

・蜂須神社(八千矛命)

 

〔美馬市〕

・天都賀佐比古神社(級長津彦命 級長津姫命)

・天都賀佐彦神社(未確認(級長津彦命か?))

・伊射奈美神社(伊射奈美命 武甕槌命 經津主命 猿田彦命)

・伊射奈美神社(伊弉冉神 速玉男神 事解男神)

・十二所神社(伊弉諾命 伊弉冉命 國常立命 大山祇命 月讀命 金山彦命)

・建神社(建速須佐之男命)

・西照神社(月讀命/配祀  市杵嶋姫命 田寸津比賣命 田心比賣命)

・八大龍王神社(水波能女神)

・八幡神社(誉田別命/配祀 氣長足姫命 姫大神 伊邪那美命)

・波爾移麻比禰神社(埴山姫神)

・八坂神社(素盞嗚命)

 

〔神山町〕

・上一宮大粟神社(大宜都比売命(天石門別八倉比売命 大粟比売命)

 

〔石井町〕

・多祁御奈刀弥神社(建御名方命  配祀  八坂刀賣命)

 

〔佐那河内村〕

・御間都比古神社(御間都比古色止命)

 

〔鳴門市〕

・阿波神社(土御門天皇)

・宇志比古・宇志比売神社(大己貴命 少彦名命)

・宇志比古神社(宇志比古尊 八幡神)

・麻比古神社(大麻比古大神 猿田彦大神/明治以前  猿田彦命 天日鷲命/明治以後  天太玉命)

・鹿江比賣神社 (草祖草野姫神)

 

②高知県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔芸西村〕

・王子宮(不明、五男三女神)

 

〔奈半利町〕

・多気・坂本神社(多気神社:武内宿禰  (阿支奈臣の祖)/坂本神社:葛城襲津彦命(布師臣・坂本臣の祖、武内宿禰の子)

 

〔いの町〕

・天石門別安國玉主天神社(天石門別神 (天津羽々命の父、天児屋根命の外祖父)  高靇神)

 

〔香南市〕

・天忍穂別神社(正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊  相殿  饒速日尊)

・深淵神社(深淵水夜禮花命)

 

〔香美市〕

・大川上美良布神社(大田々祢古命/合殿  大物主命 活玉依比賣命 陶津耳命 櫛御方命  飯肩巣見命 美良比賣命 健甕槌命)

・小松神社(天御中主神あるいは、不詳あるいは、小松氏の祖神とされる秦の功満王)

 

〔越知町〕

・天石門別安國玉主天神社(天手力男命)

 

〔高知市〕

・朝倉神社(天津羽々神(別名  天石帆別神  天石門別神の子)/合祀  天豊財重日足姫天皇(斎明天皇)味鋤高彦根命『朝倉宮縁起』/天御梶日女神(味鋤高彦根命の后神であり、天津羽々神と同一)『皆山集』(亦名 阿波咩命、阿波々神、阿波神))

・朝峯神社(木之花咲耶姫命  相殿  爾爾伎之命 大山祇命/『式社考』鹿葦津姫)

・葛木男神社(高皇産霊神/合祀 葛城襲津彦神 葛城襲津妃神/合祀  葛木咩神社)

・葛木咩神社(葛城襲津彦命の妃/高魂命の妃『土佐國式社考』)

・郡頭神社(大國主神)

・土佐神社(味鋤高彦根神または一言主神)

・山内神社(山内一豊公 同夫人以下歴代藩主)

 

〔室戸市〕

・室津神社(天津彦根命)

 

〔宿毛市〕

・高知坐神社(都味歯八重事代主神  右殿  大国主尊  左殿  素盞嗚尊)

 

〔土佐清水市〕

・伊豆田神社(伊豆那津彦命 伊豆那津姫命  玉石二枚ヲ以テ神体トス)

 

〔南国市〕

・石土神社(磐土命/石土毘古神『土佐國石土宮記』(先代旧事本紀より)/磐土命『土佐國式社考』(日本書紀より)/上筒之男命『土佐國石土神社考』(古事記より)) 

・殖田神社(阿遅鋤高日子根神)

・小野神社(天足彦國押人命 (考昭天皇の皇子 、考安天皇の兄、小野氏の祖)

・総社(延喜式二十一社祭神) 

・豊岡上天神社(屋船豊宇氣姫命)

 

〔黒潮町〕

・加茂神社(別雷命/合殿  帯中彦命 息長足姫命 品陀別命 武内宿禰命/『神祇志料』味耜高日子根神/『式社考』大鴨積命 (大賀茂都美命)

 

③愛媛県(参照:神社記憶 神社探訪

 

松前町〕

・伊豫神社(彦狹嶋命/配祀  愛比賣命 伊予津彦命 伊予津姫命 大日本根子彦太瓊尊  細媛命 速後神命 伊予親王 藤原吉子)

・高忍日売神社(高忍日賣神/配祀  天忍日女命 天忍男命 天忍人命)

 

〔伊予市〕

・伊曾能神社(天照皇大神)

・伊豫神社(月夜見尊 愛比賣命 神八井耳命 速後上命)

 

〔今治市〕

・伊加奈志神社(五柱命 五十日足彦命 伊迦賀色許男命)

・大須伎神社(少那毘古那命 阿遅鋤高日子根命  伊邪那美命 熊野忍隅命 品陀和気命 息長帯姫命)

・大野神社(大山積命 上津姫命 下津姫命/配祀  大穴牟遲命 少毘古那命)

・大山祇神社(大山積神/境内社  伊豫國総社)

・樟本神社(素盞嗚命  合祀  皇女神)

・多伎神社(多伎都比賣命 須佐之男命 多伎都比古命 大己貴命

・野間神社(飽速玉命 若彌尾命 須佐之男命 野間姫命)

・姫坂神社(市杵嶋比賣命)

・三島神社(大山祇命/合祀  姫坂神社(市杵嶋比賣命)

 

〔四国中央市〕

・村山神社(天照皇大神/配祀 齋明天皇 天智天皇)

 

〔松山市〕

・阿沼美神社(味酒)(大山積命 高靇神 雷神 味耳命/合祀 面足神 惶根神 神八井耳尊)

・阿沼美神社(平田)(大山祇神 月讀神 高靇神 雷神)

・伊佐爾波神社(誉田別尊 足仲彦尊 氣長足姫尊 市杵島姫尊 湍津姫尊 田心姫命/配祀  東照大神)

・伊豫豆比古命神社(伊予豆比古命 伊予豆比賣命 伊與主命 愛比賣命)

・櫛玉比賣命神社(天道姫命/配祀  御炊屋姫命)

・國津比古命神社(天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊/配祀  宇麻志麻治命 物部阿佐利命 誉田別命)湯神社(大己貴命 少彦名命/合祀 素盞嗚命 稻田姫命)

 

〔新居浜市〕

・黒嶋神宮(大山祇神 木花咲耶姫命 天御中主神)

 

〔西条市〕

・石鎚神社 口之宮本社(石鎚毘古命 (石土毘古命、石鎚大神)

・伊曾乃神社(伊曾乃神)

・佐々久神社(大鷦鷯命 神八井耳命/神八井耳命(雀部臣祖神)『特撰神名牒』/磐裂神 根裂神『社記舊説』)

・周敷神社・藤原神社合殿(周敷神社:天忍男命  配祀  天照大神/藤原神社:素盞嗚命  配祀  脚摩乳命  手摩乳命  奇稻田姫命)

・周敷神社(火明命 /配祀  左殿 大山祇命 右殿 大己貴命)

・布都神社 保内八幡神社(應神天皇 神功皇后 仲哀天皇 市杵嶋姫命 湍津姫命 田心姫命 武内宿禰/境内 周敷神社(國常立命 火明命)

・宮内神社(大山祇神 高靇神 雷神)

 

④香川県(参照:神社記憶 神社探訪

 

さぬき市〕

・大蓑彦神社(大蓑彦命)

・男山神社(誉田別命 足仲彦命 息長足姫命)

・春日神社(天兒屋根命) 

・神前神社(猿田彦命)

・志太張神社(天下春命)

・造田神社(誉田別尊 氣長足比賣尊 足仲彦尊 和多須美命 大鷦鷯尊)

・多和神社(前山)(大己貴命)

・多和神社(志度)(速秋津比賣命 /合祀  倭武命 大雀命 帶仲彦命 天照大日孁命 息長帶姫命 大鞆和氣命)

・鶴羽大明神(日本武尊)

・天満宮(菅原道真)

・布勢神社(大彦命)

 

〔観音寺市〕

・粟井神社(天太玉命/配祀  天照皇大神 月讀命 保食命)

・応神社(誉田別命)

・於神社(誉田別命/配祀  素盞嗚命)

・加麻良神社(大己貴神/相殿  少彦名神)

・加茂神社(加茂大明神 彦火瓊瓊杵尊  大山咋命 賀茂御祖神 賀茂別雷神)

・黒島神社(闇山祇尊/配祀  瀬織津比咩尊(池宮))

・高屋神社(邇々杵命 保食命 咲夜比女命)

・山田神社(山田大娘神 大己貴神 素盞嗚神 月讀神)

 

〔丸亀市〕

・飯神社(飯依比古命 少彦名命)

・宇閇神社(栗熊西)(鵜茅葺不合尊)

・宇閇神社(岡田下)(武内宿禰命/配祀  品陀和氣命 菅原道眞/合祀  金山彦命)

・神野神社(天穗日命/配祀  品田和氣命 息氣長足姫命 中日賣命 武内宿禰 中臣烏賊津臣命  須佐之男命 猿田彦命 武甕槌神 軻遇突智命 經津主命 大國主命)

 

〔高松市〕

・田村神社(倭迹迹日百襲姫命 五十狹芹彦命/配祀 猿田彦大神 天隱山命 天五田根命)

 

〔坂出市〕

・神谷神社(火結命 奧津彦命 奧津姫命/配祀 春日四柱神(經津主神 武甕槌神 天兒屋命 姫大神))

・城山神社(神櫛別命)

・総社神社(伊弉諾尊 伊弉册尊/配祀 櫛磐間戸命 豊磐間戸命/合祀 國中大小神祇)

・西鴨神社(別雷命)

・東鴨神社(一事主命 玉依姫命)

 

〔三豊市〕

・大水上神社(大山積命(大水上大明神) 保牟多別命 宗像大神)

 

〔善通寺市〕

・大麻神社(天太玉命/配祀  天津彦彦火瓊瓊杵尊  天香語山命 天櫛玉命 天糠戸命 天御陰命 天神立命 天三降命 天伊佐布魂命  天事湯彦命 天神玉命 天村雲命 天世手命 天湯津彦命 天神魂命 天乳速日命  天活玉命 天下春命 天鈿女命 天道根命 天明玉命 天造日女命  天玉櫛彦命 天日神命 天伊岐志迩保命 天表春命 天兒屋根命 天椹野命  天背男命 天斗麻彌命 天八坂彦命 天少彦根命 天月神命)

・雲氣神社(豊受大神 大龍神 大雷神)

 

〔まんのう町〕

・神野神社(天穗日命 別雷命 嵯峨天皇 罔象女命/合祀  大山祇神)

・雲氣八幡宮(誉田別尊 足仲彦尊 息長足姫尊/合祀  保食神 市杵嶋姫命)

 

〔琴平町〕

・櫛梨神社(神櫛王命/『三代物語』天児屋根命) 

・金刀比羅宮(大物主神 配祀 崇徳天皇)

 

〔東かがわ市〕

・水主神社(倭迹々日百襲姫命)

 

〔三木町〕

・白山神社(伊弉諾尊) 

・引宮神社(仲哀天皇  鵜萱葺不合尊 誉田別尊 豊玉姫命) 

・鰐河神社(豊玉姫命 應神天皇) 

・和爾賀波神社 (豊玉比賣命/配祀  玉依比賣命 八幡大神 息長足姫命)


(4-9)九州・沖縄地方


①福岡県 ②大分県 ③佐賀県 ④長崎県 ⑤長崎県 ⑥熊本県 ⑦鹿児島県 ⑧沖縄県


①福岡県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔久留米市〕

・伊勢天照御祖神社(天照國照彦天火明尊)

・味水御井神社(水波能売命)

高良大社(高良玉垂命/配祀 八幡大神 住吉大神/合祀 豊比咩大神

・天満宮(菅原神)

・豊姫神社(豊玉姫命)

・八幡神社(應神天皇/配祀  住吉大神 高良大神(武内宿禰)

 

〔みやこ町〕

・惣社八幡神社(仲哀天皇 仁徳天皇 大己貴命 少彦名命 応神天皇 神功皇后 句々能知命 水波能賣命)

 

〔宗像市〕

・織幡神社(武内宿禰(中座) 住吉大神(西座) 志賀大神(東座)/配祀  天照皇大神 宗像大神 香椎大神 八幡大神 壹岐真根子臣 )

・宗像大社中津宮(湍津姫神(中津宮)/配祀  田心姫神(沖津宮)  市杵嶋姫神(辺津宮)  

宗像大社 辺津宮(同前)

 

〔小郡市〕

・御勢大靈石神社(足仲彦大神(十四代仲哀天皇)/相殿  天照皇大神 八幡大神 春日大神 吉富大神(七三八年の創建者)

 

〔糸島市〕

志登神社(豊玉姫命/相殿  和多津見神 息長帯姫 彦火々出見尊 武内宿禰命/相殿  高祖明神 志賀明神 神功皇后 高良明神『和漢三才図会』/相殿  高祖明神 神功皇后 高良明神『筑前国続風土記』)

 

〔太宰府市〕

竈門神社(玉依姫神 相殿 神功皇后 応神天皇)

太宰府天満宮(菅原道真)

 

〔吉富町〕

・八幡古表神社(息長帯姫尊 虚空津比売命)

 

〔筑紫野市〕

筑紫神社(筑紫大明神(白日別神・五十猛尊)/配祀  宝満大神(玉依姫命)  田村大神(坂上田村麿)

 

〔筑前町〕

大己貴神社(大己貴命 天照皇大神 春日大神)

 

〔朝倉市〕

・麻氐良布神社(伊弉諾尊/合祀  天照大神 素盞嗚尊 月讀尊 蛭子尊 )

・美奈宜神社(荷原)(天照皇大神/配祀  住吉大神 春日大神/相殿  神功皇后 武内宿禰 

・美奈宜神社(林田)(素盞嗚尊 大己貴命 事代主命)

 

〔香春町〕

香春神社(辛國息長大姫大目命 忍骨命 豊比賣命)

 

〔添田町〕

英彦山神宮(天忍穗耳命/ 配祀  伊弉諾尊 伊弉冉尊)

 

〔福岡市東区〕

香椎宮(仲哀天皇 神功皇后/配祀  応神天皇 住吉大神 )

・志賀海神社(表津綿津見神 底津綿津見神 仲津綿津見神/配祀  應神天皇 玉依姫命 神功皇后 )

筥崎宮(応神天皇 神功皇后 玉依姫命)

 

〔福岡市博多区〕

櫛田神社(天照皇大神 大幡主大神 素盞嗚大神)

住吉神社(底筒男命 中筒男命 表筒男命/配祀  天照皇大神 神功皇后 )

・十日恵比須神社(事代主命 大国主命)

 

〔福岡市南区〕

・五社神社(住吉神 春日神 志賀神 香椎神 宝満神)

・羽黒神社(大巳貴命 左脇殿 天神社(菅原道真公)  右脇殿  綾部神社 )

・若久住吉神社(底筒男神 中筒男神 表筒男神/相殿  神功皇后 菅原道真)

 

〔福岡市西区〕

・五十猛神社(五十猛命大神 須佐之男大神 天神)

 

〔福津市〕

宮地嶽神社(息長足毘売命 勝村大神 勝頼大神)

 

②大分県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔宇佐市〕

・泉神社(應神天皇 仲哀天皇 神功皇后 仁徳天皇/合祀  宇饌持神 豊受姫神 宮比神 須佐之男神 市杵嶋姫神)

・稲積六神社(伊弉册尊 速玉男命 事解男命 国常立命 火産霊命 彦火々出見命)

宇佐神宮(應神天皇 比賣大神(多岐津姫命 市杵嶋姫命 多紀理姫命) 神功皇后)

・大元神社(比賣大神三柱)

・乙咩神社(仲哀天皇 神功皇后 応神天皇 比売大神 仁徳天皇 日本武尊 天児屋根命 別雷命)

・小山田神社(八幡大神/配祀  高龗神 闇龗神)

・郡瀬神社(仲哀天皇 神功皇后 応神天皇/配祀  田心姫神 湍津姫神 市杵嶋姫神 大宮比咩神)

・鷹居神社(仲哀天皇 神功皇后 応神天皇)

 

〔臼杵市〕

西寒田神社(八幡大神(筥崎八幡神)/合祀  軻遇突智命 迦具土神 少彦名命 伊邪那美命 菅原神  )

 

〔大分市〕

西寒多神社(西寒多大神 (天照皇大御神)/配祀  月讀大神 伊弉諾大神 伊弉册大神 大直日大神 神直日大神  八意思兼大神 大歳大神 倉稻魂大神 軻遇突智大神)

・早吸日女神社(八十枉津日神 大直日神 底筒男神 中筒男神 表筒男神 大地海原諸神  本来は早吸日女神のはず)

柞原八幡宮(仲哀天皇 応神天皇 神功皇后)

 

〔竹田市〕

穴森神社(嫗嶽大明神/関連社  健男霜凝日子神社下宮  健男霜凝日子神社

・健男霜凝日子神社下宮(健男霜凝日子神/配祀  豊玉姫命 彦五瀬命 大太夫夫婦 花乃本姫/合祀  大山祇命 奧津彦命 奧津姫命 少名毘古那神 猿田彦命  菅原道眞 木花咲夜比賣命 大己貴命 面足尊 惶根尊)

・健男霜凝日子神社(健男霜凝日子大神 豊玉姫命 彦五瀬命  他九柱)

 

〔中津市〕

・古要神社(息長足姫命 虚空津比売命)

 

〔姫島村〕

比売語曽神社(比売語曽神)

 

〔別府市〕

・火男火賣神社下宮(伊弉諾命 伊弉册命 火之加具土神 大山祇神)

・火男火賣神社(火之迦具土命 火燒速女命)

 

〔由布市〕

・宇奈岐日女神社(國常立尊 國狹槌尊 彦火火出見尊 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 神倭磐余彦尊 神渟名川耳尊) 

 

③佐賀県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔伊万里市〕

・淀姫神社(與止日女命 建御名方命 菅原道真公/合祀  外十五柱(明治42年合祀))

 

〔佐賀市〕

佐嘉神社(鍋島直正 鍋島直大)

・與止日女神社(與止日女命または豊玉姫命 豫等比咩神『三代実録』/淀姫命 『特撰神名牒』/與止比女神『明治神社誌料』/世田姫『肥前国風土記』/豊姫(ユタヒメ)『神名帳頭註』)

 

〔みやき町〕

・千栗八幡宮(應神天皇 仲哀天皇 神功皇后/合祀  難波皇子 宇治皇子 住吉明神 武内宿禰)

 

〔基山町〕

・荒穂神社(瓊々杵尊 五十猛命/配祀  荒穂大明神 下鴨大神 八幡大神 宝満大神 春日大明神 住吉大明神)

 

〔唐津市〕

・田島神社(田心姫尊 市杵島姫尊 湍津姫尊/配祀  大山祇神  稚武王尊(仲哀天皇の弟)

 

④長崎県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔壱岐市〕

・阿多彌神社(大己貴神 少彦名神)

・天手長男神社(天忍穂耳尊 天手力男命 天鈿女命/合祀  仁徳天皇 仲哀天皇 日本武尊 比賣大神)

・天手長比賣神社(栲幡千々姫尊/左二座  稚日女尊 木花開耶姫命/右二座  豊玉姫命 玉依姫命)

・大国玉神社(大己貴神 大后神 事代主 菅贈相國 吉祥女 中将殿 宰相殿  延宝以前は 大國魂命)

・海神社(豊玉彦命)

・國片主神社(少彦名命/相殿  菅原道真公/天月神命『壹岐神社誌』)

・國津意加美神社(素盞嗚尊/配祀  大己貴命 稲田姫命 闇袁加美神)

・国津神社(足名槌命 手名槌命 奇稲田姫命/配祀  武甕槌神)

・熊野神社(伊弉册尊 素盞嗚尊 事解男神 速玉男神/相殿  天照大神 国常立尊 正哉吾勝々速日天忍穂耳尊 天津彦々火瓊々杵尊  彦火々出見尊 軻遇突知命 埴山姫命 罔象女神 稚産霊神 大山祇神)

・興神社(足仲彦尊 息長足姫尊/相殿  大鷦鷯天皇 誉田別天皇 天手力男命 八意思兼神 住吉大神)

・金刀比羅神社(大物主神)

・佐肆布都神社(武甕槌命 高貴神 天照大神 猿田彦命 天鈿女命  甕速日命 樋速日命 経津主命 稜威雄走神 天児屋根命  大己貴神 事代主命)

・聖母宮(息長足姫尊 足仲彦尊 誉田別尊 住吉大神/相殿 天照大神)

・住吉神社(底筒男神 中筒男神 表筒男神/相殿  八千戈神)

・総社神社(大己貴神)

・高御祖神社(高皇産霊神 伊弉諾尊 伊弉册尊/相殿  天日神命(天照皇大神)  天月神命(月讀大神) 

・手長比賣神社(栲幡千々姫命 天忍穂耳尊/延宝以前は神功皇后『式社沿革考』/延宝以前は手長男神『神名記』)

・月讀神社(中   月夜見尊/左  月弓尊/右  月讀尊)

・津神社(彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 彦火火出見尊  豊玉比咩命 玉依比賣命 神日本磐餘彦命/合祀(牛神社)素盞嗚尊 大己貴命)

・津之宮神社(彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 玉依比賣命)

・角上神社(素盞嗚尊  相殿  仁徳天皇 仲哀天皇 神功皇后 応神天皇)

・覩上神社(素盞嗚尊 奇稲田姫命 大己貴命)

・中津神社(天津日高彦火瓊々杵尊 天児屋根尊 天太玉命/合祀  佐肆布都神社  経津主命)

・爾自神社(級長津彦神 級長戸辺神 息長帯姫命)

・白沙八幡神社(応神天皇 仲哀天皇 中姫之命 神功皇后  仁徳天皇 玉依姫命 武内大臣)

・箱崎八幡神社(海裏宮 豊玉毘古命(または豊玉姫命) 玉依姫命/八幡宮: 応神天皇 中津姫命 仲哀天皇 神功皇后/月讀神社:天月神命/高御祖神社:高産霊尊/別殿  天一柱神 烏賊津連 武内大臣 乙魂神)

・兵主神社(素盞嗚尊 大己貴神 事代主神)

・深江神社(伊弉册尊 大国魂神)

・保食神社(保食神 素盞嗚尊 大己貴命 五十猛命)

・本宮八幡神社(八幡大神 住吉大神 聖母大神(神功皇后) 

・見上神社(彦火々出見尊)

・彌佐支刀神社(日本武尊/壹岐直真根子『吉野氏系譜』)

・水神社(速秋津日命(延宝以前は、罔象女命)/相殿  菅贈相国(菅原道真公)  

・和多津美神社(和多津美命 罔象女命 速秋津日命)

 

〔対馬市旧上県郡〕

・天諸羽神社(吉田)(天兒屋根命 天太玉命 雷大臣命)

・天諸羽神社(佐護恵古)(宇摩志摩治命 天兒屋根命 雷大臣  天諸羽命『特撰神名牒』)

・天諸羽神社(一重)(天太玉命 天兒屋根命 雷大臣命)

・天諸羽神社(佐護深山)(天兒屋根命 天太玉命)

・天神多久頭魂神社(多久頭魂命(天神地祇)  

・霹靂神社(雷大臣 日本大臣 磯武良/伊弉諾尊 事解男 速玉男『大小神社帳』)

・伊奈久比神社(大歳神)

・岩立神社(素盞嗚命 五十猛命 蛭子命)

・小牧宿禰神社(建比良鳥命)

・海神神社(豊玉姫命/配祀  彦火火出見命 宗像神 道主貴神 鵜茅草葺不合命)

・春日神社(佐護深山)(天児屋根命 天太玉命)

・金山宮(対馬)(?)

・國本神社(天之佐手依姫命)

・胡簶神社(表津少童命 中津少童命 底津少童命 太田命/宇都志日金折命 豊玉彦命『大小神社帳』)

・胡簶御子神社(表筒男命 中筒男命 底筒男命 磯武良)

・志多留能理刀神社(雷大臣尊 霊町命)

・島大国魂神社(豊)(素盞男命 天狭手依比賣)

・島大國魂神社(御嶽)(?)嶋大國魂御子神社(大己貴尊)

・島御子神社(大國主神 八上姫命)

・天神神社(佐護恵古)(天津八十萬神)

・那須加美乃金子神社(志多賀)(須佐之男命 大屋彦命)

・那須加美乃金子神社(小鹿)(大屋彦神 大己貴命)

・那祖師神社(素盞嗚尊/合祀  天狭手依比賣 五十猛命)

・能理刀神社(芦見)(天兒屋根命 天太玉命 雷大臣命 海祇神)

・能理刀神社(西泊)宇麻志麻治命 天兒屋根命 雷大臣命/素盞嗚尊『大小神社帳』/天兒屋根命『特撰神名牒』)

・元嶋神社(素盞烏尊/鎮宅霊符北辰妙見『對州神社誌』/百済王子琳聖太子の霊『神社大帳』)

・行相神社(皇孫命 大己貴命)

 

〔対馬市旧下県郡〕

・阿麻氐留神社(天日神命)

・雷神社(雷大臣命)

・厳原八幡宮神社(應神天皇 神功皇后 仲哀天皇 姫大神 武内宿禰)

・乙和多都美神社(玉依姫命 豊玉姫命)

・銀山上神社(諸黒神 安徳天皇/金山彦命『特撰神名牒』)

・銀山神社(諸黒神/合祀  地祇神/金山彦命『特撰神名牒』)

・小茂田濱神社(対馬目代右馬允宗助国公)

・敷島神社(天佐手依比女神 雷大臣命)

・志々岐神社(豊玉姫命)

・住吉神社(鴨居瀬)(彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 三筒男命(住吉神)  

・住吉神社(厳原)(表筒男神 中筒男神 底筒男神/合祀  敷嶋神社  志賀明神  表津少童神 中津少童神 底津少童神)

・住吉神社(雞知)(彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(本来は住吉大神)/配祀  豊玉姫命 玉依姫命)

・多久頭魂神社(多久頭魂神  神社由緒では、天照大御神 天之忍穂耳命 日子火能邇々藝命 日子穂々出見命 鵜茅草葺不合命)

・都々智神社(天之狹手依比賣命 表筒男命 中筒男命 底筒男命)

・浜殿神社(豊玉彦尊)

・太祝詞神社(太祝詞神(天児屋根の別名)/大詔戸命 久茲麻知命『大小神社誌』/大詔戸命 雷大臣命『神社大帳』/太祝詞命 雷大臣命『特撰神名牒』)

・山住神社(大山祇神/合祀  素盞男命 五十猛命)

・雷命神社(雷大臣命)

・和多都美神社(彦火火出見尊 豊玉姫命/渡海大明神『對州神社誌』/彦火火出見尊 鵜茅葺不合尊『大小神社誌』/祭神二座『神社大帳』)

・和多都美御子神社(鵜茅葺不合尊 神武天皇 應神天皇 菅原道眞)

 

〔長崎市〕

・諏訪神社(長崎)(健御名方命 八坂刀賣命/配祀  伊邪那岐命 伊邪那美命 上筒之男命 中筒之男命 底筒之男命)

 

〔平戸市〕

・志々伎神社(十城別命(日本武尊の御子) 鴨一隼 七郎氏廣)  

 

 

⑤熊本県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔高森町〕

・草部吉見神社(一の宮 日子八井命/二の宮 比咩御子命/三の宮 天彦命 四の宮 天比咩命/五の宮 阿蘇都彦命/六の宮 阿蘇都比咩命/七の宮 新彦命/八の宮 彌比咩命/九の宮 速瓶玉命/十の宮 若彦命/十一の宮 新比咩命/十二の宮 彦御子命)

 

〔阿蘇市〕

・阿蘇山上神社(北の御池(噴火口)一の宮  健磐龍命荒魂/中の御池(噴火口) 二の宮  阿蘇都比咩命荒魂/南の御池(噴火口) 五の宮  彦御子命神霊)

・阿蘇神社(一の神殿:一宮 健磐龍命/三宮 國龍明神/五宮 彦御子明神/七宮 新彦明神/九宮 若彦明神:二の神殿: 二宮 比咩明神/四宮 比咩御子明神/六宮 若比咩明神/八宮 新比咩明神/十宮 彌比咩明神:諸神殿 最奥:十一宮 國造明神(速瓶玉命)/十二宮 金凝明神/全国式内社御祭神)

・國造神社(一ノ宮 国造速瓶玉命 阿蘇神社主神・健磐龍命の御子神/二ノ宮 雨宮媛命 一ノ宮の妃神/三ノ宮 高橋神 一ノ宮の第二御子/四ノ宮 火宮神 一ノ宮の第三御子)

 

〔菊池市〕

・菊池神社(菊池武時公 菊池武重公 菊池武光公/配祀  菊池武政公  以下二十六柱)

 

〔玉名市〕

・疋野神社(波比岐神/相殿  大年神/『玉名郡坂下手永立願寺村疋石野大明神由来』疋野長者)

 

〔熊本市〕

・北岡神社(建速素盞嗚尊 奇稲田媛命  天忍穂耳命 天穂日命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命  多紀理媛命 市寸島比売命 田寸津比売命)

・総社神社(熊本)(建速須佐之男命 荒神霊/健磐龍命『熊本県神社誌』)

・藤崎八旛宮(一宮  応神天皇/二宮  住吉大神/三宮  神功皇后)

 

〔山鹿市〕

・薄野一目神社(天目一箇神)

 

〔八代市〕

・八代宮(懐良親王(後醍醐天皇皇子)/配祀  良成親王(後村上天皇皇子)  八代神社(妙見宮)(妙見神)

 

⑥宮崎県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔宮崎市〕

・青島神社(天津日高彦火火出見命 豊玉姫命 塩筒大神)

・江田神社(伊邪那岐尊/配祀  伊邪那美尊)  

・古之館神社(猿田彦命)

・宮崎神宮(神日本磐余彦尊/配祀  鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命)

 

〔都農町〕

・都農神社(大己貴命/大那牟遅『神社明細図書』/大名牟遅命『特撰神名牒』/素盞嗚尊『日向地誌』/饒速日命 『惣國風土記』(この書は偽書とされている)

 

小林市〕

・霧島岑神社(瓊々杵尊 木花咲耶姫命 彦穂々出見尊 豊玉姫命 鵜葺草葺不合尊 玉依姫命)

 

〔高千穂町〕

・天岩戸神社西本宮(大日孁尊  配祀  手力男命 天鈿女命 大年神 素盞嗚尊 日子穗穗手見命 豊玉毘賣命 菅原道眞(御旅所に祀る)

・天岩戸神社東本宮(天照皇大神)

・高千穂神社(高千穗皇神 天津彦火瓊々杵尊 木花開耶姫命  彦火火出見尊 豊玉姫命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命/配祀  十柱大明神 三毛入野命 鵜目姫命  太郎命 二郎命 三郎命 畝見命 照野命  大戸命 靈社命 淺良部命 他七柱を合祀)

 

高原町〕

・霧島東神社(伊弉諾尊 伊弉冉尊  配祀  天照大神 瓊瓊杵尊 天忍穗耳尊 彦火火出見尊  鸕鷀草葺不合尊 神日本磐余彦尊)

・狹野神社(神日本磐余彦尊  配祀  吾平津姫命 天津彦火瓊瓊杵尊 木花開耶姫命  彦火火出見尊 豊玉姫命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命)

 

西都市〕

・印鑰神社(西都)(大己貴命)

・都萬神社(木花咲耶姫命)

・三宅神社(西都)(天津彦火々邇々杵尊/配祀  天児屋根命 天太玉命/相殿  木花開耶姫命 神日本磐余彦命 誉田別尊  石凝姥命 大物主命 玉屋之命 天鈿女命 降臨供奉六十四神  他三十九神合祀)

 

都城市〕

・東霧島神社(主座  伊弉諾尊/相殿  伊弉册尊 神日本磐余彦尊 瓊々杵尊 木花開耶姫命 彦火々出見尊  豊玉姫命 葺不合尊 玉依姫命 狭野尊)

 

日南市〕

・鵜戸神宮(鸕鷀葺不合尊 大日孁貴尊 天忍穂耳尊 彦火瓊々杵尊 彦火々出見尊 神日本磐余彦尊)

 

⑦鹿児島県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔屋久島町〕

・益救神社(天津日高彦火々出見命(山幸彦)/配祀  大山祇命 木花開耶姫命 塩土翁  豊玉彦命 豊玉姫命 玉依姫命)

 

〔薩摩川内市〕

・九樓守公神社(九樓社:甕速日神/守公社:饒速日神)

・新田神社(天津彦彦火瓊瓊杵尊/相殿  天照大神 天忍穂耳尊)

 

〔指宿市〕

・枚聞神社(大日孁貴命/配祀  五男三女神(天之忍穂耳命 天之穂日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野櫲樟日命)  (多紀理毘売命 狭依毘売命 多岐都比売命))

 

〔鹿児島市〕

・照国神社(照国大明神(島津斉淋公))

 

〔出水市〕

・加紫久利神社(天照皇大神/配祀  多紀理毘賣命 表筒男命 中筒男命 底筒男命 誉田別命 息長帶比賣命/合祀  伊邪那岐命 伊邪那美命)

 

〔霧島市〕

・大穴持神社(大己貴命/配祀  少彦名命 大歳命)

・鹿児島神宮(天津日高彦穗穗出見尊 豊玉比賣命/相殿  帶中比子尊 (仲哀天皇)  息長帶比賣命 (神功皇后)  品陀和氣尊 (応神天皇)  中比賣命 (応神天皇の后,仁徳天皇の母))

・韓國宇豆峯神社(五十猛神)

・霧島神宮(天饒石國饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊/相殿  木花咲耶姫尊 彦火火出見尊 豊玉姫尊  鸕鷀草茸不合尊 玉依姫尊 神倭磐余彦尊)

・祓戸神社(国分)(伊邪那岐尊 伊邪那美尊  瀬織津姫神 気吹主神 速秋津姫神 速佐順良姫神/合祀  菅原道真公)

・宮浦宮(天神七代: 國之常立神/豊雲野神/ 宇比地邇神 妹須比地邇神/角杙神 妹活杙神/意富斗能地神 妹大斗乃辨神/淤母陀琉神 妹阿夜訶志古泥神/伊邪那岐神 伊邪那美神:地神五代:天照大御神  天之忍穗耳尊  天津日高彦火邇々杵尊  天津日高彦火々出見尊  天津日高彦波限建鵜葺草葺不合尊/神武天皇(神倭磐余彦尊、若御毛沼命)

 

⑧沖縄県(参照:神社記憶 神社探訪

 

〔宜野湾市〕

・普天満宮(熊野権現  伊弉冉尊 速玉男命 事解男命 天照大御神 家都御子神  琉球古神道神  日の神 竜宮神(ニライカナイ神) 普天間女神(グジー神))

 

〔金武町〕

・金武宮(伊弉冉尊 速玉男神 事解男神)

 

〔那覇市〕

・安里八幡宮(神功皇后 應神天皇 玉依姫)

・天久宮(天龍大御神 天久臣之姫大神 泊龍宮神 弁天負泰彦大神 弁財天  伊弉冉尊 速玉男神 事解男神)

・沖縄神社(舜天王 尚圓王 尚敬王 尚泰王 源爲朝)

・沖宮(中央の御座:御先  女天神代  天受久女龍宮王御神/ 中  女天神代  天智門女龍宮王御神/今  女天神代  天受賀女龍宮王御神  又の名  天照大御神:相殿左の御座  神代一代  父御神  天龍大御神/母御神  天久臣乙女王御神  天芳子乙女王御神・天仁子乙女王御神・天来子乙女王御神:相殿右の御座  熊野三神  伊弉册尊 速玉男命 事解男命)

・識名宮(伊弉册尊 速玉男命 事解男命  午ぬふぁ神 識名権現(女神))

・末吉宮(伊弉冉尊 速玉男神 事解男神)

 

・波上宮(左神座  伊弉册尊 速玉男尊  右神座  事解男尊  相殿  竈神(火神) 産土神(鎮守神) 少彦名神(薬祖神))   


3 図書紹介


(1)神社に隠された大和朝廷統一の秘密


(1ー1)概要


(引用:河出書房新社HP&購入本)

神社に隠された大和朝廷統一の秘密

武光誠著 河出書房新社刊 2019年 

1)表紙等コメント

(表カバーコメント)

 奈良盆地の倭(やまと)氏、葛城(かつらぎ)氏、物部(もののべ)氏らと結び、出雲(いずも)氏、安曇(あずみ)氏、津守(つもり)氏ら地方豪族を徐々に従え、数百年かけて「日本」をまとめた大和朝廷。その ” あまりにも融和的 ” な過程の背後には、日本人独特の思想や信仰があった。

朝廷や豪族が祭った神社に注目すれば全国統一の真実が見えてくる! 

 

(表帯タイトル)

 大神神社・伊勢神宮・出雲大社・熊野大社・住吉大社・志賀海神社・熱田神宮・石上神宮・菅原神社・枚岡神社・春日大社・伏見稲荷・・・

神社とその祭神は古代王権の成立にどう機能していたのか?!

◆王家の祖先神は、何故大物主神から天照大神に変わったのか?

◆物部氏などの豪族の神社が日本各地で祭られたのは?

◆出雲氏が大和朝廷に従ったことがきっかけで祭った神社とは? 

 

(裏帯タイトル)

◆大物主神は、いかにして大和の神から「天皇霊」になったのか?「大神神社」

◆6世紀の朝廷が出雲神話に「国譲り」を加筆した意味とは?「出雲大社」

◆一宮(いちのみや)に、出雲系の神・大国主命を祭る神社が多いのは?「氷川神社など」

◆地方の中流豪族・宗像(むなかた)氏の祭祀に王家が深く関わったのは?「宗像大社」

◆朝廷の実力者だった物部氏が、祭神・神話に込めた首長とは「石上神宮」

◆そもそも、なぜ奈良から遠い伊勢で皇祖神がまつられたのか?「伊勢神宮」

王家の「神系譜」に各地の氏神を結び付けることと全国統一とは不可分の関係だった! 

 

2)目次

第1章 大和朝廷の黎明期に王家と中央豪族が祭った神々

第2章 謎の多い出雲大社の起源と出雲の豪族が祭った神々

第3章 ごく早い時期から、王家がじかに把握した地方の神社

第4章 王家を支えた物部氏と点在する物部氏がらみの神社

第5章 中央集権をまざす王家が祭った天照大神とその他の神

第6章 急成長した中臣氏を介して王家と繋がった神と神社

第7章 記紀の完成までに、皇室の神系譜に入った神・入らなかった神 

 

3)プロローグ(抜粋)

 日本と言う国をまとめた神道 ー プロローグ

◎長い年月をかけて、日本は一国にまとまった

◎そもそも神道の「神」とは何か

◎神道の発展氏神の起源

◎天武天皇が伊勢神宮を創始し、神社の社殿を広めた

◎「同祖関係」で中央とつながった地方豪族

◎6世紀に起きた中央集権化と天皇による神社統轄 

 

4)著者紹介(引用:同書・カバー裏説明)

 武光 誠 1950年、山口県生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。同大学院博士課程修了。文学博士。2019年3月に明治学院大学を定年で退職。専攻は日本古代史、歴史哲学。比較文化的視点を用いた幅広い観点から日本の思想・文化の研究に取り組む一方、飽くなき探求心で広範な分野にわたる執筆活動を展開している。

 

 著書に『日本人も知らない やまとことばの美しい語源』『日本人は先祖をどう祀ってきたか』『知れば驚く 神社の名前の謎』(いずれも小社刊)『「国境」で読み解く世界史の謎』(PHP研究所)『歴史書「古事記」全訳』(東京堂出版)『日本人なら知っておきたい日本』(扶桑社)『日本人なら知っておきたい!所作の「型」』(青春出版社)など多数。


(1-2)内容(小見出しから)


(引用:河出書房新社HP&購入本目次)

※神社のリンク先はWikipedia当該記事

第1章 大和朝廷の黎明期に王家と中央豪族が祭った神々 

 

◎ゆるい連合体ゆえ、大物主神ら各々の氏神が並び立った

※初期の大和朝廷は、様々な髪を祭る豪族の集合体だった

 

 大和川系の水運を利用して成長した大和朝廷/土地を守る国魂の神は山の登り口で祭られた/首長の祖先を「土地を守る神」とした王家/国魂を祭る神を祖先神とした首長たち 

 

大神神社なぜ、大王の守り神から疫病除けの神に替わったのか

 三輪山を御神体とする大神神社/三輪山の頂上で行われた太陽神の祭祀/大物主神は国魂の神かつ首長霊で皇祖神/三輪山で大王が行った「国見」とは/首長霊信仰は日本統一のカギだった/大神神社を疫病除けに変えた、天照大神の誕生 

 

大和神社一豪族の神社だったが、6世紀に大和一国の国魂の祭祀を扱うように

 王家配下の倭氏が国魂の神を祭ったところ/大和大国魂を合祀して王家の祭祀に 

 

葛城一言主神社大物主神と並ぶ力を持つとされた葛城山の神とは

 4,5世紀に王家に次ぐ勢力を誇った葛城氏/葛城氏の嫡流は滅ぶが、神社は王家に尊重された 

 

鴨都波神社一言主大神に仕えた神が、なぜ後世に大国主命の子神となった? 

 

宗我坐宗我都比古神社蘇我氏、巨勢氏、和珥氏・・中央豪族の氏神はいかに祭られたか 

 

第2章 謎の多い出雲大社の起源と出雲の豪族が祭った神々 

 

◎大国主命を戴く神話と祭祀は大和に影響を及ぼした

※出雲氏と神門氏が祭ってきた神は、いつ大国主命になったか

 

 出雲という「国」の統一を示唆する荒神谷遺跡/大国主命と出雲神話は、一国の神の祭祀が整って生まれた 

 

出雲大社国造の代表となった出雲氏が祭った神社

 朝廷が最も重んじた地方の神社/吉備・大和・出雲を結ぶ線/出雲大社の祭り手が神門氏から出雲氏へ/刀剣の授受を介して大和朝廷とつながった地方豪族/国造になった出雲氏、解体された吉備氏/中臣氏接近し、国造の代表となった出雲氏 

 

熊野大社「出雲の熊野大社」はなぜ出雲大社より”格上”なのか

 和歌山の熊野大社とは無関係/天照大神の弟神から出雲の神々の祖先神に 

 

須佐神社須我神社八岐大蛇伝説を創作した出雲氏ゆかりの神社 

 

佐太神社野城神社それぞれの祭神から出雲氏との関係がわかる 

 

大国主命ゆかりの出雲の神々出雲の神社は2段階を経て朝廷の管理下に入った

 延喜式内社の数が3番目に多い/出雲氏や朝廷から独立した神を祭る神社も

 

各地の大国主命を祭る神社国魂の神のおおもと・大国主命を祭り続けた地方豪族

  大国主命を祭る神社が一宮、二宮となったわけ/出雲とつながりを持つ地方豪族が興した有力神社 

 

第3章 ごく早い時期から、王家がじかに把握した地方の神社 

 

◎”例外”の陰には勢力拡大の野望があった

※王家が重視した海上交通路上の神社とは 

 

宗像大社宗像三神の祭祀は大和朝廷に従ったのち、どう変化したか

 宗像氏が辺津宮で祭った海の神・宗像三神/4世紀、王家によって沖ノ島祭祀が始まった/「海の正倉院」に残された供物とその変化/朝廷から重んじられ、三神は素戔嗚尊の娘に 

 

住吉大社大阪湾沿岸の航海民が祭る神社を、大和朝廷が重んじたわけとは 

 

志賀海神社綿津見三神を祭る九州の安曇氏が、4世紀に大阪に遷ったわけ 

 

吉備津彦神社と吉備津神社大和朝廷は、なぜ吉備一族の盟主を討ったのか?

 早い時期に大和朝廷に従った吉備の豪族連合 

 

赤城神社関東以北を意識した王家に優遇された豪族が祭った神社

 北関東の豪族と結んで会津を従えた大和朝廷/王家の同族とされた上毛野氏の氏神を祭る 

 

伊弉諾神宮多賀大社天照神話にゆかりの「たが」の地を大和朝廷は重要視した 

 

第4章 王家を支えた物部氏と点在する物部氏がらみの神社 

 

◎なぜかれらだけが、全国の豪族に影響を与ええたか

※王家との二頭政権で国を整えた物部氏 

 

石上神宮剣の神を祭る古い豪族・物部氏はいかに成長していったか

 物部氏の本拠「布留」の地を守る国魂の神/古墳からうかがえる物部氏の勢力/王家にとって物部氏が重要だった二つの理由/物部氏が献じた刀剣が神武天皇を助けた/大和朝廷の全国進出を補佐し、地方豪族を組織する/王家から神宝の剣の管理を任される 

 

熱田神宮一豪族の神社で「三種の神器」草薙剣が祭られている謎

 カバネと神系譜でわかる物部氏との”蜜月ぶり”/尾張氏が朝廷で重用され、日本武尊の伝説は創られた/物部氏の没落で自家の神系譜を変えるが・・・ 

 

北野天神社(物部天神社)「物部」の名が全国に残るわけ

 氏神を変えずに、地方豪族は「物部」を名乗った/物部氏の祖先神を祭った有力神社 

 

鷺宮神社などー物部氏と親しかった土師氏の勢力がうかがえる

  武蔵の土師氏が興した土師宮/浅草寺の草創にかかわっていた/物部氏とつながるが、従来の祖先神を祭り続ける/土師氏関連の神社に菅原道真が合祀されたわけ/周防の土師氏が祭った有力な天満宮

 

第5章 中央集権をまざす王家が祭った天照大神とその他の神 

 

◎”ゆるいつながり”から一転、6世紀に起きた変化とは

※従来の豪族連合から脱皮し、統制を強めた大和朝廷 

 

檜原神社国魂の神々の上に立つ太陽神・天照大神はどのように創られたか

 「元伊勢」と呼ばれた、王家による太陽神祭祀の地/大神神社と檜原神社の共通点とは/太陽神は、古くは男性の神だった/最高神・天照大神はなぜ女神にされたのか/「合祀」という考え方は日本古来の精霊崇拝から 

 

皇大神宮(伊勢神宮の内宮太陽神を祭る伊勢の豪族・渡会氏と王家との密接な関りとは

 天武天皇が伊勢に神宮を創建し、そこは神の国になった/伊勢独特の「海の果てから来る」太陽神の祭祀/皇祖神の祭祀に伊勢の祭式が取り入れられる 

 

豊受大神宮(伊勢神宮の外宮)渡会氏はなぜ、京都の食物の神を外宮の神としたか

 天照大神に仕えて食物を調達する神/皇室が内宮を造り、渡会氏が本拠地に外宮を造った 

 

広瀬神社神社統制を進めるため、「広瀬の河曲」で王家が農耕神を祭った 

 

龍田大社広瀬神社とともに王家に重んじられ、龍田風神祭は重要な祭祀に 

 

第6章 急成長した中臣氏を介して王家と繋がった神と神社 

 

◎中小豪族を組織し、祭祀を整えて中央集権化を助けた

※官制が発展する中、「祭官」の職を通じて力をつけた中臣氏 

 

枚岡神社なぜ、奈良が拠点の中臣氏が大阪の神社を祭ったのか?

 平岡氏を取り込み、その有力な神社を氏神に/「トモ制」の発展を支えた渡来人/祭祀担当のトモとして神話を整える 

 

鹿島神宮「東国の武神」を中臣氏が神話に加えたわけとは

 国譲り神話で活躍した神を祭る/」物部氏に代わり、東国の豪族を組織した中臣氏 

 

香取神宮鹿島神宮とともに重んじられた剣の神 

 

春日大社春日氏ではなく、中臣氏から分かれた藤原氏の氏神

 平城京への遷都後、藤原氏が春日山の祭祀を始めた?/文人貴族の新たな家をひらいた藤原不比等/鹿島と香取の神を春日大社に迎えたのは、なぜか? 

 

第7章 記紀の完成までに、皇室の神系譜に入った神・入らなかった神 

 

◎日本中の神が皇祖神とつながことは、何を意味するか

※神系譜に組み込まれた神々と、独立神の立場を守った神々 

 

伏見稲荷神社秦氏が祭った神の系譜が、『古事記』と『日本書紀』で異なる謎 

 

松尾大社日吉大社氏神の大山咋神が素戔嗚神の孫とされたわけ 

 

宇倍神社引田部神社異なる経緯で中央豪族の氏神を祭った神社

 中央の有力豪族の祖先神を祭る地方豪族/欠史8代が創作され、皇室の系譜と結びつけられた氏族 

 

気比神宮独立神だが、王家が重んじたために神話にはその名を残す 

 

日前・国懸神社二社で一つなのに、なぜ神話には日前神宮の記述しかないのか 

 

熊野大社宇佐八幡宮記紀の成立以降に朝廷と関係を深めた有名神社


(1-3)関連事項


 (引用:河出書房新社HP&購入本抜粋)

作業中

1)天照大神の祭祀の変遷 

1.1)大神神社:大物主神は国魂の神かつ首長霊で皇祖神

 

1.2)檜原神社:大神神社を疫病除けの神に変えた、天照大神

*崇神天皇の時代まで天照大神は天皇と「同床共殿」であったと伝えられる。 

 

崇神天皇6年に天皇が王女豊鍬入姫尊(とよすきいりひめのみこと)に笠縫邑で天照大神を祭らせ、彼女の妹の渟名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)(大和を守る国魂の神)の祭祀を命じた。しかし渟名城入姫命は髪が抜け、やせ衰えてしまって祭りが出来なくなった。

 

*そのため夢のお告げにより崇神天皇は、倭氏の祖先の市磯長尾市(いちしのながおいち)倭大国魂神の祭祀を、大三輪氏の祖先の大田田根子(おおたたねこ)大物主命の祭祀を担当させるようにした。(P44) 

 

1.3)天照大神の変遷:元伊勢(引用:Wikipedia) 

元伊勢(もといせ)は、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所。

 

〔天照大御神〕

*伊勢神宮内宮の祭神・天照大御神は皇祖神であり、第10代崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」であったと伝えられる。

 

*すなわちそれまでは皇居内に祀られていたが、その状態を畏怖した同天皇が皇女・豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑磯城の厳橿の本に「磯堅城の神籬」を立てたことに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座したとされる。

 

*遷座の経緯について、『古事記』ではこれを欠くが、『日本書紀』で簡略に、『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく、そして中世の『神道五部書』の一書である『倭姫命世記』において、より詳しく記されている。

 

〔豊受大御神〕

*外宮の祭神である豊受大御神は、『古事記』『日本書紀』に記載を欠いている状況であるものの、『止由気宮儀式帳』『倭姫命世記』によれば、第21代雄略天皇の時代に天照大御神の神託によって丹波国(丹後国)から遷座したと伝えられている。 

※鎮座地の変遷:元伊勢一覧 

 

1.4)皇祖神の変更:6世紀に起きた中央集権化と天皇による神社統轄 

6世紀初めに継体天皇が登場したあと、王家は急速に中央集権を志向するようになる。まず、継体天皇の意向で、日本の神々の頂点に立つ最高神天照大神(あまてらすおおみかみ)の祭祀が行われた。(P20)

 

*継体天皇の出現で、大和朝廷のあり方は一変した。かれは大王の権威を高めて、中央や地方の豪族の支配を強化すべきだと考えたのだ。具体的には、太陽神である天照大神を新たな皇祖神として、天照大神を中央や地方の豪族が祭る国魂(くにたま)の神の上位に位置付ける政策を打ち出した。(P159)  

 

1.5)伊勢神宮:天武天皇が伊勢神宮を創始し、神社の社殿を広めた

*これまで祭祀を行う神聖な場所は、注連縄が張られたり神籬(ひもろぎ)という特定の目印がおかれ、亦、神を迎える仮屋が設けられることも有った。そのような仮屋は祭祀のあと解体された。

 

6世紀半ば仏教が伝来したあと、寺院の大陸風の建物があちらこちらに造られ、そこで仏事が開かれるようになる。

 

*それでも神々の祭祀はかなりの期間、特定の神聖な場所で行われていた。古くからの伝統が守り続けられたのである。

 

*しかし7世紀なかばから、王宮や官庁の立派な建物が広まっていく中で「日本を高い文化をもつ国にしていくために、われわれは中国をみならって、神社にも壮大な建物を造るべきだ」という発想も生じてきた。

 

*この発想から天武天皇は、即位間もなく伊勢神宮の建設に取りかかる。更に天武10年(681)、全国の国司に、任地の神社の社殿を建設せよという詔(みことのり)を出した。最初は朝廷の地方官の手で、各地の神社が造られていったのである。  

 

2)屯倉(引用:Wikipedia抜粋)

 屯倉(みやけ)は、ヤマト王権の支配制度の一つ。全国に設置した直轄地を表す語でもあり、のちの地方行政組織の先駆けとも考えられる。屯倉は、ヤマト政権の直轄地経営の倉庫などを表した語である。それと直接経営の土地も含めて屯倉と呼ぶようになった。屯倉は、直接経営し課税する地区や直接経営しないが課税をする地区も含むなど、時代によってその性格が変遷したらしいが、詳しいことは分かっていない。大化の改新で廃止された。

 

 屯倉制度は、土地支配でなく、地域民衆の直接支配である。管理の仕方や労働力は多様であり、屯倉の経営は古墳の発達と関係しており、概観すると5世紀を境に前期屯倉後期屯倉に分かれている。

 

 前期屯倉は、顕宗(けんぞう)仁賢(にんけん)朝以前にできたという伝承をもつ屯倉であり、その設置地域は、朝鮮半島を除き畿内またはその周辺部に限られている。

 

 これらの屯倉は大王自らの力で開発され経営された。たとえば、倭屯倉は、垂仁朝や景行朝に大王自らが設置したと『記・紀』に伝えられているもので、その地は現在の奈良県磯城郡三宅町の地を中心とした一帯であると推定されている。5世紀頃であると考えられている。

 

 継体天皇22年(528年)九州に糟屋屯倉が置かれ、続く安閑天皇期には関東以西の各地に数多くの屯倉が設けられた。

 

 安閑天皇元年(534年)には伊甚屯倉をはじめ10個ほどの屯倉が、翌年には筑紫国に穗波屯倉・鎌屯倉の各屯倉、豊国に滕碕屯倉・桑原屯倉・肝等屯倉・大拔屯倉・我鹿屯倉など20個あまりの屯倉が設置されたことが『日本書紀』にみえる。


(2) 日本神話の「謎」を歩く


日本神話の「謎」を歩く~幾千年の時空の彼方へ

藤井勝彦著 天夢人刊 2018年

(帯表コメント)

記紀神話を机上体験!

全国450か所以上の伝承地を取材

書き下ろし・撮り下ろしの最新日本神話探訪ガイドが誕生

(帯裏コメント)

「日本」とは何か?答えを見つける旅に出よう!

第1章◎神代の時代 なぜ国のはじまりが淡路島なのか? 他5ルート

第2章◎王権のはじまり 神武天皇は本当に日向の国に生まれたのか? 他11ルート

第3章◎邪馬台国はどこ? 『魏志』「倭人伝」の行程記事をどう読むべきか? 他3ルート

第4章◎統一王朝の始まり  大仙陵古墳に葬られているのは誰なのか? 他9ルート

第5章◎奈良から平安の都へ 聖武天皇はなぜ平城京から逃げ出したのか 他3ルート 

 

●著者紹介(ー当該書籍著者紹介より)

 藤井勝彦 1955年、大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。編集プロダクション・フリーポート企画代表を経て、2012年より著述業に専念。『邪馬台国』『世界遺産富士山を行く!』『中国の世界遺産』『三国志合戦事典』『写真で見る三国志英雄たちの足跡』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』『世界の国ぐにビジュアル事典』など、日本及び中国の古代史関連の書籍を多数出版している。 

 

●出版紹介(ー当該書籍出版紹介より)

・2018年12月3日初版第1刷発行 

・著者:藤井勝彦 

・発行人:勝峰富雄 

・発行所:株式会社天夢人 〒107-0052東京都港区赤坂6丁目6番24号3階

・発売:株式会社山と渓谷社 〒101-0051東京都千代田区神田神保町1丁目105番地

・印刷・製本:大日本印刷株式会社 


(3)瀬織津姫について


(3-1)瀬織津姫(Wikipedia)


 瀬織津姫(せおりつひめ)は、神道の大祓詞に登場する神である。瀬織津比咩・瀬織津比売・瀬織津媛とも表記される。古事記・日本書紀には記されていない神名である。

 

 1)概要

 水神や祓神、瀧神、川神である。九州以南では海の神ともされる。祓戸四神の一柱で祓い浄めの女神。人の穢れを早川の瀬で浄めるとあり、これは治水神としての特性である。 

 

 『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』『中臣祓訓解』においては、伊勢神宮内宮別宮荒祭宮の祭神の別名が「瀬織津姫」であると記述される。

 

 なお、荒祭宮は、かつては正宮に位置していたと推定される。伊勢神宮公式の由緒書きに、「その御魂をこのように二宮に並べてお祭りするのは、皇大神宮に天照大神を、同別宮に天照大神の荒御魂を奉祀する姿の古い形と言われています。」 と記されている。

 

 このとおりであれば、正宮は、式年遷宮のたびに位置を替えるのではなく、常に東に位置する正宮は天照大神、西に位置する正宮は瀬織津姫を祀っていたこととなる。 

 

 『ホツマツタエ』 では、日本書紀神功皇后の段に登場する撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)と同名の向津姫瀬織津姫と同一神とし、天照大神の皇后とし、ある時は天照大神の名代として活躍されたことが記されている。

 

 瀬織津姫は穂乃子という名でも登場する。瀬織津姫穂乃子という。この瀬織津姫は本当の瀬織津姫かは、ホツマツタエが偽書であるかないかとともに、真偽が問われる部分である。 

 

 また六甲比命講は、瀬織津姫を祭神としている最も古い神社は、兵庫県神戸市に鎮座する六甲比命神社(兵庫県神戸市)と考えられるとし、六甲比命大善神の磐座の存在が六甲の山名の由来であると推定し、またこれらは『ホツマツタエ』の記述から導き出されたものであるとする。

 

2)関連する神

 饒速日命(にぎはやひのみこと)との関連もあると言われる。また、瀬織津姫は天照大神と関係があり、天照大神の荒御魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)とされることもある。「西宮」の地名由来の大社である廣田神社(兵庫県西宮市)は、天照大神荒御魂を主祭神としているが、戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていた。

 

 御神体の神鏡は、元は宮中の賢所に祀られていたのだが、武内宿禰・神功皇后の御代に 廣田神社へ遷した ことが、廣田神社由緒書きに記されている。この時期に神社祭祀に大きな変更が加えられた可能性がある。天照大神との関わりは、謎が多い。 

 

 その他では宇治の橋姫神社では橋姫と習合(同一視)されている。

 

 祇園祭鈴鹿山の御神体は鈴鹿権現として、能面をつけ、金の烏帽子をかぶり長刀と中啓を持つ瀬織津姫を祀る。伊勢の鈴鹿山で人々を苦しめる悪鬼を退治した鈴鹿権現の説話に基づく。

 

 熊野神社を遡り調べると熊野権現瀬織津姫なりという説がある。大和政権がエミシ征伐の際、熊野権現を守り神とし北へ向かった。制圧した後、気仙沼市唐桑町に瀬織津姫神社、熊野神社などが鎮座した。東日本大震災の津波により流されたが、現在は再建されている。

 

3)瀬織津姫を祭神とする神社

瀧澤神社(宮城県仙台市青葉区本町2-11-7)祓戸大神=瀬織津姫/宇奈己呂和気神社(福島県郡山市)

/日比谷神社(東京都港区)/小野神社(東京都多摩市)/小野神社(東京都府中市)/瀧川神社(静岡県三島市)/瀬織津姫神社(石川県金沢市)/池宮神社(静岡県御前崎市桜ヶ池)/槻神社(愛知県北設楽郡東栄町)/片山神社(三重県亀山市)/佐久奈度神社(滋賀県大津市)/建水分神社(大阪府南河内郡千早赤阪村)/井関三神社(兵庫県たつの市)/六甲比命神社(兵庫県神戸市)※巨大な磐座をご神体とし、縄文時代に成立したと考えられることから、瀬織津姫を祀る神社の総本宮的な位置づけでとらえられている。/速川神社(宮崎県西都市)/早池峰神社(岩手県遠野市、花巻市大迫町他)/佐久奈止神社(長崎県西海市)

 

3.1) 天照大神の荒魂としての瀬織津姫を祭神とする神社

 伊勢神宮(三重県伊勢市)/御霊神社(大阪府大阪市中央区)/山口大神宮(山口県山口市)/廣田神社(兵庫県西宮市大社町)/朝宮神社(徳島県名東郡佐那河内村)/和布刈神社(福岡県北九州市門司区)

 

3.2)代表的な神社

3.2.1) 六甲比命神社

  六甲比命大善神社(ろっこうひめだいぜんじんじゃ)は、兵庫県神戸市灘区六甲山町にある、荘厳な磐座をご神体とする神社である。六甲山頂尾根付近に位置し、近くには六甲山カンツリーハウス敷地内に天穂日命の磐座もある。

 

 仰臥岩、雲が岩、心経岩の中間地点に位置する壮大な磐座が御神体で、7世紀にインドから渡来した法道仙人が創建した吉祥院多聞寺(神戸市北区唐櫃)の奥の院となっている。

 

●祭神

 六甲比命大善神(弁財天・吉祥天) = 撞賢木厳魂天疎向津姫(瀬織津姫)

 祭神名は六甲の山名の変遷とともに変わってきたようである。水の神としての神徳は六甲周辺において、日本三大名泉の有馬温泉布引の滝のKOBE WATER、灘五郷の宮水に顕著である。

 

 六甲山は江戸時代以前には武庫という漢字があてられ、むこうやま、むこやまと呼ばれ、さらに古くは、賀茂真淵の『冠辞考』あまざかるの項に記されているように、向かつ峰の名が伝わるので、祭神名は当初はむかつひめと呼ばれ、近世まではむこうひめとよばれていたと思われる。六甲は「むかつ」と読める。 

 

 六甲山は、かつて西宮市廣田神社の社領であり、廣田神社祭神、撞賢木厳魂天疎向津姫(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ 又の名を瀬織津姫と六甲山の旧名の向かつ峰の名称が一致する。

 

●歴史

 六甲比命神社の磐座は天然に出来たものではなく縄文時代のころ、縄文人たちの手によって巨石を積み上げて出来た人工の磐座である。 一説によれば縄文中期(BC5,000年頃)に出来たのではないかと言われている。

 

 役行者の縁者、四鬼家が奈良の天川村の洞川より唐櫃に移住して、西六甲の山を管理していた。

 

 六甲比命講によると、「かつては廣田神社奥宮で、さらに天照坐皇大御神荒御魂をお祀りする伊勢神宮内宮別宮荒祭宮奥宮でもあったと考えられる」そうである。

 

 ちなみに、荒祭宮は、遷宮制度が導入される以前、内宮正宮の西側敷地で祀られていたことが、伊勢神宮の公式の由緒書きに記されている。

 

 また六甲比命講は、六甲比命が向か津姫=瀬織津姫と同一の神であることを特定し、六甲比命大善神の磐座の存在が六甲山の山名の由来であると推定しているが、これらは『ホツマツタエ』の記述から導き出されたものであるとする。

 

 瀬織津姫を主祭神としている神社の総本宮と位置づけうる神域とされる。

 

 7世紀、インドからの渡来僧侶法道仙人が六甲山吉祥院多聞寺 (神戸市北区)を創建した際、六甲比命神社境内の雲ヶ岩に毘沙門天(多聞天)が降臨したことから、多聞寺の奥の院となった。毘沙門天吉祥天は仏教本尊の中では珍しく、夫婦の関係である。

 

 その後、江戸時代までは寺院と神社で共同管理されていたが、明治政府の神仏分離政策によって、境内の雲ヶ岩や法道仙人が作った心経岩は分けて管理されるようになった。

 

 現在は多聞寺と六甲比命講によって共に管理され、秋には六甲比命講と多聞寺住職による護摩供養が催されている。

 

3.2.2)廣田神社

 廣田神社(ひろたじんじゃ、広田神社)は、兵庫県西宮市大社町にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

 

●祭神

・主祭神 - 天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと))

     伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と同体。

・脇殿神 - 住吉大神、八幡大神、武御名方大神、高皇産霊神。

 

●歴史

 日本書紀に当社の創建のことが書かれている。神功皇后三韓征伐に出発する際、天照大神の神託があり、和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうと言った。

 

 皇后の留守の間に忍熊王が神功皇后とお腹の中にいる皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと明石で待ち伏せていた。戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。

 

 しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」と。そこで皇后は、山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られた。これが廣田神社の創建である。

 

 このとき、生田神社・長田神社・住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、それぞれの神社の鎮座が行われた。すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。

 

 朝廷より篤い崇敬を受け、貞観10年(868年)に従一位に叙せられた。『延喜式神名帳』では名神大社に列し、白河天皇の時代には二十二社の一社とされ、たびたび奉幣勅使の派遣があった。

 

 平安時代後期より、神祇伯白川家との関係が深く、代替わりのごとに当社に参詣していた。中世には和歌の神として信仰されるようになり、社頭にて何度か歌合せが行われている。

 

 元暦元年(1184年)源頼朝が当社に平氏の討伐を祈願して淡路国・広田荘を寄進している。慶長9年(1604年)には豊臣秀頼によって大規模な社殿の改築が、末社の戎社(現・西宮神社)共々行われている。

 

 当初は甲山山麓の高隈原に鎮座し、後に御手洗川のほとりに遷座したが、水害のため享保9年(1724年)に江戸幕府将軍の徳川吉宗により廣田山の地に遷座した。

 

 1871年(明治4年)には官幣大社に列格した(兵庫県で最初。伊弉諾神宮は1931年(昭和6年)に列格)。かつて「向か津峰」と呼ばれた六甲山全山は、元は廣田神社の社領であったという。

 

 六甲山大権現を古くからの祭神とする六甲山神社(むこやまじんじゃ)(石の宝殿=現廣田神社の摂社)六甲比命神社(むこひめじんじゃ)がかつての奥宮と考えられる。

 

 六甲比命神社は、インドの渡来僧法道仙人によって大化の改新の頃に、付近の心経岩・雲ヶ岩とともに、唐櫃(からと)の吉祥院多聞寺 (神戸市北区)(本尊は毘沙門天・吉祥天・禅膩師童子)奥の院とされた。六甲山東麓の社家郷山は廣田神社宮司家の所有地であったその名残という。

 

 1945年(昭和20年)8月6日の西宮空襲によって社殿を焼失する。空襲による全焼までは廣田山に鎮座していたが、戦後その東側の現在地に移転している。1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。

 

 本殿は伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を譲り受けて1963年(昭和38年)に竣工したが、1981年(昭和56年)に不慮の火災によって焼失した。1984年(昭和59年)に現在の本殿が完成し、2001年(平成13年)に鎮座1800年の喜節を迎えた。

 

 廣田神社を中心とする神社群は、京から西国方向を目指す街道上にある神社ということで「西宮」(にしのみや)とも呼ばれていた。「西宮」の語は、後に廣田神社の神郷一帯(現在の神戸市東部から尼崎市西部まで)を指すようになったが、行政区画では廣田神社が武庫郡大社村、戎社(現・西宮神社)が西宮町となり、現在は町村合併により西宮市に含まれている。

 

 えべっさんで有名な西宮神社は元は廣田神社の摂社、浜南宮で、西宮神社境内社の南宮神社がその名残である。 

 

4)その他

 平成27年(2015年)10月27日現在、「瀬織津姫」の神名は、個人の経営する民間企業(有限会社ヤンズ)によって商標登録されている(登録番号第5415463号)

 

 神の名、またはそこから派生した語の商標登録として「アマテラス」「天照」「スサノオ」「ゼウス」「ガネーシャ」などが多数あるが、そのほとんどが商品・役務の指定を自社の製品・サービスにて使用する最低限の範囲に留めているのに対して、「瀬織津姫」にかかる指定が広範囲な43項目に対してされていることは、前例のない極めて異例のことである。

 

5 )関連項目

5.1)  祓戸大神

祓戸大神 - Wikipedia

(引用:Wikipedia)

 祓戸大神(はらえどのおおかみ)とは、神道において祓を司どる神である。祓戸(祓所、祓殿)とは祓を行う場所のことで、そこに祀られる神という意味である。

 

 神職が祭祀に先立って唱える祝詞である「祓詞」では「伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神等」と言っており、祓戸大神とは、日本神話の神産みの段で黄泉から帰還した伊邪那岐命が禊をしたときに化成した神々の総称ということになる。

 

 なお、この時に大禍津日神・八十禍津日神(災厄を司る神々)神直毘神・大直毘神・伊豆能売(禍津日の災厄を直す神々)上津綿津見神・中津綿津見神・底津綿津見神(海の神々)住吉三神、三貴子(天照大御神・月読命・須佐之男命)も誕生しているが、これらは祓戸大神には含めない。「祓詞」ではこの祓戸大神に対し「諸諸の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へ」と祈っている。

 

 『延喜式』の「六月晦大祓の祝詞」に記されている瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸四神といい、これらを指して祓戸大神と言うこともある。これらの神は葦原中国のあらゆる罪・穢を祓い去る神で、「大祓詞」にはそれぞれの神の役割が記されている。

 

1⃣ 瀬織津比売神(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す

 

2⃣ 速開都比売神(はやあきつひめ) -- 河口や海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む

 

3⃣ 気吹戸主神(いぶきどぬし) -- 速開都比売神がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ

 

4⃣ 速佐須良比売神(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う

 

 速開都比売神を除いてこれらの神の名は『記紀』には見られず、『記紀』のどの神に対応するかについては諸説あるが、上述の伊邪那岐命の禊の際に化成した神に当てることが多い。

 

 本居宣長は、瀬織津比売八十禍津日神(やそまがつひ)に、速開都比売伊豆能売(いづのめ)に、気吹戸主神直日神(かむなおび)に当て、速佐須良比売は神名の類似や根の国にいるということから須勢理毘売命(すせりびめ)に当てている(当てているだけでその神と同一視されるほどのものではない)

 

 吉田神道では吉田兼倶著作とされる『中臣秡抄』などで、速佐須良比売はスサノヲの異名であるとしている。

 

 『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は、伊勢神宮内宮荒祭宮祭神の別名として瀬織津姫八十禍津日神を記している。

 

〔祓戸大神を祀る主な神社〕

佐久奈度神社(滋賀県大津市)/日比谷神社(東京都港区)/浦嶋神社(京都府与謝郡伊根町)/水野社(愛知県名古屋市中村区)

 

5.2)天照大神

 天照大神(あまてらすおおみかみ、あまてらすおおかみ)または天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に主神として登場する神。女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされる。『記紀』においては、太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。

 

 太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持つ。天岩戸の神隠れで有名な神で、神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮が特に有名。

 

※細部:「Wikipedia:天照大神」(URL:ttps://ja.wikipedia.org/wiki/天照大神)

 

5.3)ホツマツタエ

 『ホツマツタヱ』は、「ヲシテ」なる「文字」(いわゆる「神代文字」の一つである)を使っているいわゆる「ヲシテ文献」のひとつ。『古事記』『日本書紀』の原書であると根強く考える者も一部に存在する。

 

 五七調の長歌体で記され、全40アヤ(章)・10,700行余で構成された、肯定派の研究者によれば記紀の「原書」であるという、いわゆる「古史古伝」のひとつである。

 

 その成立時期は、記紀との内容比較から『古事記』『日本書紀』よりも古いという主張もあるが、写本の出現時期などからは少なく見積もった場合、江戸時代中期までしか遡れない。『春日山紀』(安永8年、1779)の存在による(『春日山紀』は、江戸時代当時の木版活版での印刷出版物である。岩波書店版『国書総目録』に記載あり)

 

※細部:「Wikipedia:ホツマツタヱ」(URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/ホツマツタヱ)

 

5.4) 大祓詞

 大祓詞(おおはらえのことば)は、神道の祭祀に用いられる祝詞の一つである。もともと大祓式に用いられ、中臣氏が専らその宣読を担当したことから、中臣祭文(なかとみさいもん)とも中臣祓詞(なかとみのはらえことば)とも略して中臣祓(なかとみのはらえ)ともいう。

 

 典型は延喜式巻八に六月晦大祓という題名で載る。一般に大祓詞という場合は大祓の参集者に宣り聞かせるものをいい、中臣祓という場合は神前に奏上する形に改めたものをいう。

 

※細部:「Wikipedia:大祓詞」(URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/大祓詞)

 

 〔大祓詞〕(抜粋)(引用:いにしえの都)(URL:https://spiritualjapan.net/11634/)

遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を

のこるつみはあらじと はらへたまひきよめたまふことを

 

高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ

たかやまのすゑ ひきやまのすゑより さくなだりにおちたぎつ

 

速川の瀬に坐す 瀬織津比売と云ふ神 大海原に持ち出でなむ

はやかはのせにます せおりつひめといふかみ おほうなばらにもちいでなむ

 

此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す

かくもちいでいなば あらしほのしほのやほぢのやしほぢの しほのやほあひにます

 

速開都比売と云ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば

はやあきつひめといふかみ もちかかのみてむ かくかかのみてば

 

氣吹戸に坐す氣吹戸主と云ふ神 根國 底國に氣吹き放ちてむ

いぶきどにますいぶきどぬしといふかみ ねのくに そこのくににいぶきはなちてむ

 

此く氣吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比売と云ふ神

かくいぶきはなちてば ねのくに そこのくににますはやさすらひめといふかみ

 

持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と云ふ罪は在らじと

もちさすらひうしなひてむ かくさすらひうしなひてば つみといふつみはあらじと

 

祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す

はらへたまひきよめたまふことを あまつかみ くにつかみ やほろづのかみたちともに きこしめせとまをす

 

 意味はというと

〔大祓詞(抜粋)大意〕(引用:いにしえの都)(URL:https://spiritualjapan.net/11634/)

 (祓い清められた全ての罪は) 高い山・低い山の頂上から、勢いよく流れ落ちてきて、渓流の瀬にいらっしゃる「瀬織津姫神」が大海原に流してくれるだろう。

 

 このように流された罪は、荒海の多くの流れが合わさって渦巻くあたりにいらっしゃる、

「速開都比売神」が、ガブガブと呑んでくれるだろう。

 

 このようにガブガブ呑まれた罪は、気吹戸にいらっしゃる「気吹戸主神」が、根の国・底の国に吹き払ってくれるだろう。

 

 このように吹き払われた罪は、根の国・底の国にいらっしゃる「速佐須良比売神」が、 どこか知らないところに持ち去って、罪という罪は全て祓い清めてくれる。 

 

6)出典・注釈

[1]  日本神話や外来神に登場する多くの水神の特徴とも一致する。日本神話では龗神や闇罔象神等が、外来神では吉祥天・辯才天がこの特徴を持ち合わせている。

 

[2]  学者により偽書とされている。

 


(3-2)瀬織津姫の真実がヤバイ!!(都市伝説)


(引用:ぞくぞく家族団RUNチャンネル)

1)ユーチューブ動画の紹介

 この項目は、引用チャンネルの次のユーチューブ動画

〔世界最大墳墓・仁徳天皇陵に隠された謎!終戦後GHQが真っ先に調べた絶対に公開できないヤバイ秘密【ぞくぞく】【ミステリー】【都市伝説】【総集編】2022/02/20〕

〔URL:https://www.youtube.com/watch?v=neky9WttyuE〕

の33:00頃から放映されている「瀬織津姫の真実がヤバイ!!」から文字起こしをしたものです。 細部は、上記URLを参照してください。

 

〔瀬織津姫の真実がヤバイ!!〕

 

 みなさんは、「瀬織津姫(せおりつひめ)」を御存じでしょうか?

 

 数年前に大ヒットした映画、「君の名は」のモデルともいわれているのですが、大変謎の多い、ミステリアスな神様です。それというのも日本の歴史のタブーに関係しているとも言われ、記紀には記載されず、関連する文献が極端に少ないため、意図的に隠された存在となっているためです。今回は、そんな瀬織津姫についてご紹介します。

 

2)瀬織津姫とは

 瀬織津姫とは、神道の大祓詞によれば、罪や穢れを祓い清める祓戸四神(はらえどのししん)の筆頭として登場する女神で、流れの早い瀬に座って、罪や穢れを海に流しているとあります。

 

 また、その名前からも分かるように河や滝、海などの水に関する神様と言えるでしょう。

 そんな瀬織津姫は、様々な神様と同一視されてもいます。

 

 例えば、宗像三女神(むなかたさんじょしん)の一柱となる市杵島姫(いちきしまひめ)や大山祇神(おおやまづみのかみ)の娘であり邇邇芸命の妃となる木花咲耶姫(このはなさくやひめ)、さらには全国の白山神社に祀られる菊理媛(くくりひめ)、七福神の一人である弁財天、日本の水神の代表となる龍神など、さまざまな名前で語られています。いずれも水とかかわりの深い神様です。

 

 お金に関するご利益の印象が強い弁財天ですが、実はれっきとした水の神様(宇美の守護神)でもあります。さらに意外なところでは、天照大御神の荒魂(あらみたま)という説もあります。

 

 神道においては、人間同様に神様も二面性をもつと考えられており、それが、穏やかな「和魂」と荒々しい「荒魂」になるのです。罪や穢れを祓い清める瀬織津姫が荒魂とは、少々意外な感じもしますが、古来より伝わる神道書や多くの文献には荒祭宮(あらまつりのみや)(伊勢内宮の別宮)の御祭神が天照大御神の荒魂であり、またの名を瀬織津姫と言う、そのように記載されているとのこと。

 

 複数の文献にこれらの記述があることから、「瀬織津姫=天照大御神の荒魂」と考えられています。

 

 そんな瀬織津姫ですが、冒頭でお話ししましたように古事記や日本書紀などの記紀には、その名前が一切登場しない不思議な神様でもあります。これだけの記述があるにもかかわらず、なぜ記紀においてその名を見ることが出来ないのでしょうか? そこには意外な理由があるようです。

 

3)瀬織津姫が記紀に登場しない理由

 「ホツマツタエ」という古文書をご存知でしょうか? 神代文字の一種である「ヲシテ文字」で記された古史古伝の一つで、天地開闢から景行天皇までの様子を五七調の長歌体で綴った叙事詩になります。ただ、その信憑性には懐疑的な意見が多く、現在では偽書とする評価がなされています。しかし、その一方で、記紀の原典となる史書とする研究者も増えているのも事実です。

 

 「イザナギとイザナミの子供となる男神・アマテルの妃の一人が瀬織津姫である」、との記述があるのです。日本で唯一の正史とされる記紀では天照大御神は「女神」となっています。もしも、是が事実であるならば、天照大御神は女神ではなく、男神となり、これまで知られてきた日本の神話が根底から覆されかねないということになります。

 

 では、なぜ男神から女神に変わったのでしょう。これは、持統天皇が関係するという説が現在では有力視されています。持統天皇は天武天皇の皇后であり、天武天皇の没後史上3人目となる女性天皇です。この持統天皇が、自身が即位したことの正当性や、その権威を高めるために、男神であった天照大御神を女神に変えたことが原因といわれています。

 

 しかし、これを実行するには天照大御神が男神であった痕跡を一切無くさなくてはなりませんので、天照大御神の妃となる瀬織津姫の存在を完全に抹消してしまったといわれています。つまり、瀬織津姫が記紀などの日本の正史書に登場しないのは、天照大御神が女神であることを事実として通さねばならないという理由からだと考えられるのです。

 

 また、一説によると、持統天皇は瀬織津姫が祀られた神社に対し、御祭神を他の神様に変えるように勅令を出したとされます。そうした神社は全国にあり、御祭神を変えて存続していましたが、明治時代になっても瀬織津姫を御祭神にしないようにとの圧力が再びかけられ、結局、多くの神社は名前まで変更してしまったといいます。

 

 持統天皇の正統性が問題になる時代はすでに過去になってしまったにもかかわらず、なぜ瀬織津姫を隠し続けるのでしょうか? これにも様々な説が囁かれています。

 

 例えば、瀬織津姫が大和王権にとって好ましくない存在だったのではないかというものです。「日本に伝わる神々の多くは、実在した人物だった」との説があります。これは、大和王権の有力者や権力者だった人物が、神として神話に登場したとするものですが、大和王権に対して敵対関係であったり、反旗を翻したような場合には、都合が悪く、好ましくありませんので、存在しないことにした可能性があるのです。

 

 つまり、瀬織津姫は、大和王権と敵対関係にあったために、隠され続けているのではないかということです。このように隠されたのは、瀬織津姫だけではなく、ニギハヤヒも同様です。

 

4)ニギハヤヒとの関係

 また、ニギハヤヒとの関係性においても、瀬織津姫に関して様々な憶測が為されています。

 

 ニギハヤヒは、神武天皇が東征する前に大和地方を治めていた神様として記紀に登場し、その子孫は物部氏となって天皇に仕えるようになり、軍事と祭祀を司ったとされています。

 

 しかし、それにしては情報があまりにも少なく、謎の多い神様なのです。そのことから、ニギハヤヒにも色々な説があり議論の対象となっています。

 

 その中には、天照大御神と同一視する説や、男神・女神それぞれの天照大御神が存在し、男神がニギハヤヒで女神が瀬織津姫とする説などもあります。

 

 そこから派生して、瀬織津姫がニギハヤヒの妻であるとの説もあるようです。これらの説は、ホツマツタエと同様に、現在では偽書とされる古史古伝からの考察が多くなっています。記紀において、ニギハヤヒの情報が少なく謎が多いのもこれらの理由を考えるとつじつまが合うのではないでしょうか。

 

 天照大御神が男神で、それがニギハヤヒであったとしたら、記紀との整合性がとれなくなるため、瀬織津姫同様に存在を消されてしまった、ということが考えられます。

 

〇瀬織津姫はかぐや姫説

 現在の一般的な見解としては、記紀が日本の正史となっています。ただ、だからと言って偽書とされる古史古伝は真実ではないと言い切れるのでしょうか? 仮に、ホツマツタエなどの古史古伝が偽書であり、その信憑性が疑わしいとしても、瀬織津姫に関しては何らかの隠すべき理由が存在すると考えるのが妥当ではないでしょうか?

 

 前述しましたように、瀬織津姫は神道の大祓詞に登場する神様です。罪や穢れを祓い清めると言う非常に重要な女神であるにも関わらず、記紀に登場しない不自然さはやはり何らかの意図があるような気がしてなりません。その解明に至るかはわかりませんが、瀬織津姫にまつわるその他の謎について、ちょっと見ていきたいと思います。

 

 「瀬織津姫がかぐや姫のモデルである」という説があります。前述しましたように、天照大御神の男神がニギハヤヒ、女神が瀬織津姫で、二人は夫婦であったとする説をご紹介しました。夫婦とは二人で一つ、つまり陰と陽を示します。

 

 夫であるニギハヤヒが天照大御神の「陽」である太陽、妻である瀬織津姫が「陰」である月と考えられます。この「月」という共通項から、瀬織津姫とかぐや姫が結びつくのです。妻である瀬織津姫は、天照大御神の荒魂でした。荒魂と言うと、何となく荒ぶるような恐ろしさを感じてしまいますが、それは慈悲や愛情の一つになります。

 

 例えば、地球を浄化するために地震や火山の噴火を起こす、ということをするそうなのですが、人間からすれば、その影響によって命を落とす場合もあるわけですから、とても慈悲や愛情とは受け止められません。

 

 しかし、大きな視点で見れば、浄化せずにそのままにした結果、地球に住めなくなってしまうとしたら、荒魂による噴火・自身は、長い目でみて人間にとっては良かったことになります。

 

 こうした「愛情の示し方」が、かぐや姫と共通しているとのこと。かぐや姫は、求婚してきた男性達に、難題を出し、災いを与え、結婚が成就しないように仕向けます。

 

 結婚相手として最終候補となったのは、「皇子」や「右大臣」「大納言」「中納言」という、早々たる顔ぶれ。しかし、結局は、どの縁談もまとまらず、かぐや姫はそのまま月へと帰ってしまい、残された男性たちは、心にダメージを受けてしまいます。

 

 ですが、こうした厳しい対応をすることにより、国の中枢を担うであろう支配する側の人々に対して、心の痛みを与え、庶民に対する情けを持つように教え諭したのではないかと言われています。

 

 大局的に見れば、そうすることにより、国が良い方向へ向かい、繁栄につながりますので、正にかぐや姫は荒魂のような存在となるわけです。

 

5)イザナミ説

 瀬織津姫が同一視される神々については、冒頭でご紹介しました。それは水を共通項とすることから、同じ神様としていますが、それとは当てはまらない、意外な側面から同一視される場合もあります。

 

 その一つが、瀬織津姫イザナミであるという説です。それによると、瀬織津姫とニギハヤヒは、人間となり地球に降り立ったことがあると言われ、その時の名前が伊弉諾とイザナミといい、夫婦となり多くの神々を生み出したと言うのです。

 

 瀬織津姫が「祓戸四神(はらえどのししん)」の筆頭となるのは、神々の生みの親だからとも言われています。また、瀬織津姫禍津日神(マガツノヒノカミ)を同一視する説もあります。実際に二つの神を同一視して祀る神社も存在するようです。

 

 禍津日神とは、イザナギが黄泉の国から戻り、禊をした時に生まれた神です。災厄をもたらす神では有るものの、祀ることで災いから人々を守ってくれる神様になるといわれています。瀬織津姫が天照大御神の荒魂であることから、自然災害を引き起こすと考えられ、禍津日神と同一視されるようになりました。

 

6)映画のモデル

 2016年に大ヒットした映画「君の名は」についてですが、実は瀬織津姫をモデルにしていると言われています。ヒロインの名は宮水三葉(みやみずみつは)宮水神社の巫女として登場します。姓の宮水は水の神を連想させますし、名の三葉ですが、これは水を司る罔象女神(みつはめのかみ)から名付けられたとのこと。

 

 罔象女神は、日本書紀にも登場する神様ですが、実はこの神様は瀬織津姫の別名とされていることから、宮水三葉のモデルは、瀬織津姫と言うことになるのです。瀬織津姫は、水の神様であり、瀧の神、龍神です。

 

 そして、もう一人のキーマンとなる男の子が立花瀧(たちばなたき)。名前の「瀧」からもわかるように瀬織津姫と密接に関係していると考えられます。

 

 ある説によれば、ニギハヤヒ瀬織津姫は夫婦であるとも言われ、ともに大和王朝によって、引き離されて、社会から隠されてしまった神様と考えられています。特に瀬織津姫は、罔象女神木花咲耶姫(このはなさくやひめ)といったように、様々な名前に変えられ、その存在を入念に隠されてしまいました。

 

 一方、映画の物語も、男女の主役がお互いの名前は知らないけれど、夢の中で存在を確認しあい、そして現実に戻った時に、お互いに探し求めるといった内容になっていることから、瀬織津姫とニギハヤヒがかっての関係を取り戻そうとする物語であるという見方ができるのです。

 

 そして、ラストシーンが「神社」で再会して、お互いに名前をたずねたところで終わることから引き離された関係は戻るという、映画ならではのハッピーエンドになっています。

 

 ちなみに、劇中にてくる「ティアマト彗星」のティアマトという名前は、メソポタミア神話 出てくる海の女神をあらわし、一説には瀬織津姫と同一の存在なのはいかとも言われているようです。

以上です。

 

 前述しましたように、瀬織津姫と大和大権は敵対関係であった可能性があります。そうしたことから、瀬織津姫が神武天皇以前の日本の統治者であったという説が囁かれていのです。

 

 それによれば、神武天皇は、日本から世界に拡散していった五色人の子孫で、ある時期に一族を引き連れて帰国。当時、日本を統治していたニギハヤヒと織津姫を東征して滅ぼしたのではいかとのこと。もしそうであれば、神武天皇の正統性が疑われてしまう事にもなりかねませんので、この二人の存在が隠され続けているというわけです。

 

 個人的には、今さら正統性が疑われるようなことにはならないと思いますし、そうなったとしても、2600年以上の長い歴史を築いたという事実があるわけですから、本当のことを公開してもいいのではないかと感じました。 


作成開始:令和3年2月23日                    最終更新:令和5年12月14日